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2017年4月17日 (月)

真実の日本国誕生史・2

 ●【日本建国の〔愛〕の理念】は天皇の王冠で示された

◆前回のブログ「真実の日本国誕生史・1」で説明したように、日本国が〔愛〕の理想のもとに誕生した史実は『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話冒頭にある淤能碁呂(おのごろ)島聖婚(せいこん)説話に記述された――この事実は最も重大な歴史であったゆえ新井白石(16571725)以前の各代の天皇はじめ織田信長や徳川家康などの幾人かの先人たちは知っていた。
 しかし、新井白石が〔『魏志』倭人伝に多数の誤読を加える立論方法〕を開発した以後、この方法は学者たちによって時代とともに確立化されることになり、現在においては〔文献批判〕と呼ばれる主流の考え方になった。この結果、白石以後の学者たちが『古事記』の淤能碁呂島説話に加えた仰山(ぎょうさん)な〔文献批判〕のために、現在は【日本建国の〔愛〕の理念】はあたかも記述されていないかのごとくになった。
 しかし、現在の学問の状況を慎重に調べると、新井白石以後の学者たちが加えた多数の〔文献批判〕は明らかに〔誤読〕であると明確に断定できる字源学・言語学・音韻学の成果が存在するようになった。また、先人たちが倫命(りんめい/人間として実行すべき使命)にもとづいて【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために作ったいくつかの遺跡と確かな遺物が存在する。
 だから、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の記事に〔誤読=文献批判〕を加えなければ、新井白石以後に山ほど積み上げられた文献批判の意見はすべて誤読の空理空論・幻想・デタラメであったことが科学的に証明できるようになり、われわれは【日本建国の〔愛〕の理念】を取りもどすことができるようになった。

◆前回のブログ「真実の日本国誕生史・1」では、白石以後に出現した学者たちの〔文献批判による邪馬台国説〕が誤読の空理・デタラメであったことがいとも簡単に証明できる方法を指摘した。つまり、【天の北極の高度と[]のキャッチによる緯度測定】を比較すれば、白石が開発した〔誤読=文献批判〕を加えるパラダイム(立論方法)をもって積み上げた邪馬台国説はいとも簡単に大ウソであることが明白なる事実となる。
 『魏志』倭人伝に記された15ヵ所の方位記事は、A図に示す〔玄〕の緯度測定にもとづいて卑弥呼王朝が制定した錯覚の淤能碁呂島=転回日本列島地理を伝える実在した錯覚の学術理論を証言するものであった。だから、全15ヵ所の記事に1ヵ所も文献批判を加える必要がない。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 他方、学者たちは現在と同じ日本地図で考える。つまり、学者たちはB図に示す〔天の北極・北極星〕がある方角を〔北〕と定める現在の日本地図に則(のっと)って、15ヵ所の方位記事を文献批判する。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 学者たちの方法だと、『魏志』倭人伝には文字が1字も書かれていなかったことになるゆえ、「卑弥呼」の3字も「邪馬台国」の4字も書かれていなかっことになる。というのも、B図に示すように当時の北極星は天の北極を直径約20度・1200分の円周運動するものであったゆえ、1分の緯度差を判別できる精確な緯度測定が求められた大海・玄界灘を倭の使節が往来できなかったことになるからである。したがって倭と魏は国交を結ぶことができず、魏王朝は倭の様子をまったく知ることができなかった。ゆえに、『魏志』倭人伝は著作されず、この世にまったく存在するものではなかったことになる。だから学者たちが新井白石以後に色々と提示した理由や根拠は一気に無効・ナンセンスとって、学者たちが文献批判を加えて立論する邪馬台国説は真っ赤なウソであったことがいとも簡単に明白な事実となる。

