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2014年7月25日 (金)

日本が滅びる・116

纏向遺跡・邪馬台国説学者たちは日本国民にむかって「とっとと死ね」と侮辱する  

愛、あざやかに永遠であれ(55)・箸墓記事と天皇の王冠(21)

 

箸墓は卑弥呼の墓ではない、天照大御神の墓である(2)

 

◆『古事記』と『日本書紀』に登場する「天照大御神」は「第10代崇神(すじん)天皇の生母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)と崇神天皇の母子の二人」である。    

わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる・18」で『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国(よみのくに)訪問説話の秘密を解明して現代語訳したように――この説話の末部の千引石(ちびきのいわ)の前で伊耶那岐命が離縁した「伊耶那美(黄泉国の伊耶那美命)」は「天照大御神」すなわち「崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命」である。

わがブログ「日本が滅びる・75」で解明したように――『古事記』上巻の三貴子の分治説話における「天照大御神」は「崇神天皇」である。

わがブログ「日本が滅びる」の76回・77回・78回の3回で証明したように――『古事記』上巻の須佐之男命の昇天(要するに、都へ上る)説話に登場する「天照大御神」もまた「崇神天皇」である。

わがブログ「日本が滅びる」の81回・82回で証明したように――『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話に登場する「天照大御神」は「崇神天皇」である。

◆『古事記』中巻の第9代開化天皇紀は「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して、天下を治めた。この天皇が丹波の大県主(おおあがたぬし)で名は由碁理(ゆごり)という方の娘である竹野比売(たかのひめ)と結婚されて生んだ皇子は比古由牟須美命(ひこゆむすみのみこと)である。また、庶母(ままはは╱継母)の伊迦賀色許売命と結婚して生まれた皇子が御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)すなわち後の崇神天皇である」と記述する。

開化天皇が居住した宮殿「伊耶河宮」の先頭2字と「伊耶那美命」と「伊耶那岐命」の先頭2字は、共に「伊耶」で合致する。だから、「伊耶那美命」は「丹波の大県主の由碁理の娘の竹野比売」であった。また、「伊耶那岐命」は「第9代開化天皇」である。開化天皇と竹野比売の父母から生まれた「比古由牟須美命」が「須佐之男命」である。

というのも、『古事記』上巻の須佐之男命の泣きいさち説話は「須佐之男命は母・伊耶那美命(竹野比売)が葬られた熊野の国を分治されないと悲嘆して泣いた」と記述し、また、上記したわがブログ「日本が滅びる」の81回・82回で証明したように、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話は「天照大御神母子王朝は【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪し呪い祟った。ゆえに、五人の王たちがクーデターを計画した。このクーデターは【日本建国の〔愛〕の理念】を提唱した伊耶那美命(竹野比売)が生んだ須佐之男命を大王(天皇)とする熊野王朝創設を計画するものであった」と記述するからある。

『古事記』開化天皇紀を表面的に読むと「崇神天皇は伊耶那岐命(開化天皇)と伊迦賀色許売命の間に生まれた子」のごとくに解釈できる。しかし、崇神天皇は伊迦賀色許売命の連れ子で、開化天皇の養子である。養父の開化天皇は崇神天皇の異母兄、養子の崇神天皇は開化天皇の異母弟で、両人は兄弟である。

『古事記』開化天皇紀は崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命を「庶母(継母)」と記載する。伊迦賀色許売命は開化天皇の父・第8代孝元(こうげん)天皇と結婚しているので「開化天皇の庶母」となる。これゆえ、崇神天皇は「孝元天皇と伊迦賀色許売命が結婚して生まれた比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)」であった。したがって、開化天皇の養子になったときに、崇神天皇は「御真木入日子印恵命」と改名したことになる。『古事記』中巻の崇神天皇紀の建波邇安王(たけはにやすのみこ)の反逆記事には「崇神天皇が建波邇安王を“わが庶兄(ままえ╱異母兄)”と呼んだ」と書く。そうすると建波邇安王の父は孝元天皇であるゆえ、開化天皇と建波邇安王と崇神天皇は異母兄弟であったことになる。

