日本が滅びる・126
『魏志』倭人伝に記載された倭国の残るすべての小国の解明をめざして(3)
●愛、あざやかに永遠であれ(65)・箸墓記事と天皇の王冠(31)
■『魏志』倭人伝が記述した真実の日本列島地理の解説(9)
◆今回は、『魏志』倭人伝に記載される16番目の小国「不呼(ふこ)国」が「現在の静岡県西部、旧国の遠江」であったことを解明する。
この不呼国には、280~289年に著作された『魏志』倭人伝と同時代(260~290年)に作製された、A図に示す1千万坪の大鳥の地上絵が現存する。この巨大な大鳥の地上絵を、私は左に掲載した拙著『邪馬台国説が日本を滅ぼす』(幻冬舎ルネッサンス)では“建比良鳥(たけひらとり)の地宜(ちぎ)”と呼称したが、この「日本が滅びる」のブログでは“「卑弥呼」の地上絵”という名称に改めた。
“地上絵”と言えば世界遺産の「ナスカの地上絵」が有名である。B図は“サギ(鷺)を図化したものであろう”と推測されているナスカにおける最大の鳥の地上絵である。この鳥の地上絵の全長は約300m、翼長は約90mである。
A図の「卑弥呼」の地上絵の全長は約8.5km、翼長は約9kmである。
(C) 2014 OHKAWA
C図に示すように、「卑弥呼」の地上絵の全長を8.5cm・翼長を9㎝に縮小する倍率でB図のナスカの最大の鳥の地上絵を縮小すると、その全長は0.3cm(3mm)、翼長は1mm以下の0.9mm(0.09cm)となる。
◆ナスカの最大の鳥の地上絵よりもはるかに巨大な「卑弥呼」の地上絵は、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の祖(おや)の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」と記載された豪族が作製した。
わがブログ「日本が滅びる」の81~83にて――『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話における「天照大御神」は「第8代孝元天皇と天照大御神・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)との間に生まれた第10代崇神(すじん)天皇」であり、「須佐之男命」は「第9代開化天皇(伊耶那岐命)と伊耶那美命(倭女王壱与・竹野比売)の間に生まれた比古由牟須美命(ひこゆむすみのみこと)」であることを解明した。そして、「崇神天皇の生母の倭迹迹日百襲姫命=伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)」は、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場するに登場する「天照大御神」である。
つまり、崇神天皇母子の渾名(あだな)は大和朝廷の基礎を築いた皇祖・天照大御神であったことになる。
『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話は――開化天皇が異母弟の倭迹迹日百襲姫命が生んだ息子の御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと╱天照大御神=後の崇神天皇)と息子の須佐之男命が国を二分して戦争する倭国の大乱を心配して、天照大御神(御真木入日子印恵命)に譲位して大乱を回避しようとした。ところが、譲位された崇神天皇・天照大御神は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民を憎悪して酷(ひど)い迫害をおこなうにちがいないと考えた五人の王たちは崇神天皇・天照大御神王朝を倒して、熊野に須佐之男命王朝を創設するクーデターを計画した。しかし臨終間近の開化天皇は息子・須佐之男命を枕元に呼び寄せて、五人の王たちのクーデター計画に加わらずに「多賀(たが╱多くの子どもが生まれ、豊かな農作物が実る国家の安定)に努めろ」と命令して没した。この父の遺言にしたがってクーデターを断念した須佐之男命は天照大御神と不戦の誓いを現在の奈良県桜井市の磯城瑞籬宮跡(しきのみずかきのみやあと)の北側の狭井(さい)川の岸辺・天之真名井(あまのまない)でおこなった。これゆえ、天照大御神王朝を倒すクーデター計画は失敗し、五人の王たちやその子孫やあるいは後継者たちは天照大御神王朝に討伐されまたは懐柔(かいじゅう)されることになった。
