真実の日本国誕生史・34
●日本建国の〔愛〕の理念の証明・9
■日本古代史学最大の科学における不正行為
◆日本国は〔愛〕を高らかにかかげて誕生した。
日本人は〔愛〕から始まった。
「日本」は〔愛〕の真理の母から誕生した。
「日本の真実の歴史」は〔愛〕の両腕に抱かれて育った。
したがって、「日本文化・風習」は〔愛〕の両腕に抱かれて育てられた。
【日本建国の〔愛〕の理念】を敵視して、みずからの強さを述べる権力者たちの主張は無意味であったのである。
日本国が起源した歴史について、みずからの強さを誇示する学者たちの主張は無意味であったのである。
あなたが知っている日本国誕生史は、ウソ八百の誤読の空論である。
学者たちは多数の〔誤読〕をもって、ウソ八百をでっち上げ、真実の日本国誕生史を抹殺(まっさつ)したのである。
日本国誕生史の真実は、卑弥呼が登場する『魏志』倭人伝の末部の、その一端で示された。つまり、『魏志』倭人伝末部に登場する「壱与(いよ)」は、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話のヒロインの「伊耶那美命」であった。人民は「壱与」を「伊耶那美命」と愛称したのである。この事実は、江戸時代中期の新井白石(あらいはくせき/1657-1725)から始まる〔誤読〕を加える立論方法を正しいとする学者たちの空論によって抹殺された。伊耶那美命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】は、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話に記述された。
太安万侶(おおのやすまろ)は『古事記』序に「漢字の字源・字形・字義は銀河から作られた。『古事記』上巻に記述された真実は、各文字を銀河各部の形状に変換すれば明白になる」と、歴史解明方法を書き残した。
漢字は銀河から作られた――これは事実であった。この『古事記』に記述された真実は、江戸時代の国学者の本居宣長(もとおりのりなが/1730-1801)が著作した『古事記伝』という注釈書によって抹殺された。『古事記伝』は文字を銀河各部の形状に変換する方法を排除(はいじょ)して、多数の〔誤読〕を加える方法を用いて日本上古史の真実を抹殺した。
現在の学者たちは、白石が開発した『魏志』倭人伝に〔誤読〕を加える方法を受け継ぎ、宣長が著作した『古事記伝』を教科書として、あいもかわらず、文字を銀河各部の形状に変換する方法を排除して、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻に多数の〔誤読〕を加えて真実を抹殺する。
『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の記事によって科学的に解明できる「文字は銀河から作られた」という事実は、漢字だけに限らない。紀元前3000年ころから起源する古代エジプト文字(ヒエログリフ)もまた、漢字と同一の文字作成銀河の各部の形状から作られた――この事実は『魏志』倭人伝と『古事記』上巻によって科学的に解明することができる。したがって、『魏志』倭人伝と『古事記』上巻は、人類の歴史上、最も偉大な文字の発明と起源について科学的に解明できる重大な史料であったのである。〔誤読〕を加えなければ、「人類は文字を銀河から作った事実」が解明されていたのである。
現在の学者たちが主張する「邪馬台国説」と「日本神話説」は、【科学】に反する誤読の空論である。
日本国の誕生を冒涜(ぼうとく)し、日本人を冒涜し、日本人のいのちと魂を冒涜し、日本人のアイデンティティを冒涜し、〔愛〕の両腕に抱かれて育った日本文化を冒涜し、日本人を愚弄(ぐろう)し、虚仮(こけ)にする誤読の空論である。
また最も愚劣(ぐれつ)な行為である。人類が銀河から発明した文字の起源と歴史を抹殺する最も愚劣な行為である。
日本国は〔愛〕の真理の母から誕生した。
日本の歴史は〔愛〕の両腕に抱かれて育った。
日本は〔愛〕をかかげて誕生した。
日本は〔愛〕から始まったのである。
これは重大な真実である。
