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2020年12月22日 (火)

フェイク&まぼろしの邪馬台国・10

▼現在、わが国の古代史学においては――何百のウソを主張した米国の大統領のトランプ現象で満ち満ちあふれている
 日本古代史学においては、学者たちがつくウソが真実の歴史よりも勝る
 その証拠に、『魏志倭人伝』の研究において、虚妄が真実よりも優る
 学者たちが扇動する吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説は、この国を根本・根底から崩壊させる最悪のデタラメ・ウソ百まんだらのトランプ発言である
 だから、ウソつき学者たちが主張する吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説を日本中に拡散する朝日新聞とNHKテレビの歴史秘話ヒストリアもまた、日本国を根本・根底から崩壊させるウソつきメディアである 

★「倭人国の地理学」のトリセツ・6

 

◆このブログは6回~9回までで、詳細に証明したように――頭脳がとびぬけて優秀で、学者たちが“日本古代史上最高の政治家”と称賛し、当時の皇族のなかで群をぬく経済力を有し、偉大な多数の事績を残した天皇に次ぐ高位であった摂政(せっしょう)の、当然、天皇になれたはずであった聖徳太子(573621)がなぜ天皇になれなかったか――この原因は、仏教を興隆(こうりゅう)させるために、太子はわが国に保存されていた【紀元前3000年前の五帝時代初頭の黄帝時代に生存した倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理と作成方法】を虚妄であると蔑視したからである。
 「天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)」の銘文は――聖徳太子が妃の橘太郎女(たちばなのおおいらつめ)に「世間は虚仮(こけ)にして、唯仏のみ真なり」と語った―と伝えている。仏教用語の「虚仮」は「虚妄」「偽り」を意味したが、転じて「人を馬鹿にする語」となった。ゆえに、太子は「世間の真実と思い込む【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】は虚仮・虚妄・偽りであり、ただ仏の教えのみが真実である」と主張して、世間の評判に反発した。しかし、世間は「太子は無能だ! 天皇になれる資格がない! 太子の主張こそが虚仮・デタラメだ!」と虚仮にして馬鹿にした。
 このように、【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】は最大・最高・最強・最良の真実であった。

 【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】が無かったならば、後世に真実の歴史はもちろん、インドから起源した仏教も中国でもわが国でも漢字(文字)が無かったゆえ求得(きゅうとく)できなかった。この道理が太子はまったくわかっていないゆえ、世間は太子を「能無し! ただ【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】のみが真なり」と酷評して切り捨てたのである。

◆聖徳太子が天皇になれなかった原因が明確に示すように――【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】は、中国とわが日本国の根本となる最大・最高・最強・最良の真実であった。
 この最高・最良の真実の【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】にもとづいて、『魏志倭人伝』は成立する。
 『魏志倭人伝』は【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】に則(のっと)って全記事が事実のみを説明している完璧な文献であった。
 したがって、その完璧な出来ばえであったゆえに『魏志倭人伝』に1ヵ所でも【誤読=文献批判】はじめ【記事の歪曲】や【記事の排除・無視】などを加えたならば直(ただ)ちに、その意見は空理空論となる。
 吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説は『魏志倭人伝』に【多数の誤読=文献批判】はじめ【幾つかの記事の歪曲】を加えて、【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学識】を排除・無視する。したがって、両説は【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法は、わが国には保存されていなかった】と断言するゆえ、『魏志倭人伝』の全記事と1ヵ所も合致しない日本歴史学における最大・最悪の空理空論となった。

◆現在、定説となる日本神話虚構説もまた【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法は、わが国には保存されていなかった】と断言する。だから、現在は、定説・日本神話虚構説の空理空論が原因で、『古事記』上巻と『日本書紀』神代紀に記述された歴史はまったく解明されていない。
 織田信長と徳川家康は【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法の学識】を有していた。ゆえに、二人は『古事記』上巻と日本書紀神代紀が説明する、【倉頡がつかえた黄帝の土徳をあらわす「黄竜」と密接に関係する日本国誕生史】に精通していた。
 信長が使用した有名な印判に彫られていた「天下布武」という語は【黄帝の天下平定の討伐】をあらわしていた。
 家康が死去する一年前(1615)に制定した「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」の第一条の「天子諸芸能ノ事、第一御学問也」という文も【倉頡が発明した漢字原理と作成方法】と密接に関係した。というのも、この文は「天子諸芸能において、第一番目に大事なのは皇室が天武天皇以後に“皇祖・天照大神の遺勅(ゆいちょく/死後に残された勅命)”と定めて今日まで保存してきました【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法の学問】です。しかし、皇室は皇祖・天照大神の聖性が汚されると心配して、『古事記』上巻に記述された【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】を後世に絶対に伝えてはならないと、長いあいだ禁止しつづけてきました。しかしながら、この対策が災いして、浅学菲才な学者たちの迷妄や比叡山の僧侶たちの虚妄などの伝統によって、【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法の学問】と【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】は共に歴史的事実ではなかったという虚妄・誤解が世間を支配するようになって、いまや消滅して失われる危機的な状況にあります。ですから、この危機的状況から脱出するために、この際【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】を復興して、この国の根本を成す重大な【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法の学問】を存続させる必要があります」と、朝廷を説得するものであったのである。だから、この文は、家康が一生を賭けた胸の奥に秘めた【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】の復興への情熱、つまり熱き心願をあらわしていた。

