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2018年5月12日 (土)

漢字習得定説のウソ・11

 ●『魏志』倭人伝の小国位置の証明・3
■邪馬台国説は世界中の笑いものとなるデタラメである
 
◆現在、銀河の動画や写真は多数の人々によって撮影される。

 その「銀河」の別称は「銀漢」である。したがって「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と呼ばれることになった。だから、多数の人々が撮影した銀漢の動画や写真を注目すれば「約5000年前、黄帝(こうてい)につかえた倉頡(そうきつ)が文字を作った」と語る伝説は真実であることが判明する。にもかかわらず、学者たちは銀河から漢字が作られた事実に目をつぶる。
 したがって、学者たちが『魏志』倭人伝に「文献批判」と名づけた【誤読】を1点も加えなければ「倉頡が漢字を作った」という伝説は真実であったことが、即座(そくざ)に明らかになる。『魏志』倭人伝は「銀河から漢字が作られた事実」が最もコンパクトに示されている貴重な史料であったのである。
 学者たちは倭女王の卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬台国」であったと主張するが、『魏志』倭人伝は「邪馬壱(やまい)国」と表記する。古代研究家の故・古田武彦(ふるたたけひこ)氏は、著書『「邪馬台国」はなかった』(朝日新聞社発行)で、『三国志』全体に記される「壹()86個と「臺()56個の文字を逐一(ちくいち)調べ、「壹()」を「臺()」と誤記した事例が存在しないことを証明した。『魏志』倭人伝に登場する[()]の字源には倉頡が「銀河から作られた全文字の子宮とする」と定めた漢字作成原理が秘められ、[()]の字源は倉頡が発明した漢字作成原理と直接的に関わらなかった。この[()][()]の字源の相違によって、「邪馬台国」は【誤読の産物】であると証明される。ゆえに「邪馬台国」という字を目にしたならば即座に「誤読の空論」と断定する人物こそが学者であって、「そんなことはない」と弁解・弁護する人々は偽(にせ)学者となる。
 というのも、わがブログ「古代エジプト文字の字源」1回~27回で証明したように、漢字が作られた同じ銀河から古代エジプト文字(ABCアルファベットのルーツのヒエログリフ)も作られた事実が判明するからである。つまり、今日の地球上の70%~から80%の人々が用いる文字のルーツは銀河から作られた事実が、『魏志』倭人伝に1点の【誤読】が加えなければ【科学】が成立して証明される。
 だから、邪馬台国説は世界中の人々に、笑いものとなる【誤読】を思考方法とする【無知なる空論】である。
 以上のごとく、「邪馬壱国」を「邪馬台国」と【誤読】しなければ漢字と古代エジプト文字は同じ銀河の範囲(はんい)から作られた事実が科学的に証明されるゆえ、「邪馬台国」が正しいと言い張る意見は「倫命(りんめい)」すなわち「人類に対して、実行すべき使命」を冒涜(ぼうとく)する暴挙(ぼうきょ)である。
 それでも強情に【誤読】を加える意見を続けるのは似非(えせ)学者がなせる業(ごう)で、【科学】に反する最悪の不正行為となる。

◆倉頡は、下の写真の銀河(銀漢)の範囲の各部の形状から、漢字を作ると定めた。この「すべての漢字が作られた銀河の範囲」を、わたくしは「文字作成銀河」と名づけることにした。

Ginga
 ▲文字作成銀河の写真

 このブログ「漢字習得定説のウソ」は前回まで、紀元前3000年頃の五帝時代初頭に生存した黄帝(こうてい)につかえた倉頡(そうきつ)が漢字を発明した事実を詳細に解説して証明してきた。黄帝は、東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。『内径』という書名は「女性の生殖器(せいしょくき)・子宮(しきゅう)と子宮で育つ胎児(たいじ)の研究・産道(さんどう)と胎児の出産(しゅっさん)の研究」を意味した。黄帝の医学研究は中国最初の事業であったので、それ以前の紀元前4000年頃~紀元前3000年頃までの三皇(さんこう)時代の易(えき)に用いられた記号では黄帝の研究成果をあらわすことができなかった。だから、倉頡は黄帝の医学研究をあらわすことができる漢字を発明したのである。
 倉頡はみずからが考案した文字が最も強力な権力、莫大(ばくだい)な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易・簡単に滅亡すると心配した。ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟(おきて)を破った人物とその門戸(もんこ)には厳(きび)しい神罰(しんばつ)が下されて皆殺しとなり、その罪・責任は宗族(そうぞく)まで及ぶと定めた。
●倉頡が死刑と定めた3つの掟
(1)
 文字作成銀河の各部の形状から文字が作られた秘密を暴露(ばくろ)した者
(2)
 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者
(3)
 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者

