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2015年6月17日 (水)

古代エジプト文字の字源・10

 ヒエログリフ「霊」の字源解説・Ⅱ

◆わがブログ「日本は滅びる」は初回から167回までをもって、すべての漢字は私が「文字作成銀河」と名づけた銀河範囲から作成された事実を証明した。この「古代エジプト文字の字源」シリーズでは、古代エジプト文字=ヒエログリフもまた漢字と同じ「文字作成銀河」から作られた事実を証明する。したがって、ヒエログリフにも漢字と同じく〔字源〕が存在し、〔字源銀河〕から〔字形〕が作られて〔字義〕が成立したことになる。
 
 ヒエログリフと漢字が作られた「文字作成銀河」の写真は「古代エジプト文字の字源・4」の冒頭に掲載したので参照していただきたい。
 エジプト・中国はじめわが国においても文字が生まれた〔文字作成銀河の各部の名称〕が存在しない。ゆえに、私は下記のごとくに定めた。

Photo
(C) 2015 OHKAWA


◆前回のブログ「古代エジプト文字の字源・9」では、A図の「霊」を意味する〈カー〉のヒエログリフは、B図右上に示す漢字の[]と同義であることを詳細に証明した。

E37

(C) 2015 OHKAWA 


 []の上部の[(とう)]は「46秒の間にキャッチする天頂緯度線と天頂点と真北あるいは真南の目印(銀河部位や星など)を結ぶ子午線」、下部の[(よう)]は「産道を無欲無心で通過して誕生する新生児」をあらわす。というのも、必ず[]をキャッチすると欲を有する人物は[]のキャッチに失敗して道に迷って野晒(のざらし)しの白骨体となったからである。ゆえに、[]をキャッチする心得・鉄則は「産道を通過して誕生する胎児のごとく無欲であれ」であった。
 本来、人間の目にはB図右上に示す[]つまり〔46秒間の天頂緯度線をキャッチできる神秘的な能力〕がそなわっていた。現在の人々にとって〔天頂緯度線をキャッチする眼力〕は必要ではなくなったが、多分、半年間真剣になって日々鍛錬すれば大半の人々はその能力を取りもどすことができるのにちがいない。前回のわがブログの末部で、紀元前45世紀に生存した中国の思想家の老子は『老子』第1章で、B図に示す〔[]をキャッチできる神秘的な目の能力〕をテーマにして「故に常に無欲にしてもってその妙を観、常に有欲にしてもってその皦(きょう╱野晒しの白骨体)を観る」と説いていることを指摘した。
 人類は食糧となる獲物を求めて日々見知らぬ土地を旅していた原始時代、その一族の首長や魔術師(神官や巫女)は精密に1分の緯度差を計測できるB図の[]をキャッチする眼力と技(わざ)を身ににつけた人物が選ばれた。ヒトは道に迷ったと感じた瞬間“死ぬ!”と思い込んでパニック状態に陥る。ゆえに、人々が「死ぬ! 死ぬ!」と叫んでヒステリック状態になって全員が協力しあって生きてゆくことができなくなって絶滅しないためには、精密に1分の緯度の差を測定できる神がかり的な眼をもつ首長と魔術師が“我らは迷っていない!”と説得して常に全員が平静でいられるようにして一族の絶滅をふせがねばならなかった。
 人類は、A図に示す「霊」〈カー〉の霊力つまりB図に示す[][]が一体となる[]によって絶滅しなかった。したがって、現代に生きるわれわれの眼は鍛錬すればB図に示す「46秒で天頂緯度線をキャッチする玄妙な眼力」がそなわっている。
 原始の人々・太古の人々やわが国の縄文人・弥生人にとって、C図に示す北極星はまったく役立たずの星であった。
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(C) 2015 OHKAWA


 C図に示すように、天の北極の位置は〔歳差(さいさ)〕にもとづいて約25,800年で一周する。このような天の北極に現在の北極星(こぐま座α星)は約1度離れ、西暦2100年ころにはさらに接近して天の北極から約45分の距離となる。紀元前2790年ころ、りゅう座α星は天の北極に西暦2100年のこぐま座α星と同程度に接近した。この二つの北極星は天の北極を中心に円を描くゆえ、上経過と下経過における緯度(高度)の差は直径約1.5度となる。だから、緯度の測量誤差は約1.5(90)となる。したがって移住生活を続ける原始の人々・太古の人々が北極星で緯度を測量すると迷って一族がパニック状態になって全滅した。だから、彼らにとって北極星はまったく役立たずの星であった。この重大な事実に現在の学者たちは誰一人気づかず、原始の人々・太古の人々・上古の人々は北極星の高度で緯度を測定して暮らしていたと思い込む。
 しかし、『老子』第1章は「この世の真理・真実を探求するにあたって最も重大なことは、緯度を1分の精度で測定できる[](天頂緯度線・子午線)をキャッチできる玄妙な目の能力である」と説く。

