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2014年9月24日 (水)

日本が滅びる・130

『魏志』倭人伝に記載された倭国のすべての小国の解明をめざして(6)

愛、あざやかに永遠であれ(68)・箸墓記事と天皇の王冠(34)

 

■『魏志』倭人伝が記述した真実の日本列島の解説(12)

 

◆これまで幾度となく証明したように、『魏志』倭人伝の15ヶ所のすべての方位事は「A図に示す錯覚の転回日本列島地理を、卑弥呼王朝は制定していた」と今日に伝えるものであった。

 A図の「錯覚の転回日本列島地理」は、B図に示す[]の字源「時計回りに方角を90度転回する方位規定」をあらわした。だから、A図の「錯覚の転回日本列島地理」を制定した卑弥呼王朝が統治した国名は「倭」となった。

B図に示す[]の字源「転回方位規定」は、C図右上に示す〔[]のキャッチ(天頂緯度線と子午線の測定)〕によって定義された。卑弥呼王朝の政権基盤は夏音文字の学芸であり、夏音文字の学芸は〔[]のキャッチ〕を基軸にする学術体系であった。だから、日本列島は東に伸びずに南に伸びると錯覚の日本列島地理が出現することになった。

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(C) 2014 OHKAWA

◆わが国には今から4050年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状」を【文字(字源・字形・字義)】とする夏音(かおん)文字が伝来していた。

夏音文字は『魏志』倭人伝の人名・小国名に用いられて現存し、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く1字1音文字となって多数現存する。

今から約5000年前の五帝王時代初頭の黄帝につかえた史官・倉頡(そうきつ)は、漢字作成原理「鳥獣の足跡」を発明した。ゆえに、先人たちは倉頡を“漢字の始祖”と崇拝した。倉頡は自ら考案した文字が最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学術を手に入れて革命に利用したならば王朝は容易に滅亡すると考えた。このため倉頡は王朝をまもるために――(1)秋の銀河と夏の銀河の各部の形状から文字が作られたことを絶対に暴露してはならない (2)文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を絶対に付けてはならない (3)書いた文字が用済みになったならば、必ず文字を直ちに消すことまたは消し忘れてはならない――という3つの掟を定め、この掟を破った人物には神罰がくだって即刻に死刑に処せられると定めた。今から約4050年前にわが国に伝来した夏音文字は上記の倉頡が死刑にするという3つの掟を厳重に守ったため、夏音文字の史料が出土しないことになった。

今から約3300年前の殷代(いんだい)後半の亀の甲羅・獣骨に刻まれた契文(甲骨文字)(3)の掟を最初に破った。ゆえに、契文の史料は出土することになり、学者たちは契文を漢字の最も古い祖型と定めた。しかし、この定説は根本的に誤っている。上記したように、漢字の最古の祖型は「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状」であった。

「漢字の最古の祖型は銀河各部の形状であった」という真実は、『魏志』倭人伝に記載された33ヶ国の小国名(A図参照)によって科学的に証明される。わがブログは「日本が滅びる・118」から前回まで、倭の30ヵ国の小国名で一点の矛盾もなく不合理な点も生じることなく【科学】が成立する証明をおこなってきた。今回は残る3ヶ国の小国の位置と範囲を解明によって「漢字の最古の祖型は銀河各部の形状であった」ことが完全証明される。

『魏志』倭人伝に記載されたA図に示す倭の小国名は夏音文字と楷書の字音とで構成されるものであり、楷書の字源・字形・字義もまた夏音文字と同じく秋の銀河と夏の銀河各部の形状であることが完全証明される。つまり、後漢時代(25220)から起源した楷書は契文と同じく上記の倉頡が定めた(3)の掟を破る文字であるが、(1)(2)の掟は厳重にまもって倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」に則って作られた。

したがって『魏志』倭人伝に記載されたA図に示す33ヶ国の小国名は、夏音文字と三国時代(220280)の楷書の字源・字形(字形の原形)・字義が秋の銀河と夏の銀河各部の形状であったことが完全証明できる重大な史料である。

◆日本列島の倭国から魏都や魏の出張機関があった朝鮮半島に到着するには、北九州より北側の「玄界灘」を必ず渡らなければならない。

当時、中国の人々は「玄界灘」を渡ることができなかった。というのも、紀元前1世紀に完成したシナ天文が最も重視する〔天の北極〕を基準にする方法では緯度と子午線が不正確に測量されるので、「玄界灘」に入ると迷って命を落としたからである。「玄界灘」はその名のとおり「天の北極を基準にすると渡ることができない。しかし、緯度と子午線が精密に測量できる〔[]をキャッチする方法(C図)〕ならば往来できた波の荒い大海」であった。