◆小国・日本の女王に選ばれた伊耶那美命が伊耶那岐命と結婚したときに「日本国の国作りの柱を〔愛〕にする」と唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】は、皇室を滅亡させる最も危険な思想であると皇室は畏(おそ)れた。これについては、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国(よみのくに)訪問説話に記述された。
 この説話の概要は、下記のごとくなる。
 ――伊耶那岐命の正妃は伊耶那美命、第二妃は皇室が最も崇拝した先祖の皇祖の天照大御神(アマテラスオオミカミ)であった。天照大御神は、伊耶那美命の没後に倭女王に就任した。その時、天照大御神は多数の若い青年男女を殺して伊耶那美命の墓に埋めてイケニエにする残酷な徇葬(じゅんそう)を陣頭指揮した。この伊耶那美命が葬られた徇葬墓は、熊野本宮大社の旧社地の大斎原(おおゆのはら)であった。国家権力より〔愛〕のほうが優ると国民に説いた伊耶那美命を憎んで天照大御神がおこなう徇葬に、伊耶那岐命は立腹して配下の日本軍の兵士と熊野に住む戦士の協力を得て、伊耶那美命の墓から伊耶那美命の亡骸(なきがら)をおさめる棺(ひつぎ)を奪う反乱を決行した。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 反乱は真夜中におこなわれ、日本軍の本隊が潜伏(せんぷく)して待機する現在の熊野速玉大社の境内(けいだい)に倭政府の大軍を誘(おび)き寄せて罠(わな)にはめるため、棺を奪って逃走する伊耶那岐命一行は燃えさかる松明(たいまつ)をかざして真っ暗闇の熊野路(くまのじ)を逃走した。その松明の灯をとらえて追跡した倭の大軍は、現在の熊野速玉大社の境内で伊耶那岐命軍に撃破(げきは)されて敗走した。
 反乱をおこした夫伊耶那岐命を憎しみ怒る天照大御神は、夜の真っ暗闇の熊野路を歩き、逃げ惑う倭軍の兵士たちを尻目(しりめ)にして速玉大社の境内に到着したときに日本軍の兵士に捕らえられた。捕虜となった天照大御神は千人の人々が綱をかけてやっと動くと思われる巨大な岩つまり千引石(ちびきのいわ)の前に連行された。「千引石」は和歌山県新宮市の磐盾(いわたて)町に所在する神倉(かんのくら)神社のご神体の「ごとびき岩」である。伊耶那岐命は千引石の前の空洞となる場所にいた。この場所で夫婦が向かいあったとき、伊耶那岐命は離縁を言いわたした。
 離縁された天照大御神は「汝(なんじ)の国の【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民たちの母親の産道が狭くなるように呪(のろ)い、その狭い産道で一日に必ず千人ずつ生まれてくる子どもたちの頭を絞め殺す」と誓った。
 伊耶那岐命は「お前がそうするならば、吾(われ)は一日に必ず千五百の産屋が立つようにする」と述べ、亡き伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を受け継ぐと誓った――と伝えている。
 『古事記』中巻の第9代開化(かいか)天皇紀は「伊耶那岐命は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して第9代開化天皇となって天下を治め、【日本建国の〔愛〕の理念】を受け継ぐ政事(まつりごと)をおこなった」と記述する。このように開化天皇紀に登場する「伊耶河宮」の先頭2字の「伊耶」は「伊耶那美命」と「伊耶那岐命」の先頭2字に合致して、伊耶那岐命は後の開化天皇であると伝えている。

◆上記したC図に示す熊野が舞台となった『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は歴史上の事実を伝えるものであったことについては、わがインターネットのブログ「卑弥呼の逆襲」における〔日本国誕生史の復興〕シリーズの18回と19回で証明した。
 『古事記』の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話は、「天照大御神」を「伊耶那美命」に[]1字を加えて「伊耶那美神命(イザナミノカミノミコト)」と表記する。というのも「天照大御神」と表記すると、皇室の最高神の天照大御神の聖性をいちじるしく汚すことになるゆえ、『古事記』献呈は即座に拒否され朝廷に歯向かう反逆の史書となってしまうからである。
 天武(てんむ)・持統(じとう)・文武(もんむ)・元明(げんめい)4代天皇王朝は残虐な徇葬をおこなった天照大御神を伊耶那美命よりも優れる最も偉大な先祖であったと伝える偽書(ぎしょ)の作成を欲求した。
 そこで『古事記』編纂(へんさん)スタッフは偽書を作成したと見せかける策略(さくりゃく)を思いつき、「徇葬を陣頭指揮した天照大御神」を「伊耶那美神命」と表記することにした。しかし「伊耶那美神命」が「伊耶那美命」ではないことを示すため、『古事記』序の初頭に「陰陽ここに開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)となる」という文を配置した。この文は「陰の伊耶那美命と陽の伊耶那岐命の二霊が、わが国におけるすべての生みの祖()である」と意味する。したがって、編纂スタッフは、伊耶那美命のほうが天照大御神よりも偉大な先祖であると後世に伝えた。この文を注目して『古事記』上巻の記事を正しく理解する人物こそが“学者”である。したがって、「伊耶那美神命」は「天照大御神」であったことになる。
 倭女王から失脚した天照大御神が【日本建国の〔愛〕の理念】を呪い祟(たた)ると誓った千引石(ごとびき岩)の前の空洞には、現在、D図に示すように神倉神社の社殿が建つ。
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(C)2017 OHKAWA
 
