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2018年5月28日 (月)

漢字習得定説のウソ・14

 ●『魏志』倭人伝は漢字作成原理を伝える史書であった
■倉頡が「聖人」と呼ばれた秘密の解明

◆わがブログ「漢字習得定説のウソ」は1回から4回まで詳細に証明したように――「今から約5000年前、黄帝につかえた倉頡(そうきつ)が漢字を発明した」という伝説は事実であった。倉頡は下に示す銀河の範囲の各部の形状から漢字を作る原理を発明した。
 漢字が作られた範囲の銀河を、わたくしは「文字作成銀河」と呼ぶことにした。

Ginga
 ▲文字作成銀河の写真

 「倉頡が漢字を発明した」と伝える伝説が事実であったことは、280年~289年に著作された通称「『魏志』倭人伝」と呼ばれる文献にコンパクトに記述された。しかし、学者たちは多数の【誤読(文献批判)】を加えて『魏志』倭人伝を「邪馬台国論」のために存在する書物のごとくに変貌(へんぼう)させてしまった。でも、本来、『魏志』倭人伝は倉頡が発明した漢字作成方法が解明できる――このために存在した書物であったのである。
 わがブログ「真実の日本国誕生史」の10回・11回で「『古事記』序の秘密」と題して詳細の解説し証明したように、712年に成立した『古事記』の序の記事は下記のごとく伝える。
(1)
『古事記』序は冒頭で「中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭/紀元前2070年頃~同2050年頃)、夏音(かおん)文字が日本列島に伝来して習得された」と説明する。
(2)
『古事記』が成立した当時に用いられていた楷書「日下(にちげ)」と夏音文字「玖沙訶(くさか)」は同義、楷書「帯(たい)」と夏音文字「多羅斯(たらし)」は同義であった。というのも、楷書と夏音文字の両漢字は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」に則(のっと)り、文字作成銀河各部の形状を字源・字形・字義とするものであったからである。つまり、『古事記』の序は――楷書以前の全漢字は倉頡が発明した漢字作成原理〔鳥獣の足跡〕に則(のっと)り、文字作成銀河各部の形状を字源・字形・字義と定めて作成された。だから、楷書「日下」と夏音文字「玖沙訶」は同義、楷書「帯」と夏音文字「多羅斯」は同義となった――と現在に伝えていたのである。
(3)
『古事記』序は――『古事記』上巻は、その随所に〔音〕という注を付けて楷書で表記される多数の夏音文字の字源・字形・字義を文字作成銀河各部の形状に変換すれば、おのずと楷書の字源・字形・字義も文字作成銀河各部の形状であることが立証され、真実の歴史を知ることはできる仕組みになっている――と、上古の真実の歴史を解明するために作成された。つまり『古事記』上巻は――大和朝廷が最も偉大な先祖と定める天照大御神が、伊耶那美命(いざなみのみこと)が唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する人民を苦しめた歴史――を伝える反逆の史書であった。だから、こ『古事記』序が説明する歴史解明方法を無視する今日の学者たちの解釈・意見は、当然、【誤読の空論】ということになる。
 大和朝廷は『古事記』上巻に記述された天照大御神の聖性をいちじるしく汚す真実の歴史を隠蔽(いんぺい)する虚構工作(きょこうこうさく)を、720年に完成した『日本書紀』を正史(せいし)と定めておこなった。『日本書紀』は日本国誕生史が不明確となる失敗作品であった。朝廷は『日本書紀』が完成した直後から村上天皇の康保(こうほ)年間(946967)までの約250年間、『日本書紀』の日本国が誕生した歴史をアイマイに伝える記述を利用して『古事記』上巻に記述された真実の歴史をねじ曲げる解釈を考えた学者たちの講義つまり講書(こうしょ)を幾度もおこなった。この講書の解釈・意見は、近世の本居宣長(もとおりのりなが/17301801)に受け継がれ、さらに宣長の意見・解釈を今日の学者たちは受け継ぐ。だから、今日の学者たちは『古事記』序が「『古事記』上巻は夏音文字はじめ楷書の字源・字形・字義を銀河各部の形状に変換すれば真実の歴史を解明できる仕組みにした」と説明する歴史の解明方法を無視する。だから、今日の学者たちの解釈・意見は、当然、【誤読の空論】ということになる。学者たちは自分たちの解釈・意見は真実の歴史をねじ曲げる虚偽(きょぎ)、まったく空虚(くうきょ)なものであることに気づいていない。

倉頡はみずからが考案した文字が最も強力な権力、莫大(ばくだい)な富、最高の名声を手に入れる方法であることに気づき、もしも反体制側の人々が文字の学芸を習得して革命に利用したならば王朝は容易・簡単に滅亡すると心配した。ゆえに、倉頡は下に列記する3つの掟(おきて)を破った人物とその門戸(もんこ)には厳(きび)しい神罰(しんばつ)が下されて皆殺しにすると定め、その罪・責任は宗族(そうぞく)まで及ぶとした。
●倉頡が死刑と定めた3つの掟
(1)
 文字作成銀河の各部の形状から文字が作られた秘密を暴露(ばくろ)した者
(2)
 文字を容易に習得するために、文字となる銀河各部に名称を付けた者
(3)
 書いた文字が用済みになったならば、文字を直ちに消さない者または消し忘れた者
 

