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2014年11月10日 (月)

日本が滅びる・140

すべての日本国民は真実の日本国誕生史を知る権利がある

ますらおたちの黙示録╱愛、あざやかに永遠であれ(7)

 

伊耶那美命と天照大御神の争い(2)

 

◆前回のわがブログ「日本が滅びる・139」の末部で指摘したように、壱与(いよ)・第9代開化天皇の正妃の竹野比売(たかのひめ)すなわち人民に尊敬されて愛された伊耶那美命であり、彼女は13歳の時に呉の遠征軍が襲撃してくると予想された小国・日本(東国の東海・関東地方)を防衛するための女王に選ばれた。伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めた。この小国・日本の国作りの柱となった〔愛〕は、後世に作成された『万葉集』巻二十の4321番から4436番までの東国の防人(さきもり)たちが作った和歌で表現されることになって伝えられることとなった。

◆A図左下の旧国・遠江(静岡県西部)の人々も防人として任務がついたが、わがブログ「日本が滅びる・126」において遠江は倭国に属す不呼(ふこ)国であったことを証明した。遠江は倭に属する地域であったが、遠江は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する地域であると察知した朝廷は、遠江の人々に防人の任務につかせたのである。

遠江においては、その存在を知られたならば朝廷の転覆を計る大罪とされて一族が皆殺しになる大罪の遺跡が密かに保存されていた。この遺跡は3世紀後半に作成され、B図の下に記したように私は“「卑弥呼」の地上絵”と名づけた。B図の「卑弥呼」の地上絵は静岡県浜松市北区細江(ほそえ)町の行政区域を表示する地図の形として現存する。「卑弥呼」の地上絵を調査すれば、『古事記』『日本書紀』に記載述された伊耶那美命や天照大御神の歴史、また『魏志』倭人伝に書かれた歴史の全貌が科学的に具体的に解明できる。

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(C) 2014 OHKAWA  

B図の「卑弥呼」の地上絵は、下の写真の【銀河各部の形状】が【文字】となる学芸を示す遺跡である。「卑弥呼」の地上絵の作成目的は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えることであった。「卑弥呼」の地上絵は【銀河各部の形状】が【文字】であった事実をもって、後世に【日本建国の〔愛〕の理念】を伝える遺跡である。

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 朝廷の最も強力な政権基盤であったゆえに最も厳重にして独占管理した秘密は上に示す【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸であった。だから、B図の「卑弥呼」の地上絵を私有する豪族は乳児まで殺されて皆殺しにされて絶滅する大罪を犯すものであった。

【銀河各部の形状】が【文字】であった事実を伝える文献史料は、紀元前45世紀に生存した老子の教えを記載した第1章~第37章までの『老子』上篇(道経)であり、2世紀に作成された“字書の聖典”とされる許慎(きょしん)が著作した『説文解字』であり、そして720年に成立した『古事記』の序と上巻である。

上記した『説文解字』の序には「けだし文字は経芸の本、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古(いにしえ)を識()るなり」という文がある。この文は「【銀河各部の形状】から作られた【文字】は経(学術)と芸術の根本であり、王道政治は【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸から始まり、【銀河各部の形状】を【文字】とする学芸は過去に起きた歴史の真実を後世の人々が最も確かに知る方法である」と伝えるものであった。

わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は「【銀河各部の形状】は【文字】であった」と指摘するものではない。

しかし、上に掲載した写真の【銀河各部の形状】と白川静著『字統』の解説文を比較・照合すると、【銀河各部の形状】が【文字】であることが科学的に具体的に証明できる。

わがブログの字源・字形(字形の原形)・字義(原義)の解説は、白川静著『字統』を基本にして行う。ゆえに、『字統』の文字解説に【銀河各部の形状】によって【銀河各部の形状】が【文字】である事実が証明できる。だから、『字統』もまた【銀河各部の形状】が【文字】であったことを証明できる重大な文献となる。

◆A図左下の「遠江」は『魏志』倭人伝に記載された小国「不呼国」であった。

不呼国=遠江は倭国の端に所在した。このため、朝廷が最も厳重な機密にして独占管理する学芸を遠江の一豪族が私有化する大罪を犯すB図の「卑弥呼」の地上絵を作成したことに、朝廷がまったく気づかなかった。このため、「卑弥呼」の地上絵は現在まで失わずに存在することになった。

しかし、「卑弥呼」の地上絵は【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために作ったものであったゆえ、おのずと遠江の人々は東国の人々と同様に【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重した。これゆえ、遠江の人民は【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重することが、朝廷に察知されることになった。だから朝廷は遠江を小国・日本と同様であると括(くく)りあつかって、遠江の人々に防人の任務につかせた。

