« 漢字習得定説のウソ・2 | トップページ | 漢字習得定説のウソ・4 »

2018年3月20日 (火)

漢字習得定説のウソ・3

 ●倉頡伝説は荒唐無稽の空想ではなかった・3
■倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」の解説(2)

◆「銀河」の別称は「銀漢」、だから「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と呼ばれることになった。
 今から約5000年前の紀元前3000年ころ、黄帝(こうてい)につかえた倉頡(そうきつ)が、下に示す銀河の範囲から漢字を作成する原理「鳥獣(ちょうじゅう)の足跡(あしあと)」を発明して、漢字は起源した。この「倉頡が定めた漢字が作られた銀河の範囲」を、わたくしは「文字作成銀河」と名づけることにした。

Ginga

 ▲文字作成銀河の写真
 
 
 
倉頡はみずからが考案した文字が最も強力な権力、莫大(ばくだい)な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易・簡単に滅亡すると心配した。ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟(おきて)を破った人物には神罰(しんばつ)が下って直(ただ)ちに死刑にすると定めた。
●倉頡が死刑と定めた3つの掟
(1)
 文字作成銀河の各部の形状から文字が作られた秘密を暴露(ばくろ)した者
(2)
 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者
(3)
 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者

 紀元前31世紀末頃から始まる五帝時代の倉頡文字と、紀元前2070年頃から始まる夏代(かだい)の夏音(かおん)文字と、紀元前1600年頃~紀元前1300年頃までの殷代(いんだい)前半の原初漢字は、上記した倉頡が死刑と定めた3つの掟を厳重にまもった。というのも「原初漢字は、つまり厳しく罰するあるいは祟(たた)る鬼神(かみ)」であったからである。このため、原初漢字(倉頡文字・夏音文字・殷代前半の文字)が記された史料が中国でもわが国でも未(いま)1点も発見されないため、現在の学者たちは倉頡が漢字を発明したと説明する伝説は荒唐無稽(こうとうむけい)の空想と思い込む。
 上記した(3)の掟は紀元前1300年頃の殷代後半に出現した亀の甲羅(こうら)に文字を刻んだ甲骨(こうこつ)文字によって破られた。しかし、甲骨文字は(1)(2)の掟については厳重に守った。だから、(1)の掟によって「漢字が銀河(文字作成銀河)から作られた事実」は現在においても不明となり、また(2)の掟によって「銀河(文字作成銀河)各部の名称」は存在しないことになり、この倉頡の(2)の掟の伝統は現在まで受け継がれている。だから、現在、「銀河(文字作成銀河)各部の名称」は学問上確立されていない。
 甲骨文字によって(3)の掟は破られたため、その後の金文・篆文(てんぶん)・隷書(れいしょう)を経て、6世紀の隋代(ずいだい)に楷書(かいしょ)が完成した。楷書は(3)の掟からすっかり解放されて原初漢字と違って(3)の掟によって神罰として祟(たた)られることがない「言葉をあらわす記号の文字」となった。

漢字の起源の歴史を伝える倉頡伝説は、一般的に――太古、黄帝の時代に、倉頡という四つ目の怪人がいて、鳥獣の足跡からヒントを得て、はじめて文字を作り、古代の結縄(けつじょう)の法に代えたので、天は祝福して穀物を降らせ、死霊(しれい)の感泣(かんきゅう)する声が夜()な夜な空に聞こえたというのである――と現代語に訳される。
 上記の倉頡伝説は――黄帝の時代に生存した“四つ目の怪人・倉頡”が「鳥獣の足跡」をもって始めて文字を作り、古来(紀元前4000年頃から始まる
三皇時代)の占いに用いた記号であった結縄と代えた。(結縄では古来の三人の大王の氏族名をあらわすことができなかったので、倉頡が発明した文字によって三人の大王の名は包犧(ほうぎ)、女媧(じょか)、神農(しんのう)と定められた)。ゆえに、包犧、女媧、神農の各氏族たちの死霊は祝福して穀物を降らせ(つまり、雨を降らせて豊かな穀物を与え)、その死霊は感激して夜な夜な泣く声が空に聞こえるようになった(つまり、夜な夜な輝く文字作成銀河各部の形状が示す文字によって、三皇時代の歴史を知ることができた)――と意味するものであったのである。
 上記したように、倉頡(そうきつ)伝説は「倉頡が四つ目の怪人」であったと伝える。
 これゆえ、学者たちは「とんでもない! 人間には目が四つも無い」と鬼の首でも取ったかのごとく得意になって、倉頡伝説を「荒唐無稽(こうとうむけい)な空想!」と決めつける。
 しかし、わがブログは前回の「漢字習得定説のウソ・1」にて、「四つ目の怪人」とは上掲した「文字作成銀河の範囲」をあらわすものであることを証明した。
 また、「四つ目の怪人」とは、A図の右下の「鬼の姿に似る銀河」を指すものであった。「鬼の姿に似る銀河」の首には両目があり、その横顔にも両目となる銀河部位があるゆえ、「鬼の姿に似る銀河の横顔から首にかけての銀河」は「四つ目の銀河」ということになる。そして、「鬼の姿に似る銀河」は「人(子どもの姿)」に見立てられた。だから、「鬼の姿に似る銀河」を「四つ目の怪人」と呼ばれ、また「鬼の姿に似る銀河」は「倉頡」をあらわすことになった。
K21
(C) 2018 OHKAWA 

