G-T0XYQT12LL 古代エジプト文字の字源・18: 卑弥呼の逆襲

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2015年11月17日 (火)

古代エジプト文字の字源・18

 ガーディナーのリストのR1「白冠」とR3「赤冠」の字源銀河
 
◆アンドルー・ロビンソン著/片山陽子訳『[図説]文字の起源と歴史』(創元社発行)107頁で「ヒエログリフは何世紀もかけて進化してきたのではなく、紀元前3100年頃、ちょうどエジプト第1王朝が少し始まる前、突然、ほとんど完成された形で出現したようにみえる。ただし、その図案や記号の多くは前王朝期、すなわち王朝が始まる何世紀前からあったことがわかっている。」と記述する。
 紀元前3100年頃、上エジプトのティニス地方のナルメル(ネメス)王によって、上下エジプトの統一がなしとげられ、都は上下エジプトの接点に近いメンフィスに定められた。上下エジプトを統一したナルメル王は、先王時代から初期王朝にかけて重要な都市であったヒエラコンポリスの神殿にスレート製のパレット(化粧皿)を奉納した。
 A図が『[図説]文字の起源と歴史』の106頁から転載したナルメル王のパレットの写真である。


E681
(C) 2015 OHKAWA

  これまでの「古代エジプト文字の字源」シリーズで証明してきたように、ヒエログリフに利用された図案や記号をはじめすべてのヒエログリフは、私が「文字作成銀河」と名づけた範囲の各部の形状から作成された。「文字作成銀河」の写真は、1回と15回の初頭部に掲載した。
 ヒエログリフの字源・字形・字義となった「文字作成銀河の各部」の名称は、世界中探しても存在しない。銀河各部の名称無しではヒエログリフの字源を明確に解説することは不可能であるので、文字作成銀河の各部の名称を私は下記のごとく定めた。
Photo
(C) 2015 OHKAWA

  ナルメル王が首都と定めたメンフィスは北緯30(北緯2959)である。
 〔歳差(さいさ)〕という天文現象を用いると、ナルメル王が生存した紀元前3100年頃の天頂にめぐってきた銀河を、B図に示すように再現することができる。

E682
(C) 2015 OHKAWA

  B図が示すように、メンフィスの天頂に「長方形の暗黒天体部」・「激流の銀河」・「十字の銀河の左足(東の足)」がめぐってきた。「激流の銀河」は〔ナイル川の洪水〕に、「長方形の暗黒天体部」は〔ナイル川の洪水で水浸しになった土地〕に見立てられた。メンフィス周辺では毎年9月初めころに大洪水となり、この定期的におこるナイル川の洪水によって土地や泥のようにやわらかくなったので原始的な木製のスキでも容易に耕作でき開墾できた。だから、ナイル川の洪水は豊かな実りをもたらしてエジプトは栄えた。ナイル川の洪水は人々に水と豊かな食糧を与えて強い生命力の源となった。

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」の12回と13回にて詳細に解説したように、首都メンフィスの古称は「プタハのカーの家」であった。
 C図に示す表意文字になったプタハ神は美術や工芸をつかさどる古都メンフィスの主神であった。
E683
(C) 2015 OHKAWA

  マリア・カルメラ・ベトロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社発行)によると――メンフィスのプタハ神殿は「フゥト・カ・ペテフ」、つまり「プタハのカーの宮殿」とよばれていた――ことになる。ゆえに、「プタハのカーの家」と「プタハのカーの宮殿」 は同義であり、なぜならば「宮殿」は「王宮」を意味したからである。王の称号の「ファラオ」は「大いなる家」を意味する。ゆえに、「大いなる家(ファラオ)」は「王宮」を意味するから、メンフィスの古称の「プタハのカーの家」は「プタハのカーの大いなる家=王宮」であったことになる。
 「プタハのカーの家」の〈カー〉と発音する「霊」を意味するヒエログリフの字源となった銀河は、D図に示す天頂にめぐってきた「長方形の暗黒天体部」であった。
E691
(C) 2015 OHKAWA