だから、伊耶那岐命・開化天皇は伊迦賀色許売命が生んだ崇神天皇の異母兄にして養父となる。

◆天照大御神(伊迦賀色許売命と崇神天皇)は皇室が最も崇拝する皇祖であった。

『古事記』編纂スタッフは――伊迦賀色許売命は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪し、倭女王の伊耶那美命が没すると倭女王に即位し、多数の青年男女を殺して伊耶那美命の墓に葬る残虐な徇葬(じゅんそう)儀式をおこなった――と、崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命・天照大御神が徇葬を決行した史実を伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に記載した。

この残虐な徇葬を決行した倭女王の名を「天照大御神」と記すと、『古事記』は天皇に献呈拒否されて正史になれず後世に残すことができない。そこで、編纂スタッフは朝廷が“天照大御神の聖性を汚さない偽書を作成せよ”という欲求に応えるがごとくよそおい、彼等が敬愛する伊耶那美命の名を利用して「天照大御神・伊迦賀色許売命」を「伊耶那美(いざなみのかみのみこと)」と記載することにした。伊耶那岐命の黄泉国説話では没した伊耶那美命が直ぐに生きかえって伊耶那美命となって伊耶那岐命と面会し対話するゆえ、後世の学者や賢明な人々ならば「伊耶那美命」と「伊耶那美命」とは別人であると必ず察知するにちがいないと企んだのである。しかし、『古事記』を献上された元明天皇は編纂スタッフの企みを見破って献呈を拒否した。だから、『古事記』は正史になれなかった。

◆A図は『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話の舞台となった道程図である。

熊野大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)が、説話に登場する黄泉国(よみのくに)である。天照大御神(伊迦賀色許売命)は黄泉国・大斎原に亡き倭女王・伊耶那美命の墓を築造して、多数の青年男女を殺して埋める残虐な徇葬を陣頭指揮した。
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(C)2014 OHKAWA

 

伊耶那美命は13歳の時に小国・日本の女王となり、国作りの柱を〔愛〕と定めた。ゆえに、『魏志』倭人伝に記述されたように――卑弥呼の墓を作る時に百余人の奴婢(ぬひ╱18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女)を殺した徇葬を憎悪した国中の人民が反乱をおこした時、倭王朝は〔愛〕の日本国の女王・伊耶那美命(『魏志』倭人伝は、伊耶那美命を夏音文字の名で「壱与」と表記する)を倭国に帰還させて倭女王に就任させて反乱を終息させた。ゆえに、伊耶那美命は夫・伊耶那岐命に徇葬儀式を再び行われないように遺言して没したにちがいない。また残虐な徇葬は、伊耶那美命が人民に熱心に説き彼女が一生を通して情熱を傾けた【日本建国の〔愛〕の理念】に真っ向から反する。ゆえに、小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)の伊耶那岐命は愛妻・伊耶那美命の遺志をまもるためにクーデターを決意し、配下の日本兵と熊野に住む戦士たちの協力を得てクーデターを夜間に決行した。

伊迦賀色許売命・伊耶那美命は伊耶那岐命と日本兵たちに伊耶那美命の墓に「入ってはならぬ」と禁じた。しかし、この言を無視して彼等は伊耶那美命の亡骸を納める棺がある玄室に松明(たいまつ)に灯を点(とも)して侵入すると、徇葬者たちは「八雷神(やくさのいかづちがみ)」と化し、その死体から蛆(うじ)が湧きだして伊耶那美命の棺にころころと音をたてて群がっていた。

