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2018年1月28日 (日)

真実の日本国誕生史・37

 ●要約と結論・3
■楷書と夏音文字の語が同義となる証明

◆この「真実の日本国誕生史・37」は前回(36)の続きである。今回のブログを読んで不明な点や疑問点があった場合には、前回を検索していただきたい
 前回で指摘したように、現存する最古の『古事記』写本の国宝「真福寺本(しんぷくじほん)」は『古事記』の「序」を「古事記上巻 序幷」と表記する。
 この「古事記上巻 序幷」という表記は(1)前回のブログで解説したように「古事記上巻 序幷」の冒頭おいて「紀元前2070年~紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭=わが国の後期縄文時代初頭、わが国に夏音(かおん)文字が伝来し習得された」と説明するものであったが、夏音文字の学識を反体制側が習得すると革命に利用される可能性が高いゆえ、朝廷と国家が独占管理して厳重な機密を保持する文字であった。このため、夏音文字の存在を明らかにすることは禁じられていた、また夏音文字の学芸について長々と解説することも禁じられていた。ところが、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注を付けて多数の夏音文字が記載された。この『古事記』上巻に多数記載されたタブーの夏音文字について「序」で解説することになったため、「古事記上巻 序幷」という表記になったのである。
 
 また(2)「日本国誕生史は時の朝廷が最も崇拝する皇祖・天照大御神の聖性を汚すため、絶対に後世に伝えてはならないと厳重に禁止されていた。ところが、編纂スタッフは『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付く夏音文字の字源・字形・字義をもって、日本国誕生史の秘密が解明できるように、『古事記』上巻を著作した。この編纂スタッフの企(たくら)みを『古事記』上巻の「序」で説明することになった」ゆえ、「古事記上巻 序幷」と表記されることになったのである。
 
 『古事記』は朝廷に歯向かって真実の日本国誕生史を記述した反逆の歴史書であった。これゆえ、『古事記』の「序」は『古事記』を構成する上巻・中巻・下巻の「序」ではなく、多数の夏音文字が記載されたは『古事記』上巻だけの「序」ということで、「古事記上巻 序幷」と表記されたのである。

◆漢字は紀元前3000年ころ、“漢字の始祖(しそ)”と崇拝される倉頡(そうきつ)によって発明された。倉頡は下に示す写真「文字作成銀河各部の形状」を「字源・字形・字義」とすれば【文字】となる漢字作成原理を発明した。 () 「漢字の起源の秘密」の詳細はわがブログ「真実の日本国誕生史」の3回と4回を検索していただきたい。

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 ▲文字作成銀河の写真

 現在の学者たちは、〔音〕という注がつく文字すなわち夏音文字は字音だけ有して、『古事記』が完成した8世紀当時の楷書と同じく字源・字形・字義を有さない文字であると思い込んでいる。しかし、〔字源・字形・字義・字音の4要素〕から成る楷書と同じく、夏音文字もまた〔字源・字形・字義・字音〕を有した。しかも、楷書の字源・字形・字義は倉頡の漢字の発明にもとづいて銀河各部の形状から成立し、夏音文字の字源・字形・字義もまた楷書と同一の倉頡の発明にもとづく銀河各部の形状から成立した。だから、夏音文字は正真正銘(しょうしんしょうめい)の「文字」であった。
 楷書は文字を書いた資料が出土するが、夏音文字は中国でもわが国でも夏音文字を書いた資料は倉頡が定めた掟(おきて)によって1点も出土しない。しかし、文字を書いた資料が出土したかあるいは出土しないかという、この両者の差違は「文字」の定義とは無関係である。というのも「字源・字形・字義・字音の4要素からなる記号」が「文字」と定義されるゆえ、楷書が文字ならば夏音文字もまた文字と定義されることになるからである。

 楷書では「漢字は銀河から作られた」という事実は不明となったが、夏音文字は「漢字は銀河から作られた事実」を明確に伝え、しかも「倉頡が発明した漢字作成原理を現在に伝える」という特徴を有する。
 というのも、わが国に伝来した夏音文字の学芸は倉頡が発明した漢字作成原理を正確に保存することになったからである。ゆえに、人名・小国名・官職名に用いられて夏音文字が記載される『魏志』倭人伝の【「東西南北」の方位を示す全15ヵ所の記事】は【倉頡が発明した漢字作成原理】を示すことになった。また、『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話冒頭の【淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話における5ヵ所に配置された〔音〕という注が付く夏音文字の語】も【倉頡が発明した漢字作成原理】を現在に伝えることになった。そして夏音文字の学芸を用いて作られた幾つかわが国に現存する遺跡や施設によっても、倉頡が発明した漢字作成原理は科学的に解明できる。

3 「日下」と「玖沙訶」はなぜ同義か?
 
