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2014年12月 8日 (月)

日本が滅びる・146

すべての日本国民は真実の日本国誕生史を知る権利がある

ますらおたちの黙示録╱愛、あざやかに永遠であれ(13)

 

ほんとうの日本、ウソの日本(6)

 

◆今回は前回のブログの続きである。ゆえに、前回を開かないで今回のブログの閲覧から始める方は理解できない点や疑問を有したならば前回を開いていただきたい。

前回において、『魏志』倭人伝末部に登場する倭女王・壱与(いよ)は『古事記』上巻に登場する伊耶那美命であり、第9代開化天皇の正妃の竹野比売(たかのひめ)であることを証明した。また、『魏志』倭人伝末部に登場する載斯烏越(そしあお)は『古事記』上巻に登場する伊耶那岐命であり、第9代開化天皇であることも証明した。

伊耶那美命は小国・日本在の東海・関東地方の女王であった。伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めた。

『魏志』倭人伝の末部の記事は247年ころの様子を「(西暦240年頃において)倭女王・卑弥呼はすでに死去した。大きな墓を作った。円墳部の直径は百余歩(150)であった。卑弥呼の後を受け継ぐ男王は奴婢(ぬひ╱18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女)百余人を犠牲(いけにえ)にして卑弥呼の墓に埋める徇葬(じゅんそう)をおこなった。この徇葬を決行した男王に国中の人民たちが服従せず、徇葬に反対して武器をもって戦う反乱がおこって倭王朝は千余人の反乱者を殺した。また、13歳で卑弥呼の宗女(そうじょ╱卑弥呼が率いる巫女界を代表する巫女)として(西暦234年ころに)小国・日本の女王となった壱与(伊耶那美命)を帰還させて倭女王に立てると、遂に反乱は平定した。」と記述する。

上記したように、壱与=伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めて治めた。ゆえに反乱者たちは壱与が倭女王になれば残虐な徇葬を必ずや廃止するにちがいないと信頼して武器を捨てたゆえ、反乱は鎮まった。

この出来事は、徇葬をおこなった強大な王朝・国家の力よりも伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】のほうが勝ることが示された。ゆえに、強大な権力を最も尊重する天照大御神・大和朝廷は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪して排除・抹殺する政策に努めた。

◆『魏志』倭人伝末部に「倭女王・卑弥呼と狗奴(くな)国の男王・卑弥弓呼(ひみくこ)は素(もと)より和せず」と記述される。この狗奴国が、好機到来とばかりに徇葬を憎悪する反乱に乗じて倭に戦いを挑んできた。

 狗奴国対策は、倭女王壱与と夫の小国・日本の軍王の伊耶那岐命が取り組む課題となった。「壱与」という名は「赤い火焔の呪的戦力を有する呉軍を消滅させる、天から滝のような大量の雨が降る青い水の霊力を有する戦いの先頭に立つ魔女」と意味するものであったゆえ、倭王朝は壱与に狗奴国討伐の先頭に立つことを期待した。しかし、〔愛〕の倭女王・壱与は狗奴国と話し合いによる平和的解決を望んだ。

倭は魏と軍事同盟を結んで朝鮮半島で反乱が起きた時には出兵すると約束していた。246年ころ、馬韓の首長たちが起こした反乱で朝鮮半島に所在した帯方郡の太守・弓遵(きゅうじゅん)が戦死した。帯方郡はソウル市附近に所在し、帯方郡には魏の出張機関が所在した。馬韓の首長たちの反乱は魏との軍事同盟の約束によって倭軍は出兵しなければならなかった。しかし卑弥呼の死・徇葬を憎悪する反乱・狗奴国の攻撃が続いて、倭は帯方郡に軍を派遣することができなかった。倭は載斯烏越一行を帯方郡政庁へ派遣し、載斯烏越は徇葬の反乱を鎮めることができたが狗奴国との戦闘が続いている状況を説明した。弓遵の後を継ぐ帯方郡太守の王頎(おうき)の役目は、倭と協力して魏の背後の脅威である朝鮮半島の反乱を鎮圧して東夷の安定を図ることであった。ゆえに、王頎は職務を達成するために帯方郡の使節・張政(ちょうせい)一行を載斯烏越一行が帰還する船に便乗させて派遣した。