 紀元前3000年頃から始まる五帝時代の倉頡が考案した「書契(しょけい)」と呼ばれた文字と、紀元前2070年頃から始まる夏代(かだい)の夏音(かおん)文字と、紀元前1600年頃~紀元前1300年頃までの殷代(いんだい)前半の原初漢字は、鬼神(きじん)信仰とむすびついて上記した倉頡が死刑と定めた3つの掟を厳重(げんじゅう)にまもった。このため、原初漢字(倉頡文字・夏音文字・殷代前半の文字)が記された史料が中国においてもわが国においても未(いま)1点も発見されない。ゆえに、現在の学者たちは倉頡が漢字を発明したと説明する伝説は、荒唐無稽(こうとうむけい)の空想と思い込んだ。この学者たちの早合点(はやがってん)と、さらに『魏志』倭人伝に加えた数々の【誤読】によって「漢字が銀漢から作られた事実」を解明する学術研究の門が閉()ざされた。
 上記した倉頡が定めた(3)の掟は紀元前1300年頃から始まる殷代後半に出現した亀の甲羅(こうら)に文字を刻んだ甲骨(こうこつ)文字によって破られた。しかし、甲骨文字は(1)(2)の掟については厳重に守った。だから、(1)の掟によって「漢字が文字作成銀河から作られた事実」は現在においても不明となり、また(2)の掟によって「文字作成銀河各部の名称」は存在しないことになり、この倉頡の(2)の掟は現在まで受け継がれている。
 わが国では紀元前2070年頃~紀元前2070年頃、中国の夏代初頭=後期縄文時代初頭に夏音文字が伝来して習得された。この夏音文字は『魏志』倭人伝の人名・小国名・官職名となって現存する。だから、これから『魏志』倭人伝に記述された小国名の秘密を解明するには、「文字作成銀河各部の名称」がどうしても必要であるゆえ、わたくしは下に示すように各部の名称を定めた。
Photo

 ▲文字作成銀河各部の名称図

◆『魏志』倭人伝には「わが国は、夏音文字を習得していた」と伝える記事が2ヵ所ある。
 
 この最初の記事は「倭の卜占(うらない)に用いる辞(/文字とことば)は〔令亀(れいき)〕つまり〔亀の甲羅(こうら)に文字を刻んだ甲骨文字の法(辞理/じり)のごとし」と伝えて、「わが国は夏音文字を習得していた」と伝えている。
 
 もう一つの記事を要約すると「魏の都や朝鮮半島の帯方郡(たいほうぐん)・諸韓国(しょかんこく)が用いる楷書(かいしょ)と卑弥呼が文書に用いる文字(夏音文字)は差錯(ささく/相違)しているので、倭の小国の伊都(いと)国の港では点検し、確認し、魏と朝鮮半島で用いる楷書と卑弥呼が用いる文字を正しく変換していた」と伝える。
 したがって、この二つの記事は――魏と朝鮮半島で用いられる楷書と卑弥呼が用いる夏音文字は共に文字作成銀河の各部の形状を字源・字形・字義として、さらに楷書も夏音文字はともに倉頡が発明した「鳥獣の足跡」という名の漢字作成原理にもとづいて作られた文字であったゆえ、伊都国の港では文字作成銀河を観察して楷書と夏音文字を考えて正しく変換していた――と証言するものであった。
 このような夏音文字の二つの記事が示すように、2世紀末に出現(しゅつげん)した卑弥呼(ひみこ)王朝は、黄帝の歴史を復興し、倉頡が発明した漢字作成原理を保存する夏音文字の学芸を政権基盤にして、わが国のおける最初の国家体制を樹立(じゅりつ)した。これゆえ、卑弥呼王朝は小国名を倉頡が発明した漢字作成原理の基(もと)に定めたため、『魏志』倭人伝は倉頡が発明した漢字作成原理をコンパクトに表示する貴重な史料となったのである。

人類は原始の時から、A図右上に示す[(げん)]=天頂(てんちょう)緯度線と子午線をキャッチする能力を研(みが)くと〔1度の60分の11分の精度で緯度〕が測定(そくてい)できる眼力と本能が脳にそなわっていた。この[]のキャッチのおかげで、人類は苛酷(かこく)な原始の時代に滅亡せず、獲物(えもの)を追って移住生活をつづけても「迷った」とパニック状態におちいることがなくしっかりと位置(位置と方位)は認識していると自覚して生活し、大海で迷って漂流することもなく緯度と経度を計測して渡ることができた。
K131