◆上記したようにA図の「霊」のヒエログリフは、B図に示す漢字の[玄]と同義であった。古代エジプトでは人格の優劣は「霊」の能力の優劣で決まり、王と神官は天頂緯度線をキャッチして1分の緯度差を測定できる「霊」の眼力の持ち主でなければならなかった。
 D図は、ステファヌ・ロッシーニ著╱矢島文夫約『図説・古代エジプト文字入門』(河出書房新社)からの転載図である。

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(C) 2015 OHKAWA 


 D図の上図は、ガーディナーのリストの「T36」の「偉大なる」と「僕(しもべ╱下僕)」意味する字と「G5」の「ホルス神」をあらわす字で、「陛下」と意味する。エジプトの王は生けるホルス神(ハヤブサの姿の神)であるゆえ、「偉大なるホルス神の下僕である王」はつまり「陛下」と意味した。
 D図の下図はガーディナー・リストの「D28」の「霊」をあらわす字の中央に「偉大なる。下僕」という字が配置され、右隣にガーディナー・リストの「A1」の「男」をあらわす字が加わって「神官」を意味した。「偉大なる」の先頭字の[]の漢字の人偏を糸偏にすると「緯度」の[]となる。ゆえに、「霊」のヒエログリフは「1分の精度で測定できる天頂緯度線と子午線」をあらわすゆえ、D図の下図は「偉大なる[霊=玄]の神の下僕である男」はつまり「神官」を意味することになったのである。
 だから、当然、神官は「天頂緯度線をキャッチして緯度を1分の精度で測定できる能力」を有していなければならなかったことになる。

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」の4回と6回~9回まで、C図に示した「歳差(さいさ)」を用いて(1)紀元前4000(先史時代)(2)紀元前3000(ヒエログリフが最初に出現した時代)(3)紀元前2000(6王朝)時代までの首都・メンフィス(北緯30)の天頂を通過した銀河を注目した。E図に示すように、紀元前4000年~紀元前2000年前の首都メンフィスの天頂を「激流の銀河・長方形の暗黒天体部」がめぐってきた。

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(C) 2015 OHKAWA

 F図は、E図の「激流の銀河・長方形の暗黒天体部」の拡大図である。
 「激流の銀河」は「豊かな恵みをもたらすナイル川の氾濫」、「長方形の暗黒天体部」は「ナイル川流域の広大な農地」に見立てられた。はるか南のアフリカ中央部で大量の雨が降ると、ナイル川は両岸の肥沃(ひよく)な土を下流に押し流してエジプトにもたらした。メンイス周辺では毎年夏至の日に浸水が開始し、9月初めのころに大洪水がピークに達した。洪水に見舞われた土地は泥状となってやわらかくなるゆえ、原始的な木製の刃先の鍬(くわ)を牛に牽引(けんいん)させるとたやすく耕すことができた。このように、エジプトの人々はナイル川の氾濫によって豊かな実りを手に入れた。

