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2017年12月 7日 (木)

真実の日本国誕生史・29

 ●日本建国の〔愛〕の理念の証明・4
■「蓬莱山・足高山」の由来の銀河解説
 
◆三国時代(220280)、A図に示すように中国は魏()・蜀(しょく)・呉()に分かれて覇権(はけん)を争っていた。
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 229年、呉の孫権(そんけん)は元号を「黄竜(こうりゅう)」と定めて、皇帝に即位した。孫権はただちに魏帝につかえる遼東太守(りょうとうたいしゅ)の公孫淵(こうそんえん)が住む燕地(えんち)の襄平(じょうへい/現在の遼陽)へ呉との軍事同盟を結ぶ決意を説得する使者として、校尉張剛(こういちょうごう)と管篤(かんとく)を派遣した。というのも、A図に示すように、淵が治める燕地は魏の背後の脅威(きょうい)であったからである。孫権は淵が魏帝につかえる遼東太守であることに不満を抱いていると考えて淵に燕王に封ずる約束をして軍事同盟を結ぶことができれば、魏の前面から呉と蜀の連合軍が攻撃し、背後から燕軍が反旗(はんき)を翻(ひるがえ)して攻撃すれば魏は滅亡すると考えた。というのも、223年に呉と蜀は天下二分の計すなわち中国を呉と蜀で統治すると約束していたからである。しかし、淵は呉の使者の説得に応じなかった。というのも、燕の背後には魏の出張機関の帯方郡政庁(たいほうぐんせいちょう)に訪問して魏と国交を結ぶ東夷(とうい)の大国の卑弥呼が統治する倭()が存在したからである。淵が天下二分の計を結ぶ呉・蜀に同盟を結ぶ動きを魏に察知されると、魏と倭の挟(はさ)み討ちにあってみずからの生命を失い燕は滅亡すると淵は心配したのである。
 B図に示すように、卑弥呼が統治する背後には東鯷人(とうていじん)国が存在した。
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 孫権は――倭の背後の東鯷人国に水軍を遠征させれば、呉に占領される東鯷人国は倭国の背後の脅威となるゆえ、必ずや卑弥呼は多数の兵を東鯷人国に派遣して占領されまいと防御するにちがいない。そうなれば魏の要請(ようせい)があっても倭は燕との戦いに少数の兵しか送り出すことができない。ゆえに、倭は燕の背後の脅威ではなくなるため、淵は呉と蜀の連合軍側につくにちがいない――と考えて東鯷人国遠征を決意した。
 『三国志』呉書孫権伝は「呉の黄竜二年(230)、皇帝の孫権は将軍の衛温(えいおん)と諸葛直(しょかつちょく)に、一万の甲士(こうし/武装兵
)を将(ひき)いて大海を渡って夷州(いしゅう)と亶州(たんしゅう)を求める遠征を命じた」と記述する。

 だから、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚(おのごろじませいこん)説話は――呉の皇帝・孫権が1万の呉軍を東鯷人国に遠征を命じた黄竜二年(西暦230)頃、東鯷人国王は208年の赤壁(せきへき)の戦いで2万の呉軍が魏の80万の大軍を一夜にして火攻めで壊滅させた、この40万の魏の大軍に等しい呉の1万の遠征軍と戦っても勝ち目がないと考えて、卑弥呼が統治する隣国の倭国の一員に加わることを決心して防衛軍の派遣を要望した。したがって東鯷人国は滅亡して、呉の遠征軍が来襲する小国・日本の国土(くに)作りを委任された女王に伊耶那美命が、軍王(いくさのおおきみ)に伊耶那岐命が選ばれた。両人は小国・日本の蓬莱山(ほうらいやま/旧称・足高山、現在の沼津市の愛鷹山)に勝利祈願をする結婚式をおこなった。この結婚式場は、静岡県沼津市の東熊堂(ひがしくまんどう)に所在する東日本最大で最古の前期古墳の高尾山(たかおさん)古墳であった。この結婚式の時に伊耶那美命は国作りの柱を〔愛〕と定めて、日本国が誕生した――と、実際に起きた【日本国誕生史】を語るものであったのである。
 (注 わがブログ「真実の日本国誕生史」の9回・13回・16回で詳細に証明したように、呉の1万の遠征軍は[]をキャッチする眼力と技(わざ)を鍛錬する習慣を失っていた。このために、呉の遠征軍は大海を渡ることができず、8割から9割の兵士を台湾沖で失って壊滅した。ゆえに、東鯷人国王や卑弥呼王朝やわが国の人民たちの“呉の遠征軍は必ず大海を渡ることができる”という思い込みや恐怖から日本国は誕生したことになる)

