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2014年7月29日 (火)

日本が滅びる・117

理不尽です、あまりにも理不尽です このままでは、日本は確実に滅びます 

学者たちの〔誤読〕を自由自在にあやつる狡猾(こうかつ)な空論によって 

日本人にとって最も大事な【日本建国の〔愛〕の理念】を失ったまま、日本は絶滅します 

愛、あざやかに永遠であれ(56)・箸墓記事と天皇の王冠(22) 

 

■〔誤読の空論〕で支配される日本古代史学は、学問であらず詐欺である 

学者たちの〔誤読の空論〕で日本は壊れてゆく! 日本は消滅する!

◆わが国の古代史学者たちは〔誤読〕を“文献批判”と呼ぶ。

〔誤読〕すなわち〔虚偽〕である。〔誤読〕は学問の方法でない。〔誤読〕では真実は解明できない。

しかし、学者たちは〔誤読〕でデッチ上げる邪馬台国説を確立し、日本神話学にも〔誤読〕で歴史を捏造(ねつぞう)する方法を用いて――日本古代史を〔誤読〕で覆って完全支配する。

われわれ日本人は学者たちの〔誤読〕で、【日本建国の〔愛〕の理念】を失った。

だから、日本人の誰一人も『古事記』上巻が【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために作成された歴史書である事実を知らない。

〔愛〕の理念を高々と掲げて日本国が建国されたことを、日本人の誰一人も知らない!

◆日本古代史でお馴染みの織田信長と徳川家康が、3世紀後半以来先人たちが熱き魂から熱き心へつなげて願いつづけた【日本建国の〔愛〕の理念】の復興に全情熱をかたむけて闘ったことについて、日本人の誰一人も知らない。

15621月、織田信長と松平元康(のちの徳川家康)は清洲(きよす)同盟を結んで、「両旗ヲ以(もっ)テ天下一統スベシ 今ヨリ水魚ノ思(おもい)ヲナシ互(たがい)ニ是ヲ救(すくわ)ン事聊(いささか)モ偽(いつわ)リ有(ある)ベカラズ」と誓い、熊野那智大社の主祭神の伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】の復興を約束した。

158262日の未明の本能寺の変で、信長は死去した。

この4ヶ月後の10月に、家康は小姓組の一員としてつかえる弱冠22歳の井伊直政を抜擢(ばってき)して、信長と“天下を統一して【日本建国の〔愛〕の理念】を復興する”と誓いあった約束の実現へ目指した。

信長に代わって家康の心願成就の協力者となった直政は、A図に示す「卑弥呼」の地上絵(現在の静岡県浜松市北区の細江町の行政区域を表示する地図の形)の守り番である井伊家の24代頭首であった。『魏志』倭人伝は280年~289年に著作され、「卑弥呼」の地上絵は260年~290年に作成された。ゆえに、両者は同時代の3世紀後半に作成された。
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(C) 2014 OHKAWA

「卑弥呼」の地上絵は、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」と記載される豪族が作成した。これゆえ、この「卑弥呼の逆襲」というブログを始めた2019月以前は、「卑弥呼」の地上絵を私は“「建比良鳥の地宜(ちぎ)”と呼んだ。

3世紀後半に生存した建比良鳥命は【日本建国の〔愛〕の理念】を後世の人々に伝えるために、1千万坪の巨大な鳥の形をした「卑弥呼」の地上絵を作成した。

1010年、建比良鳥命家は武家の「井伊家」を創設し、その後ずっと「卑弥呼」の地上絵を守り続けた。

◆『魏志』倭人伝の末部に登場する壱与(いよ)は伊耶那美命であった。“伊耶那美命”は愛称であり、本名は「竹野比売(たかのひめ)」であった。彼女は『魏志』倭人伝に記載される倭国に属する小国「伊耶(いや)国」つまり「旧国丹波(現在の京都府中部と兵庫県の一部)」出身者であったゆえ、小国・日本と倭国の人民は「伊耶国生まれの美しい女王」を略して“伊耶那美命”と愛称した。
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(C) 2014 OHAKAWA

伊耶那美命はB図に示す小国・日本の女王に選ばれて赴任すると、国作りの柱を〔愛〕と定めた。(ただし、B図の左下の「卑弥呼」の地上絵が所在する「遠江」は倭国に属し、『魏志』倭人伝は「遠江」を「不呼(ふこ)国」と記載する)