(C) 2018 OHKAWA
 
 だから、紀元前3000年頃、黄帝の遠征軍は原始以来の慣習となる[]をキャッチして黄河(こうが)中流地域からはるかに遠い揚子江(ようすこう)・太湖(たいこ)まで遠征しても故郷に帰還することができた。
 〔歳差(さいさ)〕という天文現象を用いると、紀元前3000年頃の五帝時代初頭、上掲した文字作成銀河各部の名称図の左上にある「十字の銀河」が中国全土各地の天頂にめぐってきたことが明らかとなる。B図に示すように、北緯3536分の陝西省(せんせいしょう)の黄陵県(こうりょうけん)にある黄帝陵(黄帝を祭る廟と墓)と北緯31度の太湖南岸の天頂に「十字の銀河」がめぐってきた。
K132
(C) 2018 OHKAWA
 
 C図に示すように、「十字の銀河」には〔乳房・子宮・妊婦(にんぷ)のような円い腹部〕がある。ゆえに、倉頡は黄帝の医学研究をあらわすため、「十字の銀河」を「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての文字が生まれる母体(ぼたい)」と定め、また「十字の銀河の子宮(しきゅう)」を「すべての文字が生まれる子宮」と定めた。これゆえ、B図の銀河と緯度の状況と、C図で説明した「十字の銀河を文字作成銀河各部の形状から作られた文字が生まれる母体にする」という定理が、倉頡が発明した漢字作成原理となった。
K271
(C) 2018 OHKAWA
 
 
D図に示すように、出産の娩出期(べんしゅつき)終了時において頭が誕生する子の顔の正面は母体の背側に向く。
K191
(C) 2018 OHKAWA
  
 E図の上図に示すがごとく、倉頡はすべての漢字の母体となる「十字の銀河」に「頭が誕生する子(出産児)の顔の向き」をあてはめた。
K272

(C) 2018 OHKAWA
  
 すると、「十字の銀河の背側に顔を向ける子」は〔東〕を向くことになり、中国の〔東〕は〔大海〕であるゆえ、「子どもは大海原(おおうなばら)に生まれて、陸地(中国全土)には生まれない」という状態となるゆえ、このままだと黄帝の研究と自らが発明した漢字作成原理との間に不合理・矛盾(むじゅん)が生ずることに、倉頡は気づいた。
 そこで倉頡は黄帝が徳(とく)をもって治める政事(まつりごと)をイメージし、このイメージと自らの「十字の銀河」を「すべての漢字を生む母体」とする漢字作成原理、この両者における相互の合理を求めて、E図の下図に示すように、[()]の字を作って「〔南〕が〔西〕となる、時計回りに90度方位が転回する規定」を定め、また[]の字を作って「〔南〕が〔東〕となる逆時計回りに90度方位が転回する規定」を定めた。
 F図の右下に[]の契文形(けいぶんけい/亀の甲羅に文字を刻んだ甲骨文字の字形)を示した。[]の契文形は「いね()の形」をあらわす図案である。
K273
(C) 2018 OHKAWA
  
 倉頡はE図に示したように「子の生育(せいいく)」と「いねの生育」を同一視し、F図に示すように「十字の銀河」に「いねの図案」を重ねて「いねの穂が〔南〕から〔西〕の鬼の姿に似る銀河の口部に垂れるイメージ」を表現する[]の字を作った。つまり、[]は「天が恵みの雨を降らせて地上に豊かな穀物を与えるように、徳政(とくせい)すなわち恵み深い政事(まつりごと)をおこなう」と意味することになった。
 なお、E図の下図に示した「時計の針の逆方向の90度の転回方位」をあらわす[]は「子の生育」と「いねの生育」を同一視した考えにもとづいて「地上に多数の子が生まれる」とあらわすことになった。
 F図の下部に示すように後世の人が、倉頡が作った[]の下に[]の字を加えて[()]の字を作った。というのも、「いねの図案」と重なる「十字の銀河」は、C図に示したように「女体」に観えるからである。「十字の銀河」は「人の姿」にも相似するゆえ、人偏(にんべん)[]が加わる[()]の字も作られることになった。後世に作られた[][]は倉頡が作った[]の字源・字義を受け継いで、F図の上部に示したように「時計回りに90度転回して〔南〕が〔西〕となる方位規定」をあらわした。
 だから『魏志』倭人伝には――実際には日本列島は〔東〕へ伸びるが、[]の字源のとおり日本列島の〔東方〕は〔南〕へと伸びる――と記述された。つまり、『魏志』倭人伝にある全15ヵ所の方位記事は――倉頡が作った[]の字源「時計回りに90度転回して〔南〕が〔西〕=〔東〕が〔南〕となる方位規定」の伝統を受け継ぐ――[]の字源をあらわした。
K274
(C) 2018 OHKAWA
  
