日本が滅びる・108
▼邪馬台国説と日本神話学説は誤読の空論であると証明できる
●愛、あざやかに永遠であれ(47)・箸墓記事と天皇の王冠(13)
■太安万侶が書いた『古事記』序の秘密の解明(2)
◆前回のわがブログ「卑弥呼の逆襲:107」において、『古事記』の序を書いた太安万侶(おおのやすまろ)が作った『万葉集』1683番・1684番の「舎人皇子に献(たてまつ)る歌二首」を注目した。
太安万侶が作った「舎人皇子に献る歌二首」のうちの1684番「春山は 散り過ぎぬとも 三輪山は いまだ含(ふふ)めり 君待ちかてに」を現代語に訳すると、「春山の〔春〕や〔花〕で象徴される〔伊耶那美命〕が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を伝える『古事記』は元明天皇に献呈を拒否されて散ってしまいましたが、皇子がお住まいになられる高屋より西方の三輪山を含む箸墓古墳や纏向(まきむく)の地の桃の花はいまだ蕾(つぼみ)です。わが家に伝わる桃の花の蕾のごとく『多氏(おおのうじ)古事記』は、いまだ世に出て花開いていません。この『多氏古事記』を利用して新しい歴史書を作成しようではありませんか。吾は主君のご到来を切に切にお待ち申しあげます」となる。
◆『古事記』は712年の陰暦1月28日に元明天皇に献上された。この陰暦1月28日をグレゴリオ暦に換算すると現代の3月18日に相当する。この日から半月後には1684番の和歌で「春山は、散り過ぎぬとも」と詠まれたごとく梅の花は散り、「三輪山は いまだ含めり」のごとく三輪山周辺地域に桃の花の蕾が咲いた。ゆえに、この和歌は『古事記』を献呈した日から直ぐ半月後の陰暦2月中旬(現在の4月初旬)ころに作られた。
最近において纏向(まきむく)遺跡から2千個を超す桃の種(たね)が出土した。『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は〔天照大御神が率いる千五百之黄泉軍(ちいほのよもついくさ)=倭政府の大軍を撃破した小国・日本の兵士と熊野に住む戦士〕の名称を「桃子三箇(もものみみつ)」と表記する。そして安万侶が「三輪山は」と詠んだ、その三輪山の頂上付近にある〔奥津磐座(おくついわくら)の岩石群と櫛笥(くしげ)に入る小蛇(こおろち)の石像〕は、わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」の102回・104回・105回において証明したように、天照大御神=倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民を祟り迫害した史実を今日に伝える証拠品(遺物)となる。したがって、纏向遺跡から発掘された大量の桃の種は天照大御神が桃子三箇に呪い祟るために桃の実が集められたものか、あるいは纏向集落の住人たちが桃子三箇に祟るために使用されたものであったにちがいない。
太安万侶は多氏の一族であったとされ、多氏の祖の神八井耳命(かむやいみみのみこと)は神武天皇の皇子である。神八井耳命は、A図に示す三輪山の西の多(おお)神社のあたりに住んでいたと伝わる。
わがブログ「日本が滅びる・106」で解説したように、舎人皇子はA図右端の高屋(現在の奈良県宇陀郡榛原町の高星╱たかへ)に居住していた。高屋からA図の左上の多神社は約18km西方に位置し、三輪山から6km西方に多神社は所在する。
B図に示すように、三輪山が含む(含めり)地域となる纏向遺跡と倭迹迹日百襲姫命(天照大御神)が葬られた箸墓は三輪山に近い約2.5km西方に位置する。
(C) 2014 OHKAWA
◆『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話には「伊耶那岐命がクーデターを断行して天照大御神(倭迹迹日百襲姫命)を倭女王から引きずりおろした」という歴史的事実が記述された。ゆえに、朝廷が最も崇拝する皇祖・天照大御神の聖性を汚す歴史を記述したため、元明天皇は即座に献呈を拒絶した。『古事記』を献呈した日から約半月後の桃の花の蕾が咲く陰暦2月中旬ころ、安万侶は「舎人皇子に献る歌二首」を作って舎人皇子に新しい歴史書の作成を提案した。したがって、「舎人皇子に献る歌二首」は『古事記』献呈を拒絶されてからわずか半月後に作られたゆえ、安万侶の脳裏には『古事記』の序文があざやかに残っていたことになる。だから、『古事記』序文と「舎人皇子に献る歌二首」の趣旨は直接的に結びつくものとなったと考えるべきことになる。