 『古事記』序の末部は、「夏音文字」について「音を以()ちて連ねたる」あるいは「音」と表現し、数行後で「楷書〔日下(にちげ)〕と夏音文字〔玖沙訶(くさか)〕は同義、楷書〔帯(たい)〕と夏音文字〔多羅斯(たらし)〕は同義である」と指摘する。この同義の秘密は、A図を注目すれば察知できる。
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(C) 2017 OHKAWA
 

 A図は、前回の「真実の日本国誕生史・36」で解説した『古事記』上巻の「序」の冒頭記事に登場する「参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)に作()す」という文の解説図である。「参神造化」とは「(1)前期縄文時代における天頂緯度線を示す・土器や土偶(どぐう)を作った芸術の神の天之御中主神(あめのみなかぬしかみ)(2)中期縄文時代における天頂緯度線で示す・土器や土偶を作った芸術の神の高御産巣日神(たかみむすひのかみ)(3)わが国に夏音文字の学芸が伝来した後期縄文時代初頭の天頂緯度線で示す・土器や土偶を作った芸術の神の神産巣日神(かむむすひのかみ)の三柱(みはしら)の神」である。
 A図の「(2)高御産巣日神」と「(3)神産巣日神」という神名に共通する[]は「東の水平線または地平線から出()ずる朝日」をあらわす「三つ輪の銀河」である。したがって、「三つ輪の銀河=日」となる。
 なお、倉頡は反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用すると、王朝は容易に滅亡滅することを心配した。ゆえに、倉頡は文字の学芸知識が反体制側の人々が習得されないように警戒して、文字を容易に習得するために文字作成銀河の各部に名称を付けた者は直(ただ)ちに神罰が下って死刑にすると定めた。この倉頡が定めた厳重な掟(おきて)のために、文字作成銀河の各部には名称が存在しない。字源・字形・字義を解説するのに文字作成銀河の各部の名称はどうしても必要であるので、わたくしは下記のごとく定めた。

Photo_7
 ▲文字作成銀河各部の名称

 A図に示した「日=三つ輪の銀河」は、文字作成銀河各部の名称図」の左上「オス鹿の横顔に似る銀河内にあり、「十字の銀河」左側にある。
 B図に示すように、「三つ輪の銀河=日」の下にある「十字の銀河」は「日下」ということになる。
S942
(C) 2017 OHKAWA

 また、「三つ輪の銀河」は「玉」のように丸い。ゆえに、[]の偏[]となる。文字作成銀河各部の形状を見て字源・字形・字義を解説した“字書の聖典”の『説文解字(せつもんかいじ)』は[]の字源を「後ろよりこれを灸(きゅう)す。人の両脛(りょうけい)の後ろに距(ささへ)あるに象(かたど)る」と解説する。「十字の銀河の子宮」は「人の左右両方の足の右足(西側の足)の脛(すね)」のあたりに在()る。「十字の銀河」を「人の後ろ姿」と見立てると、「十字の銀河の子宮」は「後ろに距(ささへ)ある」ことになる。ゆえに「右足がある後方に向かって体がよろけるが、十字の銀河の子宮がつっかい棒となり体を支(ささ)えて転ぶのを防(ふせ)ぐ人の様子」に観()える。したがって、『説文解字』が解説する[]の字源は「十字の銀河の子宮」であった。その証拠に「十字の銀河の子宮」は「人の背後に、艾(もぐさ)に火をつけてするお灸(きゅう)」に観える。[]の下に[]を加えると[]、ゆえに[]の字源は「十字の銀河の子宮」であった。だから、『説文解字』は[]の字源を「後ろよりこれを灸す。人の両脛の後ろに距あるに象る」と解説したのである。
 B図に示すように、「三つ輪の銀河を形成する無数の星」は「沙(すな)」のようにきらめき、「十字の銀河」もまた「沙」のごとくきらめく。
 前回のブログ「真実の日本国誕生史・36」において、下に示す(2)今から約5000年前の高御産巣日神の世であった中期縄文時代初頭に作られた「縄文のビーナス」を取り上げた。
Photo_8
▲日本最古の国宝・縄文のビーナス 中期縄文時代(5000年前)