 したがって卑弥呼王朝は、G図に示す転回日本列島地理を制定し、卑弥呼が統治(とうち)する国名をF図の転回方位規定を示す[][]の字が加わる「倭人国」と定めたとことになる。
 この「倭人」という国名は「豊かな禾(穀物)に恵まれ、女性たちが多数の子を生み、人々が[]をキャッチする能力を養(やしな)って寿命を伸ばして幸せに生活する」と意味した。

◆上記したように、「十字の銀河」は女体に相似するゆえ(C図参照)、倉頡は「十字の銀河」を「文字作成銀河各部の形状から作られる、すべての漢字が生まれる母体」と定めた。また、倉頡は「十字の銀河の子宮」を「すべての文字が生まれる子宮」と定めた。
 このように倉頡が発明した漢字作成原理をあらわす図案が、H図に示す「文字」の[]の金文形である。この字形は「十字の銀河」を「女体の正面形」に見立てて、「子宮に胎児(たいじ)がやどる、おなかが円い妊婦(にんぷ)の姿」を表現する。
K281
(C) 2018 OHKAWA
  
 I図は、「文字」の[]の金文形である。「十字の銀河」は「すべての文字が生まれる」をあらわす[(べん)]の下に[]の字源「鬼の姿に似る銀河」が加わって、[]となる。
 I図の「十字の銀河の子宮」に「鳥獣(ちょうじゅう)の足跡(あしあと)」という文字を加えた理由は、倉頡が発明した漢字作成原理の名が「鳥獣の足跡」であったからである。
K282
(C) 2018 OHKAWA
  
 J図に示すように、H図の「十字の銀河」から作った[]の字形を90度転回させ、「鬼の姿に似る銀河」が[]の字となって、[(さい)]の楷書が作られた。
K283
(C) 2018 OHKAWA
  
 K図は、[]の下の[]の字源解説図である。J図の右図の「鬼の姿に似る銀河」は、A図に示した[]の「天頂緯度線を測定する人」に見立てられて、[]という字が作られた。[]は「神(かみ)」の初文(しょぶん/最初の文字)である。
K284
(C) 2018 OHKAWA
  
 天が示す象(ぞう)すなわちK図に示す天頂緯度線の測量に成功すれば吉、失敗すれば凶となった。ゆえに、天頂緯度線の測量は人の生死を示すものとなったゆえ、[]の字源「天頂緯度線の測定」は神事となった。だから、“字書の聖典”と古代の人々に尊重された『説文解字(せつもん)』は、[]の字源を「天は象(ぞう)を垂れて吉凶を見(しめ)す。人に示す所以(ゆえん)なり。(中略)。示とは神事(しんじ)なり」と解説した。
 K図の右側の[]の契文形において「上部の横線が1本と2本」の2種あるのは、「1本の契文形」は「天頂緯度を測定する」の「天頂緯度線」を注目した図案であり、「2本の契文形」は「地上から天頂緯度を測定する」の「地上の観測地点の緯度」を注目した図案である。『易経』繋辞上伝には「天は一、地は二なり」と解説する文がある。A図に示した[]のキャッチでは――K図に示すように「天頂緯度=観測地点は同一緯度」と定めたが、「天は一なり」と「地は二なり」(つまり、天の鬼神と地の鬼神は呼応しあうが、別種である)と区別したゆえ、[]の契文形は2種存在することになった。この秘密はJ図の[]の字に示され、『魏志』倭人伝に記述された〔天文方位の対馬国・一大国〕と〔転回地理方位(転回日本列島地理)の九州の各小国〕と分かれて、両者の相違が明確に示されることになった。

 J図の[]の字は、F図に示した[][][]と同じく「転回方位」をあらわす。ゆえに、[]はG図に示した卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理をあらわすことになった。
 L図に示すように、[]の古代字形は「子午線通過する時の十字の銀河の形」を図案するものであった。
K285

(C) 2018 OHKAWA
  
 『説文解字』は[]の字源を「至高(しこう)にして上なし。一大に従う」と解説する。B図に示したように、黄帝時代、中国各地の至高つまり最も高くて、それ以上の上がない天頂に「十字の銀河」がめぐってきたので、「子午線通過する時の十字の銀河の形状」が[]の字源となった。
 H図の[]の字源解説図は、L図の[]の字源解説図と同じく「子午線通過する時の十字の銀河の形状」によって字形が成立する。
 しかし、I図の[]の場合、その[]の字形は「鬼の姿に似る銀河が子午線通過する時の形状」によって成立するものであった。
 だから注目すべきは、M図の下図に示すように、F図の[]とI図の[]とJ図の[]の字形は、「鬼の姿に似る銀河が子午線通過する時、十字の銀河に対して鬼の姿に似る銀河が時計回りに90度転回する位置にある形状」から作られたことになる。
K286
(C) 2018 OHKAWA
 
