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2016年4月17日 (日)

日本国誕生史の復興・1

 はじめに 


◆理不尽(りふじん)である。
 あまりにも理不尽である。
 わが日本国は今から約1770年前に〔愛〕をかかげて誕生した。
 この日本建国の〔愛〕の理念を、学者たちは〔誤読〕を用いて排除(はいじょ)する。
 日本国民は学界や学者たちの意見を信じることをやめ、彼らが〔古代史学の初歩的ルールを無視する過ち〕を暴(あば)いて、真実の日本国誕生史を復興しなければならない。

〔愛〕の理念を掲げて日本国が誕生した、この真実は『古事記』上巻の伊耶那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)神話初頭の淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚(せいこん)説話はじめ――『古事記』序と上巻に一貫して記述されている。
 しかし、学者たちは〔神話は歴史ではないという思い込み〕の基(もと)に多数の〔誤読〕を駆使(くし)して、先人たちが命を賭()けて後世の人々に残した日本建国の真実をことごとく破棄(はき)し凌辱(りょうじょく)する。
 つまり、現在の定説となる日本神話学説は学者たちが思い込みと誤読とで捏造(ねつぞう)した空想の産物だったのである。
 現代の学者たちは『古事記』の淤能碁呂島の聖婚説話はじめとする上巻の日本神話の全記事を正確に解釈する能力をまったく有していない。なぜならば学者たちの研究は本居宣長(もとおりのりなが/17301801)が著作した注釈書『古事記伝』にもとづき、宣長の『訂正古訓古事記』をテキストとするからである。
 『古事記』は伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を、皇室が最も崇拝した天照大御神が憎悪し呪(のろ)い祟(たた)って人民を弾圧(だんあつ)した事実を伝える反権力の歴史書であった。ところが、宣長の研究によって『古事記』は天照大御神を崇拝するための書物となり、『古事記』の作成目的である日本建国の〔愛〕の理念は排除(はいじょ)された。
 宣長の研究によって、現在、『古事記』は作成目的と正反対の天照大御神を崇高視(すうこうし)する書物と化した。その証拠に、現在、出版され発刊される『古事記』の研究書・解読書は、伊耶那美命が提唱(ていしょう)した日本建国の〔愛〕の理念を後世に伝えるために『古事記』が作成されたと指摘(してき)する書物は一書も存在せず、また天照大御神は日本建国の〔愛〕の理念を憎悪し呪い祟って人民を苦しめたと指摘する本も一書も存在しない。だから、宣長の研究は〔誤読の産物〕であり、学者たちの意見は〔誤読の産物〕であり、現在の『古事記』に関する本はすべて〔誤読の産物〕ということになる。