◆上記した事実は、わがブログ「真実の日本国誕生史」の1回~33回(前回)まで詳細に解説して証明してきた。
『魏志』倭人伝には〔東西南北の方位〕を示す記事が全部で15ヵ所存在するが、この15の方位記事に〔誤読〕を1ヵ所も加えなければ、A図に示すように、日本列島の〔東〕は〔南〕へ伸びる転回日本列島地理となる。
(C) 2017 OHKAWA
学者たちは、A図の転回日本列島地理は実在しなかったと主張する。というのも、B図に示す北極星を基準にすれば日本列島は〔東〕へ伸びることになるからである。
(C) 2017 OHKAWA
しかし卑弥呼王朝では、C図の右上の〔[玄](天頂緯度線と子午線)をキャッチする天文地理学〕を政権基盤とした。
(C) 2017 OHKAWA
『魏志』倭人伝の冒頭は「倭人国は、朝鮮半島の魏の出張政庁(しゅっちょうせいちょう)がある帯方郡(たいほうぐん)の東南の大海に在る」と説明する。この「大海のうちの一画」が「玄界灘(げんかいなだ)」である。「玄界灘」という名は「北極星を基準とすると命を失うが、[玄]をキャッチする緯度・経度測定方法ならば命を失わずに往来できる陸地から遠く離れた波の荒い海」と意味した。したがって「[玄]をキャッチする緯度・経度測定方法をもって、卑弥呼王朝は転回日本列島地理を制定した」ゆえ、朝鮮半島と中国の地を往来する時の大海は「玄界灘」と名づけられることになったのである。
[玄]をキャッチすると、C図の下部に記したように、そのキャッチする天頂緯度線によって1度の60分の1の1分の精度で緯度が精確に測定できた。ところが、B図の右上に示すように、当時(2世紀~3世紀)の北極星は天の北極を約10度・600分の半径で円を描くものであったゆえ、直径約1200分(20度)の大きな円の中心の天の北極の高度で緯度に換算しなければならなかった。玄界灘を往来するには1分の緯度差を測定できなければならなかったゆえ、約1200分の円の中心となる天の北極の高度を1分の緯度差を測定することは不可能となる。
A図の左側に示したように日本列島の西端の玄界灘に浮かぶ沖ノ島と日本列島の東端にある伊豆諸島の神津島(こうづしま)は同緯度(北緯34度15分)である。この同緯度測定は、1分の緯度差を測量できるC図の〔[玄]をキャッチする方法〕ならば可能となる。
卑弥呼王朝が制定した錯覚の転回日本列島地理の東端の基点となる神津島からは、良質の黒曜石(こくようせき)が産出した。黒曜石は火山活動によってできた“黒いガラス”とされ、上手に刃をつけると石槍(いしやり)や鏃(やじり/矢の先端)はもとより、皮はぎや肉切り用の石包丁(石器)として利用された。神津島の黒曜石は良質であったために、関東地方、東海西部(愛知県、静岡県)、近江(滋賀県)、北陸地方(石川県能登半島)まで分布した。そして、神津島の黒曜石は約3万年前の後期旧石器時代から使用されていることが明らかとなり、縄文時代、卑弥呼や伊耶那美命が生存した後期弥生時代の3世紀まで本土に運ばれて利用されていたのである。神津島から伊豆半島までは30㎞以上も海で隔たれ、神津島から石川県能登半島までは直線距離で約400㎞もある。約3万年前の旧石器人はじめ弥生後期の人々は日々鍛錬して〔[玄]をキャッチする眼力と技(わざ)〕を有するものであったゆえ、大海を往来でき、北陸の能登半島などの遠い地から旅する人々も伊豆半島に到着して、神津島の黒曜石を手に入れることができたのである。
この神津島の黒曜石を求めて海を往来した交通について、学界は世界史上でも最古の海洋航海と注目するが、その実体は未だ秘密のベールに包まれて不明とする。人類は原始の時から、脳に[玄]で精密に緯度測定する本能がそなわり、鍛錬すれば[玄]をキャッチできる神秘的な眼力と技を有することができたのである。だから、この神秘的な呪力(じゅりょく)によって、一団を組んで日々食料を求めて移動する原始の生活にあっても、“道に迷った! 道が消えた! 死ぬ”と一気にパニック状態におちいって集団自殺しないですみ、人類は[玄]をキャッチしないで滅亡しなかったのである。優秀なスポーツ選手が、優秀な職人たちが「その技術の極み(最高・最良の技)に達すること」を「道を極める」と表現するのは、〔人間の極みの能力であった[玄]をキャッチする習慣の名残(なご)り〕であったのである。