 したがって「四つ目の怪人・倉頡」は「漢字は文字作成銀河各部の形状から作られた」と伝える役割(やくわり)を有するものであった。ゆえに、倉頡伝説は「荒唐無稽の空想」ではなく、倉頡伝説にケチをつけた学者たちの意見のほうが「荒唐無稽の空想」であったことになる。
 上記した倉頡が死刑と定めた(2)の掟のために、「文字作成銀河各部の名称」は現在においても学問上確立されていないため、存在しない。しかし、「倉頡が文字作成銀河各部の形状から漢字を作成する原理を発明した事実」を証明するためには、「文字作成銀河各部の名称」がどうしても必要であるゆえ、わたくしは下に示すように各部の名称を定めた。A図の「十字の銀河」と「鬼の姿に似る銀河」は、下の「文字作成銀河各部の名称図」の左上にある。
Photo
 ▲文字作成銀河各部の名称図

一般的には、上記した倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」について「鳥や獣が残したドロや雪の上の足跡がヒントとなって倉頡は漢字を発明した」と解釈されているが、前回のわがブログ「漢字習得定説のウソ・2」で解説し証明したように、「鳥獣の足跡」は「倉頡が発明した漢字作成原理の名称」であったと考えるべきことになる。
 倉頡がつかえた黄帝は、東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。『内経』の[]の字源・字形・字義は「女性の生殖器(せいしょくき)・子宮に宿る胎児(たいじ)や出産器官の産道」をあらわした。黄帝の医学研究は中国最初の事業であったので、三皇時代の結縄(易に用いる記号)では黄帝の研究をあらわすことができなかったので、倉頡が文字を発明することになったのである。
 A図左側にある「十字の銀河」は――B図に示すように「十字の銀河」の西側には「乳房」と「子宮(生殖器)」また「妊婦(にんぷ)の腹部(おなか)」に相当する箇所(かしょ)があるゆえ、「女体(にょたい)」に相似する。
K41
(C) 2018 OHKAWA 

 前回のわがブログ「漢字習得定説のウソ・2」でも解説したように、天文における「歳差(さいさ)」という現象にもとづくと、紀元前3000年頃の五帝時代初頭、C図に示すように、北緯3536分の陝西省(せんせいしょう)の黄陵県(こうりょうけん)の黄帝を祭る廟(びょう)と黄帝の墓とされる黄帝陵と北緯31度の太湖(たいこ)南岸の天頂に「十字の銀河」と「四つ目の銀河」(鬼の横顔に似る銀河の両目と首に付く両目の四つ目)がめぐってきた。
K42
(C) 2018 OHKAWA 

