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2014年11月27日 (木)

日本が滅びる・143

すべての日本国民は真実の日本国誕生史を知る権利がある

ますらおたちの黙示録╱愛、あざやかに永遠であれ(10)

 

ほんとうの日本、ウソの日本(3)

◆学界は「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀ないし6世紀である」と断定する。

しかし学界の定説に反して、下記のごとく記事で2世紀末~3世紀半ばまでのわが国の様子を記述する『魏志』倭人伝は「わが国は夏音(かおん)文字を存在した」と記す。

『魏志』倭人伝は(1)「吉凶を占う倭の易における卜辞における文字は令亀(れいき)の法(すなわち、亀の甲羅に刻む甲骨文字=契文)のごとくである」、(2)卑弥呼が書く文書の文字は魏の都・帯方郡・諸韓国が用いる文字と差錯(ささく╱相違)していたので、倭の伊都国では港で点検し確認して間違いのないようにしていた」と、わが国には56世紀の仏教の経典に用いられていた楷書より以前の漢字がすでに存在していたと明記する。

わがブログ「日本が滅びる」は初回の1~前回の142まで、今から約4050年前の後期縄文時代初頭(中国の夏代初頭)に夏音(かおん)文字がわが国に伝来した歴史的事実を科学的に証明し、日本国は「愛」の理念を掲げて誕生した史実の証明を作成目的とする。

後期縄文時代初頭に相当する国の特別史跡・大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき╱秋田県鹿角市に所在する)には夏音文字が伝来した痕跡が現在も残っている。

中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝には――702年に中国に渡った遣唐使が「後稍(のちやや)夏音を習う」つまり「壬申の乱の後、稍々夏音文字を復興することになった」と中国王朝に告げた――という記事が存在する。

上記の遣唐使が「夏音文字がすでに存在した」と述べた言から10年後の712128日に完成した『古事記』の序は「夏音文字に限らず楷書もまた秋の銀河と夏の銀河における各部の形状から作られた秘密」を解説する。また、『古事記』上巻の随所には〔音〕という注が付く夏音文字が多数記載されている。

『魏志』倭人伝は280289年に著作された。A図に示す私が“「卑弥呼」の地上絵”と名づけた遺跡は、260290年に作成された。だから、「卑弥呼」の地上絵は『魏志』倭人伝と同時代の3世紀後半に作られた。現在、静岡県浜松市北区の細江町の行政区域を表示する地図となる「卑弥呼」の地上絵は――夏音文字も楷書もB図に示す秋の銀河と夏の銀河全域における各部の形状から作られた事実が科学的に具体的に解明できる遺跡である。

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「漢字はB図の銀河の各部の形状から作られた」と記述する文献は、『魏志』倭人伝と『古事記』の他に、中国の五経の第一に挙げられる『易経』の繋辞(けいじ)上・下伝、紀元前45世紀に生存した老子の教えを伝える『老子』上篇(道経)2世紀初頭に完成した“字書の聖典”と尊重される『説文解字』などがある。「漢字は銀河から作られた」と指摘しないが――中国古代漢字研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統』(平凡社)も、B図の銀河各部の形状に照らし合わせると「漢字は銀河から作られた」と証明される。

『魏志』倭人伝の人名・小国名に用いられて現存する夏音文字は、わがブログ「用語の解説」の〔4、倉頡が死刑と定めた3つの掟〕で指摘したとおりに、3つの掟を厳重に守る原初漢字であった。これゆえ、倉頡の(3)の掟にしたがって、用済みになった文字は直ちに消された。だから、夏音文字は後世に出土しない文字となり、【銀河各部の形状】を【文字】とする今から約3300年前の契文(甲骨文字)より以前の漢字であった。

このため『魏志』倭人伝に記載された夏音文字は資料が発掘されないので、学者たちは早合点して「わが国に56世紀以前には漢字は伝来していない」と断定したのである。

◆上記した確かな幾つかの文献は「漢字は銀漢(銀河)から作られた文字を略して【漢字】という」と伝える。学界は「文字は銀河から作られた」と証言する数々の記事を“文献批判”という方法を用いて誤読して削除・抹殺する。しかし、【夏音文字と現在の楷書=当用漢字はじめ契文・金文・篆文・隷書・古代の楷書などのすべての漢字の字源・字形・字義は、B図の〔秋の銀河と夏の銀河〕における各部の形状】であった事実は、上記した幾つかの文献と数々のわが国の遺跡・史跡・遺物・地名などで科学的に証明される。

