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2018年3月17日 (土)

漢字習得定説のウソ・2

 ●倉頡伝説は荒唐無稽の空想ではなかった・2
■倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」の解説(1)

◆わが国の古代史学における「科学における不正行為」といえば、2000年におきた藤村新一が30年ほど前から発見していた旧石器なるものは捏造(ねつぞう)であったことが暴露された事件、いわゆる「旧石器発掘捏造事件」が真っ先にあげられる。
 この旧石器捏造事件よりも数段勝(まさ)って悪質な欺瞞(ぎまん)は、学者たちが(1)「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定する漢字習得の定説はじめ、(2)新井白石(あらいはくせき/16571725))からはじまる立論方法に使う【誤読】を今日では学者たちが「文献批判」と呼んで空論同志が争う永遠に決着がつかない邪馬台国畿内説と九州説であり、(3)本居宣長(もとおりのりなが/17301801)が著(あらわ)した注釈書『古事記伝』を教科書とする、現在の学者や作家たちが発表する日本神話説、この三つの説である。
 最後の三番目に挙げた学者たちが教科書とする『古事記伝』は『古事記』上巻の「序」(古事記上巻 序幷)が全体を通して「上巻の随所(ずいしょ)に記載された〔音〕という注が付く原初漢字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換すれば、『古事記』上巻に記述された上古の歴史を解明することができる」と説明する方法を徹底的(てっていてき)に排除(はいじょ)する【誤読の空想の産物】である。つまり正しい日本神話解釈は、『古事記』上巻の「序」が「原初漢字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換せよ」と説明する、この方法に則(のっと)って『古事記』上巻に記述された歴史を解明する意見ということになる。したがって本居宣長著『古事記伝』の注釈は――『古事記』上巻の「序」の説明に反して〔音〕という注を付く原初漢字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換するものではないので――【歴史がまったく解明できない誤読の空論】となる。にもかかわらず、『古事記伝』の解釈を「空論、空想」と指摘して、『古事記』上巻の「序」の説明するとおりの方法で上古史を解明する学者や作家たちは、現在、一人も存在しない。
 『古事記』上巻と同様に、『魏志』倭人伝もまた「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む原初漢字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換すれば真実の歴史が解明できた。というのも、『魏志』倭人伝の人名・国名・官職名には原初漢字が用いられているからである。

 だから(1)漢字習得の定説・(2)邪馬台国学説・(3)『古事記』上巻の日本神話学説は、日本古代史学のおける最も悪質な【科学】に反する三大不正行為である訳は、この三つの学説が【誤読の産物】だからである。再度くりかえす、漢字習得の定説・邪馬台国学説・日本神話学説の三学説に共通するパラダイム(理論的枠組み)は【誤読】である。三学説の理論基盤は【誤読】であるから【科学】に成立せず空想・妄想となる。【誤読】を駆使(くし)して正しい意見を手に入れることができたと思い込んで疑わない三学説を唱える学者たちは――三つのストライクでアウトになることを知らないプロ野球選手と同じであり、マグロとタイの区別ができない寿司屋の職人と同じことになり、古代史学の基本理論・基本原理をまったく知らない御仁(ごじん)たちということになる。
 そして、【誤読】を立論原則とする三学説の内の特に日本神話学説は日本人にとって最も大事な日本人の命と魂の根源【日本建国の〔愛〕の理念】をレイプ(強姦)して辱(はずかし)める暴力である。だから、漢字習得の定説・邪馬台国説・日本神話説は、わが国の古代史学における【科学】に反する最も悪質な三大不正行為ということになる。
 (1)漢字習得の定説、(2)邪馬台国学説、(3)日本神話学説は三者独立して並び立つものではなく、漢字習得の定説が誤読の空論であるが原因で、邪馬台国学説と日本神話学説も【誤読】の空論となる。したがって、「わが国が漢字を最初に習得したのは、5世紀もしくは6世紀であった」という定説は明確に【誤読の産物】であった。したがって、漢字習得の定説のウソを暴(あば)けば自動的に邪馬台国学説も日本神話学説も誤読の空論となり、『魏志』倭人伝と『古事記』に【誤読(学者たちが用いる別名・文献批判)】を加えずに忠実に読解(どっかい)すると上古における
出来事つまり歴史が真実となって蘇(よみがえ)る。
 日本上古史における特に重大な失われた史実とは――(1)『魏志』倭人伝に記述された「卑弥呼が立論した転回日本列島地理」と、(2)『古事記』上巻の伊耶那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)神話冒頭の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話に記述された「日本国誕生史」である。この「卑弥呼が立論した転回日本列島地理」と淤能碁呂島聖婚説話に記述された「日本国誕生史」は、誰もが想像しない“漢字の始祖”と尊重された倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理「鳥獣(ちょうじゅう)の足跡」に則(のっと)る出来事であった。
 だから、卑弥呼が立論した転回日本列島地理と『古事記』上巻の淤能碁呂島聖婚説話に記述された日本国誕生史も事実であったことを証明するためには、学者たちが荒唐無稽(こうとうむけい)の空想と断定した倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」の秘密を真っ先に解明する必要がある。

