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2014年10月30日 (木)

日本が滅びる・138

すべての日本国民は真実の日本国誕生史を知る権利がある

ますらおたちの黙示録╱愛、あざやかに永遠であれ(5) 

 

■呉軍の東鯷人国遠征と小国・日本の誕生史(4)

 

◆『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命説話は、〔1 淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚〕、〔2 国生み〕、〔3 神生み〕、〔4 伊耶那美命の死と火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)〕、〔5 伊耶那岐命の黄泉国訪問〕、〔6 伊耶那岐命の禊(みそぎ)〕、〔7 三貴子の分治〕、〔8 須佐之男命の啼()きいさち〕の八つの説話に分かれる。

わがブログ「日本が滅びる」の133134で解説・証明したように――伊耶那岐命と伊耶那美命説話後半における〔5 伊耶那岐命の黄泉国訪問〕の条に登場する「伊耶那美命」は「天照大御神」である。したがって、当然、「伊耶那美命」は伊耶那岐命と伊耶那美命説話前半の〔4 伊耶那美命の死と火之迦具土神〕の条までに登場する「伊耶那美命」と同一人物ではない。ところが、今日の学者たちは【誤読】に「文献批判」という偽名を付けて、「伊耶那美命」を「伊耶那美命」であると断定して、「天照大御神」であると正しく読解する書物は一冊も存在しない。

新井白石(16571725)以前は、「伊耶那美命」を「天照大御神」と解釈するのが定説であった。

◆わがブログ「日本が滅びる・16」において、伊耶那美命の夫の伊耶那岐命は『魏志』倭人伝末部に登場する「載斯烏越(そしあお)」であり、『古事記』中巻の「第9代開化天皇」であると証明した。この証明は下記のごとくおこなった。

『魏志』倭人伝末部にある魏の正始(せいし)八年(247)の記事に「載斯烏越」が登場する。この載斯烏越は倭女王卑弥呼と素(もと)より不和の男王・卑弥弓呼(ひみくこ)が率いる狗奴(くな)国の戦況を語るために、魏の朝鮮半島の一角に所在した帯方郡(たいほうぐん)政庁に到着した使節団の団長であった。ということは、倭軍と狗奴国の戦況を語る載斯烏越は武将であったことになる。

わが国における中国古代文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は「載はおそらく兵車を祓う儀礼で、これによって軍行が開始されるであろう」と解説する。ゆえに、[]の字を先頭に配する「載斯烏越」は武将であったことになる。白川静著『字統』の[]の字源解説には「開始」という語が登場し、『古事記』中巻の第9代開化天皇の先頭字は[]である。

『古事記』の開化天皇紀は「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して、天下を治めた。天皇は丹波の大県主(おおあがたぬし)で名は由碁理(ゆごり)という方の娘である竹野比売(たかのひめ)と結婚した。継母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)と結婚して生まれた御子(みこ)は御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにゑのみこと)である」と記述する。この第二后の開化天皇の継母でもある伊迦賀色許売命を生母とする御真木入日子印恵命が、後の第10代崇神(すじん)天皇である。

開化天皇が居住した「伊耶河宮」の先頭2字「伊耶」は、「伊耶那岐命」と「伊耶那美命」の先頭2字「伊耶」に合致する。

したがって、「載斯烏越=開化天皇」は若き日に人民に「伊耶那岐命」と愛称されていたことになる。ゆえに、開化天皇の正妃の丹波出身の「竹野比売」は、人民に「伊耶那美命」と愛称されていたことになる。

◆前回のわがブログ「日本が滅びる・137」はじめ、わがブログ「日本が滅びる」において何回も繰り返して解説して証明したように、わが国には今から約4050年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に夏音(かおん)文字が伝来した。

『魏志』倭人伝に記載される「載斯烏越」や「卑弥呼」は夏音名(夏音文字で表記される名)である。『魏志』倭人伝の人名・小国名には夏音文字が用いられる。また、『古事記』上巻の随所にある〔音〕という注が付く・多数の1字1音文字は夏音文字である。したがって、夏音文字は現存する。

前回のブログで指摘したように、夏音文字は下に示す白黒写真の【銀河各部の形状】を【文字】と定めた。

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今日の当用漢字の前身である楷書も、上に示す【銀河各部の形状】を【文字(字源・字形の原形・字義の)】と定めた。

