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2017年6月 7日 (水)

真実の日本国誕生史・7

 ●卑弥呼王朝はなぜ創設されたか(2)

◆わがブログ「真実の日本国誕生史」が一貫して証明してきたように、『魏志』倭人伝の「倭の占いに用いる辞は令亀(れいき)の法のごとく」という文は「倭には殷代(いんだい)後半の亀の甲羅に刻む甲骨文字のような原初漢字があった」と証言するものであった。また「卑弥呼が文書に用いる文字は魏の都・帯方郡(たいほうぐん)・諸韓国の文書に用いる楷書と差錯(ささく/相違)していたが、倭の伊都(いと)国の港では点検し、確認して間違いがおきないようにしていた」という記述もまた、「わが国に原初漢字が伝来していた」と証言するものであった。この原初漢字は、今から約4050年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)にわが国に伝来した夏音(かおん)文字であった。夏音文字の字源・字形・字義は、下に示す〔文字作成銀河の各部の形状〕であった。
Ginga_2

  そして、魏の都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書の字源・字形の原形・原義もまた〔文字作成銀河の各部の形状〕であった。ゆえに、伊都国の港では〔文字作成銀河〕を〔字書・字典〕にして、卑弥呼が用いる夏音文字と魏都・帯方郡・諸韓国の楷書の字義が同義になるように変換していたことになる。
 中国においてもわが国においても夏音文字は、今から約5000年前の五帝時代初頭に生存した漢字作成原理を発明した倉頡(そうきつ)が反体制側の人々が文字を習得して革命に利用すると容易に王朝は滅亡すると心配して、「書いた文字が用済みになったならば直(ただ)ちに文字を消さない者あるいは消し忘れた者には神罰が下って即刻に死刑が下される」と定めた掟を厳重にまもった。これゆえ中国とわが国においても、夏音文字の文字資料は現在においても1点も発見されていない。
 今から約3300年前の殷代後半から出現した甲骨文字は上に示した倉頡の掟を最初に破ったゆえ、多数の文字資料が出土した。したがって、2世紀ころから出現した楷書は甲骨文字同様に書いた文字は用済みになった後も消さなくてよい文字であった。これゆえ、『魏志』倭人伝の人名・小国名・官職名などに用いられた夏音文字は楷書で表記された。『古事記』上巻の随所にも〔音〕という注が付いて楷書で表記されて夏音文字は多数残って現存する。
 だから、学者たちが「わが国が最初に漢字を習得したのは、5世紀か6世紀である」と主張する定説は〔誤読〕を駆使(くし)してデッチあげた真っ赤なウソである。

1725年に死去した新井白石(あらいはくせき)以後から現在までの学者たちは、『魏志』倭人伝に記述された方位はA図に示す北極星がある方角を〔北〕と定めた規定に従ったものと思いこみ――北極星がある方角を〔北〕と定める現在の日本地図を用いて立論する。
S141
(C) 2017 OHKAWA
 
 A図に示す北極星や天の北極は、上に示した文字作成銀河の外にある。だから、〔文字は文字作成銀河から作ると定めた夏音文字の学芸〕を政権基盤とした卑弥呼王朝は、文字作成銀河の外にある天の北極あるいは北極星がある方角を〔北〕と定めなかった。
 A図に示すように、卑弥呼が生存した2世紀末から3世紀半ばの北極星は、天の北極を中心にして半径約10度=直径約20度=直径約1200分の円を描いた。ゆえに、直径約1200分で円周する北極星で天の北極の高度を緯度に換算する方法では生存できずに道に迷って死亡したので、卑弥呼王朝は天の北極や北極星を重視するはずがなかった。
 B図の右上に示す[(げん)](天頂緯度線と子午線)をキャッチすると、1度の60分の11分の緯度を精確(せいかく)に測定できた。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 だから、当時の人々は1分の緯度差が測定できる[]をキャッチする眼力と技(わざ)を日々磨(みが)いていた。
 戦前まで“女の子は無事(ぶじ)に生まれるが、男の子は無事に生まれない”と母親たちが嘆くほど、男児の死亡率は高かった。ましてや、医術が発達していなかった2世紀や3世紀当時の男児の死亡率は、当然、女児よりも高かったことになる。
 さらに、無事に誕生し成長した男子には、日々の生活にあって[]をキャッチしなければならない機会が多かったので女子よりも死亡率が高かった。というのも、成長した男子たちは山に入って狩猟し海に入って漁労し、また遠くの地に旅して生活必需品を手に入れなければならなかったからである。これゆえ[]のキャッチに失敗しまたは不測の災難・事故に遭遇(そうぐう)して命を落として家族が待つ家に帰ることができなかった男子は多数いた。
 ゆえに『魏志』倭人伝には「倭では、大人(身分の高い人々)は四、五人の妻を持ち、下戸(げこ/身分が低い人々)でも二、三人の妻を有していた」という記事がある。この記事は、出産死亡率が高いうえにさらに[]のキャッチに失敗して死亡する男子が多数いたゆえ、おのずと成人男子は多数の妻帯者になったと伝えていることになる。

