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2020年12月 1日 (火)

フェイク&まぼろし邪馬台国・3

★「古代史の謎」の取説・3

▼わが国のメディアは、学者たちと彼らの口車に乗せられて邪馬台国説と「日本神話は虚構(きょこう/作り話)である」という、まったく非科学な空理空論・デタラメ・真っ赤なウソを日本国中にまき散らかして稼(かせ)ぎのネタにして――純朴に誠実に生きる日本国民を小馬鹿にして愚弄(ぐろう)している。
 このまま学者たちやメディアに馬鹿にされっぱなしでいるのは、はなはだ癪(しゃく)にさわるので、この〔フェイク&まぼろしの邪馬台国〕シリーズにて学界とメディアにはびこる・のさばる不正・非理を徹底的に暴(あば)き出すことにした。


◆現在のわが国の学者たちは【誤読】を【文献批判】という名称をつけて『魏志倭人伝』に多数の【誤読】を加え、また『古事記』上巻の序(「古事記上巻 幷せて序」)の記事を正確に忠実に読解することができず【誤読】を多用する。ゆえに、多数の【誤読】を用いて『魏志倭人伝』と『古事記』上巻の序(古事記上巻 幷せて序)の記事を立論して歪曲(わいきょく)・捏造(ねつぞう)した産物が邪馬台国説と日本神話虚構説である。
 早い話(はなし)、邪馬台国説と日本神話虚構説は【誤読の産物】である。

◆『魏志倭人伝』と『古事記』上巻には、【漢字の起源は中国では解明できず、日本で科学的に具体的に解明できる魔法】が記述されている。
 この魔法は、約2000字で構成される『魏志倭人伝』の主なる記事(55パーセント)の記事と、『古事記』上巻の序(「古事記上巻 幷わせて序」)のテーマとなる。
 『古事記』上巻の序、つまり「古事記上巻 幷(あわ)せて序」はその全体の記事を圧縮して、冒頭の34字の漢字からなる文章で【漢字の起源は中国では解明できず、日本で科学的に具体的に解明できる魔法】について説明する。言いかえると、「古事記上巻 幷せて序」冒頭の34字の文章は『古事記』上巻全体の記事における歴史解明方法を説明している。
 「古事記上巻 幷せて序」冒頭の34字の文章が伝える【漢字の起源は中国では解明できず、日本で科学的に具体的に解明できる事実】という魔法を知っていれば、多数の日本古代史における謎が容易に具体的に明確に正しく解明できる。
 この魔法を、現在の学者たちは知らない。だから、現在の学者たちは邪馬台国説と日本神話虚構説が【誤読の産物】、空理・空論・真っ赤なウソであることにまったく気づかない。

◆邪馬台国説を力説する学者たちは「『魏志倭人伝』は倭女王卑弥呼が居住した邪馬台国を解明するための史料である」と思い込んでいる。
 ところが、約2000字で構成される『魏志倭人伝』のどの1ヵ所にも「邪馬台国」という記述は存在しない。『魏志倭人伝』における主なる記事(55パーセント・約1100字の記事)の内容は――【わが国は紀元前2070年頃~紀元前2050年頃の後期縄文時代初頭=中国の夏代(かだい)初頭において原初漢字の夏音(かおん)文字を習得した際に、その約950年前の紀元前3000年頃の五帝時代初頭の黄帝につかえた史官・倉頡(そうきつ)が発明した漢字作成原理と作成方法】をも習得した――と説明するものであったのである。そして、『魏志倭人伝』は「卑弥呼が居住した王国名は邪馬壱(やまい)国であった」と記述する。したがって、「邪馬台国」なる名称や語は『魏志倭人伝』の全記事と1字も合致しない、虚妄(デタラメ)・真っ赤なウソであったのである。その証拠に、『魏志倭人伝』は「卑弥呼が居住した邪馬壱国は山陰出雲地方(石見・出雲・伯耆)であった。また、卑弥呼の墓は現在の出雲大社の裏山(後円墳)と境内(前方墳)であった」と説明している。だから、邪馬台国畿内説と九州説は『魏志倭人伝』とまったく無関係の空理空論であったことになる。
 つまり、邪馬台国説学者たちの口車に乗って出版社・新聞社などのメディアが真実・真相を明らかにしなければならない使命・義務・責任をすっかり忘れて軽々しく騒ぎ立てる邪馬台国畿内説と九州説の実体は日本古代史における最大・最悪の空理空論・非科学説・妄想(もうそう)であったのである。

