G-T0XYQT12LL 古代エジプト文字の字源・16: 卑弥呼の逆襲

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2015年10月29日 (木)

古代エジプト文字の字源・16

 古代エジプト王朝は北極星を重視するはずがなかった
 

◆A図は三田三夫著『図説|古代エジプト1(河出書房新社)から転載した。
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(C) 2015 OHKAWA
 

 『図説|古代エジプト1』は67頁でA図を下記のごとく説明する。
 「19世紀以降、古代エジプトについて学問的な研究がはじまった一方で、なぜか学問とはかけ離れたところでエジプトの古代遺跡が議論されることもさかんとなった。その主なものについてみてみよう。「ピラミッド『聖書』の立体年表説」これは敬虔なキリスト教徒の間で真剣に検討されている説のひとつである。かいつまんでいうならば、神を冒涜したエジプト人がピラミッドのような建造物をつくることができるわけはない。それは神がなせる業であり、そこには神からのメッセージが込められている、というものである。」
 A図はクフ王のピラミッドに関する「ピラミッド『聖書』の立体年表説」(一部)をあらわす。エジプトのギザには“三大ピラミッド(クフ王・カフラー王・メンカウラー王のピラミッド)”が所在し、最も大きなクフ王のピラミッドを単に“大ピラミッド”“第一ピラミッド”とも称する。
 A図「『聖書』の立体年表説」(一部)の右下には「入口は前2144年の北極星に向かう」と記される。しかし、この意見は誤っている。というのも、クフ王は第4王朝(2575-2465)における紀元前2500年頃に生存したからである。「入口が北極星に向かう」と指摘された紀元前2144年は第8王朝ということになる。だから、入口は紀元前2500年のクフ王の時代の北極星を指さすものではなかった。

◆B図に示すように、天の北極の位置は25,800年で一周する。最も天の北極に近寄る北極星は紀元前2790年のエジプト第1王朝時代(2920-2770)ころのりゅう座α星と、現在から85年後(西暦2100年頃)のこぐま座α星――この二つの北極星である。
E622
(C) 2015 OHKAWA
 
 上記した二つの北極星は天の北極を中心にして直径約1.5(90/満月の3個分)の円を描く。ゆえに、この二つの北極星の高度を緯度換算して測定すると、誤差が直径の90分となる。したがって、〔北極星で緯度測定する方法〕だと、すべての時代において誤差が90分以上となる。
 クフ王が生存した前2500年頃の北極星(りゅう座α星)は天の北極までの距離は約135(2.25)であったゆえ、誤差は直径の約270(4.5)となる。
 交通網が未発達で道路が整備されていなかったヒエログリフが用いられていたエジプト王朝時代において、日用必需品を求めて遠くの地に旅する人々や遠くの地まで獲物を追って狩猟した男たちは、道に迷って落命せずに家族が待つ家に帰還する方法は誤差が1分という精度を求められた。
 
 したがって北極星で緯度測定すると誤差が1分の90倍以上つまり90分より以上となるゆえ、道に迷って命を失う羽目になる不吉な北極星を古代エジプト王朝が重視するはずがなかったことになる。

 
 すべての人間にとって命はすべてに勝って大事である。したがって、エジプト王朝は命を失う災いの原因となる北極星を重視しなかった。ゆえに、A図右下の「入口は前21440年の北極星に向かう」と指摘する「『聖書』の立体年表説」の意見は誤りとなる。

◆当時、道に迷わずに命を失わずにすむ方法は存在した。これは〔[]をキャッチする方法、つまり1分の精度差を測定できる天頂緯度線・子午線をキャッチする方法〕であった。
 〔緯度の測定方法〕は(1)[]をキャッチする方法〕と(2)〔北極星の高度を緯度換算する方法〕の二つが存在する。しかし、前述したように後者の(2)の方法では誤差が90分以上となったので命を失った。だから、今日のように交通網が発達しない大昔、前者の(1)1分の緯度の差を測量できる[]をキャッチする方法〕、唯一この方法のみしか存在しなかったことになる。
 前回のわがブログで指摘したように、C図左図の右上に示す漢字[]の上部[(とう)]の字形は「天頂緯度線・子午線」をあらわす。[]の下部は[(よう)]であり、D図に示す[]は〔天頂緯度線・子午線を測定するときの心得(鉄則)〕の「産道を通過するときの胎児のごとく無欲であれ」をあらわした。このような心得を必要とした理由は他でもない、必ず天頂緯度線をキャッチするという欲を有すると、多くの場合失敗して道に迷い野晒(のざら)しの骸骨(がいこつ)となったからである。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 したがって、漢字の「天頂緯度線と子午線を無欲になってキャッチする術」の[]は「1分の緯度差まで精確に測定できる能力(眼力と技術))」であった。この漢字の〔[]のキャッチ〕を、古代エジプトではE図左図に示す「霊」を意味する文字の中で使われる〈カー〉と発音する文字であらわした。「霊」のヒエログリフの字形は、E図右図に示すように「長方形の暗黒天体部」」の形の枠に嵌()められる「男性の太い両腕」の図案となった。
E631
(C)2015 OHKAWA

