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2014年11月 4日 (火)

日本が滅びる・139

すべての日本国民は真実の日本国誕生史を知る権利がある

ますらおたちの黙示録╱愛、あざやかに永遠であれ(6)

 

■伊耶那美命と天照大御神の争い(1) 

 

◆前回のわがブログ「日本が滅びる・138」で指摘したように、『古事記』中巻の第9代開化天皇紀の冒頭記事は、下記のごとく若き日の開化天皇は伊耶那岐命であり、正妃の竹野比売(たかのひめ)は伊耶那美命であったと伝える。

「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して、天下を治めた。この天皇が丹波の大県主(おおあがたぬし)で名は由碁理(ゆごり)という方の娘である竹野比売と結婚なされた。また継母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)とも結婚された。」

「伊耶那美命」と「伊耶那岐命」の先頭2字は、開化天皇の居殿名の「伊耶河宮」の先頭2字と同一とである。これゆえ、竹野比売は人民に“伊耶那美命”と敬愛されていたことになり、開化天皇は若き日に人民に“伊耶那岐命”と愛称されていたことになる。

◆わがブログ「日本が滅びる」の163778115116などで解説し証明したように、伊耶那岐命=開化天皇の第2后の「伊迦賀色許売命」の異名は「天照大御神」であった。

上記した『古事記』開化天皇紀は「天皇は伊迦賀色許売命(天照大御神)と結婚して御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと)が生まれた」と記述するが、この「生まれる」の意味は「養父と養子の関係が生まれた」であって、御真木入日子印恵命すなわち第10代崇神天皇は開化天皇=伊耶那岐命の実子ではない。

崇神天皇=御真木入日子印恵命は生母の伊迦賀色許売命は、開化天皇の父・第8代孝元(こうげん)天皇と結婚しているので「開化天皇の継母」となる。崇神天皇は孝元天皇と伊迦賀色許売命が結婚して生まれた比古布都押之信命(ひこふつおしのまことのみこと)であり、開化天皇の養子となって御真木入日子印恵命と改名された。したがって、御真木入日子印恵命は開化天皇の異母弟(おとうと)であった。

『古事記』中巻の神崇天皇紀の建波邇安王(たかはにやすのみこ)の反逆の条では「崇神天皇が、建波邇安王を“わが庶兄(ままえ╱異母兄)”と呼んだ」と書かれている。建波邇安王の父は孝元天皇である。開化天皇(伊耶那岐命)は建波邇安王の異母兄である。したがって、上記したように崇神天皇は伊迦賀色許売命の連れ子で、開化天皇の養子であった。

『古事記』の伊耶那岐命と伊耶那美命説話にある〔国生み〕の条における「生み」は「国名に素晴らしい名を付ける」と意味し、〔神生み〕の条における「生み」は「発明する。特別に優れた工法や道具などを考案した」と意味する。だから、『古事記』や上古においては現代の「生み」の「母親や雌(めす)が子を作る」と意味は別に「養父と実母が結婚して養子となる(養子の関係が生まれる)」も「生む」と表現されたことになる。

◆上記したように、「崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命」の異名(あだな)は「天照大御神」であり、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命説話における「天照大御神」は「崇神天皇」であった。つまり、大和朝廷の基礎を築いた皇室が至上神と崇拝した「皇祖・天照大御神」は「伊迦賀色許売命・崇神天皇母子」であったことになる。

『魏志』倭人伝末部は「西暦240年ころ、卑弥呼の墓を作る時に百余人の奴婢(ぬひ╱18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女)を殺す徇葬(じゅんそう)をおこなった倭王朝に武器をもって戦う反乱が国中にひろがり、倭王朝は千余人の反乱者を殺した」と記述する。

◆卑弥呼の墓を作る時に徇葬が行われた時から約20年後、倭女王となった伊耶那美命=竹野比売が死去した。天照大御神=伊迦賀色許売命が倭女王に就任し、再度天照大御神は多数の奴婢を犠牲(いけにえ)にして殺して伊耶那美命の墓に埋める徇葬をおこない陣頭指揮した。この天照大御神が徇葬を陣頭指揮した歴史は、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問の条に記載されている。

伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は、「徇葬者=奴婢」を「八雷神(やくさのいかづちがみ)」と表記する。倭女王・天照大御神がおこなう徇葬は小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)の伊耶那岐命は愛妻伊耶那美命の死を侮辱するものと憤激してクーデターを決行した。伊耶那美命の墓は「黄泉国(よみのくに)」すなわち現在の和歌山県東牟婁郡本宮町に所在する「熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)」に築造された。伊耶那岐命に率いられる日本兵たちは深夜に築造途中の伊耶那美命の陵墓の玄室から奪った棺(ひつぎ)を御輿(みこし)にしてかつぎ、この御輿の担ぎ手たちが転ばないように松明(たいまつ)の灯火で真っ黒な暗闇となる熊野路を照らす伊耶那岐命と日本兵たちが御輿の周囲をかためて、和歌山県新宮市に所在する熊野速玉大社の境内に目指して逃亡した。『古事記』は「熊野速玉大社の境内」を「黄泉比良坂之坂本(よもつひらさかのさかもと)」と記す。伊耶那美命の墓を守備していた倭王朝の大軍は、伊耶那岐命一行が手に手にかざす松明の灯火を目印にして追跡した。『古事記』は「伊耶那岐命一行を追跡する倭王朝軍の大軍」を「千五百之黄泉軍(ちいほのよもついくさ)」と記す。千五百之黄泉軍が目印として追跡した伊耶那岐命一行が持つ燃え盛る松明の灯火は、速玉大社の境内(黄泉比良之坂本)に誘導する罠であった。速玉大社の境内には日本軍の本隊とクーデターを支援する熊野に住む戦士たちの大勢が待機しており、伊耶那岐命の指揮のもとに倭王朝の大軍は包囲され撃破されて背走した。

かくして、伊耶那岐命のクーデターは成功した。

この後、驚いたことに女のか弱い足で闇に包まれる熊野路を歩いて、天照大御神が追跡してきた。天照大御神は捕虜となり、速玉大社からほど近い真南にある現在の和歌山県新宮市磐盾(いわたて)町に所在する神倉(かんのくら)神社の参道を登るとさらに続く道を塞ぐ巨大なゴトビキ岩の前に連行された。『古事記』は「神倉神社の参道」を「黄泉比良坂」と記載し、「神倉神社の御神体であるゴトビキ岩」を「千引石(ちびきのいわ)」と表記する。当時、千引石の前は伊耶那岐命の背丈より高い空洞となっていた。

しかし、A図に示すように、現在は千引石の空洞には神倉神社の社殿が建つ。

神倉神社が建つ場所(空洞)で、伊耶那岐命は天照大御神に離縁を言い渡した。

この時、倭女王からの失脚と離縁の屈辱で全身が焔(ほむら)と化した天照大御神は「汝(いまし)の国の人草、一日に千頭絞(ちがしら・くび)殺さむ」すなわち「亡き前の倭女王伊耶那美命が提唱した〔愛〕を尊重する人民たちの母親たちの産道(B図の子宮頸管)が狭くなるように呪って、一日に必ず千人の胎児の頭を絞め殺す」と復讐を誓った。

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(C) 2014 OHKAWA

伊耶那岐命は「汝然為(いまししかせ)ば、吾(あれ)一日に千五百の産屋(うぶや)立てむ」つまり「お前がそうするならば、生前に伊耶那美命が小国・日本で赴任して〔愛〕を国作りの柱とする政事(まつりごと)を受け継ぎ、一日に必ず千五百の産屋を立てるようにする」と誓った。

そして、この後『古事記』は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】によって、日本国では一日に千人死んでも、一日に必ず千五百人が生まれることになったとあらわす文を続ける。しかし、現在、わが国は少子化が進んで人口減が深刻化する。というのも、新井白石(1725年没)以後の学者たちが【誤読=文献批判】でデッチあがた【空論】によって〔愛〕の理念が掲げられた日本誕生史を失ったために、わが国は天照大御神の千引石の前の誓った祟(たた)りが蘇えり呪われることになったからである。

◆神倉神社に祀られる主神は、天照大御神である。したがって、伊耶那岐命に神倉神社の社殿が建つ場所(千引石の前)で離縁された「伊耶那美命」は「天照大御神=伊迦賀色許売命」であったことになる。

 698年、持統上皇は壮大な伊勢神宮を創建して天照大御神を皇室が最も崇拝する皇祖と定めて祀ることになった。

中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝は、『古事記』が完成した712年より10年前の702年に中国に渡った第7回遣唐使が、時の持統上皇・文武天皇王朝の歴史書の作成目的と伊耶那岐命のクーデターについて下記のごとく説明したと記述する。

「後稍夏音(のちやや・かおん)を習い、倭の名を悪(にく)み、更(あらた)めて日本と号す。使者自ら言う。国日の出る所に近し、ゆえに名となすと。日本はすなわち小国、倭の并(あわ)す所となる。ゆえにその号を冒せりと。」