◆B図に示した[]をキャッチするには天頂点と重なる銀河部位をキャッチしなければならないゆえ、暗い銀河部までもよく見える眼力が必要であった。現在にあっても、13歳くらいの乙女たちは最も澄んだ瞳(ひとみ)を有するゆえ暗い銀河部まで見える優秀な目の持ち主である。だから、上に示した文字作成銀河の写真をわたくしに提供してくださった、わが国の天体写真の第一人者とされる藤井旭(あきら)氏は、時には13歳くらいの乙女を連れて写真撮影することがあると語った。
 卑弥呼が生存した当時、澄んだ瞳を有して[]をキャッチする呪術(じゅじゅつ)に長()けるしかも夏音文字の学芸を学習した13歳ころの乙女たちは「婢()」と呼ばれて尊重されていた。彼女たちは神聖視され、国々が攻め合う戦いにおいて敵の呪的(じゅてき)な戦力を奪う魔女となった。また、「婢」と呼ばれた13歳ころの乙女以外の呪術能力に優れる女性たちは、敵の呪的な戦力を奪う魔女となっていたことになる。というのも、中国の漢代には「媚蠱(びこ)」と呼ばれる呪術をおこなう巫女(みこ)がいて、彼女たちは敵の媚蠱の呪的な能力を奪うことができたとされていたからである。
 『魏志』倭人伝は「倭国では、もと男子が王であった。七、八十年前(西暦180年ころ)に倭国は乱れ、何年ものあいだ小国たちは互いに攻めて争っていた。そこで、男子を王とした小国群グループと女子を王とした小国群グループは相談して、一人の女子を大王と定めて男王グループと女王グループが共に立つ国家が創設された。この倭女王の名は卑弥呼という」と、卑弥呼王朝が創設された事情を説明する。
 前回のわがブログ「真実の日本国誕生史・6」でも証明したように、夏音文字の学芸に精通した卑弥呼が唱えたC図の転回日本列島地理によって、倭国の大乱は神の意思に反するものであるから神が激怒(けきど)していると解釈されたため、倭国の大乱は終息(しゅうそく)することになった。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 『魏志』倭人伝にある全部で15ヵ所の〔方位〕を書く記事に1点も〔誤読〕を加えなければ、C図のごとく日本列島の〔東〕は〔南〕に延びていることになる。というのも前回までわがブログ「真実の日本国誕生史」で科学的に証明したように、『魏志』倭人伝の全15ヵ所の〔方位記事〕は、「卑弥呼が日本列島の〔東〕は〔南〕の方に伸びると立論した」と証言するものであったからである。
 C図に示す卑弥呼が唱えた錯覚の転回日本列島地理を真っ先に“真実!”と思い込んだのが、呪術に長けた国々の「婢」と魔女たちであったであろう。彼女たちはC図の転回日本列島地理は神の激怒を示すものと解釈して、男王はじめ男たちに戦いの中止を口々に訴え、その声は戦争がおこなわれている国々の隅々(すみずみ)まで及(およ)んだ。
 『魏志』倭人伝には「卑弥呼は、婢を千人も侍(はべ)らせていた」という記事がある。
 「婢」は敵の呪的能力を奪う呪力の強力な持ち主であったゆえ、国々に婢が散らばっていたならば依然(いぜん)として倭の大乱は終息しない。ゆえに上の記事は「倭国を平定させるために、国々の婢は卑弥呼が居住する宮殿に集められた」と伝えていると考えられる。