◆現在の学者たちは「わが国は最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と思い込む。このため、信長と家康が正しく解釈できた【1】『魏志倭人伝』、【2】「古事記上巻 幷せて序」(『古事記』上巻の序)、【3】『隋書』倭国伝に記述された聖徳太子が天皇になれなかった原因記事が「わが国は後期縄文時代初頭(紀元前2070年頃~紀元前2050年頃)に夏音文字を習得する時に、倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法をも習得した」と説明する記事を読解することができないため排除・無視する。
 だから、現在、学者たちは【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】を伝える諸文献の記事を【誤読】を用いて徹底的に排除して「わが国が最初に漢字を習得したのは5世紀あるいは6世紀である」と断定する。これゆえ、【わが国は倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法の学識を習得して保存した史実】を知っている学者は、現在、一人もいない。


◆約2000字で構成される『魏志倭人伝』に登場する倭の使者の一人の名を前者では「掖邪拘」、後者では「掖邪狗」と記すゆえ、前者に用いられる[拘]か後者に用いられる[狗]のどちらかが誤記となる。また、「その道里を計るに会稽(かいけい)の東治(とうじ)の東に在るべし」という記事がある。この「東治県」は「東冶(とうや)県」であり、現在の福建省福州市であったと指摘されている。さらに、現存する『魏志倭人伝』には5世紀に生存した裴松之(はいしょうし)の注が計56字あり、このうち一ヵ所で「誤字がある」と指摘する。
 したがって、1983字に裴松之の56字が加わって合計2009字で構成される『魏志倭人伝』は「二千字のうち、三字の誤字がある」ということになる。「千三(せんみ)つ」という日本語は「ほんとうのことは千のうちわずか三つぐらいの意」から「うそつき」・「詐欺師」を意味する。
 約二千字のうち誤字が三字ある『魏志倭人伝』は「わが国に【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法があった】と証言する貴重な史料であり、全記事が正しく一ヵ所も誤りがない奇跡の文献である。
 このような『魏志倭人伝』に対して、邪馬台国説学者たちは「わが国には【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】は存在しなかった」と断定し、しかも邪馬台国説は二千字の『魏志倭人伝』の全記事と一ヵ所も合致しない。
 だから、吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説は「千三つ」以上の「大うそつき」ということになる。その証拠に、聖徳太子は「【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法の学術】は存在する」と認めて排除したが――吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説の両説は「【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】は存在しない」と全面否定するゆえ、両説をとなえる学者たちは聖徳太子よりもさらに上回るウソつきである。だから、世間から「大馬鹿野郎!」「大うそつき!」「詐欺師」と虚仮にされ蔑視されても文句はいえない。
 以上からして――ひたすら【誤読】を駆使(くし)してデッチあげた吉野ケ里遺跡邪馬台国説と纏向遺跡邪馬台国説の虚偽と詐欺を日本中にまきちらす朝日新聞とNHKテレビの歴史秘話ヒストリアは日本国を根本・根底から崩壊させる勢力であるからして、聖徳太子の時代と同様に世間は「無能だ! くだばれ! ウソつきメディア!」と虚仮にして愚弄してよいことになる。

◆【1】『魏志倭人伝』と、【2】「古事記上巻 幷せて序」(『古事記』上巻の序)と、【3】『隋書』倭国伝に記述された聖徳太子が天皇になれなかった原因記事は「紀元前2070年頃~紀元前2050年頃の後期縄文時代初頭、言いかえると中国の夏初頭に、“夏の始祖”の禹帝(うてい)の後を継いだ益帝(えきてい)の孫の王子と青年たちが日本列島に定住して夏音文字を広めた。この夏音文字によって紀元前4000年頃~紀元前3000年頃までの易占(うらない)に用いられた記号の結縄(けつじょう)と紀元前3000年頃の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官・倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と倉頡が考案した原初漢字の刻木(中国では「書契」と呼称する)をも習得した」と説明するものであった。
 上記したように、『魏志倭人伝』の全記事は【倉頡が発明した漢字作成原理と作成方法】に則って成立する、【誤読(文献批判)】を1ヵ所も加えることができない完璧な文献であった。そして、下記に示す記事は明確に【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の習得】を説明する記事であった。ただし、この記事には振り仮名を表示していない。

(1)
 その俗、挙事行来に云為する所有れば、すなわち骨を灼いて卜し、もって吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ。その辞は令亀の法の如し――という、「令亀の法」の記事
(2)
 女王国より以北には特に一大率を置きて諸国を検察せしむ。諸国之を畏憚す。常に伊都国に治す。国中に於いて刺史の如きところ有り。王、遣わして京都・帯方郡・諸韓国に詣
り、また、郡の倭国に使するや、皆津に臨みて、伝送の文書・賜遺の物を捜露し、女王に詣るに差錯あるを得ざらしむ――という、「倭の差錯文字」の記事

