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2019年10月16日 (水)

#08 邪馬台国説はフェイクであった!

★邪馬台国説学者たちと朝日新聞は日本国を破壊する!

◆令和元年1022日の即位礼・正殿の儀と翌1114日夕刻から翌日未明に天皇が一代で一度だけ臨(のぞ)む大嘗祭(だいじょうさい)について、朝日新聞は宗教儀式であると報道した。この指摘は完全にフェイクニュース(真っ赤なウソの報道)である。
 朝日新聞の無知は日本国民を侮辱し、日本国を滅ぼさんとする暴言・暴力である。
 即位礼・正殿の儀と大嘗祭は【学問儀式】であった。
 即位礼・正殿の儀と大嘗祭は【江戸時代中期の学者・新井白石(あらいはくせき)以来現在まで300年間も学者たちが主張つづける邪馬台国説は、根も葉もないウソ・誤読の空論であると表示する学問儀式】であった。
 この事実は令和元年914日に発刊された拙著『日本国誕生史の証明』(ムゲンブックス制作・デザインエッグ発行)にて、【科学】が成立するようにして【学問儀式】であることを具体的に詳細に解説して証明した。
 ゆえに、拙著『日本国誕生史の証明』を読んでくだされば――学者たちが主張し朝日新聞はじめとするマスメディアが煽動(せんどう)する邪馬台国説は日本国を破壊し、日本国民を愚弄(ぐろう)する真っ赤なウソであること――が容易に理解できます。
Nihonkokutanjoushinosyoumei
3世紀(280289)に著作された卑弥呼(ひみこ)が登場することで有名な歴史書『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』は、【即位礼・正殿の儀と大嘗祭は学問儀式】であると伝える。
 『魏志倭人伝』は約2000字で構成される。
 そのうち、【1】約900字・約45%の記事は――今から約2070年~紀元前2050年ころの中国の夏代(かだい)初頭(わが国の後期縄文時代初頭)、中国から原初漢字の夏音(かおん)文字が伝来し、わが国は夏音文字を習得した――と説明していることになる。
 したがって、上記の『魏志倭人伝』の最多の記事を否定して、学者たちが「わが国が漢字を最初に習得したのは、5世紀あるいは6世紀である」と断定した絶対的定説は、学者たちやマスメディアにとっては都合のよい、彼らが意図的に内容を調整して国民を騙(だま)す、空理空論・虚妄(きょもう/デタラメ)であったのである。

 また、『魏志倭人伝』の【2】約600字・約30%の「魏の元号・景初(けいしょ)二年六月倭の女王云々(うんぬん)」という文から倭女王の壱与(いよ)が登場する最後までの記事は――夏音名(夏音文字の名前)壱与は『古事記』上巻に登場する伊耶那美命(いざなみのみこと)である。伊耶那美命(壱与)は倭女王に就任する以前、卑弥呼王朝に命令されて小国・日本の女王に就任したとき、国作りの方針を〔愛〕と定めた。この伊耶那美命(壱与)がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】は、倭国の国中に知れ渡った。卑弥呼が没して墓を作るとき、卑弥呼の後を継いだ男王(倭国の大王)は百余人の奴婢(ぬひ/18歳くらいの青年と13歳くらいの乙女)を殺して卑弥呼の墓に埋める徇葬(じゅんそう)を決行した。小国・日本の女王伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】を尊重する倭国の国中の人民は、徇葬を決行した倭国の大王に服従せず武器をもって反乱した。このため、倭の政府軍は反乱する千余人の国民を殺した。この大乱(たいらん)に乗じて、倭女王卑弥呼と素(もと)より不和の狗奴(くな)国が倭国を倒す絶好のチャンスととらえて大々的に戦争を挑(いど)んだ。これゆえ、亡国の危機におちいった倭王朝は、13歳のときに倭国に一員となった属国(ぞっこく)の小国・日本への赴任させた伊耶那美命を帰国させて、彼女を倭女王に就任させた。というのも、倭王朝は伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】が原因で国民が大乱し・狗奴国が大々的に攻撃してきたと非難して、倭国の亡国の危機の責任はすべて伊耶那美命にあると考えたからである。倭王朝に歯向かって反乱する国民は倭女王・伊耶那美命ならば必ず徇葬を禁止するにちがいないと確信して武器を捨てた。これゆえ、倭の大乱は平定(へいてい)された。そして、倭王朝は伊耶那美命の夫の伊耶那岐命(いざなきみこと)に狗奴国討伐を指揮するように命じた。伊耶那岐命は小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)であり、『魏志倭人伝』に登場する夏音名は載斯烏越(そしあお)であった。狗奴国討伐に〔愛〕の女王伊耶那美命は狗奴国の男王と話し合いによる平和的に解決するようにと主張して、狗奴国討伐を反対した。このため、倭王朝は伊耶那岐命の第二后(きさき)の天照大御神(10代崇神(すじん)天皇の生母)に倭女王・壱与の代役、つまり狗奴国討伐の魔女の壱与(戦いの巫女の女王)に就任させて、伊耶那岐命が指揮して狗奴国を壊滅させた――と説明している。

