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2014年8月 8日 (金)

日本が滅びる・119

邪馬台国学説は〔誤読〕と〔空想〕でこじつけた空理空論、いわゆる妄想である

愛、あざやかに永遠であれ(58)・箸墓記事と天皇の王冠(24) 

 

■『魏志』倭人伝が記述した真実の日本列島地理の解説(2)

 

新井白石以来現在まで約280年間、学者たちは『魏志』倭人伝にある全部で15ヶ所の方位記事に忠実に読解せずに多くの〔誤読〕を加えて、卑弥呼王朝が制定した[]の字源に則(のっと)る錯覚の転回日本列島地理が実在した歴史を抹殺しつづけている。

学者たちが自由自在にあやつる〔誤読〕には“文献批判”という異名(あだな)がつく。

学者たちは〔天の北極〕が存在す方向を〔北〕と定める現在の日本地図を基に、倭女王・卑弥呼が居住した王国・邪馬台国の位置を立論する。しかし、〔天の北極〕では精密に緯度(位置)と子午線(方位・経度)を測量することができないゆえ、大海に入ると直ぐに位置と方位が不明になって命を落とすことになった。

『魏志』倭人伝が作成された2世紀末から3世紀半ばにおいて――〔天の北極〕では大海を往来できない――これは【科学】の原理にもとづく事実であった。

『魏志』倭人伝には「倭の使節が大海を往来できた」と記述する6ヵ所の記事がある。

中国では、紀元前1世紀に〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成したため、それ以前に栄えていた大海を往来できる〔[(げん)]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣〕が廃(すた)れた。このため、卑弥呼が生存した2世紀末から3世紀半ばになると、魏の使節はもちろん朝鮮半島の一角に所在した魏の出張機関である帯方郡(たいほうぐん)の使節もまた大海を渡ることができなくなった。

したがって『魏志』倭人伝の15ヶ所の方位記事と6ヵ所の倭の使節は大海を往来できたと言う記事は「倭では〔[玄]をキャッチする眼力と技を鍛錬する習慣が栄えていた。だから、卑弥呼王朝は〔[玄]のキャッチ〕にもとづく錯覚の転回日本地理を制定していた」と伝えているにもかかわらず――学者たちは「卑弥呼王朝は〔天の北極〕のある方角を〔北〕と定める現在の日本地図と同じ地理観を有していた」と決めつけて邪馬台国説を立論する。しかし、邪馬台国学説の論法だと倭の使節もまた魏・帯方郡の使節同様に大海を渡ることができなかったことになる。

魏・帯方郡と倭の使節が大海を渡ることができなかったならば、魏と倭は国交を結ぶことができなかったので『魏志』倭人伝は作成されなかったことになるので、約2000字で構成される『魏志』倭人伝は文字が1字も書かれていなかったということが事実となる。この結果、邪馬台国学説は〔誤読〕と“天の北極で大海を往来していた”と思い込む〔空想〕でこじつけた〔完全なる空理空論〕であったことが明白となる。

この〔[]の科学〕にもとづく詳細な証明は、前回のわがブログ「日本が滅びる・118」で解説した。

◆A図に示す天頂点を通過する銀河部位における「46秒間でキャッチする天頂緯度線と、天頂点と真南または真北の目星(目印となる銀河部や恒星など)を結ぶ子午線の測定」は、楷書の[(とう)]の字形であらわされた。そして、[]の下に[(よう)]が加わって、B図に示すがごとく[]の字が成立した。〔[]のキャッチ〕によって精密に緯度と子午線が測量できたゆえ、倭の使節と船乗りは〔[]をキャッチ〕して大海を往来して魏と国交を結んだことになる。

楷書形[]の下の[]を、“字書の聖典”と尊重される『説文解字』は「小なり。子の初生の形に象(かたど)る」すなわち「産道を通過して出産する新生児である」と解説する。

[]は「[](天頂緯度線と子午線)がキャッチできる心得・鉄則」をあらわした。つまり、[]はB図に示すように「“産道を通過する胎児のように無欲になれ”という[]をキャッチする心得・鉄則」をあらわした。“必ず[]をキャッチする”と欲を有すると、この欲のために〔[]のキャッチ〕は失敗して命を落とすことになった。
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(C) 2014 OHKAWA

