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2015年4月29日 (水)

日本が滅びる・167

終わりの始まり

序――世界の文字は銀河から発明された
 「文字は人類の歴史上、最も偉大な発明品の一つである。文字がなければ歴史もなかったことを考えると最大の発明といえるかもしれない」と、アンドルー・ロビンソン著・片山陽子訳『文字の起源と歴史』(創元社)は記す。
 『文字の起源と歴史』は古代エジプトのヒエログリフ(聖刻文字)について「紀元前3100年頃、ちょうどエジプト第一王朝が始まる少し前、突然、ほとんど完成された形で出現したようにみえる」と指摘する。

古代エジプトにはヒエログリフの起源について語る伝説や古文献は存在しない。
 他方、中国には、文字(漢字)の起源を語る倉頡(そうきつ)伝説が存在する。しかし、学者たちは〈文献批判〉を用いて「倉頡伝説は、荒唐無稽(こうとうむけい)の空想の産物である」と断定する。ところが、わが国には中国における最古の上古音よりも古い〈夏音(かおん)〉の文字が現存し、この〈夏音文字〉と〈夏音文字の遺跡〉によって倉頡伝説は事実を伝えていることが明確となる。
 倉頡が生存した五帝時代初頭は紀元前3000年頃である。倉頡は下に示す写真〔秋の銀河(の西部)と夏の銀河の各部の形状〕から万物の情(イメージ)に類似する多数の文字を作る方法を発明した。

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 「銀河」は「銀漢」とも称するゆえ「銀漢から作られた字」略して「漢字」と名づけられた。だから、「天に多数の文字ありき」となったので、略して「銀河輝く天空」は「天文」と名づけられた。
 上の銀河の写真の各部に、私はA図のごとく名称を付けた。
 このA図の銀河を、私は「文字作成銀河」と名づけることにした。

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 わがブログ「日本が滅びる」の164回と165回で詳細に解説・証明したように、〔歳差(さいさ)〕という天文現象にもとづいて、倉頡が生存した五帝時代初頭の中国の天頂を通過した〔秋の銀河の形状〕を観察すると、倉頡伝説は事実であったと簡単明瞭に察知できる。

日本の夏音文字は世界の文字の起源の秘密が解明できる
 
◆倉頡は自らが考案した文字が最も強大な権力を手に入れる方法であることに気づき、反体制側の人々が文字を習得して革命に利用したならば王朝は容易に滅亡すると心配した。
 ゆえに、倉頡は(1)A図の文字作成銀河から文字が作られたことを暴露した者、(2)文字を容易に習得するために、文字となった銀河各部に名称を付けた者、(3)書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者――には、神罰が下って即座に死刑に処せられると定めた。

(3)の掟のために、五帝時代の文字、倉頡の時代から約930年後の約紀元前2070年から始まる夏音文字、紀元前1600年~同1300年の殷代(いんだい)前半の文字は【文字作成銀河の各部の形状】が【文字】となり、文字を書いた史料が出土しないことになった。
 しかし、(3)の掟は紀元前1300年からの殷代後半に出現した契文(甲骨文字)によって最初に破られたが、(1)(2)の掟を中国の歴代王朝は厳重にまもったために、今日において〔漢字が銀河から作られた事実〕は不明となった。

◆上記した倉頡が死刑と定めた(1)(2)の掟は世界的規模の同一ルールとなった。
 古代エジプトの歴代王朝はじめ銀河からアルファベットを作った世界各地の古代歴代王朝は文字の学芸を手にいれた反体制側の人々の革命によって王朝が滅亡することをおそれて(1)(2)の掟を厳重にまもった。
 このため、世界中を探しても文字作成銀河の銀河各部の名称は存在しない。ゆえに私はA図のごとく、文字作成銀河の各部に名称を付けることにした。
 A図の文字作成銀河全域には約19の星座が存在するが、天文学の門外漢には星座の形は見えない。しかし、A図に名を記した銀河部の形は天文学の門外漢でも見える。このように明確な形がある文字作成銀河の各部に名称が存在しないのは――世界の文字は銀河から作られたことが事実であることを直接的に示す証拠である。
 古代エジプトでは前王朝期が始まる何世紀もの以前から、土器、武器、装身具や道具などを飾る図案や記号が作られていた。これらの図案・記号には、王朝期のヒエログリフと酷似するものや、まったく同一のものも存在する。ほとんどの学者たちは、前王朝期の図案・記号をアート(美術・意匠)として発達した蓄積な中から最初のヒエログリフの記号が選ばれたと考えている。つまり紀元前3100年頃、文字作成銀河から作られた図案・記号を【文字】にする発明がなされたゆえ、上記したようにヒエログリフは突然にほとんど完成された形で出現したのである。
 A図の【文字作成銀河の各部の形状】を【文字】にすると定めたアートの才能(右脳思考能力)が優れる王・神官・書記たちによって、結局、総数が約700800にもなるヒエログリフが作られた。古代エジプト文字の研究者たちによって、2430(研究者によって文字数が多少異なる)のアルファベット的に用いられる表音文字が存在することが知られている。しかし、ヒエログリフは漢字と同じ「表語文字」であった。というのも、古文献『魏志』倭人伝・『古事記』上巻と遺跡「卑弥呼」の地上絵によって、ヒエログリフは漢字が作られたA図の【文字作成銀河の各部の形状】から作られたことが証明されるからである。

