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2014年7月22日 (火)

日本が滅びる・115

日本古代史学者たちは自説に反する歴史の記述や理解不能な記述に遭遇すると〔誤読〕して、この過ちに“文献批判”という別称をつけて誤魔化す特技を有する

愛、あざやかに永遠であれ(54)・箸墓記事と天皇の王冠(20)

 

■箸墓は卑弥呼の墓ではない、天照大御神の墓である(1)

 

◆今から約4050年前に、わが国には原初漢字の夏音(かおん)文字が伝来していた。

この夏音文字が伝来した歴史の事実は――『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に多数の夏音文字が記載されて残り、後述する大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)や「卑弥呼」の地上絵はじめ京都に所在する枯山水の名園で有名な龍安寺の石庭、彦根市の行政区域を表示する3千万坪の大鳥の地上絵、京都に所在する桂離宮の庭園、大嘗会(だいじょうえ)における天皇即位式に用いられる天皇の王冠など、先人たちは多種多様な夏音文字の史跡・遺跡・遺物を作って残した。

漢字がわが国に最初に伝来したのは56世紀であると思い込む古代史学者たちにとって『魏志』倭人伝や『古事記』序と上巻が証言する夏音文字が存在したという記述は自説に反するので、18世紀前半に生存した新井白石が開発した〔誤読〕という方法に“文献批判”という別称を付けて誤魔化(ごまか)すことができる特権を用いて、原初漢字・夏音文字の歴史を抹殺した。

これゆえ、学者たちは『魏志』倭人伝・『古事記』・『日本書紀』を正確に読解できる能力を有していない。

◆学者たちは「卑弥呼」の3字を「ヒミコ」と読む。

「卑弥呼」を「ヒミコ」とする3音は、現在の中国に残されている最古の字音である上古音よりも古い。中国の上古音だと「卑弥呼を〔ピミカ〕と読む」と、千賀四郎編集『日本古代史の旅3 邪馬台国』(小学館)は指摘する。

ゆえに「ヒミコ」という字音は、いま残されている最古の夏音(かおん)文字の字音である。ということは、「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む学者たちは、自説に反して、今から4050年前に名門・益氏の王子と若者たちが中国大陸から荒波逆巻く大海を越えて日本列島に移住して夏音文字を根づかせたと主張していることになる。しかし、学者たちが決めた定説はわが国が漢字を最初に習得したのは5世紀か6世紀とする。このように、学者たちの意見はもはや矛盾し不条理きわまりない状況となり【科学】がまったく成立しない。

中国の正史『新唐書』日本伝には――702年に中国に渡った日本の遣唐使が「後稍(のちやや)夏音を習う」すなわち「壬申の乱の後、稍々(やや)夏音文字を習うすなわち復興することにした」と中国王朝に伝えた――と記述する文がある。10年後の712年に完成した『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて夏音文字が多数記載されているので、現にわれわれは学者たちに騙(だま)されず夏音文字を目撃することができて学者たちの定説のウソを見破ることができる。

したがって、「卑弥呼」を夏音文字の字音で「ヒミコ」と読むは正しく、学者たちが決定した56世紀漢字習得説は〔誤読〕の産物であり大きな過ちとなる。

わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)9頁の末部に〔わが国の漢字音〕と題して「古紐や古韻の研究は、西洋の言語学・音韻学が取り入れられ、殊にその音韻史研究によって得られた諸法則が、原理的にほぼ適用しうる関係もあって、カールグレンがその方法を開いてから、急速な進展をみせている。そしてその結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているものなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」と指摘する。

だから、『魏志』倭人伝の卑弥呼はじめとする人名や小国名には現在残されている漢字音で最古の夏音が残り、『古事記』上巻の随所に記載される多数の〔音〕という注が付く1字1音読みの文字は夏音文字であったことになる。

◆上記したように、秋田県鹿角(かづの)市に所在する国の特別遺跡の大湯環状列石の万座遺跡と野中堂遺跡は今から約4050年前の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に相当し、万座・野中堂の両遺跡には夏音文字が伝来した痕跡が現在も明確に残る。

