日本国誕生史の復興・18
●高尾山古墳から発掘された「愛の鏡」(3)
三熊野の牛王神璽は〔愛〕をあらわす
◆わが国を代表するサッカーチームのシンボルマークとなる「八咫烏」は、『日本書紀』の神武天皇紀における東征(とうせい)説話に登場する「金色のトビ」である。
しかし、三熊野(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の牛王神璽(ごおうしんじ)の悪魔退散、陰陽和合の護符(ごふ)の「多数の群がる鳥」も「八咫烏」と呼ばれる。この三熊野の牛王神璽の〔多数の群がる鳥〕は〔飛翔(ひしょう)する味鴨(あぢかも)の群れ〕を図案するもので、「トビ」を図案するものではない。なお、「八咫烏」と呼ばれる本宮大社の味鴨は85羽、速玉大社は48羽、那智大社は72羽で構成される。
「咫」は「親指と中指を広げた約18cm」であるゆえ、「八咫」は「およそ144cm」となる。
トビはワシタカ科に属して、翼開帳(よくかいちょう/両翼を開きその先端から先端までの長さ)は160~180cmである。ゆえに、「トビ」は「八咫烏」という名にふさわしい。
しかし、ガンカモ科に属する味鴨は全長が40cm、翼が21cmであるから翼開帳はじめどの点をとっても八咫(144cm)の寸法以下である。ゆえに「八咫烏」ではなかった。にもかかわらず、なにゆえ「八咫烏」と呼ばれるのか? この「八咫烏」という名の秘密は、2008年に発見された静岡県沼津市の東熊堂(ひがしくまんどう)に所在する高尾山(たかおさん)古墳で科学的に解明できる日本国誕生史に起因する。
◆高尾山古墳は東日本における最古で最大の前期古墳である。
高尾山古墳の後方墳の主体部から、A図に示す後漢時代に作られた破砕鏡(はさいきょう)が出土した。この鏡には「上方作系浮彫式獣帯鏡(しょうほうさくけいふちょうしきじゅうたいきょう)」という名が付く。しかし前回のわがブログ「日本国誕生史の復興・17」で詳細に証明したように、B図に示す「4羽の味鴨の絵柄」で「日本建国の〔愛〕の理念」をあらわすのでわたくしはA図の破砕鏡を「愛の鏡」と呼ぶことにした。
(C) 2016 OHKAWA
前回までのわがブログ「日本国誕生史の復興」で幾回も証明したように、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話冒頭の淤能碁呂島(おのごろしま)の聖婚説話は「伊耶那美命が伊耶那岐命と結ばれた高尾山古墳における最初の結婚式は、呉の遠征軍が来襲してくると思い込んで誕生した小国・日本を防衛するために倭王朝の監督の基に戦勝祈願する国家的神事(しんじ)であった。この神事において、伊耶那美命は倭王朝が厳粛(げんしゅく)に取り決め式次第に違反して、小国・日本の国作りの柱を〔愛〕と定める決意を唱えた」と記述する。この伊耶那美命が唱えた「小国・日本の国作りの柱の〔愛〕」を、わたくしは「日本建国の〔愛〕の理念」と名づけた。
「伊耶那美命」は人民たちが呼んだ愛称であり、本名は『古事記』中巻の第9代開化天皇紀に記載される「正妃の竹野比売(たかのひめ)」であり、小国・日本を襲撃して来ると思い込んだ呉の遠征軍の強力な呪的(じゅてき)戦力を奪う魔女名は「壱与(いよ)」であった(この点について、わがブログ「日本国誕生史の復興・10」の末部にて詳細に証明した)。
『魏志』倭人伝の末部は「卑弥呼の墓に百余人の奴婢(ぬひ)を殺して埋める徇葬(じゅんそう)をおこなった。この徇葬に服従しない反乱が国中に広がり、倭王朝は千余人の反乱者を殺した。また倭王朝は壱与を倭女王に就任させると遂(つい)に定まった」と記述する。
