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2017年11月24日 (金)

真実の日本国誕生史・26

 ●日本建国の〔愛〕の理念の証明・1
■沼津市高尾山古墳から出土した遺物の秘密
 
◆「銀河」の別称は「銀漢」、だから「銀漢から作られた文字」を略して中国の文字は「漢字」と名づけられた。「漢字は銀河の子、銀漢の子」であった。そして「天皇」と「天子」という語は「天に存在する銀河各部の形状を文字とする学芸に精通した大王」を意味した。
 6世紀の隋代(ずいだい)に、現在の漢字の前身である楷書(かいしょ)が完成した。この楷書より以前に出現した隷書(れいしょ)、小篆(しょうてん)、大篆(だいてん)、金文(きんぶん)、契文(けいぶん/殷代後半期に出現した甲骨文字)、殷代(いんだい)前半期の文字、夏代(かだい)の夏音(かおん)文字、五帝時代の書契(しょけい/わが国では「刻木(こくぼく)」と言った)のすべての漢字は、下に示す銀河から作られた。このような文字が作られた銀河範囲を、わたくしは「文字作成銀河」と名づけた。

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 ▲文字作成銀河

 漢字の字源・字形・字義となった文字作成銀河各部には名称が存在しない。ゆえに、わたくしは下図のごとく各部の名称を定めた。

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 ▲文字作成銀河各部の名称

 わがブログ「真実の日本国誕生史」の4回・5回で詳細に証明したように、紀元前3000年頃、五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえた史官の倉頡(そうきつ)は文字作成銀河各部の形状の情(じょう/イメージ)を字源・字形・字義と定める漢字作成方法を発明した。
 倉頡は自らが考案した文字が最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、反体制側の人々が文字作成銀河の各部から文字を作る学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易に滅亡するにちがいないと心配した。ゆえに、倉頡は下に示す〔3つの掟〕を破った者には天罰が下されて即刻に死刑に処せられると定めた。
★倉頡が定めた3つの掟
(1)
 文字作成銀河各部の形状から文字が作られた事実を暴露した者
(2)
 文字を容易に習得するために、文字作成銀河の各部に名称を付けた者
(3)
 書いた文字が用済みになったならば、文字はただちに消さない者または消し忘れた者
 上記の(1)の掟のために、今日、学者たちは〔漢字が文字作成銀河から作られた事実〕に気づかない。学者たちはこぞって「文字は銀河から作られた」と伝える古文献の記事つまり『老子』上篇(道経)第一章から第三十七章まで、『易経』繋辞上・下伝の一部の記事、倉頡伝説、『魏志』倭人伝、『古事記』序と上巻などの記事に多数の〔誤読〕を加えて〔漢字が文字作成銀河から作られた事実〕を抹殺(まっさつ)・否定する。
 上記の(2)の掟によって、中国でもわが国でも文字作成銀河の各部の名称が存在しない。
 上記した(3)の掟によって、五帝時代の書契、夏代の夏音文字、殷代前半期の漢字を記した資料は、中国においてもわが国においても学者たちが「文字」と認めた資料は1点も発掘されていない。たとえば、紀元前2070年~同2050年頃の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)にわが国に伝来して習得された夏音文字について『魏志』倭人伝は――「卑弥呼が文書に用いる文字と魏の都・帯方郡・諸韓国で用いる文字は差錯(ささく/相違)していた。倭の小国・伊都(いと)国の港では魏都・帯方郡・諸韓国の楷書と卑弥呼の夏音文字を点検し、確認をして正しく変換していた」あるいは「倭の卜文に用いられる夏音文字の辞(文字とことば)は令亀(れいき)の法のごとし、つまり殷代後半に出現した亀の甲羅に刻む契文(甲骨文字)のごとし」――と記述する、この夏音文字を書いた資料は1点も発見されていない。
 紀元前1300年頃の殷代前半期から出現した契文によって、倉頡が定めた(3)の掟は破られた。ゆえに、契文以後に出現した楷書は書いた文字を消さなくてもよい文字であったため、夏音文字は『魏志』倭人伝の人名・小国名・官職名に用いられ楷書で表記されて多数残った。
 だから、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に多数記載されて残って現存する夏音文字は、倉頡が定めた3つの掟を厳重にまもる〔文字作成銀河の各部の形状イメージを字源・字形・字義とする原初漢字〕であった。

