真実の日本国誕生史・17
●愛、高らかに日本国は誕生した(6)
■美斗のまぐはひと淤能碁呂島聖婚説話
◆わがブログ「真実の日本国誕生史・12」では『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話を【その一】【その二】【その三】【その四】と四つに分けて、それぞれ現代語訳をおこなった。
この現代語訳においては、わたくしは学者たちのごとく――本居宣長(もとおりのりなが/1730-1801)が著した注釈書『古事記伝』を教科書としない。
わたくしは淤能碁呂島説話の記事を忠実に読み、また所々にある〔音〕という注が付く「夏音文字」と楷書の字源・原義を解明して、あるいは遺跡・遺物などをも利用して、前々回のブログ「真実の日本国誕生史・15」までにおいて、毎回、【その三】までの記事が伝える真実の日本国誕生史を次々と解明してきた。
今回から、【その四】の記事を四つ(A・B・C・D)に分けて、日本国誕生史を解明する。
前回の「真実の日本国誕生史・16」では、秋田県の鹿角(かづの)市に所在する――紀元前2050年頃の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に作られた大湯環状列石(おおゆかんじょうれっせき)の万座遺跡・野中堂遺跡をもってわが国に夏音(かおん)文字が伝来し習得された事実を証明した。また、静岡県浜松市北区の細江(ほそえ)町の行政区域を表示する地図の形として現存する、わたくしが「卑弥呼の地上絵」と名付けたちょうど1千万坪の大鳥の形をした夏音文字の学芸遺跡をもって、卑弥呼と壱与(いよ/伊耶那美命)が生存した3世紀(260~290年)、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に記載されている夏音文字の学芸が実在したことを科学的に証明した。
今回は【その四のA】に登場する「美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)」の7字の字源・原義の解明をテーマとする。
『古事記』上巻は「美斗能麻具波比」に「此の七字は音を以てす」という注を付けて、「この7字は夏代初頭に中国からわが日本列島に伝来して習得された夏音文字の語である」と指摘する。この〔夏音文字の学芸がわが国に存在した事実〕を、太安万侶(おおのやすまろ)は『古事記』序にて首尾一貫して説明する。にもかかわらず、この安万侶が説く歴史の解明方法の証言を宣長が著した注釈書『古事記伝』と同様に、学者たちは徹底的に無視し抹殺(まっさつ)する。したがって、学者たちは淤能碁呂島聖婚説話が証言する日本国が誕生した歴史をまったく解明することができない。
要するに、学者たちの意見・解釈は〔誤読の空論、空想〕、これが実体である。
わがブログ「真実の日本国誕生史・12」にて、【その四・A】の初頭部を下記のごとく現代語訳した。
――そこで伊耶那岐命は「それならば、我とおまえはこの天之御柱(あめのみはしら)を行き廻(めぐ)り逢(あ)って、呉の遠征軍に勝利するための聖なる結婚式をしよう」と述べた。このように約束して、伊耶那岐命は「おまえは右から廻って逢いなさい。我は左から廻って逢おう」と指示した。
「美斗能麻具波比」という7字の夏音文字の語を、わたくし上記したように「呉の遠征軍に勝利するための結婚式」と訳した。
◆わがブログ「真実の日本国誕生史」がいままで証明してきたように、伊耶那岐命と伊耶那美命が「美斗能麻具波比」をおこなう結婚式場は、2008年に発見された静岡県沼津市の東熊堂(ひがしくまんどう)に所在する、A図に示す高尾山(たかおさん)古墳であった。高尾山古墳は230年~250年ころに作られた遺跡であると推定された。高尾山古墳は東日本(東海地方と関東地方)における最古で最大の古墳である。
(C) 2017 OHKAWA
前回のブログ「真実の日本国誕生史・15」で解明したように、B図に示す垂直に立つ柱が「天之御柱」であった。