 神倉神社の祭神は天照大御神である。だから、「残酷な徇葬を陣頭指揮した伊耶那美神命」は神倉神社の主神の「天照大御神」であった。したがって、『古事記』上巻に多数の仕掛けで「天照大御神よりも伊耶那美命のほうが偉大である」と示して――編纂スタッフは後世に真実の歴史を残した。
 これゆえ、編纂スタッフの策略を元明天皇は見破って即座に献呈を拒絶した。したがって、『古事記』は正史になれず、長年、皇室から憎悪・敵視されることになった。だから元明天皇が見破った策略すなわち「伊耶那美神命」は「天照大御神」であったと解釈できない白石以後の学者たちの意見は、誤読の空論であったことになる。
 現在の学者たちの意見は、命がけで真実の歴史を残した編纂スタッフが“そんなデタラメ、よくまあ考えるよ!”と涙を流して恨(うら)み……頭を抱えこんで嘆(なげ)く想定外のことであったのである。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 以上のごとく、学者たちは「誤読」を「文献批判」と名づけて、“誤読大明神”を信仰し【日本建国の〔愛〕の理念】を抹殺(まっさつ)する。学者たちは“騙(だま)されるほうが悪い! あかんべえー”と舌を出して、日本国民を愚弄(ぐろう)する。
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(C) 2017 OHKAWA

 しかし、われわれは“誤読大明神”を信仰する学者の子分ではない。われわれは「愛」から始まった歴史を誇りとする日本人である。伊耶那美命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】を失ったならば、われわれは“日本人”と呼べない。だから、われわれは学者たちに“あかんべえー”をして、学者たちの誤読の空論を暴(あば)かねばならない。

◆『古事記』は「日本国は〔愛〕の理想の基(もと)に起源した。皇祖の天照大御神は残虐な徇葬をおこなった」と記述する反逆の史書であった。このため、この事実を記述しない『日本書紀』は宮中で講義され正史としてよく読まれたのに対し、『古事記』は危険思想を養い朝廷への憎悪を生む書物と定められたので読む人も少なく人目をはばかってこっそりと隠れて読む禁書(きんしょ)となった。
 朝廷は720年に『日本書紀』が作られた直後から平安時代中期にかかる10世紀半ばころまで講書(こうしょ/『日本書紀』の講義)を幾度もおこなって、712年に成立した『古事記』上巻の史実を伝える文や語句を歪曲(わいきょく)し捏造(ねつぞう)する解釈方法を研究して史実の隠ぺいを謀(はか)った。
 この朝廷がおこなった隠ぺい工作を受け継いだ本居宣長(もとおりのりなが/17301801)が著作した注釈書『古事記伝』は、『古事記』が【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために作成された書物であることについてまったく語っていない。
 また現代の学者たちは宣長が著作した『古事記伝』をテキストにして、古代の歴史を研究する学問における最も初歩的な「先入観を排除して、真っ先に古文献を忠実に読解しなければならない」という心得・原則を無視する。
 『古事記』序を書いた太安万侶(おおのやすまろ)は、その序の冒頭で「臣安万侶、言(もう)す」と書いたあとに「それ混元(こんげん)すでに凝()りて、気象未(いま)だ効(あらわ)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)かその形を知らむ。しかれども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)をなす」という難解な文章で「銀河各部の形状を字源・字形・字義とする原初漢字の夏音(かおん)文字が、中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭/今から約4050年前)に伝来した。そして、夏音文字となった銀河を土器・土偶を作る芸術の神とした前期縄文時代・中期縄文時代・後期縄文時代初頭の参時代の伝統を受け継ぐ芸術家たちによって、中国から伝来した夏音文字は習得された」と語っている。
 ゆえに、『古事記』の序の後半部では「すなわち辞理(じり)の見えがたき」という文をもって「楷書(かいしょ)の字源・字形・字義は夏音文字と同じ銀河各部の形状から作られたゆえ、文字銀河各部が辞(文字と言葉)の原理となった」ことをあらわして、「文字作成銀河」を「辞理」と表記した。
 この「辞理」という語が登場する文の後に「楷書の日下(にちげ)と夏音文字の玖沙訶(くさか)は同義、楷書の帯(たい)と夏音文字の多羅斯(たらし)は同義である」とあらわす文を記して、「辞理」すなわち「文字作成銀河が夏音文字と楷書を正しく変換できる辞書であった」と証言した。
 『魏志』倭人伝にある「卑弥呼」の3字を「ヒミコ」と読むと夏音(夏音文字の字音)となる。『魏志』倭人伝の人名・小国名・官職名には多数の夏音文字が楷書で表記されて残った。
 『古事記』上巻には随所に〔音〕という注が付けられて多数の11音文字の夏音文字が楷書で表記されて残った。
 中国の正史『新唐書(しんとうじょ)』日本伝は――702年に中国に渡った遣唐使が「後稍(のちやや)夏音を習う」と述べた――と記す。この「後稍夏音を習う」という文は「672年におこった壬申(じんしん)の乱の後、稍(少し)夏音文字を復興することになった」と意味した。ゆえに、遣唐使が中国に渡った702年の10年後の712年に成立した『古事記』上巻には夏音文字が記載された。それというのも、皇祖の天照大御神は夏音文字の学芸を政権基盤として強大な権力を手に入れる大和朝廷の基礎を築き、また朝廷が強大な権力と最高の名誉を手に入れることができた政権基盤は夏音文字の学芸であったからである。ゆえに、天照大御神の聖性と朝廷の屋台骨(やたいぼね)と威厳(いげん)を示さんと欲する朝廷は、史書編纂(へんさん)スタッフに夏音文字をまったく記載しないでよいと指令することはできなかった。しかし多数の夏音文字を記載すると真実の歴史が明らかになってしまうので、朝廷は稍(やや・少し)だけ夏音文字を記載する歴史書の作成を欲求(よっきゅう)した。しかし、編纂スタッフは稍(少し)ではなく多数の夏音文字を『古事記』上巻に記載し、また前述したように安万侶に『古事記』序にて「文字作成銀河の各部の形状が夏音文字の字源・字形・字義であり、楷書の字源・字形・字義もまた文字作成銀河の各部の形状である漢字の秘密」を記述させて――後世の人々が真実の歴史を知ることができる仕組みにして『古事記』上巻を作成した。