中国の正史『旧唐書(くとうじょ)』倭国日本伝にも上記と同様の記事があり、遣唐使の様子について中国の外交官の印象は「入朝する者、多く自ら矜大(きょうだい)、実を以て対(こた)えず」であったという文が挿入され、この文を現代語に訳すると「日本人の使節は大変自尊心が高く、事実を正直に明確に答えようとしなかった」となる。

このような『旧唐書』倭国日本伝に記述された遣唐使が中国の外交官に事実を洗いざらいに語ることができなかった秘密も加えて、上記した『新唐書』日本伝の文を現代語に訳すると、次のごとくになる。

「壬申の乱の後、(天武・持統の両天皇は天照大御神が夏音文字に精通したゆえに偉大であったと後世に示すために天照大御神が精通した)夏音文字を稍々(やや)復興させる歴史書の作成を計画した。(ただし両天皇は、天照大御神が徇葬を陣頭指揮したために伊耶那岐命が反逆して倭女王から失脚した歴史を削除する偽の歴史書を作成せよと欲求した。倭では卑弥呼の墓と伊耶那美命の墓を作る時に残酷な徇葬がおこなわれた。ゆえに)、人民は倭という国号を憎悪し、(〔愛〕を掲げて誕生した)小国・日本の国号に改めることを願った。使者たちが言うには、日の出ずる所に近いので、日本という名になったとのことである。あるいは言うには、日本はすなわち小国であったが、(小国・日本の軍王の伊耶那岐命・開化天皇が)倭と併合した。ゆえに、小国・日本と倭を併合する国家に日本という名を冠することになったのである。」

以上のごとく、第7回遣唐使の派遣を命じた持統上皇は、「天照大御神」という名は「日本」という国号に似つかわしいことに注目した。ゆえに持統上皇は、中国王朝が「日本」という国号改定を承認した歴史に騙(だま)されて後世の学者たちが、《「日本」という国号は日神(太陽神)の天照大御神に合わせて改まった》と確信するにちがいないと考えた。この誤った史観によって天照大御神が徇葬をおこなった歴史が削除でき、さらに伊耶那美命が〔愛〕の理念を掲げて誕生した小国・日本の歴史をも抹殺できると上皇は企むものであった。このように、第7回遣唐使の使命は中国王朝の「日本」という国号の承認をもって偽の歴史を捏造(ねつぞう)せんとする持統上皇の謀略の目的を実現させるために派遣された。ゆえに、日本人の使節は事実を正直に明確に語りたくても語ることができなかった。このため、中国の外交官の印象は「多く自ら矜大、実をもってこたえず」となった。

◆わがブログ「日本が滅びる」の135138までに証明したように、〔愛〕が国作りの柱として誕生した小国・日本はC図に示す東海・関東地方であった(ただし、C図左下の「遠江」は倭国に属した)

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(C) 2014 OHKAWA

天武・持統の両天皇の「稍夏音を習え」という言は、「偽の歴史書を作成せよ」と欲求するものであった。『古事記』編纂スタッフは「天照大御神が徇葬を陣頭指揮した」と記すと『古事記』は献呈拒絶されるので、『古事記』を正史にするために朝廷が憎悪・敵視する「伊耶那美命」に天照大御神の「神」の字を加える「伊耶那美命」という名を考案して「天照大御神」をあらわすことにした。その代わり、編纂スタッフは『古事記』上巻の随所に、今から約4050年前の中国の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)にわが国に伝来した夏音文字に〔音〕という注を付けて、朝廷の「稍々(少し)」という欲求に反して多数残した。

これまでのわがブログで何度も何度も繰り返して証明し解説したように、夏音文字は下に示す【秋の銀河と夏の銀河全域の各部の形状】が【文字(字源・字形・字義)】となった。強大な権力を有する朝廷においても、【文字】となる【銀河各部の形状】を消滅することはできない。だから、夏音文字で真実の歴史を伝えることができることに注目し、編纂スタッフは朝廷の欲求に反して多数の夏音文字を記載した。なぜならば夏音文字から【楷書の字源・字形(字形の原形)・字義】も【銀河各部の形状】である事実によって、「伊耶那美命」の正体は「天照大御神」であることが解明し証明できるからである。

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◆だから、太安万侶(おおのやすまろ)は『古事記』序の冒頭にて「わが国には【銀河各部の形状】を【文字】とした夏音文字が伝来した」と下記のごとき文で表現した。

「それ混元すでに凝()りず、気象未だ効(あらは)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)かその形を知らむ。しかれども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)を作()す。」

