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2014年12月 4日 (木)

日本が滅びる・145

すべての日本国民は真実の日本国誕生史を知る権利がある

ますらおたちの黙示録╱愛、あざやかに永遠であれ(12)

 

■ほんとうの日本、ウソの日本(5)

 

◆わがブログ「日本が滅びる」の135138において、『魏志』倭人伝末部に登場する倭女王・壱与(いよ)は『古事記』上巻に登場する伊耶那美命であることを証明した。壱与=伊耶那美命は小国・日本の女王であった。また、『魏志』倭人伝末部に登場する載斯烏越(そしあお)は『古事記』上巻に登場する伊耶那岐命であることを証明した。伊耶那岐命は後の第9代開化天皇である。伊耶那岐命は小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)であった。

そして、壱与=伊耶那美命は開化天皇の正妃の竹野比売(たかのひめ)であった。

つまり、壱与は夏音名(夏音文字の名)、伊耶那美命は愛称、竹野比売は本名である。

中国の正史『三国志』呉書孫権伝は「呉の黄竜2(230)、皇帝の孫権は将軍の衛温と諸葛直に夷州(いしゅう)と亶州(せんしょう)とに分かれる東鯷人(とうていじん)国への遠征を命じた。このときの武装兵は1万」と記述する。

1万の呉の水軍が遠征しようとした東鯷人国に、伊耶那美命と伊耶那岐命は赴任した。というのも、呉の水軍の遠征を知った東鯷人国王は呉軍と戦ってもまったく勝ち目がないと考えて、隣国の倭人国の女王・卑弥呼に服従を誓って防衛を要請したからである。これゆえ東鯷人国を防衛するために、伊耶那美命は国号が改められた新生・日本国の女王となり、伊耶那岐命が小国・日本の軍王となった。

A図の東海・関東地方が旧東鯷人国であった小国・日本であった。

中国では紀元前1世紀に〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成したために、B図右上に示す〔[]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣〕を失って、大海を渡れないことになって8割から9割の兵は海の藻屑(もくず)となって命を失い壊滅した。

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(C)2014 OHKAWA

東鯷人国王と卑弥呼は、天の北極の高度で緯度に換算する方法でも大海を渡れると判断したのか、呉軍は[]をキャッチできると判断したのかは不明だが、呉の水軍は再度遠征に挑戦すると判断したがために小国・日本が誕生したのである。

この〔小国・日本の誕生〕の歴史は、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命の最初の淤能碁呂島(おのごろしま)の結婚説話が伝える(わがブログ「日本が滅びる・138」を参照)

◆呉の皇帝の孫権は、B図右上の〔[]のキャッチ〕ができない呉の水軍には大海を渡ることが出来ない事実を知って、再度の日本列島遠征を断念した。だから、中国の正史『後漢書』倭伝末部は「呉の会稽にやってきて交易する東鯷人が往来する大海の道は、中国の人々には遥か遠くまで続き途中で絶えてしまうので往来することができない」と記述する。

このように『三国志』呉書孫権伝と同書の魏書東夷伝倭人伝(つまり、『魏志』倭人伝)と『後漢書』倭伝は「天の北極で緯度と子午線で測量する方法では大海を往来できなかった事実」と「精密に緯度と子午線が測定できる[玄]をキャッチする方法ならば大海を往来できた事実」を記述する。 

呉軍の遠征が大失敗した230年よりも22年前の208年、中国の戦争史で有名な赤壁の戦いで、80万の魏の大軍はわずか5万の呉・蜀連合軍に撃破された。呉・蜀連合軍の中心的約割は2万の呉の水軍が担っていた。その2万の半分の1万の呉の水軍と対戦すると想像した東鯷人国王は呉軍に占領されると考えて倭女王卑弥呼に頼ったのである。

