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2014年11月24日 (月)

日本が滅びる・142

すべての日本国民は真実の日本国誕生史を知る権利がある

ますらおたちの黙示録╱愛、あざやかに永遠であれ(9)

 

ほんとうの日本、ウソの日本(2)

 

◆前回のわがブログ「日本は滅びる・141」は、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命説話にある〔国生み〕冒頭の二度目の結婚の秘密について解明した。〔国生み〕は伊耶那美命と伊耶那岐命の結婚記事に続いて「淡道之穂之狭別島(あわぢのほのさわけのしま)を生んだ」と説明する。つまり、この記事は「伊耶那岐命は結婚した伊耶那美命は、今日の兵庫県淡路島を淡道之穂之狭別島と名づけた」と説明する。だから、伊耶那美命が淡路島を生んだわけではない。「国生み」という語は「伊耶那美命が淡道之穂之狭別島という島の名を生み出した」と意味する。次の説話の「神生み」という語は「伊耶那美命・伊耶那岐命時代に画期的な発明・工夫・考案などが出現した」と意味することになる。

◆今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官であった“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)は、A図に示す「秋の銀河(の西部)と夏の銀河全域」から漢字(文字)を作る原理を下記のごとく発明し、この漢字で人名や地名をあらわした。ゆえに、紀元前45世紀に生存した中国の孔子と並ぶ思想家の老子は「文字」を「名」と呼んだ。だから、「文字」の旧称は「名」であった。

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(C) 2014 OHKAWA

A図の左上の黒く塗りつぶした銀河部を、私は「十字の銀河」と名づけた。

B図に示すように、「十字の銀河」は[]の字源・字形・字義となった。

C図に示すように、「十字の銀河」は[(べん)]の字源・字形・字義となった。また、〔胎児・乳児〕に相似すると見立てられた「鬼の姿に似る銀河」は[]の字源・字形・字義となり、[]の下に[]が加わって[]という字源・字形・字義が生まれた。

[]は文字が生まれたA図の「秋の銀河と夏の銀河の全範囲」をあらわし、また[]は「すべての文字を生む母体」をあらわした。というのも、C図における「十字の銀河」は[]となり、B図の[]の金文形は「十字の銀河」を〔おなかに胎児を宿る妊婦の姿〕に図案する。だから、B図の[]の金文形は――倉頡が女体に相似する「十字の銀河」を「すべての文字を生む母体」、「十字の銀河の子宮(生殖器)」を「すべての文字を生む子宮(生殖器)」と定めた――ことを示す。さらに、倉頡は〔胎児・乳児の姿〕に観える「鬼の姿に似る銀河」を〔A図の銀河各部の形状から生まれたすべての字のモデル〕とした。

要するに、倉頡は――A図左上の黒く塗りつぶした小さな「十字の銀河」をすべての文字を生む母体と定めれば、母が子を生むように大なる「秋の銀河と夏の銀河全域」から万物のイメージに類似する多数の名()を生む(作る)ことができる――という漢字作成原理を発明した。倉頡が発明した漢字作成原理は「鳥獣の足跡」、別名は「鳥獣の文」と呼ばれた。

これゆえ上記したように、「国生み」は「小国や島などの地名を考えた」と意味し、「神生み」は「画期的な発明をする」と意味した。

◆「銀河」の別名は「銀漢」であるゆえ、「銀漢から生まれた(作られた)字」を略して「漢字」と称された。A図の「銀漢全域の各部の形状」は「文字」となったので、「天に多数の文字ありき」を略して「天空」は「天文」と呼ばれることになった。

だから、「文字は銀河から作られた」ことは歴史的事実である。

わがブログ「日本が滅びる」は1回から今回(142)までくりかえして――文字が銀河から作られたと伝える確かな史料は多数存在するが、学者たちが文献批判を駆使して文字が銀河から作られた歴史的事実をことごとく削除・抹殺したことを証明するものである。

