日本が滅びる・118
新井白石以来の伝統的な邪馬台国学説が明白に〔誤読の空論〕であることは――数分で【科学】に則って証明できる
学者たちは、〔完全なる誤読の空論〕の妄想を国民に押し付ける!
●愛、あざやかに永遠であれ(57)・箸墓記事と天皇の王冠(23)
■『魏志』倭人伝が記述した真実の日本列島地理の解説(1)
◆『魏志』倭人伝には「古(いにしえ)より以来、その使中国に詣(いた)るに皆自ら大夫(だいふ)と称す」という記事をはじめ、いわゆる倭の使節が日本列島と中国を遠く隔てる大海を往来したという記述が6ヵ所存在する。
『魏志』倭人伝が記述した2世紀末~3世紀半ばにおいて、A図右上に示す〔[玄]をキャッチする方法〕ならば日本列島と中国を隔てる大海を往来することができた。
他方、〔天の北極〕の高度を緯度に換算する方法で大海に入ると、途中で位置(緯度)と方角(経度)が皆目不明となり命を落とすことになった。
だから、『魏志』倭人伝の6ヵ所の「倭の使節は大海を往来できた」と伝える記述は、倭の使節はA図右上に示す〔[玄]をキャッチする方法〕で大海を往来していた事実を証言するものとなる。
『魏志』倭人伝には、方位を記す記述は全部で15ヶ所有る。この15ヶ所の方位記事は、A図の〔[玄]のキャッチ〕によってB図に示す転回日本列島地理が確立されたことを伝えるものとなる。その証拠に、『魏志』倭人伝は「その道里を計るに会稽(かいけい)・東治(とうじ)の東に在るべし」つまり「日本列島は中国の会稽と東治の東に存在する」と証言しているので――B図の会稽・東治の東方となる転回日本列島地理こそが合理となる。
(C)2014 OHKAWA
一方、18世紀初頭の新井白石以来の伝統的な〔誤読〕を多用する邪馬台国学説の立論基盤となる実際の日本列島地図は会稽・東治の東北に所在して不合理となる。この記事をはじめとする15ヶ所のすべての方位記事に対して邪馬台国学説は多くの記事に矛盾し、また全体的にも合理が成立しない〔不合理説〕となる。
さらに重大な問題点は――邪馬台国学説の立論基盤である実際の日本列島地図は〔天の北極〕を基準にして方位を確定するものであるが、上記したように〔天の北極〕で緯度と方位(経度)を測量する方法だと倭の使節は大海を往来できなかったことになる。
この〔天の北極〕だと大海を渡ることができなかった【科学】の事実によって、邪馬台国学説は〔完全なる誤読の空論〕であると証明される。
中国では紀元前1世紀に〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成したため――2世紀末~3世紀半ばになると、魏の使節も朝鮮半島の一角に所在した魏の出張機関である帯方郡政庁(B図を参照)の使節も大海を渡ることができなくなった。
中国の正史『後漢書(ごかんじょ)』倭伝は「シナ天文が完成していなかった紀元前3世紀、中国から徐福(じょふく)一行は中国から大海を越えて日本列島に到着した」と記述する。それというのも徐福一行は〔天の北極〕で緯度を測量して大海を渡ったのではなく、A図右上の〔[玄]のキャッチ〕で大海を渡ったから日本列島に到着できたのである。
『魏志』倭人伝は魏と倭が国交を結ぶことができてはじめて著作できたことになる。
〔天の北極〕で方位を確定する実際の日本地図を用いて立論する伝統的な邪馬台国学説だと、倭国の使節は大海を渡れなかったことが事実となる。したがって、魏・帯方郡と倭の使節は大海を渡ることができず国交を結ぶことができなかったゆえ、約2000字で構成される『魏志』倭人伝には文字が1字も書かれていなかった白紙となる――だから、邪馬台国学説は〔完全なる誤読の空論〕であると証明される。
上記のごとく、白石以来の伝統的な邪馬台国学説の考え方だと《『魏志』倭人伝には1字も文字が書かれていなかった》ことが事実となるので、邪馬台国学説は“〔天の北極〕で大海を往来できたと考える空想”から生まれた〔完全なる誤読の空論〕だったのである。
『魏志』倭人伝はA図の右上に示した〔[玄]のキャッチの【科学】〕によって真実が明らかになる仕組みとなる。
以上のごとく【[玄]の科学】に則れば、ここまでの数分で白石以来の伝統的な邪馬台国学説は〔完全なる誤読の空論〕であることが簡単明白に証明できた。
◆邪馬台国学説は〔〔天の北極〕で測量して倭の使節は大海を往来していた”と考える空想〕であった。