壱与・伊耶那美命は10年余のあいだ、小国・日本の人民に〔愛〕を尊重するように熱心に説いた。倭王朝は徇葬を憎悪する大乱は壱与が小国・日本の人民に熱心に説いた日本建国の〔愛〕の理念を倭国の人民が憧れたために起きたと主張し、大乱を終息(しゅうそく)させる全責任を壱与に押し付けて、『魏志』倭人伝が記載しているように壱与を倭女王に就任させたのである。だから反乱者たちは壱与が倭女王となれば必ず徇葬を禁止するにちがいないと信頼して武器を捨てたので、大乱は一気に終息した。
倭国に帰還することになった壱与・伊耶那美命が小国・日本を去るとき、彼女はA図に示した破砕鏡を高尾山古墳に埋納したことも、倭国の大乱を一気に終息させる原因となった。
伊耶那美命がB図に示す「4羽の味鴨の絵柄」で「日本建国の〔愛〕の理念」を表現したことは、わがブログ「日本国誕生史の復興・16」で証明したように、岡本天皇が作った『万葉集』485番の長歌の初句から6句までで「神代より 生(あ)れ継ぎ来(く)れば 人多(ひとさは)に 国には満ちて あぢ群(むら)の 通ひは行けど」と詠まれることになった。現代語に訳すると「神代の伊耶那美命が唱えた日本建国の〔愛〕の理念を、人々が生まれ継いできたので多数の人民が国土に満ちて、飛翔する味鴨の群れのように愛睦(むつま)じく私の目の前を何度も往来します」となり、この長歌は明確に日本建国の〔愛〕の理念を伝える。
現在は絶滅を危惧(きぐ)されるほどに激減したが、古代においては飛翔する味鴨の群れは3kmにも及んだという。このため中国でもわが国でも「飛翔する味鴨の群れ」は「国土に多数の人民たちが満ちあふれる状況」をあらわす代表的なイメージとなった。ゆえに、B図の鏡の「4羽の味鴨の絵柄」は日本建国の〔愛〕の理念をあらわす定説となって、「人民の男女が愛しあって生まれた多数の子どもを愛(いつく)しみ育てれば多数の人民が国土に満ちあふれる状況」をあらわすことになった。
◆伊耶那美命が死去すると、天照大御神が倭女王に選ばれた。天照大御神は伊耶那美命を葬る陵墓を築造するときに徇葬を決行した。『古事記』が編纂されることになった8世紀初頭、天照大御神は強大な権力を有する大和朝廷の基礎を築いたということで朝廷が最も崇拝する先祖、すなわち皇祖となった。だから皇祖・天照大御神の聖性を汚(けが)すことは絶対に許されなかった。朝廷は『古事記』編纂(へんさん)スタッフに――日本建国の〔愛〕の理念の歴史を抹殺し、また皇祖の天照大御神が徇葬を決行して歴史も削除(さくじょ)して天照大御神が最も偉大な先祖であったと記述する偽書の作成――を欲求(よっきゅう)した。
このため、712年に完成した『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉(よみの)訪問説話では「天照大御神」は「黄泉国の伊耶那美神命」と表記された。編纂スタッフは紀元前5、4世紀に作成された『老子』にて開発された〔反実仮装(はんじつかそう)〕の方法を用いて、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に〔天照大御神が徇葬を決行した史実〕を記述した。〔反実仮装〕とは〔事実と異なる記述で、真実を伝える方法〕である。
わがブログ「日本国誕生史の復興」の2回~15回までで詳細に解説し証明したように、C図に示す高尾山古墳が背にする足高山(あしたかやま/現在の愛鷹山)は、『後漢書(ごかんじょ)』倭伝が「紀元前3世紀の秦(しん)の始皇帝(しこうてい)の時代に、徐福(じょふく)が若い男女数千人を率いて海に入り、始皇帝が探して来いと命じた蓬莱(ほうらい)の神仙の不老長寿の霊薬が採集できると思い込んだ蓬莱山」であった。
(C) 2016 OHKAWA
中国では桃は蓬莱の神仙に力を与える樹木・果実と定まっていた。このために、蓬莱山・足高山の山頂には名に「桃」の字を配する桃沢神社が鎮座(ちんざ)する。