 上記した倉頡が定めた(3)の掟は紀元前1300年頃から始まる殷代(いんだい)後半に出現した亀の甲羅(こうら)に文字を刻んだ甲骨(こうこつ)文字によって破られた。
 しかし殷代後半より以前の紀元前3000年頃に倉頡が考案した「書契(しょけい)」と呼ばれた文字と、紀元前2070年頃から始まる夏代の夏音文字と、紀元前1600年頃~紀元前1300年頃までの殷代前半の原初漢字は、上記した倉頡が死刑と定めた3つの掟を厳重(げんじゅう)にまもった。このため、原初漢字(倉頡文字・夏音文字・殷代前半の文字)が記された史料が中国においてもわが国においても、学者たちによって未(いま)1点も発見されない。ゆえに、現在の学者たちは倉頡が漢字を発明したと説明する伝説は、荒唐無稽(こうとうむけい)の空想と思い込んだ。この学者たちの早合点(はやがってん)と、さらに『魏志』倭人伝に加えた数々の【誤読(文献批判)】によって「漢字が銀漢から作られた事実」を解明する学術研究の門が閉()ざされた。
 (3)の掟を破った殷代後半の甲骨文字は(1)(2)の掟については厳重に守った。だから、(1)の掟によって「漢字が文字作成銀河から作られた事実」は現在においても不明となり、また(2)の掟によって「文字作成銀河各部の名称」は存在しないことになり、この倉頡の(2)の掟は現在まで受け継がれている。
 夏音文字、夏音文字を表記する楷書、契文(けいぶん/甲骨文字)、金文などすべての古代漢字は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」に則(のっと)り、文字作成銀河各部の形状から作られた事実を証明するには、「文字作成銀河各部の名称」がどうしても必要であるゆえ、わたくしは下に示すように定めた。
Photo
 ▲文字作成銀河各部の名称図

 「文字作成銀河」つまり「銀河」の別称は「銀漢」である。だから、「銀漢から作られた文字」を略して「漢字」と名づけられた。この事実によって、現在の学者たちが主張する邪馬台国説と『古事記』上巻の意見は【誤読の空論】であることが科学的に証明される。

◆前述したように、『古事記』序の冒頭記事が証言するように――夏音文字は後期縄文時代初頭にわが国に伝来して習得された。ゆえに、3世紀後半に著作された『魏志』倭人伝に登場する倭女王の名「卑弥呼」を「ひみこ」と読むと――この字音は夏音文字の字音で読んだことになり、わが国には夏音文字は伝来してことを結果的に認めたことになる。
 しかし、新井白石(あらいはくせき/16251725)以後、学者たちは『魏志』倭人伝を多数の【誤読】を加える「文献批判」という立論方法を確立させた。このため1ヵ所も【誤読】を加えない立論方法は排除(はいじょ)されて、倉頡が発明した漢字作成原理を科学的に解明できる研究の門が厳重(げんじゅう)に閉()ざされて世界史的に重大な史実が失われた。
 わがブログ「漢字習得定説のウソ」の7回・8回で、『魏志』倭人伝にある全15ヵ所の方位記事に1ヵ所も【誤読(文献批判)】を加えなければ、〔東〕へ伸びる日本列島は〔南〕へ伸びるという考え(地理)こそがすべての矛盾点を解消して【科学】が成立することを証明した。この「時計回りに〔東〕が〔南〕となる転回方位」は倉頡が考えた[()]の字源をあらわすものであり、この[]の字源の「転回方位」は[()][()]の字に受け継がれた。ゆえに、卑弥呼王朝は倉頡が考えた転回方位にもとづき「日本列島の東方は南へ伸びる」という錯覚の転回日本列島地理を制定して、国名「倭人国」と定めたのである。
 わがブログ「漢字習得定説のウソ・9」では『魏志』倭人伝の対馬(つしま)国から奴()国までの小国名に用いられた各字の字源銀河を解明し、また「漢字習得定説のウソ・10」では対馬国・投馬(つま)国・邪馬壱(やまい)国・斯馬(しま)国・邪馬(やま)国の[]の字がつく5ヵ国の小国名の使用された字源銀河を解明して、これらの国名は倉頡が発明した漢字作成原理を伝えていることを証明した。また「漢字習得定説のウソ・11」では『魏志』倭人伝は卑弥呼が居住した王国の名を「邪馬台国」と表記せずに「邪馬壱国」と表記していることを指摘し、「邪馬壱国」の[]の字源銀河は「倉頡が発明した漢字作成原理=鳥獣の足跡」をあらわすことを証明した。また「漢字習得定説のウソ・12」では奴国・弥奴(みな)国・姐奴(つな)国・蘇奴(さな)国・華奴蘇奴(かなさな)国・鬼奴(きな)国・烏奴(あな)国・奴()国・狗奴(くな)国の9ヵ国の小国名につく[]の字源は倉頡が発明した漢字作成原理「鳥獣の足跡」を象徴する聖獣「ジャコウウシ」に由来(ゆらい)することを証明した。
 前回の「漢字習得定説のウソ・13」では不弥(ふみ)国=北九州の宗像地方、呼邑(こお)国=近江・滋賀県、弥奴国=尾張・愛知県西部、好古都(こかた)国=三河・愛知県東部、不呼(ふこ)国=遠江・静岡県西部、この5ヵ国の小国名は水辺に生息する小鳥の「カンムリカイツブリ、ハジロカイツブリ、鳰(にお/カイツブリ)」をあらわしていることを証明した。つまり、上記の小国名に用いられる[]の字源は「カンムリカイツブリ」、[]の字源は「鳰(カイツブリ)」であった。「好古都国」の[]の字は「女性の生殖器の卵管采(らんかんさい)・卵巣(らんそう)の形に相似すると見立てられた飾羽(かざりばね)を顔に有するハジロカイツブリ」をあらわした。
 今回は、上記の小国名に用いられた[]は「カンムリカイツブリ」、[]は「鳰(カイツブリ)」、[]は「女性生殖器の卵管采と卵巣」の字源であった――この秘密に注目すると、倉頡が発明した漢字作成原理が明白となることを立証する。

