G-T0XYQT12LL 漢字習得定説のウソ・12: 卑弥呼の逆襲

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2018年5月16日 (水)

漢字習得定説のウソ・12

 ●『魏志』倭人伝の小国位置の証明・4
[]の字がつく小国位置の証明
 
◆わがブログ「漢字習得定説のウソ」は1回から4回まで詳細に証明したように――「黄帝につかえた倉頡(そうきつ)が漢字を発明した」という伝説は事実であった。
 つまり、倉頡は下に示す銀河の範囲の各部の形状から漢字を図案する原理を発明した。
 漢字が作られた範囲の銀河を、わたくしは「文字作成銀河」と呼ぶことにした。

Ginga
 ▲文字作成銀河の写真

 紀元前3000年ころに生存した黄帝は、東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。『内径』という書名は「女性の生殖器・子宮と子宮で育つ胎児(たいじ)の研究・産道(さんどう)と胎児の出産の研究」を意味した。黄帝の医学研究は中国最初の事業であったので、それ以前の紀元前4000年頃~紀元前3000年頃までの三皇(さんこう)時代の易(えき)に用いられた記号では黄帝の研究成果をあらわすことができなかった。だから、倉頡は黄帝の医学研究をあらわすことができる漢字を発明したのである。
 倉頡はみずからが考案した文字が最も強力な権力、莫大(ばくだい)な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易・簡単に滅亡すると心配した。ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟(おきて)を破った人物とその門戸(もんこ)には厳(きび)しい神罰(しんばつ)が下されて皆殺しにすると定め、その罪・責任は宗族(そうぞく)まで及ぶとした。
●倉頡が死刑と定めた3つの掟
(1)
 文字作成銀河の各部の形状から文字が作られた秘密を暴露(ばくろ)した者
(2)
 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者
(3)
 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者
 

 上記した倉頡が定めた(3)の掟は紀元前1300年頃から始まる殷代後半に出現した亀の甲羅(こうら)に文字を刻んだ甲骨(こうこつ)文字によって破られた。
 しかし殷代後半より以前の紀元前3000年頃に倉頡が考案した「書契(しょけい)」と呼ばれた文字と、紀元前2070年頃から始まる夏代(かだい)の夏音(かおん)文字と、紀元前1600年頃~紀元前1300年頃までの殷代(いんだい)前半の原初漢字は、上記した倉頡が死刑と定めた3つの掟を厳重(げんじゅう)にまもった。このため、原初漢字(倉頡文字・夏音文字・殷代前半の文字)が記された史料が中国においてもわが国においても未(いま)1点も発見されない。ゆえに、現在の学者たちは倉頡が漢字を発明したと説明する伝説は、荒唐無稽(こうとうむけい)の空想と思い込んだ。この学者たちの早合点(はやがってん)と、さらに『魏志』倭人伝に加えた数々の【誤読】によって「漢字が銀漢から作られた事実」を解明する学術研究の門が閉()ざされた。
 (3)の掟を破った殷代後半の甲骨文字は(1)(2)の掟については厳重に守った。だから、(1)の掟によって「漢字が文字作成銀河から作られた事実」は現在においても不明となり、また(2)の掟によって「文字作成銀河各部の名称」は存在しないことになり、この倉頡の(2)の掟は現在まで受け継がれている。
 わが国では紀元前2070年頃~紀元前2070年頃、中国の夏代初頭=後期縄文時代初頭に夏音文字が伝来して習得された。この夏音文字は『魏志』倭人伝の人名・小国名・官職名となって現存する。だから、これから『魏志』倭人伝に記述された小国名の秘密を解明するには、「文字作成銀河各部の名称」がどうしても必要であるゆえ、わたくしは下に示すように各部の名称を定めた。
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 ▲文字作成銀河各部の名称図

◆「銀河」の別称は「銀漢」である。だから、「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた。
 現在、多くの人々が銀河(天の川)の写真を撮影する。この銀河の写真を観察し、故・白川静博士などの最先端研究の字源字書を参考にすれば、倉頡伝説は「倉頡は銀河(上掲した文字作成銀河)から漢字を作った」と語るものであったことが科学的に証明される。
 わがブログ「漢字習得定説のウソ」の9回~前回(11)までで証明したように――『魏志』倭人伝は倉頡が発明した漢字作成原理を最もコンパクトにまとめた貴重な史料である。
 江戸時代中期の新井白石(あらいはくせき/16571725)から今日まで約300年間、学者たちは【誤読】に「文献批判」と名を付ける欺瞞(ぎまん)・虚妄(デタラメ)の方法で、倉頡が漢字を発明した事実を解明できる学問の門を厳重に閉()ざしてしまった。
 だから、白石以来の学者たちの【誤読】を自由自在にあやつってデッチあげた邪馬台国説は、人類にとってきわめて重大な真実を虐殺(ぎゃくさつ)することになった。
 というのも、わがブログ「古代エジプト文字の字源」の1回~27回をもって証明したように、古代エジプト文字つまりヒエログリフ(聖刻文字)もまた上掲した文字作成銀河から作られた事実が証明されるからである。
 古代エジプト文字が漢字と同じ文字作成銀河から作られた事実によって、原シナイ文字、フェニキア文字、フェニキア文字から子分かされた現代ヨーロッパ文字につながるギリシア文字、ラテン文字も文字作成銀河から作られたことが証明される。またフェニキア文字から子分かされて現代に至るペルシア文字、アラビア文字、ヘブライ文字、アムハラ文字も、そのルーツが文字作成銀河から作られたことが証明される。したがって、現在の地球上の70%~80%の人々が用いる文字のルーツが文字作成銀河から作られた事実が、『魏志倭人伝』に1点の【誤読】が加えなければ明らかとなる。
 以上からして、いくつもの【誤読】を加えて史実をねじ曲げる邪馬台国説は、人類にとってきわめて重大な真実を虐殺する人類共通の敵である。

