真実の日本国誕生史・9
●日本国誕生直後に作られた〔愛〕の地上絵(2)
◆このブログの初回「真実の日本国誕生史・1」から一貫して解説しているように、日本国は〔愛〕の理想のもとに誕生した。この【日本建国の〔愛〕の理念】は『古事記』上巻の伊耶那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)神話初頭の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話に書かれている。
『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話の冒頭は――ここに天(あまつ)神もろもろの命(みこと)一同は、伊耶那岐命と伊耶那美命に「この漂っている国を修理(しゅうり)して固めるようにせよ」と詔(みことのり)を下された――と記述する。
上記の文は――西暦230年、呉の皇帝孫権(そんけん)が1万の水軍を夷州(いしゅう)と亶州(たんしゅう)とに分かれる東鯷人(とうていじん)国に向けて遠征を決行した情報をいちはやく知った東鯷人国王は、呉軍と戦ってもまったく勝ち目がないと判断して倭国に属することにした。倭の卑弥呼王朝(天つ神もろもろの命)は、日本国と改称した旧東鯷人国へ軍王(いくさのおおきみ)の伊耶那岐命と女王に任命した伊耶那美命に「呉の遠征軍を撃退(げきたい)して、呉軍の来襲(らいしゅう)に脅(おび)えて生きた心地もなく不安定な精神状態になったまま漂っている倭国と小国・日本の人心を元通りに安定せよ」と命令して、新しく誕生した小国・日本に赴任させた――と、日本国誕生史を伝えるものであった。
上記した旧東鯷人国にして小国・日本が東日本(東海・関東方面)であったことは、わがブログ初回の「真実の日本国誕生史・1」の後半で証明した。そして、『古事記』の淤能碁呂島聖婚説話に記述された【日本建国の〔愛〕の理念】の証明については、このブログ「真実の日本国誕生史」のテーマであるから、当然、後の回でも幾度もくりかえしておこなう。
なお、中国の正史『三国志』呉書孫権伝は「呉の黄竜2年(230年)に、呉の1万の水軍が日本列島にある夷州及び亶州に遠征した」と記述する。
小国・日本の女王であった伊耶那美命は倭女王に就任した250年頃直後に没したと思われる。小国・日本の軍王であった伊耶那岐命は258年~260年頃に没したと考えられる。
A図は静岡県浜松市北区の細江町(ほそえちょう)の行政区域を示す地図の形であり、約1700年後の現在まで残った3世紀の遺跡である。この遺跡は伊耶那岐命の死去した直後の260年頃に着手して30年後の290年頃に完成した。
(C) 2017 OHKAWA
したがって230年頃に小国・日本が誕生した、その直後の約30年後に、伊耶那美命と伊耶那岐命と同じ時代に生存した人物が【日本建国の〔愛〕の理念】を後世に伝えるために、A図の1千万坪の大鳥の地上絵の作成を始めたことになる。
A図の地上絵は、『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約説話末部に「遠江国造(とおとうみのくにのみやつこ)の先祖の建比良鳥命(たけひらとりのみこと)」と記載された、遠江(静岡県西部)の豪族とその一族によって作成された。
ゆえに、わたくしはA図の大鳥の地上絵を「建比良鳥の地上絵」と呼んでいたが、2014年2月以後からは「卑弥呼の地上絵」と名前を変えた――なぜ「卑弥呼の地上絵」と改名したかについては、前回のわがブログ「真実の日本国誕生史・8」で説明した。
◆3世紀(220~280年)、中国はB図に示す魏(ぎ)・蜀(しょく)・呉(ご)の三国が争っていた。
(C) 2017 OHKAWA
前述した1万の軍が東鯷人国(小国・日本)へ遠征しようとした呉地には、B図に示すように浙江省(せっこうしょう)の会稽(かいけい/現在の紹興市)がある。
中国の正史『後漢書(ごかんじょ)』倭伝は東鯷人国について「会稽の海外に東鯷人国がある。二十余国に分かれており、また夷州と澶州(せんしゅう/上記した『三国志』呉書孫権伝の亶州)というぐあいに二つの地域に分かれる。(中略)。東鯷人国の人民は、定期的に会稽に到着して市(いち/交易)をおこなった」と記述する。
東鯷人たちが交易(こうえき)した会稽の北側は、杭州湾(こうしゅうわん)である。