◆前述したように本居宣長が著作した『古事記伝』は、朝廷が『日本書紀』を用いて研究した講書の隠ぺい工作をそのまま受け継いだ。現代の学者たちは宣長が著作した『古事記伝』を参考書にして誤った歴史観を頭脳イッパイにつめ込む。
 このため、現在の学者たちは『日本書紀』を正史と定めて朝廷が講書で研究した隠ぺい工作を受け継いだ。この結果(1)学者たちは『古事記』上巻の記事を忠実に読解しないで誤読することになり、(2)また彼らは、『古事記』上巻は伊耶那美命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために作られた歴史書であることにまったく気づかず、(3)このため彼らは『古事記』上巻における最高神は天照大御神と解釈し、(4)安万侶が序で真実の歴史を解明する方法」と語った上巻に多数記載された夏音文字や漢字が銀河各部の形状から作られた重大な秘密についてまったく研究しない。
 朝廷の講書の隠ぺい工作によって、『古事記』序が説明する「漢字は銀河各部の形状から作られた事実」が排除されたため、現在の学者たちはこの重大な事実に気づかない。
 だから、現在の学者たちの『古事記』上巻に関する解釈や意見は朝廷の講書の隠ぺい工作にしたがう虚偽・空想となった。
 また、このような事情に加えて新井白石が開発した〔誤読の立論方法〕をも受け継いだために、学者たちの解釈や意見は誤読の産物となった。
 白石は西洋の近代合理思考を取り入れて『魏志』倭人伝の記事に多数の〔誤読〕を加える立論方法を開発した。この多数の〔誤読〕を使って立論する方法を白石以後の学者たちは正当な考え方であると断定する。このため、『古事記』上巻には多数の〔誤読〕が加えられ、現在においては記事を忠実に理解する方法は誤っていると即座に否定されることになった。
 しかし、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の記事は直接的に結びついていた。このため、皇室は〔白石の誤読の害〕をおそれた。つまり〔白石の誤読の害〕によって『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に記載された夏音文字の学芸を政権基盤にして大和朝廷の基礎を築いた天照大御神の功績がゼロとなり、やがて夏音文字の学芸を屋台骨にした国家を繁栄させた皇室の存在理由も失われていずれ皇室は滅亡するのではないかと深刻に心配した。これゆえ、皇室は3世紀以来約1450年にも及ぶ【日本建国の〔愛〕の理念】を敵視・憎悪して排除する伝統を廃して180度方向転換する思い切った決断をした。
 『古事記』を長年脅威(きょうい)・危険視し続けた皇室は【日本建国の〔愛〕の理念】の復興を願う幕府のトップである将軍吉宗の協力を得て、白石の死後から13年後の115代桜町(さくらまち)天皇の元文3(1738)に大嘗会(だいじょうえ)を本格的に復興した。この大嘗会における天皇即位式に用いられる王冠で【日本建国の〔愛〕の理念】を表示することにした。ゆえに、天皇即位式の王冠の下の飾りは母親が子に乳を与える乳房の形をした水器(すいき/神棚にある神具)の蓋(ふた)を模(かたど)ることにした。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 だから、母親が子に乳を与える乳房を模る水器の蓋で厳重なタブーとして隠しつづけてきた【日本建国の〔愛〕の理念】を皇室は表示することにしたのである。
 したがって倫命(りんめい/人間として実行すべき使命)を重んじて、皇室は1738年の大嘗会を本格的に復興した際に真実の歴史を隠ぺいするに好都合であった『日本書紀』を正史から外(はず)して真実の歴史を伝えた『古事記』正史にして取り換えた。この重大な事実を学者たちはまったく気づかず、相変わらず『日本書紀』を正史であると思い込んでいる。
 伊耶那美命は熊野那智大社に祭られ、伊耶那美命は那智の大滝の精霊(せいれい)である。那智の大滝の正面には3種の神具が据えられ、上段中央は「牛頭天王(ごずてんのう)」と呼ばれる神具である。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 下段の左側の盤(ふね)の上には富士山の形をした神具と水器が載っている。
S43
(C) 2017 OHKAWA