張政は檄(げき╱軍書)を作って「東夷諸国が安定するためには、狗奴国を討伐しなければならない」と壱与を告げ喩(さと)したが、前述したように壱与は狗奴国と話し合って平和的な解決を望み狗奴国討伐に反対した。そこで、魏との軍事同盟の約束を重んじる倭王朝は載斯烏越の第2后の天照大御神(10代崇神天皇の生母・伊迦賀色許売命)を壱与の代役に立て、載斯烏越を倭軍・日本軍の総大将にして狗奴国を滅亡させた。狗奴国討伐は残忍きわまりないものであったため、載斯烏越は壱与が主張したように狗奴国王と話し合って平和的に解決する方法を優先すべきであったと後悔した。倭王朝は壱与・伊耶那美命に倭女王からの退位と載斯烏越との離縁を迫った。しかし、載斯烏越は倭王朝が倭女王の命令に背いて狗奴国を滅亡させたことこそ裁かれるべきであると反論し、壱与との離縁を拒絶し、さらに絶対に倭女王から退位してはならないと壱与を諭(さと)した。それゆえ、伊耶那岐命と伊耶那美命は、A図に示す兵庫県の淡路島の伊弉諾(いざなき)神宮の所在地で二度目の結婚式を挙げ、伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱とした〔愛〕を最も尊重する国作りを続行する決意を人民に示した。

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(C) 2014 OHKAWA

倭女王・伊耶那美命が【日本建国の〔愛〕の理念】を続行させる国作りは、B図に示す〔求愛ダンスをするタンチョウツル〕を用いて表明された。だから、倭国の人民は【日本建国の【愛】の理念】が容易に理解できた。タンチョウツルは巣に卵を2個生んで雌雄が交代で温めて約1ヵ月で孵化(ふか)するゆえ親が子にそそぐ愛の深さを示し、ヒナは孵化するとすぐに歩くことができて両親と一緒に湿原の中で餌を探して育つゆえ家族愛を示す。前回のブログで解説したように、A図の淡路島南部の山地名の「諭鶴羽(ゆつるは)」は「倭女王から退位しようとする伊耶那美命を伊耶那岐命がし、をひろげて求愛ダンスをする生態で倭女王・伊耶那美命は人民に【日本建国の〔愛〕理念】を続行させる国作りを約束した」と今日に伝えている。

【日本建国の〔愛〕の理念】の続行を告げた倭女王・伊耶那美命国作りの歴史は、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命が二度目の淤能碁呂島(おのごろしま)の結婚をした〔国生み〕の条に記載されている。

◆上記したように、「壱与」は戦いの先頭に立つ「敵軍の呪的な戦力を奪う魔女」であった。伊耶那美命は戦いの魔女の役目を嫌い、「壱与」と同じく「いよ」と読む「伊予」で【日本建国の〔〔愛〕の理念〕をあらわした。

ゆえに、C図に示すように伊耶那美命は現在の「四国」を「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」と名づけた。伊耶那美命は小国「伊予」の神名を「愛比売(えひめ)」と定めて、倭国の国作りの目標は小国・日本の国作りと同じく〔愛〕であると示した。

したがって、伊予国・愛比売と讃岐国・飯依比古(いいよりひこ)と、粟国・大宜都比売(おおげつひめ)と土左国・建依別(たけよりわけ)の四つの小国名と神名は、伊耶那美命による倭国の国作りの柱となる【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわす名称であった。

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(C) 2014 OHKAWA

わがブログ「日本が滅びる・143」で解説し、D図に示す[]の契文形(甲骨文字の字形)[][(こん)][十字の銀河]を図案するものであり、[(いん)]の字源は「右手」に見立てられた「鬼の姿に似る銀河」である。天体運行にあっては、西の銀河が先に東の銀河が後に子午線通過するので、「十字の銀河の乳房と子宮となる銀河部」は[]の字源の「十字の銀河の暗黒天体部」の「前に」すなわち「予(あらかじ)め」に通過する箇所となる。だから、[]と「予め」の[]が加わる「伊予」は、「十字の銀河の乳房・子宮」を〔女性の乳房・子宮〕に見立てて[]を明示する語となった。

わが国の古代中国文字の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統』(平凡社)は、[]の字源を「後ろに心を残しながら、立ち去ろうとする人の姿を写したものであろう」と解説する。

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(C) 2014 OHKAWA

E図中央に示すように「鬼の姿に似る銀河」は[]の字源であり、「十字の銀河」は――後ろの[]の字源となる「鬼の姿に似る銀河」に心を残しながら、東に向かって立ち去ろうとする人()の姿に観える――ゆえ、「伊予」の語源となった「十字の銀河」は[]の字源・字形・字義となるものであった。

だから、〔国生み〕の「伊予之二名島」の小国名と神名は『魏志』倭人伝末部に記述された徇葬を憎悪した倭の大乱を平定させた【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわした。