 上記の(1)「令亀の法」つまり「倭の卜占に用いられた文字は、亀の甲羅に文字を刻んだ殷代(いんだい)後半に用いられた甲骨文字のような原初漢字であった」という記事と、(2)「倭の差錯文字」つまり「倭の小国・伊都国の港では、魏の都の洛陽(京都)と魏王朝の出張政庁が所在した朝鮮半島のソウル付近の帯方郡と諸韓国(朝鮮半島)で使用されていた楷書と差錯(相違)する倭の原初漢字」の記事は、【わが国における倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の習得と保存】を、具体的に説明している。
 だから、『魏志倭人伝』においては――【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学識】に直接つながる・上記した(1)(2)の記事のほうが、卑弥呼が居住した王国所在地よりも数段も重大な学術テーマであった。
 つまり、学者たちは「『魏志倭人伝』と言えば邪馬台国の所在地である」と世間を欺(あざむ)き、【誤読】を駆使して『魏志倭人伝』の全記事と1ヵ所も合致しないデタラメの邪馬台国説を「ほんとうの話である」と主張して騙(だま)そうとしている。

▼同志社大学名誉教授・考古学者の森浩一氏は――奈良時代に創られた漢風の諡号(しごう)は古墳時代にはなかった。ゆえに、古墳に「仁徳天皇陵」と表記するのはおかしい。したがって、地名を利用して「大山(だいせん)古墳」と呼ぶべきである――と主張した。ゆえに、現在、「仁徳天皇陵」を「大山古墳」という表記こそが正しく定説とすべきであるという主張にもとづき、「大山古墳」と表記する教科書もある。
 しかし、わが国には後期縄文時代に【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字】
を習得し、古墳時代以前の3世紀(卑弥呼時代・中国の三国時代)には魏都・帯方郡・書韓国で用いていた楷書をも習得していた。ゆえに、森浩一教授の「大山古墳説」は空理空論であった。
 『古事記』下巻冒頭の仁徳天皇紀には「おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我()が国見れば 淡島 淤能碁呂島(おのごろしま) あぢまさの 島も見ゆ 佐気都島(さけつしま)見ゆ」と仁徳天皇が作った和歌が記載されている。
 この和歌に登場する「淤能碁呂島」は、『古事記』上巻のイザナキノミコトとイザナミノミコト説話冒頭の淤能碁呂島聖婚説話に登場する「淤能碁呂島」である。この「淤能碁呂」の4字に、『古事記』は「淤自()り以下四字は音を以てす」という〔注〕を付ける。したがって、仁徳天皇が詠んだ長歌に登場する「淤能碁呂」の4字は夏音文字であった。
 森浩一教授は『魏志倭人伝』と『古事記』上巻と『隋書』倭国伝が説明する【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の習得記事】を読解ですることができずに【誤読】した。これゆえ、「わが国には夏音文字が無かった」と思い込む森教授は「古墳時代時代には、もちろん、わが国には文字が無かった。だから、当時、漢風の諡号も無かった」と虚妄説・空理空論を主張したのである。

◆わが国は【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字】を習得し、この学識は現在も保存されている。
 令和元年(2019)1114日の夕方の午後6時半から開始され翌日の午前4字頃に終わった、各社テレビが一斉に放送した大嘗宮の儀(大嘗祭)は――【紀元前3000年頃の倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と紀元前2070年頃~紀元前2050年頃の夏音文字】とそして【230(呉の黄竜2)頃におこなわれた淤能碁呂島におけるイザナキノミコトとの結婚式にてイザナミノミコトが「阿那邇夜志愛袁登古袁(あなにやしえをとこを)」と唱えて「五帝時代初頭の黄帝が中国を平定した恩恵・愛のごとく、小国・日本は〔愛〕を柱にして建国いたしましょう」と誓った日本建国の〔愛〕の理念】を演出する儀式であったのである。
 だから、現在までわが国は皇室の大嘗祭をもって【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学識】は失われずに保存されて残っている。
 したがって、【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の習得】を排除し無視する邪馬台国説と『記』『紀』における日本神話説と〔愛〕の和歌集『万葉集』の和歌の解釈や様々な意見たとえば織田信長・徳川家康に関する学者たちの意見は、すべて空理空論・虚妄・捏造・【科学】に反する出鱈目(でたらめ)である。

 したがって、このブログの冒頭で指摘したように、現在の学者たちの誰一人も【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学識】について知らない。これが原因で、日本古代史に関する学者たちの意見はトランプ発言で満ち満ち、古代史学においてはウソが真実に勝って蔓延(はびこ)り、この国を根本・根底から崩壊させる邪馬台国説・日本神話説が朝日新聞やNHKテレビの歴史秘話ヒストリアはじめ様々なメディアや出版界によって国中にひろがっている。

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