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2014年10月17日 (金)

日本が滅びる・134

すべての日本国民は真実の日本国誕生史を知る権利がある

●ますらおたちの黙示録╱愛、あざやかに永遠であれ(1)

 

■序

 

◆日本は愛であった。愛は日本であった。日本は、愛・愛・愛・愛・愛であった。

3世紀に伊耶那美命が死去して以来、先人たちにとって愛をまもることが日本となった。だから、今日にあっても愛の歴史を守ることが日本となる。

 前回のわがブログ「日本が滅びる・133」で証明したように――新井白石(16571725)以来、学者たちは「誤読」を自由自在にあやつって【日本建国の〔愛〕の理念】と【日本国誕生史】を後世に伝えた先人たちの努力を水の泡にした。

愛イコール日本であらんことを先人たちは願った。人々は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重して生きた。だから、日本は愛であった。愛は日本であった。

愛は日本人の命となった。愛は日本の魂となった。

強大な権力を求める王政にとって【日本建国の〔愛〕の理念】は最強の抵抗思想となった。だから、人民が欲求する愛は強大な権力を願う王政にとって憎い敵となった。

3世紀後半以来、愛は王政に対抗する最強の思想であり、人民の生きる術(すべ)となった。このため、【日本建国の〔愛〕の理念】を抹殺せんとする政策に抵抗するますらおたちの歴史が日本古代史を貫くこととなった。

◆前回のわがブログ「日本が滅びる・133」で指摘したように、奈良県桜井市に所在する箸墓古墳に葬られた倭迹迹日百襲姫命(やまとととびももそひめのみこと)は第10代崇神(すじん)天皇の生母・伊香色謎命(いかがしこめのみこと)であり、そして天照大御神であった。この「天照大御神」は『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「伊耶那美命」であった。

伊耶那岐命は第9代・開化天皇であり、小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)であった。伊耶那岐命の正妃は伊耶那美命であり、第2后が伊耶那岐命の父(孝元帝)とも結婚した継母の天照大御神であった。

天照大御神(伊耶那美)は、伊耶那美命が没すると倭女王に就任した。

『魏志』倭人伝の末部は「卑弥呼はすでに死んだ。大きな墓を作った。円墳部の直径が百余歩(150メートル)もあった。奴碑(ぬひ╱18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女)百余人を殺して卑弥呼の墓に埋める徇葬(じゅんそう)が行われた。この徇葬を国中の人民は憎悪して反乱をおこして武器を持って戦い、卑弥呼の後を受け継ぐ男王に服従しなかった。そこで、倭政府軍は千人余の反乱者を殺した」と記述する。

上記の卑弥呼の墓を作った時に人民が憎悪して反乱をおこした残酷な徇葬を再度、倭女王・天照大御神は決行した。伊耶那美命の陵墓は熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)に築造されることになり、天照大御神は残虐な徇葬を陣頭指揮した。『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は「徇葬」を「八雷神(やくさのいかづちがみ)」と記載する。

天照大御神がおこなった徇葬は徇伊耶那美命への反発・憎悪を示すものであった。というのも天照大御神は、徇葬を行って天神(銀河)に雨乞いして豊かな実りを祈願するために奴婢を犠牲(いけにえ)にするのは当然の国家と王政の権利であると考えたからである。したがって、天照大御神は「愛こそ国作りの柱である」と主張して徇葬に猛反対した伊耶那美命を憎悪し敵視した。

妻の倭女王・天照大御神につかえることになった夫の小国・日本の軍王伊耶那岐命は愛する伊耶那美命の墓が多数の青年・乙女を犠牲(いけにえ)にする徇葬墓になることに憤激し、伊耶那美命を敬愛する配下の日本兵と熊野の戦士たちの協力を得てクーデターを決行して、伊耶那美命の墓から棺(ひつぎ)を奪い、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本(現在の和歌山県新宮市新宮に所在する熊野速玉大社)で千五百之黄泉軍(ちいほのよもついくさ╱倭政府の大軍)を撃破したクーデターによって、倭女王・天照大御神を失脚させた。

天照大御神は捕えられて伊耶那岐命が居る千引石(ちびきのいわ)の前の空洞となる場所に連行された。この「千引石」は現在「ごとびき岩」と呼ばれて、和歌山県新宮市磐盾(いわたて)町に所在する神倉(かんのくら)神社の御神体となる。伊耶那岐命が居た千引岩の前の空洞には、現在神倉神社の社殿が建ち、天照大御神が主神として祭られる。だから、「伊耶那美命」は神倉神社に祭られる「天照大御神」であった。