このクーデター計画に北九州の宗像(むなかた)地方を治める王・天菩比命(あめのほひのみこと)も参加した。この天之菩比命の一派には7人の建比良鳥命が従っていた。この7人の一人が、遠江国造の先祖の建比良鳥命であった。
遠江の建比良鳥命は【日本建国の〔愛〕の理念】を掲げたクーデター計画の失敗に「なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、こうなるのだ」と悲嘆し、ならば崇神天皇・天照大御神王朝が抹殺せんとする伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えることにすると決意して、当時における最高学芸(益氏が伝えた精密地図作製方法と夏音文字の学芸)を貯蔵・保存するA図の1千万坪の「卑弥呼」の地上絵を完成させた。精密地図作製方法と夏音文字の学芸は国家と天皇政治の政権基盤であり、国家と王朝が独占管理する最も厳重な機密であった。ゆえに、「卑弥呼」の地上絵は一地方豪族が絶対に作製し私蔵してはならないと厳重に禁じられているものであったので、これを知られると遠江の建比良鳥命家の一族は王朝に皆殺しにされた国家と王朝の崩壊を謀る大犯罪であった。しかし、遠江の建比良鳥命の決意は固くその情熱は熱く、天照大御神王朝が敵視する【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために、永遠に形が変わらない銀河各部の形状を文字とする夏音文字で真実の歴史を伝える「卑弥呼」の地上絵を完成させた。
『魏志』倭人伝に記載されるように卑弥呼は240年頃に死去し、この約20年後に建比良鳥命は「卑弥呼」の地上絵の作製を260年頃から着手した。このため、「卑弥呼」の地上絵は『魏志』倭人伝の全記事が正しく事実を伝えていると【科学】の基に証明できる遺跡となり、『古事記』上巻の日本神話の全記事も正しく事実を伝えていると【科学】を基に証明できる史跡となった。
また、今日において「卑弥呼」の地上絵は【科学】の基に「世界の文字は銀河から作られた」と証明できる世界的に第一級の奇跡の遺跡となった。
これゆえ不呼国の証明・解説は、今回と次回の2回のブログでおこなうことにする。
◆前回のわがブログ「日本が滅びる・125」で、D図に示す13番目の「都支国」は「旧国の志摩を除く現在の三重県」であり、15番目の「好古都国」は「現在の愛知県東部、旧国の三河」であることを解説・証明した。上記したように、16番目の小国「不呼国」は「卑弥呼」の地上絵が現存する「現在の静岡県西部、旧国の遠江」である。
前回のブログまでで解明したように、『魏志』倭人伝が「卑弥呼は鬼道(きどう)に事(つかえ)る」と記載する「鬼道」は「鷹を鬼(神)と崇(あが)めて斎(いつ╱伊都)く祀り、[玄]のキャッチを基軸とする天文地理術と夏音文字の学芸」であった。
E図右上に、[玄]を表示した。E図に示す「天頂点を通過する銀河部位の軌道」は「鬼道」の[道]をあらわした。
[玄]をキャッチすると天頂緯度線と子午線が測定できるので、精密に観測地点の緯度と子午線(経度)が測量できた。だから、A図・C図に示す巨大な「卑弥呼」の地上絵を図化することができたのである。
B図のナスカの地上絵は先ず2m四方ほどの面積に原画を描き、あとは支柱と綱を使用して、その原画を比例の方法で拡大したとされる。ナスカの地上絵は平らな土地に、また綱を撓(たわ)みがなくピーンと張れるほどの長さの範囲に描くものであったから、比例の方法で作製できた。しかし、「卑弥呼」の地上絵には綱をピーンと張ることができない障害物となる山・丘・川・森・巨岩などがあり、また何キロメートルも綱をピーンと張ることは絶対にできないので比例の方法では1千万坪の「卑弥呼」の地上絵を図化することは絶対に不可能である。
「卑弥呼」の地上絵は夏音文字の学芸の基軸となった、E図に示す〔[玄]をキャッチする方法〕によって図化された。要するに、当時、巨大な「卑弥呼」の地上絵はただ一つ〔[玄]をキャッチする方法〕ならば図化することができたが、他の方法では図化することはできなかった。
◆前回のわがブログ「日本が滅びる・125」で解説したように、司馬遷著『史記』五帝本紀と夏本紀に登場する名門・益氏は“夏の始祖”の禹(う)が願った五帝時代以来の国家を創設しないで多数の氏族から最も優秀な人物を帝王に選ぶ氏族共同体制を新天地・日本列島で継続させるために、東北地方の男鹿半島・米代川流域縄文文化圏に移住した。この益氏の日本列島移住は『日本書紀』神武天皇紀初頭の天祖降臨史として記述され、『古事記』上巻の天孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)の筑紫降臨史を語る記事でも示唆(しさ)される。