「蓬莱の神仙」とは後漢時代に「不老長寿の仙人とされた老子」であった。A図に示した「愛の鏡」には「老子の絵柄」があり、この部分を伊耶那美命は砕いた。だから、編纂スタッフは〔蓬莱山・足高山と愛の鏡〕から老子が考案した〔反実仮装〕を思いつき、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話を記述した。上記したように、「天照大御神」を「伊耶那美神命」と記載すると〔本居宣長(1730-1801年)以後の学者たちが解釈したとおり、天照大御神が徇葬を決行した歴史が失われる〕ので、朝廷の欲求に応えたことになる。しかし、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は〔朝廷の欲求に応えると見せかけた、天照大御神が徇葬を決行したと伝える朝廷に歯向かう反逆〕であった。だから朝廷は『古事記』献呈を即座に拒絶して抹殺に躍起(やっき)となった。
◆D図に示した熊野の地域が、伊耶那岐命の黄泉国訪問説話の舞台となった。
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天照大御神が徇葬を陣頭指揮して伊耶那美命の陵墓を築造した「黄泉国」は、「熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)」である。
この説話では「伊耶那岐命」と一人称で記されるが、この「伊耶那岐命」は「大斎原の玄室の伊耶那美命の亡骸を納める棺(ひつぎ)を奪って逃走する伊耶那岐命と棺を守る日本兵たち」であった。
『魏志』倭人伝は百余人の徇葬者たちを「奴婢」と記載するが、『古事記』は「その死体から湧き出た蛆(うじ)が伊耶那美命の棺に群がり集(たか)る八雷神(やくさのいかづちがみ)」と記す。「奴婢」と「八雷神」は同義で、「日照りが続いた時に、天に昇った卑弥呼と伊耶那美命の霊が雷神となり雨を降らすと堅い地面は泥のようにやわらかくなって木製の刃先のスキでも容易に耕作できまた開墾(かいこん)できて豊作をもたらす。この豊作を祈願するための犠牲(いけにえ)」であったのである。
黄泉国訪問説話に登場する「予母都志許売(よもつしこめ)」は「伊耶那美命の陵墓を護る守衛たち」であったと考えられ、逃走する伊耶那岐命一行を追跡した「千五百之黄泉軍(ちいほのよもついくさ)」は「女王天照大御神が率いる倭王朝の大軍」であった。
伊耶那岐命と日本兵たちは伊耶那美命の棺を担(かつ)ぐ日本兵たちが転ばないように、深夜の真っ暗闇の熊野路(くまのじ)を松明(たいまつ)で照らして逃走した。この松明の灯(ひ)は倭王朝の大軍を熊野速玉大社の境内に誘導(ゆうどう)する罠(わな)でもあった。したがって、伊耶那岐命と日本兵が目指した「黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本(さかもと)」は、D図に示す「速玉大社の境内(けいだい)」であった。
黄泉国訪問説話は「倭王朝の大軍が伊耶那岐命一行を追跡して黄泉比良坂の坂本に到着した時、その坂本に在る桃の子三箇(みみつ)を取りて撃(う)てば、悉(ことごと)く逃げ返った」と記述する。つまり「倭王朝の大軍が速玉大社の境内に到着した時、そこに居た桃の子三箇が伊耶那岐命の指揮のもとに反撃したために倭王朝の大軍は総崩れとなって敗走(はいそう)した」と記述する。前述したようにC図に示した足高山の山頂には桃沢神社が祀られる。だから、「桃の子三箇」は「(1)伊耶那岐命とともに大斎原から速玉大社の境内まで逃走した日本兵たち、(2)速玉大社の境内で待機していた日本軍本隊の兵士たち、(3)速玉大社の境内で待機していた伊耶那岐命軍に協力した熊野の住人の戦士たちの、小国・日本の軍王の伊耶那岐命が率いる三部隊」であったことになる。