◆前々回のわがブログ「漢字習得定説のウソ・9」で詳細に解説して証明したように、『魏志』倭人伝に登場する小国の「対馬」は、N図に示す現在の「長崎県対馬」であった。
 N図に示すように[]の字源は「フタコブラクダの側身形(そくしんけい)」であるが、「対馬の上島の地宜」は「フタコブラクダの正面形」に相似すると見立てられた。このため、「対馬の上島の地宜」はL図の「十字の銀河の正面形=子午線通過する時の十字の銀河」に相似すると見立てられて、[]の字源を示すことになった。
K291
(C) 2018 OHKAWA
 
 『魏志』倭人伝は「長崎県の壱岐」の小国名を「一大」と記す。前述したように『説文解字』は[]の字源を「至高にして上なし。一大に従う」と解説する。この「一大」は[][]の字源が「十字の銀河の子宮」であり(L図参照)、「子宮で育つ胎児が大きくなるとともに子宮も大きくなる」ので「一大に従う」と解説されたのである。[]の字義は「一」であるゆえ、「一大国」の現在名は「壱岐」である。
 O図に「対馬国(対馬)」が[]の字源銀河の「十字の銀河」に、「一大国(壱岐)」が「十字の銀河の子宮」に見立てられて[]の字源を示すことになった様子をあらわした。
K292

(C) 2018 OHKAWA
 
 『魏志』倭人伝は「対馬国から南一海を渡る千余里すると、一大国に至る」と記述する。この記事にある「南」は――[]の字源の「十字の銀河」における〔南〕」をあらわすものであった。つまり、「対馬国と一大国の方位」は、K図に示した「上部が1本線の[]の契文形の図案」にもとづく〔天文方位〕である。
 他方(たほう)、O図における末盧(まつろ)国・伊都(いと)国・奴()国・不弥(ふみ)国・投馬(つま)国・邪馬壱(やまい)国の方位規定は、G図に示した〔地理の方位=転回日本列島地理の方位〕にして、K図に示した「上部が2本線の[]の契文形の図案」があらわす〔転回方位〕であった。
 O図では[]の字源にもとづく〔天文方位〕と転回日本列島地理にもとづく〔転回方位〕を一図にして示したが――両者の方位規定は同一ではなく互いに独立して別なるものであったゆえ、『魏志』倭人伝は〔天文方位の一大国〕から次の〔転回地理方位の末盧国〕までの「方位名」を矛盾なく表示することができなくなったため、方位名はを記していない。
 O図に示すように、[]の字源となる「十字の銀河」と「十字の銀阿の子宮」に見立てられた「対馬国」と「一大国」を結ぶ延長線上に、転回日本列島地理の方位にもとづく「伊都国の糸島半島と奴国の志賀島(しかのしま)」が所在する。
K293
(C) 2018 OHKAWA
  
 前回のわがブログ「漢字習得定説のウソ・10」で詳細に解説したように――P図に示した志賀島について、『古事記』上巻の伊耶那岐命(いざなきのみこと)の禊祓(みそぎばらい)説話は「底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)と中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)と上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)の三柱(みはしら)の綿津見神は、阿曇連等(あづみのむらじら)の祖神(おやかみ)と伊都久(いつく)神なり」と記述する。『古事記』は「伊都久」の3字には〔音〕という注を付け、「伊都久」は夏音文字であると表示する。現在、海ノ中道(うみのなかみち)を望む志賀島の高台には志賀海(しかうみ)神社が鎮座(ちんざ)し、祭神は底津綿津見神と中津綿津見神と表津綿津見神である。神名に「上津綿津見神」と「表津綿津見神」と[][]の違いがあるが両神の名は相似し、ほかの二神名は同名であるから、志賀海神社は阿曇氏の祖神を伊都久(いつく」祭る神社であったことになる。
 志賀島からは――『後漢書(ごかんじょ)』倭伝が「建武中元(けんむちゅうげん)二年(西暦57)、倭の奴国が奉貢朝賀(ほうこうちょうが)す。使人(しじん)みずから大夫(たいふ)と称す。倭国の極南界(きょくなんかい)なり。光武(こうぶ)、賜(たま)うに印綬(いんじゅ)を以(もっ)てす」と記述する――光武帝から与えられた金印が出土している。この金印には「漢委奴国王」の5字が刻まれ、「漢の委()の奴の国王」と読むのが定説である。F図に示したように、[][]の字源は同一であるから、定説のごとく[]を[]と解釈してもよいことになる。
 志賀島出土の金印記事にある「極南界」は「中心地から遠く離れた南端の地」と意味するものではなく、P図の中央に示すように「海ノ中道と志賀島をつなぐ〔南〕」を意味した。この極南界の〔南〕はF図に示した[][][]の字源「時計回りに〔南〕が〔西〕になる、時計回りに90度方位が転回する」をあらわし、つまりJ図の楷書[斎]の字源をあらわした。
 G図の転回日本列島地理の方位規定は、前述したように、J図の楷書の[]の字源を表示した。[]は「いつく」と読み、『古事記』は夏音文字で「伊都久」と表記する。
 だから、P図は現在方位で示したが、「伊都久の伊都国」はO図に示した転回方位を厳重(げんじゅう)に管理する特別な小国であった。『魏志』倭人伝は「一大率(いちだいそつ)という男王が特別に諸国を検察(けんさつ)して、伊都国の港では魏の都と朝鮮半島で文書に用いる楷書と倭の卑弥呼が文書に書く夏音文字が正しく変換していた」と記述する。
 Q図の上図に、現在方位にもとづく「不弥国」という名となった「津屋崎(つやざき)町の海岸線と宗像(むなかた)市平野部の地宜」を示した。Q図の下図に、[][]の転回方位にもとづく不弥国の地宜を示した。
K294
(C) 2018 OHKAWA
  
