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2015年12月14日 (月)

古代エジプト文字の字源・24

ギザの三大ピラミッドとスフィンクスの秘密の解明(2)

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズは一貫して、前回(23回)まで私が「文字作成銀河」と呼ぶ銀河範囲の各部の形から古代エジプト文字(ヒエログリフ)が作られた事実を証明してきた。  この「文字作成銀河」は前回の「古代エジプト文字の字源・23」の冒頭に掲載した。  世界中探しても、文字となった銀河各部には名称が存在しない。これゆえ、私は下のごとく文字作成銀河の各部の名称を定めた。
Photo
(C) 2015 OHKAWA

◆わがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズでは幾度となく――古代エジプト神話には文字を作って字数を増やす役目があり、また上掲した文字作成銀河は作った文字やことば(語)を知ることができる字書・辞典の役割を有した――ことを証明してきた。
 「古代エジプト文字の字源」の19回から前回までの5回、エジプト神話に登場するオシリス神、イシス神、ホルス神、トト神、そしてセト神が創造された各銀河を解説し証明してきた。この神々が登場するエジプト神話は下記のごとくである。
  「オシリス神は弟のセトに殺されて死体を切り刻まれる。妹であり妻であったイシスが、バラバラになった体を集めて、オシリスを復元した。そして息子のホルスは父オシリスを殺害した叔父のセトに片目をくりぬかれ、その目は切り刻まれて捨てられた。しかし、学問と文字の神であり、魔術の神のトト神が辛抱づよくそれらを集めて元通りにした。ホルスが復讐をとげて、父の後を継いだ。」  
 A図に、上記の神々のモデルとなった各銀河部を示した。この詳細の解説は、前述したように、わがブログ「古代エジプト文字の字源」19回以降から前回までを参照していただきたい。
E861

(C) 2015 OHKAWA

 ギザの三大ピラミッドとスフィンクスは奴隷によって建造されたのではなく、学術的には人民が協力した公共事業であることは判明している。しかし、何のためにギザの三大ピラミッドとスフィンクスは建造されたかについては、この謎を解くために一生をささげた人々が多数いるが未だに具体的に解明されていない。この謎はA図に示した銀河各部の形状に注目して、上記のエジプト神話で語られる内容と登場する神々そして神話から生まれたヒエログリフの字源銀河を考えると簡単に明白となる。
 A図の上部の斜線で示した暗黒天体部から、B図に示す「セト神」が創造された。
E862

(C) 2015 OHKAWA

 マリア・カルメラ・ベトロ著/南條郁子訳『[図説]ヒエログリフ事典』(創元社)はB図の「セト神」と「セトの動物」のヒエログリフについて下記のごとく説明する。
 「セト神は、世界の混乱と無秩序をあらわす神である。ヒエログリフでは、動物の頭をもった人間の姿で表現されている(B図左図)。この動物のモデルについてはさまざまな説があるが、おそらくこれは、砂漠に住むとされた架空の動物のひとつなのだろう。犬のような形であらわされた異体字(B図右図)は、苦しみや暴力に関する言葉を決定するのによく用いられた。普段は気候の安定しているエジプトに時おり襲いかかるさまざまな嵐をさす言葉も、この文字によって決定された。」
 上記したように、王はじめ人民は命を脅(おびや)かす邪気とエジプト王朝・国家の繁栄を衰退させる邪気の存在を信じ、この恐怖を“セト神”と呼び、嵐・飢饉はじめさまざまな悲惨な出来事や混乱はセト神の仕業(しわざ)と考えていた。だから、ギザ台地の三大ピラミッドとスフィンクスは何のために建造されたか未だに具体的に解明されていない謎は――人々が悲しみ悩む悲劇・悲運をもたらすさまざまな要因を“セト神”と呼び、このセト神の邪気を祓って幸せな暮らしを求めた人民たちの協力のもとに公共事業として三大ピラミッドとスフィンクスは建造されたことになる。

◆〔歳差(さいさ)〕と呼ばれる天文現象に則ると、C図に示すように、6000年前~4000年前の北緯30度の天頂緯度線が明らかとなる。C図における(2)の紀元前3000年と(3)の紀元前2000年の中間の天頂緯度線が、約4500年前の三大ピラミッドが建造された当時の北緯30度の天頂緯度線を示すことになる。
E863