◆後漢(ごかん)時代の文字学者の許慎(きょしん)は、100年頃に『説文解字(せつもんかいじ)』を完成させていたといわれる。『説文解字』は文字作成銀河を観察して著作された。ゆえに、漢字は銀河から作られた学芸の秘密を知っていた古代の人々は『説文解字』を“字書の聖典”と讃(たた)えて尊重した。
 わが国の中国古代漢字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統(じとう)(平凡社発行)は、2頁で『説文解字』について下記のごとく指摘するが、この指摘は思い違いで明らかに間違っている。
 「許慎の時代には、(中略)、文字の最古の資料である甲骨文が、まだ地下深く埋もれたままであった。許慎が資料としたものは、古い金文の構造がいくらか伝えるところのある秦篆(しんてん)と、金文の便化した古文(こぶん)若干が主たるものであった。許慎が『説文解字』を完成したのはあたかも紀元一〇〇年であるから、文字が成立してから約一五〇〇年を経ている。そして許慎が用いることのできた資料は、その最後の五〇〇年間のものにすぎない。われわれはいま、その最初の一〇〇〇年間の、確実にして豊富な資料を手にすることができるのである。」
 上記した文章末部の「甲骨文字」を「その最初の一〇〇〇年間の、確実にして豊富な資料を手にすることができるのである」と断定する意見は誤っている。というのも、文字の最古の資料は甲骨文字ではなく、上掲した文字作成銀河だからである。
 『魏志』倭人伝に1ヵ所も【誤読】が加えなければ最古の文字資料は文字作成銀河であり、しかも倉頡が発明した漢字作成原理の詳細が明らかとなる。ゆえに、白川博士の「甲骨文字を最古の文字資料であった」という断定は根本的に誤っている。また、わが国には甲骨文が出現した紀元前1300年よりも約750年前の夏代(かだい/わが国の後期縄文時代)の初頭に夏音(かおん)文字が伝来し、夏音文字は『魏志』倭人伝の人名・小国名・官職名に用いられて現存するゆえ、断じて甲骨文は最古の文字資料ではないと断定できる。

現在のわが国の国語として用いる当用漢字に直結(ちょっけつ)する楷書(かいしょ)は、6世紀末~7世紀初頭の隋代(ずいだい)に完成した。この隋代の楷書は倉頡が発明した漢字作成原理にもとづいて字形が作られた。
 したがって、現在の当用漢字までも倉頡が発明した漢字作成原理にもとづいて作成されたことになる――この秘密を、『説文解字』の序は「けだし文字は経芸の本、王政の始め、前人のもって後人に垂れるところ、後人のもって古(いにしえ)を識()るなり」という文で伝える。この『説文解字』の序の文は「文字は学問と芸術の根本であり、王道政治において“い”の一番の真っ先に必要な政権基盤であり、漢字の字源・字形・字義を文字作成銀河各部の形状に変換すれば後人が真実の歴史を知ることができる方法である」と意味した。
 したがって、上記した『説文解字』の序にある「王政の始め」という語句は「楷書が完成した隋王朝の政権基盤も倉頡が発明した漢字作成原理であった」と語っていることになる。
 『説文解字』の序が伝えるように、古代王朝は創立する時に“い”の一番に倉頡が発明した漢字作成原理を政権基盤としたゆえ――西暦170年頃にわが国で最初に国家体制を創設した卑弥呼王朝は倉頡が発明した漢字作成原理を政治基盤にした――と『魏志』倭人伝は小国名はじめいくつかの記事をもって伝えていたのである。
 卑弥呼王朝は紀元前21世紀にわが国が習得した夏音文字の学芸知識を有していたので、倉頡が発明した漢字作成原理における[()]の字源をあらわす「転回日本列島地理」を制定し、倉頡が発明した漢字作成原理にもとづいて小国名を定めた。だから、わずか約2000字で構成される『魏志』倭人伝は倉頡が発明した「文字作成銀河から漢字を作る原理」が最もコンパクトにまとめられた貴重な史料であった。
 学者たちは卑弥呼が「邪馬台国」に居住したと主張するが、『魏志』倭人伝は「邪馬壱()国」であったと表記する。倉頡は「文字作成銀河各部の形状から作られたすべての文字を生む子宮」となる銀河部を定め、この銀河部を[]の字源とした。この[]は楷書の[()]の字となり、[()]の字源は[]の字源と同じく「すべての文字を生む子宮」と定められた。だから、卑弥呼が居住した「邪馬壱国」の[]の字は倉頡が発明した漢字作成原理を現在に伝える。さらに、対馬(つしま)国・一大(いちだい)国・末盧(まつろ)国・伊都(いと)国・奴()国・不弥(ふみ)国・投馬(つま)国・邪馬壱国という小国名もまた、倉頡が発明した漢字作成原理をあらわすことは――前回の「漢字習得定説のウソ・11」にて証明した。
 前々回のわがブログ「漢字習得定説のウソ・10」では、邪馬壱国に隣接する小国名の「斯馬」は「兔(ウサギ)」を意味することを証明し、「分娩(ぶんべん)」の旁(つくり)部の[][(ウサギ)]の楷書形が相似する秘密は倉頡が発明した漢字作成原理が原因していることを証明した。また、小国「邪馬(やま)国」は「旧国の大和(やまと)、現在の奈良県」であることを証明した。そして、小国名の「邪馬壱国」と「邪馬」における「邪馬」は「猪(イノシシ)」を意味することを解明し、また「猪」は上掲した〔文字作成銀河の名称図〕における「夏の銀河(夏の銀河の東北部・夏の銀河の西南部)」をあらわすことを証明した。「夏の銀河」は倉頡が定めた文字を作成する銀河範囲で最も広い面積を占める。