◆わがブログ「真実の日本国誕生史」の10回・11回で詳細に証明したように――太安万侶(おおのやすまろ)は「古事記 上巻 幷(あわ)せて序」という世にも珍しい序の表題を考案して「後期縄文時代初頭、わが国は夏音文字を習得した。楷書の日下(にちげ)は夏音文字の玖沙訶(くさか)と同義、楷書の帯(たい)は夏音文字の多羅斯(たらし)と同義である。というのも、夏音文字と楷書の字源・字形(原形)・字義は共に文字作成銀河の各部の形状であるからである。したがって、『古事記』序は「『古事記』上巻の記事は文字(夏音文字・楷書)を文字作成銀河各部の形状に変換すれば、歴史が解明できる仕組みになっている」と警告(けいこく)するものであった
 それ
というのも、『古事記』上巻は淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話また伊耶那岐命の黄泉国(よみのくに)訪問説話はじめ他の説話もまた、朝廷が最も崇拝する皇祖(こうそ)・天照大御神の聖性をいちじるしく汚す事実を伝えるものであったのである。これゆえ、天照大御神の聖性を汚す記述を躊躇(ちゅうちょ)した『日本書紀』は宮中で講義されてよく読まれて正史として扱われたが、『古事記』は危険思想を養い朝廷への憎悪を育(はぐく)む書物と定められたために読む人も少なく人目をはばかってこっそりと隠れて読む禁書(きんしょ)となった。このため、『古事記』は長年にわたり偽書だと疑われ、1725年に没した新井白石より以後に生まれた賀茂真淵(かものまぶち/1697-1769)は後世の作ではないかと疑った。しかし、朝廷にとって極めて不都合な歴史を伝える『古事記』上巻は、『古事記』序が「上巻に用いる文字を文字作成銀河各部の形状に変換すれば、真実の歴史が解明できる仕組みになっている」と警告する方法を用いて著作された、真実の上古史と日本民族の命と魂の源泉をも伝える最も大事な不滅の書物であったのである。
 上記した安万侶が歴史解明方法を伝える「文字を文字作成銀河各部の形状に変換しないと、上巻の歴史は解明することができない」という警告を、現在の学者たちはこぞって無視・排除(はいじょ)して、かわりにたくさんの〔誤読〕を加えて雲をつかむような空想話を自画自賛(じがじさん)して「『古事記』上巻は歴史を伝えない」と大見得(おおみえ)を切る。
 前回までわがブログ「真実の日本国誕生史」が詳細に証明したように――『古事記』上巻の〔伊耶那岐命と伊耶那美命神話〕の冒頭の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話は「呉の黄竜(こうりゅう)二年(西暦230)頃、小国・日本に赴任した伊耶那岐命と伊耶那美命が結婚する時、小国・日本の女王・伊耶那美命が国生み(国作り)の柱を〔愛〕と定めると唱えて起源した歴史」を記述するものであった。

 わがブログ「真実の日本国誕生史」の17回・18回で詳細に解説したように、伊耶那岐命と伊耶那美命の結婚式は、倉頡が発明した漢字作成原理にもとづいておこなわれた。漢字作成原理の名称は倉頡伝説では「鳥獣の足跡」と呼ばれ、『易経(えききょう)』繋辞下伝(けいじげでん)は「鳥獣の文」と記されるが、『古事記』上巻の淤能碁呂聖婚説話では漢字作成原理を「美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)」と7字の夏音文字の語で示された。
 五帝時代初頭に生存した黄帝は、東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。黄帝の医学研究は、前人の三皇(さんこう)時代の大王たちが着手していない中国最初の事業であった。黄帝の医学研究は女性の生殖(せいしょく)器官と子どもの出産に関する研究であったが、女性の生殖器官や子が出産する器官には名称がなく、ましてやその名をあらわす文字もなかった。この文字を作るのは、史官(記録官)の倉頡の役目であった。
 黄帝時代初頭には、A図に示すわたくしが「十字の銀河」と名づけた銀河が中国各地の天頂に廻(めぐ)ってきた。(「十字の銀河」は上掲した〔文字作成銀河各部の名称図〕の左上にある)。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 A図に示すように、「十字の銀河」は「子どもを出産する女体」に相似する。