B図に示すように、徇葬者の〔八雷神〕は「鬼の姿に似る銀河」に見立てたものであり、〔堅くなった土地が大雨の水で泥のようにやわらかくなって、原始的なクワでも耕作できて作物が豊かに実る状況〕を「激流の銀河」に見立てて、当時(3世紀後半)において天頂をめぐってくる「激流の銀河」の神に豊かな作物の実りを祈願する――これが「八雷神の徇葬儀式」であった。
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(C)2014 OHKAWA

 

伊耶那岐命と伊耶那美命の棺を神輿に担ぐ日本兵と彼等が転ばないように深い森林に覆われる真っ暗な熊野路を明々と松明の灯で照らす日本兵の一行は、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本すなわち速玉大社の境内に目指して逃走した。この松明の灯に誘導されて、伊迦賀色許売命に命令された千五百の黄泉軍(よもついくさ╱伊迦賀色許売命が率いる王朝軍)は、速玉大社の境内で伊耶那岐命が指揮する桃の子三箇(みみつ)つまり日本軍と熊野の戦士たちの合同軍に撃破されて敗走した。

この敗走する兵たちを尻目に、夜の熊野路を女のか弱い足で頑張って憎悪で狂った伊迦賀色許売命・伊耶那美命は執念深く追跡し戦いが済んだ日本軍の陣地まで進入した。これゆえ、彼女は日本兵に捕らわれて伊耶那岐命がいるC図に示す「千引石(ちびきのいわ)」の前に連行された。
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(C)2014 OHKAWA

千引石の前で、伊耶那岐命に離縁を言い渡された伊迦賀色許売命・伊耶那美命は「汝(いまし)の国の人草、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」つまり「【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の母親の子宮頸管(しきゅうけいかん)が狭くなるように呪い、一日に必ず千人ずつ胎児の頭を狭い子宮頸管で絞め殺す」と誓った。

D図に、子宮頸管を示した。
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(C)2014 OHKAWA

伊耶那岐命は「吾(あれ)一日に千五百の産屋(うぶや)立てむ」と誓い、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を受け継いで「男女が愛しあって多くの子どもを生み、子どもを慈しんで育てる命を最も大切にする〔愛〕の政策をおこなう」と誓った。

C図の千引石は現在の和歌山県新宮市の磐盾(いわたて)町に所在する神倉(かんのくら)神社の神体の“ごとびき岩”である。伊耶那岐命と伊迦賀色許売命・伊耶那美命が対面した千引石の前には、現在は神倉神社の社殿が建つ。神倉神社の主祭神は天照大御神である。だから、伊耶那岐命に離縁された「伊耶那美命」は「伊耶那美命」ではなく、「伊耶那美命」は「崇神天皇の生母高伊迦賀色許売命」であったことになる。

『古事記』を旅行カバンに突っ込んで、A図の歴史の舞台となった史跡を旅して、「神倉神社の参道」つまり「黄泉比良坂(よもつひらさか)の急坂となる538段の石段」を登りつめると、C図に示す巨岩のごとびき岩が行く手を塞(ふさ)ぐ。伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部は伊耶那岐命と伊迦賀色許売命が離縁した場所を「千引石をその黄泉比良坂に引き塞()へて、その石の中に置きて、おのおの対(むか)ひ立ちて事戸(ことど)を度(わた)す」と記す。だから、旅人が神倉神社にたどり着くと「黄泉比良坂」は「神倉神社の参道」、「千引石」は「ごとびき岩」、「伊耶那美命」は「伊迦賀色許売命・天照大御神」であると確信することができる。

このように倭女王・伊迦賀色許売命・天照大御神は伊耶那岐命(のちの開化天皇)のクーデターによって天下を奪われた。

◆二人が離縁を誓った時、伊迦賀色許売命は「愛(いと)しき我()がなせのみこと(つまり、夫)」と述べた後に「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と呪った。伊耶那岐命もまた「愛しき我がなに妹()のみこと(つまり、妻)」と言った後に、「吾一日に千五百の産屋立てむ」と〔愛〕の理念の継承を誓った。

