日本国誕生史の復興・5
●沼津市高尾山古墳による日本国誕生史証明(4)
『古事記』上巻における淤能碁呂島の儀式記事の解説
◆このブログ「日本国誕生史の復興」は、学者たちの『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の研究意見は誤読の空論であることが即座(そくざ)に理解できることを示すために作成した。
というのも、A図に示す〔[玄]のキャッチ〕を復興しない学者たちの意見は荒唐無稽(こうとうむけい)の空理空論であることが即座に証明できるからである。
(C) 2016 OHKAWA
学者たちは、卑弥呼王朝はB図に示す天の北極や北極星で〔北〕を定めていたと断定してA図右上に示す〔[玄]のキャッチ〕を排除する。卑弥呼や伊耶那美命が生存した3世紀、B図の上部に示したように北極星(こぐま座β星)は天の北極を中心にして10度・600分の半径でめぐっていた。ゆえに、その緯度測量の誤差は直径20度・1200分となる。だから、もしも学者たちが主張するように先人たちが北極星で緯度測量したならば1分の緯度差のキャッチを求められた大海では落命(らくめい)することになった。
中国では紀元前1世紀に北極星を太一神と定めるシナ天文が完成した。したがって3世紀においては〔[玄]をキャッチする習慣〕が長い間廃(すた)れていた中国の人々は大海を渡ることができかった。だから学者たちの意見だと北極星が神であった魏の使節と同じく北極星で緯度測量した倭の使節も大海を渡れなかったゆえに魏と倭の国交は存在しなかったことになり『魏志』倭人伝もまたこの世に存在しなかったことになる。このように〔[玄]のキャッチ〕を復興しない学者たちの意見はいとも簡単に事実に反する空理空論となる。
『古事記』上巻の記事は〔[玄]のキャッチ〕を基本にして著作された。大和朝廷は〔愛〕を国家理念として日本国が誕生した歴史を躍起(やっき)になって抹殺(まっさつ)しようとした。このため、先人たちは日本国誕生史の真実を伝えるために、〔[玄]のキャッチ〕を明確に示す遺跡・史跡・遺物・地名・風習などを多数残した。だから、〔[玄]のキャッチ〕を復興して『古事記』上巻を忠実に読解すれば日本国誕生史は事実となる。そして、2008年に東国最古に最大の高尾山(たかお)古墳(静岡県沼津市)が発見されて、『古事記』上巻の淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚説話は事実であると証明できるようになった。
これゆえ、日本国誕生史の真実があざやかに花開くことを願って、私はこのブログ「日本国誕生史の復興」を開設することにした。
◆わがブログ「日本国誕生史の復興」の3回と4回にて指摘したように、3万年前の後期旧石器時代から後期弥生時代の3世紀までの約3万年間、本土から遠く離れて太平洋上に浮かぶ伊豆諸島の神津島(こうづしま)の黒曜石(こくようせき)が東京都、埼玉県、千葉県、群馬県、栃木県、茨城県、山梨県、滋賀県、愛知県、静岡県そして石川県の能登半島の人々に用いられていた。本土から遠く離れる良質の黒曜石が採取できる神津島までの海洋を3万年前の旧石器人たちが往来できた。この事情は彼らがA図右上に示す〔天頂緯度線と子午線〕をキャッチして1分の緯度差を測定できる眼力と技(わざ)を身につけていたからである。厳(きび)しい旧石器時代の生活環境のなかで人類の頭脳にはたくましく巧み(たく)に生きてゆく能力がそなわり、A図右上に示す〔[玄]をキャッチできる感覚〕が研(と)ぎ澄(す)まされることになった。だから1度の60分の1の1分の緯度の差が測定できた旧石器人たちは神津島までの海洋を往来できた。
この神津島の黒曜石の分布地域と230年ころに築造された東国における最古で最大の高尾山古墳の墳丘内から出土した土器の分布地域は合致する。
◆C図は静岡県沼津市の東熊堂(ひがしくまんどう)に所在する高尾山古墳の規模図である。