秋田県北秋田市に所在する国の特別史跡の伊勢堂岱遺跡と秋田県鹿角市(かづのし)に所在する国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)には、帝益の孫の王子(天祖)と若者たちが男鹿半島・米代川流域に移住して根づかせた精密地図作製方法と夏音文字の学芸知識が現在も失われずに残っている。
五帝時代最後の帝舜(しゅん)の時代に代々約200年間余も、名門益氏は「虞(ぐ)」と呼ばれる〔精密中国海岸線地図を作製する官職〕に従事し、日本列島に移住する折りに携えてきた。また、益氏が根づかせた夏代初頭の夏音文字は『魏志』倭人伝の人名・小国名として現存し、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く1字1音文字として現存する。
そして、『魏志』倭人伝と同じ3世紀後半に作製された「卑弥呼」の地上絵には益氏がもたらした精密中国海岸線地図と夏音文字の学芸が貯蔵・保存された。
◆上記したように、益氏が従事した「虞」は〔精密な中国海岸線地図を作製する重職〕であり、この地図は五帝時代の歴代王朝が最も厳しい機密とした。この益氏が作製した地図について、中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』の繋辞(けいじ)上伝は「易は天地と準(なぞら)う。ゆえに能(よ)く天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察(あきらか)にする」と記述する。
『説文解字』は[易]の字源を「蜥易(せきえき)なり」すなわち「トカゲなり」と解説し、トカゲには「かならずもとのすみかにもどる帰家性」があるので、[易]の字源は「遠い地に旅する時や大海を往来する時、あるいは山地や密林や原野などで迷った時、かならず家族が待つ家に帰還できる術」のことであった。E図に示す[玄]、つまり「4~6秒間で測る天頂緯度線と子午線のキャッチ」は[易]の字源をあらわした。
これゆえ、『易経』繋辞上伝の「易は天地と準う」という文は「[玄]をキャッチすれば観測地点の天頂緯度・子午線が測定でき、おのずと観測地点の緯度・子午線(経度)が精密に測定できる」すなわち「〔[玄]のキャッチ〕によって天と地の緯度と子午線が精密に測量できた」ので、『易経』は「仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す(明らかにする)」、要するに「精密な中国海岸線地図が作製できた」と伝えていることになる。
高田真治・後藤基巳訳者『易経(下)』(岩波書店)は「弥綸」という語が「つくろいおさめる、洩れなく包みこむ」と意味すると記す。F図に示す「山東半島」を「カンムリカイツブリの頭部(横顔)」に、また「山東半島の付け根から南北の海岸線」を「カンムリカイツブリの両翼」に類似すると見立てて、[弥]の字源は「カンムリカイツブリ」と定められた。F図に示す「長江口北端から杭州湾南端までの海岸線」は「衣が裂けるような形」であるが、「杭州湾南端から南へ続く海岸線」は[弥]の字源「カンムリカイツブリの翼の形」のように滑らかな円弧を描く。だから、「弥綸」という語は「長江口から杭州湾の衣の裂けるような形はつくろいおさまって、海岸線は中国全土を洩れなく包み込む」と意味した。
わがブログ「日本が滅びる」の87・88回にて解説したように、F図の〔中国海岸線〕は〔人の横顔〕や〔虎の横顔〕に類似すると見立てられ、F図下部に示す「杭州湾」は〔人の口〕あるいは〔虎の口〕と解釈すると定められて[呼]あるいは[虎]の下に[呉]が加えられる[虞](益氏が代々従事した官職名)の字源となった。
「杭州湾」は〔人の口〕に見立てると定められたゆえ、『説文解字』は[呼]の字源を「息を外(は)くなり」と解説した。
G図に示すように、[呼]の字源地宜となった「杭州湾」は〔鳰(にお╱カイツブリ)の姿〕にも類似する。ゆえに、「鳰」は[呼]の字源となった。
◆[不]の字源について、わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は下記のごとく解説する。