◆『後漢書』倭伝末部の東鯷人国の様子を書く記事には「紀元前3世紀、秦の始皇帝に命令されて方士の徐福(じょふく)が青年男女数千人を将(ひき)いて蓬莱の神仙を求めしむれども得ず」という文がある。この「蓬莱の神仙(仙人)の不老長寿の霊薬が採取できる蓬莱山」は、C図に示す旧称の「足高山(あしたかやま)」、「現在の静岡県沼津市の愛鷹山(あしたかやま)」であった。前述したように、伊耶那岐命と伊耶那美命は蓬莱山・足高山に呉の遠征軍との戦いに勝利を祈願して、C図に示す高尾山古墳で結婚した。
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 D図は“日本に現存する蓬莱山図の逸品(いっぴん)”とされる「蓬莱山蒔絵袈裟箱(ほうらいやままきえけさばこ)(東京国立博物館蔵 法隆寺献納宝物 重要文化財 平安時代作成)を模写したイラストである。
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 フリー百科事典『ウィキペディア』は「蓬莱とは、古代中国で東の海上(海中)にある仙人が住むといわれていた仙境の1つ。道教(どうきょう)の流れを汲む神仙思想のなかで説かれるものである」と説明する。また、『ウィキペディア』は――中国最古の地理書「山海経(さんかいきょう)」の「海内北経」に、「蓬莱山は海中にあり、大人の市は海中にあり」と記されている。「市」とは蜃気楼(しんきろう)のことで、実際、山東省の蓬莱県は蜃気楼の名所で古来より有名である――とも説明する。蓬莱県とは蓬莱市である。
 『ウィキペディア』は、E図の楕円形で囲む蓬莱市周辺の海中が「蓬莱山」であるとする。
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 この「蓬莱山」を学者たちは空想の産物として軽視し、【日本国誕生史】を解明できる重大な問題として考えない。そこで前回のわがブログ「真実の日本国誕生史・28」でおこなったように、太安万侶(おおのやすまろ)が『古事記』序で記述した「漢字は銀河から作られた。漢字の字源・字形・字義を銀河の形状に変換すれば、『古事記』上巻に記述された上古の歴史を知ることができる」と説明する警告(けいこく)にしたがって、下に示す「文字作成銀河各部の形状」を利用して「蓬莱山」の秘密を解明することにする。

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 ▲文字作成銀河の写真

 漢字となった文字作成銀河の各部には名称が存在しないので、わたくしは下に示すように各部の名称を定めた。

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 ▲文字作成銀河各部の名称

 上記したように『ウィキペディア』は「蓬莱とは、道教の流れを汲む神仙思想で説かれるものである」と指摘する。
 F図左側の「道教」の[]の金文形は「大きな角(つの)が生えるオス鹿の横顔()」を図案するものであるゆえ、「オス鹿の横顔に似る銀河」が[]の字源銀河であった。
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 「オス鹿の横顔に似る銀河」は上掲した〔文字作成銀河の左上部〕にある。
 G図に示す「山東半島周辺の地宜(ちぎ/平面的に図化した地図の形)」における「廟島(びょうとう)列島」が「オス鹿の角」に見立てられた。
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 つまり、F図の「オス鹿の横顔に似る銀河」とG図の「山東半島周辺の地宜」は[]の字源であった。G図の[]の字源「山東半島周辺の地宜」は、E図において楕円で囲む「蓬莱山」となる。これゆえ[]の字源について、道教の教祖である老子(ろうし/紀元前45世紀に生存した)の思想を伝える『老子』第1章の冒頭は「道の道とすべきは常の道に非(あら)ず」つまり「人が行き来する地上の道路はほんとうの道ではなく、真の道は天頂にめぐってくる銀河(オス鹿の横顔に似る銀河)と山東半島周辺の地宜である」と説いている。