(C) 2017 OHKAWA
【その三】の初冒部では「天之御柱を見立て」と記述する。だから、わがブログ「真実の日本国誕生史・14」で解明したように、結婚式場となった高尾山古墳には「天之御柱」は、この時には立っていなかったことになる(ただし、来襲する呉軍を撃破して伊耶那岐命と伊耶那美命の任務が成就した時には、天之御柱は立てられることになっていた)――このため、伊耶那岐命と伊耶那美命は、高尾山古墳にB図のごとく天之御柱が立つ姿を見立てて(想像して)、「美斗能麻具波比」の結婚式をおこなったことになる。
したがって【その四・A】にも「天之御柱」が登場するが、高尾山古墳には天之御柱は立ってはいなかったゆえ――伊耶那岐命は「天之御柱がいずれ後日に立つと定まる地点で、おまえと交差するように通過して廻り逢おう」と指示したことになる。
C図に示すように前方墳と後方墳の連結部分の中央に、天之御柱は立てられることになっていたと考えられる。
(C) 2017 OHKAWA
「天之御柱」の「天」においては、大半の銀河と多数の星が輝いている〔南〕を正面とする。ゆえに、C図に示すように、二人は前方墳の南端に立ち、伊耶那岐命は〔南〕を正面とした方位規定にもとづいて「おまえは(後方墳の南端)の右(つまり西側)から出発し、天之御柱が立つことになる地点には後から到着するようにして〔東〕へ向かうように廻って逢いなさい。我は左(つまり東側)から出発し、天之御柱の地点をお前より先に通過して〔西〕へ向かって廻り逢うようにする」と指示したと推測される。
というのも、この結婚式は呉の遠征軍との戦いにおける勝利を祈願するものであったゆえ戦争は男性が主役となる観点からして、また【その四のB】の記事では――伊耶那岐命は「女が男より先に唱えたのはよろしくない」と述べた――と記述している観点からしても、天之御柱が立つ予定地点で交差する時には伊耶那岐命が前に・伊耶那美命が後に遅れて通過するように、式次第は定まっていたと考えられる。
そして二人が廻り逢って向かい合った場所は、C図における高尾山古墳の後方墳中央の主体部であったと考えられる。
D図に示すように、主体部内の西側から33点の鉄の鏃(やじり)が集中して発掘された。したがって、C図に示したように、鉄鏃は弓を射る伊耶那岐命を象徴するものゆえ、鉄鏃(てつぞく)が埋められた地点に近い、主体部外の西側の地点に伊耶那岐命は立って伊耶那美命の到着を待って逢ったと考えられる。主体部内の東側からは、後漢製の破砕鏡(はさいきょう)が発掘された。この破砕鏡は伊耶那美命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】をあらわす遺物であった。ゆえに、伊耶那美命は破砕鏡が発掘された地点からほど近い主体部外の東側に立って伊耶那岐命と向かい逢ったと考えられる。
(C) 2017 OHKAWA
(注 高尾山古墳から出土した破砕鏡は伊耶那美命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】あらわす遺物であることは、このシリーズより以前におこなった「日本国誕生史の復興」というブログにおける16回~19回で詳細に証明した。また、次回で解説し証明する)。
◆C図に示したように、伊耶那岐命と伊耶那美命の廻り逢う状況は[X]字状に交差する。
伊耶那岐命が指示した「めぐる」という言の原文に用いられる字は[廻]である。
したがって、[X]字状の交差は「廻る」すなわち「渦を画く」または「円形を画く」ものと表現できないが――なにゆえ「廻る」と表現したのであろうか。
それというのも〔二人の[X]字状の交差〕は、E図の中央図に示す[規(き)]の「円を描くコンパス」をあらわすものであったから、「廻る」と表現されたのである。
(C) 2017 OHKAWA
わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統』(平凡社発行)は、E図の右側の[粛(しゅく)]の字について――聿(いつ)と規(き)の形に従う。規は、いわゆる「ぶんまわし」の形で、円形を画くのに用いる――と解説する。
だから、〔[X]字状の交差〕は[規]の字源・原義の「円形を画くコンパス」をあらわすものであったゆえ「廻る」と表現されたのである。
卑弥呼や伊耶那美命が生存した3世紀には銅鐸(どうたく)が製作されていた。銅鐸の身(み)に刻まれた文様を代表するものに、F図の左図の「双頭渦文(そうとうかもん)」がある。
(C) 2017 OHKAWA
F図の右図の[規]の「コンパス」の契文形(けいぶんけい/甲骨文字の字形)を90度転回すると、F図の左図の「双頭渦文」に類似する。したがって、双頭渦文の「渦」は「廻る」という語をあらわすものであったことになる。
「美斗能麻具波比」という語が登場する、その少し前の【その三】末部において伊耶那岐命は伊耶那岐命に向かって「国土(くに)を生み成(な)さむ」と述べている。この言葉の中に登場する「生み」は「出産」と同義となる。
G図に出産する(胎児が生まれる)時の胎児の様子を示した。
(C) 2017 OHKAWA
G図の上図の出産第1期の開口期(かいこうき)では、子宮頸管(しきゅうけいかん)がひろがって子宮口(しきゅうこう)が開いていくと、胎児の頭は上部では左右が広く下部では前後のほうが広い骨産道(こつさんどう/骨盤の産道)に応じて向きを変えて、つまり渦を巻くように通る。正常の分娩(ぶんべん)の場合には骨盤入口の上では胎児はアゴを胸につけた姿勢で胎児の背中は母体の左または右にある。中ほどに来ると、G図の上図に示したごとく胎児の頭は斜め後ろ(母体の背側)に顔を向け、出口では顔をすっかり後方に向ける姿勢となる。
出産第2期の娩出期(べんしゅつき)では、骨盤の出口に近くある胎児の頭が母体の直腸を圧迫するので自然に怒責(どせき/大きな声を出していきみ、きばる行為)がおこり、腹圧(ふくあつ)が加えられる。陣痛(じんつう)と腹圧との力で胎児の頭はますます押し下げられ、ついに陣痛が発作(ほっさ)するときには膣口(ちつこう)から胎児の頭が見えるようになる。さらに進んで胎児の頭の最も大きい部分が膣口を通過しようとするときに、胎児の頭はふたたび母体の左または右を向くが、これは肩の部分が骨盤出口を通るためである。G図の下図に示したような姿勢になると、胎児の肩はまず上(母体の腹側)にあるほうから先に、次いで下(母体の背側)の肩が出るように胎児の体は渦を巻くようにして、一気に生まれる。
このように「産道を通過する際、胎児の頭が渦を巻いて生まれる」状況が「美斗能麻具波比」の内の「麻具波比」であり、F図の左図の「双頭渦文」の図案となったのである。
出産する胎児は[麻]の糸を束ねた紐(ひも)ような臍(へそ)の緒(お)とともに渦を巻くように頭を回転して産道を通過し、その産道の壁には貝殻に具(そな)わるミゾがあり、“字書の聖典”と尊重する『説文解字(せつもんかいじ)』が[波]の字源を「水涌(わ)きて流るるなり」と解説するように産道には羊水(ようすい)が流れ胎児の通過を容易にし、G図に示した「開口期と娩出期の胎児の姿」は[比]の字源・原義となった。だから、「羊水が流れる産道を、渦を巻くように頭を回転させて生まれる胎児の姿」は「麻具波比」という夏音文字4字の語となり、「麻具波比」は「双頭渦文」の図案であらわされることになったと考えられる。
白川静著『字統』は、[美]の字源を「羊の全形。下部の大は、羊が子を生むこと羍(たつ)というときの大と同じ意で、羊の後脚をも含む形である」と解説する。
しかし、[美]の字源は、H図に示す「女性の生殖器(せいしょくき)の正面形」であった。「子宮」は「羊の正面の顔」に、「卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)」は「羊の角(つの)」に、「卵巣(らんそう)」は「羊の耳」に相似する。子宮で育った胎児は大きく育って産道から出産する。だから、[羊]に[大](産道を通過する大きく育った胎児)が加わった[美]の字源は「女性の生殖器の正面形」であったことになる。