 残る『魏志倭人伝』の【3】約500字・約25%は倭人国の風俗・産物・動植物の生息状況を説明する記事である。

◆上記の【1】『魏志倭人伝』の約900字・約45%の最多記事は――倭国は原初漢字の夏音文字を習得した。このため、夏音文字を習得したときより約950年前の紀元前3000年ころ、中国の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官(しかん)の倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成方法も習得された。倭人国・卑弥呼王朝は対馬国(つしま)から狗奴国までの30の小国名をもって倉頡は発明した漢字作成方法を整然と分類して完全保存した。言いかえると、卑弥呼王朝は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学芸を最も強大な政権基盤にして、この学問が反体制側の手中に入り革命・反乱されて王朝と国家体制が崩壊しないように、この学問を王朝と国家が独占管理して厳重な機密とした――説明するものであったのである。

◆『古事記』上巻の伊耶那岐命と伊耶那美命神話や『万葉集』の幾つかの和歌は、3世紀半ばの上古史(日本国誕生史)を下記のごとく伝えていた。
 ――狗奴国討伐に反対した伊耶那美命を倭女王の職務を果たさず無責任であると激怒(げきど)する倭王朝は、伊耶那美命に倭女王から退位して天照大御神に譲位することを命令し、伊耶那岐命に伊耶那美命との離縁を欲求した。この要求に伊耶那美命が応じた。しかし、伊耶那美命を愛する伊耶那岐命は天照大御神への譲位を認めず、離縁に応じず倭王朝の命令を無視した。伊耶那岐命は淡路島で伊耶那美命を説得して二度目の結婚(一回目は小国・日本の女王・伊耶那美命との結婚、二回目は倭女王・伊耶那美命との結婚)を強行し、伊耶那美命こそ倭女王であると主張して倭王朝と激しく対立した。
 伊耶那岐命は後の第9代開化(かいか)天皇であり第10代崇神天皇の異母兄であり、崇神天皇は伊耶那岐命の第二后天照大御神の連れ子(伊耶那岐命の実父第8代孝元天皇の息子)であり、伊耶那岐命の養子でもあった。だから、『古事記』上巻に登場する「天照大御神」は「崇神天皇とその母(伊耶那岐命の第二后)であった。
 このような事情から、崇神天皇の生母・天照大御神は伊耶那美命を愛して天照大御神の倭女王・壱与の就任を認めない夫の伊耶那岐命を憎悪した。この憎しみよりもさらに激しく天照大御神は伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】を憎悪し敵視した。というのも、天照大御神は倭王朝の政権基盤である倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問は王朝と国家をささえる屋台骨であるゆえ、最も強大でなければならないという信念を抱いていたからである。ゆえに、天照大御神は多数の奴婢を殺す徇葬は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問が最も偉大で強大で崇高な力を有するものであるという権威(けんい)を示すものゆえ、卑弥呼の墓に百余人の奴婢を殺して埋めた事業は正しいと考えた。だから、卑弥呼の墓を作ったときに反乱をおこした国中の国民が尊重した伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】は倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問を崩壊させる最も危険な思想であると、天照大御神は考えて敵視し憎悪したのである。
 伊耶那美命が没すると天照大御神が倭女王に就任した。天照大御神は伊耶那美命の墓を作るとき、残忍な徇葬を指揮した。伊耶那美命がもっとも嫌った多数の奴婢たちを殺す天照大御神の徇葬に、伊耶那岐命は激怒してクーデターを決行して成功し、天照大御神を倭女王から失脚させた。
 ゆえに、伊耶那岐命は春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)に居住して天下を治めた第9代開化天皇であった。

