« 真実の日本国誕生史・37 | トップページ | 真実の日本国誕生史・39 »

2018年2月 9日 (金)

真実の日本国誕生史・38

 ●要約と結論・4
■伊耶那岐命の熊野のクーデター

◆現存する最古の『古事記』の写本は、1372(応安5)に愛知県真福寺の僧侶によって書写された、下に示す国宝の「真福寺本(しんぷくじほん)」である。
Photo
 ▲国宝・真福寺本『古事記』愛知・真福寺宝生院蔵

 上に示すように『古事記』の「序」は「古事記上巻」の下に、半分大の小さな字で「序幷」と記される。この「序」は「古事記上巻幷(あわ)せて序」と読まれる。
 わがブログ「真実の日本国誕生史・35」で解説したように、『古事記』は上巻・中巻・下巻の三巻で構成されるが、『古事記』の「序」は中巻と下巻の「序」ではなく、〔音〕という注が付く夏音(かおん)文字が多数記載される上巻だけの「序」である。ゆえに、「古事記上巻」の下に、中巻・下巻の「序」でないことを示して小さく「序幷」と記されたのである。
 また、「古事記上巻 序幷」という表記は――『古事記』上巻は朝廷の欲求(よっきゅう)を無視して、朝廷が最も崇拝する先祖の皇祖(こうそ)天照大御神の聖性をいちじるしく汚(けが)す歴史を記述した反逆の歴史書――であると示すものであった。
 
 『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話は――朝廷が絶対に後世に伝えてはならぬと厳重に禁じる【日本建国の〔愛〕の理念】すなわち伊耶那美命が小国・日本の国作りの柱を〔愛〕にすると唱えた歴史を記述した。
 
 また、伊耶那岐命の黄泉国(よみのくに)訪問説話には、今回の「真実の日本国誕生史・38」の後半で解説するとおり、朝廷が最も崇拝する先祖の皇祖(こうそ)天照大御神の聖性をいちじるしく汚す歴史が記述された。
 
 このように、『古事記』上巻は朝廷に歯向かう反逆の歴史書であった。
 朝廷は〔愛〕を掲(かか)げて誕生した日本国誕生史を後世に絶対に伝えてはならぬと禁じ、また「日本国は天照大御神母子によって誕生した」と伝える偽書の作成を欲求(よっきゅう)した。しかし、『古事記』編纂スタッフは朝廷の命令に逆(さか)らって真実の日本国誕生史をこっそりと後世に伝えることにした。この禁断(きんだん)の日本国誕生史は、『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて記載される多数の夏音(かおん)文字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換する方法で伝えられた。