わがブログ「真実の日本国誕生史・6」の後半で解説したように、C図に示す〔杭州湾の地宜(ちぎ/地図の形)〕は〔鳰(にお/水鳥のカイツブリ)の姿〕に見立てられて、「杭州湾」は[呼]の字源となった。
(C) 2017 OHKAWA
A図に示した卑弥呼の地上絵(細江町)の北隣は、今年度のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」のヒロイン次郎法師が居住した引佐町(いなさちょう)である。この引佐郷に、卑弥呼の地上絵を作成した建比良鳥命が居住した。つまり、NHKドラマのヒロインの井伊直虎は建比良鳥命の末裔(まつえい)であった。つまり、建比良鳥命は、井伊氏の祖先であった。
D図に示すように、引佐郷に居住した建比良鳥命は〔引佐郷の金指(かなさし)地区と井伊谷(いいのや)の地宜(地図の形)〕を〔鳰の横顔と浮巣(うきす)の形〕に設計した。というのも〔鳰の横顔と浮巣〕はC図に示した[呼]の字源の「杭州湾」をあらわすゆえ――東鯷人たちが定期的に交易した[呼]の字源「杭州湾」に面する会稽を領地とする呉の水軍の遠征によって、230年頃に小国・日本が誕生したと証言することができたからである。
(C) 2017 OHKAWA
C図に示した銭塘江(せんとうこう)の北岸は杭州(こうしゅう)市である。杭州市は浙江省の省都であり、物産豊かな美しい都市である。
E図は杭州のシンボル的存在の西湖(さいこ)である。西湖は杭州市街地の西南にあり、四季折々に美しく世界遺産となる。
(C) 2017 OHKAWA
E図に示すように、西湖南岸は〔鳰の頭の形〕に相似する。
内田清之助著『最新日本鳥類図説』(講談社発行)はカイツブリ・鳰について「水草の茎(くき)を支柱として、水面に草の葉茎等で浮巣をつくる」と指摘する。ゆえに、D図の下図に示した鳰の嘴(くちばし)の先端の尖(とが)った形と異なって、D図の上図の〔金指の西端・鳰の嘴(くちばし)の先端〕は〔水草の茎〕をあらわして垂直に切断された。
鳰はカモの仲間よりひと回り小さく、頻繁(ひんぱん)に水中にもぐる。われわれ人間よりもずっと長くもぐっていることができる。
杭州湾の形は鳰の形に観えるので、杭州湾は水中にもぐって姿が消えた鳰ではなく、「水中にもぐっていた鳰が水上にあらわれて息を吐(は)く姿」と定義された。というのも、C図が示す〔銭塘江の河口からは水と土砂が吐き出される〕からである。ゆえに、この定義にもとづき“字書の聖典”と尊重される『説文解字(せつもんかいじ)』は[呼]の字源を「息を外(は)くなり」と解説する。
だから、伊耶那美命と伊耶那岐命と同時代に生きた建比良鳥命は〔呉軍の遠征によって東鯷人国が滅亡し、小国・日本が誕生した〕と証言するために、〔呉軍の国を代表する有名な名勝地の西湖(E図参照)がある杭州市〕をD図のごとく〔引佐町の金指・井伊谷の地宜〕を〔嘴に水草の茎をくわえる鳰と浮巣の形〕にして表現したのである。
なお、「杭州」と地名は隋代(ずいだい/589~618年)に初めて称された。ゆえに、3世紀に生存した建比良鳥命は日本国誕生史を証言するために〔金指の地宜における鳰の嘴を水草の茎をくわえる形〕にしたことになる。他方、隋代において「鳰の浮巣の支柱となる水草の茎」を「杭」と見立てて「杭州」あるいは「杭州湾」という地名が生まれたのである。
◆F図に示すA地点は、卑弥呼の地上絵における経緯度原点地である。
(C) 2017 OHKAWA
西湖は銭塘江の北岸側にあるのに対して、A地点は都田(みやこだ)川の南岸にあって相違する。しかし、G図に示したように杭州市中心街の西南に西湖があるのと同じく、F図に示すようにA地点は〔鳰の横顔と浮巣の形となる引佐町の金指・井伊谷〕の西南にある。
(C) 2017 OHKAWA
ゆえに、〔金指・井伊谷〕を〔杭州市中心街〕、〔A地点〕を〔西湖〕に見立てる方法をもって、建比良鳥命は「呉軍の遠征によって小国・日本が誕生した」と歴史を伝えることにしたのである。
わがブログ「真実の日本国誕生史・3」で詳細に証明したように、また以後前回まで一貫して解説してきたようにわが国には今から約4050年前の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に、原初漢字の夏音(かおん)文字が伝来した。夏音文字は『魏志』倭人伝の人名・小国名・官職名に用いられて楷書で表記され、『古事記』上巻の随所にも[音]という注が付いて多数の夏音文字が楷書で表記されて残った。