わがブログ「日本が滅びる・138」で証明したように、伊耶那美命は『魏志』倭人伝末部の登場する倭女王「壱与(いよ)」であった。D図に示す「十字の銀河の子宮」は「すべての文字を生む子宮」となったので〔多即一、一即多〕からして[]の字源となり、〔一〕を字義とする[]は「天に貯蔵される雨」をあらわした。[]の字源は、D図に示す銀河部から生まれた。「壱与」は「天から大量の雨が降って、地上の河川を流れる大量の水の呪的な戦力を有する女王」と意味した。

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(C) 2014 OHKAWA 

わがブログ「日本が滅びる・138」で詳細に解説したように、『魏志』倭人伝末部に登場する「載斯烏越(そしあお)」という武将は「伊耶那岐命」であった。E図に示すように、「日輪の銀河」は〔車輪〕に見立てられて[]の字源となり、「十字の銀河」は[]の字源の「日輪の銀河」の上に〔のる〕ので[]の字形には[]の字が加えられ、[]の字義は「のる」となった。「激流の銀河」は〔烏(からす)の羽のように黒いコールサックに漬かる〕ので[]の字をあらわした。「激流の銀河」は〔早瀬の中にある大きな岩を乗り越える急流〕のイメージとなって[]の字源・字形・字義となった。「烏越」は「あお」と読み、「烏の羽の黒」ではなく「烏に似る尾までの背中の羽の色が青いカワセミ」に因んで「青い水」をあらわした(これについては、後でも説明する)。ゆえに、「載斯烏越」は「天を焦がす火焔のような呪的な戦力を奪う水の呪的な戦力を有する軍王(いくさのおおきみ)」と意味した。

「壱与」と「載斯烏越」の名が証明するように、「漢字」はA図の「銀漢各部の形状から生まれた文字」であり、「A図の銀河各部の形状」は「文字(字源・字形(字形の原形)・字義」となった。

◆『魏志』倭人伝にて最初に記載される朝鮮半島南部にあった狗邪(くや)韓国を1番と数えると、29番目の倭の小国は烏奴(あな)国、30番目の倭の小国は「奴()国」である。

奴国と烏奴国の名に共通する[]は、[][]が加わる。F図に示すように、[]の金文形が示すように、「鬼の姿に似る銀河」と〔渦巻き〕の形に観える「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」が[]の字源となる。C図の「鬼の姿に似る銀河」は〔女性の子宮に宿る胎児。または子宮から出産する新生児〕に見立てられたので、「鬼の姿に似る銀河の周辺」はG図に示す〔女性の生殖器〕に見立てられて、[][]が加わる[]の字となった。

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(C) 2014 OHKAWA

H図中央図の出産第1期の終わりになると子宮口がすっかり開き、胎児の頭は後方(母体の背側)に顔を向ける位置となる。H図右図の出産第2期における陣痛発作の時には、膣口(ちつこう)から胎児の頭が見えるようになる。さらに進んで胎児の頭が膣口を通過する時の出産第2期の終わりには、胎児の頭は母体の左または右に向くが、これは肩が狭い子宮頸管(しきゅうけいかん)を通過するためである。肩はまず上(母体の腹側)にあるほうが先に、次いで下(母体の背側)の肩が出ると、あとは一気に胎児の頭が誕生する。このような「出産の際における、胎児の頭が渦巻きを描いて周旋(しゅうせん)する神秘的な様子」は、F図の金文形の[渦巻き(北アメリカ星雲・ペリカン星雲]があらわした。

また、[]の金文形の[渦巻き(北アメリカ星雲・ペリカン星雲)]は「胎児の頭が子宮口に近づいた時、胎児の頭は母体の直腸を圧迫するので、母体は自然に雷鳴のごとく大声をあげる怒責(どせき╱いきみ。きばる行為)をあらわした。怒責におこると腹圧が加えられ、陣痛と腹圧とのものすごい力で、G図に示す直角状に曲がる内子宮口・子宮頸管・外子宮口を胎児の頭は次第に押し下げられて――上記した胎児の頭が渦巻きを描いて周旋する神秘的な様子が見える陣痛発作の時となる。

