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2014年12月12日 (金)

日本が滅びる・147

すべての日本国民は真実の日本国誕生史を知る権利がある

ますらおたちの黙示録╱愛、あざやかに永遠であれ(14)

 

■ほんとうの日本、ウソの日本(7)

 

◆わがブログは、初回から今回まで終始一貫して今から4050年前の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に「夏音(かおん)文字」が伝来し習得され、そして夏音文字は『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に記載されて現存することを証明するものである。

今から約4050年前の後期縄文時代初頭(夏代初頭)に相当する秋田県鹿角市に所在する国の特別遺跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡と野中堂遺跡には、夏音文字が伝来している痕跡が現在も明確に残っている。

夏音文字は下に示す写真の【秋の銀河と夏の銀河の各部の形状】が【文字(字源・字形・字義)」となった。

Image

 

3世紀後半(280289)に著作された『魏志』倭人伝の「卑弥呼」「壱与(いよ)」「載斯烏越(そしあお)」はじめとする人名・小国名には夏音文字が用いられる。

A図に示す静岡県浜松市北区の細江町のちょうど1千万坪に作られる大鳥の形をした遺跡は、『魏志』倭人伝と同時代の3世紀後半(260290)に作成された。この浜松市北区細江町の行政区域の地図の形として現存する遺跡を、私は“「卑弥呼」の地上絵”と名づけた。「卑弥呼」の地上絵によって、夏音文字の学芸の全貌が科学的に解明できる。

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「卑弥呼」の地上絵は、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に登場する「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」が作成した。建比良鳥命は伊耶那美命(壱与)、伊耶那岐命(載斯烏越)、天照大御神(崇神天皇の生母・伊迦賀色許売命)と同時代に生存した。建比良鳥命は、伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために「卑弥呼」の地上絵を作成した。倭で用いられていた夏音文字と魏と朝鮮半島に用いられていた楷書の字源・字形・字義は、共に秋の銀河と夏の銀河の各部の形状であった。この学芸の秘密を建比良鳥命は、「卑弥呼」の地上絵に貯蔵・保存した。

建比良鳥命の「卑弥呼」の地上絵の作成事業は、倭王朝に知られると王朝と国家の転覆を謀るものとあつかわれて即座に一族が抹殺される大罪であった。しかし建比良鳥命は天照大御神・崇神天皇母子王朝の【日本建国の〔愛〕の理念】を侮蔑し排除する政策をゆるすことができず、卑弥呼の歴史と日本誕生史の真相を貯蔵・保存する「卑弥呼」の地上絵を密かに作成し子々孫々まで守り続けることにしたので、現在まで失われずに残った。

◆『魏志』倭人伝末部は「卑弥呼はすでに死す。大きな墓を作る。円墳部の直径は百余歩(150メートル)あった。奴婢(ぬひ╱18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女)の百余人を犠牲(いけにえ)にして殺し、卑弥呼の墓に埋める徇葬(じゅんそう)が行われた。この徇葬を決行した卑弥呼の後を継いだ男王に国中の人民は服従せず、武器をもって戦った。倭王朝は徇葬に抗議する反乱者たち千余人を殺した。また、卑弥呼の宗女(そうじょ╱卑弥呼が率いる巫女界を代表する巫女)として13歳で(小国・日本の)王となった壱与(伊耶那美命)を倭女王に立てると、遂に反乱は平定した」と記述する。

前回のわがブログで指摘したように、壱与・伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めて治めた。ゆえに、壱与が倭女王に立つならば必ずや残虐な徇葬は禁止するにちがいないと反乱者たちは信じて戦いを止めたので反乱は平定した。

【小国・日本の国作りの柱となった〔愛〕】は、すなわち【日本建国の〔愛〕の理念】である。上記した『魏志』倭人伝末部の「卑弥呼の宗女の壱与、年十三にて王と為()りしを立てて、遂に定まる」という文は、徇葬を決行した強大な国家権力よりも壱与が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】のほうが勝っていることを示す歴史的大事件であった。

『魏志』倭人伝末部に記述された【日本建国の〔愛〕の理念】が強大な国家権力よりも勝った出来事を後世に伝えるためには、当時に用いられた倭王朝の最も強力な政権基盤であった夏音文字と魏・朝鮮半島の楷書の学芸知識が不可欠となった。だから、「卑弥呼」の地上絵は【夏音文字と魏・朝鮮半島に用いられた楷書の字源・字形・字義は、共に秋の銀河と夏の銀河の各部の形状であった秘密を貯蔵・保存する学芸遺跡】となった。

