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2014年9月 4日 (木)

日本が滅びる・125

『魏志』倭人伝に記載された倭国の残るすべての小国の解明をめざして(2)

愛、あざやかに永遠であれ(64)・箸墓記事と天皇の王冠(30)

 

■『魏志』倭人伝が記述した真実の日本列島地理の解説(8)

 

◆中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』の繋辞下伝は、漢字の起源について「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。(中略)。もって万物の情(イメージ)に類して文字を作った」と伝える。この漢字起源記事に登場する「天象」は「各部の形状が字源・字形・字義となった秋の銀河西部と夏の銀河全象」であり、「地法」は「東から西へ移動する銀河の運行とは逆向きに中国を代表する大河の黄河・長江などの水が西から東へ流れる法則」であり、「鳥獣の文」とは“漢字の始祖”と崇拝された今から約5000年前の五帝時代初頭に生存した倉頡(そうきつ)が発明した「漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕」の別称であり、「地宜」とは「平面的に図化した地図の形」のことである。

上記した漢字の起源の秘密、つまり「天象と地法と鳥獣の文と地宜が文字の字源・字形・字義となったという指摘」は、『魏志』倭人伝に記載された33ヶ国の小国名によって事実であったと科学的に完全証明できる。

というのも、『魏志』倭人伝の小国の名に用いられる文字の字源・字形・字義を天象・地法・漢字作成原理「鳥獣の文(鳥獣の足跡)」で解明すると各小国の地宜は一点の矛盾も不合理も生じずに合理が成立して【科学】が成立するからである。さらに、『魏志』倭人伝と同時代(3世紀後半)に作られた地宜遺跡が静岡県浜松市北区細江町の行政区域を表示する地図の形として現存し、この地宜遺跡によって『魏志』倭人伝の記事はすべて正しく事実を伝えると科学的に解明できるゆえ――この解明は完全証明となる。この現存する地宜遺跡を、私は左に掲示した拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』(幻冬舎ルネッサンス)においては“建比良鳥(たけひらとり)の地宜”と名づけたが、このブログでは“「卑弥呼」の地上絵”と呼んでいる。この「卑弥呼」の地上絵については、次回にて解説する。

わがブログ「日本は滅びる」は118回から上記の『易経』繋辞下伝が伝える漢字起源記事を基に倭の小国の位置と範囲を23ヶ国解明・証明してきた。

今回のブログを最初に開く方々にあって、今回のブログの内容や解明に納得できず疑問を抱く場合には「日本は滅びる・118」から閲覧してくださることを願う。

◆今回は、A図に示した『魏志』倭人伝において13番目に記載された都支(たき)国、15番目の好古都(こかた)国、の2ヶ国の位置と範囲を解明する。

A図に示した14番目に記された「弥奴(みな)国」は「現在の愛知県西部の旧国尾張」であり、22番目の「鬼()国」は「三重県南部の旧国志摩」であることを、わがブログ「日本が滅びる・123」で解明し証明した。

B図に示す「十字の銀河の子宮」(「十字の銀河」において「子宮」に相当する銀河部)13番目の「都支国」の[]の字源であることを、わがブログ「日本が滅びる・118」において証明した。つまり、B図に示すように「十字の銀河の子宮」が[]の字源を示すゆえ、「糸島半島の地宜」は「十字の銀河の子宮」の形に類似すると見立てられて「伊都国」の[]の字源をあらわすことになった。

