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2014年9月29日 (月)

日本が滅びる・131

〚追補〛:『魏志』倭人伝が伝える倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」の解明

 

◆わがブログは「日本が滅びる」の118から前回の130までにおこなった『魏志』倭人伝に記載された《倭の33ヶ国》の位置と範囲の証明では、一点の矛盾点も不合理も生じずに【科学】が成立した。これによって、《夏音文字と楷書で構成される倭の33の小国名の文字の字源・字形・字義は銀河各部の形状である》ことが証明された。したがって、今から約4050年前のわが国に伝来した夏音文字と同じく、《楷書の字源・字形(字形の原形)・字義もまた銀河各部》の形状であったことになる。

『魏志』倭人伝の33ヶ国の小国名によって、今から約4050年の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に原初漢字の夏音文字が伝来したことは確かな歴史的事実となる。また夏音文字は『魏志』倭人伝だけに記載されるだけでなく、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて多数残っているゆえ、夏音文字の伝来は真実となる。

次回は、倭33ヶ国小国名の立証の総括を予定していた。しかし――『魏志』倭人伝の小国名は今から約5000年前の中国五時代初頭の黄帝の時代に生存した“漢字の始祖”の倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」の秘密が解明できる重大な史料でもあるうえに、この漢字作成原理「鳥獣の足跡」は現代において消滅したものではなく、われわれが日々見なれた馴染み深い遺産であることを証明することにした。

◆わがブログは「日本が滅びる・8」はじめ幾回となく、A図に示す「秋の銀河と夏の銀河」における各部の形状から文字(漢字)が作られた事実を証明してきた。

倉頡は――(1) A図の左上に黒く塗りつぶした「十字の銀河」を、A図の「秋の銀河と夏の銀河」の各部の形状から作られた、すべての文字を生む母――と定めた。

また、倉頡は――(2) 「十字の銀河」はすべての文字となった「秋の銀河と夏の銀河」に見立てるつまり「多即一、一即多」の理論――を考案した。(注 この「多即一、一即多」の理論は最近の分子生物学におけるDNAという小さな場に大きな・多数の情報が入っているという考えや、また大脳論であらゆる記憶情報が大脳の全体にひろがっていて局所的ではないという最近のホログラフィーの科学に共通する理論である)

B図に示す[]の金文形は倉頡の発明をあらわして「十字の銀河は秋の銀河と夏の銀河のすべての文字を生む母である」と表現するものであるので、「十字の銀河」を〔子宮に胎児が宿る妊婦()の正面形〕にして図案した。

倉頡は、B図に「十字の銀河の子宮」と記した銀河部を「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状から作られたすべての文字を生む子宮」と定めた。

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(C) 2014 OHKAWA

倉頡はC図上部の「十字の銀河」と「十字の銀河の子宮」をその銀河部だけに限定するものではなく、A図に示す「全天(文字が作られた秋の銀河と夏の銀河の全域)」にひろがる、すなわち「十字の銀河・十字の銀河の子宮=全天(すべての文字が作られた秋の銀河と夏の銀河の全域)」と定めた。したがって、「十字の銀河・十字の銀河の子宮」を図案する[(べん)]は「全天」をあらわすことになり、[]または「巨大な」をあらわす[]や「多数」をあらわす「多」の字源・字形・字義となった。そして「十字の銀河の子宮」を[]の字源・字形・字義と定めた。だから、[]の字源「十字の銀河の子宮」と[]の字源「十字の銀河」は、「一即多、多即一」の理論をあらわした。

C図に示す「鬼の姿に似る銀河」が[]の字源となり、「十字の銀河」の[]に「鬼の姿に似る銀河」」の[]が加わって[]の字源・字形・字義を示すことになった。

結局、C図の[]の図案は「全天すなわち秋の銀河と夏の銀河の各部の形状から作られたすべての字は、十字の銀河を母体とし、十字の銀河の子宮から生まれると定められた」と表現するものとなったので、倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」をあらわした。

◆これより以下は、漢字作成原理「鳥獣の足跡」における字形の定式について解説する。

わがブログ「日本が滅びる・123」でも指摘したように、今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝は、東洋最古の医学書『内経』を作った。黄帝は〔女性の生殖器と出産する胎児〕について中心的に研究した。当時、黄帝の医学研究をあらわす文字が存在しなかったので、黄帝につかえる史官(記録官)の倉頡が文字を考案することになった。