倭の使節を乗せる船は九州の港から出帆して、B図の中央に記した「玄界灘」を渡った。この「玄界灘」という名称は「〔天の北極〕では渡れないが、[玄]をキャッチすれば往来できる陸地から遠く離れた波の荒い海」と伝えるものである。
だから、「玄界灘」もまた邪馬台国学説が“多分、〔天の北極〕で大海を往来できたのではないか”と先入観を抱く空想の産物であったと明確に伝える。
日本列島に西端に、C図の左側に配した玄界灘に浮かぶ福岡県宗像(むなかた)市の沖ノ島がある。日本列島の東端には、C図の右側に配する伊豆諸島の神津(こうず)島がある。
C図に示すように、沖ノ島と神津島は同緯度(北緯34度15分)である。日本列島の西端と東端にはるか遠く隔たる両島が同緯度であることは、〔[玄]をキャッチする方法〕ならば神津島の北端は沖ノ島の北端よりも0.5分(約30秒)緯度が低いと精密に測量できる。しかし、〔天の北極〕ではおおよそ両島は同緯度かもしれないあるいは違うかもしれないという大まかな測量となるので、大海を渡ることができなかった。
(C)2014 OHKAWA
D図に示すように、中国北部の海岸線地域の気候は冷たく、中国南部の海岸線地域の気候は暖かいので、〔北冷南暖〕となる。日本列島西端の沖ノ島では冬になると雪が降るゆえ〔西冷〕となり、東端の亜熱帯地区の神津島は冬に雪が降らないゆえ〔東暖〕となる。
中国の〔北冷〕と日本列島の〔西冷〕は〔冷たい気候区〕で一致し、中国の〔南暖〕と日本列島の〔東暖〕は〔暖かい気候区〕で合致する。
したがって、『魏志』倭人伝が全15ヶ所の記事で「日本列島は東に伸びず、南に伸びる」と証言するところの錯覚の転回日本列島地理を、卑弥呼王朝は制定したことになる。
わがブログ「日本が滅びる・113」で詳細に解説したが――E図左図に示すように[倭]の字源は「南→西、つまり時計回りに90度転回する方位規定」である。「神津島は中国海岸線地域の南の方に在る」と卑弥呼王朝が制定した「錯覚の転回日本列島地理」はE図右図に示す[倭]の字源「東→南」を示すものとなる。ゆえに、国名は「倭」となったのである。
(C)2014 OHKAWA
E図左図上部の「十字の銀河」は〔天〕に、「十字の銀河の子宮」はA図右上の〔玄〕すなわち〔天頂緯度線と子午線〕に見立てられたゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は〔[玄]をキャッチする人〕に見立てられた。「十字の銀河」は〔人の正面、背面、側身の形〕に酷似するので[人]の字源となった。これゆえ、卑弥呼が統治する国の正式名は「倭人国」となった。
このように、邪馬台国説は[倭]の字源からしても〔誤読の空論〕であったと証明される。
◆古代史研究家の古田武彦氏は、『三国志』全体に記載された[壹](壱)86個、[臺](台)56個の文字を1字1字調べ、『三国志』の魏書東夷伝末部の倭人傳すなわち『魏志』倭人伝における卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬壱(やまい)国」であることを証明した。
したがって、学者たちが正しいと主張する「邪馬台国」は〔誤読〕であった。
F図は、玄界灘周辺の小国図である。
G図は、邪馬壱国までの旅程図である。G図の「邪馬壱国への旅程図」において、対馬国を“1番”とすると6番目の小国は不弥(ふみ)国である。
(C)2014 OHKAWA
F図に示す沖ノ島の沖津宮・宗像市大島の中津宮・宗像市田島の辺津宮(へつみや)の三女神を祀って斎(いつ)く宗像地方は小国・不弥国であった。
わがブログ「日本が滅びる・113」で解説したように、H図に示す「山東半島」は[弥]の字源となった地宜(ちぎ╱平面的に図化した地図の形)である。
というのも、中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』繋辞(けいじ)上伝にある「易は天地と準(なぞら)う。ゆえに能(よ)く天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」という文中にある「弥綸」という語の[弥]の字義は「洩れなく包みこむ」、[綸]の字義は「つくろいおさめる」であるからだ。「山東半島とその南北の海岸線はあたかも中国全土を洩れなく包みこむ」ように観えるゆえ[弥]の字源地宜となり、よく見ると「長江口北端から杭州湾南端までの海岸線は布を裂いたような形となり、杭州湾南端より南の海岸線は円弧を描いて山東半島より南の海岸線に繋(つなが)るような形となる」ので「つくろいおさめる」を字義とする[綸]の字源地宜となった。