 G図は、畑を耕す鋤を牽引する「牛の角」のヒエログリフであり、初義は「矢状縫合(やじょうほうごう)」であった。

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(C) 2015 OHKAWA


 H図に、小児の矢状縫合を示した。小児の頭蓋骨の縫合における骨どうしの間は、結合組織性の膜になっている。この矢状縫合の前端と後端は膜性の部分が大きい。そして注目すべきは、小児の「冠状(かんじょう)縫合」はG図の「牛の角」に相似する。
 マリア・カルメラ・ベトロ著╱南條郁子訳『[図説]ヒエログリフは事典』(創元社)は、G図の「牛の角」のヒエログリフについて――じつはこのヒエログリフはつのそのものをあらわしているわけではない。動物も人間も、頭蓋の頂上には左右2枚の頭頂骨がある。この文字は、それらをつなぐ「矢状縫合」をあらわしているのである――と解説する。
 G図の「牛の角」の文字は「矢状縫合」「頭頂」を初義とし、後に「頭部」または「先頭」と転義し、さらに「分ける、分離する」と意味する動詞にもなった。
 F図に示すように、(2)のヒエログリフが最初に出現した紀元前3000年ころの天頂緯度線は、「激流の銀河」における「牛の角に似る銀河」のほぼ中央を貫通していた。ゆえに、その「天頂緯度線」は「牛の角の結合部から伸びる矢状縫合線」にほぼ合致した。
 上掲した『図説・古代エジプト文字入門』は、「霊」の字とJ図に示す「暴れる雄牛」の字と「男根」の字を組み合わせるI図は「牡牛」を意味すると示す。

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(C) 2015 OHKAWA


 わがブログ「古代エジプト文字の字源・5」において、K図の示す「激流の銀河」は〔暴れる雄牛〕と〔ナイル川の氾濫〕のイメージになることを証明した。また、「古代エジプト文字の字源・7」において、L図に示すように、「男根」のヒエログリフの字源は「激流の銀河」であることを解明した。

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(C) 2015 OHKAWA


 以上のことからして、G図に示したガーディナー・リストの「F13」の「牛の角」の字源は「激流の銀河における牛の角に似る銀河」であったことになる。

◆また以上からして、A図に示した「霊」の字形はM図に示す「ナイル川流域の広大な農地(農業地帯)」に見立てられた「長方形の暗黒天体部」から図案されたことになる。というのも、紀元前3150年ころにヒエログリフが起源した先王朝時代、そして古代エジプト王朝が繁栄した古王国(紀元前24692150)、中王国(紀元前20401640)、新王国(紀元前15501070)と呼ばれる三つの時代においても、エジプトの各地の天頂に「豊かな恵みを与えてエジプト王朝が栄えるナイル川流域の広大な農地」に観える「長方形の暗黒天体部」がめぐってきたからである。

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(C) 2015 OHKAWA 


 N図のヒエログリフはガーディナー・リストの「D29」である。この「D29」のうちの下部の字は、O図に示すようにガーディナー・リストの「Q12」となる。

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(C) 2015 OHKAWA

 D図の上図の「陛下」を意味する右側は「Q12の旗竿にハヤブサ神・ホルスがのる」字形のヒエログリフである。
 この「Q12」について、上掲した『[図説]ヒエログリフ事典』は「神像をのせる旗竿」と題して下記のごとくに解説する。
 ――決定詞として「神像や標章(エンブレム)をのせる旗竿」を意味する〈イアト〉を構成する文字の中で使われる。この文字は、宗教の儀式で用いられた竿つきの台をあらわしている。これに神像(多くは動物の像)や標章、神の名をあらわすヒエログリフなどをのせ、旗印をつけて行列のときに掲げたのである。
 古代エジプト人にとって、あるものの彫像やシンボルがこの旗竿に掲げられるということは、それが神の世界に属することを意味していた。このことは文字の世界でも同じで、さまざまな文字がこの「イアト」のヒエログリフの上に描かれると、神的な性質をあらわしたり、神々の名前や決定詞になったりした。
 たとえば、人格の要素であるカーをあらわす2本の腕が旗竿の上に描かれれば、人間の中にある神的な部分をあらわし、ハヤブサが旗竿の上に描かれれば、神々の名前の決定詞となった。(中略)
 旗竿もそのヒエログリフも、起源は非常に古い。旗竿は先史時代の末頃から、土器や布や砂漠の洞窟に描かれた聖船(せいせん)の絵の中で、神々のシンボルやノモスの旗印などにも描かれていた。(中略)
 神の旗竿は「原初の丘(イアト)」と同音であり、神の現れる場所、しかも高い場所という共通点をもっている。