黄帝の医学研究をあらわす文字を創る、これが倉頡の文字作成目的となった。ゆえに、倉頡は、B図に示す「十字の銀河」を〔すべての文字を生む母体〕、「十字の銀河の子宮」は〔すべての文字を生む子宮〕と定め、またC図に示す[]の字源「鬼の姿に似る銀河」は〔子宮に宿る胎児。または新生児〕に見立てると定めたのである。

D図に示すように、子宮に宿る胎児の頭・体は180度の回転をして育つ。

そしてE図に示すように、出産する胎児は第1期の開口(かいこう)期から第2期の娩出(べんしゅつ)期を経て誕生する。

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(C) 2014 OHKAWA


 E図上図の第1期の開口期では、卵膜(らんまく)のふくらみ(胎胞╱たいほう)はくさび状にF図に示す子宮頸管をひろげて子宮口(内子宮口・外子宮口)を開いていき、児頭(胎児の頭)は次第に押し下げられる。児頭はG図に示す上部では左右のほうが広い、下部では前後のほうが広い骨盤口に応じて向きを変えていく。正常分娩の場合には骨盤口の入口では胎児はあごを胸につけた姿勢となって児背を母体の左または右に向ける。中ほどに進むと児頭は斜め後ろ(母体の背側)に顔を向け、骨盤口の出口(F図の外子宮口)では顔をすっかり後方に向ける位置をとる。開口期の終わりは、ほぼこの状態となる。

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(C) 2014 OHKAWA

E図下図の第2期・娩出期になると子宮口がすっかり開いて全開大(ぜんかいだい)し、胎胞がついに破れると、児頭が母体の直腸を圧迫するので怒責(どせき╱大声をあげていきみ・きばる行為)がおこり、腹圧が加えられる。陣痛と腹圧との力で、児頭はますます押し下げられ、ついにF図に示す膣口(ちつこう)から頭が見えるようになる。さらに進んで児頭の最も大きい部分が膣口を通過しようとする時には、胎児の肩の部分は骨盤口の出口を通過するため、児頭は母体の左または右に向く。肩はまず上(母体の腹側)にあるほうから先に、次いで下(母体の背側)の肩が出ると、あとは一気に生まれる。胎児はすぐに呼吸をはじめて声をあげる。

◆E図は、前回のわがブログ「日本が滅びる・130」でF図であり、これについて――第1期から第2期を経て誕生する胎児の頭・顔・体は、産道(子宮口から膣口まで)を螺旋(らせん)状に周旋(回転)しながら誕生する。この「産道を周旋して生まれる胎児」は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」によってすべての文字の形(字形)の定式となった。この字形の定式は[]の字源「時計回りに90度転回する形」にもとづいて作成された。だから、すべての字形定式にもとづき「周旋」は、「時計回りに90度の転回をする」と意味することになった――と説明し、さらに「この秘密を次回で詳細に解説する」と約束した。

 というのも、上記の説明は誤解を生じかねない記述ではないかと心配となったからである。上記の文にある「周旋」とはE図の出産第1期・第2期の「胎児の頭・肩の螺旋状の回転」を意味するものではない。私は「周旋」をE図の「胎児の頭・肩の螺旋状の回転[]の字源である」と説明したかったのである。

前回のわがブログ「日本が滅びる・130」において――『魏志』倭人伝は「其の(侏儒(しゅじゅ)国・裸()国・黒歯(こくし)国の)東南に在りて船行一年にして参問至るべき。倭の地を参問するに、海中洲島(しゅうとう)の上に絶在(ぜつざい)し、或いは絶え或いは連なり、周旋五千余里ばかり」と記述する。

上記の文中にある「周旋五千余里」の地は、H図に示す東北地方に在る男鹿半島・船越水道であると、前回のブログで提示した。

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(C) 2014 OHKAWA

I図は[]の字源解説図である。

[]の字源は「時計回りに90度転回する方位規定」である。したがって、H図下部に示すように、「東西(緯度軸)」は「南北(経度軸)」に代わる。ゆえに、現在の日本地図において侏儒国・加賀、裸国・越中、黒歯国・能登の〔東北〕に在る男鹿半島・船越水道は〔東南〕となる。だから、上記した『魏志』倭人伝の「其の東南に在りて船行一年にして参問至るべき」という文は男鹿半島の付け根にある船越水道であったことになる。

H図に示す侏儒国・裸国・黒歯国の三小国から船越水道は「一周する方角(360度の方角)」に所在しない。だから、「周旋」は今日の「一周する。円を描く」と意味するものではない。侏儒国・裸国・黒歯国から船越水道は[]の字源「時計回りの90度の転回方位」にもとづくゆえ、「周旋」は「時計回りの90度の転回」を意味するものであったことになる。