3世紀から『古事記』が完成した8世紀にかぎらず、わが国では大嘗会(だいじょうえ)が本格的に復興された1738年まで、【夏音文字と楷書の字源・字形・字義は共に秋の銀河と夏の銀河各部の形状である学芸】は【学問】と呼ばれ、最も正確に歴史を伝える方法であった。だから、1615年に徳川家康が制定した「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」の第1条の「天子御芸能ノ事、第一御学問也」という文は「陛下、最も大切なものは銀河から作られた文字の学問です」と意味した。

【学問】と定義された「銀河から作られた漢字の学芸」は最も正確に歴史の真相を伝える方法であった。ゆえに、712年に完成した歴史書『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く1字1音の夏音文字が多数記載された。

わがブログ「日本が滅びる」の107109回で詳細に解説したように、太安万侶(おおのやすまろ)は『古事記』序の冒頭の「夫()れ混元すでに凝()りて、気象未だ効(あらは)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)かその形を知らむ。しかれども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)を作()す」という文をもって、「後期縄文時代初頭に、夏音文字の学芸に精通する名門益氏の王子(天祖)と若者たちの一行が中国からわが国に移住した。益氏が話す夏音の言葉は縄文人にはまったく理解できなかった。しかし、秋の銀河と夏の銀河の各部の形状を神として崇めて土器・土偶を作った前期・中期・後期縄文時代初頭までの約2000年にわたる造化(芸術)の参神の伝統を受け継いだ芸術家たちには、益氏が話す言葉が分からなくても夏音文字の学術が理解できたので習得された」と、わが国における漢字の起源の歴史を伝えた。

次に続く「陰陽斯(ここに)開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)と為()る」という文で、安万侶は「【日本建国の〔愛〕の理念】を提唱した陰の伊耶那美命(壱与)と【日本建国の〔愛〕の理念】を受け継いだ陽の伊耶那岐命(載斯烏越)の二神が、わが日本国のすべてのものの生みの親となった」とあらわした。

そして序の末部で、安万侶は「楷書の日下(にちげ)は夏音文字の玖沙訶(くさか)、楷書の帯(たい)は夏音文字の多羅斯(たらし)と同義である」という文で、【楷書と夏音文字は共に秋の銀河と夏の銀河から作られたゆえ、日下と玖沙訶、帯と多羅斯の語源が同じ銀河部となるゆえ同義になる学芸の秘密】を伝えた(注 この問題はわがブログ「日本が滅びる・70」で詳細に解明した)

◆今から約5000年前の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官の倉頡(そうきつ)は、先人たちに“漢字の始祖”と崇拝された。わがブログ【用語の解説】の「4・倉頡が死刑と定めた3つの掟」に記載したように、倉頡は(1)「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状から文字が作られたことを暴露した者」、(2)「文字を容易に習得するために、銀河各部に名称を付けた者」、(3)「書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者」には神罰が下って即座に死刑に処せられると定めた。

今から約4050年前にわが国伝来した夏音文字は、倉頡が定めた3つの掟を厳重にまもった。だから、夏音文字を書く史料が出土しないことになった。

1725年に没した新井白石以後の学者たちは『魏志』倭人伝と『古事記』序や1615年に制定された「禁中並公家諸法度」の第1条に記載された「漢字は銀河から作られた学芸」が「学問」の語源であり真っ先に「学問」は「夏音文字の学芸」を指している事実に気づかず、早合点して56世紀以前には漢字は伝来していなかったと断定した。

今から約3300年前の殷代(いんだい)後半に出現した甲骨文字(契文)は、上記の倉頡の(3)の掟を最初に破った。したがって、3世紀の魏と朝鮮半島に用いられた楷書も(3)の掟を破る文字であった。しかし、甲骨文字はじめ楷書もまた(1)(2)の掟は厳重にまもった。このために、現在にいたっても学者たちは「銀漢(銀河)から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた事実に気づかない。

中国の『易経』の繋辞(けいじ)上・下伝や37の章で構成される『老子』上篇(道経)や“字書の聖典”と呼ばれる『説文解字』などはじめ多数の文献が「漢字は銀河から作られた」と記述する。にもかかわらず、新井白石以後に“文献批判”という考え方が出現して学者たちは空論に陥った。「文献批判」は「文献の記事を忠実に読解せずに、不可解な記事は深く考える必要がなく誤読してよいとする考え方」である。だから、白石以後に「誤読」に“文献批判”と名づける学者たちは、多数の文献が「銀河から漢字が作られた」と伝える記事を誤読し排除・削除する空論に陥った。