 前回の〔フェイク&まぼろしの邪馬台国〕にてあつかった――【2】『古事記』と『日本書紀』は、だれが、なぜ、どうして作成されることになったのか――この問題について現在の学者たちは解明できていない。この秘密については、「NHKテレビ・歴史秘話ヒストリアにダマされるな!」と題する、わがブログでも明らかにした。
 『古事記』と『日本書紀』つまり『記』『紀』は舎人皇子が指揮して編纂された。
 『記』『紀』はなぜ作られたかと言えば――大和朝廷の基礎を築いた10代崇神天皇と生母の伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)は天照大神を祀っていたため「天照大神」という異称で呼ばれた(この記事は『日本書紀』巻第五の崇神天皇紀の〔疫病の流行〕の条にある)
 舎人皇子が生存した当時の律令国家体制は天皇の権力を絶対化するために、【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の学問(上古科学)】を政権基盤にして国家と朝廷の強化をはかった天照大神(10代崇神天皇と生母)を崇拝して皇祖と定めた。しかし、伊耶那美命(9代開化天皇の正妃の竹野比売・たかのひめ)と伊耶那岐命(9代開化天皇)の歴史は天照大神の聖性をいちじるしく汚すものであった。このため、時の律令体制は「伊耶那美命と伊耶那岐命の歴史を絶対に後世に伝えてはならない。この歴史は抹殺(まっさつ)、削除(さくじょ)せよ」と厳重に禁止した。しかし、伊耶那美命と伊耶那岐命を敬愛する皇族・貴族・豪族・万葉歌人たちは「真実は万代(よろづよ)に永遠であれ」と抵抗して、『記』『紀』に【伊耶那美命と伊耶那岐命の歴史】を記述して後世に伝えた。
 ゆえに、『記』『記』はどうして作成されたかと言えば――13歳で小国・日本の女王に就任した伊耶那美命が淤能碁呂島(おのごろしま)で伊耶那岐命と結婚した時に唱えた【日本建国の〔愛〕の理念】と、小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)であった伊耶那岐命が【日本建国の〔愛〕の理念】を受け継いで、倭女王・天照大御神(伊迦賀色許売命)を倭女王から失脚させて、大国の倭と小国の日本を併合して、春日(かすが)の伊耶河宮(いざかわのみや)で居住して天下を治めた歴史を後世の人々に伝えるために作成されたのである。
 〔注 『古事記』上巻の開化天皇紀が記述しているように、9代開化天皇が居住した「伊耶河宮」の先頭2字は「伊耶那美命」と「伊耶那岐命」の先頭2字と合致する。だから、春日の伊耶河宮に居住した9代開化天皇は若き日に人民に「伊耶那岐命」と愛称されていた。開化天皇が居住した「春日の伊耶河宮」の「春日」は、「春日大社」の社名である。律令体制を推進する藤原不比等は【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】を抹殺するために、伊耶河宮の真西に藤原氏の氏神の常陸国鹿島の神武甕槌命(たけみかづちのみこと)を勧請(かんじょう)して、春日大社を創始した。ゆえに、【伊耶那美命と伊耶那岐命による、日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】を抹殺・消滅をはかって春日大社を起源させた藤原不比等は、多数の古代の多くの人々に嫌悪されて蔑視された。〕