(C) 2017 OHKAWA
白川静著『字統』は[斗]の字源を「柄(え)のあるひしゃくの形。(中略)。北斗七星は、その形が斗の器形に似ていることから、名をえている」と解説する。
I図に示す〔女性生殖器の側身形〕における「子宮」が「ひしゃく」、「産道」が「ひしゃくの柄」となった。ゆえに、[斗]の字源は「子宮と産道」であった。
(C) 2017 OHKAWA
というのも、わがブログ「真実の日本国誕生史・4」で詳細に解説したように、紀元前3000年頃に黄帝につかえた倉頡(そうきつ)は、それ以前の三皇時代には黄帝が研究した〔女性生殖器と出産の研究〕をあらわすことができる文字が考案されていなかったので、倉頡が文字(漢字)を発明することになった。このため、五帝時代の倉頡文字はじめ夏音文字や6世紀に完成した楷書までの全漢字において、黄帝が研究した〔女性生殖器と出産〕を基本にした思考によって多数の文字が考案され生まれた。だから、[美]は[羊]に[大]を加えて形成された字ではなかった。倉頡は黄帝の「女性生殖器と出産」の研究成果を漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕に取り入れて発明したゆえ、漢字作成原理となった黄帝が研究した「女性生殖器」が[美]の字源・原義であったのである。したがって、「美斗能麻具波比」は黄帝が研究した〔女性生殖器と出産〕の状況をあらわす語であったことになる。
要するに「美斗能麻具波比」の7字の夏音文字の語は、漢字作成原理となった黄帝が研究した「女性の生殖器と出産」をあらわした。
◆わがブログ「真実の日本国誕生史」はこれまで幾度となく「漢字は銀河の子、銀漢の子、銀漢から作られた字」であるから、これを省略して「漢字」と呼ばれた秘密を証明してきた。“漢字の始祖”と崇拝された倉頡が考案した五帝時代の倉頡文字から6世紀の隋代(ずいだい)に完成した楷書までのすべての漢字は、下に示す銀河(「銀漢」ともいう)の範囲の各部の形状から生まれた(作られた)。
このような「すべての漢字が生まれた銀河」を、わたくしは「文字作成銀河」と名づけた。
〔文字作成銀河の各部の形状〕には名称が無いゆえ、わたくしは下記のごとく定めた。
(C) 2017 OHKAWA
紀元前2070年~同2050年頃にわが国に伝来した夏音文字は、「書いた文字が用済みになったならば、直ちに文字を消さない者や消し忘れた者は神罰が下って即座に死刑にする、またその者の一族も皆殺しにする大罪と定める」という倉頡が定めた掟によって、中国でもわが国でも書いた文字が発見されないことになった。このため、夏音文字の字源・字形・字義は〔文字作成銀河の各部の形状〕となって実在した。そして『魏志』倭人伝の人名・小国名・官職名に用いられ、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付けられて多数の夏音文字が楷書で表記されて実在することになった。
上図の〔文字作成銀河各部の名称図〕の左上にある「長方形の暗黒天体部」は、伊耶那岐命が伊耶那美命と[規]の字源にもとづく交差をおこなう直前に「国土(くに)を生み成さむ」と述べた、その言に登場する[国]の字源となった。
白川静著『字統』は[国]の字について「旧字は國に作り、囗(い)と或(わく)とに従う。或は口と戈(か)とに従い、武装した城邑を示し、國の初文。或にさらに外囲を加えたものが國」と解説する。
A図に示した高尾山古墳にて伊耶那岐命と伊耶那美命の結婚することになったのは、来襲する呉の遠征軍と戦うためであった。これゆえ、二人が赴任した小国・日本の各地は[或]の字源の「武装した城邑(じょうゆう)」をあらわす状況となり、呉の遠征軍を撃破(げきは)するために国中の各地に砦(とりで)や要塞(ようさい)が作られた。