◆J図に「十字の銀河」を〔母体〕に見立て、E図下図の母体の背側に顔を向ける娩出期の胎児を当てはめた。そうすると、不合理となる。なぜならば、胎児の顔を向く母体(十字の銀河)の背側は東であり、中国大陸の東側は大海だからである。ゆえに、すべての新生児は大海に生み落とされ、人々が住む陸地では胎児は誕生しないことになって矛盾する。

五帝時代は「新生児(生子)と禾()すなわち穀物」は同一視されていた。これゆえ、白川静著『字統』は[]の字源を「生子儀礼や農耕儀礼に用いる字である」と解説する。

ゆえに、I図に示す[()]の字を創って、倉頡はすべての胎児は大海の西側の陸地で生まれると示すことができる合理を考案した。この倉頡が考えた合理について、倉頡伝説は「古来(三皇時代)の結縄(けつじょう╱易に用いる記号)に代えて、倉頡ははじめて文字を創ったので、天(没して天に昇った古来の先祖たちの霊魂)は祝福して禾(穀物)を降らせ、死霊の感泣する声が夜な夜な空に聞こえたという」と説明する。

つまり倉頡伝説はI図の[]の字源について――倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」によって銀河各部の形状が字源・字形・字義となり、三皇時代の大王たちの「包犧(ほうぎ)」、「女媧(じょか」、「神農(しんのう)」などの名をあらわす文字が創られた。この夜な夜な空に輝く銀河各部の形状の文字によって後世に歴史を伝えることができるようになったので、死霊は感泣して文字が起源した黄河中流地域に慈雨を降らせて豊かな禾・穀物を与えまた多数の子どもが生まれるようにして祝福した――と説明していることになる。

倉頡は[]の初文の[]の字を創って〔J図の東に向く胎児の顔をI図の禾の穂が西に向いて垂れる180度の転回〕をもって合理にした。この〔180度の転回〕があるゆえに、[]の「時計回りの90度の転回」を『魏志』倭人伝は「周旋」と表現したのである。

◆〔歳差〕という天文現象に則って、今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝時代の黄帝陵・黄河中流地域(3536)と水稲()が育成された地域となる揚子江(北緯32)・太湖(北緯31)の天頂緯度線を再現すると、K図のようになる。

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(C) 2014 OHKAWA

わがブログ「日本は滅びる・113」で指摘したように――中国地図出版社地図編集『中国国勢地図』(帝国書院)1987420日によると、黄帝の本拠地の黄河中流地域年間降水量は600700mmに対し、揚子江・太湖地域の年間降水量は2倍の12001400mmである。だから、I図に示した[][][]の字源となる「南→西=時計回りに90度の方角を転回させる規定」は、中国海岸線〔南〕の揚子江・太湖地域の年間降水量が中国海岸線より〔西〕の黄河中流地域にも及んで豊かな禾(小麦などの穀物)が収穫でき、また多くの子ども授かる祈願をあらわすものであったことになる。この漢字が起源した黄河中流地域における雨乞いを、倉頡伝説は上記したように「天は祝して禾を降らせ、死霊の感泣する声が夜な夜な空に聞こえたという」と表現したのである。

結局、倉頡は字形の定式を――D図に示した「胎児の180度の転回」に、I図の[]の字源となった「時計回りの90度の転回方位」が加わる形式と定めたことになる。

◆わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は、L図左図に示す[]の字形を「正字は聿(いつ)と者(しゃ)とに従う」と解説する。

[]の初文となる[]は、L図右図の「垂直に立つ柱」を「筆」に見立てた図案である。L図左図の「十字の銀河」を「垂直に立つ柱」に見立て、「十字の銀河の胸部」から垂れる「帯状の銀河」を「筆()を持つ右手」に見立てて、[]の金文形上部の図書が作られた。金文の[]における下部の[]はL図左図の「十字の銀河の子宮」をL図右図の「銀河各部の高度を測量する棒が交錯する基点(地平線となる高度0)」に見立て、「長方形の暗黒天体部」と合体させた図案された。

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(C) 2014 OHKAWA

なお、L図右図の「銀河各部の高度を測量する棒」は[(はし)]の字源・字形・字義であったと考えられる。だから、“字書の聖典”と尊重される『説文解字』は[]の字源を「箸なり」と解説する。