その証拠に、中国の正史『後漢書(ごかんじょ)』倭伝には「シナ天文が完成していなかった紀元前3世紀に生存した中国の方士の徐福(じょふく)と童男女たち数千人は〔[]をキャッチ〕して大海を渡り日本列島に移住住することができたが、シナ天文が完成して〔天の北極〕を最も重視した3世紀になると、中国の人々には日本列島は遠くとなり途中で海の道が絶えて往来することができないことになった」という記事がある。

この記事が明確に示すように、〔天の北極〕を基準にすると玄界灘は往来できなかった。しかし、〔[]をキャッチする方法〕ならば大海を渡ることができたことは、科学における事実である。先人たちはシナ天文が最も重視する〔天の北極〕では渡ることができない事実を知って、「玄界灘」という海の名を後世に残した。

だから2世紀~3世紀、シナ天文のために〔[]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣〕を失った魏と帯方郡の使節は玄界灘を渡ることできなかった。一方、倭国では〔[]をキャッチする眼力と技を鍛える習慣〕が栄えていたゆえ、倭の使節が玄界灘を往来して魏と倭の国交を結んだので、『魏志』倭人伝が3世紀後半(280289)に著作された。

学者たちが“文献批判”を何ヵ所も加えて立論する邪馬台国説は今日と同じ〔天の北極〕がある方角を〔北〕と断定する実際の日本地図を立論基盤とする。このような考えだと魏・帯方郡とそして倭の使節までも玄界灘を往来できなかったことになるので――魏と倭は国交を結ぶができず約2000字で構成される『魏志』倭人伝には1字も文字が書かれていない白紙であったことになる。

だから、学者たちが自由自在にあやつる“文献批判”は完全なる「誤読」であり、学者たちが立論する邪馬台国説の実体は「誤読の空理・空論」であった。

◆D図に示す「卑弥呼」の地上絵は、『魏志』倭人伝と同じ3世紀後半(260290年頃)に作成された遺跡である。「卑弥呼」の地上絵は『魏志』倭人伝のすべての記事は事実を伝える――すなわち卑弥呼王朝はA図に示す錯覚の転回日本列島地理を制定し、『魏志』倭人伝が「倭には文字があった」と伝える2ヵ所の文と33ヶ国の小国名をもって倭には夏音文字が実在した――ことを科学的に立証できる遺跡である。

この重大な遺跡・「卑弥呼」の地上絵は、現在は静岡県浜松市北区の細江(ほそえ)町の行政区域を表示する地図の形として日本地図上に存在する。

D図の「卑弥呼」の地上絵はちょうど1千万坪の巨大な鳥の形に設計され、鳥の顔の正面は「夏至の日の出の方角(東北29)」に向き「夏音文字の学芸はわが国に伝来して、実在した」と伝える。

E図上図に示す「夏の銀河の西南部」は〔象の頭と長い鼻の形〕に相似する。E図下図に示すように、「卑弥呼」の地上絵の都田(みやこだ)川の沖積平野より西側は上図と同じく〔象の頭と鼻の形〕に設計された。

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(C) 2014 OHKAWA

D図・E図の「夏至の日の出の方角」を向く「鳥の顔」は〔歩く人の足〕にも相似するように設計され、「足跡」が連想できる。「鳥」と〔象〕の「獣」と「足跡」で「鳥獣の足跡」となり、倉頡が発明した漢字作成原理をあらわす。ゆえに、「卑弥呼」の地上絵は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」の全貌も科学的に解明できる。

◆わがブログ「日本が滅びる」で幾回も指摘したように――今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝は、東洋最古の医学書『内経』を作った。この黄帝の医学研究は〔女性生殖器と胎児の出産〕を中心とした。当時、黄帝が研究した〔女性生殖器・胎児の出産の学術〕をあらわす文字が存在しなかった。この文字の発明は、黄帝につかえる史官(記録官)である倉頡の役目であった。ゆえに、倉頡が考案した漢字作成原理「鳥獣の足跡」は(1)黄帝の医学研究と、(2)C図の〔[]のキャッチ〕と、(3)五帝時代に中国の天頂にめぐってきた銀河(私が秋の銀河西端の「十字の銀河」と夏の銀河東端の「鬼の姿に似る銀河」と名づけた銀河)の三者を一体化した発明であった。