この文の詳細な解説は、わがブログ「日本が滅びる」の6869でおこなったが、「参神造化の首を作す」についての明確な説明が不足していた。

上記の『古事記』序の冒頭文は、D図・E図・F図の天頂緯度線の様子を表現するものであった。つまり、G図の渦巻深鉢の胴一面にほどこされた深鉢を加えて『古事記』序の冒頭文を安万侶が生存した8世紀ではなく現代にもとづいて訳すると下記のごとくになる。

――およそ前期縄文時代以前においては、緯度が精密に測量できる天頂(D図の上部)を通過する銀河は混沌として凝固するE図上部に示す「最北の輪の銀河」であったために、名(文字)も作ることもできず土器などにその形を表現することができなかった。したがって、今日、誰もその天頂の銀河の形を縄文人がどのように造化(造形)したのか知ることができない。しかし、E図に示すように今から約6000年前の前期縄文時代初頭から約4050年前の後期縄文時代初頭には、「三つ輪の銀河」、また「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」も天頂にめぐってきた。ゆえに、「三つ輪の銀河・十字の銀河」が「天」に観え、「鬼の姿に似る銀河」が「地」や「天を仰ぐ地上の人」のイメージとなった。このため、G図に示すように大・中・小の様々な渦巻きや円が重なる「三つ輪の銀河」の様子を胴一面の文様にして表現する(造化する)深鉢が作られた。ゆえに、F図に示すように、前期縄文時代の造化(造形芸術)の神は「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」、中期縄文時代の造化の神は「高御産巣日神(たかみむすひのかみ)」、後期縄文時代の造化の神は「神産巣日神(かむむすひのかみ)」と名づけられた。注目すべきは、E図とF図の下部に示すように、後期縄文時代初頭においては「鬼の姿に似る銀河の首の部分」が天頂にめぐってきた。ゆえに、安万侶が「参神造化のを作す」と表現した「」は、天頂緯度線が貫通した「鬼の姿に似る銀河の首の部分」であった。だから、「参神造化の首を作す」という文は「後期縄文時代初頭はわが国に夏音文字が伝来した始め(起源)である」と表現するものであったのである。というのも、「鬼の姿に似る銀河の首の部分」は[]の字源でもあり、『説文解字』は[]の字訓を「始なり」とするからである。

わがブログ「日本が滅びる」の6869で詳細に解説したように、神産巣日神の代(夏代初頭=後期縄文時代初頭)に中国から夏音文字の学芸に精通する名門益氏の王子と若者たちが移住してきた。縄文人たちには益氏の王子と若者たちが話す夏音の言葉はまったく理解できなかった。しかし、参神造化の歴史のおかげで当時の芸術家たちは益氏が指差す銀河の形状や地面に書く絵を観て夏音文字の学芸を理解することができた。ゆえに、わが国に夏音文字の学芸が習得されて根づくことになり、今日まで夏音文字の学芸が保存されることになった。しかし、学者たちは夏音文字の学芸をことごとく排除する。

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(C) 2014 OHKAWA

上記した「参神造化の首を作し」という文の後に、太安万侶は「陰陽斯(ここ)に、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)と為()る」という文を続けて「〔愛〕を最も尊重する陰の伊耶那美命と陽の伊耶那岐命の二霊は、日本のすべてのものの生みの親となりました」と記述した。

にもかかわらず、新井白石以後から現在までの学者たちは『古事記』に数多くの誤読を加えて、「夏音文字の学芸はわが国に伝来していない」、「『古事記』は皇祖・天照大御神を至上神とする書物であり、真実の歴史を伝える歴史書ではない」と断定する空論を主張して「日本」を壊し続けている。

『古事記』は「夏音文字の学芸が夏代初頭に伝来した」と記載し、【銀河各部の形状】が夏音文字や楷書などの漢字における【文字(字源・字形・字義)】となる事実を基に「【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるための歴史書」であったのである。

◆前回のわがブログ「日本が滅びる・138」で証明したように、伊耶那美命は『魏志』倭人伝末部に登場する壱与(いよ)であった。

『魏志』倭人伝末部は「卑弥呼は以(すで)に死す。大いに冢(ちょう╱墓)を作る。径百余歩(円墳の直径は約150メートル)。葬に徇(じゅん)ずる者、奴婢百余人(犠牲となって卑弥呼の墓に殺されて埋められた18歳くらいの若者と13歳くらいの乙女は百余人もいた)。さらに男王を立てしも国中服さず。さらに相誅殺(あいちゅうさつ)す、時に当たりて千余人を殺す。また卑弥呼の宗女の壱与、年十三にて(小国・日本)の王と為()りしを(倭女王に)立てて、国中遂に定まる。」と記述する。

