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2015年4月 4日 (土)

日本が滅びる・163

邪馬台国説は【誤読の空論】である
日本人の命のみなもとは「愛、あざやかに永遠であれ」の願いと祈りであった
 
◆日本は〔愛〕を掲げて誕生した。この【日本建国の〔愛〕の理念】を、時々、〔愛〕という一語、または「〔愛〕の理念」と表現する。

◆わが「卑弥呼の逆襲:日本が滅びる」は幾回もくりかえして――『古事記』上巻に登場する「伊耶那岐命」は『古事記』中巻の「第9代開化天皇」であると証明した。
 『古事記』の開化天皇紀は「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して天下を治めた。この天皇が丹波の大県主(おおあがたぬし)の由碁理(ゆごり)という方の娘である竹野比売(たかのひめ)と結婚されて生まれた御子(みこ)は、比古由牟須美命(ひこゆめすみのみこと)である。また継母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)と結婚されて生まれた御子は、御真木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと╱のちの崇神天皇)である」と記す。
 上記した正妃の「竹野比売」が「伊耶那美命」であり、第二后の「継母の伊迦賀色許売命」が「天照大御神」である。
 わがブログ「日本が滅びる・18」で解明したように、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話末部に「伊耶那美命」と記されたヒロインは「伊耶那美命」ではない。「伊耶那美命」は「天照大御神」である。この説話は「天照大御神(伊耶那美)は多数の18歳くらいの青年や13歳くらいの乙女たちを殺して伊耶那美命の墓に埋める残酷な徇葬(じゅんそう)を陣頭指揮した」と記述する。この説話末部にて「伊耶那美命」と記される少し前に「千引石(ちびきのいわ)」が登場する。「千引石」は現在の和歌山県新宮市に所在する神倉(かんのくら)神社の御神体の「ごとびき岩」である。「伊迦賀色許売命」が「伊耶那美命=天照大御神」であることを現在に伝えて、神倉神社は天照大御神を祭る。
 現在は神倉神社の社殿が、千引石(ごとびき岩)が天に反()り立つ空洞に建てられている。しかし、3世紀、社殿は建てられていなかった。この千引石の前の空洞で倭女王・天照大御神は伊耶那岐命に離縁を告げられた。倭女王失脚と離縁の屈辱で怒る天照大御神は「汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日に千頭絞(ちがしらくび)り殺さむ」と誓った。この誓いの詞(ことば)は「伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民の母親たちの産道を狭くして一日に千人の胎児の頭を絞め潰(つぶ)して殺ろす」と呪詛(じゅそ)するものであった。この呪詛の詞に対して伊耶那岐命は「吾(あれ)一日に千五百の産屋(うぶや)立てむ」と述べて「伊耶那美命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】を受け継ぐ」と誓った。この両者の誓いの後に『古事記』は「天照大御神の呪いでわが国では一日に必ず千人死ぬが、伊耶那美命の遺志を継いだ伊耶那岐命の宣誓で一日に必ず千五百人生まれることになって、人口減は起こらないことになった」と書く。しかし、現在の日本は深刻な人口減に悩まされている。
 このような日本国誕生史にもとづき太安万侶(おおのやすまろ)は『古事記』序の初頭にて「陰陽斯(ここ)に開けて、二霊群品(ぐんぴん)の祖(おや)と為()る」という文を配して「〔愛〕の理念を提唱した陰の伊耶那美命と〔愛〕の理念を受け継いだ陽の伊耶那岐命の二霊が、わが国のすべてのものの生みの親となった」と表現した。
 わがブログ「日本が滅びる・77」で証明したように、上記した「伊耶那美命と伊耶那岐命の間に生まれた比古由牟須美命」が「須佐之男命」である。
 「伊耶那岐命と伊迦賀色許売命(天照大御神)が結婚した生まれた御子」と記された「御真木入日子印恵命」は実は「伊耶那岐命と伊迦賀色許売命が結婚して、伊耶那岐命と養子の絆(きずな)が生まれた御子」であった。つまり、御真木入日子印恵命は伊耶那岐命の父の孝元(こうげん)天皇と伊迦賀色許売命(天照大御神)の間に生まれた、のちの崇神(すじん)天皇である。だから、『古事記』は「伊迦賀色許売命と崇神天皇母子」の異名が大和朝廷の基礎を築いた「天照大御神」であると後世に伝えていたことになる。