  以上を要約すると、メンフィスの古称の「プタハのカーの家」の語源は「長方形の暗黒天体部」であった。

◆A図に示すナルメル王のパレットの頂部中央には、E図左図に示すような形をした彫刻画がある。この彫刻画の上部はE図中央のような「2匹のナマズ」を描く記号となる。また、その下には、E図右図の「工具の鑿(のみ)」をあらわす記号となる。

E692
(C) 2015 OHKAWA


   この「2匹のナマズ」と「のみ」の記号の発音は〈ナルメル(armer)〉となる。ゆえに、棍棒(こんぼう)で敵を打ちのめしている王の名は「ナルメル」と解読された。
 前述したようにB図・D図に示す「激流の銀河」は 〔ナイル川〕に見立てられた。
 F図に示すように「激流の銀河」は〔ナイル川に生息する、ヒゲのあるナマズの顔〕に観える。また「激流の銀河」を〔ナイル川〕に見立てると、「激流の銀河」の北隣(上部)の「鬼の姿に似る銀河」は〔2匹の魚〕に観え、この〔2匹の魚の形〕に合致してパレットには「2匹のナマズ」の記号は彫られた。そして、「のみ」の記号は「長方形の暗黒天体部の東の辺」から作られたと考えられる。
E693
(C) 2015 OHKAWA


  前回のブログ「古代エジプト文字の字源・17」で指摘したように、「激流の銀河の東側」は〔ナイル川の上流〕・「激流の銀河の西側」は〔ナイル川の下流〕に観える。したがって、ナイル川の上流となるエジプト南部地方が「上エジプト」、ナイル川の下流となるエジプト北部地方が「下エジプト」と名づけられた。ナルメル王は上流のエジプト南部の上エジプトティニス地方の出身者であったゆえ、〔「逆流の銀河の東側の上流」は上エジプトをあらわすことにもとづいて「長方形の暗黒天体部の東の辺」は「上エジプト出身のナルメル王」を象徴した。ゆえに、「のみ」のモデルはF図に記すように「長方形の暗黒天体部の東の辺」であったと考えられる。ナルメル王のパレットの絵は、のみで彫られた。またナルメル王が首都と定めたメンフィスは彫刻はじめとする美術の中心地であったゆえ、メンフィイスの主神・プタハは美術工芸・彫刻の神であった。だから、「長方形の暗黒天体部の東の辺」は工具・彫刻に用いる道具「のみ」に見立てられたにちがいない。 
 このようにナルメル王のパレットにおける各部の彫刻画を判じ絵式に考えれば、ヒエログリフは文字作成銀河各部の形状から作られたことが察知できる。
 ヒエログリフは複数の文字記号で単語を構成するが、この方法は判じ絵式に考えて単語が解読された。この判じ絵式方法は、ヒエログリフが文字作成銀河から判じ絵式に考えて作られたことに起因する。

◆G図に、ガーディナーのリストの「R1」の「白冠(しろかんむり)」のヒエログリフと、ナルメル王のパレットに浮き彫りされた〔白冠をかぶるナルメル王の横顔〕を示した。「白冠」のヒエログリフは表意文字または決定詞として、「白冠」を意味する〈ヘジュト〉を構成する文字の中で用いられた。
E701
(C) 2015 OHKAWA

 H図に、ナルメル王が生存した紀元前3100年頃のメンフィスの天頂緯度線と「北天の最輝部(さいきぶ)」の形を示した。
E702
(C) 2015 OHKAWA

 

 「人の横顔に酷似する銀河の額(ひたい)の部分」にある「北天の最輝部」とは「北半球に住む人々が最も輝いて見える銀白色の銀河部」のことである。
 〔ナルメル王がかぶる白冠〕と「北天の最輝部」は共に〔ボウリングのピンの形〕に相似する。「人の横顔に酷似する銀河」と同じくナルメル王のパレットにおける〔ナルメル王の顔〕もまた〔横顔〕である。だから、ヒエログリフ「白冠」の字源は「北天の最輝部」であった。