◆夏音文字は銀河各部の形状を字源・字形・字義とする原初漢字であり、“字書の聖典”と尊重される2世紀初頭に成立した『説文解字(せつもんかいじ)』は〔銀河各部の形状を見て漢字の字源・字形・字義を解説する字書〕であり、『古事記』が成立した712年当時に使われていた楷書も夏音文字と同じく銀河各部の形状を字源・字形・字義とした。
 わが国には紀元前2070年~紀元前2050年頃、中国の夏代(かだい)初頭にしてわが国の後期縄文時代初頭、原初漢字の夏音文字が習得されていた。
 この夏音文字の習得について、わがブログ「真実の日本国誕生史・36」で証明・解説したように――『古事記』上巻の「序」の冒頭は「臣安万侶言(しんやすまろまを)す。夫()れ混元 既(すで)に凝()りて、気象、未(いま)だ効(あらは)れず。名も無く為(わざ)も無し。誰(たれ)か其()の形を知らむ。然(しか)れども乾坤(けんこん)初めて分かれて、参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)に作()す」と説明した。
 上の記事末部の「参神造化の首に作す」という文が「中国の夏代初頭にしてわが国の後期縄文時代初頭の約4000年前、前期縄文時代から約2000年の土器・土偶を作った芸術の参神の伝統を受け継ぐ芸術家たちによって夏音文字の学芸が習得された」と表現するものであった。というのも、夏音文字の字源・字形・字義となった文字作成銀河とわが国の縄文時代の土器・土偶のモデルとなった芸術の参神は同一の銀河であったからである。したがって、縄文の芸術家たちによって、夏音文字の学芸は習得された。
 わがブログ「真実の日本国誕生史・37」で詳細に解説し証明したように、『古事記』上巻の「序」の末部は――楷書「日下(にちげ)」と夏音文字「玖沙訶(くさか)」は同義、楷書「帯(たい)」と夏音文字「多羅斯(たらし)」は同義である――と記述する記事は「楷書と夏音文字の語に用いられる文字の字源・字形・字義は、結局(けっきょく)、同一銀河の形状となるゆえ同義となる」と説明するものであった。
 皇祖の天照大御神母子は夏音文字の学芸を権力基盤にして強大な権力を手中にする大和朝廷の基礎を築いた。このため、朝廷は夏音文字を稍々(やや/少しだけ)記載して天照大御神が上古における最も偉大な先祖であり、天照大御神によって日本国が誕生したと記述する偽書の作成を編纂スタッフに欲求した。編纂スタッフは「稍(やや)夏音を習う(復興する)」と欲求する朝廷の命令からヒントを得て、真実の日本国誕生史を後世に伝えるために多数の夏音文字を習う(復興する)ことにした。つまり編纂スタッフは朝廷の欲求とおりに偽書を作成したと見せかける『古事記』上巻を作成し、〔音〕という注が付く多数の夏音文字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換すれば真実の歴史が蘇(よみがえ)る方法を考案した。
 だから、『古事記』上巻の「序」の役割は「(1)後期縄文時代初頭に夏音文字の学芸が習得された。(2)夏音文字は楷書と同じく銀河各部の形状から作られ、また夏音文字は楷書と同じく字源・字形・字義・字音の4要素で構成される漢字(文字)であった。(3)朝廷の命令にしたがって『古事記』上巻には事実に反する虚偽を装(よそお)った記事を加えたが、随所(ずいしょ)に挿入(そうにゅう)した〔音〕という注が付く夏音文字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換すれば真実の歴史が解明できる」と説明することになった。このため、『古事記』上巻の「序」は「古事記上巻 序幷」と表記されることになったのである。
 なお、夏音文字の学芸は反体制側が習得し、革命に利用される可能性は十分あると朝廷は心配して、その学芸知識は朝廷と国家が独占管理して厳重に機密を保持するものであった。したがって、朝廷が命令するとおりに「稍(少々)の夏音の復興」ならば許されたが、『古事記』上巻のごとく多数の夏音文字の復興(記載)は朝廷に逆(さか)らう大罪であった。
 『古事記』上巻は(1)朝廷が絶対に後世に伝えてはならぬと命じる日本国誕生史の秘密を記述し、(2)多数の夏音文字を記載してはならぬという朝廷の命令に反する、二重の命令違反の反逆の歴史書であったのである。

◆「銀河」の別称は「銀漢」であり、「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられたのである。
 わが国で夏音文字の学芸が習得された約1000年前の紀元前3000年頃、五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえた倉頡(そうきつ)が、下に示す銀河の範囲から漢字を作る方法を発明した。漢字が作られた銀河の範囲を、わたくしは「文字作成銀河」と名づけた。

Ginga
 ▲文字作成銀河の写真

 倉頡は自らが考案した文字が最も強大な権力、莫大な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が習得して革命に利用したならば、王朝は容易に滅亡すると心配した。ゆえに倉頡は「文字の学芸=最強の威力を有する最高の支配者の神」と定めて、(1)文字作成銀河の各部の形状から文字が作られたことを暴露(ばくろ)した人物、(2)文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部の名称を付けた人物、(3)書いた文字が用済みになったならば、文字を直(ただ)ちに消さない人物または消し忘れた人物。この3つの掟(おきて)を破った人物には、神罰が下って即刻に死刑に処せられると定めた。
 だから、(3)の掟のために中国でもわが国でも夏音文字を書いた資料は1点も出土しないことになった。また、現在においても、(2)の掟のために文字作成銀河各部には名称が存在しない。また、新井白石(16571725)以後から現在までの学者たちは誰一人も、漢字は文字作成銀河から作られたから「漢字」と呼称された重大な事実に気づかない。
 『古事記』上巻に記述された真実の日本国誕生史を解明するためには、文字作成銀河の各部の名称がどうしても必要である。ゆえに、わたくしは下図のごとく各部の名称を定めた。

Photo_2
 ▲文字作成銀河各部の名称図


4 天武天皇の歴史書の録の企て
 
 『古事記』上巻冒頭の「序」の真ん中に〔天武天皇の歴史書の撰録(せんろく)の企て〕を説明する記事が配置される。この記事の末部は、舎人(とねり)の稗田阿礼(ひえだのあれ)の誦習(しょうしゅう)について下記のごとく記述する。
 「目に度(わた)れば口に誦()み、耳に払()るれば心に勒(しる)す」
 A図の上部に示した「十字の銀河」は、上に示した「文字作成銀河各部の名称図」の左上にある。
S951
(C) 2017 OHKAWA
 