◆わがブログ「用語の解説」の「1・漢字」、「2・秋の銀河と夏の銀河」、「3・夏音(かおん)文字」、「4・倉頡(そうきつ)が死刑と定めた3つの掟」、「5・漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕」において指摘しているように、わが国には今から約4050年前の夏代初頭(後期縄文時代初頭)に原初漢字の夏音文字が伝来していた。
夏音文字は秋の銀河と夏の銀河各部の形状を字源・字形・字義・字音とした。このため、文字を記す遺物が出土しない文字となった。しかし、夏音文字は銀河各部の形状として実在した。これゆえ、わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字通』(平凡社)1399頁にある【文字】の「ことばをしるす記号」という説明と異なり、夏音文字は「銀河各部の形状を造化(デザイン)する記号」であった。
“漢字の始祖”と崇拝された倉頡は(1)秋の銀河と夏の銀河各部の形状から文字が作られたことを暴露した者、(2)文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者、(3)書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者消し忘れた者には、〔神罰〕言い換えると〔神の祟り〕によって即刻死刑とされると3つの掟を定めた。
このため、夏音文字では銀河各部の形状が字源・字形・字義・字音となった。
今から約3300年前の殷代後半の亀の甲羅に刻む契文(けいぶん╱甲骨文字)は(3)の掟を破ったが、(1)と(2)の掟を厳重に守った。このため、『魏志』倭人伝における魏の楷書(原初的な楷書)も隋代に完成した楷書もまた夏音文字と同じく〔銀河各部の形状を字源・字形・字義〕と定めていた。その証拠に、『魏志』倭人伝には「倭の伊都国の港では、卑弥呼が書く文書の夏音文字と魏都・帯方郡・諸韓国の楷書が差錯(ささく╱相違)しないように正しく変換できた」という記事がある。楷書もまた銀河各部の形状を字源・字形・字義とするものであったゆえ、伊都国の港では夏音文字と楷書を正しく変換することができたのである。
白川静著『字統』(平凡社)は9頁末から10頁にかけて〔わが国の漢字音〕と題して下記のごとく指摘する。
「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学が取り入れられ、殊にその音韻史研究によって得られた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレーンがその方法を開いてから、急速な進歩をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」
学者たちはわが国において中国文字が最初に習得されたのは5世紀、または6世紀であると断定する。この定説よりもずっと古い中国の上古音で「卑弥呼」を読むと「ピミカ」になると、千賀四郎編集『日本古代の旅3 邪馬台国』(小学館)の30頁は指摘する。この中国の上古音「ピミカ」よりも、「ヒミコ」と読む字音のほうが古い。だから、「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む字音はわが国の国語として残った最古の漢字音=夏音文字の字音であるので、わが国には甲骨文字よりも古い夏音文字が伝来していたことは事実となる。
◆太安万侶は『古事記』の序文で「わが国に夏音文字が伝来し、夏音文字と楷書は共に銀河各部の形状を字源・字形・字義とするものであった」と解説する。そして、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く夏音文字が多数記載されて残った。
安万侶が書いた『古事記』の序文の中半にある〔天武天皇と『古事記』作成の企て〕の条の冒頭の文は下記のごとくである。
「飛鳥の清原(きよみはら)の大宮に大八州御(おほやしまくにしら)しめし天皇(すめらみこと)の御世(みよ)にいたりて、潜龍元(せんりょう・げん)を体(たい)し、洊雷(せんらい)期に応ず」
荻原浅男・鴻巣隼雄(こうのす・はやお)校注・訳者『古事記 上代歌謡』(小学館)は上記の文を「飛鳥の浄御原(きよみはら)の大宮で天下をお治めになりました天武天皇の御世に至りまして、天皇は皇太子としてすでに天子たるべき資質を備えておられましたが、好機到来しましたので、それに応じて天子たるべき徳をお現わしになりました。」と訳する。
『古事記 上代歌謡』は文中の「潜龍」という語に「皇太子のこと。水底に潜みいまだ雲を起こさない龍の意から、天子の徳がありながらまだ位をつかない者をいう」、「元を体し」には「天子たる資質を備えること」という注を加える。また「洊雷」には「『潜龍』と同じく皇太子のこと」という注を付ける。
