古代エジプト文字の字源・12
●ヒエログリフ「霊」の字源解説・Ⅳ
◆わがブログ「日本が滅びる」シリーズの1~167回をもって、漢字は私が「文字作成銀河」と名づけた銀河範囲から作成された事実を証明した。
この「古代エジプト文字の字源」のシリーズでは、古代エジプト文字=ヒエログリフは漢字と同一の「文字作成銀河」から作られた事実を証明する。
したがって、ヒエログリフは漢字と同じく「文字作成銀河の各部の形状」を文字(字源・字形・字義)としてあつかった。
ヒエログリフと漢字が作られた「文字作成銀河」の写真は、わがブログ「古代エジプト文字の字源・4」の冒頭部に掲載した。
エジプトと中国そしてわが国においても、〔文字作成銀河の各部の名称〕が存在しない。ゆえに、私は下に示すように〔文字作成銀河の各部の名称〕を定めた。
(C) 2015 OHKAWA
◆リチャード・H・ウィルキンソン著╱伊藤はるみ訳『図解古代エジプトシンボル事典』(原書房)は54頁で、「霊」〈カー〉について――「カー」は、人間ばかりか神々の一部でもあった。エジプトという名称はおそらく、首都メンフィスの古い名称「プタハのカーの家(フト・カー・プタハHut‐ka‐Pteh)」がギリシア語に転じたものが語源だと思われる――と指摘する。
イアン・ショー&ポール・ニコルソン著╱内田杉彦訳『大英博物館 古代エジプト百科事典』(原書房)もまた、【プタハ】について――メンフィスにあるプタハの祠堂のひとつを指す、フゥト=カ=プタハという名がギリシア語に転訛してアイギュプトスになり、そこから現在の「エジプト」という地名が生まれたのではないかと考えられている――と記す。
上記の『図解古代エジプトシンボル事典』の文中に登場する「フト・カ・プタハ」と『大英博物館 古代エジプト百科事典』の文中の「フウト=カ=プタハ」は同義同語である。なぜならば、「Hut」を前者の本は「フト」と訳し、後者の本は「フゥト」と訳したからである。ゆえに、両者は同語となる。
A図に、プタハ神の名前「ペテフ」をあらわす、ガーディナーのリストの「C19」と異体字の「C20」を示した。異体字の「C20」は、「厨子(ずし)の中におさまるプタハ神の立像」をあらわす。(古代エジプトにおける「厨子」は「神殿の奥まった場所、つまり特別の人しか入れない最も神聖な場所」であった)。
(C)2015 OHKAWA
◆紀元前2920年~紀元前2150年まで、言い換えると初期王朝時代・第1王朝から古王国時代の第6王朝までの首都は、メンフィスであった。
そして、古都メンフィスの主祭神はプタハ神であった。
マリア・カルメラ・ベトロ著╱南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)は9頁で「エジプト最古の文字は、前3150年頃に出現した。この頃、エジプトはすでに統一されていたが、第1王朝はまだはじまっていなかった。」と記述する。
アンドルー・ロビンソン著╱片山陽子訳『文字の起源と歴史』(創元社)は「ヒエログリフは何世紀もかけて進化したのではなく、紀元前3100年頃、ちょうどエジプト第1王朝が始まる少し前に、突然、ほとんど完成された形で出現したようにみえる」と記述する。
したがって、ヒエログリフは第1王朝が始まっていなかった先王朝時代に、突然にほとんど完成した形で起源した。先王朝時代は紀元前3150年頃から始まり紀元前3000年頃に滅びた。
わがブログ「古代エジプト文字の字源」では4回を手始めにして、6~11回(前回)まで、〔歳差(さいさ)〕という天文現象を用いれば、過去の首都メンフィスの天頂にめぐってきた銀河の様子を再現できる事実を証明した。
B図は、ヒエログリフが起源した紀元前3150年頃、先王朝時代末の紀元前3000年頃、第1王朝が始まった紀元前2920年頃、第1王朝の首都であった北緯30度のメンフィスの天頂に「激流の銀河・長方形の暗黒天体部」がめぐってきたことを示す図である。
(C) 2015 OHKAWA
◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」の9~11回までにおいて、C図に示すヒエログリフの「霊」〈カー〉の字源は、D図に示す「激流の銀河・長方形の暗黒天体部」であることを証明した。
(C) 2015 OHKAWA
前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・11」で解説したように、B図に示す「人の横顔に酷似する銀河の両方の肩」は〔怒り肩(がた╱角ばった肩)のごとくに観える。
B図に示す怒り肩の「人の横顔に酷似する銀河」はC図の「霊」の字源「激流の銀河と長方形の暗黒天体部」を〔両手で持つ形状〕に観える。