◆H図に示すように、「十字の銀河」は大字形であるから[]の字源となった。ゆえに、『老子』第25章は「道は大なり。天は大なり。地は大なり。王もまた大なり」と説く。
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 []の字源「十字の銀河」は「人の正面形・背面形・側身形」に相似する。これゆえ、上記したように『山海経』は「蓬莱山は海中にあり、大人の市(蜃気楼)は海中にあり」という文で――[]の字源にして「人の姿」に相似する「十字の銀河」に見立てられる「廟島列島」は山東半島の北の海中にあり蜃気楼が発生する名所である――と説明していることになる。
 だから、G図に示したように、廟島列島の南の都市の名は「蓬莱」である。
 女性生殖器と子どもの出産を研究した紀元前3000年頃の五帝時代に生存した黄帝もまた、老子と共に道教の教祖である。わがブログ「真実の日本国誕生史・26」で解説したように、「廟島列島」に見立てられた「十字の銀河」は「黄帝」にも見立てられた。わが国の古代中国文字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統(じとう)(平凡社発行)は、I図の右端にある[]の契文(けいぶん/甲骨文字)・金文の字形を「火矢(ひや)の形」と解説する。「火矢」は「火で焼いて消毒した鏃(やじり)を、黄帝は女体を解剖するときのメス(小刀)に用いた」ゆえ、[]の古代字形は「火矢」の図案となり、帝王名の「黄」となった。
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 H図の左図に示したように、「十字の銀河の西側」には「女性の豊かな乳房」や「妊婦のおなか」や「子宮」に相当する箇所がある。これゆえ、I図の左図と中央図に示すように、[]の契文と金文の字形は〔黄帝が研究した女体〕に相似する「十字の銀河」と「矢(女体解剖に用いたメスの鏃)」の合体形となった。[]の字源「火矢」の[]は、[]の字における[(はこ)]の中に入れる[]となった。これゆえ、白川静著『字統』は[]の字源について「矢を匚の中に収めた形で、〔うつぼ〕または〔ゆぎ〕ともいう」と解説する。つまり、I図の左図に示すように「十字の銀河の東側」は「弓を持って狩()りに出る男性の姿」に相似するので「十字の銀河の子宮」は「靭(ゆぎ/矢や鏃を収める匚)」に見立てられた。だから「黄帝がおこなった女性生殖器と出産の研究」は[()]の中に[(メスに用いた鏃)]を入れる[]の字であらわされることになったのである。
 わがブログ「真実の日本国誕生史」の27回・28回でも解説し証明したが、J図に示すように「黄帝」に見立てられた「十字の銀河」は「竜()」の字源でもあった。
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 229年、燕の公孫淵の説得を孫権に命じられた呉の使者は、E図に示した「蓬莱山」の海域を往来した。この「呉の密使が往来した蓬莱山・廟島列島周辺海域」は「十字の銀河」に見立てられた海域であったために[](I図)[](J図)の字源をあらわした。だから、229年の元号を孫権は「黄竜」と定めたのである。

◆前回のわがブログ「真実の日本国誕生史・28」で証明したようにーー日本地図を開くと、富士山は旧国駿河の東端となる沼津市の足高山(C図参照・現在の愛鷹山)の西(北北西)に所在する。この日本一巨大な富士山は、駿河に隣接する伊豆の西端より東日本の各地においては、K図の上部の矢印が示すように足高山の稜線(りょうせん)にくっ付くように東へ移動して見える。この風景を、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話の末部にある語句は「久美度邇興(久くみどにおこ)して」と表現したのである

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◆L図は、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話の末部にある「久美度邇興して」の富士山が蓬莱山・足高山の東へ移動する風景図である。
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 前述したように、『山海経』は「蓬莱山は蜃気楼の名所の山東省の蓬莱市の海中にあり」と説明する。ゆえに、L図に示す〔沼津市の蓬莱山・足高山の西にある日本一巨大で重い富士山が移動して、富士山の東にある蓬莱山・足高山の峰の後ろに富士山がくっ付く風景〕は、E図における蓬莱市で有名な蜃気楼と同じく神秘的な現象となった。したがって下の写真が示すように伊豆以東の東日本で実際に目撃できる、この光景は“とても不思議で、神秘的!”であったことになる。だから、日本一巨大で重い富士山を自分の峰の後ろに引き寄せる「沼津市の足高山」は「蓬莱山」と呼ばれて呪的(じゅてき)な地霊が棲(す)む聖山と尊重されることになったのである。

