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2020年12月 7日 (月)

フェイク&まぼろし邪馬台国・5

▼前回までのサブタイトルは〔「古代史の謎」のトリセツ〕と定めていたが、今回からは〔「倭人国の地理学のトリセツ」〕とする。というのも、今回から吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向(まきむく)遺跡邪馬台国説は空理空論・学説の体(てい)をなさないデタラメ・「日本」を抹殺する暴論であることを本格的に証明することにしたからである

吉野ケ里遺跡の北側は「玄界灘」である。前回のブログでは「玄界灘」という名称に注目すれば、わずか10分で吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説は空理空論・デタラメであることが事実・決定的となることを解説した。だから、両説は日本人の知性・理性への冒涜(ぼうとく)であり、両説のために日本古代史における最も大切な真実が失われる!
 こんな低劣なきわまりない・直ぐにウソがばれる空事(そらごと)に〔虚偽の報道を絶対にしてはならない使命・責任〕を放棄してNHKテレビ・朝日新聞はじめメディアがお先棒をかついで率先的に日本国民をまどわしている。このような邪馬台国説学者たちとメディアの所業はあまりにも無責任であり、先人たちが残した『魏志倭人伝』の史料つまり【倭人国の地理学資料が示す高度な学術】と比較すると、今日の邪馬台国説は悲しくなるほど稚拙(ちせつ)すぎることが判明するゆえ「日本滅亡の大罪を犯している」といわざるをえない


★「倭人国の地理学」のトリセツ・1

◆前回のブログで明らかにしたように、『魏志倭人伝』冒頭にある11字からなる「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」という文を注目すれば、邪馬台国説は『魏志倭人伝』の全記事とまったく合致しない空理空論・デタラメであることが証明される。
 というのも、邪馬台国説は現代の日本地図を用いて立論するからである。したがって、邪馬台国説をとなえる学者たちは「倭女王卑弥呼と王朝をささえた面々は、現在と同じく天の北極がある方向を〔北〕と定める地理方位観を有していた」と断定していることになる。
 しかし、卑弥呼と王朝を支えた面々は【[]のキャッチ=天頂緯度線の測定を基軸とする学問体系】にもとづいて日本列島地理を制定した。卑弥呼王朝が有していた【[]のキャッチを基軸とする科学(学問)】だと、日本列島の〔東方〕は〔南方〕へと伸びていると考えるべきことになった。ゆえに、『魏志倭人伝』に記された全19ヵ所の方位記事に1ヵ所も【誤読・曲読・歪曲】などを加えないと、現在の日本地図と異なり、日本列島の東方は南方に伸びる転回日本列島地理となる。幾人の学者たちは――『魏志倭人伝』の全方位記事を1ヵ所も改めずに解釈すると、明(みん)の建文(けんぶん)4(1402)に朝鮮で作られた「混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)」に描かれた日本地図と同じく、日本列島の東方は南方へと伸びる――と指摘する。
 だから、『魏志倭人伝』は「天の北極がある方向を〔北〕と定める現在の日本地図と相違して、卑弥呼王朝は【[]のキャッチを基軸とする科学】にもとづいて日本列島の東方は南方へ伸びる転回日本列島地理を制定していた」と事実を説明していたことになる。

◆前回のブログで証明したように、『魏志倭人伝』冒頭の11字からなる文「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」、この大海の一画となる玄界灘を、邪馬台国説の論法だと――【天の北極を最も重視して、天の北極を目印にして緯度測量する方法】で国交を結ぶ倭国と魏・帯方郡政庁の使節は「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」の大海の一画となる玄界灘を往来したため、全員が玄界灘の藻屑(もくず)となって命を落としたことになる。
 中国大陸・朝鮮半島との海上交通の要路となった玄界灘は、天の北極の高度を緯度に換算する方法では往来できない海であった。「玄界灘」という3字の漢字が明確に示すように、「玄界灘」という名は「[]をキャッチする=天頂緯度線を測定する方法で往来しなければならない、陸地に遠く離れる境界内となる灘(波の荒い海)」を意味した。
 命を落とさずに玄界灘を往来できた[]をキャッチする方法は、原始のときからヒトが命をまもるために本能としてそなえられた能力であり・習慣であった。
 上記したように、邪馬台国説のごとく天の北極がある方向を〔北〕と定める・天の北極を最も重視する現在の日本地図を立論基盤にすると――天の北極の高度を緯度に換算する方法で玄界灘に入った倭国と魏・帯方郡の使節は玄界灘にて命を落とした。だから、倭と魏は国交を結ぶことができないがために、中国では倭国の様子をまったく知ることができなかった。したがって、『魏志倭人伝』には文字が1字も書かれていなかったことになる。
 このように、約2000字で構成される『魏志倭人伝』は文字が1字も書かれていなかったことになる邪馬台国説はただちに空理空論であると断定できる。
 上記したように『魏志倭人伝』冒頭の11字の記事によって、邪馬台国説は約2000字からなる『魏志倭人伝』と1ヵ所も合致しないデタラメ、日本学問史における最大最悪の空理空論であったと断定できる。