1
  日本には【文字の起源】を伝える古文献と遺跡・遺物が現存する

◆中国の五経の第一に挙げられる①『易経』繋辞(けいじ)下伝、②中国が世界に誇る37の章で構成される『老子』上篇、③“字書の聖典”と尊重される『説文解字』は「文字が銀河から作られた」と伝える代表的な古文献である。『説文解字』の文字の解説には「字源・最初の字形・原義となった文字作成銀河の各部の形状」を説明するものが多数存在する。

◆倉頡から約950年後の紀元前2050年頃の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、“夏の始祖”の帝禹 ()の後を継いだ帝益の孫の王子と益氏の若者たちが大海を越えて日本列島に夏音文字の学芸をもたらした。司馬遷著『史記』の五帝本紀・夏本紀・陳杞世家に登場する名門益氏の日本列島移住は『日本書紀』神武天皇紀の〔天祖降臨説話〕に記述された。

◆わが国では【夏音文字の学芸】によって【倉頡の漢字を発明した「一即多、多即一の理論」と漢字作成原理「鳥獣の足跡」(「鳥獣の文」とも言う)の秘密】が保存された。
 わが国に【夏音文字の学芸】が存在した事実を記述した中国とわが国の古文献は、①「卑弥呼」を夏音で「ヒミコ」と読む人名・小国名を多数記載する『魏志』倭人伝、②〔音〕という注が付く11音読みの夏音文字を多数記載する『古事記』上巻、③702年に中国に渡った遣唐使が「後稍 (のちやや)夏音を習う」と中国王朝に告げたと書く、中国の正史『新唐書 (しんとうじょ)』日本伝などである。
 ゆえに、私は「夏代の文字」を『新唐書』日本伝に登場する「夏音」という語にもとづいて「夏音文字」と呼ぶことにした。夏音文字は上記した倉頡の(3)の掟によって出土しないが、夏音文字の字音は楷書で表記されて現存することになった。

2
  なぜ、わが国では【夏音文字の学芸】を保存する遺跡と遺物が作られたか
 
新井白石(16571725)ら始まる〈文献批判〉を受け継ぐ学者たちによって、今日、『古事記』上巻に記載された日本国が誕生する時に提唱された〔愛〕の理念が排除・抹殺された。
 『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話冒頭の〔淤能碁呂島 (おのごろしま)の聖婚説話〕では「伊耶那美命は小国・日本の女王となり、伊耶那岐命が軍王(いくさのおおきみ)となって夫婦となった」と説明される。伊耶那美命は小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定めた。〔淤能碁呂島の聖婚説話〕に続く次の〔国生み説話〕では「倭女王となった伊耶那美命は伊予国(現在の愛媛県)の祭神名を愛比売(えひめ)と定めて、倭の国作りの柱を小国の日本と同じく〔愛〕と定めた」と語るものであったのである。
 この「小国・日本の国作りの柱となった〔愛〕」を、以後【日本建国の〔愛〕の理念】と表記する。
 以上のごとく、わが国には夏音文字の学芸が伝来していたために【夏音文字の学芸】を保存する遺跡や上記した【日本建国の〔愛〕の理念】をテーマとする【夏音文字の学芸】を保存する遺跡・遺物が下記のごとく作られた。
 【夏音文字の学芸を保存した遺跡・遺物】について、()〈いつ〉、()〈誰が〉、()〈いかなる経緯で〉、()〈なにゆえ〉作成したかの説明を加えることにした。