伊耶那岐命は天照大御神と対面すると、離縁を言い渡した。

この時、天照大御神は「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」つまり「伊耶那美命が提唱した〔愛〕の理念を尊重する人民の母親たちの狭い子宮頸管(しきゅうけいかん)をさらに狭くなるように呪って、一日に必ず千人の胎児の頭を縊(くび)り殺す」と誓った。

この呪いの言に対して、伊耶那岐命は「吾(あれ)一日に千五百の産屋(うぶや)立てむ」と述べ、伊耶那岐命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を継承すると誓った。

そして、『古事記』は「この伊耶那岐命の誓いによって、わが国では一日に必ず千人死ぬが、一日に必ず千五百人生まれることになった」と記す。

◆上記したように、『古事記』は伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は「伊耶那岐命の誓いによって、わが国では一日に必ず千人死ぬが、一日に必ず千五百人生まれるようになった」と【日本人が日本人として生きるための命】について明記する。

にもかかわらず、新井白石以来の今日までの学者たちは「誤読」に“文献批判”という誤魔化しの名をつけて、日本人の命の根源である【日本建国の〔愛〕の理念】をゴミクズ扱いして排除した。このように、日本人の命の根っことなる【日本建国の〔愛〕の理念】は学者たちによってかすめ盗られて抜き取られたために、「日本は滅びた」と言わざるをえない。しかし、私はこのブログで希望を見出そうと決意して「日本は滅びつつある。日本は滅ぼしてはならない」という思いから「日本が滅びる」と表現することにした。

学者たちの誤読の空論によって、日本人にとって最も重大な真実の歴史が失われて2006年から以後、人口は減り始めた。学者たちの中には「今や世界の豊かな国の人口は減っている。だから、日本は世界的高齢化の先端国家になれる。人口減少は危機ではなく好機である。人口減少を産業と文化として残すことが我々の使命ではないか」とたいそう御立派な御意見を述べる方々がいらっしゃるが、「誤読」でデッチあげた荒唐無稽(こうとうむけい)の虚妄(きょもう)の日本古代史が産業や文化の発展を阻止する足かせになるにちがいない危機についてはまったく考えが及ばない。日本の少子化は学者たちが「誤読」を駆使して『古事記』に明記された【日本建国の〔愛〕の理念】を排除したがために、日本人が日本人として生きるための命の歴史が抹殺されたことが一因となって起きていている。だから、日本は滅びる可能性は大いにありうる。2001年、米国の中央情報局(I)は「経済大国として日本はいずれ危機に瀕(ひん)する」と指摘した。

日本の産業と文化が発展する活力は、先人たちが【日本建国の〔愛〕の理念】をまもる手段となった〔[]の学芸〕であった。この〔[]の学芸〕は『魏志』倭人伝に明記されているが、学者たちは「誤読」で抹殺・排除した。この〔[]の学芸〕で【日本建国の〔愛〕の理念】をまもった歴史は3世紀後半から大嘗会(だいじょうえ)が本格的に復興された1738年までの約1490年である。他方、新井白石以来今日まで学者たちが「誤読」で捏造(れつぞう)した歴史は約280年である。

この約280年間のウソ八百の学者たちの空論のために、約1500年間に及ぶ真実の歴史が排除されることは日本の底力を失うということに学者たちはまったく気づいていない。先人たちが必死にまもって残した真実の歴史を闇に葬れば、上記した米国のCIAの「日本はいずれ危機に瀕する」という予想は事実となるにちがいない。

日本にとって最も大事な歴史を、学者たちは「誤読の空論」でことごとく排除する。学者たちは善良な国民を「こけ」にする。この「こけ」は国歌にある「こけの結ぶまでに」という詩の「苔」ではなくて、「愚か者」を意味する「虚仮(こけ)」である。

◆古代史は多様な問題や事情と複雑にからみ合って成立している。

()過去の出来事である古代史を、先人たちが文献で後人に伝える記述には先入観をいっさい拝して真っ先に忠実に読解するのが古代史学の初歩的原則であり鉄則である。

()また古代史学においては【科学】が最も優先される学術である。したがって、古代史学における理論的枠組みの原理原則は【科学】となる。【科学】が成立しない意見は、直ちに【空論】となるのが古代史学における原理原則である。

ゆえに、()の鉄則と()の原理原則に反する〔誤読を用いて【科学】が成立しない意見〕は権威ある学説であろうが学界の伝統的意見であろうが直ちに虚妄(でたらめ)であると断定してよいことになる。