A図に示す遠江はじめ東国の人々は徴発されて遠く隔たる筑紫・壱岐・対馬などの北九州を守備する兵士となった。というのも、東国の防人の先祖たちは朝廷が最も崇拝する皇祖・天照大御神が憎悪・敵視した伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重したからにほかならない。

『万葉集』巻二十の4321番から4436番までの116首のうち、4370番と4373番の2(1.7パーセント)のみが天皇への尊敬を示し、4首は愛を詠む歌でも天皇への尊敬を示す和歌でもない。116首のうちの110(95パーセント)の和歌は【日本建国の〔愛〕の理念】は明確に示して、妻子や両親や恋人などを思いきづかう愛を詠む歌である。

だから、『万葉集』巻二十の防人歌は【日本建国の〔愛〕の理念】を伝え、作者たちの出身地は小国・日本の範囲を今日に伝える資料となった。

◆『魏志』倭人伝末部には、壱与(いよ)・伊耶那美命と伊耶那美命の代役の壱与となった天照大御神が登場する。この『魏志』倭人伝末部の記事は、下記のごとくである。

「魏の正始八年(247年)、太守王頎(おうき)官に到る。倭の女王の卑弥呼と狗奴(くな)国の男王の卑弥弓呼(ひみくこ)と素(もと)より和せず、倭の載斯烏越(そしあお)等を遣わして郡に詣(いた)り、相攻撃する状を説く。塞曹掾史(さいそうえんし)の張政(ちょうせい)等を遣わし、因()りて詔書・黄幢(こうどう)を齎(もたら)し、難升米(なしめ)に拝仮(はいか)し、(1)(げき)を為(つく)り之(これ)を告喩(こくゆ)せしむ。

卑弥呼は以(すで)に死す。大いに冢(ちょう)を作る。径百余歩。葬に徇ずる者、奴婢(ぬひ)百余人。更に男王を立てしも国中服さず。更に相誅殺(あいちゅうさつ)す。時に当たりて千余人を殺す。復()た卑弥呼の宗女の壱与、年十三にて王と為()るしを立てて、国中遂に定まる。政等、(2)を以て壱与を告喩す。壱与、倭の大夫の率善中郎将(そつぜんちゅうろうしょう)の掖邪狗(ややこ)等二十人を遣わし、政等の還(かえ)るを送らしむ。因りて台に詣(いた)り、男女の生口(せいこう)三十人を献上し、白珠(はくしゅ)五千孔・青の大句珠(だいくしゅ)二枚、異文(いもん)の雑錦(ざっきん)二十匹を貢す。」

 

前々回のわがブログ「日本が滅びる・138」で証明したように、小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)伊耶那岐命は第9代開化天皇であり、伊耶那美命は開化天皇の正妃の竹野比売であり、天照大御神は第二后で継母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)であった。

わがブログ「日本が滅びる」の4647回で証明したように、上記した『魏志』倭人伝末部に登場して「狗奴国との戦況を説明した載斯烏越」は「伊耶那岐命」であり、帯方郡使の張政が作った最初の(1)(軍書)の告喩に従わなかった倭女王・壱与は伊耶那美命であり、張政が作った二度目の(2)の告喩に従って狗奴国を滅亡させた伊耶那美命の代役をつとめた壱与は天照大御神であった。

上記に示すように、帯方郡使の張政は二度も檄を作って壱与に狗奴国を討伐する正当性を告げ喩(さと)した。というのも前者の壱与=伊耶那美命は狗奴国と話し合って平和的解決を主張して張政の檄で告喩する説得を聞き入れなかったからである。このため、張政治は二度も檄を作ることになり、後者の壱与の代役になった天照大御神は狗奴国を討伐すべきであるという意見の持ち主であったゆえ張政の告喩に従って狗奴国を滅亡させた。

◆上記の『魏志』倭人伝の末部の記事は、下記のごとく歴史を伝えるものであった。

――246(魏の正始七年)ころ、朝鮮半島の馬韓(ばかん)の首長たちがおこした反乱で帯方郡太守の弓遵(きゅうじゅん)が戦死した。倭国は卑弥呼の墓を作った時におこなった奴婢(18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女)百余人を犠牲(いけにえ)にして殺害した徇葬(じゅんそう)を憎悪して武器を持って逆らう反乱とこの反乱に乗じて狗奴国が起こした戦いのために、魏と軍事同盟を結びながら帯方郡を支援する軍を派遣することができなかった。