F図の〔卑弥呼の地上絵の大鳥の横顔〕は「夏至の日の出の方角(29度の東北)」を向き、その「夏至」から「夏音文字」を示して「わが国は夏音文字を習得した」と伝えている。
「銀河」の別名は「銀漢(ぎんかん)」であり、「銀漢から作られた字」を略して「漢字」と称された。したがって、「漢字」という語は「すべての漢字は文字作成銀河の各部の形状から作られた」と伝えていることになる。つまり、漢字を発明した倉頡(そうきつ/今から約5000年前の五帝時代初頭に生存した)が考案した書契(しょけい)はじめ、約4050年前にわが国に伝来した夏音文字、今から約3300年前の殷代(いんだい)後半に出現した契文(けいぶん/甲骨文字)、今から約3050年前の西周初頭に出現した金文(きんぶん)、今から約2400年前から始まる戦国時代に出現した大篆(だいてん)と小篆(しょうてん)、今から約2200年前の秦(しん)代に出現した隷書(れいしょ)、そして約1900年前に出現した楷書など、すべての漢字は文字作成銀河の各部の形状から作られたことになる。
上に列記したすべての漢字の字源・字形・字義は、下に示すわたくしが「文字作成銀河」と呼ぶ各部の形状から生まれた。
世界中さがしても、すべての漢字が作られた文字作成銀河の各部には名称が無い。それゆえ、わたくしは下記のごとく各部の名称を定めた。
(C) 2017 OHKAWA
上に示す〔文字作成銀河各部の名称図〕における右下の「夏の銀河の西南部」は金色(こんじき)に輝く。この「金色に輝く夏の銀河の西南部」から、D図の上図における「金指」という地名が生まれた。というのも、H図のごとく「金色に輝く夏の銀河の西南部」は「金色に輝く親指を立てる拳(こぶし)の形」に観えるゆえ、略して「金指」となったからである。
(C) 2017 OHKAWA
I図に示すように、杭州市の北にある「太湖(たいこ)」の地宜は〔象の姿〕に相似する。
(C) 2017 OHKAWA
前回のわがブログ「真実の日本国誕生史・8」でも指摘したように、J図に示す文字作成銀河の南半分における「“金指”という地名にした夏の銀河の西南部からわし座の主星・彦星までの銀河」は〔象の頭と鼻の形〕に相似する。
(C) 2017 OHKAWA
ゆえに、K図に示すように卑弥呼の地上絵の西部は〔象の頭と鼻の形〕に設計された。
(C) 2017 OHKAWA
だから、前述したように卑弥呼の地上絵における〔経緯度原点のA地点〕は〔西湖〕、〔金指・井伊谷〕は〔杭州市街地〕をあらわす方法で日本国誕生史が保存されたことになる。
◆2008年、中国の戦争史で有名な赤壁(せきへき)の戦いがあった。
2009年5月と9月に、巨匠ジョン・ウーが監督する映画「レッドクリフ」の1部と2部が上映された。この映画名は「赤壁」を英語で「レッドクリフ」とよぶことにしたものであり、赤壁の戦いを克明(こくめい)に描いた。この映画が描いたとおり、80万の曹操(そうそう)が率(ひき)いる魏の大軍は、一夜にして2万の呉の水軍によって壊滅(かいめつ)した。
40万の魏の大軍に匹敵(ひってき)する1万の呉の水軍が、赤壁の戦いから22年後の230年、卑弥呼が治める倭国の隣国の東鯷人国への遠征を決行したのである。この情報をいちはやく知った東鯷人国王は無敵艦隊の呉軍と戦っても勝ち目はまったく無いと判断して、東鯷人国の独立をあきらめて倭女王卑弥呼に倭国に属すると誓い、東鯷人国の防衛を取りつけたのである。これゆえ、卑弥呼が率いる巫女(みこ)界を代表して日本国の女王に伊耶那美命が選ばれ、日本国防衛の軍王に伊耶那岐命が選ばれて赴任(ふにん)することになった。また、旧東鯷人国と関係した倭国の各地から多数の兵(若者)たちが小国・日本の防衛のために派遣された。
この小国・日本は、わがブログ初回「真実の日本国誕生史・1」で証明したように、L図に示す東日本であった。
(C) 2017 OHKAWA
M図に示すように、呉から日本列島までの大海の道(ルート)は二つある。
(C) 2017 OHKAWA