赤壁の戦いの当日、折しも強風が吹いていた。この強風の中を呉の水軍の勇士たちが枯柴の束を積んだ船に火を放ち、その火ダルマとなる小舟を長江をうめつくすほどの魏軍の船団へ目掛けて突入させた。その火焔は強風に煽られて次から次へと魏の軍船に燃えうつり、さらに飛び散る火の粉が河岸に所せましと設営された魏軍の陣営に雨霰(あめあられ)のごとく落下して火の海となって呑み尽くした。

これゆえ、わがブログ「日本が滅びる」の138143で証明したように――「呉の遠征軍」を「風で煽られて燃えあがる赤い火焔の呪的な戦力を有する軍」と解釈された。また日本国の女王の「壱与」は「天から瀧のように大量な雨が降る、その青い水の呪的な戦力で呉軍の赤い火炎の呪的な戦力を消滅させる魔女」という戦いの先頭に立つ巫女(みこ)の女王であることが示された。伊耶那岐命の「載斯烏越」という夏音名は「赤い火焔の呪的な敵軍の戦力を負かす青いと水の呪的な霊力を有する軍王」と意味した。

◆『魏志』倭人伝は「魏の正始8(247)に以(すで)に死す。大きな墓を作る。円墳の直径は百余歩(150)」と書く。ゆえに卑弥呼を葬る巨大な陵墓は78年くらい費やして完成したであろうから、西暦244年ころには卑弥呼はすでに没していたと推定される。

この244年ころ、倭王朝の王たちまた東鯷人国王も伊耶那美命と伊耶那岐命も、呉軍は[]をキャッチできないゆえ大海を渡って小国・日本に到着できない事実に気づいた。

『魏志』倭人伝は237年頃の様子を「奴婢(ぬひ╱18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女)の百余人を犠牲(いけにえ)にして殺して卑弥呼の墓に埋める徇葬(じゅんそう)をおこなった卑弥呼の後を継ぐ男王に国中の人民が服従せずに武器を持って戦った。倭王朝は千余人の反乱者たちは殺した。また倭王朝は13歳で小国・日本の女王となった壱与を倭女王に就任させると、遂に倭の大乱は平定した」と記述する。

壱与・伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定め、人民と共に残酷な徇葬を憎悪した。これゆえ、反乱者たちは〔愛〕の女王・伊耶那美命(壱与)が倭女王に就任するならば必ず徇葬を禁止するにちがいないと信頼して戦うことを止めた。だから、倭の大乱は遂に平定したのである。

当時、この反乱に乗じて卑弥呼と素(もと)より不和の狗奴(くな)国が倭国に戦いを仕掛けてきた。

倭は魏と軍事同盟を結んでいた。わがブログ「日本が滅びる・140」にて解明したように――246年ころ、朝鮮半島の馬韓の首長たちがおこした反乱で帯方郡太守(たいほうぐんたいしゅ)の弓遵(きゅうじゅん)が戦死した。帯方郡政庁は魏の背後の脅威である東方諸国の状況を平定させるための出張機関であった。帯方郡に反乱がおきたならば、魏との軍事同盟では倭軍は出兵しなければならなかった。しかし、卑弥呼の死・狗奴国との戦い・徇葬を憎悪する人民の反乱が重なって、倭は帯方郡を支援するために朝鮮半島へ出兵することができなかった。そこで、『魏志』倭人伝末部に記述されているように、倭王朝は日本国の軍王の載斯烏越(伊耶那岐命)一行を帯方郡に派遣して、後任の太守の王頎(おうき)に狗奴国との戦況を説明させた。王頎は[]がキャッチできないために倭に渡れなかった帯方郡の使節・張政(ちょうせい)一行を載斯烏越一行が帰還する船に便乗させて派遣した。張政は〔狗奴国は東夷諸国の状況が不安定になる要因となるので、狗奴国を討伐しなければならない〕と告げ喩(さと)す檄(げき╱軍書)を作り倭女王・壱与に迫った。壱与は狗奴国との話し合いで平和的に解決する方法を主張して張政の檄に反対した。それゆえ魏と軍事同盟の約束に違反することはできないと主張する倭王朝は、載斯烏越の第2后の天照大御神(10代崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命)を壱与の代役に立て、載斯烏越が大将となって狗奴国を滅亡させた。倭王朝は壱与・伊耶那美命は戦いの魔女の役目を守らなかったゆえ、倭女王からの退位と載斯烏越との離縁を欲求した。しかし、載斯烏越は自らが指揮した残酷な狗奴国討伐の戦況を後悔して壱与との離縁を拒絶し、魏と帯方郡の軍は大海を渡ることが出来ず倭に軍を派遣できないゆえ軍事同盟違反の報復を恐れる必要もないゆえ壱与が主張した平和的解決こそが賢明な策であったと主張して、倭王朝こそ倭女王の命令違反で裁かれるべきだと反論した。ゆえに、狗奴国討伐は載斯烏越の事績にならず、『古事記』中巻の第7代孝霊天皇紀末部に吉備国討伐として記載された。倭女王から退位しようとする壱与(伊耶那美命)を諭(さと)し、伊耶那美命との離縁を拒絶して載斯烏越(伊耶那岐命)は兵庫県の淡路島に所在する伊弉諾(いざなぎ)神宮で二度目の淤能碁島の結婚式をおこなった。