 帯方郡は楽浪郡からの水軍の応援があって、韓の反乱軍を敗北させた。ゆえに247(正始八年)、帯方郡の太守として王頎が赴任した。そこで、王頎になにゆえ軍事同盟をまもることができなかったのか、その事情を説明するために倭国は小国・日本の軍王の載斯烏越(伊耶那岐命)を正使とする使節を派遣した。載斯烏越は徇葬を憎悪する大乱と狗奴国との戦況を説明してわびた。

帯方郡太守の王頎の役目は魏の背後の脅威となる朝鮮半島の反乱をおさえて安定をはかることであった。この安定は朝鮮半島の諸韓国の背後の脅威となる倭の支援が不可欠とされたゆえ、魏は倭と国交を結ぶものであった。その倭では13歳で小国・日本の女王となって国作りの柱を〔愛〕と定めた壱与(伊耶那美命)を倭女王に即位させると、徇葬を憎悪する反乱者たちは伊耶那美命ならば徇葬を必ず廃止するにちがいないと信じて武器を捨てたために大乱は鎮(しず)まった。しかし、狗奴国との戦いは未だ終息しなかった。そこで、一日でも早く倭は狗奴国を討伐して再び韓の反乱が起きた時に倭が帯方郡を支援する軍を出動できる状況にするため、王頎は載斯烏越たちが帰国する船に便乗させて帯方郡の使節・張政一行を倭に派遣した。

張政は魏帝の斉王の詔書と魏軍の軍旗・黄幢を、景初二年(238)に魏都に到着した倭の外相の難升米に、狗奴国討伐が成就するまでのあいだ仮に授けることにした。そして、張政は東夷諸国が安定するために狗奴国討伐は必要不可欠であると告喩する檄を作った。しかし、〔愛〕の女王壱与・伊耶那美命は張政が告喩する狗奴国討伐に猛反対し、先ず狗奴国との話し合いによる平和的解決を主張した。この伊耶那美命の主張に倭政府はじめ伊耶那岐命も戸惑い、狗奴国討伐は魏との軍事同盟によるものであると力説して反対した。

しかし、伊耶那美命の主張に従って狗奴国と話し合いで平和的に解決しても魏との軍事同盟に適って東夷諸国の安定を図ることができた。だから、伊耶那美命の主張は誤っていなかった。

しかし、軍事同盟における約束は軍事すなわち戦争をおこなって解決するものであり、張政が作った檄も狗奴国討伐を求めるものであるゆえ、伊耶那美命の意見は倭政府に無視された。倭政府は天照大御神を壱与の代役に立て、天照大御神は張政の二度目の檄に告諭に従い、伊耶那岐命(載斯烏越)が倭と小国・日本の連合軍を指揮して狗奴国を滅亡させた。

かくして狗奴国は滅亡したために、目的をはたした張政一行は倭が派遣した使節の掖邪狗一行の船に便乗して帯方郡に帰還した。倭の使節は「台」すなわち魏都・洛陽に到着して上記に示した様々な貢ぎ物を献上した。

以上のごとく、『魏志』倭人伝末部の記事についてなぜ(1)壱与が倭女王に就任すると大乱が終息したのか、なぜ(2)帯方郡使の張政は二度も檄を作って告喩することになったのかその事情を究明すると、伊耶那美命は〔愛〕を熱心に説く女王であったことが解明できる。

◆わがブログ「日本が滅びる」の5358597478などの各回をもって詳細に証明したように、『魏志』倭人伝が「倭女王の卑弥呼と素より不和であった」と記述する男王卑弥弓呼が治める狗奴国の範囲は――C図に示す現在の香川県の小豆島(しょうどしま)と岡山県すなわち旧国の美作(みまさか)・備前(びぜん)・備中(びっちゅう)・広島県東部つまり備後(びんご)の東部であった。

狗奴国の中心地域は、D図に示す吉備地方である。

D図に示す「香川県の小豆島」の地宜(ちぎ╱平面的に図化した地図の形)は「狗(いぬ)すなわちオオカミの姿」に相似する。「岡山県の地宜」は[]の字源をあらわした。というのも、「児島半島から倉敷市にかけての地宜」は〔天敵のオオカミの襲撃を察知して、子どもを真ん中に隠して防御するために組む円陣の端にいるジャコウウシ〕に類似すると見立てられた。このため、「岡山県の内陸部」は〔ジャコウウシの群れが組む円陣の部分〕に見立てられた。