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(C)2014 OHKAWA

わがブログ「日本が滅びる・122」において、〔歳差(さいさ)〕という天文現象に則って倉頡が生存した五帝時代初頭の天頂緯度線を再現すると、C図のごとく「十字の銀河の子宮」が中国の長江・揚子江の天頂にめぐってきたことになる。司馬遷著『史記』五帝本紀は「黄帝の遠征軍は長江まで遠征した」と記し、倉頡は黄帝につかえる史官であったから遠征した長江付近の土地から「十字の銀河の子宮」が天頂にめぐってくるのを目撃したことになる。倉頡は〔秋の銀河の西部と夏の銀河全範囲の各部の形状から作られたすべての文字は、C図に示す「十字の銀河」を「母体」として「十字の銀河の子宮」から生まれるように考えれば、万物の情(イメージ)に類似する文字を作ることができる――漢字作成原理「鳥獣の文(鳥獣の足跡)」〕を発明した。このため、〔銀河各部の形状が字源・字義・字義とする、すべての文字は「十字の銀河の子宮」から生まれる〕と定められたゆえ、「十字の銀河の子宮」は「多くの人々が住む土地」つまり[]の字源・字形・字義となった。

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(C) 2014 OHKAWA
 

 

D図に示すように[]の字源・字形・字義はC図右下の「鬼の横顔に似る銀河」とその南隣の「長方形の暗黒天体部」であり、[]は「鷹」をあらわす――と、わがブログ「日本が滅びる・123」で解明した。E図に示すように、[]の字源となる「十字の銀河の子宮」は[]の字源・字形・字義でもあり、「十字の銀河の子宮」は「鷹の横顔」に類似すると見立てられた。ゆえに、[]の字には[]の字が加えられることになった。

このように「鷹」は[]の字源「十字の銀河の子宮」と[]の字源「鬼の横顔に似る銀河・長方形の暗黒天体部」の別々の銀河であらわされる理由を、わがブログ「日本が滅びる・123」では解説しなかったが――D図に示す「鬼の横顔に似る銀河」は「鷹の子ども、ヒナ」に見立てられ、[]の字源「十字の銀河の子宮」は「鷹の親鳥」にと見立てると定められた。だから、[]の字源となる「鬼の横顔に似る銀河」と「十字の銀河の子宮」は共に[]をあらわしたが、下記に解説する理由によって「鬼」と「鷹」に区別された。

◆わがブログ「日本が滅びる・123」において、F図の「鷹の横顔に似る志摩」は「鬼国」であったと解明した。

G図左図に示す「鬼の横顔に似る銀河の両目」と「鬼の首に付く両目」は「十字の銀河の子宮を観る四つの目」と見立てられた。したがって「四つ目」を有する「鬼の横顔に似る銀河」は「ヒナに餌を与える鷹の親」、「十字の銀河の子宮」は〔万物を生む子宮〕と定められたゆえ「卵を生む鷹の親の横顔」に類似すると区別されて[]をあらわした。

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(C)2014 OHKAWA

そして、G図右図に示す「鬼の首に付く両目」は「ヒナの両目」または「哺乳類・鳥類・爬虫類・両性類・魚類・昆虫類などを捕えて餌にして食べる時の鷹の両目」と区別されて[]の字源・字形・字義となった。

ワシタカ類は食物連鎖(れんさ)の高位をしめ、特に大型種は最高位にある猛禽(もうきん)である。文字となった銀河は天にあり、大型の食物連鎖における最高位の「鷹」は《自然の猛威》を示す「神」をあらわす[鬼]となった。

鷹の卵は14卵、まれに6卵までで、抱卵は35日~45日までである。卵は一日以上おいて生む。そして第1卵から第2卵を産卵後に抱くので、ヒナの孵化(ふか)も同時ではなく、ヒナに強弱ができ、強いヒナが生き残る――親鳥が餌を十分に与えられない時、弱いヒナは強いヒナの餌となる。これゆえ、G図右図に示す「鬼の首に付く両目」は「弱いヒナを餌にして食べる鷹のヒナの両目」に見立てられて、人の命を奪う自然の猛威を示すものとなり人々が「自然を神」と畏れて崇める「非情冷酷な魔神」をあらわす[]の字源となった。