◆倉頡はA図に示した中国各地の天頂に廻ってきた「十字の銀河」を、文字作成銀河の各部の形状から作られた「すべての文字を生む母体」と定めた。
 B図の上図に示すように、「十字の銀河」の西半分の胸部には〔乳房〕に観える部分があり、その形は〔女体の姿、妊婦の姿〕に相似し、その妊婦のおなかに相当する部分には〔子宮〕に相当する銀河部が重なる。この「十字の銀河の子宮」を、倉頡は「すべての文字が生まれる子宮」と定めた。
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 さらに、倉頡は文字作成銀河の各部の形状から図案されたすべての文字を生む「十字の銀河」=「文字作成銀河」と定めた。「十字の銀河=文字作成銀河」という定義は[(べん)]の字源・字形・字義となり、B図の下図に示すように倉頡は「鬼の姿に似る銀河」を[](出産した新生児、乳児)に見立てると定義した。[][]が加わって[]の字源・字形・字義が成立した。
 倉頡は「文字作成銀河」と等しいと定めた[]の字源「十字の銀河」を[]の字源・字形・字義と定め、「十字の銀河の子宮」を[]の字源・字形・字義と定め、漢字作成方法の世界は「一即多、多即一」の理論で組織されると定めた。つまり、「一即多、多即一理論」とは「一つの銀河部は多数の字をあらわし、また多数の文字をあらわす銀河部は一つの字に定めることもできる」という法則である。
 B図の下図に示すように、「鬼の姿に似る銀河」の顔と首には両目がある。ゆえに、[]の字源「鬼の姿に似る銀河」には、〔合計四つの目〕がある。B図の「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」は「人」をあらわすイメージとなるゆえ、中国の古代の学者たちは〔倉頡は銀河から文字を作る方法を発明した〕と伝えるために倉頡を「四つ目の怪人」という異名(あだな)で呼んだ。しかし、現代の学者たちは“人間の目は四つであるはずがない。倉頡が漢字を発明したという伝承は荒唐無稽のデタラメだ!”と強引に決めつけて〔漢字が銀河から作られた事実〕を抹殺(まっさつ)する。
 前述したように、伊耶那岐命と伊耶那美命の結婚式は倉頡が発明した漢字作成原理を演出しておこなわれるものであったので、呉の遠征軍に必ず勝利する結婚式を成立させるために、卜占(うらない)で伊耶那美命は伊耶那岐命より先に「阿那邇夜志愛袁登古袁(あなにやしえをとこを/なんとまあ、すばらしい男性でしょう)」と唱えてはならないと厳重に禁じられていた。というのも先に伊耶那美命が唱えると、C図に示す銀河によって[]の字が成立するために、戦勝祈願を目的とする結婚式が成立しないことになってしまうからである。しかし、厳重に禁じられていた約束を破って、なんと伊耶那美命は先に伊耶那岐命を「あなにやしえをとこを」と讃えて「小国・日本の国作りの柱を[]にいたしましょう」と唱え、つまり【日本建国の〔愛」の理念】を提唱した。
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 わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統(じとう)(平凡社発行)は、C図の[]の篆文(てんぶん)の字形について「後ろに心を残しながら、立ち去ろうとする人の姿を写したものであろう」と指摘する。[]の字源は――母親の「十字の銀河」が後ろの乳児の「鬼の姿に似る銀河」の様子を常に気にかけ、何よりも勝って子を愛している様子――をあらわす、C図の銀河であったのである。
 D図に示すように、「十字の銀河」は〔西側半分が女体〕に相似し、〔東側半分は弓をもって狩りや戦争に出発する男性の姿〕に観える。
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 天体の運行では[]の字源となる「女体に似る西側の十字の銀河の半分」が先に子午線通過し、弓をもって戦う「男性の姿に似る東側の十字の銀河の半分」が後から子午線通過するので、伊耶那美命が先に伊耶那岐命を讃えると[]をあらわすことになった。
 先を越された伊耶那岐命は「おまえは呉軍の呪的(じゅてき)戦力を奪って日本軍に勝利をもたらす魔女である」と讃えるために「あなにやしえをとめを」と称えた後、「女人が先に言うのは良からず」と批判して戦勝祈願の結婚式が成立するように取り繕(つくろ)った。
 このように『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話は――倉頡が発明した漢字作成原理を演出された結婚式において、伊耶那岐命は「呉軍を撃破して日本国を防衛する」と誓い、伊耶那美命は「国作りの柱は〔愛〕と定める」と唱えて、小国・日本の国作りは始まった――と伝えるものであり、この歴史は夏音文字と楷書を文字作成銀河各部の形状に変換すれば解明できまた証明できるようになっている。しかし、現在の学者たちは『古事記』上巻に用いられる夏音文字と楷書の字源・字形・字義を文字作成銀河各部の形状に変換する作業をまったくおこなわず、歴史とは無関係の雲をつかむような空想話を正しい解釈であると主張する。