J図に示す「長方形の暗黒天体部」の北方の「方形の銀河」が[囗]の字源であり、この[囗]
に[或]が加わって[國(国)]の字が成立した。
(C) 2017 OHKAWA
上記したように、白川静著『字統』は[國(国)]の字の解説文にて「或は口と戈(か)とに従う」と指摘する。
『日本書紀』神武天皇紀の末部に――伊耶那岐命は「日本は浦安(うらやす/平安な)の国、細戈(くわしほこ/精兵)の千足(ちた)る国、磯輪上(しわかみ)の秀真国(ほつまのくに)」と仰せられた――という記述が存在する。この文中の「精兵」を意味する「細戈」の「戈」は、『字統』の「或は口と戈に従う」の[戈]ということになる。
◆J図で証明したように、〔方形〕と記した「長方形の暗黒天体部の北部」は[國]の字源であった。
K図に示すように、倉頡は「長方形の暗黒天体部の北部」を女性生殖器の「膣口」をあらわすと定めた。また、倉頡は二つの菱形が連なる=二連菱形を除く「長方形の暗黒天体部の南部」を「産道」をあらわすと定めた。
(C) 2017 OHKAWA
だから伊耶那岐命が「国土(くに)を生み成さむ」と述べた、その結婚式場であった=A図示した前方後方墳の高尾山古墳は、倉頡が「膣口・産道」に見立てた「長方形の暗黒天体部」の形に設計されたのである。
高尾山古墳の設計から外(はず)された「二連菱形」は[幡(まん)]の字源であった。
[幡]は「胎児が産道を通過できずに死ぬ」をあらわし、倉頡が厳重に定めた「書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者消し忘れた者には、神罰が下って即刻に死刑に処せられる」という掟(おきて)をあらわした。このため、『説文解字』は[幡]の字源を「書兒(しょじ)、觚(こ)を拭くの布なり」と解説する。この字源解説は「書いた子(兒)すなわち書いた文字は、觚(さかずき)を蔵(しま)う時に布で拭いて酒が一滴も残らないようにするように全部消す」と意味するものであったにちがいなく、倉頡が定めた掟をあらわしていたことになる。
日本軍は夏音文字の学芸知識の呪力(じゅりょく)が呉国の楷書の呪力に勝れば、呉の遠征軍に勝利できると考えていた。だから、「書いた文字を消す」をあらわす[幡]の字源「二連菱形」は「夏音文字の学芸知識の呪力が消滅する不吉」を示すことになった。これゆえ、「二連菱形の銀河」の形は高尾山古墳の形には組み入れられず――A図に示したように、高尾山古墳は前方後方墳の設計になったと考えられる。
L図に示すように、高尾山古墳の設計モデルとなった「長方形の暗黒天体部」は[鳥]の字源における「鳥の足」に相当することになった。
(C) 2017 OHKAWA
天文には〔歳差(さいさ)〕という現象が存在するが、この〔歳差〕を利用すると古代の日本各地の天頂に廻ってきた銀河部を知ることができる。
伊耶那岐命と伊耶那美命が結婚した230年代頃、はくちょう座γ星は北緯35度の土地の天頂に廻ってきたゆえ、北緯35度7分の高尾山古墳の天頂には、M図に示すように「長方形の暗黒天体部の中央」が廻ってきたことになる。
(C) 2017 OHKAWA
「長方形の暗黒天体部より北部の銀河」は〔両翼をひろげた鳥〕の形をしており、「長方形の暗黒天体部と北緯35度7分の高尾山古墳の天頂緯度線」は、M図に示すように「鳥居」の形となる。ゆえに、「鳥居の形をした銀河」から「鳥居」と名づけられた構造物が作られるようになり、「神社の入口に立てる門」となったのである。