 わがブログ「古代エジプト文字の字源」の1~15回まで証明してきたように、ヒエログリフは私が「文字作成銀河」と名づけた範囲の各部の形状から作られた。この「文字作成銀河」の写真は前回(15)1回の初頭部に掲載した。
 ヒエログリフの字源・字形・字義となった文字作成銀河各部の名称は、世界中探しても存在しないので下記のごとく私は名称を定めた。
Photo
(C)2015 OHKAWA
 

 〔歳差(さいさ)〕という天文現象を用いると、F図に示すように前4000年~前2000年までの北緯30度のメンフィスの天頂緯度線が貫通した銀河部を表示することができる。
E632
(C) 2015 OHKAWA
 
 ヒエログリフは前3150年ころから出現した。前2920から前2150年までの第1王朝初頭から第6王朝までの首都は北緯30度のメンフィスであった。ゆえに、F図は首都がメンフィスであった第1王朝初頭から第6王朝末までの天頂緯度線を表示するものとなる。
 F図に示す天頂緯度線が貫通する「激流の銀河」は「ナイル川の洪水」に見立てられ、同じく天頂緯度線が貫通する「長方形の暗黒天体部」は「ナイル川の洪水で水浸しになった土地」に見立てられた。メンフィス周辺では毎年9月初めのころに大洪水となり、この定期的に起きるナイル川の洪水がもたらす豊かな実りによって、エジプトは栄えた。〔ナイル川の洪水と洪水に見舞われた土地〕は人々に水と食糧を与えて強い生命力となった。〔精確に1分の緯度差を測定できる[]のキャッチ〕は、日々の弛(たゆ)みない鍛錬の努力によって道に迷わずこの世に生きていることができる強い生命力を与えた。したがって、〔[]のキャッチ〕と〔ナイル川の洪水と洪水で見舞われた土地〕は〔強い生命力を保持できること〕で共通した。だから、ヒエログリフ「霊」の字源はF図に示す天頂緯度線が貫通する「激流の銀河・長方形の暗黒天体部」となった。
 〔1分の緯度差も精確に測量できる[]のキャッチ〕は弓矢を持って狩猟に出た男性たちが遠くの地まで獲物を追っても家族が待つ家に帰還できる方法であった。これゆえ[]を意味するヒエログリフの字形は「弓を射る男性の太い両腕」を表現するものとなった。また、洪水に見舞われた土地を原始的な木製のクワで倦()まず弛(たゆ)まず耕作した男たちの両腕は筋肉隆々となったゆえ、「霊」を意味するヒエログリフの字形は「農作業に勤しむ太い男性の両腕」をも表現することになったのである。

◆〔[]をキャッチする時の人間の目〕は、自動露出カメラのごとく、本人の意志にかかわりなく周囲の明るさに応じて絞りが働いて瞳孔径(瞳孔の直径)が約2mmから約78mmくらいまで変化する。暗い銀河部までよく見えるようにするには――瞳孔径が78mmくらいに最大に拡大するように、視界の中に光が入らない暗闇となる場所から観測すればよい。暗闇では地上の事物は見えなくなるが、不思議なことに銀河各部の形状はよく見えるようになる。この〔[]をキャッチする時の瞳孔の魔法〕にはエジプト人たちは不可思議な霊的なものが働いていると感じ、また〔[]をキャッチして命を委(ゆだ)ねることができる夜に出現する銀河〕には何やら霊的なものを感じ、それに増して〔[]をキャッチする最適な条件の暗闇〕には神秘的な霊や霊気が潜(ひそ)んでいるのではないかと思わざるをえないことになった。だから、漢字の[]はヒエログリフでは「霊」となった。そして、エジプトの神々は文字作成銀河の形状から生まれた(考案された)。ゆえに、エジプトでは「霊」の力は神々も人間も持っていることになった。
 G図は第1王朝から第6王朝の首都メンフィスの主神プタハ神の名前「ペテフ」をあわすガーディナーのリストの「C19」と異体字の「C20」である。
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(C) 2015 OHKAWA
 