だから、C図の「霊」の字源はD図に示す「激流の銀河・長方形の暗黒天体部」となり、その字形は「男性の怒り肩と両腕・両手」を象(かたど)ることになったのである。
なぜ、C図に示す「霊」の字形に〔頭〕が削除したかについては――B図に示した〔精密に1分の緯度差を測定できる天頂緯度線と子午線をキャッチする時の心得・鉄則〕は「頭で考えるな。無心無欲になれ」であったからである。ゆえに、「霊」のヒエログリフには〔頭の図案〕が加えられないことになった。ヒエログリフの「霊」と漢字の[玄]は同義であり、[玄]における〔天頂緯度線と子午線をキャッチする時の心得・鉄則〕は「産道を通過して誕生する胎児のごとく無心無欲になれ」であった。ゆえに、古代エジプトと古代中国の人々の〔天頂緯度と子午線をキャッチする方法と心得・鉄則〕は同一であった。これについては、前回のブログ「古代エジプト文字の字源・11」で詳細に解説した。
D図に示す「激流の銀河」は〔ナイル川の氾濫(はんらん)〕のごとくに観える。また「激流の銀河」に隣接する「長方形の暗黒天体部」は、〔ナイル川の氾濫で冠水した後に水が引くと、不毛の砂漠に新たなる生命をもたらして植物が芽吹き、穀物が豊かに実る農地〕のごとくに観える。そして、農地を耕す男たちはおのずと怒り肩となり、筋肉が盛り上がる腕と頑丈な大きな手を有した。また、男たちは家族が飢えないように獲物を求めて遠くの地まで狩りをした。ゆえに、男たちの弓手(ゆんで╱弓を持つ左手)と矢手(やて╱矢を持つ右手)は、筋肉の塊(かたまり)となった。この遠くの地まで獲物を求めて狩りに出た男たちにとって家族が待つ家に迷わずに帰還する方法は、「霊」のヒエログリフの字源となった〔緯度1分の誤差まで精密に測定できる精度を発揮する天頂緯度線と子午線のキャッチ〕であった。
だから、C図に示すように[霊]の字形は「頭が無い、怒り肩の筋肉が盛り上がる男性の両腕と両手」の図案となったのである。
◆前回のブログでは明確に指摘しなかったが――ナイル川の洪水の水が漬(つ)からなかった土地は不毛の砂漠となる。しかし、ナイル川の氾濫で冠水した土地は混沌(こんとん)とした風景となるものの、やがてその土地から穀物の芽が吹き、穀物が豊かに実る。収穫した後は枯れ草が一面にひろがる死の光景となる。なれども、ナイルの洪水によって来年には再び新たな生命がもたらされる。このナイル川の氾濫によって作物の命が生まれて死ぬ事象がくりかえされる、この生死の輪廻(りんね)にもとづいて古代エジプトでは「霊」〈カー〉という思想が確立され、「霊」をあらわすヒエログリフが生まれたのである。
以上のごとく、D図のメンフィスの天頂にめぐってきた「激流の銀河・長方形の暗黒天体部」は古代エジプト人の〔いのち〕に直結する〔ナイル川の氾濫の水が漬かる土地には穀物の命が生まれるが、ナイル川の氾濫の水が漬からない砂漠は死の光景となる、この生死の光景〕と〔日々の暮らしにあって不可欠であった1分の緯度差を測定することができる天頂緯度線・子午線をキャッチする眼力と技を鍛錬する習慣〕の両方をあらわすイメージとなった。この両方、つまり(1)「ナイル川の氾濫でおこる生死の光景の輪廻」と(2)「1分の緯度差まで測定できる天頂緯度・子午線のキャッチする人間が有した神秘的な能力」は「霊」の字源となった。だから、この(1)と(2)を古代エジプト王朝と人々は「霊」〈カー〉と名づけて、「霊」の字形は「男性の両手・両腕」となったのである。
マリア・カルメラ・ベトロ著╱南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)は、C図に示した「霊」〈カー〉の文字について「古代エジプトの思想で、人間を構成するといわれた要素のうち、カーは生命に最も近く、その本質において食べ物と精力に結びついている」と指摘する。
上記したように、「霊」〈カー〉の字源の「激流の銀河」は〔ナイル川の氾濫によってくりかえされる生と死の輪廻〕とそして〔農作物の豊かな実りをもたらすナイル川の氾濫〕をあらわし、「長方形の暗黒天体部」は〔食べ物を手に入れる農地〕また〔農地を精力的に耕す男たち〕に見立てられ、また〔食べ物を得るために遠くの地まで狩りをした男たちが家に帰還する、生命を保持するに不可欠な天頂緯度線・子午線をキャッチする術(呪術)〕をあらわした。
だから、『[図説]ヒエログリフ事典』は「霊」〈カー〉について「カーは生命に最も近く、その本質において食べ物と精力に結びついている」と説明することになったのである。
◆上記したように、『図解古代エジプトシンボル事典』と『大英博物館 古代エジプト百科事典』は――初期王朝時代と古王国時代までの第1王朝~第6王朝までの首都であった現在の「メンフィス」の古称は「プタハのカーの家」と意味する「フ(ゥ)ト・カー・プタハ」であった――と指摘する。
「プタハのカーの家」の「カー」はC図に示す「男性の両腕と両手」であらわされた。