◆北極星を基準する緯度測定では、地平線(水平線)からの天の北極からの高度で換算される。つまり、地平線(水平線)からの天の北極の高度が35度14分の観測地点の緯度は、北緯35度14分となる。
日本列島の西端の沖ノ島と東端の神津島が同緯度であることは、B図に示した北極星の円軌道の中心となる天の北極の高度では測量できない。B図は、25,800年で一周する天の北極と北極星の位置図である。北極星が天の北極に最接近するのは紀元前2790年のりゅう座α星と、現在から83年後のこぐま座α星である。この二つの北極星は、直径が約1.5度(90分/満月の3個分)で天の北極を中心にして回る。この北極星で緯度測量すると、90分の円の中心となる天の北極の高度を1分の精度で測量することは不可能となる。
だから、天の北極に最も近づく北極星でも、伊豆半島から神津島間を往来することができなかった。ましてや直径約1200分の円軌道を描く3世紀の北極星では天の北極の高度を1分の緯度差で測量できなかったゆえ、玄界灘は往来することができなかったことになる。
D図に示す、日本列島の西端の沖ノ島では冬に雪が降る。ところが日本列島の東端の亜熱帯地区の神津島では冬になっても雪は降らず一年中暖かい。ゆえに、日本列島の地理と気候区を合体させると〔西冷・東暖〕となる。中国の海岸線地域の北部の気候は冷たく、南部は暖かいゆえ〔北冷・南暖〕となる。このように中国海岸線地域の〔南〕と日本列島の〔東〕は共に〔暖かい気候〕で合致するので、『魏志』倭人伝の〔全15ヵ所の方位記事〕は「卑弥呼王朝が日本列島の〔東〕は中国海岸線地域の〔南〕の方に伸びるとする錯覚の転回日本列島地理を制定した」と伝えていたのである。
(C) 2017 OHKAWA
わがブログ「真実の日本国誕生史・13」にて詳細に解説し証明したように――卑弥呼王朝が制定した錯覚の「転回日本列島地理」は、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話では「淤能碁呂島」と表記されたのである。というのも[淤]の字義は「どろ(泥)」、[能]の字義は「クマ(熊)」、「碁呂」の語義は「転回する」であるからである。したがって、「日本列島の地底には樹木を育てる水が溜まり泉や井戸となる地下水が大量に貯えられて淤(どろ)や沼土(ぬまつち)のように柔らかになっているので、熊の冬ごもりの巣の横穴と縦穴のごとく横の緯度が縦の経度になるように90度転がる(碁呂がる)」ということになり――「淤能碁呂島」は「卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理」を意味するものであったことになる。
『魏志』倭人伝の「古(いにしえ)より以来、倭の使者が中国に到着した」という記事が伝えるように――倭の使者や使節は、C図の[玄]をキャッチする方法で玄界灘を往来していたことになる。
学者たちが主張するがごとく、日本列島が〔東〕へ伸びると定めることができる北極星を基準すると、倭の使者や使節は玄界灘を往来することできなかったことになり、中国では倭の様子をまったく知ることができなかったことになる。ゆえに、『魏志』倭人伝には文字が1字も書かれていなかった、いや『魏志』倭人伝は最初からまったくこの世に存在しなかった完全にゼロなるものであったことになる。したがって学者たちの意見の正体は、【科学】がまったく成立しない誤読の空論であったのである。
◆学者たちは「わが国が漢字を最初に習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定する。この定説に反して、2世紀末~3世紀半ばのわが国の様子を伝える『魏志』倭人伝には、「わが国には漢字が実在した」と証言する記事が2ヵ所ある。
この一つ目の記事は「倭の卜占(うらない)に用いる辞(文字とことば)は令亀(れいき)の法のごとし」つまり「倭の卜占に用いる辞(文字と語)は中国の殷代(いんだい)後半の亀の甲羅に刻む甲骨文字=契文(けいぶん)のごとし」と証言する。二つ目の記事は「魏の都・帯方郡・諸韓国で用いる楷書と倭の卑弥呼が文書に用いる文字は差錯(ささく)していたので、倭の小国の伊都(いと)国の港では、魏都・帯方郡・諸韓国の楷書と卑弥呼が用いる文字を点検し確認して正しく変換していた」と証言する。