(C) 2016 OHKAWA
C図に示した――沼津市の足高山(あしたかやま/現在の愛鷹山)の麓に築造された高尾山古墳は、わがブログ「日本国誕生史の復興」の2回・3回で証明したように、来襲する呉の遠征軍を防衛するために足高山を祭った封土(ほうど)・軍事施設の盛り土であった。
280~289年に著作された中国の正史『三国志』呉書孫権(そんけん)伝は「230年、呉の皇帝孫権は1万の呉軍に夷州(いしゅう)と亶州(せんしゅう)に分かれる東鯷人(とうていじん)国への遠征を命じた」と記述する。208年の赤壁(せきへき)の戦いで、2万の呉軍は40倍の80万の魏軍を撃破(げきは)した。ゆえに、ザックリ言えば40万の魏の大軍に匹敵(ひってき)する1万の呉の無敵艦隊が日本列島の東鯷人国への遠征を決行したことになる。ところが中国では紀元前1世紀に北極星(こぐま座β星)を「太一神」と定めたシナ天文が完成して約320年間もの長い間、A図右上に示した[玄]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬(たんれん)する習慣が廃(すた)れたため、大海を往来することができなくなった呉の遠征軍は台湾沖で8割~9割の兵の命が失われて壊滅(かいめつ)した。
倭女王卑弥呼と東鯷人国王は、当然、呉の遠征軍は[玄]をキャッチして襲来すると思い込んだ。東鯷人国王は呉軍と戦ってもまったく勝ち目がないとあきらめて卑弥呼が統治する倭国に属すると決意して倭の防衛軍の派遣を要請した。かくして「東鯷人国」は滅び倭国の一員の小国となって生まれ変わって「日本国」と称されることになった。
ゆえに、東鯷人国王は退(しりぞ)き、呉の遠征軍を撃破した功績によって小国・日本の女王となれる伊耶那美命と日本軍を指揮する軍王(いくさのおおきみ)の伊耶那岐命が小国・日本に封ぜられる(赴任する)ことになった。
だから『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話における淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚説話の冒頭の「ここに天(あま)つ神諸(もろもろ)の命(みこと)」という文は「ここに卑弥呼王朝をささえる王・王女や重臣たち」と意味した。この後に淤能碁呂島の聖婚説話は――卑弥呼王朝は伊耶那岐命と伊耶那美命に「この漂(ただよ)よへる国を修理(つく)り固めなせ」という詔(みことのり)を下した――と記す。これゆえ、卑弥呼王朝は「呉軍が来襲すると脅(おび)えて国中が死を待つ大海を漂流する船の乗組員のごとく悲嘆する倭国と小国・日本の人心が安定するようにせよ」と伊耶那岐命と伊耶那美命に命じたことになる。だから、足高山の麓に築造された高尾山古墳は「漂える国(倭国と小国・日本)を修理して固める」ための日本軍の勝利を祈願する土を高く盛った祭壇の封土(ほうど)であった。
◆『魏志』倭人伝には全部で15ヵ所の方位名が記される。この全15ヵ所の方位記事を一ヵ所も改めないと、〔東〕に伸びる日本列島はD図のごとく〔南〕に伸びる。このため、天の北極を基準にして立論する学者たちは「日本列島は南に伸びるはずがない」と主張する。
しかし、淤能碁呂島の聖婚説話における「天沼矛(あめのぬほこ)を賜(たま)ひて」から「是(こ)れ淤能碁呂島なり」までの文は、D図に示す転回日本地理にもとづいて説明する。
(C) 2016 OHKAWA
D図の左側に記す「玄界灘」は「北極星では往来できないが、[玄]をキャッチすれば往来できる陸地から遠く離れた波の荒い海」と意味する。だから「玄界灘」という海の名は、卑弥呼王朝の権力基盤は〔[玄]のキャッチ〕を最も重視する天文地理学であったと伝えていることになる。この〔[玄]のキャッチ〕をあらわす玄界灘に浮かぶ沖ノ島と鳴門の渦潮と良質の黒曜石が産出する伊豆諸島の神津島は同緯度(北緯34度15分)である。この同緯度はA図の[玄]と重なる銀河部位の天頂緯度線をキャッチすれば測量できるが、B図の3世紀の誤差が20度となる北極星(シナ天文の太一神)ではまったく測量できない。
