真実の日本国誕生史・21
●愛、高らかに日本国は誕生した(10)
■淤能碁呂島聖婚説話の現代語訳
◆2014年11月30日に初版発行された池澤夏樹(いけざわなつき)氏が訳した『日本文学全集 1巻』は、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話を「イザナキとイザナミ」と題して、〔淤能碁呂島聖婚(おのごろじませいこん)説話〕を下記のごとく現代語に訳する。
さて、ここで天の神たちは、
「まだ漂ったままの国を固めて国土としなさい」と言って、伊耶那岐(いざなき)と伊耶那美(イザナミ)に天(あめ)の沼矛(ぬぼこ)を授けてその仕事を命じた。
二人が天と地の間に架かった天(あめ)の浮橋(うきはし)に立って、天の沼矛を下ろして「こおろこおろ」と賑(にぎ)やかに掻(か)き回して引き上げると、矛の先から滴った塩水が自(おの)ずから凝り固まって島になった。
そこでこの島の名を
淤能碁呂島(オノゴロシマ)
と呼ぶことにした。
イザナキとイザナミはその島に降りたって、まずは天の柱を立て、幅が両手を伸ばした長さの八倍もあるような大きな神殿を建てた。
そこでイザナキがイザナミに問うには――
「きみの身体はどんな風に生まれたんだい」と問うた。
イザナミは
「私の身体はむくむくとうまれたけれど、でも足りないところが残ってしまったの」と答えた。
それを聞いてイザナキが言うには――
「俺の身体もむくむくと生まれて、生まれ過ぎて余ったところが一箇所ある。きみの足りないところに俺の余ったところを差し込んで、国を生むというのはどうだろう」と言うと、イザナミは、
「それはよい考えね」と答えた。
そこでイザナキが言うには――
「では、今から二人でそれぞれこの天の柱を右と左から廻(まわ)って、向こう側で会ったところで性交ということをしてみよう」と言った。
(池澤氏が加えた「性交」と訳した、この注は――原文は「みとのまぐわい」。「まぐわい」は視線を交わすことで、お互いを見て好ましい相手として選び、次の段階に進む(近代ならば「お見合い」という言葉に残っている)。「みと」の「と」は「その場所」の意味。「ホト」と同じで女性器かもしれないー―と解説する)
「きみは右から行って。俺は左から行くから」
そうやって柱を廻って、反対側で会った時、まずイザナミが、
「ああ、なんてすてきな男」と言い、その後でイザナキが、
「ああ、なんていい女なんだ」と言った。
二人とも言い終えてからイザナキが妹に向かって、
「女の方が先に口をきいたのはまずかったかな」と言った。
その言葉のとおり、二人でおごそかに性交をした結果うまれたのは蛭(ひる)のようにぐにゃぐにゃな子だった。この子は葦で作った舟に乗せて流してしまった。
その次に生まれたのも淡い島のような子で、これも失敗。
ここで二人が相談して言うには――
「今回生んだ子はどうもよくない。天(あま)つ神に報告しよう」と言った。
そこで二人して天に昇って天つ神の教えを請うた。
すると天つ神がことを占って言うことには――
「女の方が先に言葉を発したのがよくなかった。戻ってもう一度、やり直してごらん」と言った。
◆太安万侶(おおのやすまろ)は「『古事記』序」を「古事記
上巻 幷(あわ)せて序」と表記する。というのも、安万侶が書いた序は――『古事記』の序は上巻の序であって、この序は『古事記』の中巻と下巻の序ではない。つまり、上巻のみに限って〔音〕という注を付けた語と文字が随所に配置されているゆえ、この語と文字について解説するために安万侶は序の作成を担当することになった。
安万侶は序の冒頭で「わが国には、中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭/紀元前2070年頃~同2050年頃)に、夏音(かおん)文字が伝来して習得された」と伝える。ゆえに、上巻のあちこちにある〔音〕という注は「夏音文字」のことである。