また、A図は静岡県浜松市北区細江町の行政区域を表示する地図の形として現存する3世紀後半に作成された「夏音文字は実在した」ことが科学的に証明できる大鳥の地上絵である。この3世紀後半に作成された大鳥の地上絵を、私はかつて“建比良鳥の地宜”と呼び、現在は“「卑弥呼」の地上絵”と呼ぶ。『魏志』倭人伝は280289年に著作されたゆえ、A図の「卑弥呼」の地上絵は『魏志』倭人伝と同時代に作成された。
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(C)2014 OHKAWA

「卑弥呼」の地上絵は『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話の末部に登場する「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」が作成した。建比良鳥命は天照大御神が憎悪して呪い祟って抹殺せんとした伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】をなんとしても後世に残すために「卑弥呼」の地上絵を制作した。当時(3世紀後半)は『魏志』倭人伝が証言しているように、夏音文字は武力や財力に優る倭国で最も強い力を有するものであったゆえ、卑弥呼王朝の政権基盤は夏音文字であった。このため、「卑弥呼」の地上絵をもって【日本建国の〔愛〕の理念】を当時の学問に則って後世に伝えるにあたって、真っ先に夏音文字の学芸の機能が備え付けられた。これゆえ「卑弥呼」の地上絵を調査すると『魏志』倭人伝のすべての記事は正しいと証明されるとともに夏音文字の全貌が解明できる。だから、夏音文字は実在した原初漢字であったことになる。

したがって自説に反する記述には〔誤読〕という得意技(とくいわざ)を使うことを許された学者たちは、〔夏音文字〕の存在を証言する『古事記』序の記述を一方的な偏見の基に〔誤読〕して空理空論の漢字習得説を捏造(ねつぞう)することになった。

◆太安万侶が書く『古事記』の序の表題は「古事記上巻 序并」(古事記上巻并(あわ)せて序)である。

だから、『古事記』の序は以下の3つの事柄を説明するものであった。

『古事記』序は(1)「上巻に〔音〕という注を付けた文字は夏代初頭にわが国に伝来した夏音文字である。夏音文字の字源・字形・字義は秋の銀河・夏の銀河の各部の形状であり、夏音文字を表記する楷書の字源・字形(字形の原形)・字義もまた同じく秋の銀河・夏の銀河各部の形状である」と解説するものであった。というのも、夏音文字は“漢字の始祖”と崇拝された倉頡が――文字が秋の銀河と夏の銀河から作られた秘密を暴露した者は神罰が下って即刻に死刑にする。また、書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者は国と王朝を滅ぼす大罪を犯す者であるので、同様に即刻に死刑にすると――と定めた掟を厳守する原初漢字であったからである。これゆえ、夏音文字の字源・字形・字義は銀河各部の形状となった。

また『古事記』序は、(2)『古事記』上巻の初頭部の伊耶那岐命と伊耶那美命説話から末部の火遠理命(ほおりのみこと)説話まで首尾一貫したテーマの【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために『古事記』が作成されたことを明確に示すために作られた。

さらに、『古事記』序は(3)中半にある〔天武天皇と『古事記』作成の企て〕の記述をもって〔天照大御神が夏音文字に精通する聡明な偉大な先祖であったことだけを伝え、多数の奴婢(青年男女)を殺して伊耶那美命の墓に埋めた残虐な徇葬(じゅんそう)と伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を呪い祟った歴史を削除する偽書の作成を、天武天皇が欲求した〕と後世の学者たちが察知できることを期待して作文された。

しかし、学者たちは安万侶が記述し上記の序の3つ主旨をまったく理解しなかった。だから、学者たちは『古事記』序と上巻をいたずらに〔誤読〕するだけで、彼等には『古事記』序を正確に読解できる能力がそなわっていない。

◆わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる107」において、()〔『古事記』序の冒頭「臣安万侶言(もう)す。それ混元すでに凝()りて、気象未だ効(あらは)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)かその形を知らむ。しかれども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化の首(はじめ)を作()すjという文は「わが国に後期縄文時代初頭に夏音文字が伝来し、夏音文字の字源・字形・字義は銀河各部の形状であった」と指摘するものであったことを詳細に証明した。

その次に続く()「陰陽ここに開けて、二霊群品(ぐんぴん)の祖(おや)と為()る」という文は「ここに陰と陽が開けて、陰の伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】とこの理念を受け継いだ陽の伊耶那岐命の二人がこの日本をすべての生みの親となった」と意味するものであったことも証明した。