『魏志』倭人伝の末部は「卑弥呼以(すで)に死す。大いに冢(ちょう)を作る。径百余歩(卑弥呼の墓の円墳部の直径は約150)。葬に徇(じゅん)する者、奴婢(ぬひ)百余人(18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女の百余人が殺されて卑弥呼の墓に埋められた)。さらに男王を立てしも国中服さず。さらに相誅殺(あいちゅうさつ)(卑弥呼の墓を作るときにおこなった百余人の青年男女を殺して埋葬する残虐な徇葬を憎悪した反乱者たちと倭王朝の軍は武器をもって殺し合った)。時に当たりて千余人を殺す(倭王朝軍は千余人の反乱者たちを殺した)。また卑弥呼の宗女の壱与、年十三にて王と為()るを立てて、国中遂に定まる(新たに倭国に属することになった小国・日本の女王に卑弥呼が率いた巫女界を代表して13歳の伊耶那美命が選ばれ、その数年後に徇葬を憎悪する倭の国中の人々が反乱をおこし、この反乱を鎮圧するために小国・日本の女王に就任した〔愛〕の女王・伊耶那美命を倭国に帰還させて倭女王に就任させると、伊耶那美命ならば残虐な徇葬を必ず禁止するにちがいないと信頼した反乱者たちは戦うことをやめたため、ついに国中は平定された)」と記述する。

『魏志』倭人伝に記載された「卑弥呼」と「壱与」はじめとする人名と小国名をあらわす文字は、今から約4050年前の夏代(かだい)初頭(後期縄文時代初頭)に司馬遷著『史記』五帝本紀と夏本紀に記載される名門益氏が日本列島に移住して根づかせた原初漢字・夏音文字の存在を伝えるものであった。

夏音文字は卑弥呼が用いる文字となり、倭国で最も強大な政権基盤であった。

A図の「卑弥呼」の地上絵は夏音文字の全貌が科学的に解明できる史跡である。

夏音文字は『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて多数記載されて現存する。

だから、夏音文字は『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に記載されて残り、その文字が実在したことを目で実際に見て確認できるゆえ夏音文字は確かに実在する文字であった。

夏音文字は『古事記』上巻に記述された真実の歴史を解明できる方法となった。太安万侶(おおのやすまろ)は『古事記』の序で徹頭徹尾(てっとうてつび)「真実の歴史は夏音文字によって明らかになる」と解説した。

しかし、学者たちは『古事記』序はじめ『古事記』上巻の記事に多数の〔誤読〕を加えて夏音文字の学芸と【日本建国の〔愛〕の理念】を抹殺した。

◆いっぽう、家康は『古事記』と『日本書紀』に書かれた真実の歴史を〔誤読〕せずに科学的に解明できるA図の「卑弥呼」の地上絵の守り番の井伊直政を協力者に選び、信長と約束した【日本建国の〔愛〕の理念】の復興に情熱を傾けた。

関ヶ原合戦の4ヵ月後の1601年正月、譜代大名の筆頭の地位につけさせた「卑弥呼」の地上絵の守り番の井伊直政に、家康は近江への移住を命じた。しかし、関ヶ原で島津隊から受けた鉄砲傷が悪化した直政は、翌16022月、42歳で死去した。

家康は信長に続いて直政をも失ったが、信長と直政と己の心願を成就するために夏音文字の学芸史跡を作ることを彦根藩井伊氏に命じた。ゆえに、C図に示す「未だ夏音文字の学芸は習わず(復興せず)」と設計する3千万坪の大鳥の地上絵が作成された。

家康は井伊氏彦根藩の近隣7カ国の12大名に築城と都市作りの助勢を命じ、彦根藩は「未だ夏音文字の学芸は習わず」と設計する大鳥の地上絵を1603年に着工して20年後の1622年に完成させた。
 家康は1616年に没しているので、彦根の3千万坪の大鳥の地上絵の完成を見ていない。

彦根藩井伊氏が夏音文字の学芸と【日本建国の〔愛〕の理念を復興するために完成させた大鳥の地上絵は、C図に示す現在の滋賀県彦根市の行政区域を表示する地図の形となって現存する。
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(C) 2014 OHKAWA

C図に示す彦根の大鳥の地上絵は〔夏至の日の出の方角・29度の傾き〕で「夏音文字の学芸」をあらわし、東のグニョグニョと蛇行する境界線の〔羽()を無い形〕で「習わず」と表現した。というのも、「復興する」と意味する[習う][]の上の[]を失う設計にすると「習わず」となり、「未だ復興しない」と表示することになるからである。だから、彦根の大鳥の地上絵は「未だ夏音文字の学芸は習わず」と設計されるものであった。