◆白川静著『字統』は、E図の右端に配する[]の契文・金文の字形を「火矢(ひや)の形」と解説する。この「火矢」は「火で焼いた鏃(やじり/矢の先)」であり、この〔火で焼いて消毒した鏃を、黄帝は女体を解剖するときのメス(小刀)に用いた〕ゆえ、[]の字形は「火矢」の図案となり、帝王名の「黄」となり、「黄色」をあらわす字義となったのである。
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 したがって、E図の左図と中央図に示すように、[]の契文と金文の字形は「女性の骨盤や骨格」と「矢(女体解剖に用いたメスの鏃)」の合体形となった。
 この[]の字源「火矢」の[]は、[]の字における[(はこ)]の中に入れる[]となった。この秘密を、白川静著『字統』は、[]の字源において「矢を匚の中に収めた形で、〔うつぼ〕または〔ゆぎ〕ともいう」と解説する。つまり、D図の「十字の銀河の子宮」はE図の左図においては[]の字源の「靭(ゆぎ/矢を収める匚)」となった。ゆえに、黄帝がおこなった子宮と出産の研究は[()]の中に[(メスとなった鏃)]を入れる[]の字であらわされることになったのである。
 黄帝の女性生殖器と出産の医学研究に因(ちな)んで、前述したように倉頡伝説では漢字作成原理を「鳥獣の足跡」と呼んだ。
 F図に示すように、「女性生殖器の側身形(そくしんけい)」は「鳥」の側身形に相似する。
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 『魏志』倭人伝には「倭には牛馬は無し」つまり「倭には牛と馬は生息していない」という記事があり、[]の字源は「ジャコウウシ」、[]の字源は「フタコブラクダ」であった。
 G図に示すように、「第5週はじめころの胎児の側身形」は[]の字源「ジャコウウシの側身形」に相似すると見立てられた。
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 ジャコウウシは天敵(てんてき)のオオカミに襲われると子どもを真ん中にかくして各々の顔を外側に向けて子どもを包囲する円陣をつくって防衛する。この神秘的な習性は、胎児が宿る子宮を包囲して胎児の命を衛(まも)る母親の骨盤のごとくであると見立てられて、〔ジャコウウウシ〕は漢字作成原理を象徴する聖獣(せいじゅう)となった。
 「第7週頃の胎児の顔」は「まつ毛の長い目が両端に離れるフタコブラクダの顔」のごとくである。また、「フタコブラクダ」の母親は死産した子を愛(いと)しんで母親を亡くした子がいても乳を与えないという。このように[]の字源「フタコブラクダ」のわが子を思う情愛の深さは神秘的であり、B図の[]とE図の左図の[]の字源「十字の銀河」は「フタコブラクダが生息するゴビ砂漠から中国国土に襲来する黄砂(こうさ)」にも見立てられた。ゆえに、〔フタコブラクダ〕はすべての文字が生まれる母体となる「十字の銀河」と漢字作成原理を象徴する聖獣となった。
 F図に示したように、〔女性生殖器の側身形〕は「鳥」の姿に相似し、「獣」の〔ジャコウウシとフタコブラクダ〕」は漢字作成原理を象徴し、D図で指摘したように「妊婦のおなか・乳房」に観える「十字の銀河の右足」から「足跡」が連想されて、倉頡が発明した〔漢字作成原理〕は倉頡伝説では「鳥獣の足跡」と呼ばれることになった。他方、『易経』繋辞下伝は漢字作成原理を「鳥獣の文」と記した。B図の上図における[]の字源は「十字の銀河」であり、倉頡は「十字の銀河」を「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての字を生む母体」と定めた。だから、漢字作成原理は「鳥獣の文」と記されたのである。
 なお、ジャコウウシは有史以前には広く北半球の寒帯に分布していたが、ジャコウ(麝香)の香がする肉は美味しいために乱獲され、また「胎児の命を衛(まも)る骨盤」に見立てられたために何か事があれば神に祈る時の最も理想的な犠牲(いけにえ)とされたため、夏代にあって中国では絶滅したようである。[][][][][][]、そして「防御」の[]などの字源は「ジャコウウシ」である。