◆上記した『古事記』上巻の「序」(古事記上巻 序幷)が「その字源・字形・字義を銀河各部の形状にせよ」と説明する原初漢字は「夏音(かん)文字」であった。
 わが国には紀元前2070年~紀元前2050年頃の中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、夏音文字の学芸が伝来して習得された。この歴史については、前回の「漢字習得定説のウソ・1」にて解説した。また、わがブログ「真実の日本国誕生史」の10回と11回で詳細に解説し、さらに詳細に「真実の日本国誕生史」の35回~40回の6回をもって解説した。ゆえに、今回のブログでは、紀元前21世紀に習得された夏音文字の学芸の解説は省略させていただく。
 『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて多数記載される文字が「夏音文字」である。だから、夏音文字はわが国の国語として残されている原初漢字であり、学者たちが主張する漢字習得の定説は【誤読(学者たちが用いる別名・文献批判)】を使って捏造(ねつぞう)した真っ赤なウソということになる。

 わが国に夏音文字の学芸が伝来した約950年前の紀元前3000年頃、中国の五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)が、漢字を発明した。
 倉頡はみずからが考案した文字が最も強力な権力、莫大(ばくだい)な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易・簡単に滅亡すると心配した。ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟(おきて)を破った人物には神罰が下って即刻(そっこく)死刑にすると定めた。
●倉頡が死刑と定めた3つの掟
(1)
 銀河(文字作成銀河)の各部の形状から文字が創られたことを暴露した者
(2)
 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者
(3)
 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者
 
 したがって、紀元前31世紀末頃から始まる五帝時代の倉頡文字と紀元前21世紀から出現した夏音文字は「厳しく罰するあるいは祟(たた)る鬼神(かみ)」であった。このため、倉頡文字と夏音文字を習得した人々は上記した(3)の掟を厳重に守った。ゆえに、文字が記された史料が中国でもわが国でも未(いま)1点も発見されないため、学者たちは倉頡が漢字を発明したという伝説は荒唐無稽(こうとうむけい)の空想と思い込んだのである。
 上記した(3)の掟は紀元前1300年頃の殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅に文字を刻んだ甲骨(こうこつ)文字によって破られた。しかし、甲骨文字は(1)(2)の掟については厳重に守った。だから、(1)の掟によって「漢字が銀河(文字作成銀河)から作られた事実」は現在においても不明となり、また(2)の掟によって「銀河(文字作成銀河)各部の名称」は存在しないことになり、この倉頡の(2)の掟の伝統は現在まで受け継がれている。だから、現在、「銀河(文字作成銀河)各部の名称」は学問上確立されていない。
 甲骨文字によって(3)の掟は破られたため、その後の金文・篆文(てんぶん)・隷書(れいしょう)を経て、6世紀の隋代(ずいだい)に楷書が完成した。甲骨文字・金文・篆文・隷書・楷書は字源・字形・字義・字音の4要素から成る文字である。
 倉頡が定めた(3)の掟のために文字を記された史料が未だ1点も発見されない夏音文字もまた字源・字形・字義・字音から成る文字であったことは下記のごとく証明できる。
 楷書「日下」は「くさか」と読むが、この「くさか」は夏音文字で「玖沙訶」という3字の楷書で記される。夏音文字の[][][]3字の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換すると「くさか」と読む楷書[][]2字の字源・字形・字義となる銀河各部の形状が解明できて、「日下」と「玖沙訶」が同義であることが証明される。ゆえに、楷書[][]が字源・字形・字義・字音の4要素から成立するものであると同じく夏音文字[][][]も字源・字形・字義・字音の4要素から成立するものであることが証明され、楷書も夏音文字も銀河から作られた事実が判明する。したがって、「楷書が文字である」ならば「夏音文字も文字である」と言うことになり、夏音文字は実在した確かな文字であったことになる。
 さらに、『魏志』倭人伝には「倭の卜占に用いる文字は令亀(れいき)の法すなわち甲骨文字の字形のごとくであった」という記事が証言するように――用済みになったならば夏音文字は必ず消された文字であったが、必要な時(消される前)には字形が書かれて明示された文字であったことになるので、夏音文字は実在した文字であったことになる。