百余人の奴婢(青年と乙女)を殺して卑弥呼の墓に埋めた徇葬を憎悪して、国中の人民は卑弥呼の後を継ぐ倭の大王に逆らって武器を持って倭政府軍と戦った。この大乱で、倭王朝は千人余りの反乱者を殺した。また、倭王朝は13歳の時に小国・日本の女王となった壱与=伊耶那美命を倭国に帰還させて倭女王に就任させると、遂に反乱は終息されて倭国は安定した。というのも、壱与=伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めていたからである。反乱者たちは壱与が倭女王となるならば必ず徇葬は廃止されるにちがいないと信じた。だからこそ、国中にひろがった大乱は遂に終息したのである。

このように、『魏志』倭人伝末部の記事は「13歳で小国・日本の女王となった壱与(伊耶那美命)は、〔愛〕を国作りの目標とした政事(まつりごと)をおこなった」と伝える。

◆白川静著『字統』は[]の字形を「立ち去ろうとする人の姿を写したものであろう」と解説する。H図左図に示す、弓を手に持つ男性の姿に似る「十字の銀河」は後ろの「鬼の姿に似る銀河」を残して、「三つ輪の銀河」がある東方に立ち去ろうとする人の姿に相似する。また、乳房や子宮に観える部分を有して女体に似る「十字の銀河」は「三つ輪の銀河」から離れて「鬼の姿に似る銀河」がある西方に立ち去ろうとする女人に相似する。ゆえに、「十字の銀河」は[]の文字(字源・字形・字義)となった。H図右図に示すように、「十字の銀河の子宮」が重なる「十字の銀河の右足」は〔胎児が子宮に宿る妊婦の円いおなか〕あるいは〔乳房〕に観えるので、[]をあらわした。「十字の銀河」は[]の字源となり、H図左図に示す〔天を仰ぐ地上の人〕に観える「鬼の姿に似る銀河」に〔天が恵みを与える〕と解釈して、“字書の聖典”と崇拝された『説文解字』は[]の字訓を「恵なり」と指摘している。

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(C) 2014 OHKAWA

上記したE図とF図の「三つ輪の銀河の北端の銀河部」は、I図に示すように「ジャコウウシの顔」に見立てられた。

J図に示す「ジャコウウシ」は、今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官の“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕の「獣」を象徴する聖獣であった。現在、ジャコウウシは北極地方に分布し、ツンドラ(凍土)地帯に群生して、以前は100頭以上の群れが普通に見られたという。天敵のオオカミに襲われると、子を真ん中に隠して防衛する。司馬遷著『史記』五帝本紀は「黄帝軍は駐屯する時、ぐるりと兵士をめぐらして自衛した」と記す。黄帝軍はジャコウウシの防衛法から学んで駐屯していた。ジャコウウシの肉は麝香(じゃこう)の香りがして特別に美味しく、厳しい寒さに耐えられる全身をおおうウールの毛足が長いコートは最良の防寒具となり、オオカミに襲われると子を中心にして円陣を組む習性は神秘的とされて天の神に雨乞いや子授け祈願する時の最高の犠牲(いけにえ)となって殺されて捧げられた。このため、中国では殷代にジャコウウシは絶滅していたので、K図に示す[]の契文(甲骨文字)となった。

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(C) 2014 OHKAWA

ジャコウウシがオオカミに襲撃された時に〔中心に隠す子〕は〔子宮に宿る胎児〕に見立てられ、〔群れが組む円陣〕は〔子宮の周囲を包んで胎児の命を守る骨盤〕に見立てられた。したがって、〔女性の子宮〕に観える「十字の銀河の子宮」は〔円陣の中心に隠すジャコウウシの子〕に見立てられ、〔女性の骨盤〕に相当する「十字の銀河の子宮がある腰の部分」は〔ジャコウウシの群れが組む円陣〕に見立てられて、K図に示すように女体に相似する[十字の銀河][(スイ)]の字(字源・字形・字義)となった。だから、[]の字義は「絶滅したジャコウウシの怨み」をあらわして「たたり」となった。

伊耶那美命は「十字の銀河」を観て[]を政事理念とした。

崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命=天照大御神は伊耶那美命と同じ「十字の銀河」を観て、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を呪い祟った。この【日本建国の〔愛〕の理念】への祟りをもとに、天照大御神は強大な権力を最も重視する大和王朝の基礎を築いた。

 

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