わがブログ「真実の日本国誕生史・31」で詳細に解説して証明したように――卑弥呼と伊耶那美命と同時代に生存した遠江(静岡県西部)の豪族の建比良鳥命(たけひらのみこと)は、E図に示す1千万坪の大鳥の地上絵を作製した。この大鳥の地上絵は、静岡県浜松市北区の細江(ほそえ)町の行政区域を表示する地図の形となって現在も残っている。(わたくしは、この大鳥の地上絵を「卑弥呼の地上絵」と名づけた)。
(C) 2017 OHKAWA
E図の大鳥の地上絵(卑弥呼の地上絵)の顔は「夏至の日の出の方角」を向いて「わが国に原初漢字・夏音(かおん)文字が伝来して習得された」と現在に伝えている。
わがブログ「真実の日本国誕生史・3」で詳細に解説し証明したように――現在中国に残っている最古の漢字音は紀元前1000年頃の西周初期の字音である。しかし、わが国には中国の上古音(周代初期の漢字音)よりも古い漢字音が残っていることが、音韻(おんいん)学の研究によって証明された。
わが国には中国の最古の上古音よりも約1000年前の紀元前4070~同4050年頃の夏(かだい)初頭に、夏音文字が伝来していたのである。
「銀河」の別名は「銀漢(ぎんかん)」であるゆえ、「銀漢の各部の形状から作られた文字」を略して「漢字」と言ったのである。したがって、〔天(夜空)に多数の文字(の字源・字形・字義)が存在することになった〕ので、「天」は「天文」と称されたのである。また、「「銀河各部の形状が文字となる学芸に精通した大王」を「天皇」と呼んで尊んだのである。
このブログ「真実の日本国誕生史」では、幾度も繰り返して紀元前3000年頃に生存した倉頡(そうきつ)が銀河各部の形状を文字と定めた発明について解説した。倉頡は自らが考案した文字が最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を手に入れて革命に利用したならば王朝は容易に滅亡すると心配した。ゆえに、倉頡は(1)銀河各部の形状から文字が作られた秘密を暴露した者、(2)文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者、(3)書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者また消し忘れた者には神罰がくだって即刻に死刑に処せられるという厳しい掟(おきて)を定めた。
前述したように、わが国には下に示す銀河の写真の各部の形状を字源・字形・字義とする夏音文字が伝来していた。下に示す銀河を、わたくしは「文字作成銀河」と名づけた。
▲文字作成銀河の写真
上記した倉頡の(2)の掟のために文字作成銀河の各部には名称が無いので、わたくしは下に示すように各部の名称を定めた。
▲文字作成銀河各部の名称図
いま残っている最古の漢字音の夏音文字の字音(すなわち、夏音)は『魏志』倭人伝の「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む夏音はじめとする人名・小国名・官職名に用いられて楷書で表記されて滅びずに残っている。また、夏音文字の字音は『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて楷書で表記されて多数残っている。
契文(甲骨文字)・金文・楷書の字形は文字作成銀河各部の形状に相似して作られた。そして、わがブログ「真実の日本国誕生史」は夏音文字と夏音文字を表記する楷書の字源・字形・字義は共に文字作成銀河各部の形状であることを証明した。
これゆえ、上記した『魏志』倭人伝の「倭国の伊都国の港では魏都・帯方郡・諸韓国が用いる楷書と卑弥呼の文書に用いる文字(夏音文字)を点検し確認して正しく変換できた」という記事は事実を伝えていたことになる。つまり、文字作成銀河は楷書と夏音文字の正しい字源・字形・字義を知ることができる字書・辞典の役割を有した。だから、伊都国の港では楷書と夏音文字を正しく変換できたのである。