ゆえに、H図からして[][]が加わる[]の字が生まれた。[]の下に[]が加わって「怒責」の[]の字が生まれた。したがって、F図の[][][]の初文(最初の文字)であった。

そして、[]は「陣痛と腹圧とで胎児の頭を直角状に曲がる内子宮口・子宮頸管・外子宮口を通過させる母体のものすごい力」をあらわした。

C図に示す「十字の銀河」は[]の字源となり、[][][][]の字源となった「鬼の姿に似る銀河」は[(穀物となるイネ科の草が生える土)]の字源となった。

これゆえ、[]は「健やかな子どもたちが多数生まれて子孫が繁栄し、豊かな穀物に恵まれる」をあらわすと共に、「神の神秘的なもの凄(すご)い巨大な力」をあらわした。

◆中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』の繋辞(けいじ)下伝は漢字の起源を「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。(中略)。もって神明の徳に通じ、もって万物の情(イメージ)に類して文字を作った」と説明する。

この文中の「仰いで観る天象」はA図の「観察者が仰いで観る銀河全域の各部の形状」である。天象すなわち各銀河部は東から西へと運行する。中国を代表する黄河と長江の水は天象の運行に反して西から東へと移動する。この「天象の運行に反して西から東へと中国の大地を流れる黄河・長江の水の移動」が「天上から俯して観える地法」である。次の「鳥獣の文」は、前述したように倉頡が発明した漢字作成原理の「鳥獣の足跡」の別称である。「地宜」は「平面的に図化した地図の形」、すなわちI図に示す「四国・淡路島の地図の形」が「地宜」となる。

F図に示すように、[]の金文形の「渦巻き」となった「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の隣は「激流の銀河」である。

これゆえ、[]の「渦巻き(北アメリカ星雲・ペリカン星雲)」はI図右上の〔鳴門の渦潮〕に見立てられ、「激流の銀河」は〔鳴門の渦潮の潮流〕に見立てられた。鳴門の渦潮の潮流は時速20km以上になることもあり、世界で最高級の速度であるといわれる。轟々(ごうごう)とすさまじい音響を立てて豪快に巻く渦潮は、地軸をかきまわすがごとくの巨大な渦となる。この轟音と渦潮の地響きは、胎児を出産する母親のごとく海の女神が怒責して四国の土地に豊かな穀物を恵み多数の健やかな子どもを出産させて子孫繁栄をもたらす、「神の神秘的なものすごく巨大な力」である[]をあらわした。

したがって、I図に示すように「愛媛県・香川県・徳島県」は、J図に示す「鬼の姿に似る銀河・北アメリカ星雲・ペリカン星雲」に見立てられて「奴国」という小国名となった。「高知県」はJ図の「日輪の銀河・激流の銀河・鬼の姿に似る銀河の腹部にある〔穴〕のような暗黒天体部」に見立てられて小国名が「烏奴国」となった。

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(C) 2014 OHKAWA

K図に示すように、高知県南岸中央にある浦戸湾(うらとわん)の形は〔カワセミの姿〕に類似する。カワセミは崖の穴を巣とする。J図の「鬼の姿に似る銀河」は〔崖〕に見立てられ、「鬼の姿に似る銀河南部中央の〔穴〕のように観える暗黒天体部」は〔崖に穴を作るカワセミの巣〕に見立てられた。「烏奴」は「穴」と同じく「あな」と読める。ゆえに、高知県南岸中央の「穴」のごとくの浦戸湾の地宜は〔烏の姿に類似するカワセミ〕に見立てられた。J図の「激流の銀河」は〔カワセミが生息する渓流・清流〕に見立てられ、「十字の銀河」は〔カワセミが止まる木の枝〕に見立てられ、「日輪の銀河」は〔カワセミが獲物を見つけて水中に潜る地点にできる輪状の波紋〕に見立てられた。