夏音文字と夏音文字を表記する楷書も共に、銀河各部の形状から作られた。「銀河」の別称は「銀漢」であるゆえ、「銀漢から作られた字」略して「漢字」と称されることになった。
したがって、『古事記』序の冒頭の「夫(そ)れ混元」から「参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)を作(な)す」までの文は、上記したように「わが国は夏音文字を後期縄文時代初頭に習得した」と語っていることになる。また末部にある「日下(にちげ)を玖沙訶(くさか)と言い、帯(たい)は多羅斯(たらし)と言う」という文は、上記したように「すべての漢字は銀漢各部の形状から作られた」と指摘していることになる。この夏音文字の習得の歴史と漢字は銀河各部の形状から作られた事実は、この序の全文を慎重に熟読すれば真実である事が容易にたやすく誰にも察知できるように丹念(たんねん)に解説されている。次の「陰陽斯(ここ)に開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)と為(な)る」という文は「陰の伊耶那美命と陽の伊耶那岐命の二人がわが日本のすべての生みの親となった」と意味するものであり、この文は上巻の作成目的を伝えている。したがって、上巻は伊耶那美命が【日本建国の〔愛〕の理念】を唱え、伊耶那美命の亡き後に伊耶那岐命が【日本建国の〔愛〕の理念】を受け継いだ歴史を伝えるために作成されたことになる。言いかえると、『古事記』上巻は大和朝廷が抹殺(まっさつ)に躍起(やっき)になった伊耶那美命と伊耶那美命の歴史を伝える反逆の文献史料であった。だから、安万侶は序全体を通して上巻の歴史を正しく解明できる方法を説明し、この方法を無視・排除すると直ちに空理空論、荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメになると伝えることにしたのである。
安万侶は読者が“なんじゃ この奇天烈(きてれつ)な序は!”と不思議がり、序を熟読して正しい読解(どっかい)方法を理解して上巻に記述された真実の歴史を知る仕組みを伝えるために世にもめずらしい「序」を発案して「古事記
上巻 幷せて序」としたのである。
上記した池澤夏樹氏は、「古事記 上巻 幷せて序」を「太安万侶の序」と題して、下記のごとく現代語訳する。
「陛下の僕(しもべ)である安万侶(やすまろ)がもうしあげます。
そもそもの初め、混沌の中に造化のきざしが見えながら、未(いま)だ気と形が分かる前、万事に名がなく動きもありませんでした。その時のことを知る者は誰もおりません。
やがて天と地が分かれ、三人の神が世界を造り始めました。
陰と陽の原理が生じ、女と男が誕生、万物の親となりました。」
上記した池澤氏の『古事記』序の解釈は――太安万侶が「古事記 上巻 幷せて序」と題して「『古事記』上巻は伊耶那美命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】とその後に【日本建国の〔愛〕の理念】を大事にされた歴史を後世に伝えるために作成された。この歴史は文字を銀河各部の形状に変換する作業を怠(おこた)ると解明することができない」という警告を無視する、序の記事の表層をつまみ食いする方法で強引に単純化して誤訳した産物である。池澤氏は誰にも容易に理解できるように訳したと鼻高々かもしれないが、その現代語訳はすべてが誤読の空理空論・日本人の尊厳をゴミ屑のごとくあつかって侮辱する傲慢(ごうまん)な単純化でデッチあげた荒唐無稽(こうとうむけい)のウソ八百である。
◆わがブログ「真実の日本国誕生史」は12~20回(前回)までにおいて、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話の記事を細かく分け、その各部分を「古事記