◆倉頡は、下に掲載する銀河範囲の各部の形状を字源・字形・字義とする方法を発明した。この倉頡が漢字を発明した「銀河の範囲」を、わたくしは「文字作成銀河」と名づけた。

Ginga
 ▲文字作成銀河の写真

 漢字の起源の歴史を伝える倉頡伝説は、一般的に――太古、黄帝の時代に、倉頡という四つ目の怪人がいて、鳥獣の足跡からヒントを得て、はじめて文字を創(つく)り、古代の結縄(けつじょう)の法に代えたので、天は祝福して穀物を降らせ、死霊(しれい)の感泣(かんきゅう)する声が夜()な夜な空に聞こえたというのである――と現代語に訳される。
 上記の倉頡伝説は――黄帝の時代に生存した“四つ目の怪人・倉頡”が「鳥獣の足跡」をもって始めて文字を創り、古来(紀元前4000年頃から始まる
三皇時代)の占いに用いた記号であった結縄と代えた。(結縄では古来の三人の大王の氏族名をあらわすことができなかったので、倉頡が発明した文字によって三人の大王の名は包犧(ほうぎ)、女媧(じょか)、神農(しんのう)と定められた)。ゆえに、包犧、女媧、神農の各氏族たちの死霊は祝福して穀物を降らせ(つまり、雨を降らせて豊かな穀物を与え)、その死霊は感激して夜な夜な泣く声が空に聞こえるようになった(つまり、夜な夜な輝く文字作成銀河各部の形状が示す文字によって、三皇時代の歴史を知ることができた)――と意味するものであったのである。
 上記したように、倉頡(そうきつ)伝説は「倉頡が四つ目の怪人」であったと伝える。
 これゆえ、学者たちは「とんでもない! 人間には目が四つも無い」と鬼の首でも取ったかのごとく得意になって、倉頡伝説を「荒唐無稽(こうとうむけい)な空想!」と決めつける。
 しかし、わがブログは前回の「漢字習得定説のウソ・1」にて、「四つ目の怪人」とは上掲した「文字作成銀河の範囲」をあらわすものであることを証明した。
 また、A図の右下の「鬼の姿に似る銀河」に――その銀河の首に付く両目とその横顔に付く両目で計四つの目となり、「鬼の姿に似る銀河」は「人(子どもの姿)」に見立てられた。
K21
(C) 2018 OHKAWA 

 つまり「鬼の姿に似る銀河」は[]の字源・字形・字義となったので、倉頡が「四つ目の怪人」と呼ばれた秘密をわがブログ「漢字習得定説のウソ・1」にて証明した。
 だから倉頡伝説は「荒唐無稽の空想」ではなく「漢字は文字作成銀河各部の形状から作られて起源した歴史」を伝えていたことになるので、倉頡伝説にケチをつけた学者たちの意見のほうが「荒唐無稽の空想」であったことになる。
 上記した倉頡が死刑と定めた(2)の掟のために、「文字作成銀河各部の名称」は現在においても学問上確立されていないため、存在しない。しかし、「倉頡が文字作成銀河各部の形状から漢字を作成する方法を発明した事実」を証明するためには、A図のごとく「文字作成銀河各部の名称」がどうしても必要であるゆえ、わたくしは下に示すように各部の名称を定めた。A図の「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」は、下の「文字作成銀河各部の名称図」の左上にある。
Photo
 ▲文字作成銀河各部の名称図

◆天文における「歳差(さいさ)」という現象にもとづくと、紀元前3000年頃の五帝時代初頭、中国の天頂にめぐってきた銀河の様子を再現することができる。
 B図に示すように、五帝時代初頭の黄帝時代、北緯3536分の陝西省(せんせいしょう)の黄陵県(こうりょうけん)の黄帝を祭る廟(びょう)と黄帝の墓とされる黄帝陵と北緯31度の太湖(たいこ)南岸の天頂に「十字の銀河」と「四つ目の銀河」(鬼の横顔に似る銀河の両目と後頭部とアゴに付く両目の四つ目)がめぐってきた。
K22
(C) 2018 OHKAWA
 