しかし、餌が十分ならば弱いヒナも育つという。ヒトの子はほとんど一人ずつ生まれ、たまに双子が生まれる。鷹のヒナは一羽しか育たないことと人の子はほとんど一人ずつ生まれるゆえ、鷹と人は類似するものとされた。また一般にオスがメスに餌を運び、メスがちぎってヒナに与える例が多い。この点も上古の人々の男女の役割に相似した。このような人との類似点から、「鷹」は人体に相似する「十字の銀河」や「十字の銀河の子宮」であらわされることになり、また「十字の銀河」は[]([]の初文)[]の字源と定められたので「鷹」は崇高な「神」をあらわすとともに自然の半面をあらわす非情・厳格な[]の字源となった。

司馬遷著『史記』五帝本紀は「天子は天地山川の鬼神(きじん)をまつって封禅(ほうぜん)をおこなうのが例であるが、古来の帝王がおこなった封禅のうちで、黄帝のおこなった封禅がもっとも盛大であったといわれる」と記述し、夏本紀では「“夏王朝の始祖”と崇拝された帝禹()は、衣食をうすくして鬼神への供物を豊富にした」と伝える。『魏志』倭人伝は「倭女王卑弥呼は鬼道を事(まつ)る」と記述し、中国の正史『後漢書(ごかんじょ)』の倭伝は「卑弥呼は鬼神の道を事る」と伝える。ゆえに、わが国の上古には五帝時代・夏代初頭以来の「鷹」を「崇高・厳格な鬼神」と崇める信仰が栄えていたことになる。

F図の志摩半島の英虞湾(あごわん)を周囲する海岸の地宜は「餌を食べる獰猛な鷹の嘴(くちばし)・非情・冷酷な強いヒナが弱いヒナを餌にして食べる嘴」に見立てられて、「旧国の志摩」は「鬼国」と名づけられた。

B図示す「糸島半島の地宜」は「十字の銀河の子宮」に見立てられて[]となった。ゆえにF図の左上に配したように、「志摩の地宜」は「糸島市の志摩町と福岡市西端で二分される糸島半島」に類似すると見立てられてB図に示す「十字の銀河の子宮」が字源となる[]の字源をもあらわした。したがってF図下図に示すように、[]とは別の「鷹の横顔=[]」と解釈された「旧国の志摩」から[]の字義「枝分かれ」となる「現在の志摩を含まない三重県、旧国の伊勢・紀伊の東部」の小国名は「都支国」となった。

前回のわがブログ「日本が滅びる・124」で解説したように、H図に示す[]の字源となる「北の、鬼の姿に似る銀河が持つ筒状の半竹」と「南の、半分に割った竹となる半竹」は[]の字源「十字の銀河の子宮」の箇所で半分ずつに支(わか)れる。

だから、F図下部にイラストで示したように、「現在の志摩を含まない三重県」の地宜は「志摩=鷹()の横顔の箇所で両翼が南北に(わか)れる形」になるゆえ「都支国」と名づけられたのである。

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(C) 2014 OHKAWA

◆A図に示す15番目の「好古都国」は「現在の愛知県東部、旧国の三河」であった。

I図右側に配する[]の字源を、“字書の聖典”と尊重された『説文解字』は「美なり」と解説する。[]の左側の[]は「子どもを生む女性生殖器」を、[]の右側の[]は「女性生殖器から生まれる子ども」をあらわしたので、[]の字は「女性生殖器官を包囲してまもる骨盤」をあらわすことになった。「女性の骨盤」は、漢字作成原理「鳥獣の足跡」によってJ図に示す「ジャコウウシ」があらわすと定められた。

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(C)2014 OHKAWA

だから、[]]の字源はわがブログ「日本が滅びる・122」で[]の字源と解説したJ図に示す「ジャコウウシ」であった。「ジャコウウシ」は全身が毛(ウール)でおおわれるゆえ〔羊〕に似るので、別名は「ジャコウヒツジ」である。ジャコウウシは羊よりも大きいゆえ、[]の下に[]が加わる[]の字源となり、その肉は羊・鹿・猪の肉と異なって麝香(じゃこう)の香りがする特別に美味しいゆえ「好き」をあらわす[]の字源となった。「美味(おい)しい」の[]の字源は「ジャコウウシの肉」であって、「羊の肉」ではなかった。『説文解字』が[]の字源を「美なり」と解説した「美なり」は「美味」「美味しい」の[]であった。ジャコウウシは天敵のオオカミに襲われると子どもたちを真ん中に隠して100頭ぐらいの群れが円陣を組んでまもった。このため、倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」によって「ジャコウウシ」は「女性の生殖器と子宮に宿る胎児の命を包囲してまもる骨盤」に見立てると定められた。