(C) 2014 OHKAWA
I図に示す福岡県福津(ふくつ)市の津屋崎(つやざき)町の海岸線は、H図の[弥]の字源地宜となる「山東半島の海岸線」に相似する。山東半島先端は〔東〕を向き、山東半島先端の形に相似する津屋崎町の海岸線は〔南〕を向く。ゆえに、中国の山東半島の〔東〕と倭地の津屋崎町の〔南〕は「東→南」となるので、E図に示した[倭]の字源を表示する。
そして、I図の津屋崎町の海岸線はH図の[弥]の字源地宜となる「山東半島とその南北の海岸線」に相似すると見立てられた。
◆卑弥呼王朝が制定した錯覚の転回日本列島地理に則ると、[弥]の字源地宜をあらわす「津屋崎町・宗像市の地宜」はJ図左図のごとくなる。
I図における津屋崎町〔西〕の海岸線はJ図左図の転回方位だと〔北〕に転位するので、J図左図上部に示したように「西→北」となってE図に示した[倭]の字源に合致する。また、I図の宗像市の〔東〕の地域はJ図左図の転回方位だと〔南〕に転位するゆえ、J図左図の下部に「東→南」と記す転回方位はE図の[倭]の字源をあらわすことになる。
『説文解字』は[不]の字源を「鳥飛んで上翔(じょうしょう)し、下り来らざるなり。一に従ふ。一はなほ天のごときなり」と解説する。
J図右図に示す[倭]の字源に則る地図だと、[弥]の「鳥の姿に相似する津屋崎・宗像市の地宜は一大国(壱岐)に向かって上空へと飛翔して去り、地上は下って来ない様子」をあらわす。だから、[弥]の津屋崎町・宗像市の地宜は、『説文解字』の[不]の字源解説に合致するので「不弥国」であった。
(C)2014 OHKAWA
K図左図に示す[天]の契文形と金文形が示すように、[天]の字源銀河は「十字の銀河」であった。『説文解字』は[天]の字源を「至高にして上無し。一大に従ふ」と解説する。「至高にして上無し」は「最も高い天体部」と意味するゆえ、A図に示す[玄]の字源となる「天頂緯度線」が[天]の字源となる。「天頂緯度線」の形は「一」となるので[一]・[壱]の字源となったので、K図の「十字の銀河の子宮」が[一]・[壱]の字源銀河となった。
K図左図に示したように、[天]の字源となった大字形の「十字の銀河」は[大]の字源となり、「十字の銀河の子宮」は[一]の字源であった。ゆえに、『説文解字』は――「至高にして上無し」の「天頂緯度線」の[天]の字源は「十字の銀河」、この「子宮部」が[一]の字源となり、[天]の字源となった「十字の銀河」は[大]の字源でもある――ので、「十字の銀河の子宮」を「至高にして上無し。一大に従ふ」と解説したのである。
上記したように、『説文解字』は[不]の字源解説文後半を「一に従ふ。一はなお天のごときなり」とする。そうすると、J図右図の[弥]の字源となる鳥(津屋崎町・宗像市の地宜)が空を飛んで向かう、J図右図上部に配する現在の長崎県北部の「壱岐島・一大国」が[不]の解説文の「一に従ふ。一はなほ天のごときなり」とまた[天]の字源解説文の「一大に従ふ」をあらわすゆえ、「壱岐」の小国名は「一大国」と定められたことになる。
K図右図に示す壱岐島の南部(現在方位)の地宜は〔上南下北の逆向きの大字形〕となる。このこともあって、K図右図に示すように壱岐は[一]の字源の「十字の銀河の子宮」に類似すると見立てられて、小国名が「一大国」となったのである。
I図とJ図左図に示した不弥国の宗像市の沖ノ島は、B図・D図の卑弥呼王朝が制定した錯覚の転回日本列島地理の〔西の基点〕であった。この転回日本列島地理はA図右上の〔[玄]のキャッチ〕によって立論されて制定された。ゆえに、F図に示すように不弥国が面する灘(波の荒い海)は「玄界灘」と名づけられた。前述したように、「玄界灘」は「〔天の北極〕では緯度と子午線が精密に測量できないために命を落として渡れないが、〔[玄]をキャッチする方法〕ならば精密に天頂緯度線と子午線がキャッチできるゆえ往来できる灘」と今日に伝えていることになる。
したがって「玄界灘」と「一大国」と「不弥国」は、卑弥呼王朝が【[玄]の科学】に則って錯覚の転回日本列島地理が制定したと明確に伝える重大な資料であったことになる。