▼前々回のわがブログ「日本が滅びる・132」では日本古代史学者たちが新井白石以来約280年、その伝統を受け継ぐ邪馬台国説について追究し、前回のわがブログ「日本が滅びる・133」では日本神話学説について考究して、両説は()の鉄則と()の原理原則に反する完全なる誤読の空論であることを証明した。

前述したように古代史は多様な問題や事情と複雑にからみ合って成立するが――白石が登場する以前の日本古代史は多様な問題や事情がそれぞれに分化して存在しながら、それらは相集まって幾つかの史跡・遺跡と日本文化となって〔[]の科学〕の一つに統合される仕組みになっていた。このすべての問題や事情が相集まって〔[玄]の科学〕の一つに組織される日本古代史は1738年に本格的に復興された大嘗会(だいじょうえ)に用いられる天皇の王冠によって集約されて表示された。
 わが国の原始から1738年までの古代史は〔[]の科学〕に統一される特性を有する。したがって、[]の科学〕の一点に絞って考えると邪馬台国説と日本神話学説は〔誤読〕を立論基盤とする完全なる空理空論であり、【科学】がまったく成立しない完全なる妄想であることが事実となる。

大海で囲まれる日本列島において中国の学術と文化を習得できた〔大海を往来できた[]の科学〕と、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】をなんとしても後世に伝えようとした先人たちの情念と使命感に、学者たちはまったく気づかない。また、学者たちは〔先人たちが日本古代史を[]の科学の一点に統合されるようにして後世に残した特性〕に気づかない。だから、〔誤読の空論〕である邪馬台国説と日本神話説に夢中になる学者たちは、自分たちの説が日本を滅ぼす原因となっていることに気づかない。

[]の一点に絞って考えれば、学者たちの邪馬台国説と日本神話解釈は直ちに「誤読の空論」となる。わがブログ「日本が滅びる・132」で証明したように、先人たちは『魏志』倭人伝は[]の一点に絞れば真実の歴史を知ることができることに注目して、【〔愛〕の日本建国理念】を[]で作成する地上絵と[]を明示する庭園を作って伝えた。

だから、先人たちが示す【[]の科学】によって学者たちの日本神話の解釈と現代語訳による全書物は【科学】がまったくそなわっていない誤読・誤訳・誤解の産物であることが直ちに明らかとなる。

◆上記した卑弥呼の墓と徇葬を憎悪する反乱の記述の前と後ろに下記に示す記事があって、『魏志』倭人伝の記述は終わる。この上下の記事について、わがブログ「日本が滅びる」の4651回までで解説して、53回で詳細に現代語に訳した。

この「日本が滅びる・53」において注釈を加えて詳細に現代語訳したものを簡略化すると、卑弥呼の墓と徇葬を憎悪する反乱の記述の前にある記事は、下記のごとくとなる。

「魏の正始八年(247)、王頎(おうき)が帯方(たいほう)郡太守と就任して到着した。倭女王の卑弥呼と狗奴国(くなこく)の男王の卑弥弓呼(ひみくこ)は素(もと)より不和であった。倭は載斯烏越(そしあお)つまり小国・日本の軍王の伊耶那岐命一行を派遣し、一行は帯方郡政庁に到着して伊耶那岐命は狗奴国と倭国の戦争の状況を説明した。そこで、王頎は塞曹掾史(さいそうえんし)の張政(ちょうせい)一行が倭に到着できる玄界灘を渡ることができなかったので伊耶那岐命一行が帰還する船に便乗させて倭に派遣した。帯方郡の使節の張政一行は魏帝の斉王の詔書(しょうしょ)と魏軍の軍旗の黄幢(こうどう)を東夷諸国の安定を図るために結んだ魏との軍事同盟に約束にもとづき狗奴国討伐が終了するまで、魏の景初2(238)12月に魏都に到着した倭国の外相の難升米(なしめ)に仮(かり)に預けた。早速、張政は檄(げき╱軍書)を作って、倭女王の壱与(いよ)つまり伊耶那美命に東夷諸国の安定のために狗奴国を討伐しなければならないと告げ喩(さと)した。」