◆夏音文字がわが国に伝来した約1000年前の五帝時代初頭に生存した
黄帝は、東洋最古の医学書『内経(ないけい)』を作ったと伝わる。『内径』という書名は「女性の生殖器・子宮と子宮で育つ胎児(たいじ)の研究・産道(さんどう)と胎児の出産の研究」を意味した。黄帝の医学研究は中国最初の事業であったので、それ以前の紀元前4000年頃~紀元前3000年頃までの三皇(さんこう)時代の易(えき)に用いられた記号では黄帝の研究成果をあらわすことができなかった。だから、倉頡によって黄帝の医学研究をあらわすことができる漢字が発明されることになったのである。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 三皇時代・五帝時代、A図の右上に示す[](天頂緯度線・子午線)をキャッチすれば人々は遠くの地へ旅しても、大海を渡る旅をしても、家族が待つ家へ帰還することができた。
 人間の目は鍛錬すると1度の60分も11分の緯度差を測定できる[]の上部の[(とう)]の字源「天頂緯度線と子午線」をキャッチすることができる能力が脳にそなわっていた。このため、獲物(えもの)を追って移住生活を営(いとな)む原始にあっても、[]をキャッチして“迷っていない”と安心できたので人類は滅亡しなかった。ヒトは「迷った」と感じると思わずうろたえてパニック(恐怖)状態におちいる本能もそなわっていた。
 だから、『古事記』上巻の伊耶那岐命(いざなきのみこと)と伊耶那美命(いざなみのみこと)神話の淤能碁呂島聖婚(おのごろしませいこん)説話の初頭にある「この漂(ただよ)える国」という語は「大海原で[]のキャッチに失敗して緯度(位置)と経度(方角)が不明となって漂流する船に乗る人々のごとく、多数の人民たちが“目の前に死がせまった!”と絶望する未曾有(みぞう)の国難」を表現するものであった。ゆえに、原始と上古の人々の最大の恐怖は「[]のキャッチに失敗して迷うことであった」のである。
 []の下の[(よう)]の字源は「[]をキャッチする時の心得(こころえ)」をあらわした。この[]の字源を2世紀に成立した字源を解説する字書の『説文解字(せつもんかいじ)』は「小なり。子の初生の形に象(かたど)る」と解説して「初めてこの世に、生まれる子」と伝える。つまり、[]の字源は「必ず[](天頂緯度線と子午線)をキャッチすると欲を有すると道に迷って死ぬが、産道を通過して誕生する時の小さな初生の子=胎児(たいじ)のごとく無欲であれば[]はキャッチできる、という心得」をあらわした。
 緯度は、北極星を目星(めぼし)にして天の北極の高度でも計測できたが――天の北極の高度を緯度に換算する、この方法では原始から上古の人々は必ず命を失うことになった。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 B図に示すように、天の北極の位置は25,800年で一周する。このうち、天の北極に最も近い北極星は五帝時代の紀元前2790年のりゅう座α星と、現在から約80年後のこぐま座α星である。この二つの北極星が天の北極を中心にして描く円の直径は約1.5(90/満月の3個分)である。ゆえに、約90分の円の中心となる天の北極を1分の精度で測定できる能力を、人間の脳にはそなわっていなかった。だから、1分の精度でキャッチできる、A図に示した[]をキャッチできる眼力(がんりき)に人類は命を委(ゆだ)ねたのである。
 『説文解字』は、三皇時代の政権基盤であった[(えき)]の字源を「蜥易(せきえき)なり」つまり「トカゲなり」と解説する。内田亨著作者代表『原色現代科学大事典 5――動物Ⅱ』(学習研究社発行)は「トカゲには、かならずもとのすみかにもどるという帰家性がある」と指摘する。だから[]の字源は「遠くの地に旅しても、大海を渡る旅しても、トカゲのごとくかならず家族が待つ家に帰ることができる[]をキャッチできる能力」であった。
 黄帝や倉頡が生存した五帝時代初頭の北極星は天の北極を中心にして約100分の円周を描いていたので「死に直結(ちょっけつ)する星」であったので、人々は1分の精度で緯度を測量できる[]をキャッチして命をまもって生活を営んでいたことになる。
 卑弥呼が生存した3世紀、B図に示すように北極星=こぐま座β星は天の北極を中心にして半径約10度=直径約20度=約1200分であったので、人間の目には当時の約1200分の円を描く天の北極から1分の精度で緯度を精確にキャッチする能力がそなわっていなかったゆえ、当時の人々が道に迷わずに命をまもる方法はA図の右上の[]をキャッチする方法であったことになる。
 〔歳差(さいさ)〕という天文現象にもとづくと――紀元前3000年頃の五帝時代初頭、C図に示すように、北緯3536分の陝西省(せんせいしょう)の黄陵県(こうりょうけん)の黄帝を祭る廟(びょう)と墓とされる黄帝陵と北緯31度の太湖(たいこ)南岸の天頂に、上掲した「文字作成銀河各部の名称図」の左上に示した「十字の銀河」と「四つ目の銀河(鬼の横顔に似る銀河の両目と首につく両目の計四つの目)」がめぐってきた。
K413
(C) 2018 OHKAWA 