夏音文字は“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ╱今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官)が「書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者には神罰が下って即刻に死刑にする」と定めた掟を厳重に守った。このため、夏音文字は資料が出土しないことになった。

しかし、夏音文字は「銀河」は「銀漢」ともいうので「漢字」は「銀漢から作られた文字」の略称であり、「天に文字が多数ありき」となったので「天」は「天文」と名づけられた秘密が解明できる重大な資料となる。

◆中国の五経の第一に挙げられる古典は『易経』である。

『易経』の繋辞(けいじ)下伝は文字(漢字)の起源について「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った」と説明する。

上記の文中に登場する「鳥獣の文」は、倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕の別称である。

ゆえに、倉頡が発明した五帝時代(紀元前3000-同2070)の漢字(いわゆる“倉頡文字”)と夏代(紀元前2070-同1600)の夏音文字は「仰いでは天象(上に掲載した銀河各部の形状)を観、俯しては地法を観、鳥獣の文(漢字作成原理・鳥獣の足跡)と地宜を観て、万物の情(イメージ)に類似するように図案した文字であった」ことが証明できる文字が、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に記載されて現存する夏音文字である。

わがブログ「日本が滅びる・124」で、『魏志』倭人伝に列記される倭の小国「斯馬(しま)国」は旧国「因幡・但馬」であり、小国「巳百支(じはき)国」は旧国「丹後」である。そして、『魏志』倭人伝に列記される倭の小国「伊邪(いや)国」は、『古事記』開化天皇紀が竹野比売・伊耶那美命の出身地と記載する旧国「丹波」であると証明した。

A図に示す「平面的に図化した地図の形」が、上記の『易経』繋辞下伝にある漢字起源記事に登場する「地宜」である。

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(C)2014 OHKAWA

B図に[][]の【文字(字源・字形・字義】となった【天象(銀河各部の形状)】を示した。

倉頡は自らが考案した文字が最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学識を手に入れたならば王朝は容易に滅亡すると考えた。ゆえに、倉頡は「1 文字は天象すなわち銀河各部の形状から作られたことを暴露した者」、「2 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者」、「3 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者」、この3つの掟を破った人物には神罰が下って即刻死刑に処せられると定めた。

この倉頡が定めた厳重な掟のために、上に掲載した【文字】となった【銀河各部】には名称が存在しないので、B図に示すように私は銀河各部に名称を付けることにした。

B図に示すように[]の字源は「十字の銀河・鬼の姿に似る銀河」であり、[]の字義は「斜(なな)め」であるので、[]の字源は「十字の銀河」の邪(なな)めの「激流の銀河」である。「激流の銀河」は「川から立ち上る地气(ちき)」つまり「霧」をあらわす。というのも、『説文解字』は[]の字源を「地气発して、天応ぜざるを霧という」と解説するからである。したがって「川から立ち昇る地气が天(天頂)まで達しないものを霧という」と『説文解字』は説明していることになるゆえ、「伊邪」は「川や地下から発する霧がたちこめる山里」の意味となる。だから、“霧の丹波”と言われて有名な「丹波」が「伊邪国」であったことになる。

「伊邪」の[][]で同じ字であるので、「伊那美命=伊那美命」となる。だから、開化天皇と結婚した「丹波(伊耶国)出身の竹野比売」は「伊耶那美命」であったことになる。人民は、竹野比売を「伊耶国出身の美しい女王」を略して「伊耶那美命」と呼んで敬愛したのである。

◆わがブログ「日本が滅びる・124」にて、「伊耶那美命」は『魏志』倭人伝末部に登場する倭女王「壱与(いよ)」であると証明した。『魏志』倭人伝は「卑弥呼の墓を作る時に百余人の奴婢(ぬひ)を犠牲(いけにえ)にする徇葬(じゅんそう)を行った卑弥呼の後を継ぐ男王に国中の人民が徇葬を憎悪して反乱をおこして、倭政府は千余人の反乱者たちを殺した。また、倭政府は壱与を倭女王に就任させると反乱は遂にしずまった」と記述する。