わがブログ「日本が滅びる108」では、『古事記』序の中半に挿入した()「潜龍元(せんりょう・がん)を体し、洊雷(せんらい)期に応ず」という文をもって、安万侶は「楷書の字源・字形・字義も銀河各部の形状であった」と伝えていたことを詳細に証明した。

さらに、わがブログ「日本が滅びる109」において、『古事記』序の末部にある()「楷書の日下(にちげ)と音(すなわち夏音文字)の玖沙訶(くさか)と楷書の帯(たい)と夏音文字の多羅斯が同義である」と記述す文は、「楷書と夏音文字の字源・字形・字義が銀河各部の形状である」と伝えるものであったことを詳細に証明した。

上記の四つの記述が明確に証明するように、学者たちは『古事記』序と上巻の日本神話を正しく理解することができる能力をまったく有していない。学者たちが理解不能のために〔誤読〕した箇所はすべて重大な歴史を証言するものであったため、学者たちの意見は〔空論〕となり真実の歴史を闇に葬ることになった。

◆わがブログ「日本が滅びる・43」で取り上げたように、中国の思想家の孔子にも学識の誤りがあった。

秋の銀河と夏の銀河の各部の形状から作られた文字の学芸は国家と王朝の厳重な機密であったゆえ、この秘密を暴露する者は即刻に死刑に処せられた。

このため――孔子は老子のように若い時から「文字は銀河から作られた」と暴露して「喪家(そうけ)の狗(いぬ)」すなわち「宿無し犬」のように住所不定の逃亡生活に明け暮れる生き方は愚かであると批判した。ゆえに、孔子の教えを伝える『論語』述而篇には「子曰く、五十にして以って易を学べば、以て大過なかるべし」という文がある。

命惜しさに老いて五十歳から文字の研究をした孔子は「三皇時代の易から文字が起源した」と説く大きな過失を犯した。

若い時から文字を研究し「喪家の狗」と孔子に批判された老子は、この孔子の大過の批判と怒りと反論をおこない、有名な「学を絶てば憂い無し」という冒頭文から始まる『老子』第20章を残した。

この第20章の冒頭の文中に登場する[]の字源は「秋の銀河と夏の銀河から作られた文字の秘密と知識」であった。ゆえに、わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)[]の字源について『老子』第20章の[]に適合して「卜文にみえるメンズハウスの建物は千木形式で、わが国の神社建築と似ており、そこで秘密講的な、厳しい戒律下の生活がなされたのであろう」と指摘する。この『字統』の解説文にある「卜文」を私は「契文」と呼ぶが、いわゆる殷代後半に用いられた「甲骨文字」である。わが国には夏音文字で伝来していたので、中国における学問を勉強する校舎(メンズハウス)とわが国の千木そびえる神社建築は相似し、文字すなわち学は銀河から作られた秘密が漏れないように厳重な戒律のもとに学ぶことになったのである。

◆老いてから研究した孔子の学(文字の秘密と知識)に関する意見には大きなミスがあった。この大過は孔子が著作した『易経』繋辞(けいじ)下伝にある下記の漢字起源記事で明確に示された。

「古者包犧氏(いにしえ、ほうぎし)の天下に王たるや、仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観、(中略)。もって神明の徳に通じ、もって万物の情に類して結縄(けつじょう)を作った」
 (1)五帝時初頭の黄帝につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)は“漢字の始祖”と崇拝された。しかし、三皇時代初頭の包犧氏が考案した「易([]をキャッチする術)」に用いる結縄は〔天頂を通過する銀河部の形状をあらわす記号〕であったために、万物の情(イメージ)に類似するように多数の文字を作ることができなかった。ゆえに、包犧氏は“漢字の始祖”と崇拝されなかった。だから、「包犧氏が文字を作った」という記述は大過となる。

(2)「鳥獣の文」は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」のことであるゆえ、包犧氏は「鳥獣の文(鳥獣の足跡)」を発明しなかった。

(3)「地法」の[]の正字の[]は、わがブログ「日本が滅びる・113」で詳細に解説したように、『説文解字』にある[鹿]の字源を「鳥鹿の足は相比す」と解説する文から確立された。ゆえに、三皇時代の包犧氏時代においては「地法」という語は出現していなかったことになる。「地法」は五帝時代の黄帝軍の揚子江・太湖がある江南地方への遠征と中国海岸線精密地図作製事業から出現するようになった語であった。だから、これまた上記の孔子の漢字起源記事は大きな過失を犯したことになる。