上巻 幷せて序」の警告にしたがう方法で逐一(ちくいち)詳細に解説して、日本国誕生史の真相を科学的に解明した。この淤能碁呂島聖婚説話を現代語訳は、以下のごとくとなる。
なお、( )の部分は原文の説明不足に対して補填(ほてん)した説明や学者たちが誤訳した夏音文字の正しい訳の注、そしてその他の注をつけ加えたものである。
(中国の正史『三国志』呉書孫権(そんけん)伝は「黄竜2年(230年)、1万の呉の水軍が日本列島にある東鯷人(ていていじん)国への遠征を決行したが、台湾沖で8割から9割の兵を失って壊滅(かいめつ)した」と記述する。208年の赤壁(せきへき)の戦いで、2万の呉軍は魏の80万の大軍を一夜にして撃破して劇的な大勝利をおさめた。ゆえに、魏の40万の大軍に匹敵する1万の呉軍の東鯷人国遠征の情報をいち早く知った東鯷人国王は、その時にまだ呉の遠征軍が台湾沖で壊滅したことを知らなかったので、呉軍と戦ってまったく勝ち目がないと判断して、隣国の卑弥呼が統治する倭国の一員になることを決意して、女王卑弥呼に防衛軍の派遣を要請した。よって、230年直後頃に東鯷人国は滅び、東鯷人国は倭国に属する小国となり「日本」と名づけられた。
だから、日本国は黄竜2年の呉軍の東鯷人国遠征から起源したことになる。)
ここに、〔天(あま)つ神ともろもろの命(みこと)〕つまり〔[天]の字源「天頂緯度線」を基軸とする夏音文字の学芸体系を政治基盤とする卑弥呼王朝の面々〕は、伊耶那岐命と伊耶那美命に「(天頂緯度線のキャッチに失敗して)位置と方位がまったく不明となって大海をさまよう船人(ふなびと)のごとく、国中の人々は死が目前に迫っていると悲嘆する。この呉軍の襲来に脅(おび)える国中の混乱を修復して安定せよ」と述べ、二人に新生・日本国の封建(卑弥呼王朝が小国・日本を伊耶那岐命と伊耶那美命に与えて建国させる事業)を命じた。
二人は東鯷人国が倭国の小国の一員になって「日本」という国名になったことを示す儀式をおこなうために、〔天沼矛(あめのぬほこ)〕を賜(たまわ)り、新生・日本国の封建を委任された。(この日本国封建儀式では卑弥呼が立論した日本列島誕生説、つまり〔『魏志』倭人伝に記述された「転回日本列島地理」の立論基盤となる日本列島誕生説」〕を演ずることになった)。二人は日本列島誕生説を表現するために、塩水が熱く煮滾(にたぎ)る塩焼き所に入って、釜を見下ろす「弧を描く銀河の帯」を模(かたど)る「天(あめ)の浮橋(うきはし)」と名づけられた箇所に立ち、天沼矛を指し下して画き回し煮詰まった塩水を「こおろこおろ」と画きならして、(卑弥呼が立論した日本列島誕生説と、呉軍が日本列島に到達するために通過する台湾の外海(そとうみ)となる同緯度(北緯24度45分)の宮古島と火山列島の硫黄島の間の塩焼き所のごとく陽射しがきつく肌を刺す大海の道の両方)を表現して〕引き上げると、その矛の先から滴(したた)り落ちた塩は、積り重なって島となった。
かくして、淤能碁呂島説(『魏志』倭人伝に記述された日本列島誕生説=転回日本列島地理説)を表現する日本国封建儀式は終了した。
(卑弥呼は――火山列島の硫黄島が示すように、原始、火山爆発して海底から渦を巻いて隆起した島々が寄せ集まって日本列島は誕生したと立論した。したがって日本列島が誕生した原始の海底は「淤(どろ)」にようになっていたので、「能」つまり(熊が冬ごもりする巣の横穴が縦穴になるがごとく)泥のようにやわらかい日本列島の地軸(ちじく)は時計回りに90度転回して緯度軸は経度軸にとって変わり、日本列島の〔東〕は〔南〕と為(な)った。「碁」は卑弥呼が立論した「淤能」の「転回日本列島地理」の基点となる北九州の玄界灘に浮かぶ沖ノ島と同緯度(北緯34度15分)の伊豆諸島の神津島(こうづしま)の両島である。これゆえ「碁呂」は「日本列島の〔東〕は転(ころ)がって〔南〕になった」と意味することになった。だから、『魏志』倭人伝の全15ヵ所の方位記事に1ヵ所も誤読(文献批判)を加えずに忠実に読む意見は卑弥呼が立論した淤能碁呂島理論=日本列島誕生説・転回日本列島地理を解明したことになる。一方、15の方位記事に何ヵ所も誤読を加える学者たちの邪馬台国説はインチキもはなはだしいまるっきりデタラメの空論であったのである)。