この後の記事が、「卑弥呼の墓」と「倭の国中の人々が徇葬を憎悪して反乱をおこした」という記事である。この後の記事は、下記のごとくとなる。

「倭女王の壱与=伊耶那美命は卑弥呼の宗女(そうじょ╱卑弥呼が率いる鬼道の巫女界を代表する女性)として十三歳の時に小国・日本の女王に選ばれて赴任した。伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めた。倭政府は小国・日本の女王の伊耶那美命を倭女王に就任させた。反乱者たちは〔愛〕の伊耶那美命ならば徇葬は必ずや禁止するにちがいないと信じて戦いを止めた。だから、ついに倭は国中が安定した。伊耶那美命は張政が檄を作って告喩(こくゆ)する狗奴国討伐を拒絶した。このため、倭政府は魏と結ぶ軍事同盟の約束をまもるために、伊耶那岐命の第二后の天照大御神を狗奴国軍の呪術的戦力を奪う魔女の代役に立て、伊耶那岐命が倭軍と日本軍を指揮する大将となって狗奴国討伐が開始された。だから、張政は再び檄(げき)を作る羽目になり倭女王(代役の天照大御神)に告喩することになった。狗奴国は討伐されて滅び、新たに“吉備国”と呼ばれることになった。壱与つまり天照大御神は倭の大夫の率善中郎将(そつぜんちゅうろうしょう)の掖邪狗(ややこ)など二十人を派遣して張政一行を帯方郡政庁に帰還させると、さらに一行は魏都の洛陽に到着した。倭の使節は生口三十人を献上し、白珠(しらたま╱真珠)五千孔、青の大句珠(青い大きな勾玉)二枚、異文(いもん)の雑錦二十匹を貢献した。」

◆上記の記事が示すように、紀元前1世紀に完成した〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成したために精密に緯度と子午線を測量できる〔[]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣〕を失った魏と帯方郡の使節は、中国と日本列島を隔てる玄界灘を渡ることができなかった。ゆえに、伊耶那美命が主張したように張政の檄の告喩を拒絶して狗奴国と平和的に解決する方法が魏との軍事同盟との約束を破ったことになったとしても、魏と帯方郡の両軍は玄界灘で渡れないために倭国は攻撃されなかった。狗奴国は魔女の天照大御神の“狗奴国の人々を皆殺しにせよ”と号令のもとに滅亡した。この残虐極まりない戦果を伊耶那岐命は後悔した。倭政府は“壱与・魔女の役目を果たさなかった伊耶那美命は倭女王から退位せよ”と請求した。この倭政府の欲求に対抗して、“魏と帯方郡の軍は玄界灘を渡ることができないゆえ、狗奴国と話し合って平和的に解決せよという倭女王・伊耶那美命の命令は正しかった。倭政府こそ倭女王の命令に背く重罪を犯した”と伊耶那岐命は反論して伊耶那美命を庇(かば)い、“伊耶那美命とは離縁しない。伊耶那美命こそが正統の倭女王だ”と表明する結婚を淡路島の伊弉諾(いざなき)神宮でおこなった。

このような証明は、わがブログ「日本が滅びる」の6061でおこなった。この二度目の伊耶那岐命と伊耶那美命の結婚は、『古事記』上巻の国生み説話の初頭に記述される。「国生み」という語を学者たちは「母親が子を生むように、国土を生んだ」と誤訳するが、「優れた小国名を考えた」という訳が正しいことになる。

『魏志』倭人伝は四国を「奴国烏奴(あな)国の二つの小国に分けた」と説明する。ゆえに、『古事記』上巻の国生み説話は「伊予之二名島(いよのふたなのしま╱つまり、今日の四国)の小国名を考えて生んだ。この島は身一つ(一島)にして面(おも)が四つあることになった。面ごとに名があり、小国・伊予国の祭神は愛比売(えひめ)といい、小国・讃岐国の祭神は飯依比古(いいよりひこ)といい、小国・粟(あわ)島の祭神は大宜都比売(おおげつひめ)といい、小国・土佐の祭神は建依別(たけよりわけ)といった」と記述する。

『魏志』倭人伝は「徇葬者たち」を「奴婢」と記載する。だから、「奴国」と「烏奴国」という小国名は残忍な「徇葬」に因むことになるので、伊耶那美命・壱与は【日本建国の〔愛〕の理念】を明確に示すために小国名「伊予(いよ)国」を考えて祭神の名を「愛比売」と定めた。現在は、「伊予の愛比売」は県名「愛媛」となり、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を伝える確かな資料となる。

【日本建国の〔愛〕の理念】は「伊予の愛比売」で明確に示された。この事実は、下記の[]の一点に絞って繋(つな)げる三つの遺跡によって証明され、今日の学者たちが主張する日本神話説は直ちに「完全なる誤読の空論」となる。

この三つの遺跡は、遺跡Ⅰの「卑弥呼」の地上絵、遺跡Ⅱの彦根の大鳥の地上絵、遺跡Ⅲの桂離宮庭園である。

Image_6

  遺跡Ⅰの「卑弥呼」の地上絵は、280289年に著作された『魏志』倭人伝と同時代の260290年に作成されて、『魏志』倭人伝の全記事は真実の歴史を伝えるものであることが証明できる――ちょうど1千万坪に作られる遺跡である。「卑弥呼」の地上絵は現在の静岡県浜松市北区の細江町の行政区域を表示する地図の形として現存する。