したがって正しい漢字起源記事は「五帝時代の黄帝につかえた倉頡が、仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観、(中略)。もって神明の徳に通じ、もって万物の情に類して書契(しょけい)を作った」となる。

なお、わが国では「書契」を「刻木(こくぼく)」と呼んだ。

◆『日本書紀』巻第五の崇神天皇紀にある箸墓築造説話は「神明倭迹迹日百襲姫命(かみやまとととひももそひめのみこと)を箸墓古墳に葬った」と記載する。

この女王の名の先頭2字の「神明」は、上記の『易経』繋辞下伝の漢字起源記事にある「神明」と同字である。ゆえに、この「神明」の2字は――わが国に夏音文字が伝来した歴史が事実であったことを示すものとなる。

だから、箸墓に葬られた神明倭迹迹日百襲姫命は夏音文字に精通していた。

B図に示すように[]の字源となる銀河(天象)は「十字の銀河」である(B図の[]の字源銀河については、わがブログ「日本が滅びる・113」にてK図として詳細に解説した)

わがブログ「日本が滅びる・54」においても解説したように、『説文解字』は[]の字源を「歩む處なり」と解説するゆえ、C図に示す「十字の銀河の左足と右足jが[][]となる。またC図に示す「日輪の銀河」が[]の字源となる。D図の[]の上部の[(しゅう)]を、『説文解字』は「三合なり」と解説する。C図の「激流の銀河の西端」はD図[]の「三合=[]すなわち[]の形になる箇所である。ゆえに、契文の下部に[][]=「三合」が加わる[]の字源銀河はD図に点線で囲った「激流の銀河と鬼の横顔に似る銀河」であったことになる。[]の字は[襲撃]の意を有するので〔水に潜る龍の顔〕や〔押し寄せて襲いかかる高潮〕に相似する「激流の銀河の西部」が[]の字源部となる。
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(C) 2014 OHKAWA

前述したように、わがブログ「日本が滅びる・108」にてE図に示す「激流の銀河」は「龍が水中や水底に潜む形状」に観えるので「潜龍」の語源となったと証明した。
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(C) 2014 OHKAWA

以上のごとく、B図・C図・D図・E図の4図にて証明したように、奈良県桜井市に所在する箸墓古墳に葬られた女王の「神明倭迹迹日百襲姫命」という名は「天象」すなわち「天にある銀河各部の形状」から作られたと証明される。

わが国には倉頡が死刑と定めた掟を厳守して〔銀河各部の形状を字源・字形・字義〕とした夏音文字が伝来していたため、『易経』繋辞下伝が「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観、(中略)。もって神明の徳に通じ、もって万物の情に類して文字(書契・刻木)を作った」と伝える漢字起源の学識が失われずに残存した。

◆天照大御神を祀る伊勢神宮(皇大神宮・内宮╱三重県伊勢市宇治館町)の壮大な宮殿は、690(持統天皇4)に現在の宮地に創建されたと考えられている。

この伊勢神宮が所在するF図左図の「志摩半島の平面的に図化した地図の形」を、上記した『易経』繋辞下伝の漢字起源記事は「地宜」と記す。

下記に解説するように、「志摩半島の地宜」によって「倭迹迹日百襲姫命は天照大御神であった」と証明することができる。

F図左図の英虞(あご)湾がある志摩半島の地宜は、F図右図の「激流の銀河」に類似すると見立てられた。このように見立てると、伊勢神宮が祀られる宮地も「激流の銀河」の一角に相当することになる。だから、C図における「倭迹迹日百襲」の字源銀河が示すように、E図とF図右図の「激流の銀河」に類似する地宜と見立てられた志摩半島の北部の地に鎮座する伊勢神宮に祀られる「天照大御神」は箸墓に葬られた「神明倭迹迹日百襲姫命」であったと証明される。
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(C) 2014 OHKAWA

◆「英虞」を「あご」と読むのは、湾の形がF図右図の「激流の銀河」を「水中や水底に龍が潜る銀河」としたときに「潜龍の銀河の西端」が「顎(あご)」に相当するからであろう。この湾名の「英虞」の[]の字源は現在方位では成立しない。しかし、B図に示す現在方位を90度転位する[]の字源の基にG図の[]の転回方位を複合する方位規定だと合理となる。F図左上に示した[]の転回方位にしたがって「東→南」になるようにすると、F図左図の英虞湾を囲む海岸(「潜龍の銀河」の髭(ひげ)に相当する陸地)の傍に「西→南」と記したように、「西→南」はG図の示す[]の字源に合致する。