◆『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命説話末部の須佐之男命の啼()きいさちの条(くだり)は「伊耶那岐大神は淡海(おうみ)の多賀(たが)に坐()すなり」と記す。この「坐すなり」と記された「鎮座地」を、多くの学者たちは「伊耶那岐命が没した地」と考えるが、この意見は誤っている。なぜかというと――『古事記』中巻の開化天皇紀末部は「伊耶那岐命=開化天皇の御陵(みはか)は伊耶河の坂の上()に在り」と記すからである。
 伊耶河宮は、関西本線と桜井線が合流する奈良駅から約550メートル東方の現在の奈良市本子守町率川(いざかわ)あたりに所在したと伝わる。開化天皇陵は春日山西麓の緩やかな斜面の平坦地(伊耶河宮から約250メートル北西の奈良市油阪町)に立地する。したがって、『古事記』中巻の開化天皇紀は「伊耶那岐命は開化天皇陵の南東に所在した伊耶河宮で死去した」と伝えていると考えるべきことになる。
 上記したように――伊耶那岐命のクーデターによって倭女王から失脚し離縁された天照大御神と息子(伊迦賀色許売命と崇神天皇)は怨み骨髄に徹し、復讐の念を露わに伊耶那岐命・開化天皇を憎悪した。このため、伊迦賀色許売命母子の復讐するクーデターの連鎖を絶つため、伊耶那岐命は生前にわが子の須佐之男命ではなく養子の崇神天皇に天下を譲った。にもかかわらず、天照大御神母子は怨み復讐して開化天皇の陵墓を作らなかった。開化天皇陵は伊耶那岐命が没した3世紀後半に築造されず、その墳丘規模から5世紀末から6世紀初頭に築造されたと推定されている。天下を譲られた恩にもとづけば崇神天皇は、伊耶那岐命が死去した3世紀後半、復讐の念を忘れて巨大な陵墓(開化天皇陵)を築かねばならなかったはずである。

◆伊耶那岐命が没してから約200余年後に築造された開化天皇陵を、『古事記』と『日本書紀』が成立した8世紀の人々は伊耶那岐命の魂が憑依(ひょうい)する霊地として信仰しなかった。というのも、当時の人々は“愛、あざやかに永遠であれ”と願って、伊耶那岐命の霊は愛する伊耶那美命の霊と共に棲むと信じていたからである。このため、上記したように712年に完成した『古事記』は「伊耶那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と記した。つまり『古事記』はA図に示す「伊耶那岐命の霊魂は淡海・琵琶湖の多賀大社に鎮座して、伊耶那美命と共に祭られる」と記したことになる。伊耶那岐命と伊耶那美命を主祭神とする多賀大社は滋賀県犬上郡多賀町多賀604に所在する。
 720年に完成した『日本書紀』は「幽宮(かくれみや)を淡路の地に造って、静かに永く隠れられた」と記すが、この記事は「伊耶那岐命は淡路島で死去した」と伝えるものではなく、「伊耶那岐命の霊魂は、B図に示す伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう╱兵庫県淡路市多賀740)に鎮座し、愛妻の伊耶那美命と共に祭られている」と解釈すべきことになる。

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(C) 2015 OHKAWA


 『古事記』の伊耶那岐命と伊耶那美命説話における〔国生み〕の条(くだり)には伊耶那岐命と伊耶那美命が強い愛で結ばれ、また「倭女王となった伊耶那美命が小国・日本でおこなったと同じく〔愛〕を国作りの柱に定めた」と書き、さらに――伊耶那美命は「淡路島」を「淡道之穂之狭別別島(あわぢのほのさわけのしま)」と名づけ、「四国」を「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」と名づけ、さらに「伊予之二名島」を四つの小国に分けて各小国の守り神について「伊予国の祭神の名を愛比売(えひめ)、讃岐国の祭神の名を飯依比古(いいよりひこ)、粟国(あわくに)の祭神の名を大宜都比売(おおげつひめ)、土左国の祭神を建依別(たけよりわけ)と名づけた――と記述する。
 上記の国生みの記事に登場する伊予国の祭神の「愛比売」は「男性と女性が愛し合って多くの子どもを産む【日本建国の〔愛〕の理念】を祭る女神」、讃岐国の祭神の「飯依比古」は[]の字が示すように「飯となる穀物が多く豊かに実るように祭る男神」、粟国の[]について白川静著『字統』が「穀類の総称として用いる」と解説するので祭神「大宜都比売」は「穀物やその他の作物が多く豊かに実る農地を守る女神」、土左国の祭神の「建依別」は「多くの子どもが健やかに育つように守る男神」をあらわした。