また、学者たちは誰も星座に名称があっても、銀河各部に名称が存在しないことに疑問を抱かない。このため、学者たちは『魏志』倭人伝の約78割の記事が「漢字は銀河から作られた」という事実を証明できる貴重な史料であることに気づかず、『古事記』序は「漢字は銀河から作られた秘密」を伝えるために作成されたことにも気づかない。

7世紀初頭のわが国の様子について、『隋書』倭国伝は「俗、盤俎(ばんそ)なく、籍()くに檞(かし)の葉を以てし、食するに手をもってこれを餔(くらう)。性質直にして雅風あり。女多く男少なし。婚嫁には同姓を取らず、男女悦ぶ者即ち婚をなす。婦、夫の家に入るや、必ず先ず犬を跨(また)ぎ、乃(すなわ)ち夫と相見(あいまい)ゆ。」と記述する。

石原道博編訳者『新訂 魏志倭人伝他三篇』(岩波書店発行)は上記の文を「習慣では盤俎(さらまないた)がなく、檞(かし)の葉をしき、手づかみで食べる。性質はすなおで雅風がある。女は多く、男が少ない。婚嫁(こんか)には同姓を取らず、男女たがいに悦ぶものはすぐに結婚する。婦が夫の家に入るには、かならず先ず犬〔火〕を跨(また)ぎ、そこで夫とたがいに見(まみ)える。」と訳す。

わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社発行)は――『礼記(らいき)』の〔曲礼(きょくらい)、下〕に「黍を食ふには箸(はし)を以(もち)ふること毋(なか)れ」とあり、また「飯を搏(まろ)むること毋れ」とあるから、指で食べたことが知られる――と指摘する(注 この中国の「手づかみで食する」習慣は、白川静著『字統』の[]の字源解説から転載した)
 だから、7世紀初頭において〔手づかみで食べる習慣〕は文化が低かったと示すものではなく、わが国に夏音文字が伝来して「秋の銀河と夏の銀河の各部の形状を文字とする学芸」が風俗習慣化していたものと考えるべきことになる。

B図に示す「鬼の横顔に似る銀河の口の部分」は飲食する[][][]の字源となった。「十字の銀河の子宮と鬼の横顔に似る銀河の口部の中間を繋ぐ帯状の銀河」が「食物を口に運ぶ手と指」に相当する。わがブログ「日本が滅びる・22」で証明したように、[]の原義は「食べ物を口に運ぶ道具の箸」を意味するものではなかった。B図に示す〔食べ物を口に運ぶ手と指〕に見立てられた「帯状の銀河」は、[]の字源「死産した胎児の頭を挟んで産道から引きずり出す医術器具」をあらわした。だから、【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する倭の人々は[]の字源を失った転義の「食物を口に運ぶ道具」の「箸」を使わずに、胎児の死産をおそれ子宝に恵まれることを願って手づかみで食べていたと考えられる。

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〔檞(かし)の実〕の俗称は“どんぐり”である。C図に示すように「十字の銀河の頭部の暗黒天体部」の形は〔女性の子宮がおさまる骨盤口〕に相似する。〔胎児・子宮〕をC図左上の〔どんぐりの雄花(おばな)から生まれた実〕に見立てると、雄花の実を包む堅い部分の〔どんぐりの雌花(めばな)の実〕は胎児・子宮を包む堅い〔骨盤〕のごとくであるので、〔どんぐり〕は〔胎児・子宮と骨盤〕に似ている。3世紀に生存した伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を、7世紀の人民は尊重して日々すごしていた。女性の子宮のイメージとなる「十字の銀河の子宮」と【日本建国の〔愛〕の理念】と〔どんぐりは胎児・子宮と骨盤に類似するという考え〕が結びついて、倭では〔どんぐりがなる木の葉を皿にして手づかみで食べて、子どもの無事の出産を願う習慣〕が定着することになったにちがいない。

 

D図に示すように、[]の金文形は[][]を加えて成立した。[]の字源は「オス鹿の横顔に似る銀河」であり、[]の字源は国際天文学会が名づけた「コールサック」である。「コールサック」とは「石炭を入れる袋のように真っ黒な天体部(銀河部)」である。したがって、[]の字源の「コールサック」が「女性の長い黒髪」をあらわした。石原道博編訳者『新訂 魏志倭人伝他三篇』は『隋書』倭国伝の[][]の誤記ではないかと考えて、「犬〔火〕を跨ぎ」と訳する。しかし〔犬は子沢山で安産〕であるので、長い黒髪の新婦は子沢山と安産を願ったにちがいないので[]は誤記ではなかったことになる。