なぜ、憎しみあった夫婦が真っ先に「愛しき」と言い合ったかと言えば、E図に示す「十字の銀河」の形状が原因となる。「十字の銀河」は〔愛しあう夫妻が交わって同体〕のごときの形をしている。このため、伊耶那岐命と伊迦賀色許売命は「十字の銀河」の形状にもとづき上古の夫婦の慣習となった形式的な挨拶として先ず「愛しき」と呼びあったにちがいない。

E図の「十字の銀河」の〔西半分は女体〕に相似し、〔東半分は弓・犂(すき)を手に持つ男性の姿〕に相似する。この〔男と女の姿〕は〔西へ進む女性と東に進む男性の側身形〕となるゆえ、「互いに背を向けて離縁を誓いあって別れた夫婦」にも観える。
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(C)2014 OHKAWA

 

黄泉国訪問説話は「夫婦の離縁」を「事戸」と表記し、『日本書紀』神代紀には「絶妻之誓(ぜっさいのちかい)」と表記される。

F図に示すように、〔夫婦が交わって同体となる下半身〕を〔函(はこ)の形に、天地を180度転回したアルファッベット[]の字形の[()]を合体した図書を〔天頂〕に向けて180度転回した形が[]の上部の図案となった。[]の下部は「鬼の姿に似る銀河」を「天頂の神に子どもの誕生や豊かな実りを祈願する人や巫女や神官」に見立てる図案である。ゆえに、[]の字義は「天頂の神につかえる。天頂のまつり。天頂をまつる。」となった。

男女が結婚して子が生まれて家系(家の系統)や氏を構成する村落が存続するゆえ、この「子が生まれて成立する家系」が[]の字源となり、「多数の子が生まれて存続する村落の入口=出口となる一ヵ所または入口と出口を別にして2ヵ所に作られる建物」が[]の字源となった。ゆえに、『老子』第1章の末部はE図に示す「十字の銀河の子宮」を「衆妙(しゅうみょう)の門」つまり「万物の命が生まれ出てくる門」と表現し、「子どもによって家系と村落の存続」が成立する[]の字源の秘密を示唆する。だから、F図に示したように「十字の銀河の子宮周辺の夫婦が交わる下半身」が[]の字源となる。[]の左側半分が、F図上部の右端に配した[]の字形となる。

“字書の聖典”と尊重される『説文解字』は[]の字源を「護()なり。半門を戸といふ」と解説する。F図の右上の[]の「半門」を表現する字形は、E図に示す「十字の銀河の左半身の男性(夫側)の区域」となる。これゆえ、『説文解字』の[]の字源解説は「妻を護る、半門を戸という」と意味する。しかし、[]を「半門」に分ける[]は――両戸が一つに結ばれていて門(家系)が成立する、その門を半門にするということは「妻を護ることをやめる、離縁する」とも解釈できる。

だから、『古事記』においては「夫の伊耶那岐命が妻の伊迦賀色許売命に言い渡した離縁の誓い」を「事戸」と記し、『日本書紀』の神代紀は「絶妻之誓」と記したのである。

◆『日本書紀』の第7代孝霊(こうれい)天皇紀は「孝元天皇の異母妹の名は倭迹迹日百襲姫命である」と記す。
 『日本書紀』第10代崇神天皇紀は「倭迹迹日百襲姫命は天皇の姑(おば)」と記し、箸墓築造記事では「箸墓に倭迹迹日百襲姫命を葬った」と記述した。

白川静著『字統』は[]の字について――『説文解字』に「夫の母なり」となり、しゅうとめ。親族称謂(しょうい)として、おばをもいう――と指摘する。

崇神天皇の父孝元天皇の妹の倭迹迹日百襲姫命は、崇神天皇の叔母となる。

しかし、箸墓古墳は3世紀後半の崇神天皇時代に築造された大型前方後円墳であり、大和政権の発祥の地とされる纏向(まきむく)遺跡内に所在する。だから、箸墓古墳は大和朝廷の基礎を築いた天照大御神が葬られた墓であることになる。