 したがって、黄帝と倉頡が生存した五帝時代初頭において、中国各地の天頂に「十字の銀河」と「四つ目の銀河」がめぐってきたことになる。
 ゆえに、倉頡は中国各地の天頂にめぐってくる「十字の銀河」を「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての文字を生む母」、「十字の銀河の子宮」を「すべての文字を生む子宮」と定めた――このように倉頡が考えた漢字作成原理(方法)の名称が、倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」であった。
 その証拠に、D図に示すように、黄帝が研究した「女性生殖器の側身形」は「鳥(水鳥)の姿」に相似する。倉頡が漢字を発明したヒントは黄帝が研究した「側身形が水鳥の姿に相似する女性生殖器」であった。したがって、「鳥獣の足跡」は倉頡が発明した漢字作成原理の名称であったと考えるべきことになる。
K24
(C) 2018 OHKAWA

 E図に示すように、「獣」のジャコウウシの側身形は第5週初め頃の胎児の姿に相似すると見立てられた。
K31
(C) 2018 OHKAWA
 
 F図に示すように、「獣」のフタコブラクダの離れた両目の配置は第7週ころの胎児の離れた両目に相似する。
K32
(C) 2018 OHKAWA


 G図に示すように、「十字の銀河の西半身」は「東から西へ向かって女性の歩く姿」に観()えるゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は「女性がこれから歩いて行く通路」に見立てられた。また「十字の銀河の東半身」は「西から東へ向かって弓を手に持つ男性が歩く姿」に観えるゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は「男性が東へ向かって歩いて来た通路」に見立てられた。
K33

(C) 2018 OHKAWA

 そして「通路」となる「鬼の姿に似る銀河」には「十字の銀河の両足の足跡が、雨が降った後のやわらかい土の上や海岸の砂浜や湖岸の汀(みぎわ)に残る」と連想されることになった。
 したがって、D図に示した「鳥」にE図とF図の「獣」が加わり、さらにG図の「通路に残った足跡」のイメージが加わって、倉頡が発明した文字作成原理は「鳥獣の足跡」と呼称(こしょう)されることになったのである。

◆中国の漢字学者の許慎(きょしん)は、文字作成銀河を観察して漢字の字源を解説する字書『説文解字(せつもんかいじ)』を121(後漢の建光元年)に安帝(あんてい)に上呈(じょうてい)した。『説文解字』は[(こく)]の字源を「牛、人に触()れる。角(つの)に横木(よこき)を著()く。人に告()ぐる所以(ゆえん)なり」と解説する。
 H図に示すように、『説文解字』の[]の字源解説文の「牛」は「鬼の姿に似る銀河と長方形の暗黒天体部」であり、「人」は「人の横顔に酷似する銀河」であり、「牛の角に著()く横木」は「十字の銀河」ということになる。ゆえに、「牛の口」は「人の頭に触れる」ゆえ、H図に示した銀河イメージは「牛が人に告げる様子」のごとくに観える。
K43
(C) 2018 OHKAWA
 
 H図における「鬼の姿に似る銀河と長方形の暗黒天体部」と「人の横顔に酷似する銀河」は、E図の上図の「ジャコウウシの横顔」に似ている。
 上掲した「文字作成銀河各部の名称図」の右下に「夏の銀河の西南部」がある。
 この「夏の銀河の西南部」の中央部に、I図に示すように「ジャコウウシの横顔に似る銀河」がある。
K44

(C) 2018 OHKAWA
 
 だから、文字作成銀河内には「三ヵ所のジャコウウシの横顔に似る銀河」が存在するゆえ、「ジャコウウシ」は漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴する聖獣となった。

 紀元前1世紀に成立した司馬遷(しばせん)著『史記(しき)』五帝本紀(第一)には「黄帝軍が駐屯(ちゅうとん)する時、ぐるりに軍兵をめぐらして自衛(じえい)した」という記事がある。黄帝軍はジャコウウシの習性を真似(まね)して自衛していたのである。
 天敵のオオカミにおそわれると、ジャコウウシは子どもを真ん中にかくして円陣(えんじん)を作って自衛する。この「ジャコウウシの円陣」を『史記』は「黄帝軍は駐屯する時、ぐるりに軍兵をめぐらして自衛した」と記述したのである。
 ツンドラ地帯に生息したジャコウウシは群生し、太古においては、100頭以上の群れをなしていた。しかし、おそらく夏代末期や殷代において中国北方のツンドラ地帯に生息していたジャコウウシは絶滅したと考えられ、現在はもちろん絶滅した。現在は、ジャコウウシは北極地方で生息している。
 ジャコウウシは吹雪(ふぶき)でその姿が幽(かす)かに見える冬の昼間の薄明りのなかでも餌(えさ)を探して動きまわる。その「吹雪の中でジャコウウシの姿が幽かに見える様子」は、J図に示す「十字の銀河の腰のあたりにある、幽かに見える目と眉(まゆ)に似る銀河」に見立てられた。「十字の銀河の子宮」は「ジャコウウシの鼻」と「ジャコウウシの子ども」に見立てられた。
K45
(C) 2018 OHKAWA
 