 【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の習得によって、わが国に存在することになった上古の学術・科学知識】を伝える『古事記』上巻の序(古事記上巻 幷せて序)冒頭の34字の書き下し文は下記のごとくなる。
 ただし、この「参神造化(さんしんぞうか)の首(はじめ)を作()す」という文で終わる、書き下し文には振り仮名をつけていない。
 「臣安万侶言す。それ混元既に凝りて、気象未だ効れず。名も無く為も無し。誰かその形を知らむ。然れども乾坤初めて分かれて、参神造化の首を作す」
 上記の34字の漢字で構成される書き下し文を容易に理解できるように現代語に訳すると、次のごとくになる。
 「元明天皇におつかえします臣下の太安万侶(おおのやすまろ)が申し上げます。およそ太古において日本列島各地の天頂にめぐってきた銀漢の形は混沌(こんとん)としていましたが既(すで)に凝(かた)まっており、何かになりそうな気配(けはい)も象(かたち)も未だ明確ではなく何に相似するものとなるのか、その情(イメージ)はまったく見当がつきませんでした。このため、何と名づけようもなく、為(わざ/表現方法)も存在しませんでした。ゆえに、本書『古事記』を作ることになった現在、誰もその太古において日本列島各地の天頂にめぐってきた銀河の気と象についてどのような物に相似したかについては正確に知っていません。しかし、(紀元前4000年頃から始まる)前記縄文時代になって、天頂に乾坤(けんこん)すなわち天と地に分かれる銀漢(つまり、[]の字源となった「乾燥地帯の沙漠の夜空」のイメージとなる銀漢と、[]の字源となった「雷鳴轟いて土()に慈雨が降る」のイメージとなる銀漢)、つまり「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」と名づけられた芸術神の銀漢が日本列島の天頂にめぐってきた前期縄文時代に造化(芸術)革命が花開きました。この前期縄文と次の高御産巣日神(たかみむすひのかみ)が天頂にめぐってきた中期縄文とさらに次の神産巣日神(かむむすひのかみ)が天頂にめぐって後期縄文時代の首(はじめ/初頭)まで、つまり[]の字源・字形(漢字の原形)・原義となった「新生児の首(横顔)」に見立てられた銀漢も天頂にめぐってきた前期縄文・中期縄文・後期縄文初頭の参時代まで、夏に最も長時間見ることができる巨大な銀漢(天文学における通称「夏の銀河」)の各部の形状イメージを造形して神を表現する土器と土偶(どぐう)が作られました。そして参神造化の首(はじめ)つまりわが国の後期縄文時代初頭、中国より銀漢(夏の銀河)各部の形状から作る夏代(かだい)初頭の夏后(かこう)王朝で用いられた音文字の原初漢字が伝来しました。この原初漢字・夏音(かおん)文字は、参神造化(前期縄文時代初頭から後期縄文時代初頭)のおける約2千年間、銀漢(夏の銀河)各部の形状をモデルにして土器・土偶を造形した芸術の伝統を受け継いだ人々(芸術家たち)によって習得されました。」

 上記した「古事記上巻 幷わせて序」の冒頭34字からなる記事が伝えているように――【倉頡が漢字を発明して五帝時代の幾つかの書契(しょけい)と、夏代の夏音文字の二時代における原初漢字の字源・字形(漢字の原形)・原義】は【夏の銀河各部の形状】であり、五帝時代の書契の字音は不明となったものの、夏音文字の字音はわが国の国語として多数残ることになった。
 夏音文字の字音は(1)『魏志倭人伝』に記された「卑弥呼」を「ヒミコ」と読む字音はじめ人名・小国名・官職名に用いられて残り、(2)『隋書』倭国伝においても――推古天皇の姓は「阿毎(アメ)」、字は「多利思比弧(タリシヒコ)阿輩鶏弥(アメキミ?)と号す」など、その他に聖徳太子についての夏音名(夏音文字の名)は「利歌弥多弗利(リカミタフリ?)」であった――と記されて残っている。(3)また『古事記』上巻の随所に〔音〕という注が付いて、夏音文字の字音は多数記載されて残っている。
 だから、わが国は夏音文字を習得していたことは【科学】が成立して絶対的事実となる。
 太安万侶は「古事記上巻 幷せて序」(『古事記』上巻の序)の末部で――姓に用いる楷書【日下(にちげ)】は夏音文字【玖沙訶(クサカ)】と同義、名に用いる楷書【帯(たい)】は夏音文字【多羅斯(タラシ)】と同義であるのは、「古事記上巻 幷せて」冒頭の34字で説明したとおり、楷書も夏音文字も共に銀漢(夏の銀河)各部の形状から作られたからである。したがって、楷書と夏音文字の字源・字形・原義は共に銀漢各部の形状であるゆえ、いいかえると【銀漢各部の形状は真実の歴史を伝えることができる、真の文字】であった。だから、楷書と夏音文字の語は同義となるという仕組みを説明していたことになる。したがって、楷書と夏音文字の字源・字形・字義を銀漢各部の形状に変換すれば真実の歴史を知ることができる――と、太安万侶は警告(けいこく)していたのである。
 現代の学者たちは【銀漢(夏の銀河)各部の形状は真実の歴史を伝える、真の漢字】であることを知らない。しかし、「銀漢から作られた文字」を略して、中国でもわが国でも「漢字」と名称でよぶことになったのは【銀漢各部の形状は真実の歴史を伝える、真の漢字】であったからである。要するに、「古事記上巻 幷せて序」冒頭の34字と『魏志倭人伝』の約1100字は【銀漢各部の形状は真実の歴史を伝える、真の文字】と伝えていたことになる。