「カワセミ」は漢字で「翡翠(ひすい)」と表記される。

古代、わが国で装身具などに使った勾玉(まがたま)の翡翠の産地として有名なのは、新潟県糸魚川(いといがわ)市の小滝川ヒスイ峡である。この小滝川近隣地域の青翡翠(あおひすい)の原石は世界でも指折りの品質を誇る。J図の「激流の銀河」を〔糸魚川の小滝川〕に見立てると、「激流の銀河」は〔小滝川の青翡翠の原石〕にも見立てられたことになる。上記したように、「激流の銀河」は〔カワセミ(翡翠)が生息する渓流・清流〕に見立てられた。さらに、K図左図の高知県南岸中央の〔浦戸湾の地宜〕は「カワセミ(翡翠)の姿」に類似する。だから、「烏奴国」の[]は「カワセミ(翡翠)」を意味したことになる。

 『魏志』倭人伝末部に「青大句珠二枚(青の大句珠二枚)」と記される。「青大句珠」は「青い大きな勾玉」を意味する。だから、上記したようにE図の「激流の銀河」は伊耶那岐命の夏音名(夏音文字の名)の「載斯烏越」の「烏越」をあらわした。だから、「烏越」は「カワセミの尾までの背面の羽の青色」をあらわし「青い水の呪的な戦力」を意味した。

◆伊耶那美命と伊耶那岐命の二度目の結婚を記述した後に、『古事記』上巻の〔国生み〕は――現在の「淡路島」を「淡道之穂之狭別島」と名づけ、現在の「四国」を「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」と名づけた。この島は身体が一つでだが、面(おも)が四つある。面ごとに名がある。ゆえに、「伊予国(現在の愛媛県)」の神名は「愛比売(えひめ)」と言い、「讃岐国(現在の香川県)」の神名は「飯依比古(いひよりひこ)」と言い、「粟(あわ)(現在の徳島県)の神名は「大宜都比売(おほげつひめ)」と言い、「土左(とさ)(現在の高知県)」の神名は「建依別(たけよりわけ)」と言うことにした――と記載する。

L図に「伊予之二名島(四国)の地宜」を示した。

M図は、前回のわがブログ「日本が滅びる・141」において、視界の中に少し明るい光が入った状態の「銀河Ⅰ」と名づけた銀河各部の形状図である。このM図の
3世紀、伊弉諾神宮の天頂を通過した銀河部」から、伊予之二名島(四国)の小国名と神名が作られた。

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(C) 2014 OHKAWA

◆伊耶那美命はM図の〔求愛ダンスをする雌雄のタンチョウツルの姿〕と化す「十字の銀河とその南部の銀河部」を伊耶那美命と伊耶那岐命が〔愛〕の結婚式をおこなった「伊弉諾神宮がある淡道之穂之狭別島(淡路島)」に見立てた。

伊予国は淡路島から四国東部の讃岐国のさらに西側に在る。ゆえに、M図における「十字の銀河」から「鬼の横顔に似る銀河」のさらに西側の「人の横顔に酷似する銀河」に呼応する小国は「伊予国」と名づけられた。「人の横顔に酷似する銀河」の額(ひたい)にある「北天の最輝部」の形は、銀河ⅠにおいてM図に示すように「タンチョウツルの姿」と化す。この「北天の最輝部」の「タンチョウツルの姿」をM図左端の〔求愛ダンスをする雌雄のタンチョウツル〕に見立てて、伊耶那美命は「愛」を示すものと定めた。これゆえ、伊耶那美命は伊予国の神名を「愛比売」と名づけた。