◆H図に示すように「人の横顔に酷似する銀河」を「女性の横顔」に見立てると、「夏の銀河の西南部」は「十字の銀河の右足」と同じく「足・妊婦のおなか・乳房」に観える。
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 I図に示すように、「銀河の中心方向」から「さそり座α星」までの銀河の形状は「鳥」に相似し、「巨龍の銀河の顔」とずれて重なる銀河は「ジャコウウシの顔」に酷似する。したがって、文字作成銀河の北端の「十字の銀河の右足」と南端の「夏の銀河の西南部」のイメージは同じ「足・妊婦のおなか・乳房」で共通する。これゆえ、倉頡が発明した漢字作成原理は「鳥獣の足跡」と呼ばれることになったのである。
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 紀元前1世紀に生存した司馬遷(しばせん)が著作した『史記(しき)』五帝本紀・第一は「中国各地に遠征した黄帝軍は駐屯(ちゅうとん)する時には、円を描いてぐるりと軍兵たちをめぐらして自衛した」と記述する。したがって、黄帝はジャコウウシが敵を察知して防御するときの習性から軍の駐屯方法を考案し、そして黄帝はI図に示す「ジャコウウシの顔に似る銀河」を神聖視したことになる。
 最も多くの文字は、J図に示す銀河範囲から作られた。というのも、この範囲はA図に示したように五帝時代初頭の中国各地の天頂を通過し、B図で解説したように倉頡が発明した漢字作成原理や「四つ目の怪人」という異名をあらわし、E図で解説したように黄帝の女性生殖器・出産の研究をあらわしたからである。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 J図に示す「鬼の姿に似る銀河」は「黄帝」に見立てた「十字の銀河」を仰ぎ見て跪(ひざまず)いては拝礼(はいれい)しているように観える。だから、女性生殖器の「子宮」に相当する銀河部を有し[][]の字源となった「十字の銀河」は「黄帝」に見立てられ、「四つ目の怪人」をあらわす「鬼の姿に似る銀河」は「倉頡」に見立てられることになったのである。

◆『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話に記述された〔天(あま)つ神諸々(もろもろ)の命(みこと)つまり卑弥呼王朝に防衛を委任されて、伊耶那美命と伊耶那岐命が赴任した国生みの地の小国・日本(旧東鯷人国)の範囲は、K図に示す東海東部と関東地方であった。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 L図に、伊耶那岐命と伊耶那美命が結婚した、高尾山(たかおさん)古墳周辺図を示した。高尾山古墳は静岡県沼津市の東熊堂(ひがしくまんどう)に所在する。
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(C) 2017 OHKAWA