L図左図の[]の金文が用いられた西周代(紀元前1050~同771)の黄河中流地域(3536)の天頂緯度線は、K図の五帝時代より少し南下して「十字の銀河の胸部のあたり」を貫通した。夜空は南方に銀河や多数の星が輝くために、〔南〕が正面となる。「子午線通過」を「南中」というのは、夜空では〔南〕を正面とするからである。A図の銀河図は〔南〕を正面と定めるため、右西(観察者の右手側が西)・左東(観察者の左手側が東)となる。

西周時代の黄河中流地域から〔南〕を正面とする[]の字源銀河の形は、L図左図の左側に配する[]の字形のごとくには見えなかった。

西周時代の[]の字源銀河の形は、〔南〕を正面にするとM図左側に配する()の上南・下北図の図案のごとくに見えた。

倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」は、字形をD図の胎児の180度の回転に則ってM図中央に配する()の上北・下南図の図案のごとくにするように定めた。

さらに倉頡は字形をI図の[]の字源「時計回りに90度の転回」に則って図化せよと定めた。だから、M図の右側に配する()に示す裏返しが加えられて、[]の字形となった。なお「裏返し」は、J図の東に向く胎児を裏返しにして、I図に示すイネの穂が西に向く[]の字源「南→西の転回方位」をあらわす形にすると定められた。

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(C) 2014 OHKAWA

◆以上のごとく、金文はじめ夏音文字・契文(甲骨文字)ももちろん隷書・篆文・楷書そして現代の当用漢字の字形もまた、字形の定式は一度も革新されず踏襲されて、倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」の定式に則って形成されていたのである。

したがって、倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」は常にわれわれのそばに不滅となって存在する。というのも、われわれのまわりには常に「鳥獣の足跡」で定められた字形定式の漢字を見ない日は無い生活を送り、今この瞬間においてあなたは倉頡が定めた字形の漢字を見ているからである。

倉頡伝説で語られる「鳥獣の足跡」を、学者たちは“「雪や砂や土の上に残る鳥や獣の足跡をヒントにして文字が作られた」と解釈すべきであろうか”などと想像する実体から遠くかけ離れた意見をもって排除する。しかし、実際にはわれわれのごく身近に存在する当用漢字の字形に継承保存されており、常に馴染み深い遺産となる。

だから、倉頡が考えた「鳥獣の足跡」は今この瞬間にあなたがこのブログを見て読む漢字の字形となる不滅の歴史上の真実となる。

◆N図左図に示すように、[]の篆文(てんぶん)形は[]の字を「裏返して180度の回転」をし、さらに「裏返した180度の[]の回転形」を「90度横転させる[]」を上部に載せて構成される。

N図右図に示すように、[]の篆文形は「胎児」をあらわす[]を裏返す180度の転回形が「十字の銀河の子宮」から[]の字源「時計回りの90度の転回(周旋)」に則って生まれると定めた[]を、「十字の銀河の頭部」に載せる。

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(C) 2014 OHKAWA

というのも、O図に示すように、胎児の頭や肩が周旋することになる女性の骨盤口の形と「十字の銀河の頭部の穴(暗黒天体部)」の形は相似するからである。これゆえ、[]の篆文形上部の[]90度の転回形の「ヒ」は、前述したI図の[]の字源「時計回りの90度の方角の転回(周旋)」をあらわした。その証拠に[]の下部は[]と直角の[]の合体形であり(N図の下部を参照)、つまり[]を構成する[][]の中間に直角の[]を加えた字である。[]は「巻貝の螺旋構造のごとくなる産道を潜(くぐ)って出産する胎児」をあらわし、[]はI図に示した[]の字源「転回方位(周旋)」をあらわした。

K図に示すように、倉頡が生存した五帝時代初頭は「十字の銀河の頭部」がめぐってきた。ゆえに、[]の頭部に載せる[]は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」をあらわしていることになる。

K図に示すように、五帝時代初頭の黄帝陵・黄河中流地域の天頂には「十字の銀河の頭部」がめぐってきた。そして、水稲の生育に適した年間降雨量が2倍の揚子江・太湖地域には「女性の骨盤」に相当する「十字の銀河の腰の部分」が天頂にめぐってきた。だから、漢字が起源した〔西〕の黄河中流地域では〔南〕の揚子江・太湖地域の雨量のごとく多量の雨が降って豊かに禾(穀物)が実ることが祈願されて、I図に示す「南→西」をあらわす初文[禾]が必要となり、後に[委][]の文字が生まれることになった。

