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2020年11月18日 (水)

フェイク&まぼろしの邪馬台国・1

★「古代史の謎」の取説・1


▶漢字の起源の秘密は中国では解明できず、日本で科学的に具体的に解明できる

【1】 わが国の古代史において、倭女王卑弥呼が統治した倭人国の範囲には定説が無く未解明な状況であり、また邪馬台国説は畿内説と九州説で決着つくかのごとく学界やメデイアは無責任にもデマを蔓延(まんえん)・流行させて日本人を洗脳している
 しかし、畿内説と九州説の実体は【完全なる誤読の空論】、【完全なる幻想】であった。

◆【畿内説と九州説が誤読の空理空論、幻想である実体】は、学者たちの誰一人も【漢字の起源は中国では解明できず、日本で科学的に具体的に解明できる事実】についてまったく気づいていない、これが原因となる。
 したがって、学者たちは誰一人も【漢字の起源は中国では解明できず、日本で科学的に具体的に解明できる秘密】についてまったく研究しないため、この秘密はまったく解明されていない。

◆『魏志倭人伝』は、二ヵ所の記事で「わが国(倭国)には、学界がいまだ未解明の中国の甲骨(こうこつ)文字より以前の原初漢字を有していた」と明確に説明している。
 現在、「紀元前1300年頃に出現した甲骨文字は漢字の最も古い祖型」と定められている。
 現在、甲骨文字より以前に存在した原初漢字について、ほとんど解明されていない。
 しかし、『魏志倭人伝』は下記した二ヵ所の記事をふくむ約55パーセントの記事で「わが国(倭国)には、学界がいまだ未解明の中国の甲骨文字より以前の原初漢字を有していた」と記述している。ところが、『魏志倭人伝』の記事の半分よりも多い、約1100字で説明する原初漢字の秘密が明確に科学的に解明できる記事を、学者たちはまったく存在しないかのごとく無視し排除(はいじょ)する。〔注、『魏志倭人伝』は約2000字で構成される〕。
 漢字は紀元前3000年頃の五帝時代初頭の黄帝(こうてい)につかえていた史官(記録官)の倉頡(そうきつ)によって発明された。五帝時代の原初漢字は中国では「書契(しょけい)」、または「契刻(けいこく)」と名づけられた。「書契」は「木に文字を刻むこと」と意味したと伝えられたゆえ、わが国では「書契」は「刻木(こくぼく)」と名づけられた。
 〔注、中国の正史『隋書』倭国伝は「わが国(倭国)には刻木(五帝時代の原初漢字)があった」と記す。〕
 『魏志倭人伝』に記述される対馬(つしま)国から狗奴(くな)国までの30ヵ国の小国名(500字・約25パーセントの記事)によって、【漢字の始祖・倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】と【甲骨文字が出現した殷代(いんだい)後半期初頭より以前の夏代(かだい)初頭に、わが国が習得した原初漢字・夏音(かおん)文字の学芸】、この二つの重大な学問の秘密が体系的(組織的)に科学的に解明できる仕組みになっている。
 『魏志倭人伝』は【誤読】を一ヵ所も加えてはならない、正確無比の【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】が科学的に解明できる文献であったのである。
 しかし、学者たちは【誤読】に〔文献批判〕という名をつけて、『魏志倭人伝』に多数の〔文献批判〕を加える【空想・空理空論】を立論する。これゆえ、『魏志倭人伝』には【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸】を説明する記事はまったく存在しないかのごとく排除(はいじょ)されて堅牢(けんろう)な巨大な門で厳重に閉ざされた奧の奥となる朽ちた貯蔵庫の室(むろ)に閉じ込められているため、一般国民はまったくその存在について知っていない。
 『魏志倭人伝』は【漢字の起源は中国では解明できず、日本で科学的に具体的に解明できる、〔文献批判〕を1ヵ所も加えてならない正確無比の、世界的に第一級の貴重な奇跡の文献】であったのである。

◆『魏志倭人伝』は、下記の二ヵ所の記事で「わが国(倭国)には原初漢字・夏音文字があった」と証言している。
(
)『魏志倭人伝』には「倭国の卜辞(ぼくじ)は令亀の法の如く」、つまり「倭の卜辞(占いに用いる文字と言)は中国殷代(いんだ)の亀の甲羅に文字を刻む甲骨文字のごときであった」という記事がある。だから、2世紀末~3世紀の卑弥呼時代、わが国には学者たちが「漢字の最も古い祖型と定める中国の甲骨文字のごとき原初漢字」があったことになる
(
) 『魏志倭人伝』には「倭国の伊都(いと)国の港では、京都(けいと/魏の都・洛陽)・帯方郡(朝鮮半島の一画に所在する魏の出張政庁がある郡)・諸韓国と倭女王卑弥呼が文書に用いる文字(原初漢字)は差錯(ささく/相違)していた。しかし、倭国の伊都(いと)国の港では魏都(京都)・帯方郡・諸韓国が文書に使用する楷書と卑弥呼が文書に用いる文字(原初漢字)を点検し、確認して、間違いないように正しく変換できた。」という記事がある。
 このように、『魏志倭人伝』は「2世紀末~3世紀半ばまでのわが国(倭国)には、原初漢字が存在した」と明記する。だから、学界が主張する「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」という絶対的定説は【フェイク、妄想、誤読の空理空論】であったことになる。したがって、邪馬台国畿内説と九州説もまた【完全なるフェイク、妄想、誤読の空理空論】であると断定しなければならない。