◆〔歳差(さいさ)〕という天文現象にもとづいて、C図に箸墓古墳に葬られた倭迹迹日百襲姫命(天照大御神)が生存した3世紀後半の三輪山・箸墓・纏向遺跡(北緯34度32分)の天頂緯度線を表示した。
D図左下にある「激流の銀河」は〔龍が水中や水底に潜む形状〕に観えるので「潜龍」の語源となった。
(C) 2014 OHKAWA
E図に示すように、「十字の銀河」が[天]と[王]の銀河となる。F図に示す〔妊婦〕や〔女体の姿〕に相似する「十字の銀河」を、倉頡は〔すべての文字が生まれる母体〕と定めた。ゆえに、F図左側に配する「文字」の[文]の金文形は「十字の銀河」を〔子宮に胎児が宿る妊婦の正面形〕の図案となった。G図では「十字の銀河」は[宀(べん)](ウ冠)の字源となり、「鬼の姿に似る銀河」が[子]の字源となり、ゆえに「十字の銀河・鬼の姿に似る銀河」が[字]の字源となった。
(C) 2014 OHKAWA
紀元前5世紀~4世紀に生存した孔子と並ぶ中国の思想家・老子の教えは『老子』という書物となって今日に伝えられる。『老子』は第1章から第37章までの上篇(道経)で「漢字は秋の銀河と夏の銀河各部の形状から作られた」と解説する。
『老子』第25章には「天は大なり、地は大なり、王も亦(ま)た大なり」という文があり、この『老子』の文は――E図の大字形の「十字の銀河」が[天][大][王]の字源である。D図の「鬼の姿に似る銀河」や「潜龍の銀河(激流の銀河)と長方形の暗黒天体部」を人が住む[地]の字源である(「鬼の姿に似る銀河」が[土]、「長方形の暗黒天体部」が[也]の字源)――と指摘していることになる。
G図示す「十字の銀河」はE図に示したように[天]の字源であり、G図の「鬼の姿に似る銀河」は[子]の銀河である。だから、[天]の「十字の銀河」を仰ぐ「鬼の姿に似る銀河」が「天子」の語源となった。
◆G図における「十字の銀河の子宮」はH図左図に示す〔天頂緯度線と天頂点〕に見立てられ、「天子の徳」の[徳]はH図右図の「[玄](天頂緯度線と子午線)をキャッチする能力」であった。
(C) 2014 OHKAWA
白川静著『字統』は[直]の字源解説で「直と徳は声義ともに近い字であり、その呪能の内面化したもの、その能力がその人格に固有のものとなったとき、これを徳という。直はいわばその直接的な呪力の表現ということができよう。また、その呪力は、正しく立って相対(あいむか)うときに威力を発揮するので、相値(あ)う意となり、植(た)てる意となる」と、[徳]と[直]の字源を解説する。
H図右図の右上に示す「[玄]=天頂緯度線と直角に交わる子午線」を、『字統』は「直はいわばその直接的な呪力」と表現する。H図左図に示すように、「植てる」すなわち「観測者が地面に直角になるように正しく立つ」と、おのずと天頂緯度線と相対することになり、天頂緯度の数値と同数と定めた地上の緯度の数値とそして子午線が精密に測量測定できた。ゆえに、『字統』は上記のごとく「直はいわばその直接的な呪力の表現ということができよう。また、その呪力は、正しく立って相対うときに威力を発揮するので、相値う意となり、植てる意となる」と解説したのである。
以上のごとく、「天子の徳」の[徳]は「[玄]をキャッチする能力」であった。
D図左下に示す「潜龍の銀河」は〔[玄]をキャッチする鍛錬が足りない皇太子〕に見立てられた。だから、「潜龍」という語は「皇太子」を意味した。
◆I図は、「潜龍元を体し」の文中にある[元]の解説図である。
『説文解字』は[元]の字源を「始なり」と解説する。[始]は[女]に[台]が加わる字であり、その[女]はI図左図の「女性の子宮」、その[台]はI図左図の「頭が誕生する娩出期(べんしゅつき)の胎児」をあらわした。ゆえに、「娩出期の胎児」は「この世に生まれて生きる出発点(始)」であるので、『説文解字』は[元]の字源を「始なり」と解説した。
(C) 2014 OHKAWA
I図上図[元]の字源となる「鬼の姿に似る銀河」は、前述したように[天]の字源「十字の銀河」を仰ぐ「天子」の語源となった。
G図の「十字の銀河の子宮」は〔[玄]=天頂緯度線・天頂点・子午線〕に見立てられ、「十字の銀河の子宮を見上げる鬼の姿に似る銀河」は〔徳を備える天子〕に見立てられた。だから、「鬼の姿に似る銀河」は「潜龍元を体し」という文をあらわすので「天武天皇は皇太子としてすでに天子たるべき資質を備えていた」と意味した。
◆前述したように、『古事記 上代歌謡』は「洊雷」という語に――「潜龍」と同じく皇太子のこと――という注を付ける。
ゆえに、D図に示す「皇太子」の語源となる「潜龍の銀河」がJ図に示すように「洊雷」の語源であったゆえ、「洊雷」は「皇太子」を意味した。