◆D図の右図が示すように、「十字の銀河の西側半身」には「女性が有する乳房、妊婦(にんぷ)の腹部(おなか)、子宮(に相当する箇所)」に観()える部分がある。
K414
(C) 2018 OHKAWA
 
 ゆえに、
倉頡は黄帝の女性生殖器の医学研究をあらわすために、「十字の銀河」を「文字作成銀河各部の形状から作る、すべての漢字を生む母体」、また「十字の銀河の子宮」を「すべての漢字が生まれる子宮」と定めた。だから、倉頡が定めた漢字作成原理をあらわして、D図の左側の[]の金文形(周代に用いられた字形)は「十字の銀河」を「女性の正面形」に見立てて、「子(胎児)が子宮に宿る妊婦の姿」に図案した。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 E図に示すように、[(べん)]の字源・字形・字義は「文字作成銀河各部の形状から作られた全文字を母体となる十字の銀河」である。したがって、[]の字源・字形・字義は「文字作成銀河」でもあった。そして、[]の下に[]が加わる[]は「十字の銀河から生まれて繁殖(はんしょく)する多数の子=文字」をあらわした。
 このように、D図とE図の[][]の字源・字形・字義は、倉頡の漢字作成原理をあらわすことになった。
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 倉頡は、F図に示す「娩出期(べんしゅつき)における、頭が生まれる子は母体の背を正面として出産する様子(ようす)」に注目した。
K421
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 G図に示すように、倉頡は全漢字の母体となる「十字の銀河の股(また)となる〔南〕」に〔頭が誕生する子の姿〕をあてはめた。そうすると、子は〔東〕を正面として誕生するゆえ――この様子だと「中国の人々が生む子は中国の〔東〕の〔大海〕から生まれて、大海の〔西〕の〔陸地〕では生まれない」ということになるので、D図の[]とE図の[]で示した漢字作成原理に不合理な点が生じると、倉頡は考えた。
K422

(C) 2018 OHKAWA
 
 そこで、倉頡は「中国の人々は大海より〔西〕の陸地で生まれる」をあらわすために、H図の下部に示す[()][()]の字を考案した。
 このため、[]の字源・字形・字義は「〔南〕が時計回りに90度転回して〔西〕となる方位規定」をあらわすことになった。
 
◆I図に示すように、倉頡が考えた[]の字形は「いね()の穂が十字の銀河の〔南〕から〔東〕へ垂れる形」と定めたゆえ、字義は「穀物」や「いね()」をあらわすことになった。
K423
(C) 2018 OHKAWA
 
 後世、[]の下に「女体に相似する十字の銀河」から[]が加わる[()]の字が作られた。また、「十字の銀河」は「人体」に相似するゆえ、偏(へん)[][]が加わる[]の字が作られた。ゆえに、[][]は倉頡が考えた[]の定義「時計回りに方位を90度転回して、〔南〕は〔西〕になると定める方位規定」を受けついだ。
 だから『魏志』倭人伝に、J図に示す「転回日本列島地理」が記述されることになった。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 J図の転回日本列島地理は「日本列島の〔東〕は〔南〕に伸びる」と示すゆえ、I図に示した「時計回りに90度転回して、〔東〕は〔南〕となる」をあらわす[][][]の字を示す。この「転回日本列島地理」は『魏志』倭人伝の全15ヵ所の方位記事に1ヵ所も【誤読】を加えなければ成立する。
 だから、卑弥呼王朝はJ図に示す転回日本列島地理を制定していたことになる。
 J図の左側に玄界灘に浮かぶ沖ノ島を図示した。「玄界灘」の[]はA図に示した[]であるから、「玄界灘」という名は「天の北極の高度を緯度換算する方法だと往来することができないが、[]をキャッチすれば往来できる灘(陸地から遠く離れた波の荒い海原)」ということになる。
 日本列島の東と西の端にあって遠く離れる沖ノ島と神津島(こうづしま)が同緯度(北緯3415)であることは、B図に示した約1200分の円を描く北極星で天の北極の高度を緯度に換算する方法では測量することができない。したがって、沖ノ島と神津島の同緯度は、A図に示した[]のキャッチをもって測量されたことになる。
 だから、『魏志』倭人伝にある全15ヵ所の方位記事は――A図に示した[]のキャッチによって測量された沖ノ島と神津島の同緯度にもとづき、卑弥呼王朝は[]の字源をあらわす転回日本列島地理を制定して、国名を「倭人国」と定めた――と伝えていたことになる。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 K図に示すように、日本列島の西端の沖ノ島は冬になると雪が降る冷たい気候であるゆえ〔西冷〕となり、日本列島の東端の亜熱帯気候の神津島は冬になっても雪が降らない暖かい土地であるゆえ〔東暖〕となる。そして、中国の北の海岸線地域は冷たい気候であるから〔北冷〕となり、南の海岸線地域は暖かいゆえ〔南暖〕となる。そして中国海岸線地域の〔北冷〕の日本列島の〔西冷〕は〔冷たい気候〕で合致し、中国海岸線地域の〔南暖〕と日本列島の〔東暖〕は〔暖かい気候〕で合致するゆえ、卑弥呼王朝は「日本列島の〔東〕は中国海岸線地域の〔南〕の方へと伸びる」と考えて転回列島地理を制定したことになる。