総合的に考えて日本軍と呉軍とが争う決戦場となる確率が最も高いと予想された浮島沼の東の岸辺、現在の静岡県沼津市の東熊堂(ひがしくまんどう)に伊耶那美命と伊耶那岐命が到着すると、結婚式場となる封土(ほうど/盛り土)はすでに日本軍の兵士たちによって築造されていた。(この封土は2008年に発見された、東日本における最古で最大の前期古墳の高尾山古墳である)。この封土には呉の遠征軍を撃退した時に封建の任務が成し遂げられたゆえ〔天之御柱(あめのみはしら)〕が立ち、決戦場となる浮島沼の水深に因(ちな)む八尋殿(やひろどの/八尋の宮殿)が建造されると予定されていた。ゆえに二人が結婚する、この時、天之御柱は立っておらず八尋殿は建造されていなかった。そこで、勝利を祈願して天之御柱が立ち八尋殿が建造された状況に見立てて、結婚式はおこなわれることになった。
(この結婚式がおこなわれた時、『魏志』倭人伝』が書いているように伊耶那美命=壱与(いよ)は13歳の乙女、そして他の資料によると伊耶那岐命=載斯烏越(そしあお)は18歳の青年であった)。伊耶那岐命は伊耶那美命に「汝(なんじ)のいまの心境は、どのような状況になのか」と尋ねると、子供を生む状態が整っていない13歳の身体に擬(なぞら)えて大勢の呉軍の兵士たちを殺して日本国を生む魔女(巫女王)になる決心がつかいない心境を「わたくしの体は、だんだん成り整ってきましたが未だ整わない幼い面があって、思い悩(なや)んでいる点(ところ)が一箇所(ひとつ)あります」と表現した。しかし、すでに高尾山古墳には大挙(たいきょ)して血気盛んな兵士たちが集結して今が今にも呉軍が襲来するのではないかと心配して、一時でも早く伊耶那美命の呉軍の呪的(じゅてき)戦力を奪う魔女となる宣言と伊耶那岐命の防衛作戦発令を待っていたので「わが配下の兵(つわもの)たちはこの結婚式場の一箇所に集結して精力が成り余って、汝の決心がつかない躊躇(ためらい)を刺し塞(ふさ)ぎ決意を催促(さいそく)して、汝が日本軍の魔女となる宣誓を待ち焦(こ)がれている。ゆえに、吾は早速(さっそく)、国土(くに)生みの準備にとり掛かって呉軍が上陸する日本国海岸線全域の兵士たちの配置を決めて戦闘訓練を始めようと思う。この国生みの案をどう思う」と述べると、伊耶那美命は「それは、良いと思います」と返事した。
かくして、(二人は高尾山古墳の南端に立って)、伊耶那岐命は「しからば、吾と汝は天之御柱が立つ予定地を交差して行き廻(めぐ)り逢う、国土(くに)生み儀式をはじめよう」と述べて、これから始める儀式で伊耶那美命が日本国の魔女となる決心をうながした。
(「国土生み儀式」を『古事記』は「美斗能麻具波比」と表記して、「此の七字は音を以てす」つまり「この七字は夏音文字である」と指摘する。太安万侶の序の指摘にしたがって7字の夏音文字を文字作成銀河各部の形状に変換すると――[美]は「羊の角に似る卵管・卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)と卵巣(らんそう)、羊の顔に似る子宮の正面形」つまり[美]の字源は「大きな羊」ではない。[美]の字源は「卵管・卵管膨大部・卵巣と子宮の女性生殖器の正面形」であったことになる。[斗]の字義は「柄杓(ひしゃく)の柄(え)」であるから、[斗]の字源は「女性生殖器の側身形のおける柄杓=子宮と産道のうちの柄に相当する産道」ということになる。[麻]は「麻糸の紐(ひも)のような臍(へそ)の緒(お)」、[具]は「貝殻の出口にあるミゾに相似する産道の壁に具わるミゾ」、[波]は「産道を潤(うるお)す羊水とともに、波のようにうねうねとくねって産道を通過して出産する胎児」、[比]は「出産第1期の開口期(かいこうき)における母体の背側に顔を向ける胎児の姿勢と出産第2期の娩出期(べんしゅつき)のおける母体の背側に顔を向ける姿勢の胎児」をあらわしたと解明できる。