 また「ジャコウウシの目と眉に見立てられた銀河」は「女性の骨盤(こつばん)」に見立てられた。女性の生殖器の大部分は骨盤内にある。ゆえに、「十字の銀河の子宮」は「骨盤にぐるりと((つつ)まれて衛(まも)られる女性の生殖器」に見立てられて、黄帝の「女性生殖器の研究」をあらわすことになった。
 だから、H図とI図に示した「ジャコウウシ横顔に似る銀河」にJ図の「目と眉に見立てられた銀河」が加わって、「ジャコウウシ」は漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴(しょうちょう)する聖獣(せいじゅう)となった。
 「ジャコウウシ」は[]の字源となり、[]の部首(ぶしゅ)が付く多数の字の字源となった。ゆえに、『説文解字』が「万物なり」あるいは「牛は大物と為()す」と解説する[]の字源・字形・字義となり、また『説文解字』が「宗廟(そうびょう)の牲(せい/いけにえ)なり」解説する[(/)]の字となり、また『説文解字』が「牛、完全なるなり」と解説する[(せい)]の字となった。つまり、ジャコウウシは祭祀(さいし)の時に神にささげる犠牲(いけにえ)として、最も完全なる獣とされた。ゆえに、三皇時代初頭に栄えた氏族名の「包犧」は「天敵のオオカミにおそわれると群れが円陣を作って子どもを真ん中に包(つつ)みかくす神秘的な習性を有する、祭祀の時の犠(いけにえ)となるジャコウウシ」をあらわすものであったことになる。
 ジャコウウシはウシよりはヤギやヒツジに近い動物で、「ジャコウウシ」の別名は「ジャコウヒツジ」である。ジャコウウシは大きな羊(ヒツジ)であるゆえ、[]の下に[]が加わる[]の字源も「ジャコウウシ(ジャコウヒツジ)」であった。ゆえに、「美味い」の[]は「調味料が無かった太古、鹿やイノシシや鳥などの生臭い肉と違って、麝香(じゃこう)の香(かおり)がするジャコウウシの肉は大変旨(うま)かった」と現在に伝えていることになる。

◆F図に示した「フタコブラクダ」もまた、漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴する聖獣となった。
 
フタコブラクダは「砂漠の船」と呼ばれるほど、砂漠を往来する時や砂漠に住む人々にとって欠くことができないたいせつな家畜である。ラクダにはヒトコブラクダとフタコブラクダの2種があるが、中国の北部のゴビ砂漠の生息するフタコブラクダのほうが、重量、強さ、大きさなどの点ではるかに優(すぐ)れている。二つのコブは脂肪の貯蔵庫で、数日間食物をとらずに働くことができ、3日間も水を飲まなくても平気(へいき)である。フタコブラクダの足の指はじょうぶで砂漠を歩くのに都合(つごう)がよく、乳は飲料に適し、肉は食用になり、毛皮は織物に用いられる。
 匈奴(きょうど)・ツングース族の人々は深い穴を掘って死者を葬り、一匹のフタコブラクダを殉死(じゅんし)させてその血を墓の上に注(そそ)ぐ風習があった。翌年あるいは数年後に雑草が墓をおおって墓の場所が判らなくなっても、フタコブラクダが殉死したフタコブラクダの血を嗅()ぎ当てたゆえ、墓の場所が判ったと言う。ゆえにフタコブラクダは、C図に示した天頂緯度線をキャッチできる優(すぐ)れた能力を有すると信じられて、漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴する聖獣となったのである。

 K図の右上に示す[(げん)]つまり「約46秒間で測定する天頂緯度線」をキャッチすれば、1度の60分の11分の緯度の相違と南北の子午線を精確(せいかく)に測量できた。
K46
(C) 2018 OHKAWA
 