 D図に示すように、当時の天頂にめぐってきた銀河部位の[](C図右上)をキャッチして「A」と記す経緯度原点を設置し、また[]のキャッチで同緯度の滝峯不動尊を設置し、さらに[]のキャッチで「A」と滝峯不動尊の子午線(経度線)より29度傾く斜めの方角線を測量した交点である八幡宮を設置して、ちょうど1千万の大鳥の地上絵すなわち「卑弥呼」の地上絵の作成原理となる大三角を形成した。この「卑弥呼」の地上絵に貯蔵・保存された精密地図作製原理は、現在の国土地理院の精密日本列島地図の作製原理と共通する。A図の33ヶ国の小国の地宜は「卑弥呼」の地上絵に残存された精密地図作製原理で図化された旧国や今日の県境の祖型となった。

 F図に示すように、E図に示した都田川の沖積平野の形は黄帝が研究した〔出産する時の胎児の姿〕に相似する。ゆえに、都田川の沖積平野は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」と一体化した〔黄帝の医学研究〕をあらわす。

G図に示すように「天頂緯度線と子午線」をデザインする「[(とう)]に、F図の都田川の沖積平野の地宜(ちぎ╱平面的に図化した地図の形)が示す「出産する胎児」の[(よう)](F図左図)が加わると[]の字となる。

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(C) 2014 OHAKAWA

[亠]の下の[]は「出産する胎児が産道を通過する時のように無欲となって、天頂緯度線と子午線をキャッチせよ」という〔[]をキャッチする時の鉄則・心得〕をあらわした。“必ず[玄]をキャッチする”という欲を有する旅人や大海を渡る人や山林や荒野などで迷った人々は、[]をキャッチできず家族が待つ故郷の家に帰還することが出来ず野晒(のざら)しの髑髏(どくろ)と化した。

だから、[]の下の[]は〔黄帝の医学研究・胎児の出産〕をあらわした。

したがって、漢字作成原理「鳥獣の足跡」はC図に示す〔[]のキャッチ〕とF図が示す〔黄帝の医学研究〕とそして〔天頂点を通過する銀河部位〕が一体化した発明であった。

◆『魏志』倭人伝は「女王国の東、海を渡ること千余里にして復()た国有り。皆倭種」と記述する。

上記の名称不明の小国は、[]の字源をあらわす転回日本列島地理にもとづくA図の右側の日本海上に浮かぶH図に示す隠岐群島である。隠岐群島は卑弥呼が居住した邪馬壱(やまい)国の島根半島に近い知夫里島(ちぶりじま)・西ノ島・中ノ島で構成される島前(どうぜん)と、その東北にあって最も大きな島・島後(どうご)の4つの大島と約180の小島からなる。だから、『魏志』倭人伝は隠岐群島の島々を一括して「皆」と記した。H図に示すように、島前と島後は〔360度の円周〕のイメージをあらわすゆえ、B図に示した[]の字源「時計回りの90度の転回」をあらわさない。これゆえ、「隠岐群島」は〔倭国に属するけれども、[]の字源を示さない群島である〕から「皆倭種」と記載された。

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(C) 2014 OHKAWA

◆『魏志』倭人伝は隠岐群島を「皆倭種」と記した後に、「又侏儒(しゅじゅ)国有り、其の南に在り。人の長(たけ)三、四尺、女王を去ること四千余里。又裸()国・黒歯(こくし)国有り」という文を続ける。

この侏儒国は『魏志』倭人伝に登場する朝鮮半島南部の狗邪(くや)韓国を1番目国と数えると33番目国となる。裸国は34番目国、黒歯国は35番目国となる。狗邪韓国は日本列島に所在せず、隠岐群島は小国名が記されないゆえ、『魏志』倭人伝が名を記す倭の小国は33ヶ国となる。

『魏志』倭人伝の33小国は卑弥呼王朝が制定した錯覚の転回日本列島地理にもとづいて記述されるゆえ、「皆倭種」の隠岐群島の「南に在る」と記載する侏儒国・裸国・黒歯国はA図右下の北陸地方に所在したことになる。

I図の北陸三小国地図に示すように、「侏儒国」は「現在の石川県南部、旧国の加賀」、「裸国」は「現在の富山県、旧国の越中」、「黒歯国」は「現在の石川県北部、旧国の能登」であった。

J図に示すように、「侏儒国」という小国名は「鬼の横顔に似る銀河」から生まれた。「裸国」という小国名は「コールサック北部」、「黒歯国」という小国名は「長方形の暗黒天体部」から生まれた。