 C図に示す「十字の銀河の子宮」が[]の字源となる。倉頡は漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕を発明して、「十字の銀河の子宮」を上に掲載した写真の〔銀河全域の各部の形状から作られたすべての文字を生む子宮〕と定めて、[]の字源とした。ゆえに、「十字の銀河の子宮」は「一」が字義となる[]の字源となった。

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(C) 2014 OHKAWA

C図に示すように、[()]の金文形は[()]([與]の上部中央の[与]の部分)と[][四方の手]から構成される。ゆえに、[]の金文形は「十字の銀河・鬼の姿に似る銀河・東の西の二連菱形の銀河」から「上下左右の手、四方からかつぐ人々の手」を図案した。『説文解字』は[]の字源を「共に挙()ぐるなり」と解説する。したがって、C図に示すように、「正方形」と記した「正方形となる長方形の暗黒天体部の北部」が[]の字源となり、[]は「[]の字源部を上下左右からもちあげる力」をあらわす。だから、[]の字は「天が与える大量の雨が地下水とならずに、地上にもちあがって海、湖、沼に貯まる水」をあらわした。

古代においては、頻繁(ひんぱん)に天から雨が降る祈願がなされた。これゆえ、[]の字義は「天から豊かな農作物の実りをあたえる雨が降る」、または「天の神が雨を地上へあたえる」の「あたえる」となった。

『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命説話末部の「8 須佐之男命の啼きいさち」の条には須佐之男命が激しく泣く様子を、陰暦五月に起こる旱魃(かんばつ)に譬(たと)えて「青山は枯山(かれやま)()す泣き枯らし、河海(かはうみ)は悉(ことごと)に泣き乾()しき。ここを以()ちて悪しき神の音(おとなひ)、狭蠅(さばへ)()す皆(みな)満ち、万(よろず)の物の妖(わざはひ)悉に発(おこ)りき」と記す。

この文を現代語に訳すると「青々と草木が生えている山を枯れ木の山にするほど激しく泣いて枯らし、河川と海の水は須佐之男命の涙になってすっかり干上がってしまった。ここにいたって悪しき神々があらわれる物音は、五月ごろに湧き騒ぐハエの大群のようにあたり一面に満ち、様々な禍(わざわい)となる物事が至るところに起こった」となる。

上記の文中にある「河海は悉に泣き乾しき」の「河と海」は、C図に示す[]の金文形の[]をあらわす。ゆえに、「天の神が大量の雨を地上へ降らして、河川、海、湖、沼が満面に水が貯える状況」がC図に示した「壱与」の[]の字源をあらわした。

C図の[]の字源「長方形の暗黒天体部」の東隣の「激流の銀河」は〔大量の雨が降って溢れて急流となる河川の水〕のイメージとなる。だから、C図の[]の字源「長方形の暗黒天体部」は「大量の雨が降って水を湛(たた)える海湾や湖沼」をあらわした。

◆前回のブログ「日本が滅びる・137」で指摘したように、208年の赤壁(せきへき)の戦いで呉の水軍は強風を利用した火攻めで、魏の大軍に勝利した。この呉の水軍は230年の小国・日本(旧東鯷人)の遠征失敗に懲りずに再度遠征して来ると考えた予想のもとに、壱与(伊耶那美命・竹野比売)は小国・日本の女王となり、載斯烏越(伊耶那岐命・開化天皇)は小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)となって赴任した。

ゆえに赤壁の戦いにもとづき、日本軍は呉軍を〔赤い火の呪的(じゅてき)な戦力を有する軍〕と見立てた。そして、〔青い水は赤く燃える火を消すことができる〕ので、日本軍は自らを〔大量の水を湛える東京湾や浮島沼の呪的な戦力を有する青い水の軍〕と定めた。

D図に示す東京湾と浮島沼は、わがブログ「日本が滅びる」の136137で解説したように、「呉軍を袋のネズミにして壊滅する作戦を立てた、すなわち日本軍が呪的な戦力を有して有利に戦うことができる戦場」であった。

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(C) 2014 OHKAWA

C図に示すように、「激流の銀河」のイメージとなる〔大量の水〕の源は[]の字源となる「十字の銀河の子宮」である。これゆえ、「大量の水を与える」と意味することになる「壱与」という夏音名は〔赤い火の呉軍の呪的な戦力を奪って、青い水の軍の日本軍が勝利することができる魔力〕をあらわした。