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D図の「女性の黒髪」となった[]の字源頭部は「コールサック北部」である。ゆえに、婦(新婦)は夫(新郎)の家に入る時、E図に示すように「コールサック北部」を跨ぐかのごとく犬を跨いで子沢山と安産を願い、新郎と相見(あいまみ)えた。というのも、[]の字源頭部を両足で跨ぐように見える「十字の銀河の東半身」は「弓や犂を左手に持つ男性像」に観え、「十字の銀河の西半身」は「乳房や子宮を有する女性像」となるからである。

注目すべきは――E図に示す〔新郎・新婦が相見えて一体〕となる「十字の銀河」は、F図に示すように[]の字源銀河である。前回のブログ「日本が滅びる・146」にて証明したように、「十字の銀河」は【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわした。また前回のブログで証明したように、G図に示す「伊予之二名島」の「伊予」の語源は、H図に示す「十字の銀河」である。これゆえ、上記した『隋書』倭国伝の「結婚する嫁には同姓の女性を選ばず、互いに悦ぶ(好意を抱く)男性と女性が結婚した」という記述は、民間で伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】が尊重されて普及していたことになる。

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『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問末部は――伊耶那岐命の第二后の倭女王・天照大御神(10代崇神天皇の生母の伊迦賀色許売命)が伊耶那美命の墓に多数の徇葬者=八雷神(やくさのいかづちがみ)を埋めたことを憤激して、伊耶那岐命は配下の日本兵と熊野に住む戦士たちの協力を得てクーデターを決行した。伊耶那岐命軍は、黄泉比良坂之坂本(よもつひらさかのさかもと╱現在の和歌山県新宮市新宮の所在する熊野速玉大社の境内)で千五百之黄泉軍(ちいほのよもついくさ╱倭王朝の大軍)を撃破した。倭女王・天照大御神は捕らわれて、千引石(ちびきのいわ╱現在の和歌山県新宮市磐盾町に所在する天照大御神を主祭神として祀る神倉神社の御神体の“ごとびき岩”)の前で、伊耶那岐命に離縁を言い渡された。倭女王からの失脚と離縁の侮辱で怒る天照大御神は「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日に千頭絞(ちがしら・くび)り殺さむ」と呪い誓った。天照大御神の誓いは「【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の母親たちの子宮頸管が狭くなるように呪って、一日に必ず千人の胎児の頭を狭い子宮頸管で絞め殺す」と誓うものであった。この誓いに対して、伊耶那岐命は「汝がそうするならば、吾(あれ)は一日に千五百の産屋が立つように【日本建国の〔愛〕の理念】を継承する政事(まつりごと)をおこなう」と誓った。だから、わが日本国では一日に千人死んでも、【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民によって必ず千五百人の子どもが生まれるようになったので人口減少が生じないようになった――と記載する。

だから、前述したように上記の『隋書』倭国伝の記事は「7世紀、民間では【日本建国の〔愛〕の理念】が尊重されて普及していた」と伝えるものであったと考えられる。

◆『隋書』倭国伝には「阿蘇山がある。その石は、故なくして火が起こり天に接するもので、俗以て異と為()し、よって祷祭(とうさい)を行う。如意宝珠(にょいほうしゅ)がある。その色は青く、大きさは鶏の卵のごとく、夜は則(すなわち)光有り、魚の眼精(めだま)なりと云う」という記事もある。

前々回のブログ「日本が滅びる・145」で注目したI図の「鬼の横顔に似る銀河・北アメリカ星雲」周辺の銀河の南を上・北を下にすると、隣のJ図のごとくなる。J図の「北アメリカ星雲」は現在の熊本県に所在する阿蘇山の〔噴火の火焔〕のごとく赤い。J図の「[(ほう)]の銀河」は〔阿蘇山の噴煙〕のごとく白い。ゆえに、天に届くまで燃え盛る火を起こして白い煙に包まれる祈祷の祭りに使用された石は“阿蘇山”と呼ばれたことになる。