 
B図に示した「天頂点」は地上の人々が精密に緯度を測定して命を委(ゆだ)ねる神が現れる場所であり、それ以上の上が無い至高の場所(天体部)である。だから、上記のごとく、O図の「神の旗竿」は「神の現れる場所、しかも高い場所という共通点をもっている」ことになった。
 N図の旗竿にのる両腕の〈カー〉のヒエログリフは、「原始の時から人間にそなわっていた神秘的な眼力、天頂緯度線をキャッチして精密に1分の緯度が測定できる眼の呪力(じゅりょく)」を表現した。この「神秘的な眼力」の優劣によって、人格の優劣が決まった。だから、N図のヒエログリフについて『[図説]ヒエログリフ事典』は上記したように「人格の要素であるカーをあらわす2本の腕が旗竿の上に描かれれば、人間の中にある神的な部分をあらわした」と説明した。したがって、古代エジプトでは「天頂緯度線をキャッチできる眼力」を「人間の中に存在する神のような優れた霊力(呪力)」と考えていたのである。
 なお、O図の「神像をのせる旗竿」の字形は、P図の右図に示すように「日輪の銀河と天頂緯度線と長方形の暗黒天体部の北の辺・西の辺の銀河」から図案されたと考えられる。


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(C) 2015 OHKAWA


 原始人や太古人の天頂緯度線をキャッチする生活習慣によって、その後のヒトには観測地点の緯度を1分の精度で測定できる天頂緯度線をキャッチできる能力がそなわった。この「神秘的な能力」を、古代エジプト王朝は「霊」と定義していたのである。
 ヒエログリフの「霊」〈カー〉の神秘的な眼力=[]の眼力をわが国の3世紀後半の弥生人が有していた事実を伝える遺跡が現存する。この遺跡はわがブログ「古代エジプト文字の字源」の3回と4回で取り上げた、Q図に示す私が“「卑弥呼」の地上絵”と名づけた遺跡である。
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 現在、「卑弥呼」の地上絵は静岡県浜松市北区細江(ほそえ)町の行政区域を表示する地図の形となって残っている。この「卑弥呼」の地上絵はちょうど1千万坪の大きさに作られ、現在滋賀県彦根市に居住する名家井伊氏の始祖である建比良鳥命(たけひらとりのみこと)が西暦260年~290年頃に作成した。建比良鳥命は『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命の誓約説話末部に「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖(おや)」と記される。建比良鳥命の子孫はQ図の上図上部に示す引佐(いなさ)町井伊谷(いいのや)に居住して、1010年に武家の井伊氏を創設した。1601年の正月、譜代大名筆頭の地位についた井伊氏は徳川家康の命令で現在の滋賀県彦根市に移住して彦根藩の藩主となった。井伊氏の菩提寺は引佐町井伊谷に所在する龍潭寺(りょうたんじ)である。
 Q図の下図が示すように、(1)「卑弥呼」の地上絵の経緯度原点のA地点と滝峯不動尊は北緯3448分で1分も相違せずにぴったり同緯度である。(2)「卑弥呼」の南限は北緯3446.6分であり、この北緯3448分と南限地緯度との1.4分の中間の大地に、1千万坪の巨大な鳥の頭部と翼の形が図化される。(3)“字書の聖典”と尊重される『説文解字』は「建比良鳥命」の[]の字源を「朝律(ちょうりつ)を立つなり」すなわち「春分の日の朝に太陽が真東の地平線から昇り立つ」と解説する。経緯度原点のA地の真東にある滝峯不動尊は[]の字源解説とおりに「朝律を立つなり」をあらわす。『日本書紀』神代紀は「建比良鳥命」の「比良(ひら)」を「平(ひら)」と表記する。「平」はQ図に示す「平らに(平面的)に図化した地図の形」のことである。また「建比良鳥命」の「鳥」は「1千万坪の巨大な鳥の比良()たい地上絵」をあらわす。
 以上からして、3世紀後半に作成された「卑弥呼」の地上絵は遠江の豪族・建比良鳥命が1分の精度で測定できる天頂緯度線をキャッチできた眼力の持ち主であったことを科学的に明確に伝える。C図に示すように、3世紀後半の北極星(こぐま座β星)は天の北極から約10度離れて円を描いて運行していた。だから、この北極星で緯度を計測すると誤差は直径の約20(1200)となるので――北海道の北端は北緯4530分、九州の南端は北緯31度であるから、その差は1430分となって北極星の誤差の20度以下になることからしても――当時の北極星で緯度測定すると「卑弥呼」の地上絵を図化する絶対条件の経緯度原点のA地点は設定できず、また同緯度の滝峯不動尊も設置できず、さらに土地三角測量本点の八幡宮の位置も定めることが出来なくなるので、ちょうど1千万坪にする「卑弥呼」の地上絵は絶対に作成できなかったことになる。
 

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