ゆえに、I図の「十字の銀河の子宮」周辺の銀河部は「骨盤・ジャコウウシ」をあらわし、またI図の「胎児・子ども」に見立てられた「鬼の姿に似る銀河」の周囲の銀河部は「子宮」と「骨盤・ジャコウウシ」に見立てられて、[]の字源をあらわす箇所となった。

そして、K図に示す「三河湾の海岸線」は「女性の骨盤」に類似すると見立てられて[]の字源をあらわすことになった。

K図に示す弥奴国・尾張の知多(ちた)半島と好古都国・三河の渥美(あつみ)半島は、L図に示す東北地方の下北半島と津軽半島に類似する。

ゆえに、秋田県北秋田市にある国の特別史跡・伊勢堂岱(いせどうたい)遺跡が所在する「鷹巣(たかのす)盆地」が「好古都国」の「古都」をあらわし、K図の「岡崎市と岡崎平野」は「鷹巣盆地」に見立てられて[]の字源「鷹の巣」を示すことになり、「三河湾」の[]と「三河の地宜」の「古都」から、「三河」は「好古都国」と名づけられた。  

L図に示す鷹巣盆地は、米代川で北と南に二分される。北側の鷹巣盆地の地宜は、樹木の高い所に作る鷹の皿形の巣に相似するので「鷹巣盆地」と名づけられた。南側の鷹巣盆地の地宜は「鷹の嘴(くちばし)」の形に相似する。ゆえに、伊勢堂岱遺跡がある「鷹巣盆地」は[]の字源を示すゆえ「古都」となった。

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(C) 2014 OHKAWA

M図に示す「女性の骨盤の正面形の輪郭」は、L図上部とM図右図に示した北の下北半島・西の津軽半島・南岸中央の夏泊半島で包囲される「陸奥湾の形」に相似する。ゆえに、K図に示す[]の字源地宜となった「三河湾」はL図の「陸奥湾」に類似すると見立てられて[]の字源「骨盤=ジャコウウシ」を示すことになったのである。

N図に示すように、「皿形の鷹の巣」は真上から見た「女性の骨盤の形」に類似し、また「盆地の形状」も「女性の骨盤口(こつばんこう)」に類似すると見立てられることになり、そして「女性の骨盤口」は「十字の銀河の頭部の暗黒天体部の形」に相似する。ゆえに「皿形の鷹の巣」は「十字の銀河の頭部と子宮を包囲する骨盤の部分」に見立てられたこともあって、すべての文字を生む母体となる「十字の銀河」に見立てられることになった「鷹」は人々の生と死を定める「崇高・厳格な鬼神」をあらわすことになったのである。

◆L図に示す陸奥湾南岸の中央の夏泊(なつとまり)崎の東経14053分の経度線は八甲田山・十和田湖を貫通して、国の特別史跡の秋田県鹿角(かづの)市に所在する大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の直ぐ東の地を貫通する。大湯環状列石は〔花弁が輪状になって包囲する花冠の形〕に観える「花輪盆地」に所在するゆえ、[]の字源地宜を示さない。したがって、大湯環状列石は「好古都」ではなかった。

『日本書紀』神武天皇紀の初頭部は、今から約4050年前の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、大海を越えて名門益氏の王子(天祖)と若者たちがL図に示す東北地方移住した歴史を下記のごとく記述する。