◆玄界灘を往来するときは、1度=60分の60分の1となる、1分以内の誤差を測定できる原始の時から人類が受け継いだ能力(眼力・本能)を有していないと命を失った。
 天の北極が地平線(水平線)からの高度が緯度となる。つまり、天の北極の高度が3536分の陸地・海・砂漠の緯度は北緯3536分となる。
 天の北極は、黄道(こうどう)の中心として25,800年で一周する。この〔円周上(大円)における位置〕が〔各時代の天の北極の位置〕となる。すべての時代において、〔天の北極〕と重なる「北極星」は存在しない。だから、すべての時代において〔天の北極〕は暗黒の闇であったゆえ、ヒトが1分の精度で緯度を精確に測量できる北極星は存在しない。
 〔天の北極に最も近づく北極星〕は、紀元前2790年頃の「りゅう座α星」と、現在から約80年後の21世紀末の「こぐま座α星」である。この「二つの北極星」は〔天の北極から約45(0.75)離れているゆえ、天の北極を中心にして直径約90(1.5)の距離で円を描く。人間の目と本能には90分ほどの距離(直径)で〔天の北極〕を中心にして円を描く「北極星」を測量して〔天の北極の高度を90分の11分以内の誤差〕で精確に測量できる能力はそなわっていなかった。
 卑弥呼時代(2世紀末~3世紀半ば)の「北極星・こぐま座β星」は〔天の北極〕を中心にして半径約10度・直径約1200(20)の円を描いていた。「約1200分の円を描く北極星(こぐま座β星)」で〔天の北極の高度〕を精確に約120011分以内の誤差で測定できる能力を人間は有していない。
 したがって、卑弥呼時代、「北極星」をキャッチして〔天の北極の高度〕を緯度に換算する方法で玄界灘に入ると必ず〈いのち()〉を失った。
 だから、「倭人は、帯方の東南、大海の中に在り」という冒頭記事から始まる『魏志倭人伝』では、吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説は〔天の北極がある方向を〈北〉と定める現在の日本地図〕を立論基盤にした、この最初の時点から一気に空理空論、デタラメ、完全なる絵空事となる。

◆『魏志倭人伝』は最初に研究する時から〔精確に1分以内の誤差で緯度が測定できる方法の、原始のときから人類が〈いのち〉をまもってきた[]のキャッチ、言いかえると天頂緯度線のキャッチ〕を立論基盤にして思考しなければならない文献であったのである。
 先人たちは「『魏志倭人伝』の研究する時は最初から[]の字源・字形・字義にもとづいて始めよ」と警告して、吉野ケ里遺跡北方の海の名を「玄界灘」と定めたのである。
 だから、『魏志倭人伝』の研究には現在の日本地図を立論基盤にすると一気に空理空論となり、真っ先に【精確な緯度測量方法・[]のキャッチ】を立論基盤にしなければならない。
 なぜならば、吉野ケ里遺跡北方の玄界灘・東水道・対馬・壱岐には、【[][][][]の字源・字形の原形・原義の学問】が集約されているからである。
 つまり、吉野ケ里遺跡北方の玄界灘・東水道・対馬・壱岐には、【倭人国が有していた倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理・漢字作成方法と夏音(かおん)文字における地理学体系】、要するに現在の邪馬台国説は悲しくなるほど稚拙(ちせつ)すぎることを明確に示す【倭人国の地理学】が集約されて残っている。〔注 【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字】について、「古代史の謎」の取説の13までを参照〕
 「いのち」をあらわす[][]の上部の[(しゅう)]という漢字は「原始のときから人類が天頂緯度線を1分以内の誤差で測定できた能力(眼力と本能)」と「天の神が〈人のいのち〉支配し・まもっている力」を表示する、漢字体系における基本字であったからである。
 []という漢字は「大海・砂漠に入った人や遠くの地に旅する人は、その道中において必ず天頂緯度線をキャッチすると欲を有すると道に迷って命を失って風雨にさらされる骸骨となったが、産道を通過するときの出産児のごとく無欲になれば天頂緯度線をキャッチすることができるという、要するに天頂緯度線を測量する時の心得」を示していた。

◆だから、これから幾度も分けて明らかにする【3世紀における倭人国の地理学】と比較すれば、現在・21世紀の吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説は学説の体(てい)をなしていない学説以前の戯言(たわごと)・空理空論あることが明白となる。

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