◆C図に示す淡路島の伊弉諾神宮で諾藤伊耶那岐命と伊耶那美命が二度目の結婚式をおこない、倭国の国作りの柱に定めた【日本建国の〔愛〕の理念】を倭国の人民が容易に理解するためにおこなった結婚式は、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命説話の〔国生み〕に記載された。

だからC図に示す淡路島南部の山地名「譲鶴羽(ゆづるは)」は、D図に示す「雌雄の鶴が羽をひろげて求愛ダンスをする生態」で「伊耶那岐命は倭女王を退位すると決意する伊耶那美命を諭して、学問を有しない倭の人民でも理解できるように国作りの柱を【日本建国の〔愛〕の理念】と定める結婚式をおこなった歴史」を今日に伝えものとなる。

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(C) 2014 OHKAWA 

E図に示すように、『魏志』倭人伝は現在の四国を「「奴()国と烏奴(あな)国の二つの小国に分けた」と記す。上記したように、『魏志』倭人伝は卑弥呼の墓に殺して埋めた百余人の徇葬者を「奴婢」と記す。「奴国」と「烏奴国」という小国名は「奴婢」の[]の字を配する。ゆえに、『古事記』の〔国生み〕に記載されたように徇葬を憎悪した伊耶那美命は、F図に示すように四つの小国名に改めて国作りの目標の〔愛〕を表明した。

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(C) 2014 OHKAWA 

当時(3世紀半ば)、B図の[]をキャッチできる北緯3428分の伊弉諾神宮の天頂緯度線は、G図に示す銀河部を貫通していた。

わがブログ「日本が滅びる・142」で詳細に解説したように――G図左側の東にある「十字の銀河とその南部の銀河部」の形を「求愛ダンスする雌雄のタンチョウツルの姿」に見立てて、さらに伊耶那美命は「求愛ダンスをする雌雄のタンチョウツル」をC図の淡路島に見立てた。ゆえに、伊耶那美命は「雌雄のタンチョウツル」に観える銀河の西隣の「鬼の横顔に似る銀河」はH図に示すように[飯]と[岐]の字源・字形・字義であったゆえ、淡路島の西隣の「香川県」の小国名を「讃岐」、讃岐国の神名を「飯依比古(いいよりひこ)」と定めた。つまり、香川県・讃岐国に所在する“讃岐富士”の飯野山(いいのやま)は「飯依比古」と「讃えられる[]の字源に合致する山」であったので小国名を「讃岐」と定めた。G図の右側・西にある国際天文学会で「北天の最輝部(さいきぶ)」と名づけられた銀河部は「タンチョウツル」の姿に相似する。人民たちはタンチョウツルの諸々(もろもろ)の生態が「愛」をあらわすことを知っているゆえ、伊耶那美命は今日の「愛媛県」を「伊予」と名づけて神名を「愛比売(えひめ)」と定めた。