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(C) 2014 OHKAWA

[]の字源は、E図左図に示す「ジャコウウシ」であった。[]は「ものすごい力」をあらわした。ジャコウウシのオスはものすごい力で角(つの)をぶっつけあって闘い、ツンドラ地帯の岩石のごとく堅く凍った地面を強い力を有する足で掘って餌を食べた。前回のわがブログ「日本が滅びる・139」で解説したように、ジャコウウシは神に捧げる最も理想的な犠牲(いけにえ)とされて中国では乱獲されて絶滅したために、[]の字源「ジャコウウシ」は「たたり」をあらわす[]の字源となり、[][]の字源となり「いけにえ」の[][]などの牛偏が付く字の字源となった。狗奴国討伐がおこなわれた3世紀半ばにおいては、木の刃先のクワやスキで耕作し開墾(かいこん)していた。このため当時、堅い地面を掘ることができる力を有するのは太い腕と筋骨隆々の18歳くらいの青年であったゆえ、『魏志』倭人伝が「卑弥呼の墓を作る時に葬に徇ずる者、奴婢百余人」と書く[]は「ジャコウウシのごとく強い力を有する18歳くらいの青年たち」であったことになる。

E図に示すように、ジャコウウシは〔胎児の姿〕に類似すると見立てられて「健やかな子どもたちが多数生まれて子孫が繁栄する願い」をあらわし、また「胎児の出産におけるものすごい力」すなわち「神の威力を示す神秘的なものすごく強い力」をあらわした。この「胎児の出産における神秘的なものすごく強い力」は「怒責(どせき)」と呼ばれるものである。「胎児の頭が骨盤の出口に近くなると直腸が圧迫される母体は、雷のごとくものすごい大声をあげていきみきばる」、これを「怒責」という。「怒責」の[]は、[]の下に[]を加えた字である。大きな怒り声をあげて堅い地面へクワをふりおろすと、体内からすごく強い力が湧きあがる。このように、[]の字の上の[]は「すごく強い力」をあらわし、「すごく強い力」を象徴して[][]の字源となる獣は「ジャコウウシ」であった。

上記したようにD図に示す「小豆島の地宜」は〔オオカミの姿〕に相似すると見立てられて[]、「児島半島から倉敷市にかけての地宜」は〔天敵のオオカミの襲撃を察知して、子どもを真ん中に隠して円陣を組むときの端のジャコウウシ〕に見立てられたために「岡山県の内陸部」は〔ジャコウウシの群れが組む円陣〕に相当すると解釈されて[]の字源をあらわした。ゆえに、「吉備地方」は『魏志』倭人伝が「帯方郡使の張政が檄を二度作って、二人の壱与に告喩した」ところの「狗奴国」であったことになる。

「檄」は「軍書」を意味するゆえ、「告喩」は「軍書をもって狗奴国を討伐するように喩(さと)し求めた」ということになるゆえ、「狗奴国は討伐されて滅亡した」ことになる。その証拠に、『魏志』倭人伝は「倭は掖邪狗等二十人を派遣して、帯方郡使節の張政一行を帰還させた」という記事は、狗奴国が滅亡して帯方郡使節の任務は終了したと示すものとなる。

◆倭女王壱与・伊耶那美命は魏との軍事同盟の約束にもとづく帯方郡使の張政の檄の告諭を聞き入れず、狗奴国討伐を拒絶した。このため倭女王の代役をつとめた天照大御神はじめ倭王朝の面々は、伊耶那美命は倭女王失格で無責任であると激しく非難し、伊耶那岐命と離縁して倭女王を退位せよと迫った。しかし、伊耶那岐命は伊耶那美命との離縁を拒絶して、伊耶那美命と強い愛で結ばれることになったと表示する二度目の結婚式をおこなって対抗した。

この二度目の結婚式は、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命説話における〔国生み〕の条の冒頭にある二度目の淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚に記載された。

わがブログ「日本が滅びる・57」で詳細に解説し証明した伊耶那岐命の二度目の淤能碁呂島の聖婚は、倭王朝と反目対立することになった。このため、狗奴国討伐は伊耶那岐命が倭と小国・日本の連合軍を指揮しておこなわれたが、伊耶那岐命=開化天皇の事績にはならなかった。狗奴国=吉備国征討は、伊耶那岐命の祖父の第7代孝霊天皇の事績となった。つまり、伊耶那岐命の父の第8代孝元天皇は死去して故人であったゆえ、長寿で存命の孝霊天皇の事績となったのである。したがって、『魏志』倭人伝末部に「倭女王の卑弥呼の後に立った男王」と記述された大王は「孝霊天皇」であったにちがいない。