◆伊耶那美命は和歌山県東牟婁郡勝浦町に所在する熊野那智大社の主祭神である。伊耶那美命の「壱与」という夏音名は「天から滝のように大量の雨を降らせて、敵の呉軍の赤い火焔の呪的な戦力を消滅させる青い水の霊力を有する小国・日本の魔女・巫女王」であった。ゆえに、わが国の最大の高さ・133mの那智の大滝(一の滝)の精霊となった。

那智の大滝の正面には、F図に示す三体の神具がある。前回のわがブログで「牛頭天王(ごずてんのう)」という神具と滝に向かって下段右側の神具「酒器」の秘密は解説した。

また前回のわがブログで解説したように、G図に示す滝に向かって下段左側の神具はC図に示した〔国生み〕における四国の小国名と神名をあらわす――讃岐国・飯依比古は前回のブログで詳細に解説したので省略する。

G図に示すように、伊予国・愛比売は家々の神棚にある「水器(すいき)」の意匠で表現された。

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(C) 2014 OHKAWA

家々の神棚にあるH図左図の水器を手の平に載せて見れば、水器の蓋(ふた)はD図にて図解した「伊予」という名が生まれた「女性の乳房と子宮の形」に作られている。また、水器の蓋はH図右図に示す女性生殖器の「膣(産道)」と「子宮頸管(しきゅうけいかん)」の意匠となる。戦前まで、狭い子宮頸管を通過できずに胎児が死産した事故は多発した。これゆえ、“無事に子宮頸管を通過して、産道を一気に通過して出産せよ”という願いをあらわして、水器の蓋には産道の壁にあるミゾが造形されている。水器の水を入れる容器は、母体の子宮やおなかをあらわすデザインとなる。だから、「水器」は【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわし、また「伊予」と「愛比売」をあらわす神具となった。

◆G図に示す神具を載せる盤(ふね)は、「俎板(まないた)」の形となる。「地宜(ちぎ)」という語はA図やC図の「平面的に図化した地図の形」を意味するので、[]の字義は「俎板のように平らな面」である。

〔国生み〕で伊耶那美命が倭国の人民が【日本建国の〔愛〕の理念】を理解するための教材に用いた「タンチョウツル」は「俎板のような平らな湿原」で生息する。だから、G図の「俎板のような盤」であらわされた「大宜都比売」は「日本列島に棲む野鳥のうちで最大の、平らな宜(湿原)に生息するタンチョウツル」を意味したことになる。

那智大社の扇祭(おうぎまつり╱通称“那智火祭り”)は、古くは614日・18日に行われたが今日では714日に行われる。

扇祭の例大祭において斎館の組立の舞台で、三種の舞が奉納される。少年少女たちが演ずる大和舞、田植式を演ずる田植舞、国の重要無形民俗文化財となる田楽舞(那智の田楽)である。これら三種の舞は、〔国生み〕における「穀類の総称」となる小国「粟国」を表現すると共に、神名の「大宜都比売=タンチョウツルの羽をひろげてダンスする舞」をあらわす。大和舞の巫女舞はタンチョウツ」の姿に相似して〔白い服と赤い袴の少女の二人〕によって演じられる。田植舞は、タンチョウツルの羽の色に合致する白丁仕度の青年たちの田男によって演じられる。だから、大和舞・田植舞・田楽舞は「タンチョウツルの舞」とともに「穀類の総称」の[]をあらわして、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を人民が尊重しつづけた歴史を後世に伝えるものであったのである。

◆わがブログ「日本が滅びる・137」では、視界の中に少し光が入った瞳孔径で見える銀河を「銀河Ⅰ」と名づけて、銀河Ⅰにおける伊耶那美命と伊耶那岐命が生存した3世紀半ばに伊弉諾神宮(北緯3428)の天頂にめぐってきたI図左図に示す銀河を注目した。

『日本書紀』巻第三の神武天皇紀の末部は「むかし、伊弉諾尊(いざなきのみこと)がこの国を名づけて“日本は浦安の国、細戈(くわしほこ╱精兵)の千足(ちた)る国、磯輪上(しわかみ)袍図莽国(ほつまのくに)”と言われた」と記載する。

I図左図の中央にある「[]の銀河」は、「袍図莽国」の[]の字源となった銀河である。

〔国生み〕は、C図に示したように「土左国を建依別と謂ふ」と記す。

I図右図は土左国の神名「建依別」の[]の契文形である。[]の契文形は「[]の銀河」の形に酷似する。だから、「[]の銀河」は[]の字源銀河であった。

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(C) 2014 OHKAWA

白川静著『字統』は[]の字について「人と衣とにしたがう。人に衣をそえて、衣による霊の憑依(ひょうい)や受霊の意を示す。(中略)。依は神の憑依することを本義とする字である」と解説する。