E図左図はE図右図の銀河各部の名称である。前回のブログ「日本が滅びる・137」では、E図右図を伊耶那岐命が小国・日本を「浦安(平安な)国、細戈(くわしほこ)の千足(ちた)(具備した)国、磯輪上(しわかみ)の袍図莽(ほつまの)国」と称えた名称の解説図である。

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(C) 2014 OHKAWA

E図右図の「磯輪」と記した「日輪の銀河」は[]の字源である。[]の字源「日輪の銀河」の上に載()る「十字の銀河」は[]の字源となった。「十字の銀河」は「精兵」を意味する「細戈」の語源となった。これゆえ、白川静著『字統』は「載はおそらく兵車を祓う儀礼で、これによって軍行が開始されるであろう」と指摘する。前回のわがブログで「三つ輪の銀河」が〔海原〕に見立てられて、「十字の銀河」は[]の字源となりまた[]の字源であると指摘した。「十字の銀河」が[]の字源、「日輪の銀河」が[]の字源であるので、「日輪の銀河」の上に載る[]の字源「十字の銀河」は「兵と軍が用いる車の禍を祓う儀礼」と「軍行()の開始」をあらわすことになった。呉軍は赤壁の戦いで強風にあおられて天を焦がすほどの火焔の呪的な戦力で魏の大軍に勝利した。ゆえに、日本軍は雷鳴がとどろいて降る大雨の呪的な戦力をそなえれば、呉軍の燃え上がる火焔の呪的な戦力を消滅することができる。『説文解字』は[]の字源を「柝()くなり」と解説する。この「柝くなり」は「落雷して木が裂け、木に落ちた雷に撃たれて人が死ぬ」と示すことになった。「十字の銀河の子宮」と重なる「十字の銀河の右足」は[]の字源であり、「十字の銀河」は[]の字源となり、「十字の銀河の右足と鬼の横顔に似る銀河の口をつなげる帯状の銀河」は「木が折れる」の[]の初文の[]の字源となった。ゆえに、[][]が加わる[]は「落雷で樹木の根もとが裂け折れて、傍にいる人が死ぬ」をあらわした。「烏越(あお)」は〔青い水〕に見立てられる「激流の銀河」があらわし、「烏越」は「赤い火の呉軍を壊滅させる青い水の日本軍」をあらわした。

このように、小国・日本の軍王「載斯烏越」という名は「強風であおられる赤い火焔の呪的な戦力を消滅させて、雷鳴がとどろいて降る大量の青い水の呪的な戦力で呉軍を壊滅する」と意味した。

以上のごとく、「壱与」と「載斯烏越」という夏音名は呉の水軍に勝利するための呪的な戦力を示すものであった。

◆前回のわがブログ「日本が滅びる・137」で、呉軍の「魏の大軍に勝利した強風であおられる赤い火焔」は下に示すカラー写真の「北アメリカ星雲」があらわすと証明した。

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上に掲載したカラー写真は、載斯烏越・伊耶那岐命が小国・日本を「図莽国」と名づけた、[]の字源を示す。この[]の字源は、F図に「[]の銀河」と記す「激流の銀河・鬼の横顔に似る銀河」である。

F図の「[]の銀河」は、G図の「ヒトの姿に近づく子宮に宿る胎児の姿」に相似する。

これゆえ「[]の銀河」は、H図に示す[]の初文の[]の字源となった。[]の篆文形は「子宮に包まれる胎児」を図案する。

上に掲載したカラー写真のF図に図示した「鬼の横顔に似る銀河」と「十字の銀河の子宮」の映像は、I図に示すように〔白雪を冠する富士の高根の形〕に相似する。

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(C) 2014 OHKAWA

前回のわがブログで指摘したように、I図右図の「十字の銀河の子宮とM39の散開星団をつなげる一本線」は「富士の頂上から立ち上る煙」に見立てられて、『竹取物語』が成立した9世紀後半から10世紀前半では伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわすと定まっていた。

伊耶那美命・壱与は呉軍との防衛を備える最中(さなか)、小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めた。〔愛〕は防衛(戦い)にはまったくふさわしくなかったが、F図の「[]の銀河」はG図・H図が示すように「子宮に宿る胎児」の形に相似して〔愛〕をあらわすので、伊耶那岐命・壱与が熱心に説いた〔愛〕はいつしか人民が最も大事にする熱き理念と願望になっていたのである。