『古事記』中巻の孝霊天皇紀末部には、大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)と若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)の二人が播磨の氷河(ひかわ)の岬に忌瓮(いわいへ)を据えて「播磨を道の口として、吉備国を言向(ことむ)け和(やわ)したまひき」すなわち「氷河をジャコウウシが生息する凍土(ツンドラ)に見立てて、凍土の神の心に和して[]の字源となったジャコウウシの祟りをもって狗奴国を滅亡させて、国名を吉備国と改めて平定した」という記事が存在する。

壱与・伊耶那美命の代役となって狗奴国討伐の女王となった天照大御神(伊耶那岐命の第二后の伊迦賀色許売命)は、第10代崇神天皇の生母である。

大吉備津日子命と若日子建吉備津日子命は孝霊天皇の皇子で、『日本書紀』の崇神天皇紀における〔四道将軍〕の条に登場する二人の将軍である。大吉備津日子命(大彦命)は北陸に派遣され、若日子建吉備津日子命(吉備彦命)は西海に派遣されて、天照大御神・崇神天皇母子供王朝に反抗する勢力を討伐した。だから、〔播磨の氷河の岬に忌瓮を据えて、吉備国を言向け和し狗奴国征討儀式〕は壱与・伊耶那美命の代役となった天照大御神の指図によって行われるものであったと証明できる。

◆天照大御神の指図で行われた狗奴国討伐儀式の忌瓮が据えられた「氷河」は、現在の兵庫県加古川市加古川町大野の氷丘(ひおか)の下を流れる加古川であるとされる。

伊耶那岐命と伊耶那美命の二度目の結婚は、淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮(兵庫県淡路市多賀740)で行われた。

F図に示すように、伊弉諾神宮は氷丘と同経度(東経13451)となる真南に所在する。

伊弉諾神宮の主祭神は伊弉承尊(伊耶那岐命)と伊弉冉尊(伊耶那美命)であり、創建は神代とされる。

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(C) 2014 OHKAWA


 わがブログ「日本が滅びる・57」で詳細に解説し証明したように――淡路島の南にある諭鶴羽(ゆづるばね)山地の「諭」は「伊耶那岐命と離縁して倭女王を退位すると決意した伊耶那美命を伊耶那岐命が諭(さと)して倭女王に止めたこと」をあらわし、「鶴羽」はG図に示す「雌雄がたがいに羽をひろげて求愛するタンチョウツルのダンス」をあらわした。

だから、伊耶那岐命と伊耶那美命は伊弉諾神宮において、G図に示すタンチョウツルのごとく強く結ばれる愛を誓い合う結婚式をおこなったことになる。

神前結婚においては、神主が伊耶那岐命と伊耶那美命の両神に新郎新婦の名と住所を告げて愛と幸福を願う儀式をおこなう。ところが、天照大御神は神前結婚式には登場しない。また、タンチョウツルは結婚を祝う様々な物の意匠となる。このような神前結婚の形式は『古事記』の〔国生み〕の条で語られる二度目の淤能碁呂島の聖婚儀式に由来するものであり、F図下部の山地名の「諭鶴羽」に由来するものであったのである。

◆天照大御神は伊耶那美命の代役となって、狗奴国を滅亡させた。伊耶那美命は倭女王の責任を果たさず狗奴国討伐を拒絶したゆえ倭王朝は伊耶那岐命と離縁して倭女王からの退位を迫ったが、伊耶那岐命は伊耶那美命との離縁を拒絶する意思を天照大御神が指図して狗奴国討伐の忌瓮儀式がおこなわれた氷河と同経度の淡路島の地所(伊弉諾神宮)において二度目の結婚式をおこなって示した。このため、伊耶那岐命の代役をつとめた天照大御神のプライドはいちじるしく傷つけられた。それゆえ、天照大御神は激しく嫉妬し、伊耶那美命を激しく憎悪し、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を呪い否定し、夫の伊耶那岐命への怨念は凄まじいことになったのである。

だから前回のわがブログ「日本が滅びる・139」で指摘したように、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話の天照大御神(伊耶那美)は伊耶那美命が嫌った徇葬を陣頭指揮して八雷神(やくさのいかづちがみ)つまり多数の徇葬者を伊耶那美命の墓(熊野本宮大社の旧社地の大斎原)に葬って復讐したのである。

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また、H図の示す和歌山県新宮市磐盾(いわたて)町に所在する神倉(かんのくら)神社の社殿が建つ場所で伊耶那岐命に離縁を言い渡された天照大御神は「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日(ひとひ)に千頭絞(ちがしらくび)り殺さむ」と言って、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民たちを憎み呪って祟ると誓った。

このような天照大御神の伊耶那美命への激しい怨みは『魏志』倭人伝末部の記事が示す狗奴国討伐が発端となったのである。

 

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