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(C) 2014 OHKAWA

I図に示す[][]の字源となる「鬼の横顔に似る銀河」の南隣の「激流の銀河と長方形の暗黒天体部」を「豊かな水に恵まれる穀物となる諸々の草が繁茂する田」と見立てて、「徳島県」を「穀物の総称」をあらわす「粟国」と名づけ、「長方形の暗黒天体部」は[]の字源であったゆえ神名を「大宜都比売(おおげつひめ)」と定めた。J図に示す「長方形の暗黒天体部」の南隣の「大きな左手の銀河」を[](雨が降らないために堅くなった地面)に見立てて[][]で小国名を「土左」とし、「堅い地面を耕し開墾することができる強健な肉体を有する青年たちの大きな手」に見立てられて神名を伊耶那美命は「建依別(たけよりわけ)」と定めた。

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◆わがブログ「日本が滅びる」は1回~今回(145)まで首尾一貫して、『魏志』倭人伝と『古事記』序が「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状は夏音文字と楷書の字源・字形・字義となった」と伝える秘密についての科学的な解明・証明に徹する。『魏志』倭人伝の人名と小国名には今から約4050年前の夏代初頭(後期縄文時代初頭)にわが国に伝来した夏音文字が用いられ、『古事記』の上巻の随所には〔音〕という注がつく夏音文字が多数記載されて現存する。「卑弥呼」「壱与」「載斯烏越」は夏音文字による人名であり、上記した『古事記』の〔国生み〕の小国名と神名は「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状は夏音文字と楷書の字源・字形・字義となった事実」を今日に伝える。「銀河」は「銀漢」とも言い、「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と呼ぶものであり、また「天に文字が多数ありき」となったゆえ「天」は「天文」とも名づけられたのである。

新井白石(16571725)以後の学者たちは、【誤読】に“文献批判”という名を付けて、『魏志』倭人伝と『古事記』序が「夏音文字と楷書はじめすべての漢字の字源・字形・字義は秋の銀河と夏の銀河の各部の形状であった」と伝える記事をことごとく誤読=文献批判して排除し抹殺した。

伊耶那美命は熊野那智大社の主祭神となり、わが国の最大の高さ・133mの那智の大滝(一ノ滝)の精霊となった。上記したように、伊耶那美命の「壱与」という夏音名は「天から瀧のように大雨が降って、呉の遠征軍の赤い火焔の呪的な戦力を奪う青い水の霊力が憑依(ひょうい)する魔女」をあらわした。B図に示す〔[]のキャッチ〕ができなかったために赤い火焔の呪的戦力を有する呉の遠征軍は小国・日本を襲撃できなかった。ゆえに青い水の霊力を有した日本国の女王伊耶那美命は、わが国で最も高さを誇る大量の水が落下する那智の滝の精霊となった。

白川静著『字統』は[()]の字について――『説文解字』は「雨瀧々(ろうろう)たるなり」と雨の降るさまとする。『広義校訂(こうぎこうてい)』に、字は水に従うものであるから、急流の水を本義とすべしという。わが国の『万葉集』十巻の2308番の用法はその意で、「雨零()れば瀧(たぎ)つ山川」のようにいう。――と解説する。

壱与は上記の「雨瀧々たるなりの霊力が憑依する魔女・巫女王」であった。

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(C) 2014 OHKAWA

K図左図に示す「激流の銀河」は上記の『広義校訂』が「本義とすべし」と指摘した「急流」に観える。K図右図の「日輪の銀河」は「滝の落口」、「激流の銀河」は[水が落下する滝()]、「長方形の暗黒天体部」は「滝壺(たきつぼ)」に観える。