◆今回は、名に[]の字を配する弥奴(みな)国、姐奴(つな)国、蘇奴(さな)国、華奴蘇奴(かなさな)国、鬼奴(きな)国、烏奴(あな)国、そして奴(な・ぬ?)国と卑弥呼と素(もと)より不和であった狗奴(くな)国の8ヶ国と、ついでにこれら小国と隣接するあるいは関連する幾つかの小国の位置と範囲を解明する。
 なお前述した伊都国と不弥国の中間に所在した奴()国の位置と範囲については、わがブログ「漢字習得定説のウソ・9」の末部で詳細に解説し証明した。この証明において、[]の字源銀河は「鬼の姿に似る銀河」であることを証明したが、上掲した〔文字作成銀河各部の名称図〕には「鬼の姿に似る銀河」の箇所は表示していない。[]の字源「鬼の姿に似る銀河」は、〔文字作成銀河各部の名称図〕の左上の「十字の銀河」の右隣となる。
 わがブログ「漢字習得定説のウソ」は9回~11回において、倉頡が生存した五帝時代初頭の黄帝時代、中国各地の天頂に「十字の銀河」がめぐってきたことを〔歳差(さいさ)〕という天文現象にもとづいて証明した。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 A図に示すように、「十字の銀河」には〔乳房・妊婦のような円いおなか・子宮に相当する箇所〕を有するゆえ、「十字の銀河」は「女体(にょたい)」に相似する。
 前述したように、倉頡は黄帝がおこなった女性の生殖器(せいしょくき)・子どもの出産の医学研究をあらわすことができる文字は作成することを目的とした。これゆえ、中国各地の天頂にめぐってきた「妊婦(にんぷ)」に見立てることができる「十字の銀河」を、倉頡は「文字作成銀河の各部の形状から作られる、すべての文字が生まれる母体」と定めた。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 その証拠に、B図に示すように――「文字」の[]の金文形は「十字の銀河」を〔妊婦の正面の姿〕に見立てて「子を孕(はら)む妊婦の正面形」の図案とした。
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(C) 2018 OHKAWA
  
 C図は、「文字」の[]の金文形である。[(べん)]は「すべての文字を生む母体の十字の銀河=文字作成銀河」と倉頡が定めた漢字作成原理をあらわし、「鬼の姿に似る銀河」を[]の字源となり、[][]が加わって[]となった。したがって、C図に示すように、[]の上部の[]の字源となる「十字の銀河」は「文字作成銀河の各部の形状から作られた文字が生まれる母体」となった。また「十字の銀河の子宮」は「すべての文字が生まれる子宮」と定められ、[]の字源「鬼の姿に似る銀河」は「文字作成銀河の各部の形状から作られた文字」をあらわした。
 だから、C図は倉頡が発明した漢字作成原理の基本をあらわした。
 倉頡伝説は――倉頡が発明した漢字作成原理は「鳥獣の足跡」と名づけられた――と伝える。ゆえに、わたくしはC図の「十字の銀河の子宮」に「鳥獣の足跡」という文字を加えた。というのも、わがブログ「漢字習得定説のウソ・11」で詳細に解説したように、『魏志』倭人伝に記述された「邪馬壱国」の[]の字源は「十字の銀河の子宮」であったことが「一大国・壱岐(いき/長崎県壱岐)」の地宜(ちぎ/平面的に図化した地図の形)によって立証されるからである。
 なお、C図に示すように「鬼の姿に似る銀河の顔には両目」があり、「鬼の姿に似る銀河の後頭部とアゴにも両目」があるゆえ、「鬼の姿に似る銀河」は「四つ目」となる。ゆえに、倉頡伝説は「漢字作成原理を発明した倉頡」を“四つ目の怪人”という異名(あだな)で表現した。このため、学者たちは早合点(はやがってん)して「人間には四つも目が無い。荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメだ」と断定した。しかし、学者たちが「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」になったと想像するならば――“四つ目の怪人・倉頡”とは「鬼の姿に似る銀河」を指すものであり、「鬼の姿に似る銀河」は「倉頡」に見立てられて[][][]の字源であった事実に気づいて、今日のごとく文字作成銀河から漢字が作られた学術研究の門は閉ざされることはなかったのである。