杭州湾から出港して台湾に到着し、M図に示す「南西諸島ルート」を北進して南九州に上陸して呉軍が東鯷人国へ目指すと、多数の倭の小国と戦って中央突破した後に東鯷人国とも争って、また元の道をたどって多数の倭の小国と戦いながら帰還しなければならない。このように呉軍は、いつも“袋の中のネズミ”のごとく敵軍(倭の多数の小国軍と東鯷人国軍)に包囲されて戦うことになる。このような兵の消耗(しょうもう)がはなはだしい愚劣(ぐれつ)きわまりない作戦を、中国史上最高の軍事戦略家と評された蜀の名臣・諸葛孔明(しょかつこうめい)と互角(ごかく)にわたりあった英才(えいさい)孫権が考えるはずがない。
M図の下に記した「伊豆諸島ルート」、すなわち台湾→与那国(よなぐに)島→石垣(いしがき)島→宮古(みやこ)島→北大東(きただいとう)島・南大東島が所在する広大な太平洋→火山列島の南硫黄(みなみいおう)島・硫黄島→小笠原(おがさわら)諸島→伊豆諸島→小国・日本(東海・関東地方)に到着する大海の道ならば、呉軍は倭地をまったく通過しないで直接に東鯷人国に到着できる。
したがって、呉の遠征軍は東日本に至る伊豆諸島ルートを水行しようとしたことになる。
上記した東鯷人国について記述する『後漢書』倭伝の記事のうちで「中略」と部分には「秦の始皇帝(しこうてい)の時代(紀元前3世紀)に、方士(ほうし)の徐福(じょふく)が童(どう/青年)男女を数千人率いて海に入ったが、始皇帝が探して来るように求めた〔蓬莱(ほうらい)の神仙(しんせん)の不老不死の霊薬(れいやく)〕を発見できなかった。徐福は死刑になるのをおそれて帰国せず、東鯷人国に定住した。この子孫が、現在(3世紀)、数万軒となっている」という記述がある。
上記の『後漢書』倭伝に記述された「徐福一行が不死不老の霊薬を求めた蓬莱山」は、N図に「蓬莱山」と記した静岡県沼津市の旧称が足高山(あしたかやま/現在の愛鷹山)であった。沼津市はL図に示した小国・日本西端の旧国駿河(するが)に所在する。
(C) 2017 OHKAWA
これゆえ呉軍は蓬莱山(足高山)を目指して遠征してくる公算大とした日本軍は足高山に精兵部隊を集結させ、蓬莱山の麓に天と蓬莱山を祭って勝利を祈願して伊耶那岐命と伊耶那美命が結婚するためのお堂・封土(ほうど/盛り土)である高尾山古墳を築造したのである。
◆上記した『三国志』呉書孫権伝は「東鯷人国への遠征についた1万の呉軍は、8割から9割の兵を失って壊滅(かいめつ)した」と伝える。
また『後漢書』倭伝が東鯷人国についての記事末部で「所在(しょざい)絶遠(ぜつえん)して往来(おうらい)すべからず」と記すように、「呉の会稽で市(交易)をするために東鯷人が往来する大海(広大な太平洋)の道は、中国人にとって(もちろん、呉の遠征軍にとっても)途中で道が絶え、東鯷人国は遥(はる)かに遠くに所在するため、往来できなかった」のである。
司馬遷(しばせん)著『史記』天官書(てんかんしょ)は「紀元前1世紀、シナ天文が完成した」と伝え、その〔天官書〕の冒頭で「天極(てんきょく)星の中の一つの明るい星は太一(たいいち)といい、太一神がいつもいるところである」と説明する。この「天極」は「北斗七星」であり、「太一」は「こぐま座β星」である。こぐま座β星は紀元前1世紀から3世紀ころまで天の北極に最も近い明るい星の帝星(ていせい)であり、太一神(こぐま座β星)はシナ天文において天を主宰(しゅさい)とする神とされ、最も重視された。
したがってシナ天文が完成した紀元前1世紀以後から呉軍が日本列島へ遠征した230年まで約320年間も、中国ではシナ天文が栄えて大海を往来できる〔[玄]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬(たんれん)する慣習〕が廃(すた)れていたのである。
わがブログ初回「真実の日本国誕生史・1」から今回まで幾度なく詳細に解説し証明したように、O図の右上に示す〔[玄](天頂緯度線・子午線)をキャッチする方法〕ならば精密に緯度が測定できて大海を往来できた。
(C) 2017 OHKAWA
いっぽう、北極星(こぐま座β星)では緯度が全然測量できない。したがって、この方法だと大海に入った人々を位置(緯度)も方角も不明となり漂流して命を失った。
呉の遠征軍は[玄]をキャッチして大海を渡ろうとしたであろうが――約320年間も〔[玄]をキャッチする眼力と技を鍛錬する習慣〕が廃れていたために、にわかに訓練(くんれん)した状況では[玄]をキャッチできる呪力(じゅりき)を身につけることはできなかった。だから、呉の遠征軍は伊豆諸島ルートを征服できずに壊滅したのである。