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(C) 2014 OHKAWA

I図の転回方位にもとづく能登半島の地宜は、K図に示す中国の山東半島の地宜に類似すると見立てられて――「侏儒国」は「黄河口周辺地域」に、「裸国」は山東半島の付け根となる「日照(リーチャオ)市周辺地域」に見立てられた。そして「黒歯国の能登半島の地宜」は「膠州(チャオチョウ)湾より以東の山東半島の地宜」に類似すると見立てられた。

L図右図の「鬼の横顔に似る銀河」は「新生児の横顔。胎児の横顔」と見立てられて、[]の字源・字形・字義となった。この「鬼の横顔に似る銀河」の顔の両目は東を仰ぎ見、「鬼の横顔に似る銀河」の首に付く両目は西を見る。ゆえに、「鬼の横顔に似る銀河」に見立てられた石川県南部の加賀の地宜は〔東を向く新生児の横顔と西を向く新生児の横顔〕に見立てられて、「侏儒国」と名づけられた。

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L図右図の「鬼の横顔に似る銀河」を実際に目撃すると「人の生子すなわち新生児・赤ちゃんの顔」のごとく朱()色に輝く。ゆえに、[][]が加わる[]の字源となった。『説文解字』は[]の字源を「柔(やわ)らかなり」と解説する。「鬼の横顔に似る銀河」に見立てられた「胎児の体は柔らかく身をヘビのごとくくねらせて狭い産道を通過して誕生する」ので、「鬼の横顔に似る銀河」は[]の字源となった。

L図右図に示すように、「鬼の横顔に似る銀河」の見かけの大きさは三尺から四尺(3度から4度)である。これゆえ、『魏志』倭人伝は「人の長(たけ)三、四尺」と記載した。[][]の偏となる[]の字源はB図に示す「鬼の姿に似る銀河(鬼の横顔に似る銀河・鬼の身に相当する銀河)」であり、「鬼の姿に似る銀河」を字源とする[]は「新生児。胎児」をあらわした。だから、「人の長三、四尺」という記事は「[]の字源となる鬼の横顔に似る銀河の見かけの長さは三、四尺」と意味した。「侏儒」という語は「小人(こびと)。佝僂(せむし)」という意味があり、K図右側に配する[]の字形は〔背中にコブを有する膝を曲げて歩く佝僂(せむし╱差別的なことば)〕を図案したかのごとくになって誤解された。

K図左図に示す「黄河口」は「新生児」に見立てられて[]の字源地宜となった。「黄河口」の地宜は佝僂の背中のコブに相似する。ゆえに、「侏儒」は後世に転義して「佝僂」を意味することになった。だから、「侏儒国」という小国名は、[]の真の字源は「背中が曲がる新生児」であって「佝僂」ではないと今日に伝えている。

◆M図左側に右東・左西形式の銀河図を配した。「富山県」は「コールサック北部」に見立てられた。J図に示す「裸(はだか)」と見立てられた「コールサック北部」は「太陽と、太陽が放つ光線・陽射し」に観える「北アメリカ星雲・ペリカン星雲と、ペリカン星雲の南の3本の放射線のごとくとなる銀河部」と「北天の最輝部(さいきぶ)」と呼ばれる銀河の中間となる。ゆえに、[]の字源の「コールサック北部」は「黒く焼ける裸の部分を露出することが多くなる夏の強い陽射し」をあらわす。「コールサック」は国際的天文学用語であり「黒い石炭袋」と意味するので〔夏の陽射しで皮膚が黒く焼ける裸の人体部〕に見立てられた。「北天の最輝部」もまた国際的天文学用語であり「北半球に住む人々にとって、最も光り輝いて見える銀河部」と意味し、「北天の最輝部」は夏の強烈な陽射しのごとく、銀白色に輝く。だからM図右上にイラストで示すように、「コールサック北部」に見立てられた「富山県」は銀河の形状に基に「陽射しが強烈な夏、裸となるために肌が黒く焼ける首から胸のような形の小国」と解釈されて、名が「裸国」となった。

K図において「裸国」に見立てられた「日照市」は山東半島の南端・石島と線で結ぶと「夏至の日の出の方角」をあらわす。ゆえに、「日照」の由来は人が裸の部分を多く露出することになる「夏の日(太陽)が照る」であったことになる。

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J図に示す「黒歯」という小国名は「長方形の暗黒天体部」から名づけられた。ゆえに、小国名の[]は「長方形の暗黒天体部」をあらわす。N図に示すように、「長方形の暗黒天体部」は[]の字源である。K図に示す「膠州湾」は〔歯、すなわち臼歯(きゅうし)〕の形に類似すると見立てられて[]の字源となった。M図に示す「七尾湾」は〔口〕のような形をしているので、七尾湾に包囲される「能登島」は「歯で噛んで食べる食物」のごとくとなる。ゆえに、「石川県北部」は「長方形の暗黒天体部」の「黒」と「七尾湾と能登島の地宜」のイメージの[]が加わって「黒歯国」と名づけられた。

