日本国誕生史の復興・6
●沼津市高尾山古墳による日本国誕生史証明(5)
スルガの浮島沼周辺に分布する軍事的基地
◆わがブログ「日本国誕生史の復興」は2~5回までにて、230年に呉の遠征軍が日本列島に所在する東鯷人(とうていじん)国への遠征を決行したが台湾沖で8割から9割の兵士を失って壊滅(かいめつ)したことを詳細に証明した。東鯷人国については、中国の正史『後漢書』倭伝が「紀元前3世紀の秦(しん)の始皇帝の時代に、方士の徐福(じょふく)が若い男女数千人を率いて海に入ったが、始皇帝が探して来いと命じた蓬莱(ほうらい)の神仙の不老長寿の霊薬を発見できなかった。徐福は死刑をおそれて帰国せず、東鯷人国に定住した。卑弥呼が生存した3世紀、日本列島に定住した徐福一行の子孫は数万軒となっていた。東鯷人は定期的に大海を往来して呉の会稽(かいけい)で交易をしている。東鯷人国は中国人にとって遥かに遠くにあって海の道は途中で絶えて消えてしまうので、魏・蜀・呉の中国の人々には東鯷人が通う大海の道を往来することができなかった」と記述する。
上記の記事に登場する「徐福が蓬莱の神仙の霊薬が採取できると思い込んだ山」は、静岡県沼津市に所在する足高山(あしたかやま/現在の愛鷹山)であった。
したがって会稽港から出発した呉の遠征軍は、台湾から与那国島(よなぐにじま)そして宮古島(みやこじま)、広大な太平洋、火山列島の硫黄島、小笠原諸島、伊豆諸島、そして駿河湾の北側に所在する足高山に至るルートを目指したことになる。しかし、呉軍は東鯷人が往来した大海を渡る方法である、A図右上に示す〔[玄]をキャッチする眼力と技(わざ)〕を失っていた。[玄]をキャッチすることができた東鯷人は、1度の60分の1の1分の緯度差が測定できたので大海を往来することができた。中国では紀元前1世紀に、B図に示す北極星を「太一(たいいち)神」と崇(あが)めるシナ天文が完成して、230年当時の太一神・北極星(こぐま座β星)は天の北極星を中止にして約10度・600分で円を描くゆえ緯度測量の基準にすると直径の約20度・1200分が誤差となった。
(C) 2016 OHKAWA
大海を渡るには必ず〔[玄]をキャッチする眼力と技〕を有していなければならないのにもかかわらず、中国では約320年間も〔[玄]をキャッチする眼力と技を鍛錬する習慣〕が失われていたので、上記したように呉の遠征軍は台湾沖で壊滅した。
晋(しん)の歴史編纂(へんさん)官であった陳寿(ちんじゅ)が280~289年に著作した中国の正史『三国志』は魏書・蜀書・呉書の65巻で構成され、倭女王卑弥呼について書く通称「『魏志』倭人伝」という文献は『三国志』魏書東夷(とうい)伝の末部の倭人伝であり、約2000字で構成される。『三国志』呉書孫権(そんけん)伝には「230年に呉の皇帝の孫権が1万の呉軍に東鯷人国への遠征を命じた」、「呉の1万の東鯷人国遠征軍は8割から9割の兵を失って壊滅した」と記述されている。
◆沼津市の足高山・蓬莱山の麓にある、C図に示す東国最古にして最大の高尾山(たかおさん)古墳は230年ころから築造が開始されている。この高尾山古墳は、天と足高山・蓬莱山を祭って来襲する呉の遠征軍に日本軍が勝利すること祈願するために作られた封土(ほうど)の盛り土であった。だから230年ごろに築造された高尾山古墳は、東鯷人国王も卑弥呼も230年に決行された1万の呉軍の遠征について知っていたことを示している。
(C) 2016 OHKAWA
約460万人の魏の人口に対して呉の人口はおよそ50%の約240万ぐらいであったと考えられる。これゆえ、東鯷人国王と卑弥呼は呉軍が東鯷人国の人民を俘(とりこ)にする、人狩り作戦のために必ず再度遠征するにちがいないと考えた。208年の赤壁(せきへき)の戦いにおいて、2万の呉軍は40倍の80万の魏の大軍を撃破した。このように強力な呪的(じゅてき)戦力を有する呉の遠征軍と戦っても勝ち目がまったくないと考えた東鯷人国王は卑弥呼が治める倭国に属することを決意して、倭からの防衛軍の派遣を要請した。かくして東鯷人国は滅亡し、倭国の一員となった小国「日本国」が誕生した。