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 ▲富士山が蓬莱山・足高山の峰の後ろに移動する「久美度邇興しての風景」(駿東郡清水町の富士山と足高)

 『説文解字』は[]の字源を「後よりこれを灸(きゅう)す。人の両脛(りょうけい)の後に距(ささえ)あるに象(かたど)る」と解説する。[]の字義は「人体の足の〔すね/膝・ひざから足首までの間の前の部分〕や〔はぎ/膝から足首までの間の後ろの部分〕」であるから、M図の「人の姿に相似する十字の銀河の両足」が「人の両脛」となる。
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 したがって、『説文解字』は「人間の正面形と背面形に相似する十字の銀河の、その子宮」を「後よりこれを灸す。人の両脛の後に距(ささえ)あるに象る」と解説するものであったことになる。「蓬莱山」の[蓬]の字義は「キク科の多年草のヨモギ」である。秋に黄色(黄褐色)の小さな頭状花を円錐状に多数つける。ヨモギの葉の裏面の白い綿毛(わたげ)から灸(きゅう)で療治(りょうじ)する時に用いる「艾(もぐさ)」が作られる。「黄色の小さな頭状花を円錐形に多数つける蓬(ヨモギ)は[黄]の字源「十字の銀河」(I図参照)に見立てられたのである。
 「久美度邇興して」の[]の字源は、N図に示す「女性の生殖器の正面形」である。
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 []の字源は、H図に示した大字形の「十字の銀河」であり、[]の下の[]はN図に示す「膣(ちつ/産道)」であった。というのも、五帝時代初頭の黄帝につかえた“漢字の始祖”と崇拝された倉頡(そうきつ)が黄帝の女性生殖器と子どもの出産の研究をあらわすために発明した漢字作成原理において「文字作成銀河の形状から作られたすべての文字が生まれる母体」は「十字の銀河」、「すべての文字が生まれる子宮」は「十字の銀河の子宮」と定めたからである。[]の字源・原義は倉頡が発明した漢字作成原理における基本となった「女性の生殖器」をあらわした。その証拠に、N図に示すように「子宮」は「羊の正面の顔」、「卵管膨大部(らんかんぼうだいぶ)」は「羊の角(つの)」、「卵巣(らんそう)」は「羊の耳」に相似する。「子宮で育った胎児は大きく育って産道()から出産する」ゆえ、[][](産道を通過する大きく育った胎児)が加わった[]の字源は「女性の生殖器」であったことになる。ゆえに、「久美度邇興して」の[]は「十字の銀河」と「十字の銀河の子宮」に見立てられた「美しい富士山」であった。「度邇」はつまり「度(わた=渡)る、東邇(ひがしに)」であった。[]の字源について、白川静著『字統』は「地霊をよび興すことをいう。まず地霊を祀る」と解説する。したがって、K図の上部とL図に示したように「久美度邇に興して」という語句は「足高山の西に所在する日本一巨大で重い富士山を、足高山が自分の峰の後ろに引き寄せて移動させる地霊による風景」を意味した。