(1)
秋田県鹿角(かづの)市に所在する国の特別史跡の大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)における万座遺跡と野中堂遺跡 
 この遺跡は()紀元前2000年頃 ()日本列島に移住した益氏の王子(天祖)の子孫が、()諸侯が帝禹の息子の啓(けい)に入朝して禹が反対した世襲王朝国家体制を創設したので、益氏は日本列島に移住して禹の遺志(五帝時代からの氏族共同体制)を継承すると決意し、()夏音文字の学芸を日本列島各地に広めて禹の遺志を存続するために作成された。

(2)
B図・C図の現在の静岡県浜松市北区細江(ほそえ)町の行政区域を表示する地宜(ちぎ╱平面的に図化した地図の形)として現存する、丁度1千万坪に作られた「卑弥呼」の地上絵
 この遺跡は()『魏志』倭人伝が著作された280289年と同時代の260290年頃、()『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男神の誓約説話の末部に「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」と記された豪族一族が作成した。()『古事記』上巻の〔天照大御神と須佐之男命の誓約説話〕に記述されているがごとく、【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪して抹殺せんとする天照大御神王朝に対抗して、【日本建国の〔愛〕の理念】を掲げて五人の王たちが天照大御神王朝を倒して、伊耶那美命が生んだ息子・須佐之男命の王朝を熊野に創設するクーデターを計画した。しかし、父・伊耶那岐命の「母が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】をまもれ。クーデターを行ってはならない」という遺言を守った須佐之男命が天照大御神と不戦の誓約を結んだために、五人の王たちが計画したクーデターは失敗した。()このクーデター計画に参加した一員であった建比良鳥命は、日本国誕生史と【日本建国の〔愛〕の理念】を正確に伝えていくために必要不可欠な【夏音文字の学芸】を子孫が学習し続けるために一大決意して「卑弥呼」の地上絵を作成した。この遺跡はその存在が歴代天皇王朝に知られたならば即座に一族は討伐されて滅亡する大罪を犯して作られた。

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(3)D図に示す現在の滋賀県彦根市の行政区域を表示する地図の形として現存する、彦根の3千万坪の大鳥の形の地宜(注 D 図右上の多賀神社の主祭神は伊耶那美命と伊耶那岐命である)
 B図・C図の「卑弥呼」の地上絵を作成した建比良鳥命の末裔は1010年に武家の井伊氏を創設した。そして、譜代大名筆頭の地位についた24代頭首の井伊直政は徳川家康の命令で関ヶ原合戦の4ヵ月後の1601年の正月に近江の佐和山城に入った。しかし、関ヶ原合戦で島津隊から受けた鉄砲傷が悪化して16022月に没した。この遺跡は()藩祖直政が死去した翌1603年から着工して20年後の1622年に、()井伊氏・彦根藩が完成した。()1562年の織田信長と家康(松平元康)が結んだ清洲同盟では熊野那智大社に祭られる伊耶那美命に誓って天下を統一して【夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の復興】を約束しあう信長と家康の心願が示され、()彦根藩祖直政もまた【夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の復興】を心願としたので、翼の無い3千万坪の大鳥の地宜で「未だ夏音文字の学芸は習わず(復興せず)」と設計して信長・家康・直政が一生をささげた心願が表現された。