 上記した「古事記上巻 幷せて序」の冒頭34字の末尾「参神造化の首(はじめ)を作()す」という文に続く11字の文は、振り仮名をつけると、下記のごとくになる。
 「陰陽斯(ここ)に開けて、二霊群品(にれいぐんぴん)の祖(おや)と為()る」
 上記の文を直訳すると「陰の伊耶那美命と陽の伊耶那岐命が、わが国のすべての生みの親となる」と意味することになる。
 つまり、上記の文は「小国・日本の女王に就任した伊耶那美命は伊耶那岐命と結婚したとき、【日本建国の〔愛〕の理念】を唱えた。伊耶那美命は倭女王・壱与(いよ)に就任して間もなく没した。伊耶那美命の陵墓を作るとき、倭女王に就任した天照大神(崇神天皇の生母・伊迦賀色許売命)は、多数の奴婢(ぬひ)を殺して伊耶那美命陵に埋葬する残忍な徇葬(じゅんそう)を陣頭指揮した。この徇葬は、八雷神(やくさのいかづちがみ)、つまり天に稲妻が光り鳴りとどろき慈雨が降って人民たちの胃袋を満たす五穀豊穣を祈願するための事であった。残酷な徇葬に怒った小国・日本の軍王(いくさのおおきみ)の伊耶那岐命はクーデターを決行して、天照大神を倭女王から失脚させた。伊耶那岐命は開化天皇となって大国・倭と小国・日本を併合し、伊耶那美命が【日本建国の〔愛〕の理念】を継承して春日の伊耶河宮に居住して天下を治めた。この【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】が、『古事記』の作成目的である」と伝えていたのである。
 正史『日本書紀』は書名の「日本」が明示するように、その作成目的は『古事記』と同じく〔【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】を後世に伝える〕であった。しかし、『古事記』は反逆の歴史書であることを元明天皇に見抜かれて、献呈を承認されず正史になれなかった。ゆえに、『古事記』献呈の失敗に懲()りて、『日本書紀』は天照大神を皇祖と崇拝して天皇の権力を絶対化する律令体制を推進する朝廷に反逆する度合いを薄めて、元正天皇が献呈を許可して正史にすることを念頭として編纂された。このため、『日本書紀』は作成目的が叶えられない、失敗作品となった。『日本書紀』は作成目的の【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】が不鮮明・曖昧(あいまい)となった失敗作品であったゆえ、天照大神を皇祖と崇拝する朝廷にとっては好都合の書物であった。だから、『日本書紀』は正史となった。
 以上のごとく事情により、『古事記』と『日本書紀』は、舎人皇子が指揮して伊耶那美命崇拝派の面々が編集スタッフとなって作られた。
 『記』『紀』はなぜ、どうして作られたかと言えば――【伊耶那美命と伊耶那岐命による、日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】を後世に伝えるためであった。というのも、【日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】は皇祖・天照大神を崇拝して天皇の権力を絶対化する律令体制が天照大神の聖性をいちじるしく汚すものであったため、律令体制は絶対に後世に伝えてならぬと抹殺・消滅をはかったからである。この政策に抵抗して、【伊耶那美命と伊耶那岐命による、日本建国の〔愛〕の理念と日本国誕生史】を後世に伝える、これが『記』『紀』の作成目的となった。
 というのも、上記したように――「古事記上巻 幷せて序」の11字の初頭記事「陰陽斯に開けて、二霊群品の祖と為る」が示すように、舎人皇子はじめ伊耶那美命崇拝派の面々はわが国にとって伊耶那美命と伊耶那岐命の歴史は万歳(まんさい)・千葉(せんよう)・永久に消滅・失ってはならない歴史であると考えていたからである。
 このように『記』『紀』に上古史が記述されて残されたが、現在の学者たちは「『記』上巻の日本神話と『紀』神代紀の日本神話は――最高神の天照大神そして伊耶那美命と伊耶那岐命もまた、雲の上の天空に住むと誤読して虚構(作り話)である」と断定する。
 しかし、『記』『記』は【倉頡が発明した漢字作成原理・作成方法と夏音文字の科学(学問知識)】を用いて歴史を解明する仕組みになっていた。したがって、この学問=歴史解明方法にもとづくと、伊耶那美命と伊耶那岐命と徇葬を陣頭指揮した天照大神は雲上の天空に住まずに地上に住んでいたことになる。
 だから、現在の学者たちが立論する日本神話虚構説は多数の【誤読】を加えて捏造(ねつぞう)した、日本国民をダマす空理空論・真っ赤なウソであったのである。

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