◆わがブログ「真実の日本国誕生史・4」で詳細に解説したように、今から5000年前の五帝時代初頭の黄帝(こうてい)は、東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝えられる。黄帝は生命の神秘を解明せんとして女性の生殖器(せいしょくき)と出産の秘密を研究した。黄帝の医学研究は前人が着手して中国の最初の事業であったゆえ、女性の生殖器の各部の名称をあらわす文字が存在しなかった。ゆえに、黄帝につかえる史官(記録官)であった倉頡(そうきつ)が、黄帝の医学研究の成果をあらわす文字を作ることになった。
 倉頡は上に示した〔文字作成銀河〕から漢字を作成する方法を発明した。
 〔文字作成銀河の各部〕には、世界中さがしても名称が存在しない。そこで、下記のごとく私は各部の名称を定めた。
Photo
(C) 2017 OHKAWA
 
 〔歳差(さいさ)〕という天文現象を利用すると、黄帝時代に中国の天頂にめぐってきた銀河の状況が再現できる。D図に黄帝時代における陝西省(せいせいしょう)黄陵(こうりょう)県にある黄帝を祭る廟(びょう)と墓とされる黄帝陵・北緯3536分と、中国南部の海岸線近くにある北緯31度の太湖(たいこ)南岸の天頂緯度線を表示した。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 D図に示すように、上に示した文字作成銀河の各部の名称図の左上にある、わたくしが「十字の銀河」と名づけた銀河が中国の天頂にめぐってきた。
 E図に示すように、「十字の銀河の西半分」は〔子どもを生む女体〕に相似する。というのも「十字の銀河の西半分」には〔子に乳をさずける乳房〕、〔妊婦(にんぷ)のごとく円く突き出た腹部〕もあり、このおなかは〔乳房〕のようにも観え、また〔右足〕のようにも観える〔妊婦のごとく円く突き出た腹部〕は〔子宮(に観える部分)〕と重なるからである。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 倉頡は天頂にめぐってきた「十字の銀河」を〔文字作成銀河の各部から作られる(生まれる)すべての文字を生む母体〕と定めた。ゆえに、「十字の銀河の子宮」は〔すべての文字が生まれる子宮〕ということになった。
 したがって、F図 に示すように「文字」の[]の金文形はすべての文字を生む母体の「十字の銀河」を〔胎児がおなかにやどる妊婦の姿〕に表現した。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 G図に示すように、「十字の銀河」は[(べん)]の字源・字形・字義となり、〔出産した新生児〕に観える「鬼の姿に似る銀河」が下部の[]の字源・字形・字義となって、「文字」の[]が生まれた。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 これゆえ、夏音文字の学芸においては「すべての文字を生む母体の十字の銀河」と「すべての文字が生まれる十字の銀河の子宮」は最高の「神」と崇拝されて最も神聖視された。

◆上記したC図の左上にある玄界灘に浮かぶ沖ノ島には、九州北部の福岡県宗像(むなかた)市にある宗像大社の三宮のうちの沖津宮(おきつみや)が鎮座(ちんざ)する。
 H図に示すように、現在の宗像大社の中津宮(なかつみや)は宗像市の神湊(こうのみなと)海岸沖の大島に鎮座し、辺津宮(へつみや)は宗像市田島に鎮座する。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 しかし、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約(せいやく)説話は「沖ノ島に奥津宮(おくつみや)、田島に中津宮、大島に辺津宮が鎮座した」と記述する。したがって、沖津宮(奥津宮)の所在地は沖ノ島で変わらないが、現在の田島にある辺津宮が『古事記』のおける大島にある中津宮となって入れ違っている。
 『古事記』に記述された宗像大社の三女神を祭る三宮は、I図に示すように「十字の銀河」の各部に相当した。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 I図に示すように、『古事記』が記述する宗像大社における三女神は〔沖ノ島・奥()津宮〕を「十字の銀河の頭部」、〔田島・中津宮〕を肉眼で見える「M39」という名の明るい星が集まる散開星団(さんかいせいだん)がある「十字の銀河の胸部」に見立て、〔大島・辺津宮〕は「十字の銀河の子宮」に見立てるものであった。『古事記』は〔田島・中津宮〕を「十字の銀河の胸部」にある「M39」に見立てるゆえ、『古事記』の原文は「宗像」ではなく「胸形(むなかた)」と表記する。
 J図の右端に配する「十字の銀河の子宮」の形は、宗像の大島とC図に示した伊豆諸島の神津島の地宜(ちぎ/平面的に図化した地図の形)に相似する。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 C図の左側に示したように、宗像大社の沖津宮がある沖ノ島と神津島は同緯度(北緯3414)である。
 J図に示すように、現在の宗像大社の大島にある中津宮(『古事記』に記述された辺津宮)は北緯3354分、C図の転回日本列島地理における基点となった神津島の物忌奈命(ものいみなのみこと)神社は北緯3413分である。ゆえに、大島・中津宮と神津島・物忌名命神社の緯度差は、わずか19分である。
 J図に示すように、大島と神津島は日本列島の西端と東端に遠く離れて緯度差はわずか19分にして、両島の地宜は夏音文字の学芸で最も神聖視された「十字の銀河の子宮」の形に相似し、また両島の南北の地宜は互いに類似して神秘的である。
 そしてK図に示すように、冬に雪が降る冷たい気候区の沖ノ島は〔西冷〕、冬になっても雪が降らない亜熱帯地区の一年中暖かい神津島は〔東暖〕となった、そして、中国海岸線地域の北部は冷たい気候区であるから〔北冷〕、中国の海岸線地域の南部は暖かい気候区であるから〔南暖〕ということになった。冷たい気候区で合致する〔西冷〕の沖ノ島は中国の〔北冷〕となる海岸線地域の北部に位置する、暖かい気候区で合致する〔東暖〕の神津島は中国の〔南暖〕となる海岸線地域の南部に位置すると、卑弥呼は立論した。
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(C) 2017 OHKAWA
 