 A図に示すように、「鬼の横顔に似る銀河の横顔」には〔両目〕があり、「鬼の横顔に似る銀河の首(アゴと後頭部)」にも「両目(目の形に似る銀河)」がある。ゆえに、「鬼の横顔に似る銀河の横顔にある両目から鬼の横顔に似る銀河の首に付く両目までの様子」が「目に度れば(渡れば)」となる。
 「鬼の横顔に似る銀河の口・舌の様子」が「口に誦み」つまり「暗誦(あんしょう)した夏音文字の字音を声に出す」となる。
 A図には「耳に払るれば」の〔耳〕は「激流の銀河の岸辺」に位置するが、形として存在しない。A図の右側の[]の上部が[]の図案である。[]の契文形は「人の背後のほうに耳を傾ける様子」をあらわすゆえ、「耳に払るれば」は「人の背後のほうに耳を傾けて注意を払う、つまり注目する」と意味することになる。そして、A図に示すように、「鬼の姿に似る銀河の背後」には「心臓」や「心」に相当する箇所がある。
 []の字義は「なめしてやわらくにした獣の皮」であり、なめし革(かわ)を作るとき、川で獣の皮を何度も何度も洗う。A図の「激流の銀河」が「獣の皮を洗う川」となり、「長方形の暗黒天体部」が「獣の皮の洗い場」となる。ゆえに、「耳に払るれば」は「夏音文字の字源を暗記して口に誦むつまり小声で口遊(くちずさ)んで、節(ふし)やリズムを付けて歌う字音以外の雑音(汚れ)を洗い除去して耳に入らないようにする、つまり耳を澄ませる」と意味することになる。
 B図に示すように、[]の偏[]の字源銀河は「獣の皮の洗い場となる、長方形の暗黒天体部」である。そして、[]の旁(つくり)[]の字源は「左手の銀河」となって[]の金文の字形に合致する。

▼S95-2
S952
(C) 2017 OHKAWA 

 A図に示したように、「鬼の姿に似る横顔の、形として存在しない・見えない耳」は「獣の皮を洗う川の、激流の銀河の岸辺」に洗われ、[]の字源「長方形の暗黒天体部」に潜(もぐ)って見えない。この「激流の銀河の岸辺に潜って見えない耳」は、上記したように「耳に払るれば」つまり「鬼の姿に似る銀河の背後にある心に払()れる(触れる)、つまり暗誦した字音の詞は心に響く」となる。
 だから、「目に度(わた)れば口に誦()み、耳に払()るれば心に勒(しる)す」とは「字源となる文字作成銀河各部のイメージが、心へと伝わるように、まず前の目の銀河部位から後ろの目の銀河部へと渡し、暗誦した字音(口に誦んだ字音)の詞に他の雑音が入らないように耳を澄ませて、心によく響くようにする」と意味するものであったことになる。
 流行歌手たちは多数の歌詞をおぼえている。多数の歴史年代を暗記するときには、「1192(イイクニ)作れ、鎌倉幕府」などと素朴な節(ふし)やリズムをつけておぼえる。歌にしておぼえると、記憶量が増大する。夏音文字は書いた文字が用済みになると必ず消さなければ神罰が必ず下って死刑となると厳重に定められた文字であったため、多数の字源解説は節やリズムのある歌詞のようにしておぼえなければならなかった。だかた、稗田阿礼の誦習(字源暗記)の文もおのずと素朴な節とリズムがつく歌詞となったことになる。