◆C図の下部の「鬼の姿に似る銀河」は[]の字源でもあった。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 D図は、[][][]の字源解説図である。
 []の偏の[]は「子どもを生む女性の生殖器」をあらわす。ゆえに、[]の字源においては「鬼の姿に似る銀河」は「女性の生殖器から誕生する子ども」に見立てられた。
 []の旁(つくり)[]の字音は「ゆう」、「右手」をあらわした。ゆえに、「右手」をあらわす[]の字音は[]と同じく「ゆう」である。[]の金文形は「右手の図案」と「渦巻き」で組織され、「渦巻き」は「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」の図案であった。
 以上のごとく、[][]の字源は共に「鬼の姿に似る銀河」であるゆえ、[]の原字は[]であったことになる。
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(C) 2018 OHKAWA

 E図に、[]の女偏となった「子どもの頭が誕生する娩出期(べんしゅつき)における女性の生殖器」を示した。[]の字源・字形・字義は「鬼の姿に似る銀河と、その周辺の形状」を、E図のごとく見立てて成立したことになる。
 『説文解字』は[]について「奴婢(ぬひ)、みな古(いにしえ)の辠(ざい/)人なり」とし、「周代の奴隷(どれい)であった」と指摘する。この[]の説明は字源とは無関係である。
 殷代には覡(げき/神官)と巫女(みこ)が王を葬るときに多くの人々を殺して墓に埋める残酷な徇葬(じゅんそう)を指揮した。この徇葬を憎悪した周王朝は殷王朝を滅亡させた。そして周王朝は「徇葬を指揮した神官と巫女たちを罪人にして奴隷にした」ため、『説文解字』は「奴婢、みな古(周代)の罪人なり」と説明したのである。
 だから、『説文解字』の[]の説明は周代の奴隷について説明したもので字源解説でなかった。これについては――『魏志』倭人伝の9ヶ国の小国名の[]を「罪人」に変えてみれば容易に理解できる。早速(さっそく)[]を「罪人」と変換すると、『魏志』倭人伝の小国は罪人国、弥罪人国、姐罪人国、蘇罪人国、華罪人蘇罪人国、鬼罪人国、烏罪人国、罪人国、狗罪人国となり、意味が不明にして奇怪(きっかい)となる。だから、小国名に用いられた[]の字源あるいは字義は「罪人」ではなかったことになる。
 『説文解字』は[(こく)]の字源を「牛、人に触()れる。角(つの)に横木を著()く。人に告げる所以(ゆえん)なり」と解説する。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 F図は、『説文解字』の[]の字源解説図である。
 「牛」の字源は「ジャコウウシ」である。「ジャコウウシ」は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」の「獣」をあらわし、漢字作成原理を象徴する聖獣(せいじゅう)であった。「人に触れる」の「人」は、F図における「人の横顔に酷似(こくじ)する銀河」である。次の「角」は「ジャコウウシの角に相当する銀河」であり、「横木」は「十字の銀河」である。というのも、C図では「十字の銀河」は「横」となり、「木に相似する」と見立てられて「十字の銀河」は「横木」と説明された。そして「牛(ジャコウウシ)の口は人の横顔に酷似する銀河の頭に触れる(接続する)」ゆえ、「人に告げる所以なり」と解説されたのである。
◆G図の左図は、[]の字源「ジャコウウシ」の側身形(そくしんけい)図である。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 「ジャコウウシの姿」は「第5週始め頃の胎児の姿」に相似すると見立てられた。また、ジャコウウシは天敵のオオカミに襲われると、子は真ん中に隠して、群れは円陣を作って子をまもる習性がある。女性の生殖器(せいしょくき)の大半は骨盤(こつばん)に包囲される。「ジャコウウシ」は「女性生殖器をまもる骨盤」に見立てられて倉頡の漢字作成原理を象徴する聖獣となった。
 「ジャコウウシ」は[()][(せい)]の字源となった。『説文解字』は[]の字源を「宗廟(そうびょう)の牲なり」、[]の字源を「牛、完全なり」と解説する。つまり、中国でジャコウウシが絶滅していなかった五帝時代、[]の字源「ジャコウウシ」は「天の神と地の神となった祖先の死霊(しれい)に祈願する時、祖先の魂を祭る宗廟(みたまや)にささげる犠牲(いけにえ)として最も完全な獣」とされた。
 F図における「ジャコウウシの顔の部分」はD図の[]の字源における[]の字源「鬼の姿に似る銀河」であった。だから、殷代において中国ではジャコウウシが絶滅していたので、「ジャコウウシ」と「鬼の姿に似る銀河」に見立てる犠牲(イケニエ)にふさわしいのは「たくましい肉体を有する青年や美しい乙女や生命力あふれる人物」とされた。ゆえに、彼らは殺されて死霊(しれい)となる王の墓に埋められることになったのである。
 []の字義は殷代では「王の墓に埋められた徇葬者(じゅんそうしゃ)」となり、徇葬を憎悪した周代では「徇葬を指揮した神官や巫女が罪人」が[]の字義となった。
 [][]の字源「ジャコウウシ」は「強大な力」を有した。
 ゆえに、わが国では殷代後半の甲骨文字よりも約750年前の夏音文字が習得されていたので、『魏志』倭人伝が列記(れっき)する小国名に用いられる[]の字は字源を失わず「ジャコウウシが有する力のごとく、もの凄(すご)い強い力」を意味した。というのも、D図に示した[]の字源「鬼の姿に似る銀河」は「強大な力がみなぎる右手」と見立てられて、F図では「強大な力を有するジャコウウシの横顔」に見立てられたため、小国名に用いられた[]の夏音文字は「ジャコウウシのごとく、もの凄く強大な力」をあらわすことになった。
 『魏志』倭人伝の小国名に用いられた夏音文字の[](1)「乾いて固くなった田の土を掘ることができる強大な力」、(2)「虎のごとく雷のごとく大声をあげる怒責(どせき)によって胎児(たいじ)を子宮から産道へと押し上げて出産するときの母体の強大な力」、(3)「重い体を浮かせることができる鳥や蝶(ちょう)の強大な力を有する羽()、または[()][]の字源となるカンムリカイツブリの求愛ダンスにおける水面上に重い体を立たせることができる強大な力」、また(4)「鳴門(なると)の渦潮(うずしお)の強大な力」、(5)「地下から溶岩や噴煙を噴出する阿蘇山(あそざん)火口の地下の強大な力」などをあらわした。
 また[奴]の字は(6)「固くなった田の土を掘ることができる強大な力を有する18歳ぐらいの青年」を意味した。このため、『魏志』倭人伝の末部には「卑弥呼の墓に、百余人の奴婢が殺されて埋められる徇葬がおこなわれた」と伝える記事がある。[奴婢]の[婢]は「暗い銀河部の形をキャッチできる澄んだ瞳(ひとみ)を有する13歳くらいの乙女」を意味した。つまり「奴婢」は「完全なる犠牲(いけにえ)のジャコウウシに見立てられた、人生で最も輝いて優れた能力を有する18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女」を意味した。
 わがブログ「漢字習得定説のウソ・9」にて証明したように、対馬国から5番目となる「奴国」は上記した(5)「火口の地下に強大な力を有する阿蘇山を範囲とする小国」であった。
 以上のごとく、『魏志』倭人伝に列記された小国名に用いられた[]は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」の「獣」となった「ジャコウウシ」をあらわした。
 だから、小国名に用いられた[]の字は漢字作成原理を解明できる資料となった。