C図に示す[][][]の字源は、「十字の銀河の南」を〔禾(水稲)の生育地の中国華南地方に見立てて、禾(いね)の穂を南に垂らす図案〕で「南→西となる方位規定(〔南〕を時計回りに90度転回して〔西〕に変換する方位規定)」をあらわした。

B図に示す〔[]のキャッチ〕の鉄則は、産道を潜(くぐ)って出産する胎児のように無欲になることであった。ゆえに、〔[]のキャッチ〕は、天頂緯度測定する人々が出産する時の胎児のごとく心境になって天の神[]に命を委(ゆだ)ねることになった。

これゆえ、C図に示す[]に〔女体〕に相似する「十字の銀河」の[]が加わる[]の字義は「ゆだねる」となった。そして、「十字の銀河」は〔人体〕にも相似するので[][]が加わる[]の字が生まれた。
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(C) 2014 OHKAWA

中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』の繋辞(けいじ)下伝は漢字起源について「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った」と説明する。

上記の文先頭にある「天象」と次の「地法」を説明する前に、後ろにある「鳥獣の文」を先に説明すると――“漢字の始祖”と崇拝される倉頡が発明した漢字作成原理は「鳥獣の足跡」と呼ばれるが、この漢字作成原理は「鳥獣の文」とも称された。つぎの「地宜」とは「平面的に図化した地図の形」のことである。

そして「天象」とは「文字となった秋の銀河と夏の銀河各部の形状」のことである。この天象(銀河各部分)は、東から西へと運行する。A図に示した東から西へ移動する天頂点を通過する[]となる天象(銀河部位)に命を委ねるものであったから、C図に示す[][][]の字が生まれた。この「天象」に対して「地法」は「中国を代表する黄河と長江の水は天象が運行すると逆向きに、西から東の大海に向かって去るありさま」を「地の法則」すなわち「地法」と称したのである。この「地法」のために、[][]の字が必要となった。

C図に示すように、[][][]の字源をあらわす「南→西」の定義は「十字の銀河の股から右足へ向かっての90度の時計回りの転回」となった。

ゆえに、「地法」から必要になった[][]の字源をあらわす「南→東」の定義は「十字の銀河の股から左足へ向かっての、時計回りと逆向きの90度の転回」となった。

E図に、[]の〔時計回りに90度転回する方位規定〕と[]の〔時計回りの逆向きに90度転回する方位規定〕を表示した。
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(C) 2014 OHKAWA

◆F図に示す「玄界灘」に面する小国名には、C図とD図で解説しE図に図示した[][][][]の字源の秘密が秘められることになった。

G図に示した卑弥呼が居住した邪馬壱(やまい)国までの方位は、C図とE図左図に示した[]の字源「南→西・西→北・北→東・東→南」となる転回方位規定に則る。
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(C) 2014 OHKAWA

『魏志』倭人伝は〔15ヶ所の全方位記事〕をもって――〔[]のキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣〕が栄えていた倭の卑弥呼王朝は、日本列島の東端は中国海岸線地域の南の方へ伸びると錯覚する転回日本地理を制定した――と証言するものであった。

この卑弥呼王朝が制定した錯覚の転回日本列島地理は[]の字源「東→南」と示すことになったため、国名を「倭」と定めた。

したがって、F図の現在方位で示した玄海灘周辺の小国の位置と方位を、『魏志』倭人伝は――H図に示す[]の字源「転回方位」にもとづいて記述した。
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(C) 2014 OHKAWA

だからI図左図に示すように、『魏志』倭人伝は伊都・奴・不弥国の方位と位置を説明するものであった。I図右図に示すように、I図左図に示した〔糸島半島の地宜〕は「十字の銀河の子宮」に類似すると見立てられた「伊都国」と名づけられた。
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(C) 2014 OHKAWA

◆前回のわがブログ「日本が滅びる・118」で指摘したように――『古事記』上巻の伊耶那岐命の禊祓(みそぎはらい)説話には「伊都久(いつく)3字は音」という注がある。「伊都久」は今から4050年前の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に日本列島に伝来した夏音文字であった。そして、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話にも「伊都久」という夏音文字が記載される。この天照大御神と須佐之男命の誓約説話において、「伊都久」の3字は沖津宮・中津宮・辺津宮が登場する不弥国・宗像地方の説明箇所に記載される(F図とH図参照)