(C) 2015 OHKAWA

 D図に、4500年前の北緯30度の天頂緯度線とその周囲の銀河を表示した。
E864_2

(C) 2015 OHKAWA

 世界最大の石造建築物のギザの三大ピラミッドは、約4500年前の第4王朝時代(紀元前2575-同2465年)に建造された。
 クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドが所在するギザ台地は北緯30度01分である。第4王朝時代の都は北緯29度59分のメンフィスであった。したがって、ギザとメンフィスの緯度はわずか2分しか違わない。ゆえに、D図の天頂緯度線はギザとメンフィスの中間の北緯30度のものとした。D図の上部に示したように、北緯30度の天頂緯度線の上側の縁(D図では右側の縁)が北緯30度01分のギザの天頂緯度線、北緯30度の天頂緯度線の下側の縁(D図では左側の縁)が北緯29度59分のメンフィスの天頂緯度線に相当する。わずか2分しか違わない天頂緯度線は、わがブログのように小さな図では明確に表示することができない。ゆえに、C図以降の北緯30度の天頂緯度線の上側の下側の縁で、ギザ台地とメンフィスの天頂緯度線を判断していただきたい。
 これまでわがブログ「古代エジプト文字の字源」シリーズで幾度となく指摘したように、D図の天頂緯度線が貫通する(ギザとメンフィスの天頂にめぐってきた)「激流の銀河」は、「ナイル川の洪水」に見立てられた。定期的におこるナイル川の氾濫(はんらん/洪水)によってエジプトは繁栄した。はるか南のアフリカ中央部で大量の雨が降ると、ナイル川の両岸の肥沃(ひよく)な土を押し流した。また、ナイル川の洪水に見舞われた土は泥状にやわらかくなるため、原始的な木製のクワを使って牛と人がコンビを組むと容易に耕作・開墾(かいこん)することができたので、エジプトは豊かな実りにめぐまれて繁栄した。ギザ・メンフィス周辺では毎年9月初めのころに大洪水がピークに達した。このときにナイル川の水がおよばなかった土地は不毛の砂漠となった。エジプトは耕地と砂漠が強烈なコントラスを描き、人々に緑豊かな耕地は「生」を赤茶けた砂漠は「死」のイメージを植え付けた。エジプト美術では、植物の緑と水の青は生命を象徴することになり、砂漠を連想させる赤やピンクは死や冥界(めいかい)を象徴する色となった。

◆D図に表示しなかったが後ろのI図で図示したように、「北天の最耀部(さいきぶ)」とその東隣の銀河を、E図左図に示すはくちょう座の5つの星が歪(いびつ)な四角形となって包囲する。つまり、はくちょう座α星の西隣の斜線で示したセト神の邪気によってE図右図のはくちょう座の5つ星は歪(ゆが)んだ四角形になったと考えて、その邪気を祓うために正四角錘の真正ピラミッドが設計されたのであろう。
E871_2

(C)  2015 OHKAWA

 E図に示した「至冬至点」の線は、夏至の日の午前零時の子午線をあらわす。今から約5000年前、エジプト暦は〔夏至の日の太陽が地平線から昇る少し前、1年365.25日の周期の「イシスの星」が東の地平線上に姿をあらわす時を正月元旦とする恒星暦にして太陽暦を採用していた。  エジプト暦では正月元旦の東の地平線に出現する全天第一の輝星の光度(-1.4等星)のおおいぬ座のα星・シリウスを「イシスの星」と呼んで崇拝した。D図に示したように、「人の横顔に酷似する銀河」に隣接する「コールサック」から、上記したエジプト神話に登場する「オシリスの妻にして妹のイシス神」が創造された。
 そしてエジプト神話に登場するオシルス神は、エジプト暦の正月元旦の直前の太陽(ラー)を象徴する神であった。A図左上に配する太陽〈ラー〉の字源は、はくちょう座γ星とこの星を包囲する銀河部である。この太陽〈ラー〉の字源銀河部を額(ひたい)に有する「人の横顔に酷似する銀河」からオシリス神が創造された。オシルスは〔今まで過ごした1年が死に、新しい1年が始まる神〕であったので、冥界を支配するとともに死者が再生復活する神となった。  
 E図に示すピラミッドの底辺の四角形の中心は、A図左上に示した太陽〈ラー〉のヒエログリフの字源となる「はくちょう座γ星」が相当する。だから、はくちょう座の5つ星の歪んだ四角形から正四角錘の真正ピラミッドが設計されたと考えるべきことになる。

◆A図とD図に示した「ホルスの目」は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」であり、この二つの星雲から「オシリスとイシスの間に生まれた息子・ホルス神」が創造された。
 ギザの大スフィンクスの古代名は「ホル・エム・アケト」すなわち「地平線のホルス」であった。
 F図に示す「激流の銀河が西へ伸びる髭(ひげ)のような形の先端部」は〔ナイル川の洪水がピークに達した時のギザ台地から見える遠くの地平線〕に見立てられた。というのも「西に延びる髭のような形の銀河の先端部」は天頂緯度線にそって平行となったゆえ、西から東に向かって〔平らな1本の線〕となって移動したので〔地平線〕のごとくに観えたからである。この〔地平線〕のごとくに観えた「西に延びる髭のような形の銀河の先端部」は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と連結する。したがって、「ホルス神」のモデルの「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」は「地平線のホルス」ということになった。このため、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」に見立てて建造された〔スフィンクス〕の古称は「地平線のホルス」となったのである。
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(C) 2015 OHKAWA