――否定・打消の「ず」に仮借して用いる。もと象形で花の萼柎(がくふ)の形であるが、その義に用いられることは殆どなく、その本義には柎(ふ)などに用いる。『説文解字』に「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり。一に従ふ。一はなほ天のごときなり」という。字形を鳥が高く天に向かって飛ぶ形とし、そのまま「下り来らず」と否定の義に導くが、その義は仮借の用法で、字はもと花の萼柎の形である。
F図にて説明した[弥]の字源となった「山東半島」と「カンムリカイツブリ」を、H図に示した。H図に示すように、「山東半島」は「カンムリカイツブリの横顔」に類似すると見立てられた。[弥]の字源「カンムリカイツブリ」は冬に山東半島の河川・湖沼・湿原・河口・沿岸部など飛来して生息し、夏には去って生息しない冬鳥である。『説文解字』の[不]の字源解説は「中国全土を弥綸する中国海岸線」は「夏になると山東半島から去る、天を飛翔するカンムリカイツブリの姿に類似する」と解説するものであった。わがブログ「日本が滅びる・113」で解説したように、H図左図に示す〔山東半島の南岸東端の石島(シータオ)と付け根の日照(リ―チャオ)を結ぶ線は緯度線に対して30度の角度〕で「夏至の日の出の方角」を示す。しかし、カンムリカイツブリは夏には山東半島に生息しない冬鳥であるゆえ[不]は否定・打消の「ず」をあらわすことになった。
I図のごとく、G図に示した「杭州湾」は「花冠と萼柎」の形に類似する。
J図に示すように、上図の「女性生殖器の正面図」と下図の「花の生殖器」は一見すると類似しあう。ところが、「女性生殖器の膣(ちつ)は子(胎児)が生まれる産道(子宮口から膣口まで)となるが、膣に相当する花の萼柎は花弁が集まる花冠(かかん)を支える台であり、萼柎からは子(すなわち、実)は生まれない(子房が熟して子(実)が生まれる)。ゆえに、「花の萼柎(台)」をデザインする[不]の契文・金文の字形は「子(実)が生まれず」の否定・打消の「ず」を表現するものであった。だから、[不]の字義は「子が生まれず」とあらわすものと定められたため、[不]の字義は「萼柎=台」をあらわさなかったのである。
『説文解字』の[不]の字源解説は、H図にて解説したように[弥]の字源「カンムリカイツブリは夏に山東半島に生息しない」という解釈にもとづく。いっぽう、白川静著『字統』の[不]の字源解説は、J図に示したように「花の萼柎からは子(実)が生まれない」という解釈にもとづいた。
◆わがブログ「日本が滅びる・118」で、『魏志』倭人伝の7番目の「不弥(ふみ)国」について――F図に示す[弥]の字源「山東半島の海岸線」はK図に示す「福岡県福津市の津屋崎町の海岸線」に相似し、「宗像市の平野部」は[弥]の字源「頸が長いカンムリカイツブリの姿」に相似すると見立てられた。K図右図に示す[弥]の字源となる「転回方位にもとづく津屋崎町・宗像市平野部の地宜」は[不]・[弥]の字源をあらわした。というのも、L図左図の[天]の字源地宜となるL図右図の一大国・現在の長崎県壱岐に向かって、M図に示すように「津屋崎町・宗像市平野部の地宜」が飛翔するがごとくに観えるからである。ゆえに、M図の[弥]の字源をあらわす「津屋崎町・宗像市平野部の地宜」は『説文解字』の[不]の「鳥飛んで上翔し。下り来さざるなり。一に従ふ。一はなほ天のごときなり」という字源解説に合致する。だから、その小国名は「不弥国」となった――と証明した。
「旧国・遠江」の「不呼国」という小国名は、浜名湖北部にある「引佐細江」という名の支湖周辺の地宜から成立した。「不呼国」の[不]は、J図に示す白川静著『字統』の「花の萼柎」が否定・打消の「ず」をあらわす[不]であり、『説文解字』の「息を外くなり」と解説する[呼]の字源にもとづいて成立した。
前述した『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に記載される「宗像君の天菩比命」は【日本建国の〔愛〕の理念】が抹殺されると思い込んで崇神天皇・天照大御神王朝を滅亡させるクーデター計画の先頭に立つ王の一人であり、K図に示した不弥国を治める王であった。そして、A図の「卑弥呼」の地上絵を作製した建比良鳥命は不呼国・遠江に居住する豪族で宗像王・天菩比命クーデター計画グループに所属する7人の建比良鳥命の一人であった。
◆N図に、不呼国であった現在の静岡県西部の浜名湖と「卑弥呼」の地上絵を示した。
1498年(明応7)8月25日、大地震のため遠江国荒井崎(N図上部の新井町東部)が破壊され浜名湖と外海とが通じるようになった。ゆえに古代の浜名湖は現在の浜名湖よりも小さく、O図のごとくであったと推測されている。