 人間の目は鍛錬(たんれん)すると1分の緯度差が測定できる[]の象(ぞう)つまり「天頂緯度線と子午線」をキャッチできる能力が脳に本能としてそなわっていた。このため、原始において移住に明け暮れる日々にあっても、天頂緯度線となる銀河部位をキャッチして緯度(位置)と経度(方位)を知って、人類は自らが迷っていないと認識できたので人類は滅亡しなかったのである。現代、北極圏を冒険する人々がもしも位置と方位が測量できなくなくなって迷ったと感ずる時には、死を覚悟する。
 人間の脳には「迷った!」と感じるとパニック(恐怖)状態におちいる本能もそなわっていた。だから原始の時代、大海を渡るバンド(一団)が「迷った!」と感ずると一気に恐怖のどん底におちいって狂乱(きょうらん)・絶望して集団自殺するような状況となった。しかし、人間にはK図に示した[]をキャッチできる眼力と本能がそなわっていたので、原始や最後の氷河期(ひょうがき)を経()た太古、さらに時代が下って上古の人々は広大な海原(うなばら)を渡ることができたのである。

◆『図詳ガッケン・エリア教科事典』第7(学習研究社)は「緯度の測定」と題して、緯度を測定する方法は二つしかなく、L図に示す「北極星で緯度測定する方法」では、太古・上古の人々は遠くの地へ旅しても家族が待つ家に帰ることができずに死滅(しめつ)することになった事実、また彼らは大海を渡ることができなかった事実を、下記のごとく説明する。
K51

(C) 2018 OHKAWA
 
 「緯度は天の北極の高度だから、簡単な方法は北極星の高度を測定すればよい。日付・時刻が決まれば、北極星の天の北極からのかたよりが計算できるので、精密ではないが天の北極の高度で緯度を換算(かんざん)することができる。もっと精密に測る方法は、天頂緯度線と子午線による測定である。」
 L図に示すように、天の北極の位置は25,800年で一周する。このうち北極星が最も近づくのは五帝時代(わが国の中期縄文時代)の紀元前2790年のりゅう座α星と、現在から82年後のこぐま座α星である。天の北極を中心に円を描くこの二つの北極星の直径は、約1.5(90/満月の3個分)である。ゆえに、上記のごとく「日付・時刻を決まれば」という条件に適(かな)う正確な日付を示す暦と時刻を示す時計が太古と古代には存在しなかったので、りゅう座α星とこぐま座α星でも90分の直径の中心となる天の北極の高度を1分の精度で測定できなかったことになる。だから太古・上古のすべての時代、北極星では精密に1分の差が測量できないゆえ、大海を渡って日本列島に到着する人々は存在しなかったことになる。
 しかし、太古・上古において、大海を渡って日本列島に移住する人々が存在した。というのも、緯度を測定する方法は北極星・天の北極の他にもう一つあり、人類はK図に示した1分の緯度差を測量できる天頂緯度線・[]をキャッチする能力を有していたからである。
 黄帝や倉頡が生存した五帝時代初頭の北極星は天の北極を中心にして直径約100分の円を描いていたゆえ、黄帝軍は北極星で緯度を測定する方法だと遠く離れた揚子江附近まで遠征することができなかったことになる。ところが、司馬遷著『史記』五帝本紀は「黄帝軍は南の揚子江まで遠征した」と記述する。K図に示した精密に1分の差を測量できる[]をキャッチして、黄帝軍は黄河中流から出発して南の揚子江まで遠征して帰還することができたのである。
 『魏志』倭人伝の冒頭は「後漢時代、倭国の使者は大海を渡って中国の天子に拝謁(はいえつ)する者がいた」と記述し、末部では「3世紀(247年頃)、倭国の使節は大海を越えて魏の朝廷(ちょうてい/洛陽)に参内(さんだい)した」と記述する。
 L図の上部に示すように、2世紀~3世紀の北極星は天の北極から半径が約10度・600分で円周していた。したがって直径20度・1200分の円を描く北極星では精確に1分の緯度差の測定が求められた大海の往来は不可能であった。しかしわが国の使者や使節は、K図に示した[]をキャッチして大海を往来していたのである。