この小国・日本を防衛の先頭に立つ呉の遠征軍の呪的戦力を奪う魔女である巫女(ふじょ)王に伊耶那美命が選ばれ、軍王(いくさのおおきみ)に伊耶那岐命が選ばれて封(ほう)ぜられることになった。
日本軍は旧国駿河(するが/静岡県東部)の、D図に示す浮島沼(うきしまぬま)を呉の遠征軍と日本軍が戦う戦場と定めた。というのも呉の遠征軍が目指す目的地として最も確立の高いのは、徐福が蓬莱の神仙の霊薬を採取できると思い込んだ蓬莱山が足高山であったからである。そしてD図に示すように足高山の麓に浮島沼が所在し、当時は汽水湖(きすいこ)であった浮島沼は現在の富士市の田子の浦港となる地域が呉軍の大型の船が出入りできる水道となっていた。ゆえに当時、呉軍が手に入れる東鯷人国についての情報において徐福の歴史が最も有名であったので、呉軍は足高山を目指して来襲するにちがいないと日本軍は推断して浮島沼を決戦場と定めていたのである。
(C) 2016 OHKAWA
現在までD図にて四角のワクで囲む駿河地域から、高尾山古墳と年代が同じ3世紀の前期古墳時代の遺跡が約45ヵ所、古墳が10カ所も発見されている。ゆえに、これらの遺跡と古墳は日本軍が浮島沼の決戦にそなえた軍事的施設のコンプレックス(複合体)であったことになる。その証拠に、D図に示すように高尾山古墳の北北西に「足高山尾上(おのえ)遺跡群」と呼ばれる高地性集落の一大軍事基地が所在する。
E図は、法隆寺に献納(けんのう)された宝物「蓬莱山蒔絵袈裟箱(ほうらいさんまきえけさばこ)」の蓬莱山図を描き写した絵である。この蒔絵袈裟箱は重要文化財であり、日本に現存する蓬莱山図を代表する傑作である。E図に示すように蓬莱山の家屋は切り立った崖の間の洞(ほら/空洞の空地)に建てられている。
(C) 2016 OHKAWA
F図は一大軍事基地の足高尾上遺跡群を代表する「八兵衛洞(はちべえぼら)遺跡」である。E図の蓬莱山図の家屋と同様に、F図の八兵衛洞遺跡はじめ足高尾上遺跡群の住居は切り立った崖のごとくの急坂の洞となる空地に作られていた。
◆F図の遺跡名の「八兵衛洞」は、遺跡が所在する小字名である。A図が示すように[玄]の天頂緯度線となる銀河部位は東から45度の〔東北〕の地平線から昇り、西から45度の〔西北〕に没する。この〔東北〕と観測地点を結ぶ延長線は〔西南〕の方角を示し、〔西北〕と観測地点を結ぶ延長線は〔東南〕の方角を示した。〔[玄]のキャッチ〕を最も重視した卑弥呼王朝の天文地理学では「[玄]のキャッチで測定できる天頂点近くの東・西・南・北の4方位と遠く地平線の東北・西南・西北・東南の4方角の八方位」を尊重した。ゆえに、「八兵衛洞」の[八]は「東・西・南・北と東北・西南・西北・東南の八方位」をあらわした。「兵衛」は「呉軍の攻撃を防衛し、駿河湾上の呉軍の船影を見張って衛(まも)る兵」、[洞]は「崖のごとく切り立った急坂の洞に建てられた兵舎・砦」をあらわした。
足高山尾上遺跡群は、遥かに遠くの駿河湾上に出現する呉の遠征軍の船団の姿が一望できる。まさに、呉の遠征軍を迎え撃つ軍事基地として最適な場所である。
愛鷹山中腹に位置する3世紀の八兵衛洞遺跡は、1978年に沼津市教育委員会によって発掘調査されて、三つの屋根上に84軒の竪穴住居址が発見された。しかしながら、遺物の量は少なく、器形復原できるような資料は極めて少ないゆえ、兵士たちは軍事基地を廃(はい)して移動する際に武器を持ち去ったことになる。だが、1点の青銅製の銅鏃が住居址から発見された。日本の軍王・伊耶那岐命の厳重な軍事規律による命令のもとに精鋭部隊は移動したために、大規模な軍事集落の八兵衛洞集落の遺物は極端に少なかったのである。
紀元前1世紀に完成した司馬遷(しばせん)著『史記』の巻百十八の淮南衝山列伝(わいなんしょうざんれつでん)は――秦の始皇帝に「東方の三神仙に不老長寿の霊薬がある」と具申(ぐしん)した徐福は、三千人の童男女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、東方に船出して平原広沢(へいげんこうたく)を得て王となった――と記述する。この記事に登場する「平原広沢」の「広沢」は「広大な湿地」と意味すると伝えられている。