夏音文字の「伊都久」は楷書の「斎(いつ)く」と同義であり、新村出編『広辞苑』(岩波書店)は【斎く】を「心身のけがれを浄めて神に仕える。あがめまつる。」と説明する。

わが国の中国古代漢字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字訓』(平凡社)は【いつく〔斎〕】について――「嚴(いつ)」の派生語で、「く」をそえた動詞。(中略)。けがれをさけてつかえることをいう。――と解説し、【いつ〔厳()〕について――神霊のもつすぐれた力が、はげしい勢いであらわれること。――と解説する。

したがって「伊都国」は「斎国」であったゆえ、「(1)伊都国の男王の一大率(いちだいそつ)が心身のけがれを清()[]の天神と「玄界灘」の海の神につかえ、(2)伊都国は[]の天と海の神霊のもつすぐれた力が、激しい勢いであらわれる国」であったことになる。

I図右図に示すように、「伊都国」は「十字の銀河の子宮」に見立てられる小国であった。

漢字作成原理「鳥獣の足跡(鳥獣の文)」を発明した“漢字の始祖”の倉頡は、「十字の銀河の子宮」を「秋の銀河と夏の銀河全域の各部の形状から作られたすべての文字が生まれる生殖器(子宮)」と定めた。

だから、伊都国は(1)けがれを清めて神、つまり大海を往来する人はじめ遠くの地に旅する人や山地・荒野・森林で道に迷う人が命を委ねる[]の神、また夏音文字と楷書などのすべての文字が生まれる子宮となる神につかえる国となったゆえ、(2)[]の神霊のもつすぐれた力が激しい勢いであらわれる国であると崇められることになった。

◆『魏志』倭人伝には「倭の易に用いられる卜辞の文字は、令亀(れいき)の法のごとき文字であった」と記述する箇所がある。「令亀の法」という語は「中国の殷代(いんだい)後半に用いられた亀の甲羅に刻む契文(甲骨文字)」を指しているので、倭には契文に相似する夏音文字があったことになる。夏音文字は『古事記』上巻の随所に「伊都久」のように〔音〕という注が付いて多数記載されて現存する。夏代初頭にわが国に伝来した原初漢字の夏音文字は、“漢字の始祖”の倉頡が死刑と定めた3つの掟を厳重に守るものであったゆえ、〔書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者〕は神罰が下って即刻に死刑に処せられた。ゆえに、夏音文字は後世に出土しない文字となった。

だから、夏音文字は銀河各部の形状が文字(字源、字形、字義)となった。

中国の魏と帯方郡、朝鮮半島の諸韓国で用いられた楷書は「書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない」という掟を破る文字であったが、倉頡が定めた(1)「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状から文字が作られた秘密を洩らしてはならないという掟」と(2)の「文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称をつけてはならないという掟」を厳重にまもった。したがって、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻において夏音文字を表記する楷書の字源・字形(字形の原形)・字義もまた銀河各部の形状であった。

これゆえ、『魏志』倭人伝には「卑弥呼が文書に用いる文字は魏の都・帯方郡・諸韓国の文字と差錯(ささく╱相違)していたので、伊都国の港で国外・国内のすべての文書を点検して確認して間違いが生じないようにしていた」という記述がある。

伊都国の港では、卑弥呼や倭の小国の王たちが用いる夏音文字と魏都・帯方郡・諸韓国の楷書の字源・字形・字義となる銀河各部の形状を観て点検・確認して、夏音文字と楷書の間に誤りが生じないように変換していた。夏音文字と楷書の字源・字形・字義は銀河各部の形状で共通するものであったゆえ、「伊都国では卑弥呼が用いる夏音文字と魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書を正しく変換できた」と『魏志』倭人伝に記述された。

I図右図に示すようにすべての文字が生まれる「十字の銀河の子宮」に見立てられた小国は「厳(いつ)く」すなわち「転回日本列島地理の秘密を厳重にまもる」をあらわすものであったゆえ、この小国は夏音文字で「伊都(いつ)」と表記され、「いと」と読まれることになったと考えられる。