だから、池澤氏は「美斗能麻具波比」は「性交」とするが、これは明らかに誤訳である。
伊耶那岐命と伊耶那美命は小国・日本を建国する国土出産(くにうみ)のために封建を委任された。だから、「美斗能麻具波比」は、当然、「出産」と訳さなければならない。
紀元前3000年頃の五帝時代初頭の黄帝がおこなった「女性生殖器と出産の研究」を後世に伝えるために、それ以前に黄帝の研究を伝える文字が発明されていなかったので、黄帝につかえた史官の倉頡(そうきつ)が当時、天頂にめぐってきた〔秋の銀河の西部の一部の形〕が「乳房と子宮部と腹部が丸い妊婦の姿」に相似するのを注目し、〔天頂にめぐってくる秋の銀河の西部と夏の銀河の各部の形状から漢字を生む漢字作成原理〕を発明した。なお、「秋の銀河」と「夏の銀河」は天文学で用いられる銀河の部分をあらわす通称である。倉頡が発明した漢字作成原理は「鳥獣(ちょうじゅう)の足跡」と名付けられた。ゆえに、5世紀の隋代に完成した楷書以前のすべての漢字は、倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」に則(のっと)って作られた。淤能碁呂聖婚説話では倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」を夏音文字は「美斗能麻具波比」とあらわした。この漢字作成原理「美斗能麻具波比」は字源学において真っ先に知っていなければならない基本中の基本となる知識であった)。
このように「国土生みの儀式を始めよう」と約束して、伊耶那岐命は「汝は右から廻(めぐ)り逢うようにしなさい。吾は左から廻り逢うようにする」と述べて、(卑弥呼が夏音文字の学芸に則る卜占(うらない)で定めた国土生みの約束にしたがって、伊耶那岐命は先に天之御柱が立つ予定地点をX字状に交差するように東から西に向かい、後から伊耶那美命が天之御柱の予定地点をX字状に西から東に向かって)、高尾山古墳の後方墳中央部で対面すると定められた式を廻り終えた時、(卑弥呼が占いで男性よりも先に女性が絶対に言ってはならないと厳重に禁止した約束を破って)伊耶那美命は先に「なんとまあ、愛しいすばらしい男子(おのこ)でしょう」と称(たた)えた。このため、仕方なく後に伊耶那岐命が「なんとまあ、愛しいすばらしい女人(おみな)であろう」と称えて、伊耶那美命は日本軍の魔女であると示して戦勝祈願の結婚式が成立するように補助するようにした。
(この高尾山古墳の結婚式において先に伊耶那美命が「なんとまあ、愛しい素晴らしい男子でしょう」と称えると、倉頡が発明した漢字作成原理(鳥獣の足跡=美斗能麻具波比)に則って、伊耶那美命は「日本国の国作りの柱は〔愛〕にいたしましょう」と宣誓したことになるゆえ、厳重に禁じられていた。卑弥呼が占いをおこなって命じたとおりに、先に日本軍の軍王(いくさのおおきみ)の伊耶那岐命が「なんとまあ、愛しいすばらしい女人であろう」と称えれば、伊耶那美命は日本軍の魔女の女王になったことが明確に示された。ところが、卑弥呼の占いの約束に逆らって、先に伊耶那美命は唱えて「日本国は〔愛〕を国作りの柱にいたしましよう」と宣誓したゆえ、日本国は伊耶那岐命の宣誓と伊耶那美命の宣誓の二つが並び立って建国されたことになった)。それゆえ、おのおの唱え終わったのち、伊耶那岐命は「女人が先に唱えるのは良くない」と批判した。