◆『魏志』倭人伝に列記される対馬国から数えて13番目の小国は「弥奴(みな)国」である。前回のわがブログ「漢字習得定説のウソ・11」で、「弥奴」の[]の字源は「水鳥のカンムリカイツブリ」であることを証明した。
 中国の五経の第一に挙げられる古典『易経(えききょう)』繋辞上伝(けいじじょうでん)には「易は天地と準(なずら)う。ゆえに能()く天地の道を弥綸(びりん)す。仰いでもって天文を観、俯してもって地理を察す」と漢字の起源について説明する記事がある。
 高田真治・後藤基巳(もとみ)訳者『易経()(岩波書店発行)は、上記の記事の文中にある「弥綸」という語は「つくろいおさめる、洩れなく包(つつ)みこむ」という注を加える。
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(C) 2018 OHKAWA

  H図に示すように、「山東半島の地宜(ちぎ/平面的に図化した地図の形)」は「鳥の頭」に相似し、「山東半島の付け根から南と北へ分かれる海岸線」は「鳥の翼」の形に相似し、「長江口(ちょうこうこう)から杭州湾(こうしゅうわん)南岸までの海岸線」は「鳥の翼の形が裂()けて綻(ほころ)ぶ形」となるが、「杭州湾南岸より南の海岸線」は「つくろいおさまって」円いカーブを描く。だから、「中国の海岸線」は「中国全土をつくろいおさめる、洩れなく包みこむ」ゆえ、『易経』は「中国の海岸線」を「弥綸」と表現したのである。
  「山東半島」は[]すなわち「水鳥のカンムリカイツブリの頭」に見立てられた。ゆえに前述したように、小国名「弥奴」の[]の字源は「カンムリカイツブリ」であった。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 I図に示すように、旧国「尾張(おわり)」、現在の「愛知県西部」が「弥奴国」であった。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 J図の左図に示した「上南下北の尾張の地宜」は――[]の字源の「カンムリカイツブリ」が求愛ダンス(繁殖行動)をする時、メスとオスは[]の「強い力」で重い身を水面に直立させる姿――に相似する。ゆえに、「尾張」は小国「弥奴国」であった。その証拠に、「カンムリカイツブリの〔尾〕がある弥奴国北部はひろがって〔張る〕形」となるゆえ、「弥奴国・愛知県西部」の旧国名は「尾張」となったにちがいない。

◆対馬国から16番目の小国は「姐奴国」である。「姐奴」は「つな」と読む。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 K図に示すように、若狭(わかさ/現在の福井県南部)と越前(えちぜん/福井県北部)の地宜は敦賀(つるが)半島で左右に分かれて綱引(つなひ)きをしているような形となる。そして「越前北部」は「太い綱(つな)の部分」に観える。ゆえに、「越前北部」を「太い綱=強大な力」と解釈すると[]の字源をあらわす。[]の字には「母。姐御(あねご)」という意味があり、K図に記したように「越前南部の地宜」は「たくましい母や姐御の豊かな胸部」のごとく形となる。したがって、「越前」が小国「姐奴国」であったと考えられる。
K326
(C) 2018 OHKAWA
 