以上のごとく、学者たちが「わが国が最初に漢字を習得したのは、5世紀あるいは6世紀である」と断定する定説は誤読の空論であり、【科学】がまったく成立しない完全なる妄想(もうそう)ということになる。
◆太安万侶が書いた『古事記』序の冒頭記事は「臣(しん)安万侶言(もう)す。それ混元(こんげん)すでに凝(こ)りて、気象は未(いま)だ効(あらわ)れず、名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)かその形を知らむ。しかれども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)を作(な)し、陰陽ここに開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)と為(な)る」である。
上記した『古事記』序の冒頭を現代語に訳すると「臣下の安万侶が陛下に申し上げます。およそ太古において文字作成銀河のうちの天頂にめぐってきた銀河の形状は混沌(こんとん)として凝固(ぎょうこ)しないありさまでありました。このため、前期縄文初頭(今から6000年前)より以前にあっては天頂緯度線が貫通する銀河が示す気の象(かたち)に名をつけることもそれを表現する技もありませんでした。しかし、前期縄文初頭以後になりますと[天]と[地]のイメージをあらわす銀河に初めて天頂緯度線が貫通するようになりました。このため、(1)前期縄文、(2)中期縄文、(3)後期縄文初頭(夏代初頭)に天頂にめぐってきた造化の参神(三つの時代の造化・芸術の神々)に名をつけることができました。また、前期縄文から後期縄文初頭までの約2000年間におよぶ文字作成銀河から土器や土偶を造った伝統をうけ継いだ東日本(小国・日本)に住む芸術家たちは、後期縄文時代の首(はじめ/初頭)に中国から伝来した夏音文字の学芸をいちはやく習得して、その恩恵をうけました。そして、東日本(小国・日本)に赴任した陰の伊耶那美命と陽の伊耶那岐命の二霊がわが国のすべての生みの親となりました」となる。
わが国の土器・土偶作成における造化(芸術)革命は、前期縄文時代、F図に示す伊耶那美命と伊耶那岐命が赴任した小国・日本の範囲となる関東地方から起きた。中期縄文になると、世界に類(るい)をみない豊かな装飾性(そうしょくせい)と高度の芸術性からなる土器と土偶が山梨県(F図の甲斐)や長野県(F図の信濃)の高地で造られた。
(C) 2017 OHKAWA
前期縄文と縄文中期の土器と土偶は、漢字が作られた文字作成銀河の各部の形状から造られたのである。夏の始祖・禹(う)の後を継いで帝王となった益(えき)の孫の王子(天祖)と若者たちは、中国から[玄]をキャッチして大海を渡って日本列島の東北地方に移住した。益氏の王子と若者たちは夏音文字の学芸を夏音の言葉で説明するものであったゆえ縄文人たちにはチンプンカンであったが、彼らが文字作成銀河の各部の銀河を指して手振り身振りでおこなう説明を文字作成銀河から芸術性豊かな土器・土偶を造形したF図の示す山梨県や長野県の芸術家たちが[玄]をキャッチして東北地方に旅して習得された。だから、わが国に夏音文字の学芸が根付いたのである。
『古事記』序の夏音文字の学芸の習得を説明する末部の「参神造化の首(はじめ)を作(な)し」という文に続くのは「陰陽ここに開けて、二霊群品の祖となる」という文であり、この文は「人民が敬愛した伊耶那美命と伊耶那岐命こそがわが日本国のすべての生みの親である」と伝える。だから、『古事記』上巻の作成目的は【日本建国の〔愛〕の理念】を唱えた伊耶那美命と伊耶那美命の死後に【日本建国の〔愛〕の理念】を受け継いだ伊耶那岐命の歴史を伝えることであったことになる。
『古事記』序はさらに「『古事記』上巻に用いられる夏音文字と楷書の字源・字形・字義を文字作成銀河の各部の形状に変換すれば、真実の歴史が蘇(よみが)る」と歴史解明方法の説明を、序の末部まで続けている。