◆I図左図のガーディナーのリストの「R3」の「赤冠(あかかんむり)」は、表意文字または決定詞として「赤冠」を意味する〈デシェレト〉を意味する文字の中で用いられた。
 「赤冠」の字源銀河は、I図右図に示す銀河であると考えられる。「赤冠」の下部(基盤部)は「王や女王が座る玉座(ぎょくざ)」の形となり、「玉座」から先端が「コイル(渦巻き)」となる部分が伸びる。I図右図に示すように、「鬼の姿に似る銀河の臀部(でんぶ)=しりの部分」が「玉座」をあらわすことになった。「王が座る椅子」つまり「玉座」は〔臀部で座る〕から、「鬼の姿に似る銀河の臀部」は「玉座」に見立てられた。そして、「コイル」の部分は〔渦巻き〕のごとくにに観える「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」がモデルとなった。
E703
(C) 2015 OHKAWA

  上記したマリア・カルメラ・ペトロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』は「赤冠」について「この文字は最も古いヒエログリフのひとつで、前4千年紀半ばの壺の表面にすでに描かれている(当時から文字としての意味をもっていたかどうかは不明)(中略)。しかし、この赤冠は非常に古い時代から、下エジプト地方の支配者の権力の象徴だったことはまちがいない。」と解説する。
 古代エジプト人は、地面に臀部を付けて座って食事をとり、仕事をおこなった。これゆえ「臀部を付けて座る椅子」は権力者の象徴となった。したがって、I図右図における「鬼の姿に似る銀河の臀部」は「椅子」に見立てられ、「赤冠」の基盤部の王冠は「王が座る椅子(玉座)」の形となったのである。
 「赤冠」の字源となった「鬼の姿に似る銀河の臀部と北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「北天の銀河」より北側に所在する。ゆえに、「赤冠」は北部エジプト=下エジプト地方を治める王の権力の象徴となった。したがって「北天の最輝部」の形に相似する「白冠」は南部エジプト=上エジプトの王がかぶる王冠となった。
 J図に、「白冠」と「赤冠」を合体した「二重冠」のヒエログリフを示した。
E704
(C) 2015 OHKAWA

  上記した『[図説]ヒエログリフ事典』は「二国の統一後、追うは上エジプトとの結びつきを強調したいときに、この白い冠を用いたようだ。ふだん用いていたのは、下エジプトの赤い冠と組み合わせた二重冠のほうだった。」と解説する。
 「白冠」の字源は、王の強大な権力が光輝く様子を明確にあらわす、最も輝く「北天の最輝部」であった。このことも原因して「白冠」は「上エジプトの結びつきを強調する」だけでなく「上下エジプトを統一した王の光輝く威光」を象徴することになったのである。

◆前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・17」において、K図に示すセクションBの「すわる女」のヒエログリフの字源は「鬼の姿に似る銀河」であることを証明・解説した。
E711
(C) 2015 OHKAWA

  L図左側に配する「十字の銀河」の西側半身には「子に乳を授ける乳房」、「子宮」、「胎児が宿る妊婦の円いおなか(十字の銀河の右足・乳部に相当する部分)」がある。ゆえに「十字の銀河」を〔授乳する母親〕に見立てると、「鬼の姿に似る銀河」は〔乳を飲んで育つ乳児〕に観える。
E712
  K図のセクションBの「すわる女」のヒエログリフの右端は、ガーディナーのリストの「B6」の「育てる」を意味する文字である。この「B6」の女性は椅子に座る。だから「赤冠」下部の「玉座(王や女王が座る椅子)」のモデルは、I図右図の「鬼の姿に似る銀河の臀部」であったことになる。
 したがって、判じ絵式に考えると「B6」の「子を育てる女性」のモデルは「十字の銀河」、「育てられる子」のモデルは「鬼の姿に似る銀河」、「女性が座る椅子」は「鬼の姿に似る銀河の臀部」から図案されたことになる。

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