 L図のごとく、「姐奴国の地宜」を「飛ぶ蝶(ちょう)の姿」に相似すると見立てると「越前北部の地宜」は[]の字源「重い体を浮かせる強い力を有する蝶の羽」と解釈できる。
 なぜL図のごとく、対馬国から16番目の小国「姐奴国の地宜」を「飛ぶ蝶の姿」に見立てたかといえば、「越前」の隣国の「若狭」は18番目の小国「蘇奴(さな)国」で、「蘇奴」の2字は「蝶の幼虫と蛹(さなぎ)」をあらわすと考えられるからである。
K331

(C) 2018 OHKAWA
 
 その証拠に、M図の左上の「若狭の地宜」は「蝶の幼虫、あるいは蛹の形」に相似する。蝶の蛹は死骸(しがい)のごとく観える。その死骸のような蛹の背中を[]の「強い力」で割って命が蘇(よみがえ)るごとく羽化(うか)して、蝶は空を飛翔(ひしょう)する美しい成虫となる。したがって、「蘇る」の[]と「蛹の背中を強い力で割る」の[]が加わって、「若狭の地宜」から「蘇奴国」と名づけられたことになる。
 対馬から17番目は[]の字がつく「対蘇(つさ)国」、18番目の小国が「若狭・蘇奴国」、19番目は「呼邑(こお)国」、20番目は「華奴蘇奴(かなさな)国」である。
 M図中央の旧国「近江」(現在の滋賀県)の小国名が「呼邑国」であったという証明は次回でおこなうゆえ、解説を省略する。
 M図に示す旧国「山城」(現在の京都府)の小国名は「華奴蘇奴国」であった。[]の金文形は「ヒメシロチョウが食べる草のクサフジの形」に相似し、「山城の地宜」は「ヒメシロチョウの成虫の姿」と「ヒメシロチョウの幼虫や蛹の形」にも相似する。ゆえに、[]は「クサフジとヒメシロチョウの成虫」、[]は「重い体を浮かすヒメシロチョウの羽」、[]は「ヒメシロチョウの幼虫や蛹」、[]は「羽化するときに蛹の背中を割る強い力」をあらわすゆえ、「山城」は「華奴蘇奴国」と名づけられたのである。
 M図における「美濃(みの)」の小国名は17番目の「対蘇国」であった。「美濃」は「現在の岐阜県中部と南部」であるゆえ、「岐阜」という地名がつく美しい蝶「ギフチョウ」を真っ先に思い浮かべる。
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 N図に示すように、「美濃西部の地宜」を「ギフチョウの幼虫と蛹の姿」に相似すると見立てると、「美濃の西部を除く大きな範囲の地宜」は「ギフチョウの成虫の姿」に見立てることができる。「ギフチョウの幼虫と成虫」で「一対」として[][]は「死骸のごとくの蛹から命が蘇る美しいギフチョウ」があらわすゆえ、「美濃」は「対蘇国」と名づけられたことになる。
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 上掲した「文字作成銀河の写真」を参照すると、O図の上図に示すように、「十字の銀河から鬼の姿に似る銀河とその周辺の形状」は「蝶の姿に観える銀河」となる。
 O図の下図に示すように、「鬼の姿に似る銀河と、その北側の銀河の形状」は「蛹の背中を割って羽化した成虫・美しいギフチョウの姿」に相似する。
 ゆえに、L図に示すごとく「越前」は「蝶の姿」に見立てられ、M図に示すがごとく「若狭」は「蝶の幼虫や蛹」に、「山城」は「羽ばたくヒメシロチョウの成虫や幼虫や蛹」に、「美濃」は「ギフチョウの成虫や蛹」に見立てられたのである。
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 P図に示すようにイメージ解釈されて、「十字の銀河・鬼の姿に似る銀河・長方形の暗黒天体部と、その北側の銀河の形状」は[]の字源となった。P図における「鬼の姿に似る銀河」は、D図に示した[]の字源銀河であった。
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 ゆえに、Q図に示す旧国「紀伊(きい)」、現在の「和歌山県の地宜」は「タカが飛翔する姿」に見立てられて、対馬から23番目の小国「鬼奴(きな)国」となった。したがって、Q図に示す「強い力で重い体を浮揚(ふよう)させるタカの大きな翼」が、「鬼奴」の[]となった。だから、小国名に用いられた夏音文字[]の字義は「タカ」であったことになる。
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 R図に示した現在の「三重県南東部」の旧国「志摩(しま)の地宜」は「タカの顔」に相似する。ゆえに、「志摩」は対馬から21番目の小国「鬼()国」であったことになる。志摩の「英虞湾(あごわん)の海岸線周辺地宜」は「餌(えさ)をちぎって、ひなに与えるタカの嘴(くちばし)と餌の形」に相似する。
 オオタカの卵は24個、ハイタカは45個、クマタカは2個。第1卵の産卵(さんらん)後に第2卵を抱いて産卵するゆえ、雛(ひな)の孵化(ふか)は同時でないために、雛に強弱ができ、強いものが生き残る。強い雛は弱い雛を餌にするといわれる。このような「強い雛が弱い雛を餌にする、非情な繁殖習性」から、夏音文字では「タカ」が[(おに)]となったにちがいない。