(伊耶那岐命は、「伊豆国以東の関東全域では、日本列島で最も巨大な富士山が沼津市の足高山(あしたかやま=蓬莱山、現在の愛鷹山)の峰の西から東に移動する」、この現在でも伊豆以東の関東全域で西にある富士山が東に移動する事象を目撃できる神秘的な風景を「久美度邇興して」と表現することにした。伊耶那岐命は2万の兵士で魏の80万の大軍を火攻めで一夜にして壊滅した呪的戦力よりも、日本国における蓬莱山・足高山の日本列島で最も巨大な富士山を西から東に動かす地霊の呪力のほうが断然(だんぜん)勝っていると示して、全軍の兵士たちに一致団結して呉軍を壊滅しようと呼びかけ、呉の遠征軍を壊滅させる袍図莽(ほつま)作戦を発表し――文字を知らない兵士たちにも「袍図莽」は「呉の遠征軍を袋の中のネズミにして、つまり日本軍が呉軍を包囲する罠にはめて壊滅する戦法」であることが理解できる工夫(くふう)をして、この工夫を「水蛭子(ひるこ)」と名づけて徹底させた)。
かくして、小国・日本では伊耶那岐命の襲来する呉軍を防衛する国土生み事業と伊耶那岐命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】の国土生み事業の両方が並び立つことになった。
伊耶那岐命が日本兵に呼びかけた「久美度邇興して」の南には沼津市西浦江梨に所在する「大瀬崎(おせざき)」があり、大瀬埼の地図の形は〔浮島沼に生息するチスイヒル〕の姿に似ているゆえ「水蛭子(ひるこ)」と名づけられた。また、大瀬崎の蛭(ひる)が血を吸う吸盤に相似する北端は「狭い岸辺が中央の真水の池をぐるりとり円周して包む」ゆえ、文字を知らない日本兵たちにも「呉の遠征軍を袋の中のネズミにして壊滅する袍図莽作戦」が容易に理解できた。しかし卑弥呼没後に倭の大王を受け継いだ男王は伊耶那美命と伊耶那岐命に倭国への帰還を命じたために二人の小国・日本の封建は未完成となり、「水蛭子」の秘密は高尾山古墳の後方墳中央の主体部の地中に埋められた船に納められた2点の鉄の槍(やり)、33点の鉄の鏃(やじり)の武器によって伊耶那岐命が軍王であったことを伝えて密封(みっぷう)された。これを淤能碁呂島聖婚説話は「葦船に入れて流し去りき」と記述した。次に伊耶那美命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】は、沼津市の内浦湾に浮かぶ乳房の形をした淡島(あわしま)で表示されたが、この子も倭国への帰還命令によって「葦船に入れて流し去りき」となったゆえ、「この淡島もまた、子の数に入れざりき」と記された。淡島の秘密【日本建国の〔愛〕の理念】は高尾山古墳の主体部の船に密封される遺物、すなわち1面の「上方作系浮彫式獣帯鏡(しょうほうさくけいふちょうしきじゅうたいきょう)」の一部分を砕いた鏡と1点の勾玉(まがま)で表示されて――上記した水蛭子の秘密をあらわす武器の遺物と共に、日本国誕生から約1790年後の現在、太安万侶が序に「夏音文字も楷書も銀河各部の形状に変換せよ」と書いた指摘いいかえると警告にしたがっておこなう淤能碁呂島聖婚説話の現代語訳こそが正しいことを科学的に証明できる証拠になって残った。
以上をもって、淤能碁呂島聖婚説話の現代語訳を終了する。
学者たちは本居宣長(もとおりのりなが/1730-1801年)が研究して著した『古事記伝』を教科書にして『古事記』の序と上巻を研究するが――宣長は太安万侶が「夏音文字も楷書も銀河各部の形状に変換せよ」と伝える歴史解明方法の記述をまったく理解せず無視して、誤読した。だから、『古事記伝』は『古事記』上巻に記述された歴史を解明した書物ではない。このため、『古事記伝』を教科書する学者たちの『古事記』上巻・日本神話の研究もまた誤読の産物となる――だから学者たちは徒党(ととう)を組んで非科学的な誤読の空理空論を日本国民に押し付けていることは、上記した2008年に発見された沼津市東熊堂に所在する高尾山古墳と「葦船」と表現された「高尾山古墳の後方墳中央の主体部施設」に密封されていた遺物の発掘によって、もはや弁解も誤魔化しもできない状況となって決定的事実となった。
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