 「縄文のビーナス」を所蔵する茅野市尖石(とがりいし)縄文考古館が作成した『常設展示図禄』(2001年発行)35頁は、縄文のビーナスについて「表面はよく磨かれて光沢があります。また、粘土は雲母(うんも)が混じっており、金色に輝いています」と説明する。前回のブログで証明したように、「縄文のビーナス」のモデルは「十字の銀河」であった。縄文のビーナスに用いられた粘土に混じる雲母は「きらめくところ」から「きら」「きらいし」とも呼ばれる。したがって、B図に示したように、[]は「砂粒のようにきらめく十字の銀河」を意味したことになる。
 『説文解字』は[()]を「斧(おの)の柄()なり」と解説する。
 C図に示すように、「十字の銀河の子宮」は「石斧 (せきふ/石の斧)の形」に相似し、「十字の銀河の子宮の上部にある四角い窓となる暗黒部」は「斧の柄を差し込む穴」に観える。
S943
(C) 2017 OHKAWA

 漢字の始祖(しそ)と崇拝された倉頡は、C図に示す「十字の銀河」を「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての文字が生まれる母(母体)」と定めた。したがって、「すべての文字が生まれる子宮」は「石斧」に相似する「十字の銀河の子宮」と定めた。
 白川静著『字統』は「神意がこれを聴()くことを可という」と解説する。[]の偏[][]に変え、旁[]を加えると[]となる。ゆえに、[]は「神の言(ことば)。つまり、人の願いを聴く神意」であったことになる。[]の字義は「うた()」である。ということは「銀河各部の形状から作られたすべての文字が生まれる十字の銀河の子宮や妊婦のような腹部(おなか)から発せられる神の言は、人の心に響く歌のようだ」ということで、[]の字義は「うた()」となったのであろう。
 貝塚茂樹・藤野岩友・小野忍編者『角川漢和中辞典』(角川書店発行/1976年・162)[]について「
黒色の玉の意」と説明する。「石斧」の材料は“黒いガラス”とされる「黒曜石(こくようせき)」であった。黒曜石に上手に刃をつけると、「十字の銀河の子宮の形」に似る大型石器の石斧となった。したがって、「黒色の玉の意」という[]の字義は「宝玉と貴(とおと)ばれた王たちが持っていた切れ味するどい大きな黒曜石の斧」であったにちがいない。
 したがって、夏音文字「玖沙訶」の語源は、C図に示す「十字の銀河の子宮」であった。これゆえ、楷書「日下」の語源も「十字の銀河の子宮」であったことになる。

 D図に示すように、[]の字源は「十字の銀河の子宮と重なる、妊婦の腹(おなか)に観える部分から垂れる3本線」や「十字の銀河の右腕から人の横顔に似る銀河の額(ひたい)に垂れる3本線」であった。
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(C) 2017 OHKAWA

 前述したように、倉頡が発明した辞理(じり) =漢字作成原理によって、「十字の銀河」は「文字作成銀河各部から作られたすべての文字が生まれる母体」、「十字の銀河の子宮」は「すべての文字が生まれる子宮」と定まれた。このため、「十字の銀河」は「多数の文字の字源」となったゆえ、「十字の銀河」は「多羅斯」の[]の字源・字形・字義となった。
 『説文解字』は[]の字源を「糸をもって鳥を罟(あみ)するなり」と解説する。D図の右側の[]の契文形上部は[(もう)]を図案するものであり、下は「鳥」を図案するものである。ゆえに、[]の契文形は「网 ()で鳥を覆って捕獲する柄のついた手網」を図案するものとなる。
 E図に示すように、「十字の銀河の子宮」は「小鳥」に見立てられて[(すい)]となった。
S945
 