羽の無い東側に、多賀大社が所在する。多賀大社の主祭神は伊耶那美命と伊耶那岐命である。伊耶那美命は【日本建国の〔愛〕の理念】を提唱し、伊耶那岐命は【日本建国の〔愛〕の理念】を受け継いだ。したがって、現在の彦根市の地図の形は「未だ【日本建国の〔愛〕の理念】は復興せず」とも設計するものであった。

だから、彦根市の地図の形は夏音文字の学芸と【日本建国の〔愛〕の理念】の復興を皇室に要求するために作られた史跡であった。

◆家康は守り番の井伊氏を彦根に移住させたことによって、「卑弥呼」の地上絵に貯蔵・保存された【日本建国の〔愛〕の理念】と夏音文字の学芸が失われることを心配した。

井伊氏が移住した7年後の1608年、家康は余生を過ごした駿府城の作事奉行に就任した30歳の小堀正一(こぼりまさかず)が芸術と科学の才能が優れることに注目し、正一を従五位下遠江守(じゅごいのげ・とおとうみのかみ)に取り立てて、A図の遠江国細江村の「卑弥呼」の地上絵の研究を命じた。

秋の銀河と夏の銀河を文字(字源・字形の原形・字義)とする夏音文字の学芸は芸術と科学の才能に優れる人物ならば理解できる。ゆえに、家康は当時を代表する年若き芸術家にして科学の才能に優れる正一に遠州(遠江)の「卑弥呼」の地上絵を研究させた。これゆえ、遠江守に就任した1608年以後、正一は「遠州」と名乗った。小堀遠州は1608年から1647年に69歳で没するまでの40年間、「卑弥呼」の地上絵の研究に一生を捧げた。

1616年に家康が没すると、【日本建国の〔愛〕の理念】と夏音文字の学芸の復興は家康の遺志となり、歴代将軍と江戸幕府が引き継ぐ重大事業となった。

1617年、幕府は小堀遠州に遣唐使船が出帆した港がある河内奉行に任命し、大海を往来できた〔[]のキャッチ〕を研究させた。というのも、〔[]のキャッチ〕は夏音文字の学芸の基本原則であったゆえ、必ず研究しなければならなかったからである。

彦根の地上絵が完成した1622年、遠州は近江国奉行に任命され、近江国彦根の地上絵と彦根城に貯蔵・保存して秘められた【日本建国の〔愛〕の理念】と夏音文字の学芸の知識をさらに深めて充実することが求められた(遠州が補充した学識は、C図の彦根の地上絵と彦根城の設計に秘められて現存する)

1623年、幕府は遠州を京都の伏見奉行に任命した。伏見奉行の最も主なる任務は、D図に示す桂離宮の庭園作りであった。
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(C) 2014 OHKAWA

桂離宮の庭園は、時の第108代後水尾(ごみずのお)天皇(1611年-1629年在位)が夏音文字の学芸を学習するための施設であった。

皇室は天照大御神を皇祖の聖性をまもるため、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問に――皇祖・天照大御神は残虐非道な徇葬を決行し、千引石(ちびきのいわ╱現在の和歌山県新宮市磐盾町に所在する神倉神社の神体の“ごとびき岩”)の前で「汝(いまし)の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」つまり「伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の母親のE図に示す子宮頸管(しきゅうけいかん)が狭くなるように呪って、一日に必ず千人の胎児の頭を狭くなった子宮頸管で絞め殺す」と誓った――と記述された徇葬と祟りの歴史が存在しなかったとしたいがために夏音文字の学芸の痕跡をことごとく消滅しようとした。この結果、皇室は夏音文字の学芸知識の多くを失った。
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(C) 2014 OHKAWA

だから、遠州が作る桂離宮の庭園で後水尾天皇が夏音文字の学芸を深めれば、【日本建国の〔愛〕の理念】はすべてに優る最も大事なものであり、わが国のこの世に存在する最大の理由であることに天皇は気づくではないかと幕府は期待して桂離宮の庭園を天皇に提供するものであった。

しかし、後水尾天皇は幕府の要望に反発し1629年には幕府に報告もせずに上皇となって抵抗し、遠州の存命中、上皇は一度も桂離宮に御行幸(みゆき)なされなかった。

夏音文字の学芸を復興すると、皇祖・天照大御神がおこなった徇葬と千引石の前の誓いが天照大御神の死霊となって人民を苦しめ祟(たた)った歴史が解明される。ゆえに、皇室は国民に憎悪されて滅亡すると上皇は心配して、幕府の要求を頑として受け入れなかった。