上記した『後漢書』倭伝の〔東鯷人国についての記事〕に登場する「方士の徐福一行」は、シナ天文が完成しない紀元前3世紀に生存した。したがって、徐福一行は日々〔[玄]をキャッチする眼力と技〕を鍛錬していたゆえ、大海に入って日本列島に到着できた。また徐福の職名「方士」は「[玄]のキャッチで緯度を精密に測定して方位を正しく計測できる天文士・呪術師(じゅじゅつし)」であったことになる。
◆上掲(じょうけい)した〔文字作成銀河の各部の名称図〕の右側中央に、「ヘルクレス座α星」と「へびつかい座α星」の位置を表示した。
へびつかい座は、J図の〔親象の頭の形〕に相似する「夏の銀河の西南部」に漬(つ)かる。へびつかい座の、肉眼(にくがん)で見える光度6.5等までの星の数は970個の多きに達するという。ヘルクレス座の光度6.5等までの肉眼星は191個という。
P図に示すように、3世紀においてへびつかい座θ星は-赤緯(せきい)21度(南緯21度の天頂)、ヘルクレス座η星は+赤緯42度(北緯42度の天頂)であったので、[道]の字源となった両星座内の星たちは南緯21度から北緯42度までの緯度を示す基準となった。
(C) 2017 OHKAWA
したがって東鯷人たちは[玄]をキャッチする眼力と技を鍛えていたから、P図の[道]の字源となったへびつかい座・ヘレクレス座内の星たちを羅針盤(らしんばん)にして精確(せいかく)に緯度を測定して、M図に示した伊豆諸島ルートを往来することができた。
だから、P図に示す[道]の金文形中央は「へびつかい座・ヘレクレス座」の図案であった。
P図の[道]の金文形の左右両端に二分された図書は、Q図に示す[行]の図案である。[行]の字義は「陸地を歩く。水行(すいこう)する=航海する」である。
わが国の中国古代文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統(じとう)』(平凡社発行)は[行]の契文(けいぶん/甲骨文字)の字形と金文形を「十字路の形」と解説する。したがって、〔十字路の形〕に相似する「十字の銀河の胸部」が[行]の字源となる。
(C) 2017 OHKAWA
その証拠に、R図に示す[道]の字源銀河のうちの「オス鹿の角(つの)」は「十字の銀河」を図案するものである。ゆえに、「オス鹿の角」の左右両端に二分された図書は〔旅人が天頂緯度を測定した観測地点における東・西・南・北の四方角(つまり十字路)〕をあらわした。
(C) 2017 OHKAWA
ゆえに、P図の[道]の左右両端は「陸地を歩く。水行する」を字義とする[行]であった。
P図の「へびつかい座・ヘルクレス座」は、S図の左図に示す星座盤(せいざばん)と同じ〔右東・左西の形式〕ではない。S図の右図のごとく星座盤の形を裏返してR図の[道]の字形と同じく〔右西・左東の形式〕にしたのが、P図の[道]の金文「へびつかい座・ヘルクレス座」の形式である。
というのもP図とR図の[道]の字形が示すように、すべての漢字の字形は〔右西・左東の形式〕で統一されているからであった。
前述したように、「へびつかい座」はJ図の〔親象の頭の部分〕となる「夏の銀河の西南部」に漬(つ)かる。このこともあって、P図・S図に示した[道]の金文形における「へびつかい座」の図案は〔遠い道のりを歩く頭でっかちの仔象(こぞう)の姿〕に観える。「ヘルクレス座」は〔仔象の後を追って歩く人〕のごとくに観える。
ゆえに、K図に示した卑弥呼の地上絵の西部の〔象の頭と鼻の設計〕は、呉軍の遠征によって日本国が誕生した歴史を伝えるため、東鯷人たちが呉の会稽に至るときに羅針盤にしたP図の「へびつかい座」が〔遠い道のりを歩く頭でっかちの仔象の姿〕」に相似すると見立てられた秘密をも伝えるものであったと考えるべきことになる。
というのも、I図に示した太湖の地宜における象の鼻とK図の卑弥呼の地上絵西部の象の鼻とP図のへびつかい座の象の鼻は、三者とも南に向いて垂れているからである。また、I図の太湖の地宜とP図のへびつかい座は共に〔歩く象の姿〕に観えるからである。
以上のごとく、A図の卑弥呼の地上絵は日本国誕生史の秘密を詳細に証言する遺跡であった。
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