◆前述したように、F図の「フタコブラクダ」はK図に示した[]をキャッチできる眼力を有すると信じられて、漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴する聖獣となった。
 「フタコブラクダ」は[]の字源となった。
 前述したように、「ジャコウウシ」は[]の字源となった。
 ゆえに、『魏志』倭人伝には「倭国には牛(ジャコウウシ)と馬(フタコブラクダ)は無し(生息していない)」という記事がある。
 『魏志』倭人伝には名に[]の字を用いる小国は、対馬(つしま)国・邪馬壱(やまい)(学者たちは「邪馬台国」であったと主張するが、『魏志』倭人伝は「邪馬壱国」と記す)・投馬(つま)国・斯馬(しま)国・邪馬国など5ヵ国であったと記す。また、[]の字を用いる官職名は、兕馬觚(しまこ)・伊支馬(いきま)・弥馬升(みまそ)・弥馬獲支(みまかき)などがある。
 また、『魏志』倭人伝は「対馬国から南千里を渡る一大(いちだい)国まで間の海は瀚海(かんかい)という名であった」と記述する。この「瀚海」という漢字名は「馬・フタコブラクダが往来するゴビ砂漠」を意味した。
 M図に示す長崎県の「対馬」における上県(かみあがた)郡の地図の形は「フタコブラクダ()の正面形」に相似すると見立てられ、下県(しもあがた)郡の地図の形は「じょうぶな指を有するフタコブラクダ()の足底、またはフタコブラクダ()の足跡」と見立てられた。
K52
(C) 2018 OHKAWA
 
 そして、「十字の銀河」は[]の字源「フタコブラクダの姿」に見立てられた。
 というのも、N図に示すように、「十字の銀河」の東となりの「三つ輪の銀河」が「砂漠」のイメージとなるからであった。
K53
(C) 2018 OHKAWA

   M図中央の[]の字形となった「十字の銀河」は、O図に示すように「東半身が弓を持つ男性の姿」となり、「西半身が乳房・妊婦のまるいおなか・子宮を有する女性の姿」となって、「男女一対(いっつい)」となる。
K54
(C) 2018 OHKAWA
 
 つまりO図の「男女一対となる十字の銀河の正面形」は[]の字源であった。「対馬の上県郡の地図の形」は[]の字源「フタコブラクダの正面形」に相似すると見立てられ、「男女一対となる十字の銀河の正面形」は[]であるゆえ、M図の左側の「地図の形」にもとづき、南北の二つの島の小国は「対馬」と名づけられたのである。
 前述したように、「対馬の下県郡の地図の形」は「じょうぶな指を有するフタコブラクダの足底」に相似するゆえ、小国・対馬国から南千里渡る小国・一大国までの中間の海の名は「瀚海」すなわち「ゴビ砂漠」を意味することになったと――『魏志』倭人伝に記述されることになったのである。
 P図の示す銀河の範囲も「フタコブラクダの姿」に相似すると見立てられて、[]の字源銀河となった。
K55
 
 P図の[]の字源銀河は「十字の銀河の邪(なな)め西南に位置する」ゆえ、[]の字義「ななめ」を示すことになった。この[][]が加わると「邪馬(やま)」となり、倭女王が居住した小国の地図の形の特徴(とくちょう)から「邪馬壱国」と名づけられ、また別の小国はその地図の形の特徴から「邪馬国」と名づけられることになったのである。
 P図の[]すなわち「フタコブラクダ」の解釈は、空想あるいは強引なこじつけと思う方々がいるかもしれないが、この解釈が正しいことの証明は次回でおこなう。

 以上のごとく『魏志』倭人伝には、倉頡が「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての漢字は十字の銀河を母体にして生まれる」と定めた漢字作成原理「鳥獣の足跡」に関する記事が幾つか存在する。また、『魏志』倭人伝には「四つ目の怪人・倉頡」と関連する記事も存在する。

|

« 漢字習得定説のウソ・2 | トップページ | 漢字習得定説のウソ・4 »

学問・資格」カテゴリの記事

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画・テレビ」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

卑弥呼」カテゴリの記事

邪馬台国」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

漢字の起源」カテゴリの記事

ヒエログリフ(聖刻文字)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 漢字習得定説のウソ・2 | トップページ | 漢字習得定説のウソ・4 »