◆L図に示すように、倉頡は「十字の銀河の子宮」を「巫女(みこ)たちが子どもの出産を祝いまた祈祷(きとう)するときに用いる土器」に見立てた。
K431

(C) 2018 OHKAWA
 
 わが国の古代中国漢字研究の第一人者とされる故・白川静博士が著作した『字統(じとう)(平凡社発行)は「口(くち)」の字形について「卜文(ぼくぶん/契文=甲骨文字)・金文にみえる字形のうち、口耳の口とみるべきものはほとんどなく、概(おおむ)ね祝祷(しゅくとう)の器の形である[(さい)]の形に作る」と解説する。
K432
(C) 2018 OHKAWA
 
 M図の右側に[(さい)]の字形を示した。[(さい)]の字源は「十字の銀河の子宮」であり、倉頡は「十字の銀河の子宮」を「巫女が祝祷する時に用いる土器」に見立てて[(さい)]の字を作った。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 N図に示すように、倉頡は「十字の銀河」を「巫女が体をくねらせて舞う姿」に見立てて、「祝祷する土器[(さい)]」を「十字の銀河」の西の肩の上に配置して「〔北〕が〔西〕へと時計回りと逆方向に90度転回する方位規定」を考案した。というのも、H図に示した[]の「〔南〕が〔東〕となる定義」だと「子どもたちは陸地に生まれずに東の大海で生まれる」ことになって不合理となるため、N図に示す「〔北〕が〔西〕へ逆時計回りに転回する方位規定」を倉頡は考案して「大海の西の陸地で子どもたちは生まれる」ようにしたのである。
 ところが、I図に示した[]の字の考案はなにゆえ「十字の銀河」が「いね()」の図案になるのか、その解釈は疑問視された。しかし、[]の形は「黄帝軍の軍門」をもあらわしたため、黄帝軍を畏怖(いふ)して批判の声を挙げる者はいなかった。いっぽう、N図の右側に配した[]の作字は不可解(ふかかい)、あるいは幻想、空想などと批判されることになった。この批判の声は、O図に示す[()]の契文・金文の両字形となって残った。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 なぜ「十字の銀河の子宮」を「巫女が祝祷する土器の[(さい)]」にとするのか理解にくるしむが、あえてこの意見に賛成することにしても――O図に示したように「十字の銀河の頭部」を「西に[(さい)]の口部を向ける形」に図案し、この[(さい)]の下に[]字形の身体の図案を加えれば簡潔な[]の字となるのではないか――と、倉頡が考案した[]の字は疑問を抱かれ困惑(こんわく)されて批判されることになったのである。
 だから、O図の[]の契文・金文の両字形は――心に疑惑を抱き、杖(つえ)で倉頡の[]の作字に賛同できずに体が凝()り固まって天頂にめぐってくる[]の字源「十字の銀河」を仰ぎ見る人の様子――をあらわす図案であったのである。