前述したように、「長方形の暗黒天体部」は黄帝の医学研究の「出産」と倉頡が発明した漢字作成原理や掟を示す重大な場所であった。ゆえに、「長方形の暗黒天体部」は出産第1期の「開口期」の[開]の字源となり、倉頡が神罰と定めた掟の「死刑」の[刑]の字源となり、字形の[形]の字源となった。この重大な「長方形の暗黒天体部」から生まれた「鳥居」は、漢字が起源した中国では作られなかった。しかし、夏音文字が伝来したわが国では古来より鳥居が国中の至る所に立てられるようになったため、西欧人にとって“鳥居は日本文化を象徴するもの”となった。この中国と異なるわが国の風習は、神社に祭られる伊耶那岐命、伊耶那美命、皇祖の天照大御神が生存した3世紀に「鳥居の形をした銀河」が天頂に廻ってきたゆえ、様々な神社が門として鳥居を取り入れたために普及することになったのである。
◆N図の右側に配した[能]の金文形は、左側に示した「熊(くま)が川岸や早瀬を泳ぐ鮭を捕らえて口に咥(くわ)える図案」であると考えられる。
だから、「激流の銀河」が「鮭が泳ぐ川岸や早瀬」に見立てられ、「鬼の姿に似る銀河」が「熊」に見立てられたことになる。そして「長方形の暗黒天体部」は「熊が冬ごもりする地中の巣」に相当する。
[能]の字義は「熊」であったことを伝えて、「長方形の暗黒天体部」を設計した高尾山古墳が所在する町名は「熊堂(くまんどう)」と定められた。(注 高尾山古墳は沼津市の東熊堂に所在し、東熊堂の西隣は「西熊堂」であるゆえ、高尾山古墳は熊堂に所在する)。
したがって、一般に古墳は墓であるが、高尾山古墳は墓ではなかった。高尾山古墳は遠征軍との戦いの勝利を願って天と蓬莱山(ほうらいやま/沼津市の足高山・現在の愛鷹山)を祭る、伊耶那岐命と伊耶那美命が小国・日本に封(ほう)ぜられて結婚式をおこなった封土(ほうど/盛り土)の「堂」であったのである。
以上のごとく「美斗能麻具波比」の「美斗」はH図・I図にて解説した「女性生殖器」、[能]はN図に示す「熊」、「麻具波比」はE図・F図・G図を用いて証明したように「産道を通過する時に、頭が渦を巻くように回転して誕生する厳粛(げんしゅく)な生命の誕生」をあらわす語であった。全人類の胎児は、この神秘的な頭の渦巻き回転をおこなって誕生する。
だから、わたくしは「美斗能麻具波比」の7字の夏音文字の語を、前述したように「呉の遠征軍に勝利するための聖なる結婚式」と訳した。
◆これまで証明したように、学者たちが「わが国で最初に漢字を習得したのは5世紀頃あるいは6世紀頃であった」と断定する定説は、完全なる誤読の空理空論である。わが国には紀元前2070年~同2050年頃に夏音文字が伝来して習得されていたのである。
『古事記』の序において、太安万侶は首尾一貫して「上巻だけに記載した夏音文字と夏音文字を表記する楷書は、共に銀河から作られた。この事実を解明しないと、上巻に記述された歴史は解明できない」と警告する。このメーセージに学者たちはいっさい耳を傾けず、『古事記』上巻に記された夏音文字と楷書の字源・原義について1字も解明しようとせずに横着(おうちゃく)を決め込む。
というのも、太安万侶の警告にしたがって解明される事柄は、皇祖・天照大御神の聖性を汚すとともに皇室への反感を生む不都合な歴史的事実であった。このため、漢字が文字作成銀河から作られた秘密を記述しない『日本書紀』を皇室は正史と定め、『日本書紀』が成立した直後から約250年間も『日本書紀』神代紀を講書(こうしょ)することにした。つまり皇室は学者と共に正史『日本書紀』神代紀の記述を基本・優先させる方法で『古事記』序における太安万侶の警告を沈黙させ、『古事記』上巻に記述された歴史を歪曲(わいきょく)・隠蔽(いんぺい)する研究をおこない、この『日本書紀』神代紀の講書を皇室は学問であると偽った。このため、本居宣長は『古事記』序の安万侶の警告に気づかず歴史が解明できなくなり、さらにこの伝統を現在の学者たちは受け継いだ。このため、学者たちの意見は皇室の講書による隠蔽工作にあやつられる『古事記』上巻の記事を歪曲する誤読の産物となった。だから、現在の学者たちの淤能碁呂島聖婚説話の解釈の実体は日本国誕生史の真実といっさい無関係な空想・フィクションであったのである。
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