◆宣長の研究によって『古事記』上巻(日本神話)は天照大御神を称賛(しょうさん)するための書物であると曲解(きょっかい)されることになり、さらに1981年に88歳で死去した早稲田大学教授の津田左右吉(つだそうきち)氏は宣長の〔誤読〕にさらに〔誤読〕を積み重ねる方法を用いて日本神話虚構(きょこう)説を立論した。この津田教授の日本神話虚構説とその後の学者たちの〔誤読説〕によって、『古事記』上巻に書かれた日本神話は歴史を伝えるものではないという考えが定説となった。
 津田左右吉教授の代表的な著作物である『神代史の研究』(岩波書店刊行・昭和8310日第4)525頁は下記のごとく指摘する。
 「すべてが皇室と其の権力とについてのみ語られてゐる証拠である。さまざまの神の物語はあるが、さうした其の物語の主人公たる神々は一種の英雄と目すべきものであらうが、それに国民的生活が反映せられてゐるやうな形跡は見えず、国民的活動の面影などは、勿論、認められぬ。全民族の欲求なり理想なりによって動いてゐると思はれる神は少しも無い。いひかへると、神代史上の神々は民族的もしくは国民的英雄では無いのである。」
 太安万侶(おおのやすまろ)は『古事記』序の初頭の「陰陽斯(ここ)に開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)となる」という文で「陰の伊耶那美命と陽の伊耶那岐命は、わが日本国のすべての生みの親となった」と伝える。そして、上巻は一貫して伊耶那美命が人民に熱心に説いた〔愛〕を尊んだ英雄たちの歴史を記述する。だから、『古事記』上巻は国民の生活の中心には伊耶那美命がとなえた〔愛〕が存在したと証言する史料であり、また『古事記』上巻の日本神話は伊耶那美命がとなえた〔愛〕を国家理念にせよと人民が朝廷に欲求したと伝える書物であり、また『古事記』上巻は〔愛〕が国家の理想となることを日本人民が願ったと伝える遺産であった。ゆえに、津田説はまぎれもなく〔誤読の産物〕であった。
 『古事記』上巻は、(1)伊耶那美命、(2)伊耶那岐命、(3)天照大御神、(4)伊耶那美命と伊耶那岐命のあいだに生まれた須佐之男命(すさのおのみこと)(5)山陰出雲王権の大国主神(おおくにぬしのかみ)(6)天孫(てんそん)の邇邇芸命(ににぎのみこと)(7)山幸彦(やまさちひこ)の火遠理命(ほおりのみこと)(8)海幸彦(うみさちひこ)の火照命(ほでりのみこと)などが登場する説話で構成される。この神々のうち、伊耶那美命、伊耶那岐命、須佐之命、大国主神、火遠理命の5人は国民に愛される英雄であると説明される。残る天照大御神、天孫の邇邇芸命、火照命の3人が国家権力を誇示する英雄である。
 だから、津田教授の「日本神話に登場する神々には国民的英雄は少しもいない」という指摘はまったく見当違いということになり、津田説は〔誤読の空論〕であったことになる。

今から約290年前に没した新井白石(あらいはくせき)は『魏志』倭人伝に〔誤読〕を加える邪馬台国説を立論した。白石が開発した〔誤読を加える立論方法〕を、学者たちはこぞって〔文献批判〕とよぶ。『魏志』倭人伝は約2000字で構成され、2字ないし3字の誤字が存在するが、その全記事はすべて事実を伝える。したがって、1ヵ所も〔文献批判=誤読〕を加えずに『魏志』倭人伝の全記事を忠実に読解すれば真実の歴史を知ることができる。だから「この記事は誤っている。ゆえに、こう考えるべきである」と主張する学者たちの考え方を〔文献批判〕と名づけるが、この〔文献批判〕の実体はまさしく〔誤読〕である。
 
 『魏志』倭人伝のすべての記事が真実を伝えている事実は、わがブログ「卑弥呼の逆襲」における「日本が滅びる」シリーズの1(2013625)167(2015429)をもって解説し証明した。
 以上のごとく、学者たちが『魏志』倭人伝と『古事記』上巻(日本神話)の個々の記事に加える〔文献批判〕の実体は〔誤読〕である。上記したように、『魏志』倭人伝の全記事は真実を伝えるものであり、『古事記』上巻の全記事もまた真実を伝える。白石以来290年間、学者たちは「『魏志』倭人伝の全記事は真実を伝えない。『古事記』上巻の全記事は真実を語るものではない」と思い込み、この先入観を思考基盤にして荒唐無稽(こうとうむけい)の〔誤読の空論〕を主張しつづけている。

 しかし、2008年に発見された静岡県沼津市の東熊堂(ひがしくまんどう)に所在する高尾山(たかおさん)古墳によって、学者たちが『魏志』倭人伝に多数の〔文献批判〕を加えて立論した邪馬台国説は〔誤読の空論〕であることが科学的に証明できるようになった。また、高尾山古墳によって『古事記』上巻は伊耶那美命が提唱した日本建国の〔愛〕の理念を後世に伝えるために作成された文献であり、いいかえると今日に発刊される全書物が示すように天照大御神と大和朝廷を讃えるために作られた物語(空想)ではなかったことが【科学】の基(もと)に証明できるようになった。