◆わがブログでは何度も何度もくりかえして、漢字はD図に示す【秋の銀河と夏の銀河の各部の形状】から作られたことを証明した。その証拠に「銀河」の別名は「銀漢」であり、「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と称することになった。
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(C) 2015 OHKAWA


 
 上記したように、近江・滋賀県の多賀大社と兵庫県淡路島の伊弉諾神宮の住所名は共に「多賀」である。
 D図の左上にある「十字の銀河」は、「銀河の各部の形状から作られたすべての文字を生む母体」と定められた。したがって「十字の銀河」は「多数の文字を生む母体」であるので[]の字(字源・字形・字義)となった。また「十字の銀河」は「多くの子どもを生む母。また多くの農作物を育てる恵みの雨が降る天」と見立てられて[]の字となった。
 わが国の漢字研究の第一人とされる故・白川静博士は著書『字統』(平凡社)は、「多賀」の[]について「生子儀礼や農耕儀礼に用いる字である」と解説する。これゆえ、「多賀」は「多くの子どもが産まれるように、また多くの農作物に恵まれるように神に祈願する儀礼」をあらわすものであったことになる。
 E図に示す「十字の銀河の子宮」は「生子儀礼や農耕儀礼に用いる字」の[]の字(字源・字形・字義)となった。いいかえると、[]の字は「多くの子どもが健やかに育ち、穀類や食料となる草が健やかに育って多くの農作物が実る」をあらわす字であり、[]の字源銀河部は「十字の銀河の子宮」であった。
 だから、「多賀」と住所名が同じ多賀大社と伊弉諾神宮は[][]の字となった「十字の銀河」に見立てられた聖地であったことになる。

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(C) 2015 OHKAWA

 E図に示すように、「多賀」の地名が生まれた「十字の銀河」は「東半分が伊耶那岐命、西半分が伊耶那岐命」に観える。だから、A図の多賀大社とB図の伊弉諾神宮の主祭神の「伊耶那岐命と伊耶那美命」は「十字の銀河」に見立てられていたことになる。

◆わがブログ「朝日新聞社の社長様への直訴・11」において、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命説話冒頭に記載される淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚儀式は、F図に示すように卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理にもとづいて天橋立(京都府宮津市)を舞台にして行われた。そして、この天橋立で行われた聖婚儀式は琵琶湖と淡路島も加えて卑弥呼王朝が再度来襲するにちがいない思い込んだ呉の遠征軍に伊耶那美命を女王に伊耶那美命を軍王(いくさのおおきみ)として赴任させる小国・日本軍が勝利する呪力(じゅりょく)を祈願するものであった。
 G図に、転回日本列島地理にもとづく琵琶湖の地宜を示した。“字書の聖典”と尊重される『説文解字』は[]の字源を「鳥飛んで上翔(じょうしょう)し、下り来らざるなり」と解説する。ゆえに、G図の「琵琶湖の地宜」は「鳥が上空へ飛び立って、地に降りて来ない姿」に見立てられてことになる。
 なお[]の字源解説にある「上翔」の[]の字源を、『説文解字』は「回飛するなり」すなわち「天に飛び立った鳥が、ゆるやかに飛び回る。または回転してもどる」と解説する。