 わがブログ「古代エジプト文字の字源・12」で解説したように、「C20」の異体字は「厨子(ずし)の中におさまるプタハの神の立像」をあらわす。古代エジプトの厨子は神殿の奥まった場所にあった。ゆえに、プタハの神は[]の字源となる銀河の形状がよく見える暗闇に包まれる厨子の中におさまっていたことになる。
 メンフィスの古称は「プタハのカーの家」である。ヒエログリフの[]は〈カー〉と発音し、エジプトの「王」の称号は「大いなる家」と意味した。ゆえに「プタハのカーの家」とは「プタハ神の[]すなわち天頂緯度線をキャッチした経緯度原点が所在する、王が住む大いなる家」と意味することになる。E図右図の[]の字源「長方形の暗黒天体部」は、F図に示すように、王の家(宮殿)があったメンフィスの天頂を通過したゆえ、メンフィスの古称は「プタハのカーの家」となったのである。

◆E図左図の「男性の太い両腕」が字形となった[]の「天頂緯度線のキャッチ」に失敗すると「死」が待っていたが、成功するとこの世に生きてゆける喜びで感激した。
 だから、[]の字形「両腕」に合致して「両手を上げる男」のH図左図のガーディナーのリスト「A28」のヒエログリフは、「天にも昇る喜び」や「成功」を意味する〈ハイ〉の決定詞となった。また「A28」は「高さ」を意味する〈カイ〉、「高める」を意味する〈スゥアシュ〉など高さや上昇の概念に関係する言葉を意味する決定詞となった。
 「霊」の字源「激流の銀河・長方形の暗黒天体部」は天頂にめぐってきた――〔天頂緯度線のキャッチ〕に成功すると“生きてゆける!”と両手をあげて歓喜したので、「A28」は「天に昇る喜び」や「成功」を意味する言葉をあらわす決定詞となった。また「天頂」は「それ以上の上が無い最も高い天体部」であるゆえ、「A28」は「高さや上昇の概念に関係する言葉」をあらわす決定詞となったのである。
 〔天頂緯度線のキャッチ〕に失敗する人は落命した。その死者に対して遺族たちは喪に服し、死を悼(いた)んだ。だから、「A28」は「喪に服する」と「死を悼む」と意味する動詞の〈ハイ〉の決定詞に用いられた。
E641

(C) 2015 OHKAWA
 

 H図右図はF図における人の姿に酷似する「十字の銀河」の部分図である。前4000年~前3000年のメンフィスの天頂には「十字の銀河の左足(東の足)」がめぐってきた。「天頂」は上記したように「最も高い天体部」であるから、「十字の銀河の足」は最も高く、「十字の銀河の頭」は天頂より低いので、H図中央に配したガーディナーのリスト「A29」の「逆さの男」のヒログリフが作られた。「A29」の「逆さの男」のヒエログリフは「逆立ちをする」を意味する〈セケド〉につく決定詞となった。
 H図右図の「十字の銀河」の西半分は〔乳房、子宮、妊婦のおなか(右足)〕の形を有するゆえ女性の姿に観え、東半分は左手(東の手)に弓に似る銀河を持つゆえ男性の姿に観える。これゆえ、I図に示すガーディナーのリストの「A31」の「腕を後ろに向ける男」のヒエログリフが作られた。「A31」は〔「十字の銀河」の東半分の男が西半分の女性の方にふりむく〕ように観えるゆえ、「ふりむく」を意味する〈アヌゥ〉の決定詞となった。
E642
(C) 2015 OHKAWA

 「十字の銀河」は東から西に向かって移動する。
 ところが「十字の銀河の東半分・男性の顔」は「東を向く」ように観えるゆえ、「十字の銀河の東半分・男性の両足」は「西から東に向かって歩行する、後ずさりする両足」となる。だから、J図左図のガーディナーのリストの「D54」は「後ずさりする」を意味する〈アネン〉や、「逃げる」を意味する〈セベハ〉につく決定詞となった。
 「十字の銀河の西半分・女性の両足」は「東から西に向かって歩く足」となる。J図右図のガーディナーのリストの「D55」は「来る」を意味する〈イウ〉の中で使われる決定詞となった。
E643
   以上のごとく、ヒエログリフは明らかに銀河から作られた。

 

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