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前々回のブログで証明したように、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命説話の〔国生み〕は「倭女王・伊耶那美命は【日本建国の〔愛〕の理念】を倭国の人民が容易に理解するためにI図左上の雌雄のタンチョウツルと北天の最輝部のタンチョウツルの姿に見える銀河の形状から伊予之二名島(現在の四国)の小国名と神名を生み、【日本建国の〔愛〕の理念】を国作りの柱にして倭国を治めると決意した」と伝える。ゆえに阿蘇山の火祭りは、【日本建国の〔愛〕の理念】の復興を熱望する祷祭であったと考えられる。だから、火災事故が起こらないように大きな石に穴をあけ、その穴に入れた薪(たきぎ)や藁(わら)などを燃やして天に達するまで火柱を立てて祈祷した。というのも、『古事記』は「火の神(火之迦具土神╱ひのかぐつちのかみ)を生んだのが原因で(つまり鍬や犂の鉄の刃先を作る製鉄事業の大火災事故によって火傷を負って)遂に死去した」と記述するゆえ、昇天した伊耶那美命に人民の【日本建国の〔愛〕の理念】の復興の熱い思い・願いが天に届けとばかりに火柱を高く高く立てたことになる。これゆえ、阿蘇山の火祭りは「俗(風俗習慣)」に当てはまらず「朝廷の政事に対する抵抗運動(レジスタンス)」であったので、『隋書』倭国伝に「俗以為異(俗以て異と為す)」と記された。

わがブログ「日本が滅びる・143」で指摘したように、人間の瞳孔の直径(瞳孔径)は、本人の意志にかかわりなく周囲の明るさに応じて絞りつまり虹彩(こうさい)が働いて、約2ミリ~7もしくは8ミリくらいまで変化する。ゆえに、わがブログは瞳孔径の相違によって銀河各部の形状は変化することを示すために、「銀河Ⅰ」「銀河Ⅱ」「銀河Ⅲ」という3種の銀河によってK図に示すがごとく「北アメリカ星雲」の形が変わることを示した。「視界の中に明るい灯火の光が少し入った瞳孔径」で見える銀河の景色が「銀河Ⅰ」、「戸外で見えた一般的普通の状況の瞳孔径」で見える銀河の景色が「銀河Ⅱ」、「銀河Ⅱより少し暗い木陰や窪地などで見た瞳孔径」で見える銀河の景色が「銀河Ⅲ」となった。このブログの最初に掲載した銀河の写真は「銀河Ⅲ」である。K図に示す銀河Ⅰ、銀河Ⅱ、銀河Ⅲの形が異なる「北アメリカ星雲」は、いずれも「鶏の頭部に付く赤い冠」すなわち「鶏冠(とさか)」の形に観える。ゆえに、“如意宝珠”と呼ばれた青色に着色された、夜に光る灯りとなった固形物は鶏卵の大きさに作られた。この小さな灯りの光の強弱によって、K図のごとく「北アメリカ星雲」の形は様々に変化した。また、この小さな灯りの明るさ次第で〔愛〕が掲げられた日本国誕生史を知ることができる様々な銀河の形状が見えたので“如意宝珠”と呼ばれたのであろうか。

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わがブログ「日本が滅びる・142」で証明したように、「伊耶那岐命」の夏音名「載斯烏越(そしあお)」はL図各部の銀河が字源となった。そのうち「烏越(あお)」は「青い水」をあらわす「激流の銀河」が語源となった。「烏越」は「青」であったゆえ、如意宝珠は青色に着色されていた。したがって、如意宝珠は千引石の前で載斯烏越・伊耶那岐命が「吾(あれ)一日に千五百の産屋を立てむ」と述べた誓いを示す灯りであったと考えられる。J図の銀河の場合、「激流の銀河」の形は見えないが、L図に示すように「魚の眼精」と記した箇所だけが〔夜の水中で白く光る魚の目玉〕のごとく見える。だから、「激流の銀河の目玉の銀河部位」は「伊耶那岐命の精霊」をあらわすものとされ、「めだま」は「眼精」と[]を配する[]の字が用いられた。

したがって、“魚の眼精”とも呼ばれた“如意宝珠”は【日本建国の〔愛〕の理念】を抹殺にせんとする朝廷の政策への民衆の抵抗を示すものであったにちがいない。

「結婚する嫁には同姓から選ばないで、互いに愛しあって悦ぶ男性と女性が結婚する」と伝える記事の直ぐ後に、〔阿蘇山の祷祭と如意宝珠〕を伝える記事がある。だから、前者と後者の記事は共に朝廷が抹殺しようとする【日本建国の〔愛〕の理念】の復興を人民たちは朝廷に欲求していたと伝えていることになる。そして、この【日本建国の〔愛〕の理念】の復興運動は途中で消滅せずに存続した。ゆえに遂に皇室は1738年に大嘗会(だいじょうえ)を本格的に復興して、上の飾りを【銀河から漢字が作られた学問をあらわす「卑弥呼」の地上絵の意匠】にし、下の飾りを【日本建国の〔愛〕の理念をあらわす菅笠(水器の蓋)の意匠】にする王冠を高く掲げて新天皇が即位する儀式をおこなうと制定して、遂に人民の欲求に応えた。今上陛下も、この王冠を掲げて天皇に即位なされた。

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