◆わがブログ「日本が滅びる・113」でても解説したが――L図左図に示すように、山東半島先端の南岸に所在する石島(シータオ)と山東半島に付け根の日照(リーチャオ)を結ぶ線は緯度線に対して30度の角度となる。夏至の日の出は29度の水平線から昇る。「夏至の日の出の太陽の光が照る」から「日照」という地名となった。「夏に日照りが続くと大地が石のように堅くなる」から「石島」の地名になった。
これゆえ、「山東半島」はL図中央に配する[弥]の字源となった。
(C)2014 OHAKAWA
[弥]の字源はL図右図の「カンムリカイツブリ」である。「カンムリカイツブリの長い頸(くび)」は〔弓形(ゆみなり)に曲がる山東半島とその南の長江口までの海岸線(H図参照)〕に見立てられて金文の偏の[弓]となり、〔カンムリカイツブリの頸以下の体下面はすべて夏の陽射しのごとく銀白色に輝く〕ので[尓(爾)]の金文形のごとく図案された。
カンムリカイツブリは冬に山東半島の沿岸部に生息する冬鳥である。ゆえに、L図左図の「夏至の日の出」を示す線に対して[弥]の字源「冬鳥のカンムリカイツブリ」は、わがブログ「日本が滅びる・113」では「夏には[弥]の字源となる冬鳥・カンムリカイツブリは[弥]の字源地宜の山東半島には生息しない」ということで[誤]の字源となったと解説した。
この[誤]の字源解説は[不]の「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり。一に従ふ。一はなほ天のごときなり」という字源解説にもなった。
H図に示すように[弥]の字源となる「山東半島とその南北の海岸線の地宜」は「冬が終わって鳥(カンムリカイツブリ)が上空へ飛翔し、下り来ない姿」のイメージとなる。カンムリカイツブリは、H図の廟島(びょうとう)列島が指差す北へと飛び去り、北の内蒙古自治区、中国北部の吉林省・黒龍江省、ロシアで繁殖する。
この北の繁殖地を指差す廟島列島の地宜にもとづき、[不]の字源は「一に従ふ。一はなほ天のごときなり」と解説された。
◆M図左図に示すように[道]の字源銀河における「十字の銀河」は〔鹿の角〕に見立てられ、右図の[道]の字源地宜においては「廟島列島」が〔鹿の角〕に見立てられた。したがって、両者共に〔鹿の角〕に相当するので「十字の銀河=廟島列島」となる。
(C) 2014 OHKAWA
K図にて解説したように「十字の銀河の子宮」は[一]の字源であり、「十字の銀河」が[天]の字源となる。ゆえに、「十字の銀河の子宮」と「十字の銀河」に相当する「廟島列島」は「一に従ふ。一はなお天のごときなり」と解説され、この解説は「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり」という文で「冬が終わってカンムリカイツブリは廟島列島が指し示す北の繁殖地へ去る」とあらわすことになった。
J図右図に示す不弥国のカンムリカイツブリ(津屋崎町・宗像市の地宜)は、転回方位の〔北〕の壱岐に向かって飛び立つごとくに観える。だから、〔転回方位の北となる壱岐までの玄海灘〕は「カンムリカイツブリが去る北を示す廟島列島」に適合するので、「壱岐」は「一に従ふ。一はなほ天のごときなり」と[不]の字源解説文をあらわし、またK図右図の「上南下北の大字形の地宜」が加わって「一大国」と名づけられた。
このようにわが国に伝来して受け継がれた原初漢字・夏音文字の秘密が、『魏志』倭人伝に記述された一大国・不弥国の小国名に保存された。
だから、古代史学界の“わが国で最初に漢字を習得したのは5世紀または6世紀である”という定説は根本的に誤っている。
◆G図の対馬国から4番目の小国は「伊都(いと)国」である。
『日本書紀』に登場する「伊都県(いとのあがた)」は現在の糸島市や二丈町などに比定(ひてい)された。ゆえに、「伊都県」に比定された地域が「伊都国」であったと考えられる。
N図左図は現在方位の伊都国の比定地・糸島半島周辺図である。N図右図は転回方位に則る伊都国の比定地・糸島半島と不弥国宗像地方までの地図である。N図右図に記した転回方位は「西→北」となるゆえ、E図に示した[倭]の字源をあらわす。
(C)2014 OHKAWA