「むかし、天神(あまつかみ)の高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)と大日孁尊(おおひるめのみこと)は、この豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)を、天祖の彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)に授けられた。そこで、天祖は天のいわくらを開き、雲路をおし分け、先払いを立てて、地上に降臨された。このとき降臨(移住)した地域は荒れており草昧(そうまい╱文字が無くて文明が未発達)であった。この未開の状況の中で、天祖はみずからの徳を養って、この西の偏(ほとり)を正しく治めた。その後、わが天祖と父祖の神々は善政をかさね、恩沢もゆきとどき、かくして年月が通過した。」

わがブログ「日本が滅びる」の2833まで6回にわたって詳細に解説したように、上記の「天祖の彦火瓊瓊杵尊」は「帝益の孫の王子」である。司馬遷著『史記』五帝本紀が記述するように――名門益氏は五帝時代最後の帝舜(しゅん)時代の約200年間余、代々中国海岸線の精密地図を作製する「虞()」という官職に従事した。今から約4070年前、“夏の始祖”の帝禹()の後に帝位を継いだ帝益は禹の息子の啓(けい)に帝位を譲って退位して、禹の遺志を受け継ぐ決意をした。禹は息子の啓が欲求する〔国家を創設する世襲王朝体制〕に反対した。禹は〔国家を作らず多くの氏族から最も優秀な人物を帝王に選ぶ五帝時代以来の氏族共同体制〕の継続を強く願った。諸侯はみな、禹の遺志を継ぐ帝益から去って啓のもとに入朝したので、益は禹の遺志を守ることができなかった。ゆえに、退位した益は禹の遺志を新天地・日本列島で受け継ぐことを計画して、孫の王子と若者たちに日本列島移住を命じた。というのも、年老いた益には幾日も荒波逆巻く大海で木の葉にごとく揺れる小舟を漕いで渡ることができる体力を失っていたからである。この帝禹の遺志を日本列島にて受け継ぐ大事業は、太い腕と筋骨隆々とした強くたくましい肉体を有する青年たちでなければ成功しなかったのである。

◆天祖・益氏の王子と若者たちは九州に上陸すると日本海に沿って日本列島を北上し、O図に示す秋田県の男鹿半島の付け根の、八郎潟の入口となる現在の潟上(かたうえ)市の天王(てんのう)町の船越水道がある岸に到着した。この岸は、帝禹の遺志を継ぐ大事業が始まる記念すべき第一歩となる地点となった。

益氏はM図の右図に示す「陸奥湾」を漢字作成原理「鳥獣の足跡」を基にして「女性の骨盤」に見立てたゆえ、同じくO図に示す「八郎潟」を「子宮」に見立て、八郎潟の入口となる「船越水道」を「子宮口から膣口(ちつこう)までの産道」に見立てたことになる。

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(C) 2014 OHKAWA
 

 

ゆえに、益氏の王子・天祖一行はO図に示す秋田県山本郡三種(さんしゅ)町の琴丘(ことおか)町の鹿渡(かど)に居住したと考えられる。というのも、帝禹の遺志を継ぐ大事業の第一歩地点となる〔膣口〕に相当する船越水道南端の地点から琴丘町鹿渡は経度軸に対して29度・緯度軸に対して61度となるからである。この「経度軸に対して29度・緯度軸に対して61度」は、次回で解説する「卑弥呼」の地上絵の三角測量に用いられた度数である。これゆえ、天祖たちは琴丘町鹿渡に居住したと考えられる。したがって、『日本書紀』神武天皇紀の天祖降臨記事に登場する「西の偏(ほとり)」は、L図に示す「東北地方の西のほとり」となる「琴丘町鹿渡」であったことになる。
 〔子宮口〕に相当する船越水道の北端の岸から45度の東北は[]の字源を示す「鷹巣盆地」である。また、船越水道の北端の岸から夏至の日の出の方角・29度は大湯環状列石となる。日本列島に移住した益氏は夏代初頭の銀河各部の形状を文字(字源・字形・字義)とする夏音文字を根づかせた。ゆえに、夏音文字は『魏志』倭人伝に小国名・人名となって記載され、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く1字1音文字として記載された。ゆえに、現代の我々は夏音文字を実際に見ることができる。だから、夏音文字は確かに実在した文字であった。また、「現在の愛知県東部、旧国の三河」は「名門益氏の日本列島移住と鬼道(鬼神の道)・夏音文字の学芸の伝来と習得の歴史」に因んで「好古都国」と名づけられたゆえ、夏音文字は確かに実在した文字であったことになる。