現在、「旧国の伊予」は「愛媛県」と呼ばれる。『古事記』上巻のテーマは伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】であった。編纂スタッフは【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために、『古事記』を作成した。現在の学者たちは「愛媛」という地名に秘められた【日本建国の〔愛〕の理念】はじめ幾回もくりかえして【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわす記事を文献批判=誤読を自由自在にあやつってことごとく抹殺した。だから、わが国の古代史学は誤読の古代史学となり、考古学も誤読の考古学となって伊耶那美命を讃えるものではなく天照大御神を讃えるウソの日本が成立することになった。

◆淡路島の隣は四国東部の讃岐国である。ゆえに、〔淡路島〕に見立てられた「十字の銀河」の隣の西側にある「鬼の横顔に似る銀河」から「讃岐」という小国名と神名の「飯依比古」が生まれた。讃岐国に所在する飯野山(いいのやま╱別綴は「飯ノ山」L図参照)は小国名の「讃岐」と神名の「飯依比古」の由来となる。飯野山は“讃岐富士”と呼ばれ、世界遺産の富士山と同じ裾野が広がる台形(円錐形)の山である。

わが国の中国古代文字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は「岐は山のわかれ道をいう」と解説する。N図に示すように、「十字の銀河」は〔東から西に向かって歩く人と西から東に向かって歩く人〕に観える。ゆえに、N図に示すように「鬼の横顔に似る銀河」は〔台形の山〕に見立てられ、「十字の銀河の両足と鬼の姿に似る銀河」は〔わかれ道〕に見立てられて、[]の字源・字形・字義となった。ゆえに、「岐(飯ノ山)を讃(たた)える」から「讃岐」という小国名が生まれた。

「飯ノ山」と「飯依比古」の先頭字の[]の字源を、『説文解字』は「食うなり」と解説する。「食う」は「喰う」とも書き、[]の偏の[]を『説文解字』は「人の言食する所以(ゆえん)なり」と解説する。J図が示す「鬼の横顔に似る銀河の口」は〔開き、舌が見える〕ので「ことばを言う口と食べる口、すなわち人が言食する口」となる。〔言葉は口から外へ出し、食べるは口から体内へ入れる〕となるので、「食べる行為は言う行為の反対となる」から、[]は「食うなり」をあらわした。ゆえに、[][]を加える[]の字が生まれた。N図に示すように「鬼の横顔に似る銀河」は「飯依比古」に見立てられた。だから、「飯依山(いいよりやま)」が転じて今日は「飯ノ山(飯野山)」と表記される。

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「粟国」の[]の字について、白川静著『字統』は「粟をゾクの音でよむときは、穀類の総称としても用いる」と指摘する。山口佳紀・神野志隆光校注・訳者『古事記』(小学館)と荻原浅男・鴻巣隼雄校注・訳者『古事記 上代歌謡』(小学館)は、粟国の神名の「大宜都比売」の[]の字に「穀物をつかさどる女神の義」という注を付ける。「地宜」の[]の字義は「俎板(まないた)のように平らな面」であり、O図に示す「正方形の暗黒天体部」が[]の字源であった。[]の字源銀河の「正方形の暗黒天体部」は[]の字源「鬼の横顔に似る銀河」の南隣にある。だから、「穀物を炊いて飯」となることから大宜都比売の[]は原義を失って粟国の守り神の「穀物をつかさどる女神」の義に転じたにちがいない。

P図に示すように、〔中国の山東半島の付け根より南の海岸線〕は〔人の横顔〕に似ている。したがって、Q図に示す「人の横顔に酷似する銀河」は〔中国の山東半島の付け根より南の海岸線〕に見立てて伊耶那美命は[]と解釈した。

 

26

Q図に示すように、「十字の銀河」は[]の字源・字形・字義となった。「正方形の暗黒天体部」の南の「人の横顔に酷似する銀河の左手となる銀河」が[]となり、「人の横顔に酷似する銀河」の[]と合体して小国名「土左」となった。Q図左上の「十字の銀河の左手」は[]の字源となり字義は「犂(すき)」となった。「土左」の[]となった「人の横顔に酷似する銀河の左手」は「大きな手」である。ゆえに、「人の横顔に酷似する銀河の左手」は「堅い地面を耕し開墾できる犂を持つ青年たちの大きな手」をあらわすということで、神名を「強健な肉体を有する青年」をあらわす「建依別」と定めたのである。