 『古事記』上巻の天照大御神と須佐之男命(すさのおのみこと)の誓約(うけい)説話の末部は〔宗像大社の三女神〕について「宗像王たちが伊都久・斎(いつく)三前(みまえ)の大神なり」と記述する。Q図の下図は「宗像王たちが伊都久=斎(いつ)く転回方位の神に奉仕する様子」を示す図となる。
 だから、『魏志』倭人伝の15ヵ所の方位記事に1ヵ所も【誤読(文献批判)】を加えなければ解明できた、G図の転回日本列島地理は事実であったことになる。

◆前回のブログ「漢字習得定説のウソ・10」で詳細に解説したように――R図は、中国の五経の第一に挙げられる『易経(えききょう)』の繋辞上伝(けいじじょうでん)が「易は天地に準(なぞらう)う。ゆえに能(よく)天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察(あきらかに)する」と記述する、漢字起源の秘密を伝える記事の解説図である。
K295

(C) 2018 OHKAWA
  
 したがって、R図はA図に示した[]のキャッチ図とK図の[]の字源解説図は共に、五帝時代の王朝が1度の60分の11分の精度で緯度を測量できたので精密な中国海岸線地図を作製して厳重な機密にしていたと今日に伝えていることになる。
 高田真治・後藤基巳(もとみ)著『易経()(岩波書店発行)は、上記の文中にある「弥綸」という語は「つくろいおさめる、洩()れなく包(つつ)みこむ」と意味すると指摘する。この注の通り、中国の海岸線は鳥の姿に相似し、長江口(ちょうこうこう)から杭州湾(こうしゅうわん)南岸までは翼が裂けて綻(ほころ)ぶかのごとくの形状になるが杭州湾南岸からは円くカーブを描いてつくろいおさまって、中国全土を洩れなく包み込む。ゆえに、「中国の海岸線の形状」は「弥綸」という語をあらわしている。
 「弥綸」の[]という字は「首から腹部の体下面が絹のように美しく銀白色に輝く水鳥のカンムリカイツブリ」を意味した。
 R図の「中国海岸線の形状」は「[]のカンムリカイツブリが東の大空へ飛翔(ひしょう)する姿」に相似すると見立てられて、[]の字源となった。ゆえに、『説文解字』は[]の字源を「鳥飛んで上翔(じょうしょう)し、下り来()らざるなり。一に従う。一はなお天のごときなり」と解説する。
 S図の転回方位にもとづく「不弥国の地宜」は、[]の中国海岸線が相似する「カンムリカイツブリ」が一大国へ向かって飛翔する姿に観える。
K301
(C) 2018 OHKAWA
  
 ゆえに、[]の字源を示す「津屋崎海岸線と宗像市平野部の地宜」は、[]の字源「鳥飛んで上翔し、下り来らざるなり。一に従う。一はなお天のごときなり」、つまり――「壱岐の地宜」は[]の字源銀河「十字の銀河の子宮」に見立てられたゆえ、S図の「一大国・壱岐と津屋崎海岸線・宗像市平野部の地宜」は「[]に向かって飛翔して下り来ない弥(カンムリカイツブリ)の姿」に相似すると見立てられて、小国名「不弥」をあらわした。
 S図においても、K図で解説した2種の[]の契文形の相違が示される。S図上部の「一大国・壱岐」は〔1本線の[]の契文形の「天頂」=[]の字源〕を示し、「宗像神社」は〔2本線の[]の契文形、J図の[]の転回地理方位〕に奉仕してつかえる神社であった。その証拠に、G図の左側に示した沖ノ島には宗像大社の沖津宮が鎮座し、沖ノ島は転回日本列島地理の緯度基準基点地であった。