『魏志』倭人伝は、夏音文字と楷書の両方を用いて34の小国名を列記する。わがブログ「日本が滅びる」の118132までで、【『魏志』倭人伝の全34の小国名に用いられる夏音文字と楷書の字源・字形・字義は、B図の〔銀河各部の形状〕である事実】を証明した。

だから、『魏志』倭人伝の7割から8割の記事は【すべての漢字が銀河から作られた事実】が科学的に証明できる極めて貴重な証言となる。

学界は、「誤読」に“文献批判”という偽りの名を付けて事実を誤魔化す方法を用いる。「文献批判」という名の「誤読」を自由自在にあやつって、学界は『魏志』倭人伝がその大半の記事で証明できる〔すべての漢字は銀河から作られた事実〕を排除・抹殺した。

わがブログは前々回の141から「ほんとうの日本、ウソの日本」と題して、『古事記』の太安万侶が書く序と上巻の〔国生み〕の記事が「夏音文字と楷書の字源・字形・字義はB図の銀河各部の形状である」と伝えていることを証明してきた。

そして前回のブログ「日本が滅びる・142」では、『魏志』倭人伝に記載される「奴()国」と「烏奴(あな)国」は現在の「四国」をC図のごとく二つに分けた小国であることを銀河各部の形状を用いて証明した。

『古事記』上巻の〔国生み〕は、現在の四国をD図のごとく「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」と名づけて四つの小国に分けた。

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また前回のブログでは、〔国生み〕に登場する「伊耶那美命」の夏音名(夏音文字の名)は『魏志』倭人伝末部の記事に登場する倭女王の「壱与(いよ)」であることを、[][]の字源・字形・字義となる銀河の形状を示して証明した。同様に、[][]「烏越」となる銀河の形状を図示して、「伊耶那岐命」の夏音名は「載斯烏越(そしあお)」であることを証明した。

◆また前回のブログでは、『魏志』倭人伝末部の「卑弥呼は以(すで)に死去した。大きな墓を作る。円墳部の直径は百余歩(150)もあった。卑弥呼の墓に奴(18歳くらいの若者)と婢(13歳くらいの乙女)百余人を殺して犠牲(いけにえ)にする徇葬(じゅんそう)をおこなった。卑弥呼の後に男王が倭の大王になったが、国中の人民たちは徇葬を憎悪して倭王に服従せず武器をもって王朝軍と戦った。王朝軍は千余人の反乱者たちを殺した。また、13歳で卑弥呼が率いる巫女界を代表して(小国・日本の女王となった)壱与(伊耶那美命)を倭女王に選ぶと、遂に倭の大乱は鎮まった」と伝える記述に注目した。

壱与は倭女王になる以前に13歳で小国・日本の女王に就任した時、小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めた。だから、反乱者たちは〔愛〕の女王・壱与が倭女王に即位するならば必ず徇葬を禁止するにちがいないと信じて武器を捨てた。倭王は強大な権力をもって残酷な徇葬をおこなったが、国中の人民は徇葬を憎悪して反乱をおこした。この反乱は〔愛〕の女王の壱与によって平定された。だから、倭王の強大な権力よりも壱与が提唱した〔愛〕のほうが勝っていることが示された。

壱与と人民は共に倭王朝がおこなった徇葬を憎んだ。ゆえに、壱与は徇葬者「奴婢」の[]の字を配して「奴国」と「烏奴国」とする四国の小国名を改めた。だから人民は文字を知らなかったが、自分たちと同じく徇葬を憎悪した壱与が改めた伊予之二名島(四国)の小国名と神名は〔愛〕をあらわすものであることが人民には容易に察知できたのである。

◆人間の瞳孔の直径(瞳孔径)は、自動カメラのごとく、本人の意志にかかわりなく周囲の明るさに応じて絞りつまり虹彩(こうさい)が働いて、約2ミリ~78ミリくらいまで変化する。ゆえに、瞳孔径の相違によって銀河各部の形状は変化することを示すために、わがブログ「日本が滅びる・134」においてB図の銀河各部の形状が相違する3点の写真を掲載した。

「銀河Ⅰ」は、視界の中に明るい光が少し入った状態をあらわすカラー写真である。

「銀河Ⅱ」は、撮影者の藤井旭氏が「人間の目が普通に見た時の銀河」と言って私に提供してくださったカラー写真である。

「銀河Ⅲ」は、藤井旭氏が撮影した「銀河Ⅱよりも少し暗い場所で見える銀河」の白黒写真である。

B図は、「銀河Ⅲ」の瞳孔径で見える銀河各部の名称図である。

国際天文学会において「北アメリカ星雲」と名づけられる星雲は、「銀河Ⅲ」の時には「北アメリカ大陸の地図の形」に相似する。しかし、E図に示すように「銀河Ⅰ」の時には「赤々と燃える火焔」の形になる。「銀河Ⅱ」の時には「キジの目の周囲の赤色に裸出する皮膚の形。ニワトリの赤色の鶏冠(とさか)の形」に相似する。