 E図において「十字の銀河の乳房と重なるM39」は肉眼でよく見える散開(さんかい)星団である。「M39」のおける〔乳房〕に相当する箇所は「小鳥の巣」、〔乳首〕に相当する箇所は「小鳥の頭」に相似する。このため、「M39」は「巣から頭を出す小鳥」に相似する。[][]が加わると[()][]の下に[]が加わると[]となる。
 D図に示したように、「十字の銀河」は「細い糸のような天頂緯度軸と子午線の経度軸が交わる網」となるゆえ、[]の字義は「あみ()」となった。
 『説文解字』は[]の字源を「柝()くなり」と解説する。D図に示した「十字の銀河の腹部から人の横顔に似る銀河の口部に垂れる3本線」は「十字の銀河から裂 ()ける3本線」となる。ゆえに、[]の字源「人の横顔に似る口部に垂れる3本線」が[]の字源となった。だから、楷書[]と夏音文字「多羅斯」は同義と、安万侶は指摘したのである。

 以上のごとく、「日下」と「玖沙訶」の語源は「十字の銀河の子宮」、「帯」と「多羅斯」は「十字の銀河の腹部から人の横顔に似る銀河の口部に垂れる3本線」であった。
 D図に示したように、「十字の銀河の子宮と重なる腹部」は「垂乳根(たらちね)の母の豊かな乳房」のような形をしているので「十字の銀河の乳房」にも観える。E図に示したように、「M39」も「垂乳根の母の豊かな乳房」のような形をしている。
 古語における「垂乳根(たらちね)」は「父」「母」「両親」にかかる枕詞(まくらことば)である。C図に示した「十字の銀河の乳房と重なる子宮」は〔斧〕に見立てられたゆえ、[]の下に[]が加わって[]の字となった。ゆえに、「垂乳根」は「父」にかかる枕詞となった。E図に示した「M39」は「母の豊かな乳房」に相似し、「十字の銀河の子宮が重なる乳房(妊婦の腹部に観える銀河部)」も「母の豊かな乳房」に相似する。ゆえに、「垂乳根」は「母」にかかる枕詞になった。したがって、「垂乳根」は「両親」にもかかる枕詞となった。
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▲枕詞「垂乳根」の図

 このように「垂乳根」の語源は〔乳房〕の形に見立てられた「十字の銀河の乳房と重なるM39」と「十字の銀河の腹部にも観える、十字の銀河の乳房」であったのである。
 以上のごとく、夏音文字の「玖沙訶」と「多羅斯」の6字は「文字作成銀河各部の形状を字源・字形・字義とする」ものであったゆえ――夏音文字は「字源・字形・字義・字音の4要素で構成される文字」であったことになる。

◆したがって、学者たちが「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀であった」と断定する定説は『古事記』上巻の「序」(古事記上巻 序幷)を誤読した空論、妄想(もうそう)であったことになる。
 学者たちは「文字を記した夏音文字の資料は中国でもわが国でも出土しないから、夏音文字は実在しない」と反論・主張するであろうが――このブログ冒頭で指摘したように、【文字】の定義は「字源・字形・字義・字音の4要素」を有すれば成立する。
 楷書「日下」と同義の夏音文字「玖沙訶」の3字、楷書「帯」と同義の夏音文字「多羅斯」の3字は、上記したように『古事記』が成立した当時に用いられていた楷書と同じく「字源・字形・字義・字音の4要素」から成る。だから、後期縄文時代初頭に習得された「夏音文字」は【文字】であったことになる。
 【文字】の定義には「夏音文字の資料は出土していない」という条件は必要としない。楷書も夏音文字も「文字作成銀河各部の形状」が「字源・字形モデル・字義」となり、「夏音文字の字源・字形・字義」は「文字作成銀河の形状」であった。したがって、夏音文字は【文字】であったことになり、また、「歴史上実在した文字」であったことになる。その証拠に、夏音文字は『魏志』倭人伝において「卑弥呼」を「ヒミコ」と読まれて存在し、他の人名・小国名・官職名にも用いられて実在する。また、夏音文字は『古事記』上巻の「序」の末部において「玖沙訶」「多羅斯」という語となって実在し、上巻の随所に〔音〕という注が付いて多数実在する。
 そして、殷代(いんだい)後半に出現した契文(甲骨文字)、西周初頭から出現した金文、その後に出現した大篆(だいてん)や小篆(しょうてん)などの篆文(てんぶん)、また隷書(れいしょ)、そして楷書の字源・字形・字義は文字作成銀河各部の形状から作られた――という事実は【科学】が成立して証明することができる。
 だから、学者たちが主張する「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀であると断定する定説」は、『魏志』倭人伝や『古事記』上巻の記事を誤読した空論であり、妄想であり、ウソ八百のデタラメということになる。

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