 富士山の形をした神具は『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話に登場する富士山に間近い地に所在する静岡県沼津市の高尾山(たかおさん)古墳をあらわし、隣の水器はもちろん伊耶那美命が高尾山古墳で唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわした。だから、水器は【日本建国の〔愛〕の理念】を模る神具であったのである。
 2008年に発見された高尾山古墳はこのブログ「真実の日本国誕生史」シリーズの中心的遺跡となる。ゆえに、後の回で幾度か取り挙げて伊耶那美命と伊耶那岐命が結婚した式場であったことを証明する。H図に示す高尾山古墳の発見によって、『古事記』上巻の淤能碁呂島説話は230年ころから250年ころの歴史を伝えていることが科学的に明確に証明できるようになった。
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 1990(平成2)1122日・23日の大嘗会において、今上(きんじょう)天皇は【日本建国の〔愛〕の理念】を表現する天皇の王冠を頭上高々と掲(かか)げて即位した。
 したがって、天皇即位式に用いられる王冠は『古事記』上巻と『魏志』倭人伝に学者たちが仰山に加えた〔文献批判〕のほんとうの名は〔誤読〕であると明確に示す史料であった。ゆえに、〔愛〕の建国理念を削除(さくじょ)し葬った学者たちの意見は日本人を徹底的に侮辱するデタラメであったことになる。

◆次回は、『古事記』序が「真実の歴史が解明できる方法である」と記述した〔夏音文字と楷書は銀河各部の形状から作られた事実〕を証明することにする。
 このブログ初頭で取り上げた(1)〔上古では北極星がある方角を〔北〕と定めていたと断定して、『魏志』倭人伝の15ヵ所の記事は[]をキャッチする緯度測定を伝えていることに気付かないミス〕と同じく、次回〔真実の日本国誕生史・3〕で取り上げる(2)『古事記』序が「漢字が銀河各部の形状から作られた」と伝える事実を無視して学者たちが操(あやつ)る〔文献批判〕の正体は〔誤読〕であったことがいとも簡単に証明できることを明らかにする。
 このように上記の(1)上古における[]のキャッチの緯度測定(初頭に示したA図)と、(2)「漢字は銀河各部の形状から作られた」、この二つの事実によって学者たちの意見はまさしくごりっぱな〔誤読の空論〕であると断定できる。
 また、この二つの事実によって日本国は〔愛〕の理念を掲げて誕生した事実が科学的に証明できる。

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