◆第112代天皇であった霊元(れいげん)上皇の孫の京極宮家(きょうごくのみやけ)の第7代家仁(いえひと)親王が桂離宮を所有した時――桂離宮の庭園を度々見学した霊元上皇は、真実の歴史を人民が知った時におこるかもしれない皇室の滅亡を覚悟して、幕府の要求を受け入れる決意をした。

皇室が強大な権力でなんとしても消滅しようとしたが、消滅できなかった真実の歴史は日本人と日本国がこの世に存在するために絶対に失ってはならない、決して無くしてはならない歴史であり、なんぴとにも排除されてはならない、なんぴとにも奪われてはならない、なんぴとにも害されてはならない歴史であり、日本人にとっていちばん大切な歴史である。ゆえに、霊元上皇は皇室が存続するよりも【日本建国の〔愛〕の理念】が存続するほうが大事であると考えて決断した。

霊元上皇の一大決意によって、信長と家康の胸に秘めた熱き心願は、信長の死から156年後そして家康の死から122後の1738年に、即位する天皇が【日本建国の〔愛〕の理念】を高らかに掲げる儀式となった実現した。

115代桜町(さくらまち)天皇が即位した1738年、皇室最大の神事の大嘗会(だいじょうえ)が復興され、即位する天皇が【日本建国の〔愛〕の理念】を頭上高く掲げられることになった。

F図に示すように、今上陛下も【日本建国の〔愛〕の理念】を意匠する王冠を頭上高く掲げた御儀をおこなって天皇に即位なされた。
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(C) 2014 OHKAWA

◆G図左図は、D図に示す桂離宮の庭園の東北部にある庭園部の平面図である。G図左図の庭園部は右図の「卑弥呼」の地上絵を基本形とする。この「卑弥呼」の地上絵をモデルとする庭園部はC図の彦根の大鳥の地上絵と同じく羽を失う形に設計され、「未だに【日本建国の〔愛〕の理念】と夏音文字の学芸は習わず」と表示する。

G図左図の羽の無い「卑弥呼」の地上絵を設計する庭園部から、H図に示す大嘗会で用いられる天皇の王冠・御菅蓋(ごかんがい)が作成された。
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(C) 2014 OHKAWA

H図に示すように、天皇の王冠の上の飾りは「卑弥呼」の地上絵をデザインする。 

天皇の王冠「御菅蓋」の下の飾りの[(ふた)]は、H図の左図下部の「水器(すいき)の蓋」をデザインする。

水器は、家々の神棚に載る神具である。水器は【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわす。

水器は瀬戸物屋や仏具店や神社名など売っている。

水器は毎朝、新しい水を取り代えて入れる器具である。水器を手の平に載せて見れば、〔水器の蓋〕は〔女性の豊かな乳房〕の形になっていることがわかる。蓋を〔指でつまむ突起部分〕が〔乳首〕である。水を入れる〔容器(胴の部分)〕も〔乳房〕にも観えるが〔妊婦の円いおなか。女性の生殖器官〕をも表現している。水器に入れる〔水〕は〔子宮に宿る胎児の命をまもる羊水〕をあらわす。だから、H図に示す天皇の王冠の下の飾りの〔水器の蓋〕を造形する〔菅笠(すげかさ)〕は【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわす。

天皇の王冠の菅笠()は、日本人のいのちと魂の根源は〔愛〕であると示す。

天皇の王冠の菅笠()は、日本文化の根源・日本国民の根源・国家の根源は『古事記』上巻に明記された【日本建国の〔愛〕の理念】であると示す。

古代史学者たちは『古事記』上巻に明記された【日本建国の〔愛〕の理念】を正しく読解できる能力をまったく有していない。彼等の頭脳は〔誤読〕で支配され、〔誤読〕で偽りの歴史を捏造することに夢中である。

◆わがブログ「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる107」において、()〔『古事記』序の冒頭「臣安万侶言(もう)す。それ混元すでに凝()りて、気象未だ効(あらは)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)かその形を知らむ。しかれども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化の首(はじめ)を作()すjという文は「わが国に今から約4050年前の後期縄文時代初頭に夏音文字が伝来し、夏音文字の字源・字形・字義は銀河各部の形状であった」と指摘するものであったことを詳細に証明した。

その次に続く()「陰陽ここに開けて、二霊群品(ぐんぴん)の祖(おや)と為()る」という文は「ここに陰と陽が開けて、陰の伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】とこの理念を受け継いだ陽の伊耶那岐命の二人がこの日本をすべての生みの親となった」と意味するものであったことも証明した。