◆対馬から28番目の小国名は「烏奴(あな)国」、29番目は5番目の「奴()国」と同じ「奴国」である。[]には「な」と「ぬ」の字音がある(注 「奴婢」の[]の字音は「ぬ」である)。したがって、5番目国は「奴国(なこく)」と読み29番目国は「奴国(ぬこく)」と読んだ可能性がある。あるいは、両国とも「なこく」と読んだかもしれない。
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 S図に示すように、「烏奴国」は「旧国の土佐、現在の高知県」、「奴国」は「旧国の伊予・讃岐・阿波であり、現在の愛媛県・香川県・徳島県」であると考えられる。
 前述したように、「鳴門の渦潮」は[]の字源「強大な力」をあらわした。ゆえに、「奴国」の[]は「鳴門の渦潮」があらわし、「奴国」は「四国の愛媛・香川・徳島の3県」であったと考えられる。
 下のT図のごとくを〔東〕が〔南〕になる転回方位に則(のっと)るように、S図を90度転回すると、「愛媛県」はD図で説明した「右手」、「香川・徳島の両県の地宜」は「右手をまげたときにできる筋肉のもりあがり、力瘤(ちからこぶ)」のイメージとなる。ゆえに、「愛媛県・香川県・徳島県の地宜」は、D図に示した[]」の字源銀河「鬼の姿に似る銀河」に見立てられて「強大な力を有する右手とその力瘤」をあらわしたことになる。
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 わがブログ「漢字習得定説のウソ」の7回・8回で詳細に解説して証明したように――『魏志』倭人伝にある15ヵ所すべての方位記事に1ヵ所も【誤読(文献批判)】を加えなければ、T図のごとく日本列島の〔東〕は〔南〕となる。卑弥呼が統治した国名の「倭人国」の[]の字源は「時計回りに90度転回して〔東〕が〔南〕となる転回方位」をあらわした。
 だから『魏志』倭人伝は――卑弥呼王朝はT図に示した[]の字源をあらわす「転回日本列島地理」を制定していた――という事実を記述していたことになる。
 この卑弥呼王朝が制定した日本列島地理の転回緯度基点(北緯3415)は玄界灘に浮かぶ沖ノ島と伊豆諸島の神津島(こうづしま)である。沖ノ島と神津島を結ぶ同緯度線上に、鳴門の渦潮がある。ゆえに、「鳴門の渦潮」は「日本列島の〔東〕を〔南〕に転回させる強大な力を秘める場所」となり、D図の右上の[][]の金文形の「渦巻き(北アメリカ星雲・ペリカン星雲)に呼応(こおう)する地点」となった。
 D図にて解説し証明したように、[()]の字源銀河は「右手」に見立てられた「鬼の姿に似る銀河」と「強大な力をあらわす渦巻き」の「北アメリカ星雲・ペリカン星雲」で構成される。ゆえに、[]の字源を示して「日本列島を転回させる強大な力」をあらわす「鳴門の渦潮」に近く、「右手とその力瘤に観える地宜」となる「愛媛県・香川県・徳島県」の小国名は「奴国」であったことになる。
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 高知県の高知市南部に、浦戸湾(うらどわん)がある。
 U図の上図に示すように、「浦戸湾の地宜」は「カワセミ・ヤマセミの姿」あるいは「カワセミとヤマセミが川の土手の地中深く作る穴(あな)の巣)」に見立てられて[]の字源をあらわした。その証拠にU図の上図の右端の[]の金文形は「カワセミ・ヤマセミの姿」に相似する。
 カワセミは川の土手(どて)・畑・石垣などに深い横穴を作り、その奥に産卵し、産座(さんざ)には吐()き出した魚の骨を敷()く。ヤマセミは川岸の崖(がけ)などに深い横穴を作り、産座に魚の骨を敷く。ヤマセミは川沿いに鋭い鳴き声をあげて素早く直線状に飛ぶ。カワセミは渓流(けいりゅう)や池・沼などに沿う木の枝に静かに止まって水中の獲物(えもの)を探(さぐ)り、あるいは流れに沿って一直線に飛ぶ。
 U図の下図に示す「激流の銀河」は「渓流や川」のイメージとなり、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲の西隣の暗黒天体部(暗い小さな星々で包まれる部分)」」は「飛ぶカワセミ・ヤマセミの姿」に観える。ゆえに、「北アメリカ星雲・ペリカン星雲の西隣の暗黒天体部」が[]の字源銀河であった。
 「浦戸湾」は[]の字源となり、[]の字源銀河(暗黒天体部)の北隣の「鬼の姿に似る銀河」は[]の字源銀河であり、「高知県の地宜」は「鬼の姿に似る銀河」に見立てられるゆえ[]の字源をあらわした。だから、「高知県」は「烏奴国」と名づけられたのである。

(へん)[]、旁(つくり)[][()]の字義は「土手」である。「丘や崖」をあらわす阜偏(こざとへん)[]が加わる[]の字義も「土手」である。したがって、[]の字源は「カラス」ではなく、「川の土手に巣を作るカワセミと川岸の崖に巣を作るヤマセミ」であったことになる。