 
高尾山古墳は東日本における最古・最大の古墳である。
 高尾山古墳によって、上記したように『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話の冒頭の淤能碁呂島の聖婚説話のすべての文字と語句が真実の歴史を証言するものであったと立証できる。同時に『魏志』倭人伝の全記事もまた正確に事実を伝えるものでことが【科学】の基(もと)に証明される。
 したがって高尾山古墳の発見によって、白石以来から今日までの邪馬台国学説と宣長以来から今日までの日本神話学説は共に【科学】がまったく成立しない荒唐無稽の〔誤読の空論〕であることが明確に証明できるようになった。

 201622日、沼津市による第3回高尾山古墳保存と都市計画整備に関する協議会によって、交通に障害が生じずに古墳が保存できる両立案が沼津市長に提案され沼津市として文化庁に申し出るように要請された。この要請に至るまでの原動力は、高尾山古墳を守る市民の会、高尾山古墳を考える会、高尾山古墳の保存を望む会の3団体が努力と行動力であった。しかし、現在(20164)、保存が決定されたと確定された状況ではない。それというのも学界や学者たちの意見は何が何でも正しいと信じる習慣や風潮によって、高尾山古墳の保存はいまだ決定されていないからである。

 上記した高尾山古墳の保存を望む3団体は、昨年の2015711()に静岡大学人文社会科学部教授の篠原和大 (しのはらかずひろ)氏に講演を要請したが、篠原教授は明確なる意見を発表しなかった。
 3団体は、830()、沼津市市民文化センターにおいて、高尾山古墳の発掘に後半から携(たずさ)わったNPO法人古代邇波の里・文化遺産ネットワーク理事長の赤塚次郎氏に講演を願ったが、赤塚氏は講演の開口一番「私がこれから始める話は物語です」と語った後に「物語ですから、まともな質問や正当な反論には正しく答えることができません」と明言した。
 さらに、3団体は、1022()、沼津図書館3階にて、SBSラジオ放送で活躍する民族学研究家の八木洋行氏に講演を願ったが、八木氏も開口一番「まともな質問や専門的知識にもとづく反論や質問をおこなっても、私にはきちっと答える能力がありません」と明言した。講演最後の質問の時間になった時、私が「高尾山古墳の周溝(しゅうこう)やその周辺から北陸や近江・滋賀県の形式を示す土器が発見されましたが、こんな遠くの地からどのような方法で高尾山古墳に土器が集まられたのでしょうか?」と質問したところ、八木氏に「だから、最初に言ったでしょう。わたくしには専門的なことは一切答えられないと言ったでしょう」と叱(しか)られた。私の次に質問した方は約20分費やして「わたくしは、役所や大学方面に行って高尾山古墳の保存に奔走(ほんそう)しましたがまったくの無駄骨でした。どうして学者たちは、高尾古墳を救おうとしないのか! どうして一流学者たちはキチットした意見を発表して高尾山古墳を保存しようとしないのか」と涙声で死に訴えた。しかし、ある聴衆者から「長い! そんな質問、どうでもいい」と批判されて侮辱される始末であった。
 2016213()に沼津市民文化センター小ホールにておこなわれた第1回狗奴(くな)国サミットⅰn沼津にて基調講演をおこなった静岡大学名誉教授の原秀三郎先生の見解もまた、先生自ら自分の意見を「推論である」と明言し、また翌日の朝日新聞の地方版が原先生の意見を「仮説」と明記した。 
 以上のごとく、今日まで、古代史学界と学者たちは一人も高尾山古墳について【科学】をもって論理を完結(かんけつ)するキチットした意見を語ることができない。いや上記したように学界も学者たちも〔文献批判〕が〔誤読〕であることに気づいていないので、高尾山古墳について【科学】が成立する正確にして具体的な考えを語ることができないのである。
 このように〔誤読の空論である邪馬台国学説と日本神話学説〕が、高尾山古墳保存の最大のネックとなる。