わがブログ「日本が滅びる108」では、『古事記』序の中半に挿入した()「潜龍元(せんりょう・がん)を体し、洊雷(せんらい)期に応ず」という文をもって、安万侶は「楷書の字源・字形・字義も銀河各部の形状であった」と伝えていたことを詳細に証明した。

さらに、わがブログ「日本が滅びる109」において、『古事記』序の末部にある()「楷書の日下(にちげ)と音(すなわち夏音文字)の玖沙訶(くさか)と楷書の帯(たい)と夏音文字の多羅斯(たらし)が同義である」と記述す文は、「楷書と夏音文字の字源・字形・字義が銀河各部の形状である」と伝えるものであったことを詳細に証明した。

『古事記』序に明記された上記の四つの事柄に学者たちはまったく気づかないことが明確に証明するように、学者たちは『古事記』序と上巻の日本神話を正しく理解することができる能力をまったく有していない。学者たちが理解不能のために〔誤読〕した箇所はすべて重大な歴史を証言するものであったため、学者たちの意見は〔空理空論〕となり真実の歴史をすべて闇に葬ることになった。

◆H図に示した天皇の王冠の上の飾りとなった「卑弥呼」の地上絵は――太安万侶が書いた『古事記』序におけるテーマと定めて語る()夏音文字がわが国に伝来していた、夏音文字の字源・字形・字義は銀河各部の形状であり、楷書の字源・字形・字義もまたが銀河各部の形状であった――という歴史的事実を伝えるものとなる。

また、天皇の王冠の下の飾りの〔水器の蓋〕を造形する〔菅笠〕は――『古事記』序の()「陰陽ここに開けて、二霊群品の祖となる」という文、すなわち「伊耶那美命が提唱し、伊耶那岐命が受け継いだ【日本建国の〔愛〕の理念】は日本人のいのちと魂の生みの親であり、日本文化と日本国民と日本国家と日本人の生みの親である」――という歴史的事実を伝えるものである。

このように、天皇の王冠の意匠と『古事記』序の記述は合致する。

ところが日本人の誰一人、学者たちから()夏音文字の存在を知らされず、()『古事記』の作成目的は【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えることであった事実を知らされていない。

学者たちは『古事記』上巻の理解不能となった記述をことごとく〔誤読〕で対処して、夏音文字の学芸と【日本建国の〔愛〕の理念】の証言を削除(さくじょ)・抹殺した。

◆I図左図は、最も多くの文字が作られた銀河領域図である。そのうち「三つ輪の銀河」と「十字の銀河」は秋の銀河(秋の銀河の西部)に属し、「鬼の姿に似る銀河」と「激流の銀河」と「長方形の暗黒天体部」は「夏の銀河の東北部」となる。I図左図の中心部は「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」となる。

I図右図に示すように、「十字の銀河」から[]の字が生まれた。

J図に示すように、「鬼の横顔に似る銀河の舌」は「十字の銀河の乳房=妊婦のおなか」や「十字の銀河の子宮(生殖器官)」を「嘗()める」形状となる。ゆえに、「十字の銀河の乳房=妊婦のおなか、十字の銀河の子宮、鬼の横顔に似る銀河の舌の銀河部」が「大嘗会」の[(じょう)]の字源となった。
 前述したように、H図左下の水器は「乳房、妊婦のおなか、女性の生殖器、羊水」をあらわす神具である。したがって、水器はI図左図の「十字の銀河の乳房・腹部」をあらわして[][]の字源を示すゆえ、水器は「大嘗」という語を表現するものとなる。

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◆今上陛下は【日本建国の〔愛〕の理念】と夏音文字の学芸を表現する王冠を頭上高く掲げる、F図に示した御儀をおこなって天皇に即位なされた――この事実を、日本人の誰一人も知らない。

このため【日本建国の〔愛〕の理念】を喪失(そうしつ)した日本は、少子化がますます深刻となり、子どもの貧困率が1985年の10.9%から増加傾向に歯止めがかからず2012年には16.3%となり過去最悪となって日本滅亡への坂道を転げ落ちてゆく。

少子化と子ども貧困率の増加を食い止めて日本人が日本人として生きることができる最良の方法は、学者たちが〔誤読〕を駆使して抹殺した【日本建国の〔愛〕の理念】を復興させることである。
 そのためには、〔誤読〕を自由自在にあやつって虚妄(でたらめ)を押しつける日本古代史学の実体を暴露して、【日本建国の〔愛〕の理念】を我々の手の中に取り戻す必要がある。

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