だから[]の「転回方位」はM図の〔すべての漢字の字形定式〕が示すように、漢字の字形において絶対に欠くことができない法則となった。また「倭」の字源は、N図に示す「真実」をあらわす[眞]の字形の要素にもなった。

◆新井白石(16571725)以来約280年間もの長いあいだ、『魏志』倭人伝を忠実に読解しなければならないとする古代史学の鉄則・初歩的心得を従う学者はあらわれず、“文献批判”という名の「誤読」に夢中になって空論から脱出できずに真っ赤なウソをまきちらす。

しかし、『魏志』倭人伝は“文献批判”という名の「誤読」を必要としない。

『魏志』倭人伝の15ヶ所の方位記事と33の小国名には一点の矛盾も不合理も出現せず、新村出編『広辞苑』(岩波書店)が「世界の一部分を対象領域とする経験的に論証できる系統的な合理的認識」と定義する【科学】が成立する。

だから、P図に示す[]の字源をあらわす転回日本列島地理は真実を伝えるものであり、学者たちの“文献批判”を加えて立論する意見は【科学】に反する〔誤読の空論〕であることは明白である。

また、『魏志』倭人伝の「倭の易における卜辞は令亀(れいき╱すなわち契文=甲骨文字)の法のごとく」という記事と「卑弥呼の文書に用いる文字は魏都・帯方郡・諸韓国の文字(楷書)と差錯(ささく)していたので、倭国では伊都国の港で点検し確認して間違いのないようにしていた」という、この二つの記事は「倭には夏音文字があった」また「倭の夏音文字と魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書の字源・字形(字形の原形)・字義は秋の銀河と夏の銀河の各部の形状であった」という重大な真実を伝えていることになる。

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『魏志』倭人伝が記述した歴史は多様な問題や事情が複雑にからみ合って成るものであるが、白石以前はいっさい“文献批判”を必要としない漢字は銀河から作られた学術のテキストとして先人たちは扱って『魏志』倭人伝に書かれた真実を知っていた。

なぜならば、『魏志』倭人伝に記述された真実の歴史はQ図に示す〔[]の科学〕の一つに統合される仕組みになっていたので、[]の一点に絞って考えれば真実を知ることができたからである。

P図に示すように、一大国・壱岐が浮かぶ海の名は「玄界灘」である。この「玄界灘」という名は「〔天の北極〕では渡ることができないが、〔[玄]のキャッチ〕ならば往来できる波の荒い海」とあらわした。ゆえに、先人たちは日本古代史において最も重大の歴史を後世の人々が知る方法として「玄界灘」という名を残した。

にもかかわらず、“文献批判”を「誤読」であると思わない学者たちは〔天の北極〕を基準として〔北〕を定める事実の日本地図を基盤として思考するが、この考えだと魏・帯方郡と倭の使節は玄界灘を渡ることができなかったことになるので約2000字で構成される『魏志』倭人伝は文字が1字も書かれていない白紙となる。

だから、白石以来の伝統的な学者たちの邪馬台国論は〔[]の科学〕の真実によって、一瞬にして荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメであることが事実となる。

白石以来長いあいだ邪馬台国論争が決着できない原因は、学者たちが「誤読」の夢中になって“文献批判”が「誤読」であることにまったく気づかないからである。

学者たちが夢中になる誤読の空論の邪馬台国論はナチスがユダヤ人に対して組織的に行った大量虐殺〔ホロコースト〕と同じく日本人を絶滅する大暴論である。これについては、「日本が滅びる」の134回以後に証明してゆく。だから、空論の邪馬台国説をまきちらす学者たちの行為は日本人が最も憤慨すべき詐欺行為であることになる。

3世紀後半以後の日本古代史には“〔愛〕を建国理念とする日本は滅びてはならない”と心願を抱いた先人たちの日本建国の〔愛〕の理念を抹殺せんとした天照大御神の呪い・祟りへの抵抗が貫かれることになった。強大な朝廷の権力に抵抗する先人たちは“日本は滅びてはならない”というメーセージとして「玄界灘」という名を後世に残したのである。

さらに、白石以後に受け継がれ学者たちが主張する邪馬台国論は、全人類にとっても世界の古代文字(古代エジプト文字はじめとする古代文字)が漢字と同じ銀河範囲(A図)の各部の形状から作られた事実を科学的に解明できる確かな方法を抹殺する、世界中の人々から“真っ赤なウソ”と誹(そし)りを受けるべき空虚きわまりない空論である。

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