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(C) 2015 OHKAWA 

◆A図に示すように彦根市の南限は愛知川(えちがわ)である。彦根市南部の東隣は、かつて愛知(えち)郡愛知川町と秦庄(はたしょう)町であった。20062月に、愛知川町と秦庄町が合併して愛荘(あいしょう)町となって発足した。この結果、愛知郡は愛荘町1町のみとなった。
 この「愛知川」や「愛知郡」の「愛知」の由来を、三省堂編修所編者『コンサイス日本地名事典』は「【古綴】は依智(『日本書紀』元正紀)・愛智「『延喜式』・『和名抄』」。『天保郷帳』以降はほぼ現綴」と記す。
 「依智(えち)」という古称は『古事記』が完成した712年より以前に確立されて、元正天皇(715724在位)の時代には「依智」と綴られることになったと考えるべきことになる。というのも、上記したように『古事記』は「伊耶那岐命は多賀大社に鎮座する」と記述し、これから証明する「依智」という地名は『古事記』の完成以前にすでに多賀大社が創設されていないと成立しないからである。
 (1)『古事記』上巻と『日本書紀』神代紀に記された淤能碁呂島の聖婚は、F図に示す天橋立で行われて琵琶湖と淡路島が加わって再度遠征して来るにちがいないと思い込んだ呉軍に日本軍が勝利する呪力を祈願したことについて削除された。また、(2)淤能碁呂島の聖婚後に小国・日本に赴任した女王・伊耶那美命は国作りの柱を〔愛〕と定めた歴史も省略された。そして、(3)『古事記』の国生みの記事は難解で、「伊予之二名島」という名や「伊予国を愛比売と謂()ふ」と記す文をもって「倭女王・伊耶那美は倭国・日本国の国作りの柱を、小国・日本の女王時代と同じく〔愛〕と定めた」と説明するものであった。これらの重大な歴史を後世に伝えるために、先人たちは智恵を絞って「依智」と「愛智」という地名を考案した。
 F図下部の琵琶湖と左上の淡路島の地宜は互いに相似する。そして、G図に示したように琵琶湖の地宜は空を飛ぶ鳥の姿に相似し、淡路島の地宜は琵琶湖に向かって[]の字義「回飛する、つまり回(めぐ)り戻る鳥の姿」に相似する。
 H図は――天翔(あまがけ)る鳥の姿となった淡路島が琵琶湖に向かって回飛し、住所名「多賀」で同じ伊弉諾神宮と多賀大社が合体するように鳥が降下して棲みついたと信仰した――先人たちの“愛、あざやかに永遠であれ”と願い祈った情念(思い)を示す図となる。
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(C)2015 OHKAWA

 わがブログ「日本が滅びる・141」で取り上げたように、観察者の視界に少し光が入った瞳孔の直径の場合、D図に示した「十字の銀河から人の横顔に酷似する銀河」までの銀河の形状は下のカラー写真のごとくになる。

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 I図における「十字の銀河」はC図の「淡路島(淡道之穂之狭別島)」に、「鬼の横顔に似る銀河・激流の銀河」は「讃岐国・飯依比古」に、「人の横顔に酷似する銀河の額(ひたい)の北天の最輝部(さいきぶ)」は「伊予国・愛比売」に見立てられた。

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(C) 2015 OHKAWA


 I図に示す「鬼の横顔に似る銀河と南部の銀河」は「讃岐国・飯依比古」の[]の字源銀河となった。
 J図左図に示すように、「白い衣に包まれる胎児の姿に似る銀河」が[]の字源となった。J図右側の[]の契文形は「衣に包まれる人つまり胎児の姿」を図案する。だから[]のは[](人偏)[]が加わる字となった。

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(C) 2015 OHKAWA


 []の字源はJ図の「衣に包まれる胎児の姿に似る銀河」だけでなく、K図のカラー写真「海藻のような絨毛(じゅうもう)に包まれる3ヵ月の胎児」も[]の字源であった。
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 J図上部に「如来像の光背(こうはい)やアワビの貝殻のような輪郭」と記した「[]の字源を包む衣となる銀河範囲」は、K図の胎児を包む「絨毛」の形に相似する。

◆L図は「依智」の地名の由来の解明図である。
 L図の左側に示すように、「琵琶湖」は「人の横顔に酷似する銀河」に類似する。
 L図右上に示すように「伊弉諾神宮と多賀大社を合体させた淡路島」は「雌雄のタンチョウツル」に相当する。「雌雄のタンチョウツルの頸の部分」に「十字の銀河」が在る。