◆伊耶那岐命・開化天皇が死去すると、母・天照大御神と父・第8代孝元天皇が結婚して生まれた息子(伊耶那岐命の異母弟)が天皇を継いだ。これが第10代の崇神(すじん)天皇である。
 ゆえに、『日本書紀』の崇神天皇6年の記事に「天皇は天照大御神を祀った」と記述された崇神天皇とその生母」が、『古事記』上巻に登場する「天照大御神」であった。
 3世紀後半に生存した天照大御神母子は大和朝廷の基礎を築いた。ゆえに、皇室は天照大御神を至上神と崇拝して皇祖(皇室の生みの親)と定めた。
 大和王朝と国家が永(なが)らく栄えることを願った天照大御神母子は「倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問を最も強大な政権基盤とし、朝廷と国家が滅亡しないために〔愛〕の理念をとなえて建国された日本国(小国・日本)の誕生史を後世に絶対に伝えてはならない必ず排除し抹殺せよ」という勅命(ちょくめい)を残した。
 ゆえに、天照大御神の遺勅(ゆいちょく/死後にのこされた勅命)は皇室とともに存続することになった。
 倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問は、上記したように『魏志倭人伝』の【1】最多の約900字・約45%の記事となって保存された。ゆえ、皇室にとって『魏志倭人伝』は倉頡が発明した漢字作成方法を完全保存して、夏音文字の学芸を伝える聖典となった。

◆伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】は上記したように、『魏志倭人伝』の【2】約600字・約30%の記事となり、また『古事記』上巻に詳細に記述されて残った。また、『万葉集』の数々の和歌となって後世に伝えられた。
 ゆえに、日本国誕生史を難解な文章で詳細に記述して712年の正月に『古事記』を献上された元明(げんめい)天皇は、天照大御神の遺勅にもとづいて『古事記』献呈を拒否した。
 真実の歴史を記述した『古事記』は皇室が承認する正史(せいし)と認められず、正史『続日本紀(しょくにほんぎ)』では『古事記』に関する記事がいっさい削除(さくじょ)・抹殺されて、朝廷を滅ぼす危険思想を養う禁書(きんしょ)と定められた。

◆伊耶那美命がとなえた【日本建国の〔愛〕の理念】と日本国誕生史は武士たちに尊重され、鎌倉幕府に尊ばれ、織田信長と徳川家康が一生を賭()けて復興せんとする心願となった。
 家康が全情熱をかたむけた日本国誕生史を復興する心願は成就しなかったが、家康の遺志は代々の将軍と幕府が受け継いで達成する宿題となった。
 将軍秀忠と江戸幕府は桂離宮と修学院離宮の両庭園の平面図に日本国誕生史を設計して、第108代後水尾(ごみずのお)上皇に家康の遺志・日本国誕生史の復興を願った。
 幕府は1655年のころから1659年にかけて修学院離宮に浴竜池(よくりゅういけ)と呼ばれる心字池を中心とした大庭園・上御茶屋(かみのおちゃや)を造営して、浴竜池の平面図に日本国誕生史の復興の願望を設計して後水尾上皇にせまった。
 上皇は浴竜池の中央の築島(つきしま)に建造された窮邃亭(きゅうすいてい)に陶器製の篇額(へんがく)と作ってかかげて、「『魏志倭人伝』と『古事記』上巻には日本国を誕生史が記述されている」と認めた。
 というのも、上皇の直筆(じきひつ)である「窮邃」の2字は「邃、すなわち上古史を窮(きわ)める、つまり『魏志倭人伝』には【1】倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問が記述され、【2】日本国誕生史も記述されていることを認める」と意味することになったからである。
 上皇直筆の「窮邃」という2字は緑の縁取りした二つの八角形を組み合わせた扁額の枠(わく)中央に記される。二つの八角形が重なる箇所は亀甲文(きっこうもん)縦長(たてなが)の六角形となり、この六角形は『古事記』上巻に記述された伊耶那岐命と伊耶那美命が第一回目に結婚した小国・日本における式場の所在地を表現する。また、六角形中央の赤色の水引き文は「たくさんの子どもが生まれて国土に人民が満ち満ちあふれる」と表現して、【日本建国の〔愛〕の理念】をデザインする意匠であった。