◆E図に示した、母体から生まれた[]をあらわす字源の「鬼の姿に似る銀河」を、P図の左側に配した。P図に示すように「鬼の姿に似る銀河の西方」は「カエルの後ろ足」のような形となる。鳰(カイツブリ)が泳ぐ姿は上から見ると、「鬼の姿に似る銀河の西部」のごとく「鳰の尻(しり)附近にある足をカエルの後ろ足」のごとく使う。ゆえに、「鬼の姿に似る銀河」から、倉頡は[()]の初文(しょぶん/最初の字)[()]の字を考案した。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 また、「鬼の姿に似る銀河」はP図の右図の「カンムリカイツブリの姿」に相似し、「鬼の姿に似る銀河の西部」は「カンムリカイツブリが求愛ダンス(繁殖行動)する時の飛び散る水飛沫(みずしぶき)」にも見立てることができる。したがって、「鬼の姿に似る銀河」から倉頡は[(/)]の初文の[()]の字も考案した。
 子宮は、長さ78cm、幅4cm、厚さ3cmほどで、妊娠すると胎児の成長にともなって増殖肥大(ぞうしょくひだい)し、子宮の筋層(きんそう)は非常に大きく引き伸ばされ、分娩後(ぶんべんご)には収縮(しゅうしゅく)する。
 P図で解説した[][]の字源となった「鳰」の全長は2529cmと小さく、1回に平均15秒ぐらいから30秒ほど潜水(せんすい)できる。[][()]の字源となった「カンムリカイツブリ」の全長は4661cmで、30秒以上も潜水することがある。子宮に宿る胎児は羊水(ようすい)の中に潜(もぐ)り、羊水は(1)羊膜(ようまく)と胎児との癒着(ゆちゃく)を防ぎ、(2)胎児の表面の乾燥を防ぎ、(3)外からの力が直接胎児や胎盤(たいばん)に加わるのを防ぎ、(4)また、逆に胎児の運動が子宮の壁(かべ)に激しくおよばないようにする役割がある。このように「羊水に潜る胎児」をあらわすため、倉頡は「子宮」と「胎児」を「鳰」と「カンムリカイツブリ」に見立てたて[][]の字を創(つく)ったのである。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 Q図に示す鳰の浮巣(うきす)の産座(さんざ)で育つ卵は始め白いが次第に汚(よご)れて土色(褐色・かっしょく)となる。だから、倉頡は「土色に汚れる鳰の卵」から「子宮」を「土で作る土器」、すなわちM図に示したように「巫女が祝祷する時に用いる土器」と同一視(どういつし)する[(さい)]の字を考案した。
 ヒトの一生の始まりは男女の性交による卵(らん)と精子(せいし)の合体から始まる。卵と精子は肉眼で見ることができずきわめて微小(びしょう)であったゆえ、黄帝の女性生殖器の研究では発見されていなかった。
 しかし、黄帝は、R図の上図の「妊娠のはじまり」とされる「卵が子宮の内壁(ないへき)に着床(ちゃくしょう)する卵期の様子」を発見していたか、あるいはR図の下図の長円板状の「胎標(たいひょう)」を発見していた。胎標は後にヒトになる部分である。
 それというのも、R図の上下2図の形状は、Q図に示した「鳰の浮巣と卵を育てる産座」に相似するゆえ、黄帝はR図の上図か下図に示した様子を発見していたことになる。
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(C) 2018 OHKAWA
 
 黄帝はR図に示した上図の「卵の子宮内壁の着床」か下図の「胎標」のどちらかを発見していたゆえ、倉頡は[][]の字を創造(そうぞう)することになったのである。ゆえに、R図の状況によって「ヒトの年齢のはじまり=0歳」が定められたため、古代の人々の年齢(数え年)は「胎児が誕生した瞬間に一歳」と数えることになったと考えられる。
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 したがって、S図に示す[]の上の[]は「心臓の動悸(どうき)がはじまり、血液が流れはじまる第4週の後半ごろの胎児の姿」をあらわし、[]の下の[(べい)]は「鳰の浮巣の産座」に相似するR図の上図あるいは下図の様子をあらわすことになる。ゆえに、S図の[]の金文形は「数え年0(ゼロ)歳」をあらわす文字であったゆえ、[]の字義は「はじめ」となったと考えられる。

◆T図の左図は、上掲した「文字作成銀河」において右側(西側)の大部分の範囲を占()める、「巨大な夏の銀河像」(夏の銀河の東北部・夏の銀河の西南部)である。
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 T図に示すように、「わし座α星(彦星)がある銀河部から夏の銀河の西南部までの、巨大な銀河」は[]の字源「鳰」が歩く姿に相似する。
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 U図に示すように「人の横顔に酷似(こくじ)する銀河の額(ひたい)」には、天文学用語となる「北天(ほくてん)の最輝部(さいきぶ)」がある。「北天の最輝部」は「北半球に住む人々にとって最も輝いて見える銀河部」のことである。「北天の最輝部」の東側には、これまた天文学用語の「コールサック」がある。「コール」は「石炭」、「サック」は「袋」を意味するゆえ、「コールサック」は「真っ黒な石炭袋のような暗黒天体部」ということになる。
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 V図に「北天の最輝部」の形状を示した。「北天の最輝部」は「水飛沫(みずしぶき)を飛び散らせて激しい求愛ダンスをするカンムリカイツブリの姿」にそっくりである。というのも、「北天の最輝部」は銀白色に輝くからである。求愛ダンスする時に見えるカンムリカイツブリの喉(のど)から下の首・胸部・腹部は銀白色に輝く。ゆえに、「北天の最輝部」は「求愛ダンスするカンムリカイツブリの喉から下の銀白色の姿態(したい)」に酷似する。
 T図に示した「鳰の歩く姿」に相似する「わし座α星がある銀河部から夏の銀河の西南部」までは、W図に示す「男根(だんこん/男性の性器)の形」に相似する。このため、「コールサック」が「女陰(じょいん/女性の性器)」のイメージとなる。
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 上掲した「文字作成銀河の写真」を参照すれば、W図で示した「男根」のイメージには異論(いろん)なないにちがいないから、「コールサック」を「女陰」に見立てる解釈にも多くの人々が賛成するにちがいない。
 ヒトの一生は女陰と男根の合体からはじまるゆえ、倉頡は「男根」の形となる「わし座α星がある銀河部から夏の銀河の西南部」を注目して「鳰」をあらわす[]の字を考案し(T図を参照)、「女陰」に観える「コールサック」の西側の銀白色に輝く「北天の最輝部」に注目して「求愛ダンスをするカンムリカイツブリの喉から下の首・胸部・腹部の銀白色の姿態」にもとづく[]の字を考案したのである。
 X図は、C図と同じく五帝時代の天頂緯度線図であるが、C図と異なって「北緯30度」の緯度線で示すことにした。というのも[]は後世に[]の字となり、[]の字源は「鳰の姿に似る杭州湾(こうしゅうわん)」となり、杭州湾の南限は北緯30度であるからである。
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 X図の右端に示すように、「土器の形の暗黒天体部」があり、この天体部は「巫女たちが祝祷する時に用いた土器の形」に相似する。倉頡は、この「土器の形の暗黒天体部」を注目し、また「人の横顔に酷似する銀河」を「女の横顔」にさらに「夏の銀河の西南部」を「巫女の胸部から下の身体部」に見立ててN図の[]の字を創った(つまり倉頡は、N図に示した「十字の銀河」(注 X図の左上)と「夏の銀河」を「祝祷の土器を肩の上にかかげて身をくねらせて舞う巫女」に見立てて、[]の字を創ったことになる)。なお、X図の「土器の形の暗黒天体部」は、こと座(琴座)とはくちょう座の両星座が隣接しあう箇所となる。
 H図に示したように、倉頡は「十字の銀河の股(また)」に相当する箇所に「頭が誕生する出産児」を加える想像をして、「いね()」をあらわす[]と「巫女が祝祷する時に用いる土器を肩の上に上げて体をくねらせて舞う姿」の[]の字を考案した。[]の「いねの実()の米」を炊()くと口に入れる食料となり、禾・稲は泥状の水田で育成され、巫女が祝祷する時に用いる土器は水田の土のごとく泥状になったやわらかい土から作られる。胎児が出産する女性の外陰部(がいいんぶ)には口の唇(くちびる)の形に相似する「大陰唇(だいいんしん)」と「小陰唇(しょういんしん)」と名づけられた部分がある。このような事柄を総合(そうごう)して、倉頡は[(さい)]1字であらわすことができると考えたのである。だから、倉頡は前述したように「十字の銀河の子宮」を[(さい)]の字源と定めたのである。