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J図に示すように、高い木に落ちた雷が木の近くにいる人を襲う、これを「側撃雷(そくげきらい)」という。「十字の銀河」は〔側撃雷が落ちる樹木〕に見立てられ、D図の「潜龍の銀河」は〔洊雷〕に見立てられた。
白川静著『字通』(『字統』ではない)は[洊]の「いたる。しきりに」という字義を解説するために「〔続資治通鑑、元紀〕(世祖、始元二十八年)秋七月~民怨みて盗發(おこ)り、天怒りて地震ひ、水災洊(しきり)に至る」という文を引用する。
D図の「激流の銀河=潜龍の銀河」は、J図に示すように「雷の豪雨による水災(水害)」のイメージとなる。だから、「潜龍の銀河」は[洊]の字源・「洊雷」の語源であった。
◆このように「洊雷」は「皇太子」を意味する他に、「雷の豪雨による水の災い」をもあらわした。「洊雷」という語は、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「八雷神(やくさのいかづちがみ)」という語と[雷]の字が共通する。「八雷神」は「天照大御神(倭迹迹日百襲姫命)がを陣頭指揮して多数の奴婢(ぬひ╱18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女)を殺して伊耶那美命の墓に埋めた徇葬者(じゅうそうしゃ)たち」であった。
『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は――天照大御神は残虐な徇葬を陣頭指揮し、また千引石(ちびきのいわ╱現在の和歌山県新宮市に所在する神倉神社の神体の“ごとびき岩”)の前で天照大御神が「汝(いまし)の国の人草、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」と誓って、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民を呪い祟った――という歴史を伝えるために、『古事記』は献呈を拒絶された。ゆえに、安万侶は新しく作る歴史書(『日本書紀』)に箸墓築造説話を記載することを企てたのである。
だから、[雷]の字を共有する『古事記』序文の中半に記載された「洊雷」と伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「八雷神」(残虐な徇葬の災い)は直接的に結びつき、『古事記』の作成目的の【日本建国の〔愛〕の理念】を祟った天照大御神の歴史を安万侶は『日本書紀』崇神天皇紀に記載した箸墓築造説話で伝えようとしたことになる。
そして、わがブログ「日本が滅びる」の102回・104回・105回で詳細に解明したように、天照大御神が【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民を呪い祟った歴史的事実を伝える確かな証拠となる――K図に示す三輪山山頂付近に〔奥津磐座の岩石群と櫛笥に入る小蛇の石像〕が現在も残存する。
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◆L図における中央の石は「櫛笥に入る小蛇の石像」であり、バックの岩石群が「奥津磐座」を示す。
M図に示す「櫛笥に入る小蛇の石像」は、「N図の狭い子宮頸管(しきゅうけいかん)を通過する胎児の頭を絞め殺す様子」を形成する。ゆえに、天照大御神が千引石の前で「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と誓った言は「伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の母親たちの子宮頸管が狭くなるように呪い、狭い子宮頸管で一日に必ず千人の胎児の頭を絞め殺す」と意味した。
この祟りをあらわすのが「櫛笥に入る小蛇」の石像であり、「子宮頸(櫛笥)に巣くらって子宮頸管を通過する胎児の頭を絞めて殺す小蛇の祟り」をあらわした。
現在の学者と異なり江戸幕府は〔誤読=文献批判〕を一点も加えずに『古事記』序文を忠実に読解して〔漢字は銀河から作られた事実〕を知っていた。したがって安万侶が提案した『日本書紀』崇神天皇紀の箸墓築造説話記事を正しく理解した幕府は、三輪山の山頂近くに所在する奥津磐座と櫛笥に入る石像が破壊されないように厳重に保護した。これゆえ、今日でも天照大御神(倭迹迹日百襲姫命)の祟りを目撃することができることとなった。
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