◆那智の大滝の正面の南に、L図に示す三体の神具がある。最も高い所にある神具は「牛頭天王(ごずてんのう)」と呼ばれる。牛頭天王の下部は金色に塗られる金属は「四手(しで)」と呼ばれる意匠となる(ふつう、四手は白い紙や木綿を素材にする)

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(C) 2014 OHKAWA

M図に示すように、牛頭天王の頭部のモデルは「長方形の暗黒天体部」であり、四手は「長方形の暗黒天体部」と重なる「ニ連菱形の銀河」をモデルとする。

「牛頭天王」の先頭字の[]の字源は「ウシ」ではない。わがブログ「日本が滅びる」で幾回となく解説し証明したように、[]の字源は日本列島に生息しないが中国北部のツンドラ(凍土地帯)に今から約5000年前の五帝時代までには生息して今から約3300年前の殷(いん)代後半には絶滅したN図に示す「ジャコウウシ」であった。

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わがブログ「日本が滅びる・134」で、人間の瞳孔径は本人の意思にかかわらずに周囲の明るさに応じて2mm~78mmくらいまでに縮小・拡大すると指摘した。この瞳孔径の変化によって、文字(字源・字形・字義)となった秋の銀河と夏の銀河の各部の形状は変化する。G図に示す銀河各部の形状は電燈が発明されていなかった3世紀において視界の中に普通の状況より少し明るい光が入った状況のもので、この銀河を私は「銀河Ⅰ」と名づけた。国際天文学会で〔北アメリカ大陸の地図の形〕に相似するゆえ「北アメリカ星雲」と名づけられた天体部は、銀河Ⅰでは変形して「赤く燃え上がる火焔の形」に観える。

3世紀において灯火が無い戸外にいる時の普通の状況の銀河を、私は「銀河Ⅱ」と名づけた。銀河Ⅱの「北アメリカ星雲」は北アメリカ大陸の地図の形に見えず「赤い皮膚が裸出(らしゅつ)した雉やトキなどの顔(頭部の前半)」に相似する。

私が「銀河Ⅲ」と名づけた普通の状況より暗い木陰や崖の下などで観察した時の銀河から最も多くの漢字が生まれた。ゆえに、銀河Ⅲに私は「基本銀河」という別名を付けた。基本銀河における「北アメリカ星雲」は北アメリカ大陸の地図の形に相似する。

G図の銀河Ⅰにおける「鬼の姿に似る銀河(鬼の横顔に似る銀河・鬼の身に相当する銀河)とその南隣の銀河部」は、基本銀河ではO図に示すように「牛(ジャコウウシ)の頭部の形」に観える。だから、O図の3世紀における北緯35度が中央となる日本列島の天頂にめぐってきた「牛の頭に観える銀河」がL図の「牛頭天王」のモデルであった。

『説文解字』は[][]で構成される[]の字源を、O図に示す銀河の形状にもとづき「牛、人に触れる。角(つの)に横木を著()く。人に告げる所以(ゆえん)なり」と解説した。「牛の口となる銀河部」は「人の横顔に酷似する銀河の頭部」に触れるので、「牛、人に触れる」と解説された。「牛の角となる銀河部」に付く「十字の銀河」は字源解釈において〔横に倒れる木〕に度々見立てられたので「横木」と表現された。ゆえに、『説文解字』の[]の字源解説は、O図の銀河を観た印象を述べるものであったのである

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(C) 2014 OHKAWA

◆L図に示した滝に向かって下段右側の一対の酒器が並ぶ神具を、P図左側に配した。

P図の中央図に示す「長方形の暗黒天体部とその南の銀河部」は[]の契文と金文の字形となった。だから、『説文解字』は[]の字源を「酒器なり。酋(しゅう)に従ふ。廾(きょう)は以てこれを奉ず」と解説する。