◆対馬国から30番目の小国「狗奴(くな)国」について、「奴国(愛媛県・香川県・徳島県)の南に有る」と記述する。奴国(29番目)の中心地は愛媛県の県都・松山市であったと考えられる。T図の卑弥呼王朝が制定した転回日本列島地理にもとづくと岡山県の県都の岡山市は松山市の南(現在の東)にある。
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 V図に示すように弥生中期から卑弥呼が生存した弥生後期にかけて、山丘上(さんきゅうじょう)の集落址(しゅうらくあと)が岡山県の中心地域を包囲するように点々と所在する。これらの集落は、瀬戸内海の海路を見張る軍事的すなわち烽火台(のろしだい)の遺構(いこう)が設置された集落であったと学者たちは指摘する。
 『魏志』倭人伝には(1)「狗奴国は男子を王とし、女王国・倭国には属さない」、(2)「西暦160年~170年頃に倭国は乱れ、敵国と何年ものあいだ互いに攻撃しあったが、一女子を立てて大王に即位させ、この倭女王の名は卑弥呼という」、(3)「倭の女王卑弥呼と狗奴国の男王の卑弥弓呼(ひみくこ)は素(もと)より和せず」という記事がある。ゆえに、V図の軍事的集落に包囲される岡山市を小国の都とした狗奴国は吉備(きび)地方であったのである。
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 W図に示す「小豆島(しょうどしま)の地宜」は「狗(イヌ)の姿」に相似する。「児島半島から倉敷市(くらしきし)にかけての地宜」は「襲撃する天敵のオオカミに追われて、群れに向かって逃げるジャコウウシの後ろ姿」に相似する。ゆえに、「岡山県の内陸部」は「真ん中に子を隠して円陣を組むジャコウウシの群れ」に相当する。G図に示したように「ジャコウウシ」は[]の字源であったゆえ、W図の「岡山県」は「狗奴国」であったことになる。
 対馬国から28番目の小国は「烏奴国」、その前の27番目は「支惟(きい)国」である。
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 []の字義は「分かれる」、[]の字義は「深く考え思う」である。「人間の大脳」は[]の字義に合致して「右半球(右脳)と左半球(左脳)に支(わか)れ」、[]の字義「深く考え思う」にも合致する器官である。ゆえに、X図に示すように、「支惟国」は「地宜が大脳の側面形に相似する――旧国の安芸(あき)と備後(びんご)南西部、備後の北東部を除く現在の広島県」であったと考えられる。
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 したがって、Y図に示すように「狗奴国の範囲」は「備後の北東部・備中(びっちゅう)・備前(びぜん)・美作(みまさか)、現在の広島県の一部分と岡山県とそして香川県の小豆島」であったことになる。
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 上のZ図は、X図に示した「支惟国」の[]の旁部(つくりぶ)[(すい)]の字源銀河図である。「十字の銀河の子宮」は「小鳥の姿」に相似すると見立てられて、[]の字源となった。
 C図の上部に記したように、[]の字源銀河「十字の銀河の子宮」は「文字作成銀河各部の形状から作られた全文字が生まれる子宮」であり、倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」をあらわす中枢部(ちゅうすうぶ)であった。ゆえに、「漢字」は――銀河各部の形状を観察して、そのイメージを心に伝えて芸術的に考える、つまり思惟(しい)して、[]の字源「十字の銀河の子宮」から生まれる子――であった。だから、[][]が加わる[]の字義は「心に伝わる思いを深く考える」となったのである。
 W図にて証明したように、「狗奴国」の[]の字源はG図に示した「ジャコウウシ」であり、「ジャコウウシ」は「強大な力を有する獣」であるゆえ、小国名に用いられた[]の字は「強大な力」をあらわした。
 []の字源「ジャコウウシ」は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」をあらわす聖獣であった。だから、『魏志』倭人伝に記載された9ヶ国の小国名の[]は漢字作成原理を解明し証明できる確かな資料であった。
 ゆえに、学者たちのごとく『魏志』倭人伝に【誤読(文献批判)】を加える方法は史実をねじ曲げる詐偽(さぎ)・捏造(ねつぞう)であり、【誤読】を1ヵ所も加えずに全記事を忠実に読解すれば漢字の起源の秘密が科学的に解明できたのである。だから、『魏志』倭人伝は漢字の起源の秘密がコンパクトにまとめられ、古代エジプト文字(ヒエログリフ)も漢字と同じ文字作成銀河から作られた事実も解明できる、世界的に第一級の貴重な文献だったのである。

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コメント

1、大川様こんにちは! 私は秋田市の石井護(巡堂)73歳です。東北縄文文化研究会として主として大湯環状列石を中心に研究しております。

2、大川様が2013年から「日本の漢字は男鹿半島・米代川文化圏から起源した」をアップしているのに見逃しておりました。最近出会い、ここまで素晴らしい解読をなさった作品に、感動しながら何度も勉強しております。

3、色々なことに感動・感銘しておりますが、とりあえずは、「E図:花輪盆地の地形について」なるほどと合点しております。私も最近、地元に伝わる(太古鹿角一が湖であった)を元に「水に浮かぶ大湯ストーンサークル」として調べておりました。水面標高を133mとしましたから少し小さいですが、全く同じです。

4、これからも色々お教えいただければ幸いです。(例えば 天王~大湯環状列石の延長線上にあるドコノ森の線刻文字。大湯環状列石の南の線上にある大日堂・ユネスコの文化遺産登録で大日堂舞楽。別名「大日霊貴神社」・・・等です)

投稿: 石井 護(巡堂) | 2018年5月21日 (月) 13時38分

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