◆多くの学者たちは――O図左図に示す「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)」に描かれる転回日本図は、『魏志』倭人伝の15ヶ所の方位記事と合致する。この転回日本地図が証明するように、中国では古くから倭国(日本列島)は南北に連なる島々の集まりと思い込んでいたゆえ、魏使や『魏志』倭人伝の著者の陳寿(ちんじゅ)は錯覚の地理観を有していた――と断定する。しかし、学者たちの考えは〔完全なる誤読の空理・空論〕である。これまでの33ヶ国の小国証明は一点の矛盾点も不合理な点も生じずに完全に【科学】が成立する。だから、転回日本地図は卑弥呼王朝が制定した錯覚の転回日本列島地理を基にした地図であったことになる。

O図左図で黒く塗りつぶした島々をO図右図に示したように、「黒歯」と記す島の左隣の島の名は「勃海」である。この「勃海」はK図上部に示す「渤海」をあらわす。

『魏志』倭人伝は「又裸国・黒歯国有り。復()た其の東南に在りて船行一年にして参問至る可()き。倭の地を参問するに、海中洲島(しゅうとう)の上に絶在し、或いは絶え或いは連なり、周旋(しゅうせん)五千余里可(ばか)り」と記載する。この「五千余里、周旋して到着する地」を「黒歯国」であると誤読し、K図に示した渤海南の〔山東半島・黒歯〕から倭にも「勃海」なる小国が存在したという幻想を抱いた空論が、古代に出現した。

O図右側に示す「志摩」・「紀伊」の左の「大漢」は「熊野」に相当する。古代、熊野には「補陀落浄土(ほだらくじょうど)」に憧れる熱烈な信仰があった。那智の浜を船出して、生きながらにして観音が住む補陀落浄土に行き着こうという信仰を信じる僧侶たちがいたことは那智大社所蔵の「熊野参詣曼陀羅図」に描かれ、『吾妻鏡』には実際に補陀落浄土の渡海を実行した下河辺行秀の話が記載される。

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『魏志』倭人伝の「周旋五千余里」という記事の「周旋」は「360度の円周」を意味するものではない。「周旋」はB図に示す[]の字源「時計回りの90度の転回」を意味した。

F図左図に示す出産第1期・開口(かいこう)期から出産第2期の娩出(べんしゅつ)期を経て誕生する胎児の頭・顔・体は、産道(子宮口から膣口まで)を螺旋(らせん)状に周旋(転回)しながら誕生する。この「産道を周旋して生まれる胎児」は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」によってすべての文字の形(字形)の定式となった。この字形の定式はB図に示す[]の字源「時計回りに90度転回する形」にもとづいて作成された。だから、すべての字形定式にもとづき「周旋」は、「時計回りに方角が90度の転回をする」と意味することになった(この秘密は次回で詳細に解説する)

したがって上記の補陀落浄土信仰は、『魏志』倭人伝の「周旋」を「360度の円周」と誤解して生まれた幻想であったのである。

P図に示す「海のルートの終着地、すなわち裸国・越中と黒歯国・能登の東南(転回方位、現在方位だと東北)の秋田県潟上(かたがみ)市天王(てんのう)町の船越水道」が「周旋五千余里ばかりの地」となる。「倭の地を参問するに、海中洲島の上に絶在し」という文は「日本海上に浮かぶ佐渡島(新潟県)」をあらわし、「或いは絶え或いは連なり」という文は「日本海上に浮かぶ粟島(新潟県)と飛島(山形県)の様子」を説明するものである。

わがブログ「日本が滅びる・127」で解説したように、Q図に示す船越水道より北の地は夏音文字の学芸を根づかせた中国から移住した名門益氏が居住した縄文文化圏となる。船越水道の北端の東岸から夏至の日の出方向には国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき╱秋田県鹿角市)が所在する。

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大湯環状列石については、わがブログ「日本が滅びる」の29回~33回まで、あるいは92回でも詳細に解説した。大湯環状列石は司馬遷著『史記』五帝本紀と夏本紀に登場する名門益氏が今から約4050年前の夏代初頭に日本列島に移住して夏音文字の学芸を根づかせた歴史が科学的に明らかになる遺跡である。

 

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