◆Y図に示す「鬼の姿に似る銀河の横顔」には「両眼の銀河部」があり、「鬼の姿に似る銀河の首(後頭部とアゴ)」にも「両眼の形をした銀河部」がある。ゆえに、「鬼の姿に似る銀河」の別称を「四つ目の銀河」とした。
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 「四つ目の銀河の横顔の両目」は〔前を見る目〕となって、〔[][]の字が創(つく)られた「十字の銀河」を見る目〕となる。「四つ目の銀河の首につく両目」は〔後ろを見る両目〕となり、〔「夏の銀河」を見る目〕となる。
 要するに、倉頡は「四つ目の銀河」の前の「十字の銀河」と後ろの「夏の銀河」を見て、H図に示した[][]の字を作ったのである。(注 X図にも示したように、[]の字は「四つ目の銀河」の前の「十字の銀河」と後ろの「夏の銀河」を見て創られた)
 W図の下部に示した「赤い、さそり座α星」を中国では「大火(たいか)」と呼び、「大火西にくだる頃」と表現して「稲や麦などを収穫する秋の到来」を表現する。わが国では「さそり座α星」を「豊年星」、「あか星」、「酒酔い星」と称する。「豊年星」という名が示すように、さそり座α星は「秋における禾(いね)の豊作を願う星」であった。
 W図の下部の「銀河の中心からさそり座α星までの銀河」は「南から西へ飛ぶ鳥の姿」に観える。「南から西への飛ぶ鳥の姿」は、H図に示した[]の「〔南〕から〔西〕への時計回りの転回方位」をあらわす。
 また、H図に示した[]の「〔南〕から〔東〕の逆時計回りの転回方位」を、倉頡はX図に示した「土器の形の星座」(琴の形の星座)[(さい)]の字と定めて、N図に示した「〔北〕が〔西〕となる逆時計回りの転回方位」をあらわした。
 だから、倉頡は自らをY図における「四つ目の銀河」に見立てて、「四つ目の銀河」の前の「十字の銀河」と後ろの「夏の銀河」を観て[][]の字を考案したことになる。
 Y図の[]の契文形は「耳と後ろに向く人」で構成される。倉頡は自らを「四つ目の銀河」に見立てたゆえ、[]の契文の[]は「四つ目の銀河」に隣接する「北アメリカ星雲」を図案するものであったにちがいない。「北アメリカ星雲」を観てO図の[]の字義のごとく「耳に観える?」と疑い惑(まど)うかもしれないが――「四つ目の銀河」の周囲で「耳」の形にいちばん似ているのは「北アメリカ星雲」である。倉頡は、P図とY図に図示した「四つ目の銀河」における「後ろとなる部分」の形状を観て「カンムリカイツブリが求愛ダンスするときの水しぶき」と「鳰が泳ぐときの足はカエルが泳ぐ足」をイメージして[][]の字を創った。この倉頡が多数の事柄を集約(しゅうやく)して[][]の字を創造したことを伝えるために、「耳に似ている」と指摘されると思わず疑いたくなる「北アメリカ星雲」から[]の字が図案されて[]を加えて[]の字形を成立させて、「倉頡は聡明(そうめい)であった」と伝えることになったのである。
 冒頭で「わが国は夏音文字を習得した」と記述する『古事記』序には「稗田阿礼(ひえだのあれ)は聡明で、目に度(わた)れ口に誦()み、耳に払()るれば心に勒(しる)す」という記事がある。Y図に示す「後ろを見る両目から前を見る両目」が「目に度る」となり、「四つ目の銀河(鬼の横顔に似る銀河)の口」が「口に誦み」のイメージとなるゆえ、「耳に払るれば」の「耳」は「北アメリカ星雲」と考えるべきことになる。
 倉頡以後、そのまま銀河の形をリアルに表現した字形は排除(はいじょ)されて漢字として認められなかったのである。漢字は芸術家が得意とする右脳(うのう)でイメージ思考する知恵の創造作品であったのである。したがって、論理思考の左脳(さのう)思考の人々には難解な作品が漢字として使用されることになったのである。