◆L図に示す青森市に所在する三内丸山(さんないまるやま)遺跡は、約5500年前の前期縄文中半から約4000年前の後期縄文時代初頭までの約1500年間栄えた。日本列島に移住した益氏の王子・天祖の次の子もしくは孫の時代、つまり今から約4000年前に伊勢堂岱遺跡を作った鷹巣盆地に最も多くの人々が住んで都となったために、三内丸山集落は衰退して滅亡した。三内丸山集落の滅亡は「強い鷹のヒナが弱い鷹のヒナを滅ぼして生き残る様子」を示して、夏音文字[]の字源・字形・字義をあらわした。三内丸山集落では交易の船団を組織して海を渡り、ヒスイを現在の新潟県、コハクを岩手県、黒曜石を北海道から運んでいる。このような広範囲の交易は余所(よそ)から優れた文明や発明、高価な宝物、生活必需品を手に入れないと集落が衰退し滅亡したことを示す。

天祖の子もしくは孫の時代、「虞」の重職に約200年間も従事して精通していた精密地図作製方法をはじめとする夏音文字の学芸を根づかせるため、この学芸をあらわす伊勢堂岱の環状列石の作製にとりかかった益氏が鷹巣盆地に住むと、鷹巣盆地に東北地方で最も多くの人々が集まって住み、また益氏の学芸を習得するために当時高い文化を誇っていた遠く信濃・長野県から旅してきた数人が一定期間住みつき、また多くの地方から旅する人々が出入りする「都」となった。これゆえ、学芸に劣った三内丸山集落は衰退して滅亡した。

◆三内丸山集落の人々が広範囲の土地と交易ができたのは、彼らがP図に示す〔精密に緯度(位置)と子午線(方位)を測定できる、46秒間でおこなう[]をキャッチする方法〕を修得していたからである。

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名門益氏が中国と日本列島を隔てる大海を渡り、日本列島の九州に上陸した後に北上して遠い旅をおこなって八郎潟東岸の琴丘町鹿渡に住むことができたのも、P図右上に示す〔「玄」をキャッチする眼力と技〕を有していたからにほかならない。

P図に示す「天頂点を通過する銀河部位」は〔東北45度の地平線〕から昇る。ゆえに、P図に示す船越水道北端の岸から〔45度の東北〕に所在する鷹巣盆地は〔[]のキャッチ〕をあらわす聖地となった。だから、伊勢堂岱の環状列石が作られることになった。

〔天の北極の高度で緯度に換算する方法〕の場合、大海に入ると間もなくして緯度と子午線が正しく計測できなくなってまったく不明となり、益氏は大海で全員落命したことになる。上古人にあっても現代人にあっても人間にとって“命あっての物種(ものだね)”であるゆえ、上古においては〔命を失う〕ことになった〔天の北極〕を最も重視する天文地理測量術は起源せずまったく存在しなかったのである。

益氏は[]をキャッチして、Q図に示す精密中国海岸線地図を作成する「虞」という重職に五帝時代末期において約200年間も従事していた。そして帝位に就くものであったゆえ、日本列島に移住した折、益氏は夏王朝が最も厳重な機密としたQ図に示す精密中国海岸線地図を携えて移住した。また、帝位に就いた益氏は夏音文字の学芸に精通していた。この夏音文字の学芸は、伊勢堂岱遺跡と大湯環状列石の万座遺跡・野中堂遺跡に現在も残っており、次回に解説する不呼国で作られて現存する「卑弥呼」の地上絵には益氏が伝えた精密地図作製方法と夏音文字の学芸の全貌が貯蔵・保存された。

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