◆伊都国の隣国は「末盧(まつろ)国」である。

『古事記』に「末羅県(まつらのあがた)」が記載され、現在の佐賀県唐津市の中心地や唐津市北部の呼子(よぶこ)町・鎮西(ちんぜい)町に比定された。ゆえに、末盧国はJ図に示す旧国の肥前(ひぜん)であったことになる。ただし、J上図に示す肥前の東部(現在方位)は伊都国であったと考えられる。

末盧国は、J図上図に示す長崎県と佐賀県西部(現在方位)であったと考えられる。

末盧国の[]は、D図右図とJ図中央図の[][]の字に分かれる「十字の銀河の末部(股と両足となる部分)」をあらわした。『説文解字』は[]の字源を「飯器なり」つまりJ図上図に示す末盧国の地図の形は縄文土器の形に相似するゆえ「飯を炒()る器具」であると見立てられたことになる。「炒る」は「土鍋であぶりこがす意」である。[]の「飯器」は、J図下図に示すように「十字の銀河の子宮」が類似すると見立てられるものであったと考えられる。
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(C)2014 OHKAWA

『魏志』倭人伝はG図の邪馬壱国までの旅程記事において「また、一海を渡る千余里、末盧国に至る」と書き、一大国から末盧国まで方位――この一ヵ所だけ方位を記述していない。 

K図に示すように、卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理において、(1)一大国は末盧国の北に所在し、(2)一大国は末盧国の東に所在して、二つに分かれて存在することになった。この錯覚の転回日本列島地理に生じた矛盾・不合理を隠蔽(いんぺい)するために、倭から魏へ送られた書状には「一大国から末盧国までの方位」が記されなかったのである。

前述したように、末盧国の[][][]の字に二分される「十字の銀河の末部」のことである。「[][]の字に二分されること」は、「まよう」[]の字をあらわした。

C図に示す[]は「垂れる稲の穂の形で南→西の転回方位」が示されるゆえ、[]も同様に「稲の穂の形で南→東の逆向き転回方位」があらわすことになる。「稲の穂に包まれる実」が[]であり、[]は之繞(しんにょう)[]が加わる字である。[之繞]の字源は「十字の銀河の西半身の東→西へ足で歩く女性の姿と、東半身の西→東へ足で歩く男性の姿」であった。ゆえに、[]の字源となる「十字の銀河の末部・両足」は「道に迷う」を字義とする[]の字源となった。

だから、K図に示す(1)末盧国の北方にある対馬国・一大国と、(2)末盧国の東方にある対馬国・一大国――この二つの対馬国・一大国の存在は[]の字義をあらわした。
 これゆえ、末盧国の隣国に居住する伊都国を治める男王は「玄界灘の[]の海の神を伊都久(いつく)あがめて転回日本列島地理は矛盾すると指摘する声を抹殺して厳(いつ)に重々しく管理する役目」を有していたことになる。

卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理の不合理は北の末盧国で表示された。

ゆえに、『魏志』倭人伝が「女王国より以北には特に一大率を置きて諸国を検察せしむ。諸国之(これ)を畏憚(いたん)す。常に伊都国に治す」と記述するように、一大率が厳重に管理して転回日本列島地理の矛盾点を指摘する声を抹殺することになったのである。

K図において、伊都国と一大国を結ぶ線は転回方位規定で60度の角度となる。現在方位だと、伊都国と一大国を結ぶ線は夏至の日の日没方向の角度(29)となり、「夏至」は「夏音文字」を示す。伊都国を治める男王の名は「一大率」であるゆえ一大国と伊都国を結ぶ線は[]の字義「ひきいる」を示すことになり、「倭女王・卑弥呼と共に立って夏の陽射しのように強烈な輝きを示す、倭国を率いる大王」とあらわすものであったと考えられる。