 G図は、三大ピラミッドとスフィンクスの位置を示す。ピラミッドとスフィンクスが建造された当時、洪水がピークになった時にG図右側中央のスフィンクス神殿と河岸神殿はナイル川の水に漬(つ)かった。しかし、三大ピラミッドまでは浸水しなかった。
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(C) 2015 OHKAWA

 洪水がピークに達した時にナイル川の水が足元までおよんだスフィンクスの眼前には水平線がひろがり、遠く地平線が望まれた。だから、この点からも、スフィンクスは「地平線のホルス」と呼称されたのである。  以上のごとく、スフィンクスは毎年定期的にナイル川の洪水が起きて豊かな実りで繁栄することを願って建造されたことになる。

◆前回のわがブログ「古代エジプト文字の字源・23」の冒頭に掲載した「文字作成銀河」の写真を凝視すると――H図の上部に示すように、斜線で表示した「セト神のモデルとなった暗黒天体部」の隣にある「北アメリカ星雲」は〔クフ王のピラミッドの側面形〕に、「3本の放射線状の銀河部」は〔カフラー王のピラミッドの側面形〕に、「人の横顔に酷似する銀河の前髪部分の三角形の銀河部」は「メンカウラー王のピラミッドの側面形」に相似することを発見できる。
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(C) 2015 OHKAWA
 
 だからH図の「三つのピラミッドの銀河」は、ギザ台地にピラミッドとスフィンクスが建造された秘密を具体的に示すことになる。つまり、ピラミッドとスフィンクスはエジプトを衰退させて混乱と無秩序をもたらすセト神の邪気を祓うために建造された。
 ギザ台地に建造されたスフィンクスはネメス頭巾をかぶった王の頭部にライオンの胴体がつく。スフィンクスは古代エジプト語では「シェセプウ・アンク」といい、「力強き王の生ける似姿」を意味した。ゆえに、スフィンクスの頭部は王の頭部と指摘される。B図が示し上記した『[図説]ヒエログリフ事典』の説明からして、セト神は〔砂漠に棲む凶暴な野犬のような動物〕に見立てられた災いの神であったことになる。だから、野犬のように凶暴なセト神を威嚇(いかく)して追い払うために、スフィンクスの胴体は百獣の王のライオンの胴体となったのである。
 D図は、4500年前のエジプト暦の新しい1年が生まれる正月元日と今まですごしてきた1年が死ぬ(終わる)夏至の日の午前零時の様子を示す。
 I図もまた、ピラミッドとスフィンクスが建造された当時、新しい1年が生まれる正月元日の始まりと過ぎ去った1年が死ぬ夏至の日の午前零時の銀河の様子を示すものとなる。
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 I図の天頂緯度線より上の端(南端)と下の端(北端)の銀河図の部分は高度が78度ぐらいとなる。つまり、I図は三大ピラミッドから高度78度~90度までの天頂付近を仰ぎみたときの銀河図となる。 I図が示すように、新しい1年が生まれ過ぎ去った1年が死ぬ夏至の日も午前零時、ギザ台地と都のメンフィスの天頂付近を仰ぐと「三つのピラミッドの銀河」が見えた。天頂緯度線の高度は90度であるゆえ、「三つのピラミッドの銀河」の高度は天頂緯度線に沿って3度~4度離れた86度から87度ぐらいであった。
 これゆえ、天頂付近のピラミッドの四角形となった「5つ星」や「三つのピラミッドの銀河」やスフィンクスのモデルとなった「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」と、そして広大なギザ台地に建造された三大ピラミッドとスフィンクスとが呼応しあう様子は荘厳・神秘的であった。
 I図の「三つのピラミッドの銀河」の北隣の斜線で示した暗黒天体部から「セト神」が創造された。したがって、エジプトの人々の命を脅かす災いと王朝・国家を衰退させる災い(旱魃や嵐や異民族の侵入や砂漠を旅して迷って死ぬ)などのさまざまな災いは「セト神」と総称されていた。
 「セト神」が創造された暗黒天体部は、三大ピラミッドとスフィンクスに見立てられた「はくちょう座の5つ星」「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」「三つのピラミッドの銀河」をはじめA図に示したエジプトに繁栄をもたらす神々が創造された銀河の傍(そば)に存在する。だから、三大ピラミッドとスフィンクスはセト神の呪(のろ)いや災いの邪気を祓(はら)うための公共事業として建造されたことになる。

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