 したがって、中国各地の天頂に「十字の銀河」と「四つ目の銀河」がめぐってきたことになる。
 黄帝は、東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。『内経』の[]の字源・字形・字義は「女性の生殖器(せいしょくき)・子宮に宿る胎児(たいじ)や出産器官の産道」をあらわした。黄帝の医学研究は中国最初の事業であったので、三皇時代の結縄(易に用いる記号)では黄帝の研究をあらわすことができなかったので、倉頡が文字を発明することになったのである。
 C図に示すように「十字の銀河」の西側には「乳房」と「子宮(生殖器)」また「妊婦(にんぷ)の腹部(おなか)」に相当する箇所(かしょ)があるゆえ、「女体(にょたい)」に相似する。
K23
(C) 2018 OHKAWA

 ゆえに、倉頡は中国各地の天頂にめぐってくる「十字の銀河」を「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての文字を生む母」、「十字の銀河の子宮」を「すべての文字を生む子宮」と定めた――このように倉頡が考案した漢字作成原理(方法)の名称が、倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」であったのである。
 一般的には、倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」について「鳥や獣が残したドロや雪の上の足跡がヒントとなって倉頡は漢字を発明した」と指摘(してき)される。しかし、倉頡が漢字を発明したヒントは黄帝が研究した「女性生殖器や子宮で育つ胎児」であった。したがって、「鳥獣の足跡」は倉頡が発明した漢字作成原理の名称であったと考えるべきことになる。
 その証拠に、D図に示すように、黄帝が研究した「女性生殖器の側身形」は「鳥(水鳥)の姿」に相似する。
K24
(C) 2018 OHKAWA
 
 E図に示すように、「獣」のジャコウウシの側身形は第5週初め頃の胎児の姿に相似すると見立てられた。
K31
(C) 2018 OHKAWA
 
 F図に示すように、「獣」のフタコブラクダの離れた両目の配置は第7週ころの胎児の離れた両目に相似する。
K32
(C) 2018 OHKAWA

 G図に示すように、「十字の銀河の西半身」は「西から東へ向かって女性の歩く姿」に観()えるゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は「女性が歩いて来た通路」に見立てられた。また「十字の銀河の東半身」は「東から西へ向かって弓を手に持つ男性が歩く姿」に観えるゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は「男性が西へ向かって歩くことになる通路」に見立てられた。
K33
(C) 2018 OHKAWA

 G図の「十字の銀河の子宮」と重なる部分は「十字の銀河の右足」と解釈できる(C図を参照)。歩く女性と男性の「足跡」は「鬼の姿に似る銀河」に残る。
 H図に示すように、「十字の銀河」は[(べん)]の字源・字形・字義となり、「足跡が残る鬼の姿に似る銀河」は「胎児や出産する赤ン坊」に見立てられて[]の字源・字形・字義となった。[][]が加わって[]の字源・字形・字義が成立した。
K34
(C) 2018 OHKAWA

 I図に示すように、「文字」の[]の金文形(周代に用いられた文字の字形)は「十字の銀河」を「胎児が宿る妊婦の正面形」に見立てて、「妊婦の正面形と子宮に宿る胎児」を表現する図案となる。
K35

 したがって、I図の[]の金文形は――黄帝の女性生殖器研究がヒントになって倉頡は「十字の銀河」を「文字作成銀河から生まれた(作られた)すべての文字の母体」と定め、「十字の銀河の子宮」を「すべての文字が生まれる子宮」と定めた漢字作成原理「鳥獣の足跡」を考案した秘密を今日に伝えている。
 また、H図の[]の金文形も黄帝の子ども(胎児)の出産研究がヒントになって倉頡は漢字作成原理「鳥獣の足跡」を考案した秘密を伝えている。
 だから、倉頡が発明した文字作成原理の名にはG図で解説した「十字の銀河の右足」があらわすイメージから「足跡」が加えられた。また、H図では「足跡」のイメージとなる「3本線の銀河」が[]の字源「十字の銀河」と[]の字源「鬼の姿に似る銀河」を繋(つな)げるため、倉頡が発明した文字作成原理の名には「足跡」が加えられることになった。
 したがって、D図に示した「鳥」にE図とF図の「獣」が加わり、さらにG図の「足跡」が加わって、倉頡が発明した文字作成原理は「鳥獣の足跡」と呼称(こしょう)されることになったのである。

◆「獣」の「ジャコウウシ」と「フタコブラクダ」がなぜ漢字作成原理「鳥獣の足跡」と関係することになったのか、この秘密について――次回においてさらなる追究をおこなう。というのも、『魏志』倭人伝が【誤読(文献批判)】を1点も加える必要がない史料であることを証明するには、「鳥獣の足跡」について、このブログの解説だけで終わると説明不足となるからである。 

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