◆このブログの冒頭で指摘したように――『魏志』倭人伝は卑弥呼が居住した王国の名を「邪馬台国」ではなく、「邪馬壱(やまい)国」と表記する。
 G図に示したように「邪馬壱国」の範囲は「現在の島根県・鳥取県西部」、「旧国の石見(いわみ)・出雲(いずも)・伯耆(ほうき)」であった。
 T図に、『魏志』倭人伝が説明する2世紀末~3世紀半ばまでの卑弥呼時代の出雲の地宜を示した。
K302
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 T図の上部の「神門水海(かんどのみずうみ)」という湖は、「経度軸と緯度軸に対して邪(なな)めになって、馬(フタコブラクダ)の姿に相似する。ゆえに、「神門水海」は[][]をあらわす地宜となった。当時の宍道湖(しんじこ)は転回方位地図で「人の右足の形」に相似していた。そして当時の「人の足の形をしている宍道湖の南方(現在方位の東方)の、その爪先(つまさき)」は、転回方位の〔西〕へと向いていた。C図に示したように、「十字の銀河の右足(西側の足)」は「十字の銀河の子宮」と重なる。[]の字源銀河は「十字の銀河の子宮」である。ゆえに、「転回方位にもとづく宍道湖の南方」は[]の字源地宜に相当することになった。だから、「神門水海」の[邪・馬]と「宍道湖の南方」の[]で、卑弥呼が居住した王国の名称は「邪馬壱国」となったのである。
 「邪馬台国」の[()]の字源銀河は、U図に示す〔台形〕の「長方形の暗黒天体部」である。「長方形の暗黒天体部」の西隣(にしとなり)の「北アメリカ星雲」は[(せき)][(げつ)]の字源となった。『説文解字』は[]の字源を「莫(くれ)なり。月の半ば見ゆるに従う」と解説して、「日が暮れて月が空に出現する夕方」であると表現する。
K303

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 U図に示したように、[()]の字源は東の「十字の銀河の子宮」、[()]の字源は西の「長方形の暗黒天体部」であった。その証拠に、「長方形の暗黒天体部」は「台形状」となる。そして「落陽(らくよう)」すなわち「太陽が西に没する景色」は、台形状の[()]の字源「長方形の暗黒天体部」と[][]の字源「北アメリカ星雲」とがあらわすことになった。ゆえに、魏の都の名は[]に字に草冠の無い[]の字を配する「洛陽」であった。『魏志』倭人伝の末部は「倭の使節の掖邪狗(ややこ)など二十人を遣(つか)わし、因()りて臺()に詣(いた))」と記述する。このように、U図に示した[()]の字源銀河にもとづいて「魏都・洛陽」は[()]と省略された。

 卑弥呼が統治した倭国は中国の東方に位置し、しかもG図の転回日本列島地理では日本列島の東方に位置した。だから、卑弥呼が居住した王国の名は[()]の字を配する「邪馬壱()国」であったと考えるべきことになって、「邪馬台国」ではなかったことになる。

◆倉頡伝説では、倉頡が発明した漢字作成原理の名は「鳥獣の足跡」と呼ばれる。
 I図に示したように、「女性の子宮」のごとくと見立てられた「十字の銀河の子宮」に「鳥獣の足跡」という文字を付け加えた。
 V図に示すように、「女性の生殖器の側身形」は「鳥の姿」に相似する。
K304
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 わがブログ「漢字習得定説のウソ・2」で詳細に解説し証明したように――W図に示す[]の字源の「ジャコウウシの姿」は「第5週始め頃の胎児の姿」に相似すると見立てられた。
K305
 