夫の伊耶那岐命を怨(うら)み深夜の暗闇の熊野路を必死に追跡した天照大御神は捕虜(ほりょ)となり、伊耶那岐命が居る「黄泉比良坂(よもつひらさか)を塞(ふさ)ぐ千引石(ちびきのいわ)の前」に連行された。D図の中央下部とE図の写真に示す和歌山県新宮市磐盾(いわたて)町に所在する「神倉(かんのくら)神社の参道」が「黄泉比良坂」であった。
「千引石」は、E図の写真が示す神倉神社のご神体の「ごとびき岩」である。
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神倉神社の主祭神は天照大御神である。だから、「黄泉国の伊耶那美神命」は「亡くなった伊耶那美命」ではなく「徇葬を決行した天照大御神」であった。
千引石の前で、伊耶那岐命は天照大御神に離縁を言い渡した。
すると天照大御神は「かくなせば、汝(いまし)の国の人草(ひとくさ)、一日に千頭絞(ちがしらくび)り殺さむ」と誓った。つまり天照大御神は「こんなことをするならば、私はあなたたちの日本国の〔愛〕の理念を尊重する母親たちの産道を狭くなるように呪(のろ)って、一日に千人の胎児の頭を狭い産道で絞め殺す」と誓った。
伊耶那岐命は「汝(いまし)しかせば、吾(あれ)一日に千五百の産屋(うぶや)立てむ」と誓った。ゆえに、伊耶那岐命は「お前がそのように祟(たた)るならば、吾は一日に千五百の産屋を立てるように人民に熱心に説く」と言って、亡き伊耶那美命の遺志をまもって日本建国の〔愛〕の理念を継承すると誓った。
かくして伊耶那美命が唱えた日本建国の〔愛〕の理念を伊耶那岐命が継承したので、飛翔する味鴨の群れのように国土に多数の人民が満ちあふれるようになったのである。
◆F図に示す高尾山古墳から出土した「愛の鏡」の「鳥」と記した「味鴨」の図案を注目していただきたい。
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G図の右上に速玉大社の牛王神璽の鳥の形が明白になるように大きめに図示した。
H図に示すように「牛王神璽の鳥の尾の図案」は「愛の鏡の味鴨の尾の図案」に相似する。
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だから、「三熊野の牛王神璽の群れる鳥の図案」は「日本建国の〔愛〕の理念をあらわす、飛翔する味鴨の群れの図案」であったことになる。
三熊野の牛王神璽の中央には一様に「日本第一」という4字がある。この「日本第一」は「日本建国の〔愛〕の理念が第一番に大切である」と伝えていることになる。
I図に示すように、高尾山古墳の西方のC図に示した浮島沼の南岸となる低湿地帯に同時代(3世紀)の雌鹿塚(めがづか)遺跡が所在する。
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雌鹿塚遺跡から、J図とK図に示す鳥形木製品や、また舟形木製品が発掘された。
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雌鹿塚遺跡から出土した〔鳥形木製品と舟形木製品〕は、『古事記』上巻の神生み説話に記載された「鳥石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)」またの名は「天鳥船(あめのとりふね)」と名づけられた日本国の軍船を模(も)して作られた呉軍との戦いで勝利を願った呪術具(じゅじゅつぐ)であった。
L図に、翼開帳が「八咫烏」の寸法に適合するクマタカとトビの飛行する姿を示した。