『説文解字』は英虞湾の[]の字源を「艸(くさ)(はなさき)て實(みの)らざるものなり」と解説する。ゆえに、転回方位における湾の南となる海岸がふさがっているゆえ「湾や志摩半島より南(転回方位)のH図に示す小国・日本には艸()の花が咲いても米の実はふさがって実らないようにする、天照大御神の祟り」とあらわすものであろう。
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白川静著『字統』は、C図にて点線で囲った[]の字形を「声符である白の上に、一横線を加えて区別し、数の百を示す字とする」と説く。ゆえに、[][]の下に[]を加えた字となる。C図の点線で囲った[]の字源銀河のうち、「鬼の横顔に似る銀河」が[]の字源部となる。

「激流の銀河」の[]の偏[](三水)[]に代えると[(きょう)]となる。白川静著『字統』は[]について「白は髑髏(どくろ)の形である」と指摘する。I図に示すように、[]の字源となる「鬼の横顔に似る銀河」は〔出産する胎児の頭や、狭い産道で死産した胎児が掻きだされた頭〕に見立てられて[]となりそして「髑髏」と解された。ゆえに、「倭迹迹日百襲姫命」の[]は、J図に示す「最も狭い産道の子宮頸管で、頭が絞め殺された胎児」をあらわすことになった。
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◆伊勢神宮と淡路島に所在する伊弉諾(いざなぎ)神宮(兵庫県淡路市)は、共に北緯3427分で同緯度である。伊弉諾神宮には『古事記』序が「陰陽ここに開けて、二霊群品の祖と為る」と記した日本国のすべての生みの親となる伊耶那美命・伊耶那岐命が祀られる。ゆえに、【日本建国の〔愛〕の理念】を提唱した伊耶那美命とこの理念を受け継いだ伊耶那岐命に祟るために、伊弉諾神宮と同緯度に伊勢神宮は立地されることになったと考えられる。

わがブログ「日本が滅びる」にて幾回も証明したように、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「伊耶那美(黄泉国の伊耶那美命)」の正体は神倉神社(和歌山県新宮市磐盾町)の主神の「天照大御神」である。伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部に登場する「千引石(ちびきのいわ)」は現在の神倉神社の御神体の“ごとびき岩”である。

千引石の前で天照大御神は伊耶那岐命に離縁を言い渡された時に「汝(いまし)の国の人草、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」と誓った。天照大御神の誓いは「伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の母親たちの産道の子宮頸管(しきゅうけいかん)がさらに狭くなるように呪って、一日に必ず千人ずつの胎児の頭を狭い子宮頸管で絞め殺す」と祟るものであった。だから、倭迹迹日百襲姫命の[]は「天照大御神の祟りによって子宮頸管で絞め殺されて血の気を失った白い胎児の顔」をあらわした。
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天照大御神の千引石の前で誓った呪いは【日本建国の〔愛〕の理念】を祟る死霊となった。K図に示すように、社名が「狭い井(すなわち、子宮頸管)」とあらわす狭井(さい)神社は大神(おおみわ)神社の東(右手側)に所在するが、大神神社と三輪山を線(視線)で結ぶと狭井神社は西(左手側)へ移動する。この魔法であらわれる二本の線は、天照大御神(神明倭迹迹日百襲姫命)が死霊になっても「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と呪いつづける、【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民と胎児の首を絞めて殺す祟りとなった。
 以上のごとく、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「伊耶那美命」は神倉神社の主祭神の「天照大御神」であり、箸墓に葬られた「神明倭迹迹日百襲姫命」は千引石の前で伊耶那岐命に離縁された「伊耶那岐命」であったことになる。

だから、朝日新聞とNHKテレビがあることないことを吹聴(ふいちょう)して箸墓を卑弥呼の墓であると決めつけて纏向遺跡は邪馬台国であったとする説に太鼓判を押すが――このブログの最初にて指摘したように、箸墓・卑弥呼の墓説は学者や学士たちが文献史料の記事にあって理解不能となった様々な箇所を〔誤読〕という得意技でデッチあげた大過(でたらめ)であったのである。

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