 また、ジャコウウシは天敵のオオカミに襲われると、子は真ん中に隠して、群れは円陣を作って子を護る習性がある。女性の生殖器(せいしょくき)の大半は骨盤(こつばん)に包囲される。「ジャコウウシ」は「女性生殖器を護る骨盤」に見立てられて倉頡の漢字作成原理を象徴(しょうちょう)する聖獣(せいじゅう)となった。
 N図に示した[]の字源「フタコブラクダの両目」は「顔の両端」に離れる。第7週頃の胎児の両目は、フタコブラクダの両目のごとく顔の両端に離れる。また、沙漠を旅している時の死者は深い穴が掘られ、一匹のフタコブラクダを殺してその墓に血を注(そそ)ぐと、雑草が生い茂って墓をおおい場所が判らなくなっても、ラクダは殺されたラクダの血を嗅ぎあてることができたために墓の場所がわかったという。このフタクブラクダの能力は、A図の「[]のキャッチ」を象徴することになり、フタコブラクダもジャコウウシと同様に倉頡が発明した漢字作成原理を象徴する聖獣となった。
 V図に示した「鳥」、W図に示した「ジャコウウシ」と「フタコブラクダ」の「獣」、そしてC図の「文字作成銀河各部の形状から作られた全文字が生まれる子宮」と倉頡が定めた「十字の銀河の子宮」は「十字の銀河の右足」と重なり、「足跡」をイメージとすることになった。だから、漢字作成原理の名称は「鳥獣の足跡」となった。
 倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」では、A図に示した「[]のキャッチ」が第一に不可欠な要素となった。また、B図に示した中国各地の天頂緯度線が貫通(かんつう)した「文字作成銀河から作られた全文字が生まれる母体」の「十字の銀河」と「全文字が生まれる子宮」の[]の字源「十字の銀河の子宮」が第二次に重大な要素となった。第三次の不可欠要素は、I図に示した[]の字源「鬼の姿に似る銀河」であった。というのも、B図が示すように、「鬼の姿に似る銀河の顔の部分」が中国の各地の天頂にめぐってきたが、その「鬼の姿に似る銀河の身体部」は中国各地の天頂より北側で子午線通過したから、「十字の銀河」より劣ることになった。
 第四次の不可欠要素は、E図の下図に示した[][]の字源定義であった。
 U図に示した[()]の字源は漢字作成原理にとって欠かせない重要な要素であったが――「鳥獣の足跡」という名称には直接的に関わらなかった。
 一方、「邪馬壱国」の[()])の字源「十字の銀河の子宮」は漢字作成原理の名称に直接的に関わった。このことを示して、わたくしはI図の「十字の銀河の子宮」に「鳥獣の足跡」という文字を加えた。

◆学者たちのごとく「邪馬壱国」は誤記で「邪馬台国」が正しいと主張すると、『魏志』倭人伝の倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」を伝える記事組織は一気に崩壊(ほうかい)する。そうすると、このブログの冒頭で指摘したように、漢字が作られた文字作成銀河から古代エジプト文字(ヒエログリフ)も作られた、という人類にとってきわめて重大な真実もまた抹殺(まっさつ)されることになる。
 『魏志』倭人伝に【誤読】を1点も加えなければ、このブログで証明したように、『魏志』倭人伝によって「倉頡が発明した漢字作成原理」が、しかも【科学】が成立して証明することができる。
 邪馬台国説は多数の【誤読(文献批判)】を加えるが、いっこうに【科学】が成立して矛盾(むじゅん)が解消される意見が成立しない。ということは、邪馬台国説の実体は今後千年たっても一万年たっても【科学】が成立しない【誤読の空論】ということになる。
 『古事記』上巻には、〔音〕という注が付いて多数の夏音文字が記載されて残る。
 この多数残った夏音文字の役目は、わがブログ「真実の日本国誕生史」の10回~40回まで詳細に解説して証明したように――後世の人々に日本国が〔愛〕を掲げて誕生した歴史を伝えることであった。ゆえに、太安万侶(おおのやすまろ)は『古事記』上巻の序において「夏音文字と楷書の字源・字形・字義を文字作成銀河各部の形状に変換すれば、上巻に記述された〔愛〕を国家理念とした日本国誕生史は解明できる仕組みになっている」と警告(けいこく)した。しかし、学者たちは安万侶の警告に耳を傾けず漢字が銀河から作られた研究を怠(おこた)り、多数の【誤読】を駆使(くし)して日本国誕生史の真実を排除(はいじょ)する。
 このように【誤読】を思考方法とする邪馬台国説と日本神話学説は人類にとっても日本人にとっても重大な真実を排除するデマであり、ウソ八百のフェイク(虚偽)ニュースであったのである。
 【誤読の空論】の邪馬台国説と日本神話学説は人類に重大な損害を与えるとともに、日本人のいのちの尊厳となった〔愛〕を学者たちが群がってレイプするところの暴行説であったのである。
 邪馬台国説と日本神話学説はなにもかもがデタラメでインチキなのである。
 『魏志』倭人伝と『古事記』上巻は【誤読】を加えてはならない――文字作成銀河各部の形状を観れば真実が花ふぶきのように舞いおりる、日本人が日本人の魂に耳をかたむけて真実を知る書物なのである。

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