◆下に示すO図の上図に指摘したように、「廟島列島」は「十字の銀河」に見立てられてた。というのも、前述したようにG図における「廟島列島」はF図の「十字の銀河」に見立てられたからである。したがって「山東半島」は「鬼の姿に似る銀河」に見立てられて「蓬莱山の神仙思想」が成立した。
 O図の上下の図が示すように、「廟島列島」と「久美度邇興しての、東へ渡る(移動する)富士山」は共に「十字の銀河」に見立てられた。したがって「山東半島」と「足高山」は共に「鬼の姿に似る銀河」に見立てられたことになる。
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 O図における上図の「蓬莱市」は下図の「富士山の麓から足高山連峰(現在の愛鷹連峰)までの地域」が相当する。このため、静岡県沼津市の足高山の真北に所在する標高1,296mの足高山連峰の一角の静岡県裾野市に所在する山は、O図の上図の山東省の蓬莱市に相当すると見立てられて、現在、「蓬莱山」と呼ばれる。(地図に示されているように、裾野市の蓬莱山の山頂は北緯3514分、沼津市の足高山の山頂は北緯3512分で、わずか2分の緯度差である)
 中国では桃は神仙・仙人に呪力を与える樹木の仙木、仙人に呪力をあたえる果物の仙果とされ、不老長寿を与える植物として親しまれている。ゆえに、沼津市の足高山の山頂には、現在も桃沢神社が祀られる。「桃沢神社」の「桃」は「不老長寿の霊薬の桃」をあらわす。紀元前1世紀に成立した司馬遷(しばせん)著『史記』の巻百十八「淮南衝山列伝(わいなんしょうざんれつでん)」における徐福について説明する記事では「浮島沼」は「平原広沢(広大な平野にある湿地帯)」と記述された。したがって、C図に示した沼津市の足高山の南に所在した「浮島沼(うきしまぬま/「浮島原」とも称する、平原の一大湿地帯)は、「桃沢神社」の「沢」をあらわした。
 だから、O図上図の「山東半島」に見立てられた「沼津市の足高山」は「紀元前3世紀、徐福一行が不老長寿の霊薬の桃の木が繁茂すると思い込んだ蓬莱山」であったことになる。この秘密は、これから説明する「蓬莱山の銀河」によっても証明される。

◆わがブログ「真実の日本国誕生史・23」でも指摘したように、人間の目は自動露出カメラのごとく本人の意志にかかわりなく、明るさに応じて虹彩(こうさい/絞り)がはたらいて、瞳孔径(どうこうけい/瞳孔の直径)を約2mm~7、8mmくらいまで縮小・拡大する仕組みになっているので、視界の中に入った光の量によって銀河各部の形は変わる。上掲した文字作成銀河の白黒写真はわずかに明るい光が視界の中に入った時の瞳孔径と同様の絞りで撮影したーー字源・字形・字義となる銀河各部の形状が最も明確に見える状況を示すものである。
 現在、街の照明などの「光害」の影響で、日本では7割の人々が肉眼で銀河を見ることができない。
 上掲した文字作成銀河を撮影した藤井旭(あきら)氏は、わが国の天体写真家の第一者とされる。下に示す文字作成銀河における「十字の銀河から人の横顔に酷似する銀河までのカラー写真」は藤井旭氏が「肉眼で見た印象に近い写真」という言葉を添えて、わたくしに提供したくださった写真である。この写真の銀河を「蓬莱山の銀河」と名づけることにした。

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 ▲蓬莱山の銀河

  
P図に示すように、「人の横顔に酷似する銀河」は日本の伝統色の桃の花の色の桃花色(ももいろ)あるいは鴇色(ときいろ)に輝き、その額(ひたい)にある「北天の最輝部(さいきぶ)」は燦然(さんぜん)一段と美しく桃花色にきらめく。また「北天の最輝部」は「鳥の胴体や首・頭」に観え、その西隣の銀河は「鳥の翼」の形に相似して桃花色とも鴇色ともつかなく美しく輝く。だから、国際保護鳥の「トキ」という名の鳥はわが国では「桃花鳥」と表記されることになった。したがって「北天の最輝部と西隣の鴇色の翼の形をした銀河」が「桃花鳥」の語源であったことになる。
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(C) 2017 OHKAWA
 