ところが、宣長が著作した『古事記伝』を教科書とする学者たちは――(1)『古事記』序が語る歴史解明方法を排除し、(2)伊耶那美命と伊耶那岐命は地上の小国・日本に住まずに天上に住んでいたと解釈し、(3)【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪して残酷な徇葬を決行した天照大御神を最高神であると解釈して――〔誤読〕を立論基盤とする意見が正しいと定める。したがって、学者たちの研究意見は、『古事記』編纂スタッフが命を賭けて真実の歴史を後世に残した『古事記』上巻の実体とはまったくかけ離れた、誤読の空理空論、荒唐無稽(こうとうむけい)の空想・妄想(もうそう)となる。
◆このブログ「真実の日本国誕生史」が1回から前回(33回)まで証明してきたように――G図に示す静岡県沼津市の東熊堂に所在する東日本(小国・日本)における最大で最古の前期古墳の高尾山(たかおさん)古墳は、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話の記事に矛盾点がなく【科学】が成立する伊耶那岐命と伊耶那美命が結婚した式場であった。この高尾山古墳で、伊耶那美命は【日本建国の〔愛〕の理念】を唱えた。
(C) 2017 OHKAWA
E図に示した1千万坪の大鳥の地上絵でも、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話は実際にあった真実の歴史を語っていると【科学】が成立して証明することができる。
H図に示す現在の滋賀県彦根市の行政区域を表示する地図の形として残った3千万坪の大鳥の地上絵でも、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話は真実の歴史を伝えていると【科学】が成立して証明することができる。
(C) 2017 OHKAWA
下に示す京都市に所在する桂離宮の庭園もまた、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話は真実の歴史を伝えていると【科学】が成立して証明することができるように作られている。
▲桂離宮庭園の平面図
I図の京都市に所在する修学院離宮の上御茶屋(かみのおちゃや)に造られた浴竜池(よくりゅういけ)また、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話は真実の歴史を語るものであると【科学】が成立して証明することができるように作られた。
以上のごとく、現在の学者たちの『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話の研究と意見は、『古事記』序が語る歴史解明方法を排除した誤読の空理空論・妄想であったことになる。
3世紀に著作された『魏志』倭人伝は1点の〔誤読〕も加えなければ【科学】が成立する史書であったのである。
712年に成立した『古事記』上巻もまた〔誤読〕を加えずに、その序が解説する歴史解明方法に則(のっと)って各文字の字源・字形・字義を文字作成銀河各部の形状に変換すれば【科学】が成立する史書であったのである。
わが国の古代史学における「科学における不正行為」を代表する事件は、2000年の藤村新一が30年前から発見していた旧石器の発見は模造であったと暴露された事件とされる。この旧石器発掘模造事件よりも数段まさる「わが国における最大・最悪の科学における不正行為」は〔多数の誤読〕を使って立論する「邪馬台国説」と「『古事記』上巻の学説(日本神話説)」ということになる。
このブログの初頭に記述したように――「邪馬台国説」と「『古事記』上巻の学説(日本神話説)」は【科学】に反する〔誤読〕を用いて日本国の誕生を冒涜し、日本人を冒涜し、日本人のいのちと魂を冒涜し、日本人のアイデンティティを冒涜し、〔愛〕の両腕に抱かれて育った日本文化を冒涜し、日本人を愚弄し、虚仮にする、愚劣な行為であり、人類が銀河から発明した文字の起源と歴史を抹殺する愚劣な行為である。
だから、「邪馬台国説」と「『古事記』上巻の学説(日本神話説)」は「わが国における最大・最悪の科学における不正行為」ということになる。
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