前回のわがブログ「日本国誕生史の復興・4」にて――日本列島の西端にある沖ノ島の冷たい気候と中国の海岸線地域の北部の冷たい気候が合致し、また日本列島の東端にある亜熱帯地区・神津島の暖かい気候と中国の海岸線地域の南部の暖かい気候は合致する――と指摘した。ゆえに沖ノ島の〔西冷〕と中国海岸線における〔北冷〕は冷たい気候で一致し、神津島の〔東暖〕と中国海岸線における〔南暖〕は暖かい気候で一致する事実にもとづき、卑弥呼王朝は中国海岸線の南の方に向かって日本列島の東端は伸びると断定した。だから『魏志』倭人伝の全15ヵ所の方位記事に1ヵ所も誤読(文献批判)を加えないと図示できるD図は、卑弥呼王朝が制定した錯覚の転回日本地理を伝えていたことになる。
注目すべきはD図となる『魏志』倭人伝の全15ヵ所の方位記事は〔[玄]のキャッチ〕を復興すれば【科学】が成立して卑弥呼王朝は錯覚の転回日本列島地理を制定したことが事実となる。しかし、学者たちのごとく〔[玄]のキャッチ〕を復興せずに現代の日本地図で立論すると【科学】がまったく成立せずに魏と倭は国交を結ぶことができかったことになって『魏志』倭人伝は著作されなかったことになる。このように、学者たちの『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の研究意見は立論したその瞬間から誤読の空論であったことになる。
◆D図の左側に示すように、鳴門の渦潮は沖ノ島と神津島と同緯度である。鳴門の渦潮は時速20㎞以上になることもあり、世界でも最高級の速度であるといわれる。ゴウゴウとすさまじい音響をたてながら豪快に渦を巻く。
淤能碁呂島の聖婚説話は、「これ淤能碁呂島なり」という文の後に「その島に天降(あも)り坐(ま)して、天(あめ)の御柱(みはしら)を見立て、八尋殿(やひろどの)を見立てたまひき」という文を続ける。この文は「伊耶那岐命と伊耶那美命は足高山の麓に到着して、呉軍を撃破した功績によって小国・日本を封土(領土)にして治める女王と王となった時に、高尾山古墳の後方墳部に太い柱を立てて建設される八尋殿を想像して、築造されたばかりの高尾山古墳で結婚式をおこなった」と意味するものとなる。だから伊耶那岐命と伊耶那美命は小国・日本に赴任する以前、倭地において〔淤能碁呂島の儀式〕をおこなったことになる。
◆E図に示すように、伊耶那岐命と伊耶那美命は日本列島の方位が90度転回する日本列島地理の強大なエネルギーを有する〔鳴門の渦潮〕で〔淡路島〕を〔転覆(てんぷく)する呉の無敵艦隊〕に見立てる淤能碁呂島の儀式をおこなって日本軍の勝利を祈願した。
(C) 2016 OHKAWA
[淤]の字義は「どろ」、[能]の字義は「熊野堂」の「熊」であり、[基]の下の[土]を[石]に取り換えると[碁]となるので「転回方位の基点となる小石のような沖ノ島と良質の黒曜石が産出する神津島」をあらわす。したがって、「碁呂」の語意は「転回する」となる。ゆえに、「これ淤能力碁呂島なり」という文は「日本列島の地底は海水が流れ込んで淤(どろ)や沼土(ぬまつち)のように柔(やわら)かくなっているので、熊の冬ごもりの巣の横穴と縦穴のごとく横の緯度が縦の経度になるよう日本列島の方位が90度転(ころ)がる呪力(じゅりょく)」、つまりD図の転回日本列島地理の呪力を表現するものであった。
このような淤能碁呂島の儀式をあらわす「天沼矛(あめのぬぼこ)を賜(たま)ひて」から「これ淤能碁呂島なり」までの記事を現代語に訳すると下記のごとくになる。