◆『魏志』倭人伝末部の文を現代語に訳すると「卑弥呼は以(すで)に死去する。大きな冢()を作る。円墳部の直径は百余歩(150)もあった。卑弥呼の墓に奴(18歳くらいの若者)と婢(13歳くらいの乙女)百余人を殺して犠牲(いけにえ)にする徇葬(じゅんそう)をおこなって埋葬した。卑弥呼の後に男王を倭の大王に選んだが、国中の人民たちは徇葬を憎悪して倭王に服従せず武器をもって倭王朝軍と戦った。倭王朝軍は千余人の反乱者たちを殺した。また、13歳で卑弥呼が率いる巫女界を代表して(小国・日本の女王となった)壱与(伊耶那美命)を倭女王に選ぶと、遂に倭の大乱は鎮まった」となる。

壱与は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めた。だから、反乱者たちは〔愛〕の女王・壱与が倭女王に即位するならば必ず徇葬を禁止するにちがいないと信じて武器を捨てた。倭王は強大な権力をもって残酷な徇葬をおこなったが、国中の人民は徇葬を憎悪して反乱をおこした。この反乱は〔愛〕を小国・日本の柱と定めた壱与によって平定された。だから、倭王の強大な権力よりも壱与が提唱した〔愛〕のほうが勝っていることが示された。

壱与は徇葬を憎悪する〔愛〕の女王であった。だから、人民は伊耶那美命を信じて反乱を終息させた。〔愛〕は〔強大な権力〕に勝って倭の大乱を終息させた。壱与と人民は共に徇葬を憎み、壱与は「奴婢」の[]の字を配して「奴国」と「烏奴国」とする四国の小国名と神名を改めた。ゆえに文字を知らなくても人民には、自分たちと同じく徇葬を憎悪した壱与が改めた伊予之二名島(四国)の小国名と神名は〔愛〕をあらわすことが察知できたのである。

そして〔愛〕は〔タンチョウツル〕でたとえられて示された。ゆえに、文字を知らない人民にも壱与が改めた伊予之二名島の小国名と神名は〔愛〕をあらわすことが理解できた。

タンチョウツルのヒナはイネ・ムギの茎の干した藁(わら)色の綿羽(めんう)におおわれ、ヒナを育てる巣は湿原に生えるイネ科の草を直径1mほどの大きさに積み上げて作る。ゆえに、タンチョウツルは穀物と穀物を炊いて作る飯をあらわして、「粟国・大宜都比売」と「讃岐国・飯依比古」という名になった。タンチョウツルは雌雄が求愛ダンスをして結ばれ、巣に卵を2個生んで雌雄が交代で温めて約1ヵ月でふ化する。ヒナはふ化するとすぐに歩くことができ、両親と一緒に湿原で育つ。ゆえに、〔タンチョウツル〕は伊耶那美命が小国・日本の国作りの柱にした〔愛〕をあらわした。だから伊予国の神名は〔愛〕を明確に示して「愛比売」となった。「土左国」は「雄のタンチョウツル」にたとえて[]の「青年」をあらわすものであったので、神名の「建依別」は「強健な青年」を意味した。

上記したように「壱与」は「敵国の呪的な戦力を奪う魔女」を意味する戦闘用の名であったので、伊耶那美命は「壱与」と同じく「イヨ」と読む「伊予」に改めて「子にそそぐ無尽蔵の母の愛」をあらわした。倭女王・伊耶那美命は「伊予之二名島」という名でかつて小国・日本の国作りの柱であった[]を続けて国政の目標にすると示して「愛はすべてのものに勝る」と表明した。

次回は「伊予之二名島」で「愛はすべてのものに勝る」とあらわした秘密を証明する。

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