宗像大社の三女神(F図に示す沖ノ島・大島・宗像市田島の三女神)が登場する『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に「伊都久(いつく)」という夏音文字が記載される。(『古事記』上巻の伊耶那岐命の禊祓(みそぎはらい)説話において、「伊都久の3字は音」という注が付くゆえ、「伊都久」は夏音文字である)。
夏音文字「伊都久」は楷書の「斎(いつ)く」であり、新村出編『広辞苑』(岩波書店)は【斎く】を「心身のけがれを浄めて神に仕える。あがめまつる。」と説明する。
【伊都=斎】であり、[斎]の上部は[文]である。O図に示すように、[文]の字源銀河は「十字の銀河」である。
(C) 2014 OHKAWA
P図左図に示すように、[倭]の転回方位規定で90度転回した[文]を上部に配し、[文]の両脇を縦線[|]の2本で支え、その真ん中に[示]を入れて――[斎]の字となった。
P図右図は[示]の字源解説図である。[示]の契文形は「天頂緯度線[一]と、[一]の天頂緯度線と直角に交わる視線」で構成される。
『説文解字』は[示]の字源を「天、象(しょう)に垂れて吉凶を見(しめ)す。人に示す所以(ゆえん)なり。二に従ふ。三垂は日月星なり。天文を観て以て事変を察す。示とは神事なり」と解説する。
上記の「天、象に垂れて吉凶を見す」という文は、P図中央図の[斎]の字源解説図の「十字の銀河の子宮から垂れる南の帯」を「[玄]をキャッチして天の神から命を与えられる吉、また天の神に見離されて命を落とす凶をあらわす」と解説していることになる。ゆえに「人に示す所以なり」という文は「吉凶は神が[玄]をキャッチしようとした人に示す」と意味する。『説文解字』は[二]の字源を「地の数なり」と解説する。ゆえに、「鬼の姿に似る銀河」は〔[玄]をキャッチする観測地の人〕に見立てられるゆえ、「鬼の姿に似る銀河」が「二に従ふ」という文となる。「三垂は日月星なり」という文は「十字の銀河の子宮から垂れる南の帯」は〔三本の線〕となるので「日月星を象徴した三垂であった」ことになる。
『説文解字』が[示]の字源を「天文を観て以て事変を察す。示とは神事なり」と解説するゆえ、白川静著『字統』は[示]の字義を「かみ。しめす。つげる。」であると指摘する。
Q図に示すように、西北に傾く〔[倭]の転回方位にもとづく伊都国の地宜〕は西北に傾く「子午線通過する時の十字の銀河」に類似すると見立てられたことになる。
『魏志』倭人伝は常に伊都国に居て治める男王の一大率(いちだいそつ)について「女王国より以北には特に一大率を置きて諸国を検察せしむ。諸国之(これ)を畏(おそ)れ憚(はばか)る。常に伊都国に治す。国中に於いて刺史(しし)のごときところ有り」と記述する。
Q図に示すように、一大率は「十字の銀河の子宮」に見立てられた〔斎く神の威力を示す伊都国〕に居住する厳(いか)つい武神のごとき存在であった。ゆえに、彼は諸国を監察する警視総監のような権限を有し、各小国の王はじめ氏族の首長の過ちをも検察して罰することができたので『魏志』倭人伝に「諸国之を畏れ憚かった」と記載されたのである。
◆以上のごとく、このブログ初頭で証明したように「玄界灘」の[玄]の【科学】に則って考えると、邪馬台国学説は〔誤読の空論〕であることが数分でいとも簡単に完全証明することができる。
新井白石以来約280年もの長いあいだ、学者たちは〔誤読の空論〕に夢中になる。学者たちは『魏志』倭人伝と『古事記』『日本書紀』には数分で真実を知ることができる絶対原理の【[玄]の科学】が存在することに気づかず、ひたすら〔誤読の空論〕に夢中になる。このような文献史料にひたすら多数の〔誤読〕を加えて立論する方法を、あと100年続けても真実を知ることはできない。彼らが〔誤読〕に夢中になる100年いや50年後には、前回のわがブログ「日本が滅びる・117」で詳細に解説したように、『古事記』『日本書紀』に記述された【日本建国の〔愛〕の理念】の抹殺と天照大御神の祟りによって日本国は消滅し、日本は絶滅すると予測される。
次回は今回の続き「『魏志』倭人伝が記述した真実の日本列島地理の解説(2)」をおこなって、日本古代史学界の〔誤読〕を権威とする欺瞞(ぎまん)と驕(おご)りはユダヤ人が経験したホロコーストを凌(しの)ぐ日本破滅の禍(わざわい)になることをより鮮明にして、日本人が真実の歴史をとりもどすように必死に訴えることにする。
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