 J図に示すように宗像の大島と神津島の地宜は強大な神の威力を示す「十字の銀河の子宮の形」に相似し、I図に示すように宗像大社の三宮は強大な神の威力を示す「十字の銀河」から生まれたとものであるとされて転回日本列島地理を成立させる基点となった。だから、『魏志』倭人伝の15ヵ所の方位記事が伝える、C図に示す転回日本列島地理は神の激怒を示すことになったのである。

◆C図に示した錯覚の転回日本列島地理における〔東暖〕の基点となった神津島からは、現在も良質な黒曜石(こくようせき)が産出する。黒曜石は火山活動によってできた“黒いガラス”とされ、上手に刃をつけると石槍(いしやり)や鏃(やじり)はもとより、皮はぎや肉切り用の石包丁(いしほうちょう/石器)として利用された。神津島の黒曜石は良質であったために、関東地方一帯、東海西部(愛知県、静岡県)、近江(滋賀県)、北陸地方(石川県の能登半島)まで分布した。
 なんと神津島の黒曜石は約3万年前の後期旧石器時代から使用されていることが明らかとなり、縄文時代はもちろん卑弥呼や伊耶那美命が生存した後期弥生(やよい)時代の3世紀まで本土に運ばれて利用されていた。神津島から伊豆半島までは30km以上も海で隔てられ、神津島から石川県の能登半島までは直線距離で約400㎞もある。約3万年前の旧石器人たちは、B図に示した[]をキャッチする呪術能力を有していたために海を往来し、北陸の能登半島や滋賀県・近江などの遠い地から旅する人々も神津島の黒曜石を手に入れることができたのである。
 神津島の黒曜石を求めて海を往来した交通の事実について、学界は世界史上でも最古の海洋航海であると注目するが、その実態は未だ謎(なぞ)のベールに包まれて不明とする。
 人類は原始の時から、脳に[]をキャッチして精密に緯度を測定しようとする本能を有し、鍛錬(たんれん)すれば[]をキャッチできる眼力を有することができたのである。この神秘的な呪力によって、一団を組んで日々食料を求めて移動する原始の生活にあって、“道に迷った! 死ぬ!”と一気に一団がパニック状態におちいって悲観して一気に集団自殺へと急ぐことがなかったので、人類は滅亡しなかったのである。(なお、神津島の黒曜石の歴史が約3万年前から起源することは、インターネットで「神津島」と入力すれば知ることができる)
 A図に示す〔北極星や天の北極で緯度や方角を測定する方法〕では、人類は原始にあって滅亡したことになる。したがって、新井白石以後から今日までの学者たちのごとく、『魏志』倭人伝の記事を考えるときに北極星がある方角を〔北〕と定める日本地図を用いると、一気に〔誤読の空論〕・空想の世界へと真っ逆さまに転落することになる。
 卑弥呼が唱えた転回日本列島地理の基点となるC図左下にある神津島は、3万年前から人類は[]をキャッチして生存した歴史を示すものであった。それゆえ倭国の大乱で敵の呪的戦力を奪う役目についた国々の「婢」や「魔女」となる子宮を有する女性たちは、J図に示した「十字の銀河の子宮」の形をした神津島を注目した。
 だから、「十字の銀河の子宮」を最も神聖視した国々の婢や魔女たちは卑弥呼が立論した転回日本列島地理から天地の神は激怒していると解釈して平和を強く望んだのである。当時の戦争は婢や魔女たちの戦勝祈願の呪術の基(もと)におこなうものであったゆえ、彼女たちの職務放棄(しゅくむほうき)は、結局、戦争を終息させることになったのである。