D図に示したように足高山の南麓、高尾山古墳の西側には「平原広沢」となる湿地帯の汽水湖であった浮島沼が存在した。
足高山(現在の愛鷹山)の山頂には愛鷹明神を祀る「桃沢神社」が鎮座する。神社名に用いられる〔桃〕は中国において「神仙に呪力(じゅりょく)を与える樹木・果実」とされ「仙木(せんぼく)・仙果(せんか)」と呼ばれる。この[桃]に「広沢」の[沢]に加えると神社名の「桃沢」となる。
ゆえに、足高山は徐福が「蓬莱の神仙の霊薬が採取できる山地」と思い込んだ蓬莱山であった。足高山すなわち現在の愛鷹山の標高は1,187m、愛鷹山連峰の主な山岳の標高を北から列記すると黒岳が1,087m、越前岳が1,504m(最高峰)、前岳が1,336m、鋸岳が1,296m、呼子岳が1,310m、位牌岳が1458m、大岳が1,262m、袴腰岳(はかまごしだけ)が1,248m。愛鷹山連峰にあって愛鷹山は連峰最高峰でなく8番目の高さにも関わらず、連峰を代表する山となったのは日本軍の一大軍事施設(足高山尾上遺跡群)が設営された歴史が原因であったにちがいない。
C図に示した高尾山古墳の主体部から、戦争に用いられる武器の鉄槍(てつやり)2点、鉄の鏃(やじり)が32点埋納されていた。
(C) 2016 OHKAWA
『日本書紀』神武(じんむ)天皇紀の末部には――伊耶那岐命が「日本は浦安の(平安な)国、細戈(くわしほこ)の千足(ちた)る国、磯輪上(しわかみ)の袍図莽国(ほつまのくに)である」と名づけた――という記事がある。この文中の「細戈の千足る国」という語は「精兵が多数備わる国」と意味する。
以上のごとく、呉の遠征軍の来襲に備えて日本軍の精兵たちの一大軍事基地が設営された足高山は、徐福が蓬莱の神仙の霊薬を採取できると思い込んだ蓬莱山であったのである。
◆『古事記』上巻の淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚(せいこん)説話は伊耶那美命と伊耶那美命が築造された高尾山古墳に到着した様子を「其の島に天降(あも)り坐(ま)して」と記す。
H図に示すように、天頂緯度線を凝視(ぎょうし)した先人たちは目が有する呪力の現象によって天頂緯度線が天から眼前1尺(24~30cm)ぐらいの位置に降(ふ)ってきた瞬間に[玄]をキャッチした。ゆえに、伊耶那岐命と伊耶那美命が結婚式場の高尾山古墳に到着した様子は「天降り坐して」と表現されたることになったのである。
(C) 2016 OHKAWA
次の「天の御柱(みはしら)を見立てて、八尋殿(やひろでん)を見立てたまひき」という文は、C図に示した高尾山古墳の後方墳に「呉の遠征軍を撃破した、その時に大黒柱を垂直に立てて神殿(八尋殿)を完成させる光景を想像する」と意味した。
I図は「天の御柱を見見立てて」と記述された、呉の遠征軍を撃破した時に高尾山古墳の後方墳に建造される――八尋殿の大黒柱やその屋根をささえる垂直に立つ柱の図である。
I図上部の「天頂緯度線」はA図右上の[玄]をあらわす。というのも「天頂緯度線」は[玄]の上部[亠(とう)]のうちの[一]であらわされたからである。
J図に示すように、「天頂緯度線」は[神]の原字である[示]の契文(けいぶん/甲骨文字)の上部の[一]があらわす。
121年に後漢の安帝(あんてい)に献上された“字書の聖典”と尊重される『説文解字(せつもんかいじ)』は、[天]の字源を「至高(しこう)にして上なし。一大に従ふ」と解説する。「至高にして上なし」いう説明は「最も高くしてそれ以上高いところが無い天体部」と意味する。だから、A図右上の[玄]の「天頂緯度線」は「至高にして上なし」と解説された[天]の字源となる。『説文解字』の[天]の字源解説の「一大に従う」は[大]の上に[一](J図の[示]における天頂緯度線)を加えると[天]の字形となることをあらわしている。
『説文解字』は[神]の字源を「天神なり」と解説する。J図の[示]は「かみ。すなわち神」の字義を有する。だから、[示]は[神]の原字(げんじ/最初の文字)であった。
上記したようにA図の[玄]上部の[亠]の[一]、[天]の上部の[一]、[示]([神]の原字)の上部の[一]はすべて「天頂緯度線」を表現した。だから、I図とJ図に示したように[玄]の字源は[天]の字源に共通し、[玄]と[天]の字源は[示(神)]の字源に共通した。