 ()『古事記』上巻の「序」(「古事記上巻 序幷」)は〔天武天皇の歴史書の撰録の企て〕について、難解な長い文を以て壬申の乱について語り、最後の文は――天皇は「帝紀を撰録し、旧辞(きゅうじ)を討覈 (とうかく/よく調べて正し)して、偽(いつわ)りを削(けず)り実(まこと)を定めて、後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲(おも)ふ」と仰せになられた――という文で終わる。この直後に、稗田阿礼が登場し、上記して解説した「目に度(わた)れば口に誦()み、耳に払()るれば心に勒(しる)す」という文が続く。
 ()
中国の正史『新唐書』日本伝は〔天武天皇の歴史書の撰録の企て〕について――702年に中国に派遣された遣唐使は、中国王朝に「後稍(のちやや)夏音を習う」つまり「壬申(じんしん)の乱の後、稍々、夏音文字を復興することにした)」と伝えた――記す。
 そうすると、()天武天皇の「帝紀を撰録し、旧辞を討
覈して、偽を削り実を定めて後葉に流へむと欲ふ」という企ては、()遣唐使が中国王朝に「後稍夏音を習う」と伝えた「天照大御神を最高神と定める偽書を撰録せよ」と欲求するものであったことになる。
 というのも、天武天皇は天照大御神を崇拝(すうはい)し、絶大な権力を手に入れる政治体制をもって天下を治めたからである。天武天皇の政治体制を受け継いで推進した元明天皇は、真実の日本国誕生史を後葉(のちのよ)に流(つた)える『古事記』の献呈を拒絶して正史として認めなかった。そのわけは、『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話には天照大御神が憎悪・蔑視(べっし)した【日本建国の〔愛〕の理念】が記述され、また伊耶那岐命の黄泉国(よみのくに)訪問説話は――倭女王伊耶那美命の没後に倭女王となった天照大御神は、残虐な徇葬(じゅんそう)をおこない多数の青年男女を殺して、その死体を伊耶那美命の陵墓に埋葬(まいそう)した。これを怒った伊耶那岐命は反乱(クーデター)を決行して、天照大御神を倭女王から失脚(しっきゃく)させた――という事実を後世に伝えるものであったからである。その証拠に、「徇葬をおこなった黄泉国の女王」を「天照大御神」と表記すると即座に焚書(ふんしょ)・抹殺(まっさつ)されるゆえ、『古事記』は「徇葬をおこなった天照大御神」を「伊耶那美命」に「神」の字を加える偽名を作って「伊耶那美(いざなみのかみのみこと)」と表記している。
 だから、『古事記』上巻の「序」に記述された〔天武天皇の歴史書の撰録の企て〕の記事の字面(じづら)だけを解釈する意見は誤りとなり、『新唐書』日本伝にある「稍(やや)夏音を習う」という文にもとづき「稍々 (やや/少しだけ)、天照大御神の政治基盤であった夏音文字を復興して、伊耶那美命と伊耶那岐命の歴史を削(けず)り、天照大御神が残虐な徇葬を決行した歴史を削除(さくじょ)する偽書を作成せよと、天武天皇は欲求した」と解釈しなければならないことになる。
 したがって、『古事記』は天照大御神が徇葬をおこなわなかったと偽りを記述したと見せかける――実は真実の歴史を記述した反逆の歴史書であったことになる。