1725年に新井白石が没して、『魏志倭人伝』に多数の【誤読】を加える書物を著作して最初に大和邪馬台国説を、後年に九州邪馬台国説であると予測・予想した。
 皇室は『魏志倭人伝』に白石が多数の【誤読】を加えて予測・予想した空理空論の畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説に激しいショックをうけた。
 白石がとなえた【誤読の邪馬台国説】は皇室を滅ぼし・日本国を亡ぼし、さらに日本民族は愚弄(ぐろう)されて滅びると激しいショックをうけた皇室は、白石の死後13年後の1738年、天照大御神の「日本国誕生史を抹殺せよ」という遺勅を破棄(はき)して、戦国時代から約220年間中断していた大嘗祭を本格的に復興することにした。

◆だから、白石の死から約300年間も学者たちが受け継ぎ、朝日新聞やNHKなどのメディアがフェイクニュースを流して宣伝する畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は皇室を滅ぼし、日本国を亡ぼし、日本国民を愚弄する【誤読の空理空論、ウソ八百】であったのである。
 その証拠に、『魏志倭人伝』と『古事記』上巻に記述された「多数の子どもたちが生まれて国土に満ち満ちあふれる」とあらわす【日本建国の〔愛〕の理念】は現在廃(すた)れて、わが国は少子化・人口減少によって国力衰退の坂道を転げおちているという――実害が生じている。
 令和元年の秋におこなわれる大嘗祭は『魏志倭人伝』の【1】最多記事が説明する倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問をあらわすとともに、『魏志倭人伝』の【2】二番目に多い記事で説明する日本国誕生史をあらわす学問儀式であった。
 つまり、大嘗祭は「白石以来300年間つづく畿内邪馬台国説と九州邪馬台国説は【誤読】で国民を愚弄する空理空論である」とあらわす学問儀式であったのである。
 白石以前における伊耶那美命を崇拝する先人たちは『魏志倭人伝』後半と『古事記』上巻に記述された【日本国誕生史の復興】を倫命(りんめい/人間として実行すべき倫理における使命)と考えていた。

◆科学に反する学者たちの違反行為を「科学における不正行為」と定義する。
 このように、「科学における不正行為」は報道機関などを通じて世界中の一般市民にも知れ渡る仕組みになっている。
 2000年、藤村新一が30年前から発見していた旧石器の発見が捏造(ねつぞう)であったことが暴露された。この旧石器発掘捏造事件はわが国を代表する「科学における不正行為」とされる。
 この捏造事件に勝って劣悪な「科学における不正行為」は、吉野ケ里遺跡を根拠・理由として「邪馬台国が見えてきた」と誇示(こじ)して九州邪馬台国説を主張する高島忠平(佐賀県教育庁文化課参事)の行為である。高島忠平は【誤読の空論】で大嘗祭を冒涜(ぼうとく)して日本国を破壊し日本国民を愚弄している。だから、彼は藤村新一同様に、学界から永久追放されなければならない。
 また、纏向(まきむく)遺跡・箸墓(はしはか)古墳を根拠・理由として「邪馬台国は畿内に所在した」と捏造して【誤読の空論】で日本国民を騙(だま)す畿内邪馬台国説の首謀者も藤村新一同様に学界から永久追放しなければならない。
 「科学における不正行為」は報道機関が一般市民に知れ渡るようにしなければならない責任と義務と使命を背負っている。
 拙著『日本国誕生史の証明』にて【九州邪馬台国説と畿内邪馬台国は大嘗祭を冒涜し、日本国を破壊し、日本国民を愚弄する誤読の空理空論】である事実を【科学】が成立するようにして証明した。
 だから――九州邪馬台国説と畿内邪馬台国説のフェイクを報道した朝日新聞とNHKはじめマスメディアは「邪馬台国説は【誤読の空論】であった、『魏志倭人伝』の大要(たいよう)は令和元年の秋の大嘗祭で表示される倉頡が発明した漢字作成方法と夏音文字の学問と、また日本国誕生史である。したがって、邪馬台国説は一ヵ所の記事とも関係しない」と世界中に知れ渡るようにしなければならない責任と義務と使命を背負っている。
 この役目を果たさないメディアは人間として恥ずべき倫命に反することになるゆえ、世界中から否定されて軽蔑されて排除され追放されても仕方がないことになる。

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