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 F図は「銀河Ⅰ」における銀河各部の形状図である。F図の北アメリカ星雲はE図に示すように「赤々と燃える火焔」の形となる。

前回のブログで解説したように、国際天文学で「北天の最輝部(さいきぶ)」と名づける「北半球に住む人々が最も輝いて見える銀河部」は「タンチョウツルの姿」と化す。

D図に示すように、壱与・伊耶那美命は小国・伊予の神名を「愛比売(えひめ)」と定めて、「壱与」と同音「イヨ」となる「伊予」で「愛」をあらわした。

そして、伊耶那美命は「愛比売」の[]を〔タンチョウツル〕にたとえて示した。

これゆえ、文字を知らない人民たちにも伊耶那美命が改めた伊予之二名島の四つの小国名と神名は〔愛〕をあらわすことが理解できた。

というのも――タンチョウツルは雌雄が求愛ダンスをして結ばれ、巣に卵を2個生んで雌雄が交代で温めて約1ヵ月でふ化する。ヒナはふ化するとすぐに歩くことができ、両親と一緒に湿原で育つ。したがって、〔タンチョウツル〕は伊耶那美命が小国・日本の女王になった時に国作りの柱にした〔愛〕をあらわした。そして伊耶那美命は伊予国の神名を「愛比売」と定めた。だから、人民たちは〔タンチョウツル〕の生態から「伊予」という小国名は[]をあらわすことが容易に察知できた――からである。

現在は言われなくなったが、昭和30年ころに用いられていた「焼野の雉(きぎす)夜の鶴」という諺(ことわざ)がある。この諺は「親のキジは野が焼ければ自らを犠牲にして子を救い、夜の親のタンチョウルは羽で子を温める。ゆえに、親の子に対する深い愛情のたとえ」となった。E図に示す「北アメリカ星雲」は銀河Ⅰにおいて「火焔」の形となって「焼野」が連想され、銀河Ⅱにおいて「キジの目の周囲の赤色の裸出する皮膚の形」に相似し、さらにF図左上の「十字の銀河とその南部」は「雌雄のタンチョウツルの姿」に「北天の最輝部」は「タンチョウツルの姿」に相似する。だから、「焼野の雉夜の鶴」はF図の銀河の形状から生まれた諺であると考えられる。

タンチョウツルは冬季には家族群もしくは家族群が合流した群れを形成する。ゆえに、このタンチョウツルの生態は「家族愛」をあらわす。

わがブログ「日本が滅びる・138」にて、伊耶那美命が〔愛〕を小国・日本の国作りの柱にした事実は――『万葉集』巻二十の4321番から4436番の116首の東国の防人歌(さきもり)歌で示されたことを指摘した。G図は倭女王になる以前の13歳の時に、壱与・伊耶那美命が赴任した小国・日本の範囲を今日に伝えるものであった。

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巻二十の116首の防人歌のうちの110(95パーセント)は家族(妻子、両親、兄弟姉妹)や恋人を思い気づかう愛の歌である。116首のうちの4370番と4373番の2(1.7パーセント)だけが天皇への尊敬を詠む歌、残る4首は〔愛〕と天皇への尊敬を詠む歌ではない。防人歌の最も多くの和歌は「家族愛」を詠む。ゆえに、〔国生み〕は伊耶那美命が〔タンチョウツルの生態〕で人民に「家族愛」を理解させた歴史を伝えるものであり、またこの歴史を『万葉集』の防人歌は後世に伝える役目を有していたことになる。

◆前回のわがブログ「日本が滅びる・142」で解説したように、「壱与」という夏音名は銀河の形状にもとづいて「天から大量の雨が降って、地上の河川を流れる大量の水の呪的な戦力で敵軍の火焔の呪的な戦力を奪う魔女の女王」という戦いの先頭に立つ巫女(みこ)をあらわす名であった。

「載斯烏越」という夏音名も同じく銀河の形状にもとづいて「天を焦がす火焔のような敵の呪的な戦力に勝利する水の呪的な戦力を有する軍王(いくさのおおきみ)」と意味した。