 2008年に発見された高尾山古墳は東日本最古の最大の古墳である。この古墳は一般的な墓(陵墓)ではなく、伊耶那岐命と伊耶那美命の結婚式場であった。ゆえに、高尾山古墳は伊耶那岐命と伊耶那美命が小国・日本へ封(ほう)ぜられることになったことを示す封土(ほうど/盛り土)であり、要するに「淤能碁呂島」の[]の字義すなわち「わが国で生息する最強の獣の熊(クマ)」を祀る堂」であった。だから、M図に示すように高尾山古墳は東熊堂と西熊堂の中間に所在して、「墓」ではなく「熊堂(くまんどう)」であったと現在に伝えている。伊耶那岐命と伊耶那美命の結婚式場は「熊堂」であったゆえ、思うに伊耶那岐命と伊耶那美命が祀(まつ)られる本宮大社・速玉大社・那智大社が所在する地は「熊野」と呼ばれることになったにちがいない。
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 N図に高尾山古墳の平面図を示した。高尾山古墳の後方墳の中央には、主体部がある。
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 O図に示すように、〔高尾山古墳の主体部に埋められた舟形の匚(はこ/)〕には、鉄の鏃(やじり)33点、鉄製の槍が2点、後漢製の破砕鏡(はさいきょう)が1面、勾玉(まがたま)1点、木材の皮をはいで長持ちする柱を作るために用いる大工用具の槍鉋(やりかんな)1点、収納されていた。
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 このうちの「33点の鉄鏃と2点の鉄槍の武器」が伊耶那岐命の防衛事業をあらわし、「1面の破砕鏡と1点の勾玉」は伊耶那美命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】を示し、「1点の槍鉋」は「日本軍が呉の遠征軍を撃破した時に建造される予定であった八尋殿(やひろどの)は建てられなかったので槍鉋は用いられず、伊耶那岐命と伊耶那美命の小国・日本の国作りは未完成で終わった」と表現していることになる。
 O図に示す破砕鏡より約1m隔てた東と南東から出土した「230年頃の東海西部系の土器」は「日本国は西暦230年・呉の黄竜二年の呉軍の遠征から起源した」と示している。
 「33点の鏃」は、E図で証明した「黄帝が女体解剖に用いたメス」をあらわす。だから、「33点の鏃」は「黄帝」をあらわす。「2点の槍」の[]の字には「倉頡」の[]の字を有するゆえ、「2点の槍」は「倉頡」をあらわすことになる。
 ということは、208年の赤壁(せきへき)の戦いで魏の80万の大軍を2万の呉の水軍が一夜にして火攻め壊滅した呪力(じゅりょく)を有する呉の遠征軍に勝利するため、伊耶那岐命と伊耶那美命の結婚式は黄帝と倉頡の霊力を頼みにしておこなわれたことになる。というのも司馬遷著『史記』五帝本紀には「黄帝軍は、南の揚子江まで遠征して、呉地で従わない勢力を征伐した」と記述するゆえ、黄帝と倉頡の霊力のほうが呉軍の魏の80万の大軍を壊滅させた火攻めの呪力よりも勝るものであったからである。
 『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話における〔神生み説話〕は「金山毘古神(かなやまびこのかみ)、次に金山毘売神(かなやまびめのかみ)を生んだ」と記述する。この二神は「製鉄の発明・考案」をあらわし、高尾山古墳から出土した「2点の鉄製の槍」は「金山毘古神・金山毘売神」であったと考えられる。
 〔神生み神話〕は「鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)、亦の名は天鳥船(あめのとりふね)を生んだ」と記述する。この「天鳥船」は「高尾山古墳の主体部に埋められた埋納物を収めた舟形の匚」であったことになる。漢字作成原理「鳥獣の足跡」は倉頡が発明した学芸であったゆえ、高尾山古墳の主体部には日本軍が発明した天鳥船が埋納物を収める匚に選ばれ、日本軍の発明品の33点の鉄の鏃と2点の鉄の槍を天鳥船の中に入れて伊耶那岐命と伊耶那美命の小国・日本における事業をあらわし、特に伊耶那美命が提唱した【日本建国の〔愛〕の理念】を後漢製の破砕鏡と勾玉をもって――日本軍兵士たち(多分、東海西部の遠江・三河・尾張の兵士たち)は伊耶那美命と伊耶那岐命を讃えて高尾山古墳の主体部を作成したにちがいない。
 以上のごとく、『古事記』序にて太安万侶が警告する歴史解明方法に則(のっと)れば『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話の記事は【科学】が成立して真実の歴史が鮮(あざ)やかに蘇(よみがえ)る。だから、学者たちの研究と意見の実体は正真正銘の〔誤読の空理空論〕であったのである。

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