倉頡伝説は――太古、黄帝の時代に、倉頡という四つ目の怪人(かいじん)がいて、鳥獣の足跡をもって、はじめて文字を作り、古来の結縄(けつじょう)の方法を代()えたので、天は祝福して禾(こくもつ)を降らせ、死霊(しれい)が感激して泣く声が夜な夜な聞こえたというのである――と説明する。
 したがって、倉頡伝説はすべてすべてほんとうのことを伝えていたのである。
 学者たちは「人間には目は四つあるはずがない。だから、荒唐無稽(こうとうむけい)のデタラメである」と断定して、倉頡伝説が伝える事実を抹殺(まっさつ)した
 倉頡が発明した漢字作成原理を現在に伝えるE図に示した[]の字源「鬼の姿に似る銀河」は、Y図に示した「四つ目の銀河」である。だから、「四つ目の銀河」は[][][]の字源となり、「四つ目の怪人」と称さられることになった。Y図に示した「四つ目の銀河」のうちの「後ろを見る両目」は、地上の人が身を弓形(ゆみなり)にして妊婦のごとくおなかを前に突き出して、C図とX図に示した「天頂緯度線をキャッチするための両目」をもあらわした。だから、「四つ目の怪人」を荒唐無稽のデタラメと否定されると倉頡が漢字を発明した事実が研究できないことになり、漢字が起源した史実は失われてしまう。
 倉頡伝説に登場する「鳥獣の足跡」は倉頡が発明した漢字作成原理の名称である。「古来の結縄の方法」は「三皇時代に考案された易の記号」を指す。
 倉頡伝説は――夜な夜な輝く文字作成銀河各部の形状から漢字は作られ、三皇時代には氏族名をあらわすことができる文字が存在していなかったので、倉頡の発明によって三皇時代に栄えた包犧(ほうぎ)、女媧(じょか)、神農(しんのう)の三氏族はじめ幾つかの氏族名をあらわすことができ、また三皇時代の歴史も後世に伝えることができるようになったので、三皇時代の氏族たちの霊は感激して泣く涙つまり恵みの雨を降らせて、[]の「穀物」が豊かに実り、倉頡が[]の字に思いをこめた「子どもたちが多数生まれた――と、倉頡が漢字を発明した事実を後世に伝えるものであったことになる。
 []の字源「北天の最輝部」がある「人の横顔に酷似する銀河の顔」は俯(うつむ)いているゆえ、「天から禾(穀物)を降らせ、三皇時代の氏族の死霊が感激して泣く」つまり「天の神による恵みの雨」をあらわす[()]の字源となった。『説文解字』は夏音で「え」と読む[]の字訓(じくん)は「恵なり」と指摘する。これゆえ[][]の字音は同じ「え」となったのであろう。[]の字源「北天の最輝部」は「求愛ダンスするときのカンムリカイツブリの姿」にそっくりであるゆえ、[]をあらわすことになった。だから、[]の「豊かな穀物」と[]の「多数の子どもたち」は「神の恵み」と「[]という理念」をあらわした。
 []の字が[]をあらわした秘密は、『古事記』上巻の首尾一貫したテーマ【日本建国の〔愛〕の理念】で伝えられた。しかし、学者たちは『魏志』倭人伝と同様に、『古事記』上巻に多数の【誤読】を使って【日本建国の〔愛〕の理念】を排除(はいじょ)した。
 『説文解字』の序には「けだし文字は経芸の本、王政の始め、前人のもって後人(こうじん)に垂()れるところ、後人のもって古(いにしえ)を識()るなり」という文がある。
 
この文が指摘するように――漢字は文字作成銀河から作られた学術と芸術の根本であり、中国とわが国の王道政治において真っ先に必要な政権基盤であった。そして「後人のもって古を識るなり」という文は「『魏志』倭人伝と『古事記』上巻の夏音文字と楷書の字源・字形・字義を文字作成銀河各部の形状に変換すれば、後世の人が3世紀の歴史の真相を知ることができる方法である」と伝えていることになる。
 
その証拠に、『魏志』倭人伝と『古事記』の夏音文字と楷書の字源・字形・字義を文字作成銀河各部に形状に変換すると真実の歴史が明らかとなる。だから、学者たちの意見や解釈は【誤読】を思考方とする空想・空論であったのである。

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