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(4)
E図に示す京都市西京区に所在する桂離宮庭園の地宜(平面図)
 1608年、30歳の駿府城作事奉行であった小堀正一(まさかず)は家康にB図・C図の遠州に所在する「卑弥呼」の地上絵(地宜)の研究を命じられ、以後「遠州」と号した。この遺跡は()小堀遠州が1623年から病床に伏せた1645年までの23年間作庭に従事し、()江戸幕府が遠州に命令し、()1616年に死去した家康の遺志【夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の復興】を、()時の後水尾(ごみずのお)上皇に要望することにしたが、上皇は遠州が生存中に一度も桂離宮に御幸(みゆき)しなかった。
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(5)
F図に示す京都市左京区に所在する修学院離宮庭園の地宜(平面図)
 ()1655年頃から1659年にかけて ()幕府が ()E図の桂離宮の作庭で家康の遺志は叶えられなかったゆえ、()【倉頡が発明した漢字作成方法(「一即多、多即一の理論」と漢字作成原理「鳥獣の足跡」の考え方)】と【夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の復興】を上御茶屋(かみのおちゃや╱F図の右上)の浴竜池(ようりゅうち)に設計して後水尾上皇に献上したが、上皇は幕府の要望に応じなかった。
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(6)
京都市右京区に所在する枯山水の平庭で有名な竜安寺(りょうあんじ)の石庭
 わが国には、【倉頡が発明した漢字作成方法の真実】と【夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の真実】が存在した。()1450年、()細川勝元が徳大寺家の別荘であったこの地を譲り受け、【夏音文字の学芸】に精通した臨済宗妙心寺の義天玄承(ぎてんげんしょう)に帰依して、竜安寺を創建した。()石庭の作庭者は室町時代の相阿弥(そうあみ)が最も長期間有力候補者とされたが、そのほか細川勝元説、竜安寺開山義天禅師説、その他にも諸説が存在する。というのも、様々な古文献には石庭そのものが変化した様子や庭石の数や配置が変化した状況が記されているからである。()現在の石庭はA図の文字作成銀河の各部の形状を表現するアート作品となる。ゆえに、おそらく相阿弥が発案してから1799年頃までの約350年間、【文字作成銀河の各部の形状を表現するともに、倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸と日本の〔愛〕の理念の真実を一体化表現する】にあたって様々な思索が加えられて幾度か改作され、ようやく現在の白砂の平庭に5群の石組・計15個の大小の石で表現する作品が完成したと考えられる。というのも、上記したように現在の石庭は――A図の文字作成銀河の各部の形状を表現し、また倉頡が発明した漢字作成理論と夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念の真実をも表現する作品であり、さらに禅の極地と老子の「知足」の思想をも一体化させる作品――だからである。このような幾つかの玄妙な真実と禅の極地と老子の「知足」の思想を一体化させる、後世に偽りの歴史を残さないために先人たちが約350年もの長いあいだ追求・模索また改作がなされた努力が存在しても当然ということになる。

(7)G図に示す皇室最大の神事である大嘗会(だいじょうえ)において天皇即位式に用いられる王冠=菅蓋(かんがい)

7年間幕政を担当した新井白石は西欧の合理思考を用いて『魏志』倭人伝の大半の記事にて説明された【夏音文字の学芸】と末部の【日本建国の〔愛〕の理念】を解明するに重要な歴史的事実を排除した。しかし、白石の死から13年後の()1738年、()白石の誤読にもとづく史観による朝廷対策と対立した霊元(れいげん)上皇は、白石が幕府から追放されると将軍吉宗の協力を得て大嘗会を本格的に復興し、()白石の〈文献批判=誤読〉が後世に受け継がれて夏音文字の学芸を失うことになれば皇室の崩壊と日本国滅亡につながると考えた。これゆえ上皇は歴代天皇王朝が隠蔽(いんぺい)し続けた『古事記』上巻の〔伊耶那岐命の黄泉国訪問説話〕に記載された――皇祖・天照大御神が残虐な徇葬(じゅんそう╱多数の青年と乙女たちを殺して伊耶那美命の墓に埋める儀式)を決行した事実と、伊耶那岐命がクーデターを決行して天照大御神を倭女王から失脚させたために天照大御神は伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を呪い祟(たた)って復讐を誓い、【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民を苦しめた歴史――が解明されるのを覚悟して、()G図に示すように天皇の王冠の上の飾りを〈「卑弥呼」の地上絵〉の意匠で【夏音文字の学芸】をあらわした。下の飾りは【日本建国の〔愛〕の理念と伊耶那美命】を象徴する家々の神棚に置いてある〈水器の蓋(ふた)〉の意匠にし、天皇の王冠の名を[]の字が付く「菅蓋」と定めて、新しい皇室の第一歩を踏み出すことにした。

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 この霊元上皇の聖慮(せいりょ)によって、大嘗会においてはG図の【夏音文字の学芸と日本建国の〔愛〕の理念】をあらわす天皇の王冠を頭上高く掲げて、天皇は即位することになった。