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(C) 2014 OHKAWA
 

 P図中央図の[]の字源中心部の「長方形の暗黒天体部」は、P図右図の[]における[(こう)]の字源「子宮」と[(せつ)]の字源「胎児」をあらわした。『説文解字』は[]の字源を「人の言食する所以(ゆえん)なり」と解説するが、「子宮」も[]の字源となった。I図における「長方形の暗黒天体部」は[]の字源となり、「粟(穀物)は口で食する所以なり。穀物は生命保持に不可欠の食糧である」ゆえ「長方形の暗黒天体部」は[]における[]の字源となった。[][]であらわされることになったので、「子宮」は「胎児の命を守る臓器」ということで[]の字源となり、「子宮」に見立てられた「長方形の暗黒天体部」は[]の字源銀河となった。

[]の上部の[(しゅう)]を『説文解字』は「三合なり」と解説し、白川静著『字統』は「器の蓋(ふた)の形」と解説する。〔三角形〕の[三合]は「出産期まで胎児が育つ子宮の蓋」となる「子宮頸管(しきゅうけいかん)」であった。出産する胎児は狭い子宮頸管を通過することになるが、古代には子宮頸管を通過できず命を失う事故が多発した。だから、P図右端の下にある[]の契文は子宮頸管を通過せずに死産した胎児をあらわして、「子宮頸管=三合」と[]の「胎児」の合体形となった。

『古事記』は「伊耶那美命」「伊耶那岐命」と両人の尊称を[]とした。『日本書紀』は「伊弉冉尊」「伊弉諾尊」と表記して[]を尊称とした。だから、P図左図の「左の酒器」は「伊耶那美命」を、「右の酒器」は「伊耶那岐命」をあらわすと考えられる。

◆L図における下段の滝に向かって左側の神具を、Q図に示した。

右側の富士山の形となる神具部は、H図の[]の字をあらわした“讃岐富士”と称される飯野山の姿に合致して台形(円錐形)であり、G図の台形となる[]の字源「鬼の横顔に似る銀河」に合致する。ゆえに、富士山の形の神具部は、小国名の「讃岐」と神名の「飯依比古」をあらわす意匠となる。したがって、その下の「赤い皿」はG図の〔穀物を炊いて飯にする、赤く燃える火焔の形〕となる「真っ赤な北アメリカ星雲」を表現する。

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Q図の右側の神具は、家々の神棚にある「水器(すいき)」である。R図に示すように水器は、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を造形する。したがって、「水器」は小国名「伊予」と神名「愛比売」をあらわす。

水器を手に取って見ると、〔水器の蓋〕は「乳房の形」となり、〔水を入れる容器となる水器の胴〕は「胎児を宿る妊婦のまるく突き出たおなかの形」の意匠となっていることがわかる。また、R図の左図に示すように、〔水器の蓋〕は「子宮頸管と膣(産道)」をあらわす意匠となり、〔水器の胴〕は「子宮」をあらわすデザインとなる。だから。「水器」は「伊予国」と「愛比売」を表現していることになる。

[]の字は「俎板(まないた)のように平らな面」をあらわすから、〔円錐形に赤い皿の神具〕と〔水器〕が載る〔俎板のような台〕は粟国の神名の「大宜都比売」をあらわす。

「地宜」という語はE図・F図のような「平面的に図化した地図の形」と意味する。これゆえ、「地図」が[]をあらわし、Q図の〔水器〕は「左」に在るから[]をあらわして小国名の「土佐」となる。

そして、小国の「粟国」は那智大社の「扇祭(おうぎまつり)にて奉納される大和舞・田楽舞・田植舞」であらわされた。田楽舞と田植舞は「穀物の総称」の[]の字と、[]で「タンチョウツルの舞」を表現するものであった。土佐の神名の「建依別」は扇祭において「烏帽子(えぼし)をつけた火焔ゆらめく大松明を持つ屈強な12人の青年」があらわす。

このように、扇祭は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるものであった。次回は、扇祭の秘密を解明する。

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