◆『魏志倭人伝』の冒頭記事は、次のごとくである。
 「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」
 上記したように、『魏志倭人伝』の冒頭字は[]である。[]の字源・字義(原義)は「人民が飢えないように、人民の胃袋を満たす五穀豊穣(ごこくほうじょう)」であった。
 倉頡は「人民が飢えないように、人民の胃袋を満たす穀物(イネや麦、つまり五穀豊穣)」をあらわす[]の字を創(つく)った。
 「穀物を食べて胃袋を満たす腹部」は「腹部(おなか)に子どもを宿した女性(妊婦)のように円い腹部」となるゆえ、倉頡以後、[]の下に[]が加えられる[]の字が出現した。
 「人民の胃袋を満たす」という政治スローガンを示すことになって、「人民」をあらわす[](人偏)に、[]が加わって[]の字が出現した。ゆえに、[][]の字は、倉頡が創った[]の字源・字義(原義)をそのまま受け継ぐ字であった。
 卑弥呼が統治する倭国と国交を結んだ中国における三国時代の一国「魏」という国名に用いられる[][]に「鬼道(きどう)[]を加えた字である。ゆえに、[]もまた倉頡が創った[]の字源・字義をそのまま受け継ぐ字であった。
 だから、『魏志倭人伝』は「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」という文が示すように、冒頭から「倉頡が発明した作成方法の基本字[]の字源・字義をそのまま受け継ぐ[]の字を国号に用いる倭人国は、帯方の東南、大海の中に在り」と説明していたことになる。
 前記したように『魏志倭人伝』に記述された対馬国から狗奴国までの30ヵ国の小国名の記事(500字・約25パーセントの記事)は、【漢字の始祖・倉頡が発明し漢字作成原理と作成方法】と【甲骨文字が出現した殷代後半期初頭より以前の夏代初頭に、わが国が習得した原初漢字・夏音文字】、この二つの重大な学問の秘密が体系的に科学的に解明できる仕組みになっている。
 現在の中国(中華人民共和国)にあっても、[][][]の字源・字義をあらわして「全国民が飢えないように、全国民の胃袋を満たす五穀豊穣」を政治スローガンとする。
 だから、2世紀末から3世紀半ばの卑弥呼時代においても、[]の字源・字義となった「全国民が飢えないように、全国民の胃袋を満たす五穀豊穣」は最強・最良の政治スローガンであったことになる。
 卑弥呼時代に限らず、わが国と中国の古代において、[][][][]の字源・字義となった「人民たちの胃袋を満たす五穀豊穣」という政治スローガンは最強にして最良であったのである。


◆また、『魏志倭人伝』は、下記の記事をもって「紀元前2070年頃~紀元前2050年頃、わが国の後期縄文時代初頭、言いかえると中国の夏代初頭、卑弥呼が文書に使用した原初漢字・夏音文字は日本列島の東北地方、つまり男鹿半島・米代川(よねしろがわ)縄文文化圏に伝来して習得された」と証言している。
 だから、邪馬台国説畿内説と九州説の実体は【誤読の空理空論】であった。
 「又侏儒(しゅじゅ)国有り。其の南に在り。人の長(たけ)三、四尺。女王を去ること四千余里。又裸()国・黒歯(こくし)国有り。復()た其の東南に在りて船行一年にして参問至る可()き。倭の地を参問するに、海中洲島(しゅうとう)の上に絶在し、或は絶え或は連なり、周旋(しゅうせん)五千里可(ばか)り。」
 上記のごとく――卑弥呼が文書に用いた漢字、つまり魏都・帯方郡・諸韓国が用いた楷書を正しく変換できた原初漢字は、紀元前2070年頃~紀元前2050年頃の中国の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に習得された夏音文字であったことになる。

◆わが国の古代中国文字(漢字)研究の第一人者とされる白川静博士が著作した『字統』(平凡社発行)9ページの終わりから3行目から10ページの始めから3行目までは、〔わが国の漢字音〕と題して、次のように「わが国の国語には、現存する最古の漢字音が残っている、つまり現存する最古の原初漢字の字音が残っている」と科学的に指摘する。
 「古紐(こちゅう)や古韻(こいん)の研究は、西洋の言語学・音韻学がとり入れられ、殊(こと)にその音韻学史研究によってえられた諸法則が、原理的にほぼ適用しうるという関係もあって、カールグレンがその方法を開いたから、急速な進展をみせている。そして、その結果、わが国の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった。」
 上記したように、白川静著『字統』が〔わが国の漢字音〕と題して「わが国の国語の国語として残されている字音が、いま残されているもののなかで、最も古い時期のものであることが明らかになった」と指摘する、科学的に解明された原初漢字の字音は卑弥呼が文書に用いた原初漢字の字音であり、また紀元前2070年頃~紀元前2050年頃の夏代初頭(わが国の後期縄文時代初頭)に習得した原初漢字の夏音文字の字音であった。