5 伊耶那岐命の黄泉国訪問説話の天照大御神

 『古事記』序の冒頭の「参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)に作()し、陰陽斯(ここ)に開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)と為()る」の次に続く文は、「所以(このゆえ)に幽顕(ゆうけん)に出入(でいり)して」いう文である。この文は「これゆえ、伊耶那岐命は没した伊耶那美命を追って黄泉国(よみのくに)を訪(おとず)れ、この世に戻った」と意味する。
 上記したように、『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話においては、黄泉国の女王の名は「伊耶那美(いざなみのかみのみこと)」と表記される。この「黄泉国の伊耶那美命」を「死んだ冥界(めいかい)の伊耶那美命」と学者たちは解釈するが、実は「天照大御神」であった。「黄泉国の女王」を「天照大御神」と表記すると、『古事記』は直(ただ)ちに焚書(ふんしょ)・抹殺(まっさつ)される。ゆえに、天武天皇が「稍夏音を習う」と命令したとおりの偽書を完成させたと元明天皇に呈示(ていじ)するために、『古事記』上巻の「序」では、伊耶那美命を最高神と讃える「二霊群品の祖と為る」という文の直後に、「所以(このゆえ)に幽顕に出入して」という文がつなげられた。この「所以に幽顕に出入して」という文は「伊耶那岐命の黄泉国訪問説話」をあらわすゆえ、「その耶那岐命の黄泉国訪問説話においては「天照大御神」を「伊耶那美神命」と表記して偽書を作成したと見せかけることになったのである。
 夏音文字と楷書を文字作成銀河の形状に変換すれば――編纂スタッフが偽書を作成したと装(よそお)った『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話において、下記のごとく後世に事実を伝えていたことになる。
 「伊耶那岐命の第二后であった朝廷の至上神である天照大御神は、伊耶那岐命の正妃であった伊耶那美命没後に倭女王に即位し、多数の青年男女を殺して伊耶那美命の陵墓に埋める残虐な徇葬(じゅんそう)=八雷神(やくさのいかづちがみ)
儀式をおこなった。伊耶那美命は倭女王となる以前に小国・日本の女王となり、国作りの柱を〔愛〕にすると唱えた。この伊耶那美命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】を天照大御神は憎悪し蔑視して徇葬をおこなった。愛する伊耶那美命を侮辱する天照大御神の徇葬を怒った伊耶那岐命は配下の日本兵を率いて伊耶那美命の陵墓から棺(ひつぎ)を略奪して、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本つまり現在の熊野速玉(はやたま)大社の境内において地元の熊野の勇士たちと日本兵たちを指揮して、天照大御神を守衛する倭の大軍=千五百(ちいほ)の黄泉軍(よもついくさ)を撃破(げきは)してクーデターを成功させ、天照大御神を倭女王から失脚させた。伊耶那岐命は巨大な千引石(ちびきのいわ)=和歌山県新宮市磐盾(いわたて)町に所在する神倉(かんのくら)神社のご神体の“ごとびき岩”の前で、捕虜となった天照大御神に離縁を言い渡した。その時、天照大御神は『伊耶那美命が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民たちの母親の産道を狭くして、一日に必ず千人ずつ生まれる子の頭を狭い産道で絞め殺す』と誓った。伊耶那岐命は『お前がそうするならば、吾は一日に必ず千五百の産屋(うぶや)が立つようにする』と述べて、【日本建国の〔愛〕の理念】を継承する政事(まつりごと)をおこなうと誓った。」
 伊耶那岐命が離縁を言い渡した千引石・神倉神社のご神体の“ごとびき岩”の前には、現在は神倉神社の社殿が造られており、神倉神社の主祭神は天照大御神である。また、神倉神社から約1㎞北には、天照大御神を守衛する倭の政府軍が大敗した熊野速玉大社が所在する。天照大御神を祭る神倉神社は熊野速玉大社の摂社(せっしゃ/速玉大社に付随し速玉大社に縁故の深い神を祭った神社)である。
 熊野速玉大社の主祭神は伊耶那岐命である。ゆえに、熊野速玉大社の摂社である神倉神社の主祭神は千引石(ちびきのいわ)つまり神倉神社のご神体のごとびき岩の前で離縁された天照大御神=伊耶那美命であったことになる。
 伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「伊耶那美命」の正体は「伊耶那岐命の第二后の天照大御神」であった。この秘密を現在に伝えて、熊野速玉大社には重要文化財の平安時代後期に作られた男神像の伊耶那岐命坐像、女神像の皇太神(すめのおおかみ)坐像、女神像の伊耶那美命坐像の三神坐像が所蔵される。
Photo_3
▲平安時代後期の伊耶那岐命命坐像
Photo_4
▲平安時代後期の伊耶那美命坐像
 Photo_5
▲平安時代後期の皇太神坐像

 上に示す「皇太神坐像」は、伊勢神宮の皇大(こうたい)神宮(内宮)に祭られる「天照大御神の坐像」であったのである。「熊野速玉大社が所蔵する伊耶那岐命坐像と皇太神坐像は夫婦として祭られていた、また皇太神は伊耶那美命であり皇太神と入れ替わった」と指摘する説がある。しかし、このような指摘は誤りで――『古事記』上巻の伊耶那岐命の黄泉国訪問説話に登場する「千引石(ちびきのいわ)=神倉神社のご神体のごとびき岩の前で伊耶那岐命に離縁を言い渡された伊耶那美命」の正体は「天照大御神」であったと後世に伝えるものであったのである。

 「所以(このゆえ)に幽顕に出入して」の次の文は「日月目を洗ふに彰(あらは)()」である。この文はその字面(じづら)から学者たちや研究者たちに「禊(みそぎ)をして目を洗う時に日神(ひのかみ)と月神(つきのかみ)が現れた」と解釈されている。
 C図に示すように、[]の字源は「日神」をあらわす「三つ輪の銀河」、[]の字源は「三日月」の形に象られた[]の字源にもなった「北アメリカ星雲」、ゆえに「北アメリカ星雲」が「月神」をあらわした。
S953

 「目を洗う」は「月神=北アメリカ星雲」に隣接する「激流の銀河の水に洗われる、鬼の姿に似る銀河のアゴに付く細い目の銀河部」である。この「激流の銀河の水に洗われる細い目の銀河部」は――「日神(三つ輪の銀河)」を観、「月神(北アメリカ星雲)」を観る――と見立てると、「日月目を洗ふに彰れる」は「禊をして目を洗う時に日神と月神が現れた」となる。このように、銀河各部の形状を見なくても、学者や研究者たちが正しく解釈した文も存在するが――しかし、この「日月目を洗ふに彰れる」という文は、C図が示すように「漢字は銀河から作られた」とあらわすものであった。これゆえ、銀河を見なくても正しく解釈できたという理由にして「漢字」は「銀河から作られた文字ではなかった」という学者たちの反論は間違っている。