天頂緯度線をキャッチすると精確に1分の緯度差が測量できて、大海を渡る人や遠くの地に旅する人や森林や山地に入った人々は命(いのち)を失わないで生存することができた。〔[玄]のキャッチ〕は先人たち各自の生命活動の維持(いじ)と種族保存の基本となるものであり、また卑弥呼王朝の政権基盤であった天文地理学の基本でもあったのである。だから、淤能碁呂島の聖婚説話は冒頭で「卑弥呼王朝をささえる王・王女や重臣たち」を「天(あま)つ神諸(もろもろ)の命(みこと)」と表現したのである。「命(みこと)」と呼ばれた人々は〔[玄]のキャッチ〕の能力が内面化して人格に固有のものとなって発揮されるものであったから強大な権力と高い地位と人民に称賛される名誉を得ることができたのである。
だから、上記した「天降り坐して、天の御柱」という文もまた「卑弥呼王朝の政権基盤は〔[玄]のキャッチ〕を基本とした天文地理学であった」と明確に語っていることになる。
◆現在の学者たちの『古事記』の研究は本居宣長(1730-1801年)の研究を受け継ぐ。ところが宣長は、淤能碁呂島の聖婚説話において最も重要で基本的問題であるA図右上の〔[玄]のキャッチ〕についてまったく明らかにしていない。
さらに宣長の研究は上古の音文字について未解明である。
『古事記』の序を書いた太安万侶(おおのやすまろ)は、序の末部で〔上古文字と辞理」について解説する。
安万侶が解説するように淤能碁能呂島の聖婚説話には、〔音〕という注を付ける「淤能碁呂」の4字や、「久美度邇(くみどに)」の4字の「上古の音文字」がある。また[立]の楷書の訓は「多々志(たたし)」という注が付き、[鳴]の楷書の訓は「那志(なし)」という注を付けるように「上古の訓文字」も実在した。このような「上古文字(上古の音文字と訓文字)」と「辞理」について、宣長は未解明・復興しなかったので現在の学者たちは『古事記』上巻の文章を誤読して誤解・誤訳することになった。
安万侶は序の末部でーー上古においては、言(ことば)と意(こころ)はともに素直(すなお)で、文章に書きあらわしますと上古の文字はどのような楷書を用いたならばよいのか困ります。すべて上古の訓(くん)文字を用いて記述しますと、楷書の語意と上古の訓音文字の語意が一致しない場合があり、すべて上古の音文字を並べて楷書に変換して意味が理解できるようにしますと楷書で訳した文章がたいへん長くなります。それゆえ、『古事記』上巻では、ある場合には一句の中に音と訓を交えて用い、ある場合には一つの事柄を記すのに、すべて訓を用いて書くことにしました。そして辞理(上古の音文字を楷書に変換できる文字と語の原理)が見えにくいときには注をつけて説明し、事柄の意味・状況の理解が容易な場合には注をつけませんでした。また姓(うじ/氏)において楷書の「日下(にちげ)」と上古文字の「玖沙訶(くさか)」は同義、名に用いる楷書の「帯(たい)」は上古文字の「多羅斯(たらし)」と同義ですので、このような類例は従来の記述にしたがって改めませんでしたーーと記述する。
だから、安万侶が証言するように上古文字(上古の音文字と訓文字)が実在しただけでなく、上古文字と楷書を正確に変換できる「辞理」もまた実在したことになる。
その証拠に前回のわがブログ「日本国誕生史の復興・5」において、わたくしは安万侶が証言する「辞理」に則(のっと)って「淤能碁呂」という上古文字は『魏志』倭人伝の全15ヵ所の方位記事を忠実に解釈して1点の誤読(文献批判)を加えなければ事実となる「卑弥呼王朝が制定した錯覚の転回日本列島地理」を意味したことを詳細に解説し証明した。よって、上古の音文字を楷書また現代の当用漢字に変換できる「辞理」は実在した。したがって、宣長の研究は実在した重大な「辞理」と「上古文字」をまったく復興しなかった誤読の産物であったことになる。
この「辞理」とは何かについては、いずれ(「日本国誕生史の復興・9」にて)解説して実在することを証明する。
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