 Q図に示すように、蓬莱山の銀河写真における「鬼の横顔に似る銀河」は「桃花色」に輝き、「鬼の横顔の頬(ほほ)の銀河」」は「桃花色に染まって桃尻(ももじり)の形」となり、その西隣の「北アメリカ星雲」は「熟した桃の実の色」のごとく赤色に染まる。この「子どもの顔や頬や肩の三箇所となる銀河」が語源となって、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国(よみのくに)訪問説話では「伊耶那岐命が決行したクーデターに参加した三隊に分かれる日本兵と地元の熊野に住む戦士たち」は「桃の子三箇(みみつ)」と表記された。桃の子三箇は、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本(現在の熊野速玉大社の境内)で伊耶那岐命の指揮のもとに倭の大軍を撃破して、天照大御神(伊耶那美神命)を倭女王から失脚させた。
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  そしてQ図の蓬莱山の銀河における「十字の銀河の子宮」は「富士山の形に似る台形」となり、赤く輝いて「お灸(きゅう)の形」となる。さらに注目すべきは、「十字の銀河の子宮」の南隣は「亀の頭」に観え、「十字の銀河の両脛(りょうけい/両足)」は「亀の前足」に観える。ゆえに、「十字の銀河」は「亀の甲羅に乗る蓬莱山」に相当する。だから、D図の蓬莱山図に示したように「蓬莱山は亀の甲羅の上に乗ること」になったのである。
 若い苗を餅(もち)に入れて草もちにする蓬(ヨモギ)は腹痛・吐瀉(としゃ)に利く漢方薬であり、あるいは吐血や解熱(げねつ)に用いる薬であった。「蓬莱」の[]の字義は「一年草のアカザ」であり、生草はもんで虫に刺された時に塗る薬となり、また茎や葉をかわかした煎汁(せんじゅう)はうがい薬に用いられ、中風にも効くといわれる。アカザは食用野草として古くから用いられてきた。しかし多く食べ過ぎると中毒症状をおこし、日光に当たった部分は上掲した蓬莱山の銀河における「北アメリカ星雲(Q図参照)」のような火傷に似た紅疹(こうしん)を発することがある。
 前述したように、229年に孫権が公孫淵のもとに送った使節が往来したE図の「蓬莱山」の海域における「廟島列島」は[][]の字源「十字の銀河」に見立てられたゆえ、孫権は元号を「黄竜」と定めた。その翌年の黄竜二年(230年)、孫権は1万の水軍にB図に示した東鯷人国=小国・日本への遠征を命令した。これゆえ、
『古事記』上巻の淤能碁呂島説話は「呉の遠征軍は徐福一行が目指した蓬莱山を目指して来襲するという予想のもとに日本国は誕生した」と伝える。この日本国誕生の原因となった徐福一行が目指した蓬莱山は、沼津市の足高山であった。というのも、L図の「久美度邇興しての風景」によって「沼津市の足高山と富士山」はE図の楕円で囲まれる「蓬莱山」となる「廟島列島と山東半島」に見立てられたからである。その証拠に、E図の楕円形で囲まれる「蓬莱山」の範囲となる山東半島東端の栄成市(O図の上図を参照)には「始皇廟」があり、この始皇廟においては「徐福東渡」の額が飾られ、始皇帝と徐福の偶像も陳列されて「徐福一行は栄成市の港から日本列島へ向かって出帆した」と説明する。

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 ▲山東省栄成市の「始皇廟」(1994227日撮影)

 したがって、「蓬莱・蓬莱山」という神仙思想は上掲した「蓬莱山の銀河」におけるQ図の「十字の銀河・鬼の横顔に似る銀河・北アメリカ星雲」から成立したことになる。Q図の「蓬莱山の銀河における十字の銀河の子宮と鬼の姿に似る銀河・北アメリカ星雲」は、O図の下図に示した伊豆以東の地域で目撃できる「富士山」が「十字の銀河の子宮」・「足高山」が「鬼の姿に似る銀河・北アメリカ星雲」に見立てられた風景と合致する。この「久美度邇興して」という不思議な現象を興す「日本一巨大で重い富士山をみずからのほうに引き寄せる沼津市の足高山」はその神秘性からして、畏敬(いけい」の眼(まなこ)で見られて「蓬莱山」と呼ばれることになったのである。
 以上のごとく、『古事記』序の「漢字を銀河各部の形状に変換すれば、歴史を解明することができる」という警告を守れば一気に【日本国誕生史】は明らかとなる仕組みになっている。
 他方、1725年に没した新井白石以来『古事記』序の警告に従わない現在までの学識者たちは西欧近代合理思想の致命的な欠陥の〔傲慢(ごうまん)な単純化〕に憑()りつかれて『古事記』序の警告をいっさい受けつけず無視して、日本人にとって最も大事な【日本国誕生史】を〔誤読〕で抹殺する。学識者たちの研究と意見は、日本人の尊厳を〔多数の誤読〕で弄(もてあそ)ぶウソ八百の〔空理空論〕であったのである。
 わが国における「科学における不正行為」において、2000年に起きた「旧石器発掘ねつ造事件」が代表例とされるが、この事件をはるかに超えて「科学における不正行為」の最たる事件は、学識者たちがこぞって『古事記』上巻に【多数の誤読】を加えてねつ造した日本神話説と日本神話に直結する邪馬台国説の両説である。

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