◆L図に示すように、[]の古代字形は「天頂緯度線と[]をキャッチする(天頂緯度線をキャッチする)人の視線」を図案するものであった。
S161
(C) 2017 OHKAWA
 
 したがって、[]の字はB図に示した「[]のキャッチ」つまり「天頂緯度=観測地点の緯度は同緯度とする定理」をあらわした。そして、[][]の初文(最初の文字)にして原義は「神」であった。
 M図の右図に示すように[]の楷書形の字源銀河は、G図に示した[]の字源銀河図と同じである。[]の楷書形は「十字の銀河」を90度転回する[]とその下部に垂らす左右二本の帯(縦線)の中央に[]を加えて構成される。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 []の字は「斎(いつ)く」と読み、(1)「神につかえる。神に奉仕する」と意味するとともに、G図の字源銀河があらわす〔子を愛するイメージ〕にもとづき(2)「かわいがる。たいせつにする」を意味した。「斎(いつ)くし」は「厳し(いつくし)」と表記され、(1)「荘厳(そうごん)である。霊妙(れいみょう)である」、(2)「いかめしい。威厳がある」と意味することになった。
 前述したように []の字源は、G図の「子どもが生まれるイメージ」の銀河であったゆえ、子どもを生む生殖器を有する婢や魔女たちと密接に関わった。
 卑弥呼が女王に就任して統治(とうち)する国家の名は「倭」となった。
 N図に示すように、「十字の銀河」は〔イネ()〕に見立てられて[]の字は「十字の銀河の〔南〕にある禾(イネ)の穂は鬼の姿に似る銀河がある〔西〕の方に垂れる」と定められて成立した。
S163
(C) 2017 OHKAWA
 
 というのも、禾(イネ)の生育地は中国の〔南〕のD図に示した太湖南岸や揚子江地域であり、イネの種子である米を炊いて食する人々は海岸線の〔西側〕に居住したからである。ゆえに、D図に示した「十字の銀河」は〔禾〕に見立てられ、「鬼の姿に似る銀河」は〔炊いた米を食べる人々〕に見立てられ、N図が示すように「十字の銀河の〔南〕にある禾の穂は〔西〕の鬼の姿に似る銀河の口の方へ垂れる」と定められて、[]の字が作られた。
 そして、[]の下に〔女体〕に相似する「十字の銀河」の[]が加わって[]の字が生まれ、「十字の銀河」は「人の姿」に相似するゆえ人偏に[]が加わって[]の字が生まれた。
 N図に示した「十字の銀河の〔南〕にある禾(イネ)の穂は〔西〕の方に垂れる」という定義は[]の字義「南が西になって、方位が時計の針が進む向に90度転回する方位規定」をあらわすことになった。
 O図に、[]の字義「南が西になって、方位が時計回りに90度転回する方位規定」をあらわした。
S164

   O図に示すように、[]90度転回する方位規定にもとづくと、P図の右側の〔東〕は〔南〕に変位する。C図に示した日本列島の〔東〕は〔南〕となる。だから、卑弥呼が統治した国家名は「倭」となったのである。
 M図に示したように、[]という字は[][]の転回をして成立するものであった。

 []の字源・字形・字義は倉頡が発明した漢字作成原理で〔すべての文字が生まれる母体〕と定めた「十字の銀河」によって成立した。ゆえに、婢や魔女たちが[]の字源に合致する卑弥呼が唱えた転回日本列島地理は厳(いつく)し・荘厳な神の激怒を表示するものであると解釈することになったため――『魏志』倭人伝が「その国ではもと男子が大王であったが、七、八十年前から倭国は乱れ、何年ものあいだ国々は互いに攻め合った。そこでもと男子を大王としたグループと女子が率いるグループは共同で一人の女子を大王にした。この倭女王の名は卑弥呼という」と伝えるように倭の大乱は平定され、卑弥呼王朝が創設されることになったのである。

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