壱与・伊耶那美命は戦いの先頭に立つ魔女(巫女)をあらわす「壱与」という夏音名を嫌った。ゆえに、「壱与」の字音と同じく「イヨ」と読む「伊予」という小国名を考え、神名の「愛比売(えひめ)」をもって載斯烏越・伊耶那岐命と力を合わせて治める倭国の国作りの柱すなわち政治目標の〔愛〕をあらわした。

『古事記』中巻の第9代開化天皇紀は「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して、天下を治めた。この天皇が丹波の大県主(おおあがたぬし)で名は由碁理(ゆごり)という方の娘である竹野比売(たかのひめ)と結婚なされた」と記述する。

開化天皇が居住した宮殿の「伊耶河宮」の先頭2字と「伊耶那岐命」・「伊耶那美命」の先頭2字は同じ「伊耶」である。ゆえに、伊耶那岐命・載斯烏越は開化天皇であった。伊耶那美命・壱与の本名は竹野比売であった。

伊耶那岐命・竹野比売の出身国の丹波は、“霧の丹波”と呼ばれて有名である。わがブログ「日本が滅びる・124」において『魏志』倭人伝に記載される小国「伊邪(いや)国」の[]の字源はH図に示す「十字の銀河・鬼の姿に似る銀河」である。[()]の字義は「邪(なな)め=斜め」であるから、「十字の銀河」の斜めの「激流の銀河」が[]の字源となる。

小国名「伊邪(伊耶)」は、『説文解字』の[]の字源解説「地气(ちき)発して、天応ぜざるを霧といふ」に合致する。[]の字源の「十字の銀河」は[]の字となり、「激流の銀河」は「地气」すなわち「霧となる地下に蔵する水の气」をあらわし、[]を構成する[(いん)]の字源となる「鬼の姿に似る銀河の右手」は「天応ぜざる」すなわち「天まで昇らずに地を這い空中を漂う霧」をあらわした。

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白川静著『字統』は「尹は神杖をもつ形」と解説する。H図に示すように[]の契文形は「神の杖(つえ)を持つ人」すなわち「精密に緯度と子午線を測量できる測量器具の杖を持つ人」をあらわす。「精密な緯度と子午線」は、I図左上の「[]のキャッチ」に測量できた。杖の中央に天頂点となる印をつけ、46秒間でキャッチする[]となる「天頂緯度線」と同じく真っすぐの杖ならば精密に緯度と子午線が測定できた。わが国の険しく高い山岳を歩いて修行する山伏・修験者たちが持つ鉾(ほこ)は天頂点と合致させる目印がついていないが、真っすぐの杖である。つまり、[]の字源は「山伏・修験者が持つ鉾のような真っすぐの杖を持つ人」であった。丹波は霧が多く発生する山国であるが、晴れた夜空は澄みきってあざやかに天頂緯度となる銀河部が見える。ゆえに、「晴れると天頂緯度線となる銀河部があざやかに見える丹波に住む人々」を「神の杖を持つ人」すなわち[]と表現したと思われる。

人民は竹野比売を敬愛して「伊耶国出身の美しい女王」を略して「伊耶那美命」と呼んだ。伊耶那美命・壱与は『魏志』倭人伝末部に記述されたように、13歳の時にG図に示した小国・日本の女王となって国作りの柱を〔愛〕と定めた。だから、卑弥呼の墓を作った時に行われた百余人の奴婢(青年と乙女)を殺して犠牲(いけにえ)にした徇葬を憎悪する人民が武器を持って戦った大乱は、〔愛〕の女王・伊耶那美命が倭女王になるならば必ず徇葬を禁止するにちがいないと信じて人民が武器を捨てたので遂に鎮まった。

伊耶那美命は小国・伊予の守り神の名を「愛比売」とし、〔愛〕を雌雄のタンチョウツルの生態でたとえたので、銀河から作られた文字の秘密を知らない人民はD図に示す「伊予之二名島」という名は倭国の大乱を鎮めた〔愛〕をあらわすことが察知できたのである。

◆『魏志』倭人伝は「倭国の大人(たいじん╱身分の高い貴人)は皆四、五人の妻をもち、下戸(かこ╱身分の低い人民)でも二、三人の妻をもつ」と記す。

医学が未発達の後期弥生時代では男の子はひ弱で育ちにくかった。また、男性の主な仕事は狩猟・漁労・食べ物の採集であったために山奥や深い森に入り遠くの地に旅し海に入って、I図の〔[]をキャッチ〕に失敗して多くの死亡者を出した。だから、結婚できる男性の数は少なくなって、下戸・人民たちも二、三人の妻を持つことになったのである。