1498年の大地震によって破壊されなかった浜名湖の支湖・引佐細江の地宜は現代と変わらず、O図に示すとおり「萼柎の形」に類似して[不]の字源をあらわした。「萼柎」は「うてな」ともいい、新村出編『広辞苑』(岩波書店)は「台(うてな)の意からいう」と解説する。浜名湖の支湖の引佐細江は「台(うてな)」という語に合致して台形である。
P図に下部に示す「都田川の水は引佐細江に流れて、上流からの土砂を引佐細江へ吐(は)く」ゆえ、『説文解字』の「息を外(は)くなり」と解説する[呼]の字源をあらわす。また、P図右側の「大崎半島の付け根・寸座岬・引佐細江の西岸の地宜」は〔人の横顔〕に酷似して「息を外くなり」のイメージを示す。また、奥浜名湖(浜名湖北部)の東岸にある「内浦」と「現在の村櫛半島の地宜」も〔人の横顔〕に相似して、『説文解字』の[呼]の字源解説「息を外くなり」のイメージを示した。
以上のごとく、P図に示す「引佐細江周辺の地宜」は[不]・[呼]の字源をあらわしたゆえ、「現在の静岡県西部」の小国名は「不呼国」となった。
Q図に「A」と記す地はE図右上に示した[玄]で天頂緯度線と子午線を測量して設置された経緯度原点であり、滝峯不動尊もまた[玄]で測量されて設定された子午線(経度)・緯度の基点であり、A地と滝峯不動尊の経度軸から29度(緯度軸から61度)の邪(なな)めの2本の線が交わる引佐町の八幡宮も基点となる、大三角が形成された。この大三角を基に様々な三角形の網や鎖を形作る三角点を基準にする測量によって、1千万坪の面積にする「卑弥呼」の地上絵が図化された。
◆今から約5000年前の五帝時代初頭に生存した“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)は、「秋の銀河と夏の銀河各部の形状を字源・字形・字義とするすべての文字」はR図に示す「十字の銀河」を「母体」として生まれると定めた。また、「すべての文字」は「十字の銀河の子宮」から生まれると定めた。この倉頡が発明した漢字作成原理は「鳥獣の足跡」または「鳥獣の文」と名づけられた。
S図の[字]の字源解説図は、漢字作成原理「鳥獣の足跡」の「すべての字は十字の銀河を母として生まれる子どもである」という定義を示すものとなった。
この結果、T図に示す範囲の銀河から最も多くの文字が生まれた。
P図に示す現在の村櫛半島となった「浜名湖東岸」を「十字の銀河」に見立てると、「大崎半島から引佐細江西岸までの地宜」は「鬼の横顔に似る銀河」に相似する。ゆえに、「大崎半島から西側の浜名湖北岸と陸地(三ケ日町)」は「鬼の姿に似る銀河」に相当する。また「引佐細江」は「日輪の銀河・激流の銀河・長方形の暗黒天体部」に相当する。
U図に示すように、引佐細江に水が流れ込む都田川の沖積平野の形は胎児の姿に相似する。ゆえに、倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」を表示することになった。
わがブログで幾度となく取り上げまた「日本が滅びる・124」で指摘したように、『日本書紀』崇神天皇紀が「倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)は箸墓に葬られた」と記述する。
V図に、「倭迹迹日百襲」という名をあらわす字源銀河を示した。その内の[百]の契文形にある「三角形」は、これまで私は一度も指摘しなかったが、Q図に示す「大三角=三角測量」をあらわすものであった。V図に示す[百]の内の「三角形」の字源は「激流の銀河の先端部」である。
前述したようにP図の「引佐細江」はT図に示す「激流の銀河」をあらわした。ゆえに、V図の「激流の銀河」をあらわす「引佐細江」は「三角測量」を表象することになった。
だから、P図に示す[不]・[呼]の字源を表示する「引佐細江」は[玄](天頂緯度線と子午線の測量)・三角測量・漢字作成原理「鳥獣の足跡」を表示する重大な場所となった。ゆえにQ図に示すように、建比良鳥命は引佐細江東岸の都田川河口近くの地点を「卑弥呼」の地上絵の経緯度原点・三角測量原点(A)と定めた。
なお、Q図上部右側にある引佐町(金指・井伊谷地区)の地宜は、W図に示すように上南・下北とするG図にて解説した[呼]の字源となる「鳰と浮巣」を示す。
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