フリー百科事典『ウィキペディア』は那智大社の扇祭について下記のごとく指摘する。

「扇祭の様式には神仏分離以前の修験の祭りとしての要素も指摘することが出来る。祭りの核心をなす扇褒め神事を執り行うのは、17世紀初頭の史料によれば、青岸渡寺の僧房のひとつ尊勝院を拠点とする修験者たちの役目であり、彼らは八咫烏帽をシンボルとした。神仏分離後に、扇褒め神事が那智大社の権宮司に委ねられるようになってからも、権宮司は八咫烏帽をかぶった姿で神事に臨むだけでなく、松明の火を媒介・操作することにより神霊を導き、扇神輿に招くという点で、火の操作者としての修験者の像を読み取ることが出来る。」

上記の文に登場する「修験者」とは「山にこもって心身をきたえる行者(ぎょうじゃ)。要するに山伏」である。わがブログ「日本が滅びる・143」において、D図の[]の契文形は「山伏・修験者が持つ鉾(ほこ)のような真っすぐの杖を持つ人」を図案するものであることを証明した。つまり、白川静著『字統』は[]の右側の[]について「尹は神杖をもつ形」と解説するが、[]の契文中央の[]が「神杖、すなわち山伏(修験者)が持つ天頂緯度を精密に測量できる真っすぐな杖()」であると解説した。

伊耶那美命の[]の字形は「天頂緯度が精密に測量できる神の杖()を持つ修験者」を図案するものであったゆえ、修験者たちは小国・日本=袍図莽国の女王であった伊耶那美命の霊を憑依する人々となって扇褒め神事を執行していた(注 I図右図の[]は「憑依」を意味し、[]の字源銀河は「袍図莽国」の[]の字源銀河と同じである)。その証拠に、伊耶那美命が精霊となる那智の大滝・一の滝と上流の48の滝は、修験者の修行地であった。また、那智大社は那智の大滝を神として祀る信仰から起源したと考えられている。

前回のわがブログで詳細に解説・証明したように、「壱与」という名は「呉軍の赤い火焔の呪的戦力を奪う、天から滝のような大雨を降らす青い水の霊力を有する魔女(巫女王)」であったゆえ、修験者たちは「伊耶那美命は那智の大滝の神(精霊)となった」と信じて祀っていたのである。

◆神幸の途中、焔を上げて燃え盛る12基の大松明が、那智の大滝の姿を模したものと伝えられる扇神輿を迎える。

J図に示すように、12基の大松明はI図に示した「赤い北アメリカ星雲」を〔火焔〕に見立て、台形となる「鬼の横顔に似る銀河」の形に模して〔大松明〕が作られている。

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(C) 2014 OHKAWA

12基の大松明は屈強な12人の男性が掲げ持つ。この12人の男性たちは〔国生み〕の土佐国の神・建依別(強健な男神)をあらわすと共に、〔卑弥呼と東鯷人国王が小国・日本を必ず襲撃して占領すると思い込んだ、赤い火焔の呪的戦力を有する呉の遠征軍〕をあらわした。伊耶那美命・壱与は呉の遠征軍との戦いの先頭に立つ魔女であった。

だから、巨大な船で来襲する火焔の呉軍をあらわす大松明と日本軍をあらわす扇神輿が出会うと、呉軍を演ずる12基の大松明は円陣を組んで石段をまわって扇神輿に火の粉を浴びせ、扇神輿の前の神役も呉の水軍が80万の魏の大軍に勝利した赤壁の戦いの当日に吹いていた強風をあらわして扇子を開いて松明の火を煽(あお)ぎ、この攻勢に小舟で応戦しようとした日本軍を演ずる火払所役が手桶の水を汲んで松明に浴びせかけ、火の粉を消して呉軍の壊滅と日本軍の勝利をあらわした。この祭礼における青い水と赤い炎で演じられる壮烈な攻防は「火祭り」と呼ばれることになった。この「火祭り」の由来は、呉の水軍が遠征して来ると思い込んで小国・日本が誕生した歴史を伝えるものであったのである。

前回のブログで指摘したように、紀元前1世紀に〔天の北極〕を最も重視するシナ天文が完成してK図右上に示す〔[]をキャッチする眼力と技を鍛錬する習慣〕を失った呉の1万の遠征軍は8割から9割の兵が大海の藻屑(もくず)となって壊滅した。