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(C) 2015 OHKAWA


 そして、[]の字となった「白い衣に包まれる胎児の銀河」はL図の右下の「愛知川河口から愛知郡のあたりまで」に合致する。というのも「雌雄のタンチョウツルの銀河」は「多賀大社」に合致し、「人の横顔に酷似する銀河」は「琵琶湖」に合致するので、中間の[]の字源の「白い衣に包まれる胎児の姿に似る銀河」は「愛知川河口から愛知郡のあたりまで」が合致するからである。
 L図中央の下部に示すように、愛知川河口の西隣の湖上に浮かぶ琵琶湖最大の島の沖島(おきのしま)は、東経1365分である。『日本書紀』が伊耶那美命の葬られた地と記す花の窟(いわや)神社(三重県熊野市有馬町)もまた東経1365分である。伊耶那岐命と配下の日本兵たちが熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)に築造された多数の徇葬者ともに葬られた伊耶那美命の陵墓の玄室から奪った棺(ひつぎ)におさまっていた亡骸は、50余メートルの高さでそそり立つ花の窟の根元の祭壇と玉垣からなる境内に埋葬されたことになる。
 上記したように、愛知川河口の西隣の湖上に浮かぶ沖島と花の窟神社は同経度である。
 したがって、沖島は花の窟神社に葬られた伊耶那美命の霊が依()りつく聖域と考えられることになった。ゆえに、伊耶那美命を愛した伊耶那岐命の霊は沖島より東の愛知川河口から愛知郡までが伊耶那岐命の霊が依りつく聖域となったのである。
 それというのも、熊野の大斎原に築造された伊耶那美命の陵墓は被葬者がいなくなって破壊され、そのかわりに花の窟神社が伊耶那美命の墓となったからである。ゆえに、伊耶那岐命・開化天皇陵は後世に築造されたが、開化天皇陵もまた伊耶那美命陵と同じく伊耶那岐命の霊が依りつく墓であると――人々は考えようとしなかったのである。伊耶那岐命の霊魂は彼が愛した伊耶那美命と共に祭られて伊弉諾神宮や多賀大社に憑依し鎮座していると人々は信じるようになり、また琵琶湖の湖上に浮かぶ沖島と愛知川・愛知郡も伊耶那美命と伊耶那岐命の霊が依りつく聖域であると人々は信じようになったのである。
 白川静著『字統』は[]について「祖霊の憑(より)つくことをいう。またそのように祖霊の憑りつく状態を依という」と解説する。
 だから、愛知川と愛知郡は伊耶那岐命の霊が憑依(ひょうい)する地域となって[]の字をあらわす地となり、この[]の字の考えはL図に示した「智恵」によって成立した。したがって、「愛知」の古称は[][]が加わって「依智」と綴られることになった。
 また「依智」という地名は“伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】があざやかに永遠であれ”と願う智恵から生まれたものであったゆえ、後年は「愛智」と綴られることになったのである。

◆L図が示すように――上記したカラー写真の「タンチョウツルの姿が見える銀河」から伊耶那岐命の霊魂は愛知川右岸地域の郷に依りついて棲むと信じられることになって「依智」という地名が生まれた。
 タンチョウツルは芸術・意匠、折鶴、昔話などで日本人にとって身近な存在となる。

そして、神前結婚では神主は伊耶那岐命と伊耶那美命の両神に新郎新婦の名と住所を告げて永遠の愛と幸福を願う儀式を行う。タンチョウツルは結婚を祝福する様々な物を飾る意匠となる。
 タンチョウツルの巣は卵2個産み、雌雄が交代で温めて約1ヵ月でふ化する。ヒナはふ化するとすぐに歩くことができ、両親と一緒に湿原の中で餌を探しながら育つ。この生態が【日本建国の〔愛〕の理念】と【伊耶那岐命と伊耶那美命の夫婦愛】をあらわした。
 だから、M図に示すタンチョウツルの舞姿のごとく、伊耶那美命の魂はメスのタンチョウツルとなって沖島がある湖上に憑依して棲み、伊耶那美命を愛した伊耶那岐命の魂はオスのタンチョウツルとなって愛知川右岸地域に憑依して棲むと信じる――先人たちの情念(おもい)は「依智」という地名を生むことになったのである。

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 中国の五経の第一に挙げられる古典『易経』繋辞下伝は漢字の起源について「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜(ちぎ)を観る。(中略)。もって万物の情に類して文字を作った」と伝える。この文中の「天象」はD図の「文字が生まれた銀河」であり、「地法」は「黄河・長江の水が、銀河の運行とは逆向きの西から東へと流れる法則」であり、「鳥獣の文」は倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」の別名であり、「地宜」はA図・B図・C図・D図・F図・G図・H図・L図中央下図などの「平面的に図化した地図の形」である。

いままで証明してきたように、わが国には「地宜」が字となる原初漢字の夏音文字が存在した。だから、L図で証明したように「天象・銀河と地宜によって成立する合理」は「『古事記』上巻に記された淤能碁呂島の聖婚における史実を知ることができる文字」となり、また先人たちの“愛、あざやかに永遠であれ”という願いと祈りをわれわれ現代人は「地宜」を【文字」とする【夏音文字の学芸】によって知ることができる。
 
 以上のごとく【夏音文字】が存在したからこそ、〔愛〕は日本国誕生史の花咲く魂となって日本のすべてを創造する源(みなもと)となったことを知ることができる。

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