だから、I図右図の『竹取物語』の最後に登場する「富士の頂上から立ち上る煙」は、【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわすことになったのである。

◆『魏志』倭人伝末部には「卑弥呼は以(すで)に死す。大いに冢(ちょう╱墓)を作る。径百余歩(円墳の直径は約150メートル)。葬に徇(じゅん)ずる者、奴婢百余人(犠牲となって卑弥呼の墓に殺されて埋められた18歳くらいの若者と13歳くらいの乙女は百余人もいた)。さらに男王を立てしも国中服さず。さらに相誅殺(あいちゅうさつ)す、時に当たりて千余人を殺す。また卑弥呼の宗女の壱与、年十三にて(小国・日本)の王と為()りしを(倭女王に)立てて、国中遂に定まる。」と書く記事がある。

百余人の奴婢(青年と乙女)を殺して卑弥呼の墓に埋めた徇葬を憎悪して、国中の人民は卑弥呼の後を継ぐ倭の大王に逆らって武器を持って倭政府軍と戦った。この大乱で、倭政府は千人余りの反乱者を殺した。また、倭政府は卑弥呼が率いる巫女界を代表して13歳の時に小国・日本の女王となった壱与が倭国に属する小国伊邪国の出身者であったゆえ、彼女を倭女王に就任させると遂に反乱は終息されて倭国は安定することになった。

というのも、壱与・伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めていたからである。徇葬を憎悪して倭政府軍と戦う反乱者たちは〔愛〕を国作りの柱と定めた壱与・伊耶那美命が倭女王となるならば必ず徇葬は廃止されるにちがいないと信じた。だからこそ、国中にひろがった大乱は遂に終息したのである。

このように、『魏志』倭人伝末部の記事は「13歳で小国・日本の女王となった壱与は、〔愛〕を国作りの目標として政事(まつりごと)をおこなった」と伝える。

国中にひろがった大乱を終息させた壱与・伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】は、強大な国家権力に勝るとも劣らない力を有するものであることが示された。だから、朝廷が畏れて抹殺しようとした【日本建国の〔愛〕の理念】をまもって抵抗したますらおたちと人民の歴史が3世紀から18世紀前半の江戸時代までを貫くことになった。18世紀前半に生存した新井白石以後の学者たちは“文献批判”と名づけた〔誤読〕を用いて強引にこじつけた空理空論をもって【日本建国の〔愛〕の理念】を闇に葬った。けれども、白石以前のますらおや人民たちは【日本建国の〔愛〕の理念】を示す遺跡・地上絵・地名・庭園・名所・遺物・祭典・風俗慣習など、また『古事記』『日本書紀』『万葉集』『竹取物語』などの多くの史料を残して真実の歴史を現在に伝える。

◆伊耶那美命が〔愛〕を小国・日本の国作りの柱にした事実は、『万葉集』巻二十の4321番から4436番までの116首の東国の防人(さきもり)歌で明確に示される。

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J図に示す『万葉集』巻二十の防人歌の作者の出身国の範囲は、D図の小国・日本に合致する。「防人」は「小国・日本から挑発されて筑紫・壱岐・対馬など北九州の守備に当たった兵士」である。

巻二十の116首の防人歌のうちの110(95パーセント)は、家族(妻子、両親、兄弟姉妹)や恋人を思い気づかう愛の歌である。小国・日本の防人たちは伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】をまもって、家族や恋人のために兵役(へいえき)につとめていた。

116首のうち4370番の「霰(あられ)降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍士(すめらみくさ) 我に来()にしを」と詠む和歌と、4373番の「今日(けふ)よりは かえりみなくて 大君(おおきみ)の 醜(しこ)のみ楯(たて)と 出で立つ我は」の二首(1.7パーセント)のみだけが、天皇への尊敬を示す。116首の防人歌において残る4首は、〔愛〕と天皇への尊敬を詠む和歌ではない。

だから、『万葉集』巻二十の防人歌は壱与・伊耶那美命が提唱した“〔愛〕、あざやかに永遠であれ”と願った先人たちの熱き情念を後世に伝える史料であったのである。

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