◆ブログで「中国の漢字音」について入力して調べると――中国において現存する最古の漢字音は【上古音】である。【上古音】は、紀元前1046年から始まる周代初頭~後漢後期(2世紀頃)までの漢字音である――ということがわかる
 したがって、わが国に国語として残っている現存する最古の漢字音を伝える夏音文字は、中国に残っている現存する最古の漢字音の【上古音】初頭・周代初頭(紀元前1046)よりも約1000年前の原初漢字であった
 「卑弥呼」を「ひびこ」と読まずに「ヒミコ」と読むと夏音文字の字音となり、中国の上古音で読むと「ピミカ」となる。『魏志倭人伝』に登場する「難升米」を「なんしょうまい」と読まずに「ナシメ」と読むと夏音文字の字音、「壱与」を「いちよ」と読まずに「イヨ」と読むと夏音文字の字音、「載斯烏越」を「さいしうえつ」と読まずに「ソシアオ」と読めば夏音文字の字音となる
 このように、夏音文字の字音は『魏志倭人伝』の人名・小国名・官職名に用いられて現在まで残っている
 なお、古代研究家の古田武彦氏が証明したように、『魏志倭人伝』は倭女王卑弥呼が居住した王国の名は「邪馬壱(やまい)国」であった。中国の正史『後漢書』倭伝には「邪馬臺国」の読みについて「今案ずるに、名は邪馬惟(ヤマイ)の音之訛(なまり)也」と説明する注がある。「邪馬惟」の[]には「だい・たい」と読む字音が無い。[]の字音は「イ()・ユイ(ユヰ)」である。ゆえに「邪馬惟」は「ヤマイ」と読むべきことになり、「邪馬惟」は「やまたい・やまだい」とは読めない。したがって、『後漢書』倭伝は「邪馬壹国」は「今案ずるに、名は邪馬惟(ヤマイ)の音之訛也」と注を記すべきことであったことになる
 『後漢書』倭伝の「邪馬惟」という注からしても、古田武彦説の「卑弥呼が居住した王国名は邪馬臺()国ではなく、邪馬壹()国であった」という意見が事実であり正しいことになる
 邪馬台国畿内説と九州説を立論する学者たちは多数の【誤読】つまり【文献批判】を加えるが、『魏志倭人伝』に【誤読=文献批判】を1ヵ所も加えないと、『魏志倭人伝』は「卑弥呼が居住した邪馬壱国は、現在の島根県と鳥取県の西部(旧国の石見・出雲・伯耆)であった」と記述(証言)していることになる。というのも、「石見」は[]の字源・字義をあらわし、「出雲」は[]の字源・字義をあらわし、「伯耆」は[]の字源・字義をあらわしているからである。だから、「石見・出雲・伯耆」は「邪馬壱国」であったと【科学】が成立して証明される。なお、邪馬壱国の中心部「出雲」もまた[][][]の字源・字義をあらわした。だから、山陰・出雲地方は「倭女王卑弥呼が居住した邪馬壱国」であったことになる。さらに、「畿内・大和王朝のアマテラス母子王朝(9代崇神天皇母子王朝)に滅ぼされた出雲王朝の大国主命は、卑弥呼の墓は出雲大社であった」と後世に伝えるために――大和王朝のアマテラスオオミカミに壮大な宮殿「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を建造させた。言いかえると、「天日隅宮」は「出雲大社の起源」とされるが、「天日隅宮を建造した裏山が後円墳、境内が前方墳」であったことになる。『魏志倭人伝』は「卑弥呼の墓の円墳部の径(直径)は百余歩、つまり約150メートル」であったと記述する。この記事のとおり、「天日隅宮(出雲大社)の裏山の径は約百余歩」である。したがって、「出雲大社の裏山と境内の空中写真」は「卑弥呼の墓は前方後円墳の形を示す出雲大社であった」と表示するものとなる
 以上のごとく【漢字の起源は中国では解明できず、日本で科学的に具体的に解明できる事実】にもとづくと、邪馬台国畿内説と九州説は【誤読の空理空論、フェイク、虚妄(きょもう)、真っ赤なウソ】である事実が【科学】が成立して証明される
 学者たちとメデイアは【誤読の空理空論の邪馬台国説】をもって決着つけようと躍起(やっき)となり、われわれ日本国民を騙(だま)そうとしている!

◆ここまで解説してきたが、【1】の邪馬台国畿内説と九州説の実体は【完全なる誤読の空論】、【完全なる幻想】である解説と証明を、次回(フェイク&まぼろしの邪馬台国・2)においても続行する。
 『魏志倭人伝』は【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学芸を説明する、文献批判が一切(いっさい)無用の正確無比の文献】であったことは、書籍本と電子本にした拙著『日本国誕生史の証明』と『大嘗祭の証明』にて詳細に解説し証明した。

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