したがって、大和朝廷の基礎を築いた天照大御神は崇神天皇の叔母かそれとも生母の伊迦賀色許売命かといえば――天照大御神は崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命であったと考えるべきことになる。というのも、千引石の前の呪いは大和朝廷の基礎を築いた天照大御神王朝の政策基盤であったからである。千引石の呪いは崇神天皇の叔母が誓ったものではなく、伊耶那岐命(開化天皇」の第二后にして崇神天皇の生母伊迦賀色許売命が誓ったものであった。ゆえに、箸墓の被葬者の倭迹迹日百襲姫命は伊迦賀色許売命であったことになる。

これゆえ、伊耶那岐命に離縁された後年、「伊迦賀色許売命」は崇神天皇の叔母の「倭迹迹日百襲姫命」という名を襲名したことになる。

G図に示すように、崇神天皇が居住した師木(しき)の水垣宮(磯城の瑞籬宮)の東北にある大神神社の神体山は、E図に示した「三つ輪の銀河」に見立てられて「三輪山」と名づけられた。

また、わがブログ「日本が滅びる・101」で詳細に解説したように、三輪山の西方にある大神(おおみわ)神社の主祭神「大物主神」は「神の禍(わざわい)であるたたり」を字義とする[(すい)]の字源をあらわす。そして、大神神社の東側にある神社はD図に示す「狭い子宮頸管」に因(ちな)んで「狭井(さい)」と名づけられた。狭井神社は天照大御神・伊迦賀色許売命が千引石の前で誓った「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」という呪いと祟(たた)りをあらわす。その証拠に、大神神社と神体山の三輪山を眺める視線(G図の大神神社と三輪山を結ぶ線)は右手側(東側)にあった狭井神社を左手側(西側)に移動させる魔法で「絞殺」の[]と字を表示して、天照大御神の「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」という呪いをあらわす仕組みになっている。
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(C) 2014 OHKAWA

わがブログ「日本が滅びる」の102回で先ず概要を示して、104回~109回までの6回で詳細に解説・証明したように――『古事記』の序を書いた太安万侶(おおのやすまろ)は伊迦賀色許売命・天照大御神が【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪し呪い祟ったことを後世に伝えるために、『日本書紀』崇神天皇紀に箸墓築造説話を記載するものであった。

箸墓築造説話は「大物主神は大空を踏んで三輪山(御諸山╱みもろやま)に登った」という文で「三輪山山頂近くに現存する奥津磐座(おくついわくら)の多数の岩石群は大物主神の[]の字源を示すものである」と指摘する。

そして、H図に示す奥津磐座の主石は箸墓築造説話に登場する「櫛笥(くしげ)に入っていた小蛇(こおろち)」をあらわす石像である。
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 I図に示すように、「櫛笥に入る小蛇」をあらわす石像は天照大御神が「汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」と千引石の前で誓った呪いをあらわし、死霊となっても【日本建国の〔愛〕の理念】を呪い続けた祟りをあらわす。

だから、〔奥津磐座と櫛笥に入る小蛇をあらわす石像〕によって、箸墓築造説話の記載目的は天照大御・伊迦賀色許売命・倭迹迹日百襲姫命の祟りを後世に伝えるためであったことが証明できる。

◆わがブログ「日本が滅びる」の107回~109回の3回で証明したように、太安万侶が書いた『古事記』序は――(1)わが国に今から約4050年前の夏代初頭に秋の銀河・夏の銀河の各部の形状を字源・字形・字義とする原初漢字の夏音文字が伝来し、(2)『古事記』上巻は伊耶那美命が提唱し伊耶那岐命が受け継いだ【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために作成されたと伝え、(3)夏音文字と同様に夏音文字を表記する楷書の字源・字形(字形の原形)・字義もまた秋の銀河・夏の銀河各部の形状であるから、『古事記』を正確に読解するためには必ず字源・字形・字義を銀河各部の形状で点検し確認しなければならないと解説するものであった。