「卑弥呼」の地上絵から約1330年後に、遺跡Ⅱの現在の滋賀県彦根市の行政区域を表示する地図の形として現存する3千万坪の大鳥の地上絵が作られた。「卑弥呼」の地上絵を作った遠江国造(とうとうみのくにのみやつこ)の先祖である建比良鳥命(たけひらとりのみこと)の後裔(こうえい)の井伊氏が1603年に着工して20年後の1622年に、彦根の大鳥の地上絵は完成した。年数で約1330年の隔たりがあるが――建比良鳥命が作った「卑弥呼」の地上絵を「親」と見立てると、その後裔が作った彦根の大鳥の地上絵は「子」となる。

遺跡Ⅲの京都府京都市に所在する桂離宮庭園は、彦根の大鳥の地上絵が完成した翌1623年から着手されて作庭者が病床に倒れた1645年までに情熱がそそがれて作られた。桂離宮の庭園は小堀遠州(15791647)が作った。守り番であった井伊家が彦根に移住した後に「卑弥呼」の地上絵が破壊されて失われることを心配した徳川家康は、1608年に30歳の小堀遠州に「卑弥呼」の地上絵の研究を命じた。遠州は科学の才能に優れ、当時の天才芸術家であったから、銀河各部の形状が字源・字形・字義となる文字の研究者として最適任者であった。だから、「卑弥呼」の地上絵の研究成果によって作られた遺跡Ⅲの桂離宮の庭園は、「卑弥呼」の地上絵の直系の「孫」となる。

◆図Aに、文字が作られた秋の銀河と夏の銀河全域の各部の名称を記した。

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[]の一点に絞って考えると学者たちが主張する日本神話説は直ちに「誤読の空論」であると断定できるために必要な資料は、下記の3種の銀河の写真である。

最初の銀河Ⅰは2013725日の朝日新聞12版・20面のキャノン株式会社の全面広告にて掲載された「秋の銀河と夏の銀河の東北部」のカラ―写真である。

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次の銀河Ⅱは、わが国の天体写真家の第一人者とされる藤井旭(あきら)氏が譲ってくださった「秋の銀河と夏の銀河の東北部」のカラー写真である。

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最後の銀河Ⅲは、藤井旭氏が撮影して譲ってくださった、図Aに示した銀河各部の名称を生んだ、銀河各部の形状が文字(字源・字形・字義)となる事実が最も明瞭となる基本銀河となる「秋の銀河と夏の銀河全域(A図に示す東北部と西南部)」の白黒写真である。

Image_5

人間の目の瞳孔の直径すなわち瞳孔径は、自動露出カメラのごとく、本人の意志にかかわりなく周囲の明るさに応じて絞りつまり虹彩(こうさい)が働いて、約2ミリから78ミリくらいまで変化する。

銀河Ⅱのカラー写真を譲って下さった時、藤井氏は「人間の目が普通に見た時の銀河」であると説明した。そうすると、銀河Ⅰのキャノンの全面広告のカラー写真は「普通に見える場所の銀河Ⅱよりも明るい場所で見える銀河」となる。藤井氏が撮影した白黒写真の銀河Ⅲは「銀河Ⅱよりも少し暗い場所で見える銀河」となる。

図Aにおける「十字の銀河」は銀河Ⅰの左上にあるが、白い靄のような銀河で全面おおわれてほとんど形が不明となる。銀河Ⅱの「十字の銀河」は青く輝き、幽(かす)かに骨格が見える。銀河Ⅲの「十字の銀河」は〔歩く人の姿〕に観え、東半身は〔弓を持つ男性の姿〕、西半身は「乳房、妊婦のような腹部、子宮を有する女性の姿」に相似する。このように、瞳孔径の相違によって同一の銀河の形は変化する。

先人たちは銀河各部の形状を見れば、現代の学者たちが主張する日本神話説は直ちに「完全なる誤読の空論」であることが明白な事実となるように、[]の一点で繋がる遺跡Ⅰ・遺跡Ⅱ・遺跡Ⅲの3つの遺跡を残した。『魏志』倭人伝は[]の一点に絞って考えれば真実の歴史を知ることができる仕組みになっていることに注目した先人たちは、[]の一点で繋がる遺跡Ⅰ・遺跡Ⅱ・遺跡Ⅲが作って、【〔愛〕の理念が掲げられた日本国誕生史】を今日に伝えたのである。

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