「伊耶那岐命と伊耶那美命は天沼矛を賜わって、呉の遠征軍が来襲すると国中が不安にさいなまれて漂う国土を修理するための儀式をおこなった。二人は天浮橋(あめのうきはし/A図右上の[玄]の天頂緯度線)に見立てた塩釜の前に設けられた橋の上に立って、塩田から採取した塩の濃度が濃い鹹水(かんすい)が煮つまる釜の中に天沼矛をさしおろし、鳴門の渦潮のように鹹水を許袁呂許袁呂(こおろこおろに)にと画(か)き鳴るようにして、天沼矛を引き上げた時、この矛の先から滴(したた)り落ちる塩がだんだんに積り固まってあたかも島(E図の淡路島)のような形になるようにした。この塩の島は転覆する呉の軍船に見立てられた。というのもこの儀式は卑弥呼王朝が制定した方位が90度転回する呪力で呉の軍船が転覆する様子をあらわして日本軍の勝利を祈願する神事であったからである。」
◆わがブログ「日本国誕生史の復興」の2回と3回で解説したように、中國の正史『後漢書(ごかんじょ)』倭伝が「紀元前3世紀、秦(しん)に始皇帝に命じられて蓬莱(ほうらい)の神仙の霊薬(れいやく)を採取できると思い込んで徐福一行が目指した蓬莱山」は「沼津市の足高山(現在の愛鷹山)」であった。
ゆえに、F図に示すように230年の呉の1万の遠征軍は会稽(かいけい)港から出帆して台湾から与那国島(よなぐにしま)・宮古島(みやこじま)そして広大な太平洋を横断して硫黄島(いおうとう)に至り、硫黄島から北上して足高山・蓬莱山へ目指したことになる。
(C) 2016 OHKKAWA
呉の会稽郡は塩の産地で有名である。ゆえに、E図に示した淤能碁呂島の儀式記事では「鳴門の渦潮」の「潮」ではなく「会稽港を出発した呉の遠征軍」を「会稽郡の塩」で象徴して「塩」と表記している。“字書の聖典”と崇拝される2世紀初頭に著作された『説文解字(せつもんかいじ)』は[塩]の字源を「鹹(かん)なり」すなわち「鹹水なり」と解説する。これゆえ、伊耶那岐命と伊耶那美命は呉軍の転覆を祈願する神事において天沼矛で煮つまる鹹水をかきまわすことになったのである。
G図に示すように、呉の遠征軍が壊滅した宮古島から硫黄島は北緯24度45分である。ゆえに、この海の道は塩焼き場のごとく陽射しがきつく肌を刺した。またF図に示すように、黒潮は与那国島・宮古島間を通過し、また黒潮は良質の黒曜石が産出した神津島をも通過した。この黒潮の流れに逆らって漕(こ)ぐ櫓(ろ)は重くなる。
『魏志』倭人伝には「暴害(ぼうがい)に遭(あ)う」つまり「暴風雨に遭遇する」という記事がある。ゆえに倭国も小国・日本でも230年の1万の呉の遠征軍は[玄]をキャッチができなくて日本列島に到着できなかったと考えずに、遠征軍は遭遇した暴風雨の渦巻く大海の波に飲み込まれて転覆して壊滅したと考えていたことになる。
だから、淤能碁呂島の儀式においては、(1)呉軍は塩の産地で有名な会稽郡の会稽港から出発した、(2)[塩]の字源は「鹹水」、(3)宮古島―硫黄島の塩焼き場のごとく陽射しがきつい北緯24度45分の海の道、(4)漕ぐ櫓が重い黒潮をあらわして、伊耶那岐命と伊耶那美命は塩焼き場で儀式をおこなうことになり、煮つまる鹹水を天沼矛でかきまわす行為をもって暴風雨に遭遇した呉の軍船の転覆をあらわして日本軍の勝利を祈願することになったのである。
『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話末部の須佐之男命(すさのおのみこと)の啼(な)きいさち説話において須佐之男命が激しく泣く様子は「青山は枯山如(からすやまな)す泣き枯らして、河海(かはうみ)はことごとく泣き乾(ほ)しき」すなわち「須佐之男命は青々と草木が茂る山を枯れ木の山にするほど泣いて枯らし、須佐之男命の泣く涙で河と海の水は吸い取られてすっかり干上(ひあ)がった」と表現する。
このように、『古事記』上巻には暗喩(あんゆ)と象徴を用いる文章が多数存在する。だから、淤能碁呂島の儀式の記事もまた暗喩と象徴を用いて、呉の遠征軍が暴雨風に遭遇して壊滅するあるいは小国・日本軍に敗北する様子を表現するものであったことになる。
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