◆漢字の起源について、『易経』繋辞下伝は「仰いでは天象を観、俯しては地法を観、鳥獣の文と地宜を観る。(中略)。以て万物の情に類して文字を作った」と記述し、「天象を基本とする地法・鳥獣の文・地宜の4要素は文字(字源・字形・原義)となる」と伝える。
 文字の基本原則の「天象」は「文字作成銀河」、「地法」は「黄河の水が銀河の運行の逆向きに西から東へと流れる法則」、「鳥獣の文」は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」の別称である。そして「地宜」はB図(C図)・D図・E図・F図の地図の形と庭園平面図」である。これらの夏音文字の地宜が証明するように、地宜は文字(夏音文字と楷書)となった銀河部を指差して厳重に隠蔽した歴史の秘密を明らかにすることができる文字となった。

シュリーマンが発見したトロイの遺跡のごとく
 紀元前1200年頃におこったトロイ戦争は紀元前850年頃に生存したギリシアの詩人ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』に記述され、学者たちは〈文献批判〉を用いてトロイ戦争はホメロスの空想の産物であると断定したが、ドイツ人のシュリーマンが『イリアス』に記述されたとおりの土地を発掘して、トロイの遺跡を発見して歴史的事実となった。

白石以来学者たちは〈文献批判〉を用いて夏音文字を排除しつづけているが、同時代(3世紀後半)に作られた『魏志』倭人伝と「卑弥呼」の地上絵は「夏音文字は存在した」と伝えるゆえ、トロイの遺跡の発見で定まったがごとく「夏音文字が実在した」ことは何人にも否定できない明瞭なる事実となる。
 さらに、わが国の漢字研究の第一人者とされる故・白川静博士は著書『字統』(平凡社)の【わが国の漢字音】と題する10頁で「カールグレンが開いた音韻学によって、わが国には最古の漢字音が残されていることが明らかになった」と重大な事実を指摘する。ゆえに、中国における最も古い上古音よりもさらに古い最古の字音を現在に伝える漢字つまり夏音文字はわが国に実在したことになる。

まとめ

 上記のごとき発見は俄(にわ)かに信じがたいことでしょう。
 しかし、私は2011911日にブログ「卑弥呼の逆襲」を開いてから20153月までの430回余の記事で――銀河から作られた多数の文字(漢字とヒエログリフ)の字源となった銀河部を一字一字ずつ丁寧に解説することに専念して、【銀河各部の形状】が【文字】となったことが明確になるように具体的に証明した。
 以上のごとく天皇の王冠及び6ヵ所のわが国の夏音文字の学芸遺跡は、「卑弥呼」の地上絵に相集まって一個の組織体となってすべての漢字の字源・字形・字義となった銀河部を芋づる式に続々と明らかにする。また注目すべきは卑弥呼の地上絵はエジプトのギザにあるピラミッドとフィンクスとも組織体となって、A図の文字作成銀河から作られた総数が700800と指摘されるすべてのヒエログリフの未だ解明されていない字源銀河部も芋づる式に続々と明らかにする。
 H図の下部が示すようにヒエログリフは世界各地の文字の生みの親となり、ヒエログリフの末裔である欧米とアフリカで使われるABC・アルベットは現在世界70ヵ国以上の公用語の文字となる。ゆえに、ABCアルファベットと漢字と合わせると――現在、世界の7割~9割の人々が使う文字の起源の秘密は、わが国の夏音文字によって明らかとなる。

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 これゆえ、日本の漢字は世界を一つに繋(つな)げることができる。
 だから、壮麗な銀河から文字が作られた歴史が翼をひろげて世界へ羽ばたくことをひたすら願って、私は夏音文字の発見者として夏音文字の復興を願った先人たちの歴史研究に努力した。

 始まりは終わりの始まりです。つまり、始まれば終わりがあることということです。しかし今回のブログの冒頭で「終わりの始まり」と述べたように、今回の167回をもって「日本が滅びる」シリーズは終わりますが、来月から新たなる挑戦を始めます。

つまり、来月の上旬かまたは中旬からは「古代エジプト文字の字源」と題して、日本古代から飛び立って古代エジプトの(聖刻文字)も漢字と同じく文字作成銀河の各部の形状から作られたゆえ字源が存在するという事実を図入りで解説し証明することにしました。なお、ヒエログリフの字源については、わがブログ「卑弥呼の逆襲」で20111217日の「枯山水の庭園で有名な竜安寺の石庭は“世界の文字は銀河から作られた”と証言する」シリーズの14回~35(2012年1月14日に終了)」でも行いました。しかし、今回は図入りで解説して、古代エジプト文字の字源が容易に理解できるように解説し証明します。

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