また、伊都国と対馬国を結ぶ線は45度となるので、転回方位だとA図が示す〔天頂点を通過する部位が昇る・東北〕、現在方位だとA図に示す〔天頂点を通過する銀河部位が没する・西北〕となる。ゆえに、対馬国と線で結ぶと伊都国は〔[]=天頂緯度線・子午線〕に相当する聖地となる。だから、伊都国は「玄界灘の[]の海神の力が激しい勢いであらわれる伊都久(斎く)国にして、末盧国における転回日本列島地理のけがれ(不合理)を祓い、卑弥呼と共に立つ倭国を率いる大王・一大率の威厳」を示す聖地となったのである。

◆一大率は、(1)末盧国に北に所在する一大国・対馬国の地理は正しい、(2)末盧国の東北にある一大国・対馬国の地理も正しいと管理するものであった。

L図に示すように、末盧国であった現在の松浦地方と彼杵(そのぎ)地方には、卑弥呼王朝が制定した転回方位規定が現在の日本地図に表示されている。

現在方位にもとづくと「東松浦」の西に「北松浦」があるので矛盾し、「東松浦」の南にある「西松浦」という地名も矛盾する。しかし、転回方位にもとづくと「東松浦」は「東」に位置し、「北松浦」は「北」に所在し、「西松浦」は「西」に所在して合理となる。そして「東松浦・西松浦」は「東西の緯度線」となり、「東松浦・西松浦の緯度線の中央と北松浦を結ぶ線」は「子午線」となり、[]の上部の[]をあらわす。

また、「東彼杵」と「西彼杵」も現在方位だと矛盾するが、転回方位だと合理となる。
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M図は、明(みん)の建文(けんぶん)4(140)に朝鮮で作られた「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)(龍谷大学図書館蔵)の部分図の略図である。

「混一疆理歴代国都之図」に『魏志』倭人伝の方位記事に合致する転回日本列島地図が描かれている。

「混一疆理歴代国都之図」に描かれた転回日本列島地図は、戦後、古代史家の肥後和男氏が発見し、次いで民俗学者の和歌森太郎氏も気づき、両氏は次のような推論を立てた。

「この日本地図は、中国人が古くから日本の地理についてもっていた考え方かもしれない。これゆえ、『魏志』倭人伝の著者もこのような地理観をもっていて、それにわずらわされて倭国の中心である邪馬台国への道程を南のほうに求めたのであろう」

また、幾人の学者たちは「帯方郡や魏の使者は不弥国を出港したあと〔東〕へ向かっているのを、〔南〕へ向かっていると錯覚したものと考えられる」と推論した。

学者たちは「混一疆理歴代国都之図」に描かれる転回日本地図は『魏志』倭人伝の方位記事に合致することを認める。しかし、上記したように卑弥呼王朝が制定した地図ではなく中国人が古くから抱いていた誤った地理観または魏の使節の錯覚が原因であると推論する。しかし、L図に示す末盧国の松浦・彼杵地方の転回方位をあらわす地名は、明確にわが国に転回日本列島地理観が実在したと示す。だから、学者たちの推論意見は単なる空想であったことになる。

 

◆H図に示したように、末盧国・伊都国・不弥国は、玄界灘に面する。

この「玄界灘」は卑弥呼王朝が錯覚した転回日本地理の原因となった【[]の科学】の秘密を今日に伝える。というのも、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男神の誓約説話に登場する不弥国・宗像大社の沖津宮が所在した沖ノ島は転回日本列島地理の西端のポイントであったゆえ、【[]の科学】の秘密が現在でも事実として証明できるからである。
 この【[]の科学】の一点に絞って『魏志』倭人伝の記述を忠実解釈し史跡・遺跡・遺物・地名・地宜などを注目すると、()卑弥呼王朝が錯覚の転回日本列島地理を制定したことと()夏音文字がわが国に伝来していたことが科学的に証明されて事実となる。

だから、邪馬台国学説は“文献批判は絶対に正しい考え方である”と思い込む錯覚にもとづいて加える多数の〔誤読〕と、“卑弥呼王朝が制定した倭地理の方角は現在の日本地図と同じく天の北極を基準にしていた”という〔空想〕によって生まれた完全なる空理空論であったことになる。

 

なお私はこれまでのブログで「玄界灘」を「玄海灘」と誤記していたことに、今回のブログを作成する途中で始めて気づいた。このブログを開いて閲覧してくださった方々にご迷惑をかけたことを、ここに深くお詫び申し上げます。

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