エジプトの王の称号「ファラオ」の語源は「大いなる家」〈ペル・ラア〉、つまり「宮殿」であった。したがって、「プタハのカーの家」の「家」は「宮殿」のことであったのである。
E図の左図は、ガーディナーのリスト「N6」である。上掲したマリア・カルメラ・ベトロ著╱南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)は、E図の左図の「N6」について――表意文字として、「宮殿」「神殿」「墓」などを意味する〈フゥト〉を構成する文字の中で使われる――と指摘する。
(C) 2015 OHKAWA
「N6」の字源は、E図の右図に示すように、「長方形の暗黒天体部」とそして「メンフィスの天頂緯度線」であった。
E図の右図とF図に、(1)ヒエログリフが起源していなかった紀元前4000年、(2)ヒエログリフが起源して約150年後の紀元前3000年、(3)第6王朝が紀元前2150年に滅亡した150年後の――ヒエログリフが完成していた第1王朝から第6王朝までの首都メンフィス=プタハのカーの家の天頂緯度線を表示した。
E図の左図と右図を比較してください。E図左図の外の輪郭の「長方形」は、E図の右図に示す「長方形の暗黒天体部」である。
そしてE図の右図の「斜めに貫通する天頂緯度線」は、「長方形の暗黒天体部」の西から「逆流の銀河」に向かって東へ貫通する。ゆえに、E図の左図の「N6」における右下にある小さな四角形は、E図の右図に示す「メンフィスの王宮の天頂緯度線」と直接に結びついて「天頂緯度を測定する門」をあらわしていると考えられる。
というのも、上掲した『[図説]ヒエログリフ事典』は、E図の左図の「N6」について「右下の小さな四角形は、出入口の門だという」と解説するからである。
E図の右図の「天頂緯度線」は「右下の小さな四角形=出入口の門」の上部にある。ゆえに、宮殿の出入口の門は〔その真上にある天頂緯度・子午線をキャッチするための門〕であったと考えられる。
つまり、王から外国と交渉してくるように任命された重臣や遠くの地に王の声明を伝える役目を命令された兵士は宮殿の門で天頂緯度・子午線をキャッチして任地に赴き、そして道中を迷わずに無事に宮殿へ帰還して王に報告して任務が完了させていた。というのも、王から命令された重臣も兵士も、1分の誤差を測定できる天頂緯度線・子午線を計測できる眼力を研ぎ澄ます訓練を日々おこなって鍛えていたから、王が待つ宮殿へ帰還することができたのである。
◆『[図説]ヒエログリフ事典』は、E図の左図の「N6」のヒエログリフについて上記の解説に続いて下記のごとく指摘する。
――いずれにせよ「フゥト」という言葉には、都市の中核としての宮殿だけでなく、すべての王立建築物、すべての行政施設という意味が含まれていた。
またこの言葉には、墓や神殿といった意味もあり、たとえばメンフィスのプタハ神殿は「フゥト・カ・ペテフ」、つまり「プタハのカーの宮殿」とよばれていた。これがエジプトのギリシア名「アイギュプトス」の語源といわれている。
このブログの初頭部に記したように、メンフィスの古称の「フト」は「Hut」、「N6」の「フゥト」は「Hwt」で中央の音符の[u]と[w]の違いがある。しかし、先頭の[H]と後ろの[t]は同じである。
そして、『図解古代エジプトシンボル事典』は――エジプトという名称はおそらく首都メンフィスの古称「プタハのカーの家(フト・カー・プタハ)」がギリシア語に転じたものが語源だと思われる――と指摘する。
また、『大英博物館 古代エジプト百科事典』は――メンフィスにあるプタハの祠堂のひとつを指す「フゥト・カ・プタハ」という名がギリシア語に転訛して「アイギュプトス」になり、そこから現在の「エジプト」という地名が生まれた――と指摘する。
また、『[図説]ヒエログリフ事典』は――メンフィスのプタハ神殿は「フゥト・カ・ペテフ」、つまり「プタハのカーの宮殿」とよばれていた。これがエジプトのギリシア名「アイギュプトス」の語源であるといわれている――と指摘する。
この3つの本の共通点によって、メンフィスの古称の「プタハのカーの家」はメンフィスにあったプタハの祠堂のひとつの「フゥト・カ・プタハ」は「宮殿」でもあった。また、A図の右図の「C20」のプタハ神の立像がおさまる厨子は「祠堂・神殿」における最も神聖な場場所であった。
だから、メンフィスの古称「プタハのカーの家」とは「プタハのカーの宮殿」を意味したことになる。これゆえ、「宮殿」つまり「大いなる家」〈ペル・ラア〉は、のちに王の称号「ファラオ」となったのである。
次回も、「プタハのカーの家」とは「プタハのカーの宮殿」であった証明をさらに深めることにする。
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