 山口佳紀・神野志隆光校注・訳者『新編日本古典文庫全集1 古事記』(小学館発行/1997年第1版第1)は「陰陽斯(ここ)に開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)と為()る」という書き下すし文を「陰陽(めを)(ここ)に開けて、二はしらの霊群(まみもろもろ)の品(もの)の祖(おや)と為()れり」と書き下して、「陰と陽とが分かれて、二柱の神がすべてのものの生みの親となった」と訳する。このように元明天皇が読解したならば、編纂スタッフと安万侶は“してやったり!”とほくそ笑()み大喜びしたことになる。
 荻原浅男・鴻巣隼雄校注・訳者『日本古典文学全集1 古事記 上代歌謡』(小学館発行/1981年第10)は「陰陽斯に開けて、二霊群品の祖と為る」と書き下して「陰と陽とがその時別になって、伊耶那岐・伊耶那美命の二神がすべてのものの生みの親となったのです」と訳す。このように「伊耶那美命はすべての生みのものの生みの親となる」と女帝(元明天皇)が解釈しないことを、編纂スタッフと「序」を書いた太安万侶(おおのやすまろ)は願った。というのも、編纂スタッフと安万侶は伊耶那岐命の黄泉国訪問説話にある「黄泉国の伊耶那美神命」という表記を、女帝が伊耶那美命を侮蔑するものであり偽りの歴史を記述するものと納得して献呈を許可することをひたすら願っていたからである。『古事記』は「天照大御神よりも伊耶那美命のほうが偉大である」と後世に伝える歴史書であった――この編纂スタッフの企みを女帝は察知して、『古事記』の献呈を拒絶して読むことを禁じる反逆の禁書(きんしょ」と定めた。

◆以上のごとく、「真実の日本国誕生史」の35回~38回まで解説して証明してきたように、『古事記』上巻の「序」の役目は「(1)後期縄文時代初頭に夏音文字の学芸が習得された。(2)夏音文字は楷書と同じく銀河各部の形状から作られ、また夏音文字は楷書と同じく字源・字形・字義・字音で構成される漢字(文字)であった。(3)朝廷の命令にしたがって『古事記』上巻には事実に反する虚偽を装(よそお)った記事を加えたが、随所(ずいしょ)に挿入(そうにゅう)した〔音〕という注が付く夏音文字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換すれば真実の歴史が解明できる」と説明することであった。だから、『古事記』上巻の「序」は「古事記上巻」の下に小さな半分大の字で 序幷」と記されることになったのである。
 「古事記上巻 序幷」は「『古事記』上巻にある夏音文字を文字作成銀河各部の形状に変換すれば、真実の歴史が解明できる」と警告(けいこく)する。しかし、今日の学者たちは『古事記』上巻の「序」が警告する歴史解明方法を徹底的に無視・排除(はいじょ)して「『古事記』上巻は歴史ではなく物語である」と断定する。したがって、学者たちの『古事記』上巻の意見・論考は明らかに解明・思考方法がトンチンカンな〔誤読の空理空論〕であったことになる。
 つまり「夏音文字は実在した漢字であった」という、このシンプルな事実によって『古事記』上巻に記述された真実の上古史は鮮烈に蘇る仕組みになっている。また、このシンプルな事実によって『魏志』倭人伝は1ヵ所も〔誤読(文献批判)〕を加える必要が無いことになる。


 以上、現在の学者たちの〔誤読の空論」の漢字習得の定説によって、新井白石から始まる邪馬台国学説と本居宣長が著した注釈書『古事記伝』を教科書とする日本神話学説は完全なる誤読の空論となった。この実体が容易に理解できる6つの観点(伝由・根拠、証拠となる遺跡・遺物)を、次回から2回に分けて列記することにした。

|

« 真実の日本国誕生史・37 | トップページ | 真実の日本国誕生史・39 »

学問・資格」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

卑弥呼」カテゴリの記事

邪馬台国」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

漢字の起源」カテゴリの記事

ヒエログリフ(聖刻文字)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 真実の日本国誕生史・37 | トップページ | 真実の日本国誕生史・39 »