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(C) 2014 OHAKAWA

だから、中国の正史『後漢書』倭伝末部は「東鯷人国(とうていじんこく╱伊耶那美命が赴任した小国・日本)の人民は定期的に呉の会稽(かいけい)で交易をするために大海を渡ってくるが、東鯷人たちが往来する海の道は遥か遠くまで続くので中国の人々には途中で絶えていることになるので往来することができない」と記す。『魏志』倭人伝にも「魏と帯方郡の使節は大海を渡れず、倭地に到着出来なかった」ことを示唆する記事がある。

以上のごとく、F図の那智の大滝の前にある三体の神具は〔国生み〕の「伊予之二名島」と日本国誕生史を伝えるものであり、扇祭もまた〔国生み〕と日本国誕生史を伝える史料であったのである。

◆『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は「天照大御神(伊耶那美)の指揮のもとに多数の青年と乙女を犠牲(いけにえ)にして殺す徇葬が行われて、伊耶那美命は熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)に埋葬された」と記す。また、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話は「天照大御神(伊迦賀色許売命)とその息子の第10代崇神天皇王朝を倒して、伊耶那美命と伊耶那岐命(9代開化天皇)の息子の須佐之男命王朝を熊野に創設するために五人の王がクーデターを計画したが、伊耶那岐命が臨終する時に須佐之男命を枕元に呼び寄せてクーデター計画を中止させた」と伝える。これゆえ、熊野那智本宮大社の主祭神は伊耶那美命が生んだ子の須佐之男命となった。

『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は「倭女王・天照大御神が徇葬を指揮して大斎原に築いた伊耶那美命の墓から棺を奪って天照大御神を失脚させるクーデターを決行して、日本軍と熊野の戦士たちが待機する黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本つまり熊野速玉大社の境内で倭王朝の大軍を撃破してクーデターを成功させた」と記述する。ゆえに、熊野速玉大社の主祭神は伊耶那岐命となった。

前述した理由・根拠からして、熊野那智大社の主祭神は伊耶那美命となった。

また、熊野の新宮市磐盾町に所在する神倉(かんのくら)神社のお燈祭りは、『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に記載された伊耶那岐命のクーデターを演出する火祭りであり、大斎原から奪った伊耶那岐命の棺を『日本書紀』は三重県熊野市有馬町にある花の窟(いわや)に葬ったと記す。

『古事記』の天照大御神と須佐之男命の誓約説話は「天照大御神・崇神天皇母子王朝を倒すクーデター計画に参加した五人の王たちの内の一人が熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)であった」と書く。

このように熊野の人々は、大和朝廷の基礎を築いた伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと╱天照大御神)・崇神天皇母子王朝が【日本建国の〔愛〕の理念】を抹殺しようとした政策に歯向かう批判勢力であった。

L図に示す熊野三山の牛王神璽(ごおうしんじ)の中央に配される「日本第一」という4文字は「日本人にとって【日本建国の〔愛〕の理念】が第一番に大切である」と伝える。

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L図の熊野牛王神璽は【日本建国の〔愛〕の理念】を伝えるものであるゆえ陰陽(夫婦)和合の護符となり、悪魔(呉の遠征軍と天照大御神)退散のお札でもある。牛王の裏には起請文が書かれ、もしも誓約を破った時には天罰が下って熊野の八咫烏が一羽ずつ死に、またこの紙の一片を違反者に飲ませると血をはくとも言われる。熊野の祭り・神事・伝統・習慣は天照大御神を皇祖とする大和王朝が抹殺しようとした【日本建国の〔愛〕の理念】を伝えるものであったために、起請文は真実の歴史を守る熊野の抵抗が大和王朝に知れて討伐されることを防ぐための掟を書くものであったのである。この秘密を武家たちは知っていたので、武家の間で熊野牛王神璽は約束を必ず守るための起請文として用いられた。

武士(ますらお)たちはほんとうの日本の歴史を守り抵抗しつづけたために、ついに皇室は1738年の大嘗会(だいじょうえ)を本格的に復興して天皇即位式に用いる天皇の王冠の意匠で【日本建国の〔愛〕の理念】を明示した。つまり、ますらおたちの願いを無視して皇室は1738年までほんとうの日本の歴史を抹殺しようとしていたが、大嘗会復興の13年前の1725年に死去した新井白石の「誤読」を用いる偽学術の出現に強い衝撃を受けて、この偽学術によって真実の歴史を知る方法である銀河から文字が作られた学芸を失ったならば日本が土台から崩壊し滅亡することに気づき、即位する天皇の頭上に掲げる王冠の意匠でほんとうの日本を表示することにした。ところが、新井白石以後の学者たちは白石から起源した「誤読=文献批判」を多用する偽学術を絶対化してほんとうの日本史を葬り、日本人たちの頭をウソの日本史で占領した。

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