わがブログ「日本が滅びる」の前々回(114)と前回(115)で指摘したように、われわれ日本人は考古学者はじめとする日本史古代史学者たちに、この日本の歴史を委(ゆだ)ねるわけにはいかない。すべての邪馬台国説と日本神話学説は『古事記』序が指摘する正しく古代史を解明する方法を無視して抹殺し、“文献批判”という名で誤魔化す実体が〔誤読〕である虚偽・不正の方法である特技で立論する完全なる空理空論である。

特に箸墓卑弥呼の墓説と纏向遺跡邪馬台国説にあってはは天照大御神の死霊を蘇えらせて、日本人として生きてゆく人々に「なんで生きているのだ。とっとと首を絞めて死ね! このゴキブリ野郎めが! 生きている価値はまったくない」とほざく日本人絶滅論である。

現在、年々わが国は少子化が進み、一日でも早く緊急に【日本建国の〔愛〕の理念】を復興しなければならない深刻な状況となった。ゆえに、〔誤読の空論〕の箸墓・卑弥呼の墓説と纏向遺跡邪馬台国説は、全ヨーロッパのユダヤ人の絶滅を企てたホロコーストに匹敵する日本人絶滅の大量虐殺論である。

また、現在における世界の8割から9割の国で使用される公用語の文字は漢字と同じ秋の銀河と夏の銀河から作成されて起源されたことが科学的に証明できる、この世界の文明史で最も重大であろう文字の起源が日本古代史学の〔誤読〕によって抹殺される。だから邪馬台国説と日本神話学説は紛れもなく人類共通の敵であり、箸墓卑弥呼の墓説と纏向遺跡邪馬台国説はユダヤ人大量虐殺のホロコーストよりさらに悪質な日本人の生命をゴミクズ扱いして日本人絶滅を推進するとともに下劣きわまりない人類共通の敵である。

◆なお、わがブログ「卑弥呼の逆襲」は201196日~929日までに、ABCアルファベットのルーツとされるワディ・エル・ホル碑文の文字は秋の銀河と夏の銀河各部の形状から作られたことを解説し証明した。

また、20111216日~201223日までの「枯山水で有名な竜安寺の石庭は“世界の文字は銀河から作られた”と証言する」と題したブログで、古代エジプト文字(ヒエログリフ)もまた秋の銀河と夏の銀河の各部形状から作られたことを解説し証明した。(20111217日の14回から古代エジプト文字は秋の銀河と夏の銀河の各部形状から作られた証明を開始した)

前年のワディ・エル・ホル文字と古代エジプト文字の証明は図無しでおこなったが、現在の「日本が滅びる」が130回~140回ぐらいで終了すると思われるが――次は図入りの古代エジプト文字の証明はじめ、ワディ・エル・ホル文字、原シナイ文字、フェニキア文字などの図入りの証明をおこなって、世界の文字は秋の銀河と夏の銀河から作られたことを解説し証明する予定である。

わが国には夏音文字が記載される『魏志』倭人伝と同時代に作られた「卑弥呼」の地上絵が現在の静岡県浜松市北区細江町の行政区域を表示する地宜(地図の形)として現存する。だからこそ、文献史料の証言と史跡に貯蔵・保存された学芸知識の組織的・合理的な合致によって世界の文字は秋の銀河と夏の銀河から作られたことが科学的に証明できる。

この世界の文字の起源の歴史証明は、おそらく世界中探してもわが国にて唯一成し遂げられる業績であろう。

それゆえ、『魏志』倭人伝と1千万坪の両翼で天翔(あまかけ)る大鳥の形をした「卑弥呼」の地上絵で証明される歴史は“奇跡の壮大な世界史ロマン”ということになる。

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