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L図の下図に示すように、トビの尾は先端の中央が切れ込んでいて、この形は飛んでいる時に見える。K図の「天鳥船」の呪術具の尾の形はトビの尾の形に酷似する。だから、「天鳥船」の「鳥」は「トビ」をあらわした。したがって、黄泉国訪問説話に記載された「桃の子三箇」が「八咫烏」であったことになる。
だから冒頭で指摘したように、三熊野の牛王神璽の「多数の鳥の群れの図案」は「飛翔する味鴨の群れの図案」であったことになる。
◆以上のような三熊野の牛王神璽の秘密がA図に示した高尾山古墳から出土した「愛の鏡」に起因することは、M図に示す新宮市の名所に現在も残っている。
伊耶那岐命に離縁された天照大御神を主祭神と祭る神倉神社と千引石・ごとびき岩の東方にある新宮藺沢浮島(しんぐういのさわうきしま)植物群落は「浮島ノ森」と呼ばれる。C図に示すように、高尾山古墳の西隣は「浮島沼」であり、「浮島沼」と「浮島ノ森」は「浮島」で合致する。
浮島ノ森の東方には秦の徐福の墓があり、この徐福の墓の北側には「阿須賀(あすか)」とも表記する「飛鳥(あすか)神社」が鎮座する。飛鳥神社は黄泉比良坂の坂本・速玉大社の摂社(せっしゃ)であり、蓬莱山を背にして社殿が立つ。C図に示したように、高尾山古墳は蓬莱山・足高山を背にして所在する。ゆえに、飛鳥神社が背にする「蓬莱山」は――高尾山古墳が背にする足高山は、秦の徐福が不老長寿の霊薬が採取できると思い込んだ日本列島の蓬莱山であった――と伝える役目があったにちがいない。したがって、新宮市にある秦の徐福の墓は徐福の死体を埋めた墓ではなく、徐福が「沼津市の足高山を蓬莱山」と思い込んだ歴史を伝える役目を有すると共に、その思い込みを葬る史跡であったのではなかろうか。またM図右上に示す[鳬(カモ)]の金文形の上部の[鳥]は「飛ぶ鳥」すなわち「飛鳥」をあらわし、前回のわがブログ「日本国誕生史の復興・17」で証明したように[鳬]の金文形は「飛翔する味鴨の群れ=国土に多数の人民が満ちる状況」をあらわした。
なお、わがブログ「日本国誕生史の復興・13」初頭における『万葉集』13番の中大兄(なかのおおえの)皇子が作った「大和三山の歌」で解説したように、『古事記』中巻の開化天皇紀に「天皇の第二后の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)」と記載された女性が、千引石の前で伊耶那岐命に離縁された天照大御神である。
『古事記』中巻の第9代開化(かいか)天皇紀は「天皇は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して天下を治めた」と記す。ゆえに、「伊耶那美命」と「伊耶那岐命」の先頭2字と「伊耶河宮」の先頭2字は共に「伊耶」で合致するので、伊耶那岐命は後の開化天皇、正妃の竹野比売が伊耶那美命であった。
伊耶那岐命の第二后の伊迦賀色許売命について、『古事記』開化天皇紀は「継母」と記す。というのも伊迦賀色許売命(天照大御神)は、伊耶那岐命の父の第8代孝元(こうげん)天皇とも結婚していたからである。これゆえ、天照大御神・伊迦賀色許売命と孝元天皇の間に生まれた皇子が第10代崇神(すじん)天皇であったことになる。このため、崇神天皇は伊耶那岐命(開化天皇)と異母弟であった。『古事記』開化天皇紀は「天皇と伊迦賀色許売命の間に生まれた皇子が崇神天皇である」と書くが、事実は「開化天皇と崇神天皇の間には養父と養子の関係が生まれた」と伝えていたことになる。
『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男説話に記載された「天照大御神」は「崇神天皇」である。だから、大和朝廷の基礎を築いた「皇祖・天照大御神」は「伊迦賀色許売命・崇神天皇母子」であった。
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