紀元前1200年前後におこったトロイ戦争は紀元前850年ごろに生存したギリシアの詩人ホメロスの英雄叙事詩『イリアス』に記述された。学者たちは〔文献批判〕を用いて『イリアス』に記述されたトロイ戦争はホメロスが創作した空想であると決めつけて「歴史ではない」と断定した。しかし、ドイツ人のシュリーマンは『イリアス』に記述されたとおりの土地を発掘して、トロイの遺跡を発見した。したがって、学者たちの〔文献批判〕による意見は〔誤読説〕、〔空想〕であったと証明された。
 高尾山古墳は『古事記』上巻の淤能碁呂島説話の記事に登場する。だから高尾山古墳はトロイの遺跡同様に、宣長以後の日本神話学説が〔誤読の空論〕であったことが明確に証明できる遺跡となる。つまり、高尾山古墳は「淤能碁呂島」という語句をはじめ、淤能碁呂島説話の全記事に矛盾点も不合理な点が1ヵ所も存在せずに合致する。また、高尾山古墳によって『魏志』倭人伝に記述された15ヵ所の方位記事はすべて事実を伝えるものであり、また他の記事も正しいことが証明される。これゆえ、トロイの遺跡同様に高尾山古墳によって邪馬台国学説と日本神話学説は〔誤読の空論〕であったと証明される。

 上記した『魏志』倭人伝にある15ヵ所の方位記事と『古事記』の「淤能碁呂島」という語によって、〔文献批判〕を加える学者たちの邪馬台国学説と日本神話学説は【科学】がまったく成立しない事実無根(じじつむこん)の〔誤読の空論〕であることが明白となる。

 新井白石以前の3世紀から18世紀までの古代の幾人かの天皇はじめ有識者たちは、白石以後から今日までの学者たちの考え方とまったく正反対の意見を有していた。つまり彼らは、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の記事は一字一句すべて正しいと考えていた。ゆえに彼らの意見にもとづくと白石以後から今日までの学者たちの〔文献批判〕は〔誤読〕であったことになる。ゆえに、彼らは『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の記事は一字一句すべて正しいと定める遺跡や史跡や遺物、そして多数の地名や伝承などを残した。

 以上のごとく、(1)トロイの遺跡発見の例からして、また(2)『魏志』倭人伝の15ヵ所の方位記事と『古事記』上巻の「淤能碁呂島」という語によって、さらに(3)白石以前の幾人かの天皇はじめ先人たちは『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の淤能碁呂島の聖婚説話の記事はすべて正確であると考えていた――この3つの事例からして、白石以後の邪馬台国学説と日本神話学説は〔誤読の空論〕であったことが確かな事実となる。


 個々の記事に必ず〔文献批判〕を加えなければならないという考えに固執(こしつ)する学者たちには、なぜ東日本において最古にして最大の墳丘が沼津市のような上古史と縁遠い地から発見されたのか【科学】の基(もと)に真実が花開く意見を立論することはできない。

本書は、先人たちと同じく『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の淤能碁呂島の聖婚説話に一点も〔文献批判〕を加えず、一字一句すべてが真実の歴史を証言するものであることを証明して――約1770年前に築造された高尾山古墳に残された日本国誕生史の真実があざやかに花咲いてよみがえり、高尾山古墳は日本人の魂といのちに深くかかわる貴重な遺産であることを順次(じゅんじ)に証明する。

先人たちが後世の日本人が日本人として生きてゆくための尊厳として残した〔愛〕を掲げて日本国が誕生した真実の歴史を、〔誤読の空論〕を押しつける学界や学者たちに絶対に奪われてはならない。

 

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