伊耶那美命が定めた土左国の神名「建依別(たけよりわけ)」は「強健な霊が依()りつく男神」と解釈できるゆえ、当時の女性たちの一夫一妻の願いをあらわしたことになる。それゆえ、当時の両親たちはタンチョウツルの両親のごとくひ弱く育ちにくい男の子を大事にして強健な青年になれと育てたので、「建依別」という神名は「子にそそぐ親の愛情」をあらわした。これゆえ、人民たちは「建依別」が〔愛の男神〕をあらわすことを容易に理解できた。

結局、伊予国・愛比売と讃岐国・飯依比古(いいよりひこ)グループと粟国・大宜都比売(おおげつひめ)と土左国・建依別のグループは共に、伊予国の神名の〔愛〕をあらわした。ゆえに、現在の「四国」は「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」と名づけられた。

◆D図に記したように、〔国生み〕に登場する現在の「淡路島」の名は「淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)」である。

白川静著『字統』は「粟国」の[]に字について「粟をゾクの音でよむときは、穀類の総称としても用いる」と指摘する。

[]と同様に、[]の字も「穀類の総称」として用いられた。H図に示す「十字の銀河」は〔子宮〕や〔乳房〕に相当する部位があるので[]の下に[]が加わる[]の字源となった。また、H図に示すように[][]の字源は人体の形に相似する「十字の銀河」である。「十字の銀河」は[][]を加える[]の字源となった。卑弥呼と壱与・伊耶那美命が倭女王となって治める国の略称は「倭国」であった。「十字の銀河」は[][]の字源であったので、「倭国」の正式名は「倭人国」であった。

わがブログ「日本が滅びる・122」はじめ幾回となく繰り返して解説して証明したように、J図左図に示すように、[]の字は〔「十字の銀河」の南にある禾(いね)の穂が西に90度転回する方位規定〕、すなわちJ図右図に示す「時計回りに90度方角が転位する、北→東・東→南・南→西・西→北と改める転回方位規定」をあらわした。

わがブログ「日本が滅びる・132」で証明したように、北九州の「玄界灘」という名は「〔[]をキャッチする方法(I図右上)〕ならば往来できるが、紀元前1世紀に完成したシナ天文が最も重視する〔天の北極〕で緯度と子午線を測量すると往来することができなくなる陸から遠く離れた波の荒い海」と意味した。この〔[]のキャッチ〕によって日本列島の西端の玄界灘に浮かぶ沖ノ島と日本列島の東端に在る伊豆諸島の神津島は同緯度(北緯3415)であることが測量できた。沖ノ島は冬に雪は降るゆえ〔西冷〕となり、神津島は冬でも雪が降らないゆえ〔東暖〕となった。この日本列島の〔西冷・東暖〕と、中国の海岸線地域の〔北冷・南暖〕の地理が合理になるように考えるとJ図に示す[]の字となるので、卑弥呼王朝は[]の字をあわわす錯覚の転回日本列島地理を制定した。

だから、『魏志』倭人伝のすべての記事はJ図の[]の字に合致して科学が成立する仕組みになっている。いいかえると、『魏志』倭人伝は全記事に誤読(文献批判)を一点も加えずに忠実に読解すると卑弥呼王朝が錯覚の日本地理を制定した歴史の事実を知ることができるようになっている。

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C図に示すように、北緯3415分の「鳴門の渦潮」は[]の字を成立させる沖ノ島と神津島と同緯度である。つまり、K図に示す「鳴門の渦潮」は『魏志』倭人伝の全記事における合理(科学)が成立する[]の字をあらわす「時計回りに方角が90度転位する錯覚の転回日本列島地理」の中央のポイント(緯度基準地)であった。「鳴門の渦潮」は「南(淡路島の南)に垂れる禾のが西(讃岐国と粟国の西海岸)に転回する基点」となってJ図に示す[]の字をあらわす。また鳴門海峡はく、鳴門の渦潮の近くの地が讃岐国と粟国の境界線となってれる。ゆえに「淡路島」は「淡道之穂之狭別島」と名づけられた。

淡路島の南部に在る「諭鶴羽(ゆづるは)山地」の「鶴羽」は伊耶那美命が提唱した〔愛〕をあらわした。「鶴羽」は「雌雄が羽をひろげておこなうタンチョウツルの求愛ダンス」をあらわし、「雌雄の親鳥のタンチョウツルが交代で羽で卵を温める行為」を示す。だから、「諭鶴羽」は倭女王を退位しようと決意した伊耶那美命を伊耶那岐命が諭して二人が力を合わせて治める倭国の国家理念の〔愛〕をあらわした(わがブログ「日本が滅びる・141」を参照)

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